放課後の約束
「で、これがこうか?」
「そうそう」
「あー、なるほど」
放課後の教室は思っていたより静かで、なかなかのものだ。ここで勉強するのも悪くないと知ったのは、こうしてエースと一緒にやるようになってから。先月追試を終え、なんとか全ての教科で合格点をとれたことに胸を撫で下ろしたのもつかの間、私は再びエースと共に教頭に呼び出された。
「いやはや、この阿呆をあの短期間でここまでできるようにするとはさすがじゃな」
「うるせぇ」
「彼、そもそも頭悪いわけではなかったので」
「世辞はいい、こいつは本当に阿呆でバカじゃからな」
「…なにもそこまで」
「その調子で次の中間テストも頼んだぞ」
「え?」
てっきり礼を言われて終わるものだと思っていたのだが、そこは教頭、一癖も二癖もある人物であったことを改めて思い知らされる。聞き間違いかと思い再度聞き直したが、同じ言葉を言われただけだった。つまり、今回の追試で合格したとしても、今後のテストの出来によってはまた留年騒動に発展する可能性があるため、そうならないようにしろとのことだ。ばしばしと叩かれた肩には痛みよりも重みが残っている。
「っし、終わり」
「早かったね」
「今回のは楽勝だったぜ」
これまでサボってきた分の復習として、各教科の担任からだされた特別課題を彼は着々とこなしていく。教頭への言葉は誇張でもなんでもなくエースは地頭が良いようで、一度説明すれば大体のことは理解してくれていた。つまりやる気がなかっただけでやればできる子だっのだ。そのおかげで当初想像していたような悲惨な勉強会にはならずに済んだ。今では一から説明せずとも自ら問題を解いていき、分からないときだけ聞いてくるという程度なので、私も自分の勉強が出来ている。
「あーダメだ、今日はもう限界だな」
「えっ、早い。まだ1時間しか経ってないのに」
「俺にしちゃ充分だろ」
「まぁ、確かに」
大体いつも2時間ほど勉強してから帰るのが放課後の日課になっていた。基本的には最後まで集中しているのだが、今日はどうもノらない日らしい。そういう時の彼は私の勉強の邪魔をしてきたり、寝ていたりする。結構ウルサイのでできるだけ後者を選んでいただきたいが、どうやら本日は前者のようだ。
「お前もちょっと休憩にしろよ」
「いま切りよくないからもうちょっと」
「あとどんくらいだ?」
「30分か40分くらい?」
「なげぇ」
「あ、」
パタリと、彼の手が私の問題集を閉じる。それから流れるように奪い去り自身の机の中に仕舞ってしまった。こうなったらもう何をしても無駄だ。大人しく休憩する以外に問題集を返してもらう術はない。私は長く息を吐き出して、シャープペンをペンケースにしまった。諦めよくなったな、と、嬉しそうにエースが笑う。
「エースはどんどん教頭みたいになってる」
「それは最悪だな」
「さすが孫って感じ」
「孫ったって血は繋がってねぇ」
「え、そうなの?」
マズイことを言ってしまったかと彼を窺うが、得に気にしている様子はないようだった。この手の話は慣れているのだろうか。とはいえこの先何を言えば良いのか分からず黙ってしまう。そんな私を彼は見逃さない。なんてことないと言うように笑いながら、話を続けてくれる。エースのこういうところが、私は結構好きだ。
「親父がちょっとワケありでよ、母親は俺産んで死んじまったから、ガキん頃に預けられたんだ」
「じゃぁ教頭と二人暮らしなの?」
「いや、兄弟が二人いる」
「へぇ、初耳」
「そいつらも血は繋がってねぇけど、大事な家族だ」
弟がひとりと同い年の男の子がひとりの三兄弟で、皆この高校に通っているという。しかも、その同い年の男の子とは「王子」と呼ばれているかの副会長というのだから驚きだ。彼も教頭の元で育ってきたということを考えると、「王子」と言った瞬間にクク、と喉を鳴らして笑い出したエースの気持ちがわからなくもない。さぞ奔放な王子様であることだろう。残念ながら弟くんのことは見かけたことがないが、彼がとてもいい笑顔で話をしているのでいい子なんだろうということは想像できる。教頭のことはともかく、家族の話をするエースはすごく幸せそうで、思わず私までほんのり胸があったかくなった。
「名前の家族は?」
「私のとこはおばさんとおじさんの三人暮らしだよ」
「親いねぇのか?」
「うん、小学校のときに事故でね」
「そうか……」
「……何?」
「お前……家でいじめられたりしてねぇよな?」
神妙な顔で何を言い出すかと思えば。漫画の読みすぎかドラマの見すぎか、エースは私が虐げられていることを想像したらしい。しかし幸い母の妹もその旦那さんも大変いい人で、子供に恵まれなかったこともあってか大層優しくしてくれている。むしろ厳しかったのは実の両親で、トップでいることが当たり前でありその他は無意味という思考の持ち主たちだった。そんな彼らの教育方針を嫌っていたおばさん達は、子供ながらに甘やかしすぎではと思ってしまう程過保護だ。思わず吹き出してしまってからご心配なくと伝えれば、エースは安心したように息を吐いた。
「勉強ばっかりしてるからよ、遊ぶのも許されてねぇのかと思ったぜ」
「全然。むしろ遊んで来いって言われてる」
「じゃぁ遊べばいいじゃねぇか」
「遊び方がわかんない」
エースはあんぐりと口をあけて私を見る。そんな顔されたって分からないものは仕方ない。厳しい環境に10年近く身を置いていたからか、叔母に引き取られたあとの身の振り方がわからなかった為、何も考えなくてすむようにと結局勉強だけしてきたのだ。いじめを受けたことはないけれど友達と呼べるようなクラスメイトはいたことがない。今までこんなこと気にしたことなかったが、我ながら友達もいないとは情けない。ふと、視線を下にずらしたのと、彼が突然立ち上がったのはほぼ同時だった。
「よし、今から行くぞ」
「え、どこに」
「遊びにだよ」
「えぇ、だって、勉強」
「毎週水曜はもうナシだ!遊ぶぞ!」
最初っからこうしときゃよかったとかなんとか、大きな独り言をいいながら目を見張る速さで荷物をバッグに詰め込んでいく。最後にいれたやつ、私の問題集なんだけどな。本当に血の繋がりがないのかと問いたい程に、教頭のような自由さと強引さである。不思議と嫌だと思わないのがまた厄介なところで、呆気にとられながらも、頭の片隅では諦めるしかないと首を振る自分がいた。後を追うように机の上を片し立ち上がると、エースの大きな手が私の手を包みこむ。すっかり手中に収まってしまったそれを、引っこ抜くことはできなかった。
「急ぐぞ、名前!」
「ま、待って、エース、足はや、」
絡まりもつれそうになる足をなんとか動かして、彼に導かれるまま走り出す。これから起こることへの期待からだろうか、ドクドクと脈打つ心臓がいつもよりうるさい。