別にその少年がとびきり目立つって訳じゃあ無かった。目立つって意味ならハーマイオニーの傍にいるハリー・ポッターはこの学校でとびっきり目立っていたし、いつだって彼は騒動の中心にいたので、必然的にハーマイオニーも騒ぎの渦中に立たざるを得なかった。一年生の時、ハロウィーンの日にトロールに襲われたのをきっかけに、三つ頭の怪物と戦ったり、謎解きに苦戦したり、賢者の石を守ろうと戦ったり、改めて考えてみると、中々ハードな学生生活だ。こんなハードな学生生活の中で、さほど騒ぐこともない、それも他寮の男子生徒を認識することが出来るだろうか。答えはノーだ、ハーマイオニーはこれまで彼のことなんてこれっぽっちも認識しちゃあいなかった。
 そんな、取り立てて目立つこともない少年がハーマイオニーの目の前に現れたのは、まだ少しだけ夏の名残を引き摺る、九月の新学期のことだった。

「それ、間違ってる」
「……え?」
「13行目、正しくはニガヨモギ」
「あっ、本当!」

 図書館でさっそく本を広げ、がりがりと新しい範囲の予習に努めていた時だった。硬質な声が上から降ってきて、ハーマイオニーはきょとんとしながら手を止め顔を上げる。こちらを見ているのか、その奥か、判別付かない不思議な瞳だった。ぴくりとも動かない無表情はどこか冷たげで、少しだけ身震いする。何なんだろう、と思うと同時に、ハーマイオニーは彼の胸元に青いネクタイを見つけて小さく声を上げた。

「ええっと……貴方、レイブンクロー生?」
「そうだけど」
「ありがとう、その……頭いいのね」
「……別に」

 随分と気のない返事だと思う。素っ気ない声音は少しばかりハーマイオニーを萎縮されたが、彼を嫌わせるほどではなかった。何より、彼の手元には、ハーマイオニーも愛読している重たい歴史書があったので、奇妙な親近感を感じてしまったというのも大きい。ハリー達にはいつも、こんなものを夜のお供にするだなんて頭が可笑しいと言われるが、彼はどう見たってこれを授業の為に借りているのではなかった。
「……貴方もそれ読むの?」
 気付いた時には、去ろうとしている彼の方へとそんな言葉を投げかけてしまっていた。少年は少しばかり驚いたような素振りでハーマイオニーへと振り返る。
「……アンタも読むんだ?」
 少しだけ、その声が嬉しそうに聞こえたのは、ハーマイオニーの気のせいだったかも知れない。でも、彼はそう言って一つ瞬いた後、ハーマイオニーの方へと戻ってきて目の前の椅子を引き、最早武器にでもなりそうな分厚い本を置いて開いた。
「俺、オズワルド・グレンヴィル。知らないと思うけど、アンタと同い年。知ってると思うけど、レイブンクロー」
「ハーマイオニー・グレンジャーよ、知ってると思うけど、グリフィンドール。よろしくね」
 簡素な挨拶だったが、ハーマイオニーとオズワルドには十分だった。それから、別に図った訳では無かったが、時々図書館で見かけると同じ席に座ったし、城内ですれ違えば挨拶もした。残念ながらグリフィンドールとレイブンクローでは授業は異なるので、未だに一緒になったことはないが、全く空気の違う授業の話を聞くのは中々に楽しいとハーマイオニーは思う。グリフィンドールとスリザリンは往々にして険悪な空気が漂うが、かたやレイブンクローとハッフルパフといえば、普段は当たり障り無くとも知性を重んじるレイブンクローが偶に余計な発言をして、場の空気をぎすぎすさせるらしい。どの寮も、多かれ少なかれ多少の難はあるようだ。ハーマイオニーは楽しかった。
「貴方って、いつも仏頂面よね。笑っているところ見たことない」
「逆に聞くけど、アンタ楽しくもないのに笑う訳?」
「そういう訳じゃないけど……でもほら、愛想笑い、とかも」
「する必要を感じない」
「……まぁ、そうよね、貴方そういう人よね」
 ハーマイオニーは本の陰に口元を隠して沈み込む。楽しくもないのに笑わない、と、オズワルドは言うけれど、オズワルドは自分といて楽しくはないのだろうか。ハーマイオニーは楽しい、でも、オズワルドは、と、偶に不安になる。言葉にはしない人だけれど、でも、オズワルドはハーマイオニーを見つけると自分から寄ってきてくれる。時々持っていたお菓子をくれる。レポートに向かってうんうん唸っていると、口出しされるのが嫌いな自分の性格を鑑みて、そっと資料になる文献を置いていってくれる。そして、静かに前の席に座っている。そういう降り積もった様々なことが、言葉のないオズワルドの態度を補完していた。
「……ねぇ、そう言えば、オズワルド?」
「何」
「貴方、スリザリンの怪物って、知ってる?」
 ここ最近、ホグワーツ中を沸かせている話題はスリザリンの秘密の部屋だ。生徒が数人、犠牲になった。犠牲とは言っても石にされただけだが、それでも大騒ぎであることに変わりはない。「秘密の部屋は開かれたり、継承者の敵よ気を付けよ」なんて挑戦的なメッセージが壁に書かれたものだから、みんなこぞってホグワーツの歴史が書かれた文献を漁っており、騒がしくなってしまった図書館を抜け出してハーマイオニーとオズワルドは空き教室で勉強していた。しばらくはカリカリと羽根ペンの動かされる音だけが響いていたが、不意に一区切りついたハーマイオニーが顔を上げてオズワルドに問い掛ける。腕を動かしながら羊皮紙に文字を書き連ねていたオズワルドは、その言葉にはぴたりと指先を止めて、ゆっくりとその面立ちを持ち上げた。
「……スリザリンは蛇の寮、まぁ蛇に関連した怪物だとは思うけど、正確には」
「まぁ、そうよね、秘密の部屋自体伝説級だものね……」
「というか、珍しいね。アンタはそういう噂話の類、あんまり気にしない方かと」
「まぁ、ね……噂話はあんまりしない方だけれど、こういうのはまた別よ。私、……その、マグル生まれって奴だから、もう二年目だけど、未だにホグワーツのお城って興味深いの。そこに秘密の部屋なんて言われたらやっぱり気になるし、それに……」
 ハーマイオニーはそこで言葉を区切った。此処から先を言うべきなのか戸惑った。不自然に空いた空白の間も、オズワルドは黙ってハーマイオニーを待っていてくれている。そういうところが、とても好きだった。
「……決闘クラブでのこと、覚えてる?あの時、蛇語を話した男子がいたじゃない?……あのね、私、彼と、ハリーと友達なの。ハリーは継承者なんかじゃないわ、本当よ。ミセス・ノリスも石になんかしてない。興味もあるけれど、一番は、私……誤解を解きたいの。ハリーは違うって」
「嗚呼、ハリー・ポッター……生き残った男の子」
「知ってるの?」
「マグル生まれのアンタからしたら、分からない感覚かも知れないけどね。俺たち魔法族からしたら、有名人も有名人なんだよ、噂に疎い俺でも知ってるレベル」
 ここで初めて、ハーマイオニーはオズワルドが魔法族の生まれであることを知った。マグル生まれの生徒がこぞって継承者の存在に怯えている間、そういえばオズワルドはいつもと変わらぬ態度で飄々としていた気がする。もしかして、彼は純血なのだろうか。純血といえばどうしてもあの小憎たらしいドラコ・マルフォイの顔が浮かんで、ハーマイオニーは少しだけ眉を顰めた。
「……そんな顔されてもね、皆ダンブルドアのことは知ってるでしょ。そういうもんなんだよ」
「えっ……?」
 オズワルドは何だか困ったような顔をしてそう言った。その言葉の意味が分からなくて、ハーマイオニーは豆鉄砲を食らった鳩のように気の抜けた声を出す。遅れて彼の言葉の意味を解した。とんだ誤解だ、ハーマイオニーは少し前のめりになって焦ったように口を開く。
「あっ、えっ、あの違うの……!貴方に対してじゃなくて、あの、その……えっと、貴方って全然怯えてないし……魔法族って聞いたから、純血ってやつなのかと思って。でも、その、純血って考えたら、ドラコ・マルフォイのこと思い出しちゃって、つい……」
「……嗚呼。仲、悪かったんだっけ」
 ハーマイオニーの言葉を聞いて、オズワルドは納得したように視線を空に浮かせた。どうやら誤解は解けたようで、ハーマイオニーはほっとしたように溜息を吐く。オズワルドはドラコ・マルフォイと聞いて、少しばかり何かを考え込むような仕草をした。
「……純血……秘密の部屋の怪物……継承者の敵……」
「オズワルド……?何か心当たりでもあるの?」
「……継承者の敵、これはマグル生まれの魔法使いと魔女だ。混血が入るのかは分からないけれど、絶対安全なのはおそらく純血だけ。秘密の部屋は継承者にしか開けられない、そして部屋の怪物は継承者にだけ従う……ドラコ・マルフォイは確かに純血だけど、あいつは多分違うな」
「え?どうして?」
 ちょうど、ハリー達とドラコ・マルフォイが継承者なのではないかと話していた最中だったので、ハーマイオニーは驚いた。驚嘆するハーマイオニーの様子など気にも留めず、オズワルドは俯いて考え込んでしまう。時々小さく小声で呟いているが、ハーマイオニーにはそれが何と言っているのか分からない。しかしその内、小さな独り言は大きく、ハーマイオニーに語り掛けるような形になった。
「……秘密の部屋の継承者だ、それはスリザリンの後継。彼は確かに純血で偉そうだけど、あからさま過ぎると思わないか?あんなの疑って下さいと言わんばかりの態度だ、俺が継承者だったら、もっと上手くやるね。少なくとも、純血主義だと表には出さない。疑われないように、中立を保つ」
「でも、だってスリザリンの継承者なのよ?そんなんじゃ周りが着いてくるかしら。継承者って、神輿みたいなものでしょう、周りが祀り上げなきゃ意味がないんじゃない?それとも何、謙虚にスリザリンの意志だけ継いで、ひっそり一人で怨敵を蹴散らすだけで満足なの?」
「そうは思わないね、一人で粛々と仕事をこなすような人間が継承者だとは考えにくい。……けど、これだけの大騒ぎだ。犯人は捕まるよ。いや、犯人は捕まらなきゃならない、学校の為に。継承者とはいえ、スリザリンの創立した学校を潰す真似はしないだろう。でも、槍玉は必要だ。本物じゃなくてもいい、犯人は捕まえたっていう姿勢が必要なんだ。俺が継承者なら、中立を装って部屋を開き、敵を殺す。ドラコ・マルフォイみたいなタイプはいい隠れ蓑だね、だけど替え玉には不向きだ。そうだな……やるなら、例えば、彼の腰巾着。何と言ったっけ、嗚呼、そう、クラップにゴイルだったか。あの辺りに押し付ける、頑張れば、うっかり間違えて部屋を開けてしまったと誤魔化せそうだろう?なんせ彼らは愚鈍だ、濡れ衣被せるには持って来いだね」
「……貴方って、時々考え方が恐ろしいわ」
 けれど、確かに、オズワルドの仮説はハーマイオニーにも頷ける。それを確かめる為にも、やはりポリジュース薬の製作は急いだ方がいいだろう。ドラコ・マルフォイが継承者では無かった場合、早く次に怪しい人物の絞り込みに入らなければならない。オズワルドはハーマイオニーの感想に小さく笑って再び羽ペンを持ち上げる。
「本当に怖いのは、そいつを実行してしまう誰かさんさ」
 考えることは、誰にでも出来る。けれど、考えることと、それを実行することでは、天と地ほどの差がある。
「純血主義を謳うのと、純血主義に則って粛清を行うのは、似ているようで違うから」
 安全圏で、自己を讃える思想を叫ぶのとは、訳が違う。だから、多分、オズワルドは継承者が、怖い。
「……早く、捕まるといいよね」
 願わくは、眼前の少女が犠牲にならない内に。マグル生まれのこの少女が、自己を否定されてしまわない内に。


 けれど、オズワルドの願いは虚しく、次に出会った彼女は物言わぬ石像になっていた。白々と冷え切った指先を恐る恐る廊下に横たわる彼女へと伸ばす。固い。オズワルドは彼女に触れたことは無かったけれど、こんなに固くないことくらいは触れなくたって分かっていた。見開かれた儘の瞳は彼女特有の知性を宿した瑞々しさに満ちており、動かない視線はオズワルドをすり抜け虚空を見詰めていた。石に、なっている。それを知覚した途端、オズワルドの身体は大きく震えて力が抜けたようにその場へとへたり込む。
「あ……グレンジャー……」
 助け、なければ。パニックを起こした脳内でも、それだけはやけにしっかりと分かっている。感覚の飛びかけた手のひらを恐る恐る差し伸ばし、固まった彼女を抱えてふらつきながらも立ち上がる。一瞬で、意識がはっきりとした。ぎり、と唇を噛み締め人気の無い廊下をただ駆ける。余り脚が早い方では無かったが、人一人抱えて走ると考えれば、十分過ぎる速度だっただろう。酷く乱暴に医務室の扉を開け放てば、余りの喧しさに反射的に声を荒げようとしたマダム・ポンフリーが何か言う前に、オズワルドは何処か泣きそうな顔をして腕の中に抱えた少女をポンフリーへと差し出す。
「……助けて、下さい、グレンジャーが……」
 グレンジャーを、助けて。その言葉と、抱えた少女と、オズワルドの表情で、彼女は全て察してくれたようだった。オズワルドの腕の中からハーマイオニーを受け取り、ベッドに寝かせて慌ただしく処置を施す。茫然としていたオズワルドは、全てが終わり、彼女の友人であるハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーが声をかけるまでほとんど茫然自失だった。

「あの、君が、ハーマイオニーを見つけてくれたって聞いたんだけど、その……」
「……、…嗚呼……君が、ハリー・ポッター?」
 ハリーの声で、ようやくとオズワルドは正気に戻る。はっとした様子のオズワルドは酷く青褪めた表情で、声を掛けたハリーは言葉を続けることを酷く躊躇ってしまった。彼が何故自分を知っているのか、何故ハーマイオニーを助けたのか、聞きたいことは色々あるけれど、そのどれもが言葉にならない。結局、ありきたりな言葉に落ち着く。
「……ありがとう、その……僕、ハリー・ポッター。ハーマイオニーの友達なんだ」
「僕ロン、ロン・ウィーズリー……えっと、君は?」
「……オズワルド・グレンヴィル、レイブンクロー。グレンジャーの……、…知り合い。廊下で倒れてるのを、見つけて、運んだ」
 嗚呼、そうか、彼が。ハリー・ポッター、最後に会った教室で、ハーマイオニーが漏らしていた名前だ。二人の自己紹介で、ようやくオズワルドは死にそうに青褪めていた顔色を少し戻す。
「……、俺に何の用。何の情報も、提供してやれないけど」
「いや、ごめん、そうじゃなくて……!いや、確かに何か知ってたら教えてくれたら嬉しいけど、ただ、僕達お礼を言いたかっただけなんだ。ハーマイオニーのこと、見つけてくれてありがとう」
 ハリーの言葉が耳を滑る、彼の話に誘発されたように、オズワルドは全く違うことを考えていた。スリザリンの秘密の部屋、秘密の部屋の怪物、人を石にする生き物――――鏡を持っていたハーマイオニー、嗚呼、それは。
「……バジリスク」
「何だって?」
「グレンジャーは正体を突き止めた、鏡で……そう、鏡越しに見たから。バジリスクはその眼を見た者を石にする」
「それって、じゃあつまり、秘密の部屋の怪物は、バジリスクってことか?でも、じゃあ、他の人達はどうなんだよ、ミセスノリスとか……」
「待ってロン、確かあの時……廊下は水浸しじゃなかった?ミセスノリスは猫だし、バジリスクは大きい。本物の眼を見る前に、水に映ったバジリスクを見たのかも知れない」
「じゃあ、コリンとニック、それからジャスティンはどうなる?……あ、コリンは確か、カメラを持ってた!きっとカメラ越しに見たんだ!」
「いいぞ、じゃあニックは……ニックは幽霊だから直接見てたとしても二度は死ねない、ジャスティンは……」
「首なしニック越しに見た、これで全部の辻褄が合うね。……問題は、あんなでかいヘビがどうやって城内をうろついてたか、だけど」
 オズワルドの言葉に、それまで意気揚々と仮説を組み立てていたハリーとロンは口を噤む。ここまで来たのに、最後の一つが解けない。バジリスクは大きい、こんなに大勢優秀な教授がいる学校で、そのままで動いていたら、見つからない訳がないのだ。三人は暫しの間沈黙する。嗚呼、こんな時、ハーマイオニーがいてくれたなら。彼女はいつだって頭が良かった、ハリーやロンが困ったとき、いつだって彼女は、その聡明な頭で打開策を提案してくれた。無意識に、救いを求めるように、ハリーは固まってしまったハーマイオニーの手のひらを握る。ねぇ、助けてよ、君の力が必要なんだ。
「……あれ?」
 ぎゅっと握りしめたハーマイオニーの手の中に、何か硬質なものがあるのに気づいて、ハリーははっとして彼女の手のひらからその何かを取り出す。がさがさとした何かは、どうやら羊皮紙のようだった。焦ったように中を開くと、そこにはバジリスクの詳細と、そして手書きの文字が一言付け足されている。
「パイプ……そうか、パイプだ!」
 ハリーが叫ぶ、これで謎は全て解けた。思わず駆け出すハリーに釣られて、ロンもオズワルドも慌ててその後を追いかける。
「ちょ、ポッター!何してんの!」
「ハリー!君どうしたんだよ突然!」
「先生に!先生に伝えなくちゃ!今までは偶然、皆が直接眼を見てなかったってだけで……次は死人が出るかもしれな……っ!」
 急いたように走っていたハリーが急に立ち止まって、後続していたロンとオズワルドは順番に綺麗にぶつかった。
「いった……!ハリー、君今度は何……」
「……ロン、グレンヴィル……これ……」
 どうしてこうも、トラブルばかり起こるのだろう。ハリーが指差した壁の文字を見て、オズワルドは思わず無意識に頭を押さえた。
 挙句向こうから足音が聞こえて、取り敢えず三人は物陰へと隠れる。何とも不穏な文字だと思う、「彼女の白骨は永遠に秘密の部屋に横たわるであろう」だなんて。誰かが攫われたのか、だとしたら、一体誰が、誰を、何の目的で。ぐるぐると巡る思考は、焦った足音を奏でて集まって来た先生達の会話である程度の収束が付いた。

「ジニー……」

 茫然と、ロンが呟く。知り合いか、そう思案するより先にあれよあれよという間にロックハートが秘密の部屋の怪物を退治しに行くと話が纏まり――――最も、ロックハート本人は全くの不本意であるようだったが――――その場は解散となってしまった。ホグワーツが閉校してしまう、そんなことよりも、青褪めた表情で唇を戦慄かせるロンが酷く気がかりで、普段他人など気に留めないオズワルドにしては珍しく、気遣うように彼へと片手を添える。
「……アンタ、大丈夫?ジニー・ウィーズリーって……名字からして、兄弟?」
「僕の……嗚呼、僕の、妹なんだ。そりゃあ生意気なところはあるけど、でも、僕……どうしようハリー、ジニーが!」
「落ち着いて、ロン。とにかくロックハートに知らせよう、あんなんでも一応教師だし、あれだけ本も書いてるし……ううん、とにかく知らせるだけ知らせてみよう」
「オーケー、行こうグレンヴィル」
 成り行きとはいえ、ここまで来たなら仕方がない。オズワルドは二人に続いて廊下を走り、ロックハートの、つまりは闇の魔術に対する防衛学の教授の部屋へと走って向かう。扉の向こうは、何やら慌ただしい物音で満ちていた。一応怪物と戦うと言っていたのだから、その準備だろうか。訝し気にしながらも、ハリーが少し急いたような調子で数度扉をノックする。すると、途端に室内は静かになった、がちゃり、と控えめな音がして、扉がほんの少しだけ開く。
「嗚呼……ポッター君、ウィーズリー君、グレンヴィル君……何かな、今はちょっと、都合が……」
 ロックハートはしどろもどろだった。当然だろうな、とオズワルドは思う。オズワルドは最初から、この男が本物の英雄だとは微塵も思っていなかった。大ぼら吹きか、少々の仕事を大層なことのように飾りたてただけで、とにかく小物だろうと考えていたのだ。しかし、事態は彼が思うよりもっとずっと悪かったと思い知る。
「それじゃあ、先生は他のたくさんの人の手柄を自分のものにしていたってことですか?」
 ハリーの表情から色が失せていく。ロックハートがつらつらと語る過去の悪行はまるで彼の脚光に似つかわしくない。彼の語りが終わる頃合を見計らって、オズワルドはローブの中にある自分の杖に手を掛ける。この後に起こり得る事態など、きっとハリーもロンも分かっていることだろう。ロックハートが杖を振り上げ、彼が唯一得意とする呪文を口にするより先に、ハリーとオズワルドの声が重なる。
「エクスペリア―ムス!」
 宙を舞う杖はロンがキャッチして素早く窓の外へと放り投げる。これでロックハートは丸腰だ。ハリーが杖を突き付けてロックハートを立たせ、三階の廊下へと向かう。オズワルドには秘密の部屋の所在地なんてまるで見当が付かなかったが、辿り着いた先に浮遊していたゴースト、通称嘆きのマートルのお蔭で大抵の謎が解けた。彼女の架たる死因は、どれもこれもバジリスクの特徴と一致している。さしずめ、彼女の聞いた声は継承者のものなのだろう。継承者は男子生徒か、とオズワルドは一人心地た。とりあえずロックハートを飛び込ませ、無事を確認してから三人で飛び降りる。様子見に教師を突き落とすとか、使えないと分かった途端容赦ないよな、なんて考えていた所為で、ハリーが口から発した蛇語に対する感想はついぞオズワルドの中には浮かばなかった。


 秘密の部屋、そう呼ばれる空間の中は湿気に満ちていた。暗くぬめぬめとした壁が、辺り一面を覆い尽くしている。学校の何キロも下、下手をしたら湖すらも隔てた地下に違いない。そう思ったオズワルドと同じことを、ハリーとロンがめいめいに口にした。床は湿り、歩くたびにぱしゃぱしゃと水音を立てている。湿気った嫌な臭いが鼻をつく。オズワルドは薄い呼吸を繰り返しながら、杖先に灯りを点したハリーの後に続いて暗いトンネルの中を歩いていく。ゆらゆらと陰る四人の影がまるで亡霊のようだった。動く気配を感じたら目を瞑れ、とハリーは言うけれど、暫くは物音一つしなかった。時折ぱき、と何かを踏み付けた音がするだけで、後は静まり返っている。時間が経つたび、杖を握るオズワルドの指先には痛いほどに力が篭っていった。
 どれくらい歩いただろうか、時間の感覚さえ薄らいできた頃、掠れた声でロンが「あそこに何かがある」と告げる。四対の瞳が一斉にそちらを向いた。うねった曲線がそこにある。大きくて、強いて言うなら麻袋のようにも思えたが、正確な形状は把握出来なかった。ゆっくり、ゆっくり、ハリーがその物体へと近付いていく。オズワルドは後ろに控えて、いつでも呪文を放てるように杖を向けていた。

「……なんてこった」
 ロンの力ない声がトンネルに弱弱しく響く。ハリーの杖先が照らし出したもの、それは巨大なヘビの抜け殻だった。大きく、毒々しい緑をしている。まるでスリザリンのネクタイの色だ、とオズワルドは考える。全長は六メートルほどあるだろうか、いや、それ以上あるかもしれない。こんなに大きく、長いヘビなど、誰もが見たことが無い。ごくり、とオズワルドが喉を鳴らしたその時、後ろから大きな物音がして咄嗟に目を瞑りながら杖を向けて振り返る。続けざまの音は無い、恐る恐る瞼を持ち上げると、どうやらロックハートが気を失っているらしい。今の音は、彼が倒れ込んだ時のものだろう。人騒がせな男だ、そう思って肩を竦め、前を向いたその瞬間。ロックハートは立ち上がり、ロンに飛び掛かってその杖を奪った。しまった、と、思った時にはもう遅い。ロックハートは三人に向けて奪い取った杖を構え、得意げな笑みを浮かべて大きく肩を揺らしている。オズワルドはローブを翻してハリーとロンの前に立ち塞がり、さっと杖を構えて二人を庇った。
 此処まで来たのは、正直成り行きだった。たまたま二人が秘密の部屋の謎を解いた場面に立ち会って、たまたま情報提供しに行く二人に着いていったら、ロックハートの嘘を暴いてこんなところまで来てしまった。仕方がない、と思う。こんな腑抜けではジニー・ウィーズリーを助けになんて行かないだろうし、他の教師を呼びに行くにしても、事態が事態だ。事は一刻を争う。正直、一から説明している暇なんて無い。成り行きだった。それでも、人一人の命が奪われようとしている傍で、平気な顔して自分だけのうのうと返れる筈がない。オズワルドにだって、そのくらいの倫理観はある。

「……英雄ごっこはおしまいですよ、グレンヴィル君」
「終わるのはアンタさ、偽物ヒーロー」
「いいや、お遊びは終わりだ。私はこの抜け殻を持って戻り、彼女を救うには遅すぎたと皆に告げよう。そして、君達三人は無残な遺体を見て哀れにも気が触れてしまった、と……」
「させやしない。英雄ごっこだって?悪いけど今夜、俺達は英雄になりに来たんだ。腑抜けのアンタと違って、彼の妹を掬いに来たんだよ。……何してんの、ポッター、ウィーズリー、早く行きな。こんな奴に構ってる暇なんて無いだろ」

 じりじりと均衡を保つロックハートとオズワルドを見て、どうすればいいのかと二人が固まる。しかし、ロンが先に動いた。そこらに落ちていた石を拾い上げて、オズワルドの少し後ろへと控える。
「ハリー、行って!僕達、すぐ追いつくから。この間抜けな教師をノックアウトさせた後でね」
「ロン、グレンヴィル……っ、気を付けて!」
 ハリーは一瞬躊躇うように片足を引いたが、直ぐに踵を返してぱっと向こう側に駆けていく。残された二人は万が一にでも先を行くハリーに呪文が飛ばないように注視しながら、びりびりと肌を裂く緊張感に身を委ねている。
 先に動いたのは、後ろに控えたロンだった。振り被った大振りの石が宙を舞い、見事にロックハートの方へと飛んでいく。間一髪、ロックハートは飛んだ石を避けたが、そこを見逃すオズワルドではない。
「ステューピファイ!」
 鋭い追撃の声は、ロックハートの振るう杖から飛び出した盾の呪文で軌道を逸らされた。スペロテープで補強されたロンの杖は、どうやら余り術者の言うことを聞かない代物らしい。出現した盾は頼りない強度だったが、方向をずらすには十分だった。オズワルドは小さく舌打ちをして、間を置かずに次の呪文を唱える。
「エクスペリア―ムス!」
 次いだ呪文は急いた所為か狙いが逸れ、ロックハートの後ろの壁へと当たる。あ、と、ロンが間抜けな声を漏らした。二人が揃って後ろの壁を見ているのを好機と取ったか、ロックハートは勿体ぶったように杖を振り回し、得意の呪文を大きく口にする。
「オブリビエイト!」
 しかし、その呪文が杖先から放たれることは無かった。閃光が飛び出す前に、オズワルドの呪文で崩れた壁から大きな岩が落ちてきて、補強された杖へとぶつかる。オズワルドは知らない事だが、元々、学期初めに暴れ柳とぶつかってぽっきりと折れている杖である。岩とぶつかって、折角繋げてあるその杖の先が、ぽき、と。ずれた。
 閃光が、ロンとオズワルドへと向かうことは無かった。その代わり、折れた部分から逆噴射して、使い手であるロックハート自身を襲う。相当の力を込めて呪文を唱えたのだろう、なるほどこれだけは得意と自称するだけはある。余りの威力に、ロックハートの身体が後ろ向きに吹き飛ぶ。浮いた身体は大きく宙を舞い、先程オズワルドの呪文がぶつかって出来た歪にぶち当たり、トンネルの天井は大きな音を立ててがらがらと崩れた。


「……これ、どーする?」
「……取り敢えず、アンタは杖を新調した方がいいんじゃないかな」
 轟轟と音を立てて落ちて来た岩の群れが落ち着いた頃を見計らって、ロンが固い声でオズワルドへと話しかける。オズワルドも彼に負けず劣らずの固まった声で返答を返しながら、気を失っているらしいロックハートの身体を見下ろして、大きく溜息を吐いた。辺りは天井から落ちて来た岩で埋まっている。押し潰されなかったのが奇跡とでも言うような惨状はとにかく酷く、帰り道も行き道も見事に塞がれてしまっていた。進む事も、戻る事も出来やしない。追いかけるといったものの、これではどうにもならないだろう。ロンとオズワルドは、まずハリーが向かった方へと繋がる通路を塞ぐ石を自力で退かし始めた。道が開いたら、杖を持っているオズワルドが加勢に向かい、残るロンはロックハートの見張りと、それからもう一方の道に積み上がっている岩を退かす手筈になっている。万一を考えて、ロックハートはオズワルドが魔法で取り出した縄によってぐるぐる巻きにしておいた。

 どのくらい時間が経っただろうか、魔法を使わずこの大きな岩達を退かすというのは中々に骨の折れるもので、全部退けていれば時間がないと判断し、予定を変更して人一人抜けられる分の隙間が出来た時点でオズワルドは先に向かう事にした。
「グレンヴィル、気を付けて」
「ウィーズリーこそ、一人でこの量、大丈夫な訳?」
「分かんないけど……でも、ジニーとハリーの方が心配だ。頼んだよ、きっと帰りは直ぐに通れるようにしておくから」
「……分かった、後で会おう」
 少しだけ心配だったが、オズワルドは全てをせき止めて先を急いだ。大分時間を喰ってしまった。ハリーは、そしてジニー・ウィーズリーは無事だろうか。この先には、継承者その人がいるのかもしれない。オズワルドの背中を冷たい汗が伝い落ちる。誰かの為に命を賭ける覚悟は、もうとっくに出来ていた。


 オズワルドがそこに辿り着いた時、ハリー・ポッターは巨大なヘビと対峙していた。ヘビが、バジリスクがハリーを食らおうとしている。時にはのたうつ尾を滅茶苦茶に振り乱し、時にはその牙でハリーの身体を引き裂こうとしている。オズワルドは思わずハリーの名を叫んだ。
「ポッター!」
「加勢か……」
 薄暗い中に、微かな声が混じり響く。駆け寄るオズワルドの前に音も無く立ち塞がったその人は、こんな空間の中でもはっきりと分かる、綺麗な容姿に冷たい笑みを携えて、冴え冴えとした冷笑を浮かべていた。ぼやけた輪郭が背景と同化して、少しだけ透けたその容姿はゴーストを思わせる。
「邪魔しないでもらおうか」
 ぞっとするほど冷たい声だった。真冬の湖だって、きっとこんなに冷たい温度は持たないだろう。オズワルドは咄嗟に杖を構えたが、眼前の男に何が効くのかまるで見当が付かなかった。
「……スリザリンの、継承者」
 緑のネクタイ、冷えた面立ち、そんなものが無くたって今の状況から幾らでも推測できるけれども、それらの要素は彼が継承者であるという確信を幾らでも高めてくれた。透けた男は苦々しいオズワルドの声を聞いて甲高い笑い声を上げる。
「トム・マールヴォロ・リドルだ、初めましてレイブンクローの君。気軽にヴォルデモート卿と呼んでくれて構わないよ」
「ヴォルデモート……?……嘘だろ、おい」
 ヴォルデモート卿。闇の帝王。名前を言ってはいけないあの人。今世紀最悪の闇の魔法使い。――――嗚呼、知っている。知っているとも。魔法族のオズワルドは、彼の恐ろしさをよくよく知っていた。眼前の彼が、その恐ろしい闇の帝王だと……いや、その面立ちからして、学生時代の例のあの人だと悟って、全身から血の気が引いていく。勝てる訳が無い。こんなもの、勝ち目がある訳ないじゃないか。かたかたと震え出すオズワルドを見て、リドルは甘やかとさえ感じられる笑みを浮かべる。人ではないその身体が、何だか無性に恐ろしかった。

「何で……何で、例のあの人が、ここに……」
「知りたいかい?嗚呼、そうだね、まぁそのくらいなら教えてあげよう……ハリー・ポッターがバジリスクに食われるのを待つ間、退屈だったからね。さて、何から話そうか。そう、まず、全ての前提として……僕は記憶だ」
「……記憶?アンタは、ゴーストとは違うの?」
 問答を繰り返すことによって、リドルの意識を僅かでもこちらに惹きつけていられないかとオズワルドは思案した。リドルの背後で、ハリーがバジリスクを相手に奮闘している。今すぐにでも加勢に入りたいが、彼が道を塞いでいる限り、それは無理だと分かっている。ならば、せめてハリーの敵からリドルを外すしかない。リドルは底の見えない笑みを浮かべて、小さく首を傾けた。
「全く違う、ゴーストは死んだものがその場に留まり生前の記憶をもとにして徘徊するものだが……先程も言ったように、僕は記憶だ。十六歳の自分を、とある日記帳に保存したんだよ。僕の本体はまだ生きている、ここもゴーストとは大きく異なる点の一つだね」
「……なるほどね、それで、その記憶のアンタが、どうして此処へ?」
「いい質問だ、もう察していると思うが、僕はスリザリンの継承者でね……在学中に、一度この部屋は開かれたんだ。けれど、まぁ、色々とあって、当時は閉じざるを得なかった。だから僕が作られた。いつの日か再び、この扉を開けてスリザリンの崇高な仕事を成し遂げられるよう」
「穢れた血を殺す為にか」
「その通り。最も、現在の僕の目的は、穢れた血の粛清ではないけどね」
 リドルの言葉を聞くたびに、オズワルドは背筋に感じる薄ら寒い何かが増していくのを自覚していた。ちらり、と、不自然でない程度にハリーへと視線をやる。未だ奮闘しているらしい彼が勝つ気配は無い。持ってくれ、頼む……祈るような心地で、オズワルドはからからに渇いた喉から無理矢理言葉を捻り出した。
「……一つだけ、答え合わせをさせてくれないか、帝王様」
「何でもどうぞ、僕の知る範囲でよければ答えよう」
「アンタの存在を知らない時、俺はスリザリンの継承者は……純血主義であることを、周囲に隠し、中立として振る舞っているのではないかと推測した。それから、部屋を開けた時には、適当な誰かを生贄に、捕まる難を逃れたのではないかと――――解答を求めることは出来るのかな、継承者さん」
「……へぇ?流石レイブンクローだ、中々に君は、頭が回るらしい。返答としては、イエスだよ。僕は対外的には、孤児だが勇敢そのものの監督生で模範生、そのように通っていた。誰も彼もが僕を信頼し、盲信したよ……先生方は皆、僕がお気に入りだった。トム、トム、トム――――誰もが僕の意を問うた。僕がスリザリンの継承者などと、そんな考えを持つ人間はたった一人しかいなかったよ」
「……一人?」
「……アルバス・ダンブルドアさ」
 リドルの声が一気に冷えた。
「ダンブルドア先生だけが、ハグリッドが退学になった後、しつこく僕を監視していた。……嗚呼、説明の順序が入れ替わったね。二つ目の質問だが、それもイエスだ。さっきも言ったが、僕はしょっちゅう問題を起こすハグリッドを替え玉に、僕が捕まえた風を装ったよ。お蔭様で、僕はホグワーツ特別功労賞まで貰えた。彼には感謝しなければいけないね」
 冷えた温度を隠すように、無理矢理明るく繕われた声がオズワルドの芯をじりじりと蝕んでいく。恐怖がオズワルドの理性を徐々に食い潰し、今すぐにでも逃げ出したい心地に駆られて必死に奥歯を噛み締め自分の身体をその場に縫い留めた。リドルはわざとらしく肩を竦め、流れるような動きで杖を構える。見覚えのある杖だった。
「それは、ポッターの……」
「嗚呼、少し拝借をね。さて、そろそろ魔法を使うのに十分な力が備わった。……君は賢く、頭の回る生徒のようだね。典型的なレイブンクローというか……ちょうどいい、少し眠っていて貰おう。此処から出る時に、君は便利そうだ」
 何を、と問う前に、オズワルドの身体を衝撃が襲う。呪文を唱える素振りすらない、余りに素早い無言呪文だった。意識の刈り取られる、その最中。最後に仰いだ彼の面立ちは、きっと一生忘れないだろう。残酷なまでに、無垢なまでに。まるで宗教画の天使のように――――彼は、美しい顔をしていた。




 目が覚めた時、一番最初に視界に映ったのは待ち焦がれていたハーマイオニー・グレンジャーのものだったので、オズワルドは一瞬、自分が何処に居るのか分からなかった。ぱちぱちと幼い仕草で瞳を開閉するオズワルドを見て、ハーマイオニーは感涙極まったかのように「ああっ!」と声を上げる。
「オズワルド……!嗚呼、良かった、本当に……!目を醒まさないんじゃないかって、ずっと心配してたのよ!」
「え……?あ、いや……その前に、アンタ、元に戻って……」
「ええ、マンドレイク薬で、この通り、すっかり元気よ。……ありがとう、貴方が、石になった私を医務室まで運んでくれたのよね。おまけに、そのままハリー達と秘密の部屋に乗り込んだんですって?」
「っ!そうだ、俺、例のあの人にやられて……っ、ポッターは!?ジニー・ウィーズリーは、一体どうなって……!?」

「その辺りについては儂から説明しようかのう」
 鷹揚な声がハーマイオニーの後ろから響いて、オズワルドは驚いたようにそちらを振り返った。
「……校長」
「おはよう、オズワルド、無事で何よりじゃ。まずは君が気にして折るハリー・ポッターとジニー・ウィーズリーのことじゃが、二人とも無事じゃ。後遺症も無く、元気にしておる」
「……よかった」
 オズワルドはほっと一息吐く。ダンブルドアは知性的な瞳を緩やかに細めて、労わるように微笑んだ。
「オズワルド・グレンヴィル、君には二人と同じように、ホグワーツ特別功労賞が授与される。加えて、レイブンクローに200点じゃ。……よく頑張ったのう、お蔭で一人の、罪なき子の命が救われた。君はまさしく、勇敢じゃった。グリフィンドールに欲しいくらいじゃな」
「そんな、俺は、例のあの人にも典型的なレイブンクローって言われる始末で……嗚呼、そういえば、結局あの人はどうなったんですか?俺のこと、秘密の部屋から出るときの道具にしようとしてたみたいなんですけど……」
「うむ、これは儂の推測じゃが……恐らく彼は、君に服従の呪文をかけて共に部屋から出るつもりだったのじゃろう。トムは日記に戻り、見つからないように、君に適当なところまで運ばせて……恐らく、口封じに殺して、そのまま逃げおおせた筈じゃ。だがしかし、その目論見はハリーが阻止してくれた。日記を破壊し、奪われていたジニー・ウィーズリーの魂を戻して、君達を連れて戻って来た」
 あのまま、ハリーがリドルを倒さなかったら、自分は知らぬ間に操られて逃亡の手助けをし、挙句に殺されていた。起こり得た未来を想像し、オズワルドの表情はさっと青褪める。ダンブルドアは小さく笑って、ことんとサイドテーブルにマグカップを置いた。心地好いココアの匂いが鼻腔を擽る。
「飲みなさい、気分がよくなる。……安心してよい、全ては終わったことじゃ。ゆっくり休んで、疲れを癒すと良い」
 ダンブルドアはそのまま立ち上がって、ハーマイオニーにちょっと目配せをしてから、医務室から去っていってしまった。余りの展開に理解が追い付かず、オズワルドはどんな顔をしていいのか分からない。暫く、部屋には沈黙が落ちた。

「えっと……取り敢えず、何はともあれ、無事で良かったよ、グレンジャー」
「貴方もね、オズワルド。本当……心臓に悪い目覚めだったわ。起きたら、隣に真っ青になった貴方が眠ってるんですもの。事情を聞いたら、例のあの人にやられたっていうし……寿命が二年くらい縮んだかと思ったわ」
「それは……何て言うか、悪かったよ」
 心配を、させる積もりではなかった。こんな顔を、させたい訳ではなかったのだ。ただ、彼女を助けたかった。その一心で彼女を医務室まで運んだのに、それをきっかけにこんな大事に巻き込まれるなんて、改めて考えるととんでもない状況だと思う。あの時は怒涛の展開過ぎて状況を分析する暇など無かったが、何たる運命のいたずらだろうか。オズワルドは気が抜けたように大きく溜息を吐き、手のひらで額を抑えてぐったりとベッドに突っ伏した。
「……疲れた」
「でしょうね……本当、ありがとう。もう少ししたら、ハリーとロンも来ると思うわ。心配してたのよ、あの二人も」
「嗚呼……、本当、心配かけたんだね。まぁ、当然か」
「ええ、当然よ。あと、名前は知らないんだけれど、貴方のお友達……レイブンクロー生も来てたわ。皆、驚いてたわよ、まさか貴方がハリー・ポッターと大冒険、って」
「冒険ってほど可愛いもんじゃなかったんだけど……はぁ、復帰したら面倒なことになりそう」
 なんせ、昨年も賢者の石とやらを巡って冒険していた、あのハリー・ポッターだ。殆ど芸能人のような感覚だった彼と一緒に今年は自分が冒険をしただなんて、今も信じられない。来てくれたのは一体誰だろう、と考えたところで、オズワルドあはたと隣のハーマイオニーを見た。
「……」
「……何?」
「……グレンジャー、俺の見舞いに来た人、よくそんなに知ってるね」
 普通、そんなに一度に見舞いは来ない。皆、というからには、それなりの人数を見たのだろう。ずっと此処に通い詰めていなければ、そんなに大勢とは出会えない。オズワルドの指摘を聞いて、ハーマイオニーはボン、と音が出そうな程真っ赤になった。
「べ、別に毎日来てたとか、そういう訳じゃ……!」
「……来てくれてたんだ。そっか、ありがと」
「どっ、どういたしまして!」
 可愛らしい照れ方と下手糞な誤魔化し方に思わず吹き出す。珍しいオズワルドの笑みに、ハーマイオニーは赤い顔のままこちらを振り返ってまた直ぐに視線を逸らした。
「こういう時に、そんな顔で笑わないでちょうだい……反則じゃないの、嗚呼もう」
 完璧に照れ隠しの、可愛らしい拗ねた顔。嗚呼好きだ、と素直に思う。ハーマイオニーが好きだ。オズワルドは胸中を渦巻く感情の儘に、ハーマイオニーへと片手を伸ばす。奇妙な万能感が頭の中を支配して、今なら何だって出来そうだった。

「……俺に会えなくて、寂しかった?」
「オズワルド……!ま、待って、近いわ!」
「答えてよ。ねぇ、ずっと俺のベッドに来てくれてたのは、何で」
「っ、それは……」
 ハーマイオニーの瞳が、熱で潤んでいく。その綺麗な瞳を、舐めたいと言ったら怒られるだろうか。
「私……ただ、貴方に早く起きて欲しくて、それで……」
「……俺と、どうなりたいの、グレンジャー」
 言葉を遮る熱っぽいオズワルドの声に、ハーマイオニーが恥ずかしげに瞳を伏せる。それでも拒むことは無く、彼女の指先はそっとオズワルドの腰へと添えられていた。
「そ、そういうことを、女の子に聞くのはよくないと思うわ」
「そう?じゃあ言い方を変えようか……俺と、どうにかなってくれる?」
 言いながら、顎へと指先を添えて、そっと小さな頭部を上向かせる。彼女は拒まなかった。返事の代わりに、ぎゅっと瞳が閉じられる。緊張しているのか、小刻みに震える長い睫毛が堪らなく愛おしくて、オズワルドはきつく閉じられた薔薇色の唇へと、そっと己の唇を押し付けた。
「……どうなりたいのか、もう一度、聞いても?」
 重なった唇は互いの体温を分け合うように数度擦り付けあい、羽毛のような軽さで一度離れた。それでもまだ離れがたくて、至近距離のまま揶揄含んでオズワルドが囁く。ハーマイオニーはちょっとだけ照れ臭そうに笑って、自分からオズワルドへと唇を押し付けた。
「貴方と、どうにかなりたいわ、オズワルド」
 廊下から聞こえる足音が医務室の扉を開けてしまう前に、オズワルドはそっと重なった唇を食んで近しい肢体を思い切り抱きしめた。
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