大往生に大往生を重ねた祖父の葬儀は始終和やかな雰囲気で、久方振りに集った親族の総人数は途中で数えるのを断念した程だった。 その中でも所謂適齢期なるものの括りに纏められた独身者は、親切という名のお節介好きには恰好の標的だったに違いない。 酒を注いでも注がれても、その口から出てくる言葉は結婚の二文字で。 いい加減苛々が高まり喫煙を理由にその場から逃げ出した俺を、黒いエプロンを付けたままの母親が引き止めた。 「お爺ちゃんが誠悟にって」 そう言って座敷の奥から取り出された物は、俺の腰ほどまである大きな一枚の絵画で、どうやら生前に祖父が俺に渡すように言付けていたらしい。 ビニール袋に入れられたそれは、今では見る事の出来ない茅葺屋根のこじんまりとした一軒の母屋と、添うように建てられた薪が置かれた粗末な小屋を描いた、少しだけ不思議な筆遣いの風景画だった。 「昔から欲しいって言ってたでしょう?」 「…………ああ、」 実際にその風景を見た訳でもないのに、どこか懐かしく人としての故郷を思い出させるような柔らかな色合いにそっと指を伸ばす。 確かに昔から祖父の家を訪ねる度にこの絵を見ては、祖父にいつか譲ってくれと強請っていた記憶がある。きっと祖父もそれを覚えていてくれたのだろう。 陽の光に褪せる事無く変わらない色を今も写すその色は、祖父がとても大切に扱っていた証でもあるのだ。 「……じいさん」 単なる『物』としての遺品ではなく、祖父の気持ちまで受け継ぐつもりでその絵を受け取る。 「有難く頂戴するよ…」 ずしりと伝わる重みに目を伏せ、傷を付けないように部屋の片隅にそっと立て掛けてから、母親にも礼を言い外へと向かう。 木の葉を揺らして吹き抜ける風は冷たさを含み、受け取ったばかりの絵に描かれた空と同じ澄んだ青色を滲ませている世界に小さく息を吐き出した。 「…そうか、」 居ないのかと、今になってじわりとした寂寥感が込み上げてくる。 人の死を受け入れられないほど子供でもないが、長い時を共に過ごしてくれた分の思い出が聢とあるのだから、それは当然の事なのかもしれない。 どうか安らかに眠ってくれと庭の片隅に建てられた小さな祠の前で手を合わせ、懐かしい日々の思い出を振り返りながら静かに紫煙を燻らせた。 陽が落ちる前に自宅のマンションに戻り、髪や身体に付いた線香の移り香を流そうとシャワーを軽く浴びる。 風呂から上がり、シャツを羽織っただけの姿で冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して喉に流し込むと、疲れた身体に沁み渡るかのような安堵感が広がった。 酒は好きだが昼間から飲むのは得意ではない。 出来る事ならこのまま何もせずに休んでしまいたい気もするが、流石に全てを放ったままでは無理だと軽く首を回し、ソファーに置いたままの荷物の中から一際でかい額入りの絵を抱えて室内を見渡した。 じいさんの思いも継いだ以上無下に扱う訳にはいかないだろう。 その大きさは勿論の事、日当りや風通しの事まで考え一頻り頭を捻らせた後、ひとつだけ思い付いた場所へと移動した。 「お、ピッタリ」 ベッドの上のスペースに貼り付けたままだったカレンダーを撤去し、新たに我が家の家具となった絵画を飾ればちょうど隙間なく収まる感じで。 洋室に和風の絵が若干ミスマッチな部分は否めないが、他に適正な壁が見付からないのだから仕方がない。 ベッドに座り込み、パソコンラックに置いたままの煙草を手に取り指先でくるくると回す。学生時代に流行ったペン回しの癖が未だに抜けないらしい。 暫くそのままぼんやりとと絵を見つめ、遠い過去の祖父との記憶に再び思いを馳せる事にした。 *** カタ、と小さな音がして我に返る。 どうやらすっかりと入り込んでいたらしく、気が付けば明るさを残していた筈の室内は仄かな闇に包まれ始めていた。 だが時間にすれば然程長くは経っていないようだ。秋特有の暮れる早さに一瞬焦りを感じたが、どうせ明日は土曜日だと肩の力を抜き視線を絵画へと戻す。 それから無意識のうちに回し続けて縒れてしまった煙草を指で伸ばし、火を点けようと最後に一回転させれば、勢いを付け過ぎた所為か煙草が指から弾かれた。 「……っと、」 慌てて伸ばした手の先で弧を描いた煙草は絵に当たり―――――…、 ―――――吸い込まれるように中へと消えて行った。 「………は?」 いやいや待て待てと思わず首を振る。 そんな訳が無いだろう。見間違えたか酔いが抜けていないのどちらかに違いない。 「…落ち着け」 片手の親指と人差し指で瞼の上を押さえ揉むように動かせば、ずきりととした痛みに一瞬眉間に皺が寄った。 そのまま何度か揉み解し、少しずつ痛みが和らいで来たところで指を離して目を開ける。 どこかその辺に転がっているだろう煙草を探すべく壁とベッドの隙間を覗き込み、 「…………ッ!」 バランスを崩し傾いた身体に咄嗟に両腕を伸ばした。 しかし、 その腕は、壁に掛けた絵にぶつかる事も身体を支える事もなく、何の抵抗も感じさせないまま煙草と同様に絵の中へと吸い込まれていったのだった。 |