朝起きたら、君がいて


微かな物音を聞いて、すっと微睡みから覚醒した。
音の出先は玄関。隣に一つ分空いたスペース。温もりのまだ残るそこに指を伸ばして、今日もすり抜けていった背中を思う。
まだ外は薄暗い。朝日すら昇っていない。街が眠る人が眠る明け方前に、ただ一人私の大事な人はこの部屋を出ていく。
ロードバイクを携えて。





「翔くん、なんでいつも帰っちゃうの」
「ハァ?何言うとんのキミィは」
「起きたら隣に翔くんいないの、寂しい」


ちょっとだけ素直じゃない性格のせいか、翔くんは率直に気持ちを伝えられる事が苦手だ。今だって予想通り、初めは怪訝そうな顔をしていたくせに、私の寂しいの一言でぐっと押し黙ってしまった。
その代わり大きな目はキョロキョロと忙しなく動き、内心焦っている事が丸分かり。言葉にしたら怒られるから言わないけど、その様子はたいそう可愛らしい。あんまりいじめるのも可哀想かな、と思いつつ滅多に見れない捻くれ者の恋人の可愛い様子に、ちょっとだけ意地悪心が芽生え始めていた。
不自然な角度に顔をそらしたままの翔くんに近付いて、つんつんと肩をつつく。

「朝起きたらー、隣に翔くんがいてー、そしたらおはようのちゅーしたいな」
「キモイ。キモイ」
「なんで2回言ったのキモイ禁止」
「やったらアホや。名前ちゃんはアホなんやねえ」
「アホちゃうしねえ」
「真似しなや」

ひたすらつんつん、を繰り返していた指を絡め取られた。緩く繋ぎ直した手のひらから伝わる体温は少しだけ低い。なんだか温めてあげたくなって、自らの頬っぺたにその大きな手のひらを添える。すりすり頬擦りしていたら、頭上からため息が聞こえてもう片方の腕が伸びてきた。翔くんの両手に挟まれて、頬っぺたの肉が寄る。贅肉ではないと信じたい。

「ぶさいくやねえ名前ちゃん」
「そんな私が可愛いくせに」
「耳悪いんとちゃう?」
「悪いんとちゃいますー」
「やから真似しなやって」

ぐぐぐ、と力が込められて痛い。我慢できない程じゃ無いけど。唸り声をあげたら両側から寄せられて必然的に突き出た形になる唇に、柔らかい感触が降りてきた。ちゅ、と音がして、ほのかに赤くなった顔が遠ざかる。ほら、やっぱり翔くんは素直じゃない。

「やっぱ可愛いんじゃん」
「黙りィ。もっかい塞ぐで」
「へへー」

今度は私が両腕を伸ばして、翔くんとの距離を詰める。首の後ろに両腕を回すと、翔くんが背中を支えてくれた。そのまま体重をかけられて、背後に倒れ込む。ぽすんと落ちた先は柔らかいベッド。さり気なく後頭部に添えられた手が支えてくれて、ほぼ衝撃もなく着地。翔くんのこういうところには一生敵わないと思う。

「翔くーん、ねえなんで帰っちゃうの」
「まだ続いとったんかい」
「続くよーどこまでも。ねえなんでー」
「なんでって、知ってるやろ名前ちゃん」
「知ってるよーロードバイク乗らなきゃなんだもんねー」
「そうやよ」
「でも、寂しい」

ピタリ。また翔くんの動きが止まる。かと思えばそれも一瞬の事で、私の隣に大きな身体を横たえた翔くんは、布団を引き上げてため息をついた。じっと見つめれば大きな真ん丸な瞳で見つめ返されて、
それでも見つめ続ければ決まりが悪そうに視線を外された。にゅっと長い腕が腰の辺りに伸びてきて、ぽんぽんと一定のリズムを叩き出す。完全に寝かし付けられる流れにちょっと不服だけど、仕方が無いので今日はこの辺で勘弁しといてあげる。

「ねーあきらくん」
「今度はなんやの」
「寝るまで一緒にいてね」

瞼を閉じて、翔くんの胸元に頭を寄せる。触れた体温はやっぱり少し低くて、だけどそれも心地良いと思える程には慣れてしまった。それがないと寂しいと思える程には、翔くんが愛しかった。
だから少しだけ、私は我が儘を言う。

「おねがい」
「ええよ」

すっかり眠気にとらわれて、手足の感覚が遠のいていく。
今だけ、今だけ。温もりだけは近くにあってほしいと、微睡みながら伝えたら、案外あっさりと答えが返ってくる。同時にぎゅっと引き寄せられて、痛いような、苦しいような。でもやっぱ一番は幸せ。

「ええよ、名前ちゃんが寝るまでおったる」

朝起きたら君がいて、なんて翔くんはきっと叶えてはくれないから。今だけ与えられる優しさを目一杯感じて、私は今日も眠りに付く。


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