生徒会副会長様
履いてきた靴を下駄箱の中に突っ込む。踏ん付けたままの上履きの踵を元に戻そうと、左足をあげた。しかし上手くバランスがとれずによろめいた身体は背後に立つ生徒に激突してしまい、その拍子に左の上履きがころりと床に転がった。やれやれ。謝ろうと振り返れば、怪訝な顔をした友人が私を見下ろしている。
「あんた何やってんの」
「すみません」
一部始終をみていた彼女は呆れたようなため息をついてから、おはようと言った。私もそれにおはようと返し、隣に並んで一緒に歩き出す。他愛のない話をしながら教室の前まできたところで、向かいから歩いてくる金髪の生徒と目が合った。あ、と心の中で呟くと、彼はこちらに向かって手を挙げる。辺りの女子の視線が私の見ている方向へ集まり、背後の所々からは鳥のさえずりみたいな可愛らしい黄色い悲鳴があがった。
「なぁ、昨日のあれ」
「書き直したやつ会議室のサボくんの机の上に置いといたよ」
「そうか、進行表は?」
「一応作ったけど…自信ないからみておいてくれる?」
「わかった、じゃぁ放課後な」
「うん、また後で」
朝の挨拶もないままに、要件のみを話して颯爽と去っていく。まぁこんなやり取りもいつものことだ。慣れないことといえば、彼と会話をしている間中この刺さるような視線を浴びることだろうか。身を隠すように教室内へ逃げ込むと、話している間に先に入っていた友人がお疲れ、と出迎えてくれた。それから何かを探るように目を細め私を見つめたあと、なるほど、とひとり納得していた。怖いんですけど、なんでしょうか。
「隈の原因が判明した」
「原因?ていうか、え、隈?」
「文化祭の仕事、家でもやってるから寝不足なワケね」
「よくお分かりで…」
手鏡を覗き込むと確かに、うっすらと黒い膜が目の下に広がっていた。今朝これでもかというほどコンシーラーを塗ったのに。いつまでも鏡とにらみ合いをしている私を不憫に思ったのか、彼女は自分のポーチからオイルやら綿棒やらを次々取り出し、あっという間に、そして朝の私より遥かに上手に隈を消し去っていった。最後にぽんぽんとフェイスパウダーを軽くあてながら、「落ち込むな」と慰めの言葉で締めくくる。
「私らが化粧してるから分かるって程度だよ」
「それにしても酷い顔だった…」
「王子には気付かれてないって」
「…別に、そこは気にしてないし」
「あーはいはい」
楽しそうに笑いながら、彼女は前の席につく。それにしても「王子」とは、いつ聞いても馴染まない呼び方だ。去年の文化祭でのプリンス&プリンセスコンテストでサボくんが優勝して以来、彼は女子生徒の間でそう呼ばれている。14の頃から彼を知っている身からすれば鼻で笑いたくなる呼び名だが、悔しいことに実際に彼は「王子」の名に相応しい容貌と人気を持ち合わせている。2年にあがってからはそこに、生徒会副会長という肩書が加わった。頭良し運動神経良しの完全無欠、言うこと無しのハイスペック人間の出来上がりだ。
「あんな男と一緒に仕事なんて、もうひとりの副会長サマも大変ね」
「承諾した自分を恨む今日この頃だよ」
「王子直々のご指名じゃぁねぇ」
楽しそうに笑う彼女の口を慌てて押さえ、制止を図る。キョロキョロと辺りを見渡せば、皆それぞれに談笑しており、当たり前だがこちらの会話など微塵も気にしていないようだった。そのことに安堵の息を吐き手を下ろす。表向き、私とサボくんは会長に指名され副会長の座に就いたことになっている。中学時代も同じように会長、副会長として生徒会の仕事をこなしていた為なんら不自然ではない話だ。しかしその実は、会長が指名したのはサボくんのみで、私はというとサボくんからの指名であった。今後の仕事がしやすいと思ったのであろう彼は、会長からの打診があった際に私が就任するのなら自分も引き受けると言ったのだ。高校1年目も終盤に差し掛かっていたある日のこと、「お前もやるだろ?」とさも当たり前のように言われたのを今でも覚えている。既に王子として学内での地位を確立していた彼と並んで仕事をするばかりか、その役職につくよう彼本人から誘われたなどという事実が広まれば、他の女子生徒たちにあらぬ疑いをかけられ高校生活を送りづらくなるだろう予想は容易にできたため、この事実は機密事項にしてもらっている。唯一このことを知る友人である彼女はしまったという表情のあと小さく謝罪を口にした。
「しかしまぁ、あんたもよくやるわねぇ」
「なにを?」
「生徒会の仕事。こんななってまでさぁ」
こんな、とは、テーピングでぐるぐるまきになった右手人差し指と中指のことだ。朝のホームルームから3時間目の授業終了にまで及んだ睡魔との戦いで勝利を収めた私だったが、4時間目の体育ではそうもいかなかった。連日の寝不足がたたったのか一瞬思考を飛ばしていた私の顔面に飛んできたボールを間一髪のところで跳ね返すも、当たり所が悪く数年ぶりに突き指をしてしまった。バスケの試合はその後どうにか最後まで続け、授業が終わると共にバスケ部である友人の彼女と保健室を訪れ処置してもらっている次第である。
「まぁ、やるからにはちゃんとやりたいし」
「そんなら授業もやるからにはちゃんとやんなさい」
「返す言葉もありません」
「ちょっとは休みなさいよ」
「うん」
「言ったね?」
念を押すように聞き返す彼女の迫力に一瞬たじろぐ。分かっちゃいるのだ、自分でも。毎度毎度、今日こそは早く寝るぞと言い聞かせているくらい分かっている。それでもどうしてそこまで頑張ってしまうのか。そんなの、自分が一番よく知っていた。
「名前ー、いるかー?」
「サボくん」
「クラスのやつに聞いたらここだって言うから、なんだ、怪我か?」
「ただの突き指だよ」
突如開いた保健室の扉の向こうから、サボくんが顔を覗かせた。ずかずかと大股でこちらに近づいて、椅子に座る私と友人を見下ろす。口を一文字に結んで私を見る彼に大丈夫の意としてふるふる手を振って見せると、そこでやっと表情が和らいだ。
「お前が直してくれたやつ、すげぇ良かった!実行委員のやつより断然いい」
「ほんと?よかった」
「やっぱりお前に頼んで正解だったな!」
これでもかという程の満面の笑みを咲かせて、彼は言う。下からのアングルでも格好いい王子様に死角はない。ドクドクと巡る血流が勢いを増して、心音を加速させていく。何か返事をしなければと口を金魚のように開閉するだけの私の頭に、大きく暖かい手が乗った。
「また頼むな」
くしゃ、と髪をひと撫でして離れていくサボくんの手。振り返らずいつものように去る後ろ姿から目が離せない。彼が保健室から出ていって数十秒後、いまにもはち切れそうな胸の真ん中辺りをジャージの上からぎゅ、と握り、歯と唇を噛み締めて俯いた。そんな私の後ろで、友人が本日二度目のなるほどを呟く。
「わかったわ、あんたが頑張っちゃう理由」
顔が、身体が、どうしようもなく熱い。