Hug me darling!


彼氏が冷たい。
死んでるんじゃない、なんてボケはいりません。
脈はあります。私に対する脈もアリだと思いたいです。
あの日確かめあった気持ちに変わりはないのだと信じたいです。
何かの間違いだと、気のせいだと片付けてしまいたいです。
けれど事実は変わりようもありません。悲しい哉。
彼氏が冷たい。



From:靖友
Sub:Re;Re;Re;Re
明後日レース入った。ゴメンネ


布団の上でチカチカと点滅するスマフォを拾い上げて、受信メールを確認してみたら、あまりにも短すぎかつ簡潔な文面が目に入った。二、三度読み返してみても、見落としはない。ついでに甘い成分の欠片もない。ちなみに、待ちに待ってようやく漕ぎ着けた半年ぶりのデートのお断りのメールが、これである。明らかに付け足された感満載の「ゴメンネ」がせめてもの送信者の良心の現れだろう。
やっぱり、と幾度目ともしれない溜め息を漏らして返信を打つ。『了解。』とたった三文字で、愛想の欠片もない返事はただの意趣返しである。こういう時、可愛らしく拗ねる事が出来る女子ならば、こんな関係は少しは変わっただろうか。想像してみる。...うん、やっぱ無理だな。何が無理って、第一に私はそんなキャラには逆立ちしたってなれないし、第二に、アイツはそういったオンナノコオンナノコした女子が苦手なはずである。無い物ねだりはいけない。それでも素っ気ない彼と、素直じゃない私の付き合いの行く末はみえない。付き合っているのに、どうしてこんなに不安にならなければならないんだろう。私のメール以来、沈黙したままのスマフォを投げ出す。
嗚呼、嗚呼。
彼氏が冷たい。





「私って、愛されてるのかな...」
「重いな」

憂鬱な溜め息まじりの乙女の呟きは、無情にもバッサリ切り捨てられました。切り捨てたのは彼氏の友人その一。いつもの物腰柔らかな爽やか系イケメンは何処行ったと言いたくなるような無表情で、ぺらりと手元の雑誌を捲る奴の名は新開隼人。この話題に興味ないことがありありと分かる態度である。確かに、私個人と新開は特に仲が良いわけでも、悪いわけでもない、いわば特筆するような事もないような関係だけれど、彼氏の友達のよしみで相談に乗ってやろうかという振りくらい見せて欲しいものだ。
もともとデートする予定だった週末、その予定が無くなったために暇を持て余して寮で腐っていたら、男女共有の談話室でたまたま新開と出くわした。気まぐれに絡んでみたらこのあしらいよう。いい加減私の心は折れそうだ。

「...アンタはレース出ないの」
「ああ、今日のは寿一と靖友だけだな。俺は自主錬」
「してないじゃん」
「もう終わった」

相変わらず新開の視線は雑誌に向けられたまま、私はソファーに身を投げ出してうなだれたまま、ぽつぽつと会話を交わす。興味を持たれている訳じゃないけど、無視はされていない。だったら別に構わないだろう、聞き流してくれればいい。

「靖友が冷たいわけですよ」
「そうか」
「メールとか、業務連絡でもまだ温もりがあるぞってなくらいの冷たさでさ」
「そうか」
「道端の猫のほうが、まだ靖友に優しくされてると思う。嫉妬するわ」
「猫にか」
「猫にね」

おっ、猫に嫉妬する私の情けなさに興味を引かれたのだろうか。新開が視線を上げた。ちらりと私を見て、数秒視線が交錯。しかしパチリと瞬きひとつすると、また新開の視線は雑誌に戻された。そんなに面白いのか、その雑誌。

「おめさん達、付き合ってどのくらい」
「半年くらいかな」
「デートとかしねェの」
「今日するはずだった」
「ドンマイ」
「ちなみに今日が初めてのデートになるはずだった」
「ドンマイ」

慰める気も無いだろうという投げ捨てな『Don't mind.』を受け取って、余計に虚しくなる。気にするなじゃねーよ気にするわ。他に言い方があるだろう。繊細な乙女心はもうボロボロだ。
ああ無情。
彼氏の友人も、冷たい。






まあ、暇してんなら会ってきたら。
と、何ともどうでも良さげに新開に言われて、気は進まなくとも取り敢えず寮を出た。靖友達が戻ってくる大体の時間と、レースの後は自転車の整備とかしなくちゃいけないから部室にいるだろうという情報も流してもらった。外はもうすっかり夕闇の時間帯。本当だったら、今頃街でデートしてて、そろそろ帰ろっかなんて会話をしていたのかなぁとふと考えて、余計に悲しくなる。考えても仕方のない事だけど、やっぱり普段部活で忙しいアイツと、ようやくデートの約束が出来たのだからめちゃくちゃ楽しみにしてた。だからあっさり反故にされて、宙ぶらりんの気持ちの落ち着く先がない。

ちょっとした坂の上にある自転車競技部の部室に漸く到着して、額に滲んだ汗を拭う。何の気はなしにドアノブを握れば、それはいとも簡単に回った。中に誰かいるのかと覗いてみたけれど、室内は無人。不用心にも程がある。入ってしまってもいいんだろうか、でも私部外者だし。戸口で立ち竦んだまま逡巡していると、背後から突然声をかけられた。

「何してンの、お前」
「うわっ...、と、靖友か」

振り向いた先には箱根学園の銘が入った青色のジャージに身を包む靖友が立っていた。帰ってきたばかりなのだろうか、肩に空色の自転車を担いで訝しげに私を見ている。チッ、と柄の悪い舌打ちが聞こえたと思ったら、「オラ邪魔だァ」なんて言われて押し退けられた。酷い。仮にも恋人に扱いが雑すぎやしないだろうか。

「何してンの」

ガチャガチャ音を立てて自転車を置く靖友に同じ質問を繰り返されて、泣きそうになる。やっぱ来るんじゃ無かった。新開に唆されるんじゃなかった。襲ってきた後悔に小さく「帰るね」とだけ呟いたら、盛大に「ハァ?」と聞き返された。語尾を上げるのは元ヤン仕様だろうか。

「入んないのォ?」
「...お邪魔します」

どうやら2回目の質問は、いつまでそこに突っ立っているのか、という意味だったらしい。
彼氏は、言葉少なだ。





長椅子に座りながら、靖友の背をぼーっと見つめる。靖友は一心不乱に自転車に向かい、手際よく車体の掃除だとか、パーツの手入れをしている。もしかしたら、私がいることもほとんど忘れているんじゃないか。私ばっかり靖友を見ていて、靖友は私を振り向いてはくれない。まるで私達の関係性そのものだなぁ、なんて。

「あのさァ」
「何」
「今日、勝ったよォ」
「レース?」
「そ。ま、俺今日福チャンのアシストだったから2着だったケド。ハコガクとしたら勝ちダロ」
「そっか、すごいねおめでと」
「あんがと」


「福チャン」、と親しみが篭った名を呼ぶ靖友の声は、少しだけ柔らかい。柔らかくて優しくて、ちょっぴり誇らしげ。部活でも、校内でも、寮でも、靖友が一番長く同じ時を過ごすのは「福チャン」だ。一匹狼の靖友が、唯一自分から構いに行く存在。気難しい靖友が、一番楽しそうに笑いかける存在。私の最大の恋敵は道端の猫ではなく、間違いなく「福チャン」だと思う。
うっし、と声を上げて、靖友が手にしていた布を放り出した。私は静かに長椅子から立ち上がって、その背中に近付く。自転車の正面にしゃがみ込んだ靖友の後ろに、私もぺたんと座り込む。華奢な印象の割には近くで見ると広い背中に、そっと額を付けた。汗の臭いが、近くなる。

「なっ!ンダヨ、近ェよ離れろ!」
「靖友」

途端に身を捩って私を引き剥がそうとする靖友に、必死でまとわりつく。握ったジャージの裾が皺になってしまうかもしれないと、冷静な部分でぼんやりと思った。

「自転車、好き?」
「アァ?何ィ、イキナリ」
「好き?」

唐突な質問に、靖友が怪訝そうな声をあげた。それでも構わずに質問を繰り返すと、私を引き剥がそうとする手が緩まって、観念したような溜め息が耳に届いた。

「好きだヨ」
「福チャンは好き?」
「...好きだよォ。んで何。何なのォこの質問」
「じゃあ、私は?」

無言。心臓はうるさいくらい鳴っているのに、どこかチクチクと痛む。私は息を呑んで靖友の答えを待った。私と自転車と、どっちが好きなの、だなんて典型な質問をするつもりはない。そもそもその勝負に勝ち目があると思える程の自信は持てていない。自転車と、「福チャン 」と、靖友が大事なもののついでに、少しだけでも思ってくれたらそれでいい。

「...取り敢えず、離れてヨ」

高望みは、していない。
それでも私には何も与えられないみたいだ。
彼氏が、やっぱり冷たい。








何処を走ったかなんて覚えてないくらい、無茶苦茶に走った。続く言葉を聞くのが怖くて、私は逃げた。靖友が何か言っていたような気がしたけれど、その言葉を受け容れるのが怖かった。だから逃げた。
息は既に上がっていた。足は縺れて倒れそうだった。頭がガンガンと痛かった。耳には離れてと言った靖友の声が残っていた。

どうしてなんだろう、どうして私には靖友の気持ちの欠片すらも向けてもらえないんだろう。
自転車じゃなくてもいい、「福チャン」じゃなくてもいい、道端の猫じゃなくてもいい。少しだけでいいから、一瞬だけでいいから。
その視界に、靖友の世界の端っこに私を入れて欲しかった。

「やすともっ...!」

息が完全に切れるさいご、彼の名前を呼ぶ。
もう走れない。
もう追いかけられない。
もう、勇気がない。

足首を捻った。体勢が傾いた。勢いがついたまま前のめりになった。
ああ倒れる、そう思った。


「んだよバァカ!!無駄にはえーよお前!ッハァ、まだ、話の途中ダロがッ!」


腕を掴まれて、ぐいと後ろに引かれる。後頭部に柔らかい衝撃があって、温かい体温に着地。青色のジャージが目に入って、信じられない気持ちで瞬きをした。見間違いじゃない、私を支えてくれていたのは靖友だった。

「なんで」
「なんでって、お前が!...チッ、ああもう離れろバァカ!!」

自分から引き寄せた癖に、酷い言い様である。
第一離れろと言われたからあの場から離れたのに、わざわざ追いかけて来てまた離れろって言うなんて、靖友は追い討ちを掛けに来たんだろうか。
ああ、もう限界。

「別れるっ」
「ハァ!?つかなんでおま、泣くなよ!」
「泣いてない!別れる!私、ばっかりすきなの、ずるい...っ!」
「聞けよ!一人で突っ走ってンじゃねぇヨ!!」
「靖友が好き!でも靖友は私を好きじゃない!じゃあ別れる!突っ走ってない!」
「突っ走ってんだろがボケナス!!」

情けないくらいにボロボロと涙が溢れた。嘘みたいだけれど、靖友と付き合い始めてから泣くのはこれが初めてだった。あんな殺伐とした付き合いだったのに。だからか、今までの分も纏めて、辛い気持ちも全部乗せて後から後から堰を切ったように涙は溢れた。
最後の最後で喧嘩だった。なんともまあ、甘さも何も無いお付き合いだった。今度は私が離れてと言って、靖友の手を振り払う。

「名前!」

名前を呼ばれて、離したはずの手が伸びてきた。
痛いくらいの強さで肩を掴まれて、そのまま引き寄せられる。
視界一杯に青色が広がって、耳元でもう一度名前を呼ばれて、大きな手のひらがくしゃりと髪を撫でた。

これは一体どうしたことか。
私は夢でもみてるんだろうか。
彼氏が優しい。




「落ち着いたァ?」
「...お陰様で」

何度か離れようと試みたけれど、靖友の腕が頑なにそれを拒んだ。
時間も遅くて、人影はないといっても校内である。いつ見られるか分からない状態のまま、私と靖友は抱き合っていた。
ジッパーを下ろしたジャージから、靖友の白い肌が覗く。気恥ずかしくて顔の位置をずらしたら、今まで微動だにしなかった靖友が身動ぎした。

「...くせェだろ」
「え?」
「レース走って、風呂入ってねぇもん。汗くせーダロ」
「ああ、うん、そだね」
「だからだよォ」

何が?と会話の繋がりが分からなくて私は口を噤んだ。触れた肌から戸惑いが伝わったのか、なんだか靖友まで居心地が悪そうにしはじめた。

「離れろっつったの。お前だって、汗臭い男は嫌だろォ」
「ああ...そんなこと」

漸くそれがさっきの靖友の発言に繋がるのだと合点がいって、一人頷く。頭上で小さな声が漏れた。「そんなことってのはねーだろ」と、靖友は不服そうである。

ふと私を閉じ込めていた腕が緩んだから、少しだけ身体を離す。ちらりと見上げようとしたら、直前で額を大きな手のひらが覆った。視界も塞がれて、私は靖友を見ることが出来ない。

「初めてなんだヨ」
「何が?」

相変わらず前後の繋がりも脈絡もない会話に、再び疑問符が浮かぶ。初めて、初めて。何が靖友の初めてなんだろう。真っ暗の視界のまま、靖友の初めてがなんなのか思い巡らす。答えはしばらくの沈黙の後は、靖友から与えられた。

「女と、付き合うの」
「...うそ」
「嘘じゃねーよぶっ飛ばすぞ。あ゛ーー、なんで俺がこんな事言わなきゃなんねーんだよォ」
「だって、靖友、そんな事全然言ってなかった」
「言わなかったもん」
「なんで」

恥ずかしいだろ、と消え入る声は確かに耳に届いた。
女の子と付き合うのが初めてで、「恥ずかしい 」。
だったら、今まで靖友が異常に冷たかったのは。

「...照れたんだ」
「ッセ」
「靖友、私のこと好き?」

先ほどの質問を、また繰り返す。さっきは答えを聞くのが怖いと思ったけれど、今はどうだ。触れた肌の下では、私異常に早いスピードで鼓動がなっていた。それだけの些細なことで、後押しされる。

「...好き」
「もっと、構ってくれる?」
「努力する」
「名前で呼んでくれる?」
「...それは、まだ無理」
「さっき呼んでたのに?」
「...勢いだようるせーな」

靖友の手のひらを、そっと外す。漸く視線が交錯する。見上げた靖友の頬は真っ赤だった。真一文字に引き締められた唇がちょっと尖っていて、それが子供みたいだなんて思った。
靖友の腕の中に、今度は自分から飛び込む。

「靖友、ぎゅってして」
「してるじゃん」
「もっとして」
「...くせーからな」
「いい」

口では終始不満そうでも、回された腕は壊れ物を触るみたいに優しかった。最初は恐る恐るだった腕に、徐々に力が込められていく。

「靖友。臭い」
「だから、言ったじゃナァイ」
「靖友。好き」
「良かったネェ」


彼氏が冷たい。
そう思っていました。
だけど蓋を開けてみれば、どうだろう。
彼氏が愛しい。


... ...
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