「うっわ、酒くさっ」

 加州は思わず声を上げた。
 雲ひとつない晴天の夜にくっきりと浮かぶ満月。今宵の滅多にない好環境に、月見酒へと洒落込む者も少なくなく。たった今加州の部屋に転がり込んできたななしもまたその一人だった。夕餉の後、次郎太刀に連行されて行ったのを加州は目撃していた。酒に強くはないくせに、毎回場の空気に流されて限界近くまで飲んでしまうのは彼の悪いところだと思う。きよみつ、きよみつ、と加州の名を呼ぶ目の前の男の呂律はもはや回っていない。酔いが回り上機嫌のななしは、先程から加州の名を連呼しては何が面白いのかにこにこしている。あぁこりゃダメだと、加州はため息を吐いた。

「はぁ……水持ってくるから待ってて」

 はぁい、と間延びした返事を背に襖を開けると、少し冷たい外気に身震いする。もう寝ようと思っていたところなのだ。薄い寝間着は風をよく通し、身体を冷やしてしまう。加州は早足で部屋を後にした。
 酒が入ると人が変わるのは、なにも人間だけに限ったことではない。素面では凛とした空気を纏い、控えめで口数も多い方ではないななしも、酒が回ればあの通り。にこにこ楽しそうに笑い、よく喋り、甘えてくる。きっと彼が酒事の場に誘われる理由のひとつはそれだろう。普段はクールな猫がデレたときはたまらなく嬉しいものだが、それと相通ずるものを感じる。はっきり言ってななしは人気がある。物静かだけれど、近寄りがたいわけではない。むしろ居心地がいいのか短刀たちにも懐かれているし、他の刀剣と話をしているところも良く見かける。常に誰かが側にいるのだ。それなのにこの大所帯の本丸において、他でもない自分の元に来てくれた事実に加州の機嫌はぐんと上がった。

「持ってきたよー……って、」

 寝てるし……。
 傷みを知らない長い髪を畳の上に散らばせ、ななしはすうすうと寝息を立てている。酒のせいで上気した頬に、少し肌蹴けた浴衣から覗く朱く色づいた肌。正直目のやり場に困ると、加州の頬までもが熱を持つ。自力で起きるのを待っていたら夜が明けてしまう。加州は水の入った湯呑を一旦文机に置いた。

「ちょっと、このまま寝たら風邪引くよ。布団敷くから……ほら、水飲んで」
「……んー」

 畳に転がるななしを抱き起し、しっかりと湯呑を手に持たせる。強制的に起こされたななしは、目はかろうじて開いているものの半分寝ているようで。どこを見ているのか、ぼうっと一点を見詰めたまま、ちびちびと湯呑に口を付け始めた。その間に加州は布団の準備に取り掛かる。しかし、ここは加州清光に与えられた清光専用の部屋。つまり布団は一組しかない。どうしたものかと加州は考えたが、答えはひとつしか浮かばない。仕方ない、ななしの部屋から布団を持ってくることに決めた。

「俺布団持ってくるから、ななしは眠たかったらそこで寝ていいよ」

 ひとまず一組を用意して、もう一度部屋を出る前にななしに声を掛けると、さっきよりかは幾分冴えた目が加州に向けられる。ななしは湯呑から口を離し、水に濡れた唇で返事をした。

「いっしょにねる」
「……は、」
「きよみつと、ねる」
「……え、や、それは、」

 加州は固まる。まだ若干回っていない呂律で、衝撃的なことを言い放たれた気がした。俺がななしと、寝る?一緒の布団で?歯切れの悪い返事にななしは首を傾げる。嫌なのではない。密かに想いを寄せる相手とひとつの布団で寝られるかもしれないなんて、願ってもいない幸運がやってきたのだ。わかった、と一言言ってしまえばいいのに、しかし理性がそれを良しとしない。自制できる自信が、ない。ななしは空になった湯呑を文机に置くと、返答に悩みうんうんと唸る加州を尻目にさっと布団の中へ潜り込んだ。

「きよみつ」

 自身の片側に空けた空間をぽんぽんと叩き、ななしは目を細める。その仕草がまるで誘っているかのように見えて、加州はごくりと唾を飲み込んだ。

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