夏の泡沫、春の夢


 夜のとばりが下りてなお明かりに満ち溢れ、人々が賑々にぎにぎしく闊歩かっぽする。
 料理の匂い。遊戯に挑み、達成して喜ぶ声、失敗して落ち込む声。
 家族、友人、恋人、その他多勢が両脇に並ぶ屋台に立ち寄り、時には空を見上げる。

 予定時刻を回る頃、大輪の花火が夜空に打ち上げられる。
 色とりどりの光と、ドンッと腹の奥底を震わせる盛大な音とともに、闇色を明るく染める。
 美しい火の花に言葉が出ない者、綺麗だと歓声を上げる者、思うままに観賞する。


 そんな中、暗い声が一つ。

 神社の境内には人が集まっているが、人気のない奥へ子供が走る。
 水色に金魚の絵柄が描かれた子供らしい浴衣から女児だと見受けられる。

「あうっ」

 小さな靴を履いた足が、不揃いな石畳にとられてつんのめり、前へ転んでしまう。
 よわい五つと思わしき幼女なら泣いてしまうだろうが、それ以上の恐怖が襲いかかる。

 弱々しく体を起こして振り返ると、禍々まがまがしいもやが迫っていた。
 骨と皮だけの子供のようで、血走った眼が爛々らんらんと光っている。

 直感で判る。あれは危険なものだと。

「や、やだ……! こないでぇ……!」

 悲痛な声で拒絶するが、恐怖をあおらせるようににじり寄る。

 迫りくる危機に身体が強張る。
 もう駄目だときつくまぶたを閉じる。

「ギイィィィ!」

 その時、おぞましい断末魔だんまつまとどろいた。

 喉が引きつって悲鳴すら出せない。
 もうすぐ殺される。そう思ったが、痛みが来ない。
 恐る恐る目を開けば、自分を追いかけまわした化け物が倒れていた。
 赤黒い液体を流して、ピクリとも動かない。

「祭日だというのに災難だったな」

 不意にかけられた声に、身体が震える。
 ぎこちなく顔を上げれば、見知らぬ男がいた。
 色白の肌に、つやのある漆黒の髪が似合う美男だが、額には二本の白い角が生えている。

「……おに、さん?」

 日本の昔話に登場する悪役に似た特徴だが、人間と差して変わらない風体。

 しかし、彼の瞳は人間のそれとは違う。
 白眼の部位が黒く、虹彩こうさい金色こんじきの光が宿る真紅。
 闇色に浮かぶ紅玉の如し月と思える瞳。
 豪奢ごうしゃな和装が美貌を引き立てる姿に、思わず見惚れてしまう。

 ふと、彼の手には大太刀が握られていた。
 鈍色にびいろの刀身には、赤黒い液体が付着している。
 鬼は一振りで汚れを払い、端切れでひと拭きすると、打掛に隠れたさやに納める。

 鯉口こいぐちが合わさる音で我に返り、よろよろと体を起こす。

「あ、あのっ……! ありがとう……!」

 去ってしまう前に伝えたい。
 たとえ悪役だとしても、助けてくれた恩人なのだから。

「えっと……こ、これ。おれいに、どうぞ……!」

 乱れた浴衣の合わせ目から、ひと房の花を出す。
 それは、春に咲く花――桜だった。
 季節外れの花を差し出すと、鬼は目を見開く。
 とても驚いた様子に首を傾げると、歩み寄った鬼は膝をついて桜を受け取る。

「……ああ。やっと……」

 万感の思いが込められた声。
 喜んでいる様子に安心から破顔はがんすれば、鬼は息を呑んで瞠目どうもくする。
 じっと見つめた鬼は、桜をふところに入れると女の子を抱き上げた。

「わっ」
「ここは危ない。人通りまで送ろう」

 女の子は鬼の好意にうなずく。

 柔和にゅうわに微笑んだ鬼に見惚れていたが、空を明るく染める花火に気付く。
 先程まで見る余裕が無かったが、生まれて初めて見る花火は美しかった。
 しかし、それ以上に色とりどりの光を浴びる横顔の美しさには敵わないと感じた。

「……あの。わたし、華圭っていいます」

 思い切って名乗ると、鬼は「はるか、なのだな」と味わうように呟く。
 やがて人の気配がする場所で下ろされ、鬼の大きな手のひらが頭に乗る。

「いつかまた会おう、華圭」

 そう言って、鬼はきびすを返した。
 遠ざかる後ろ姿に追いかけたくなったが、遠くから聞こえる親の声に立ち止まる。
 無性に別れたくないと思ってしまったけれど、いつまでも心配をかけられない。

 名残惜しく思いながら、親元まで駆けていった。


◇  ◆  ◇  ◆


 涼やかな空気と雀のさえずりで意識が浮上する。
 ぼんやりとしているうちに目覚まし時計が鳴り響き、手を伸ばして止める。

「……何の夢だっけ」

 時たまに見る夢だが、いつもと違い、覚えていない。

「懐かしい、ような……」

 なのに、懐かしいと感じた。

 不思議な心地にぼんやりとしながら起き上がると肌がくすぐったい。
 寝間着を脱げば、身体の至る所に桜が房を作って咲いていた。
 不可思議な体質だが、物心ついた時からあるので慣れてしまった。

 しかし、疑問は尽きない。
 どうして体に花が咲くのか。どうして自分以外に見ることができないのか。

 普通の桜と異なり、甘く優しい匂いが鼻腔びこうを満たす。
 とはいえ動きにくいので、腕や足、首元に咲く花を摘んだ。
 摘み取った花は籠に入れ、ベランダに置く。

 常人に見えなくても消えない。隠しきれないので、ベランダに捨てていた。
 すると、捨てた花を食べる鳥が現れたのだ。
 あれを機に花を籠に入れておくと、いつの間にか空っぽに。
 今でも変わらず鳥のえさになっているのだろうと思いながら着替えた。

 少し前までセーラー服だったが、今はブレザー制服。
 新しい母校――高等学校に進学したのだ。
 紺色の上着に無地の灰色のスカートという組み合わせは流行から外れている。
 偏差値は平均的だが、中学校では常に首席だったので難なく合格した。

 本来の志望校にも合格した。しかし、親の学費が理由で断念したのだ。
 いつまでも引き摺っていられないが、どうしても未練がくすぶる。

「はぁー……もう。やだなぁ」

 本当ならお洒落おしゃれな髪型で登校したいのに、校則が厳しくて残念だ。
 もっとも、お洒落ができるほどの小遣いが無い以前の問題を抱えているが。
 深々と嘆息しながら首の後ろで後ろ髪を一つに結わえ、横髪をくしで整える。

「頑張ろう、おー」

 暗い気持ちを切り替えて、気合の入った拳を作った。


 華圭という少女は異端者だと自覚している。
 物心ついた時から体に花が咲き、人間ではないモノが視えていた。
 それを親に伝えたところ、幻覚が見えているのではないかと病院に連れていかれた。
 精神科の医者から病人扱いされ、頭がおかしいと言われて以来、自分の異変について誰にも打ち明けられなくなった。
 努力の甲斐かいもあって病人扱いされなくなったが、孤独な日々を過ごした。

 他人との違いの差に心が重くなる。
 誰も信じてくれない苦痛から、心に根付いた悲しみが消えない。

 高校に進学しても変わらない。
 ――そう思っていたが、ある転機が訪れた。