ボーバトンの生徒はレイブンクローの席へと着いたので、オズワルドには彼女の顔がよく見えた。美しい、非常に精巧な顔立ちをした女子生徒だった。その髪はいつも東洋の絹のように風に靡いて揺れていて、大きな青い瞳は何処か潤んだように瑞々しい。あんまりにも、綺麗な女子生徒だった。年の頃は17歳か、18歳だろうか。もっと年上にも見えたが、生徒である以上その頃合が適当だろう。彼女が何かを話すたびに、大勢の男子生徒が身を乗り出してその視線の動き一つさえ見逃さないようにと必死になっていた。ヴィーラだ、とオズワルドの隣に座っていた友達が夢見心地で呟く。
「ヴィーラ……?」
「間違いないよ、だって、皆見てるもん。ほら、彼女の前に座ってるエドモンド見てみろよ。あいつ、顔真っ赤になって見惚れてるぜ」
「こないだチョウ・チャンも口説いて玉砕してなかったっけ、あいつ」
「いやそうだけど、そうだからこそさ。美人と見ればすぐ声をかけるあの女好きが、一言も話せずただ見てるだけなんだから」
「嗚呼……確かに、言われてみれば」
「それに、さっきからお前も彼女を見てる。俺、オズワルドが女の子に気を取られてるなんて初めて見たぜ」
「え……?」
 言われて初めて、オズワルドは自分が彼女を見ていたことに気が付いた。丁度その時、彼女が顔を上げてこちらを見た。オズワルドの前にある、ポワレを取りたかったらしい。ちょっとだけ身を乗り出して、白魚のような手を伸ばした。隣の友人が気付いて皿を持ち上げ、彼女の方へとそれを差し出す。
「これ?」
「そうでーす、ありーがとうござーいまーす」
 開いた唇の隙間から、小さく整った歯列が覗く。僅かに細められた瞳の色は、まるで輝く水面だ。嗚呼、綺麗だ。綺麗だなんて言葉が役不足なほど、彼女の顔立ちは輝かんばかりに整っている。世界中の芸術品を集めて来たって、彼女の美しさに敵う品は一つとして無いだろう。オズワルドは一言も言葉を発せずに、彼女が姿勢を戻しポワレを食べる様をただ黙って見つめていた。
「……嘘だろ」
 茫然と、オズワルドが呟く。一目惚れ、なんて。そんなの絶対、有り得ないと思っていた。


「でもさ、それってヴィーラの魅力に惑わされただけなんじゃね?」
「だよなぁ……」
 ホグワーツの廊下を歩きながら、オズワルドは途方に暮れたという調子で言葉を吐き出した。学校は三大魔法学校対抗戦の話題で満ちていたが、オズワルドはそれよりあのヴィーラの美少女のことが気がかりだった。何せオズワルドは立候補するには数ヵ月ばかり年齢が足りなかったので、一部の無謀な勇者―――主にグリフィンドールの連中だが―――のように無理に年齢線を越えようとは試みなかった。例え規定年齢を超えていたとしても、実技向きでないと自覚のあるオズワルドは進んで立候補はしなかっただろう。この対抗試合の何が一番オズワルドの気を引いていたかといえば、主に彼女、フラー・デラクールの戦いぶり程度だ。後はどんな試合内容なのかを推測するくらいしかやることがない。大いにフラーに気を取られていたので、オズワルドは四人目の代表選手、ハリー・ポッターのことはすっかり頭から抜けていた。
 本物の恋心ではない、と思う。友人の言う通り、一時的に彼女の魅力に惑わされただけだ。そうは分かっていても、彼女を見かけるたびに胸が苦しくなって、何をしていても彼女のことを考える。何より歯痒いのは、彼女にこうして焦がれているのが自分だけではないという事実だ。一体何人が、同じように見惚れて骨抜きにされて、こうして今悩まし気な溜息を吐いているのだろう。さっさと違う誰かを捕まえて忘れてしまいたいと思う反面、無謀でもいいからこのまま自然に燻る気持ちが消えてしまうまで思い続けていたいという相反する感情がせめぎ合って、どうしようもない。
「お前、精神系の魔法に弱かったもんな」
「うん。……まぁ、彼女が帰ったら流石に正気に戻るとは思うし……はぁ、一年はこのままか……」
「愛の妙薬とか飲んで鏡見てみるか?」
「アホ、寒いナルシストになるくらいなら今のままの方がいいよ」
 そう、一年だ。一年耐えれば、きっと戻る。だから大丈夫だと、そう自分に言い聞かせる。だってきっと、彼女のような人間は、ヴィーラの魅力に引き寄せられただけの自分に振り向いてくれはしない。
「……飽き飽きだろうよ」
 こうやって見てくれに引き寄せられる男なんて、きっとフラーには一山いくらの見飽きたガラクタだ。


 第一の課題が始まった時、オズワルドはお互いを押し潰し合いそうな観衆に紛れてレイブンクローの応援席にいた。目当ては勿論フラーだったが、他の三人の戦いぶりも気にならないとは言えない。一応、オズワルドにだって多少の愛校心はある。フラーは見たいが、セドリック・ディゴリーかハリー・ポッターが優勝すればいいのに、とも思う。
「誰が勝つかな」
「分かんないけど……俺はビクトール・クラムだと思うね。何せこないだのクディッチ・ワールドカップの試合は凄かった……その後も、凄かったけど」
「その後?……嗚呼、大騒ぎだったんだっけ、色々と」
「そうそう、俺も見に行ってたから大変で……お前、行ってねぇの?」
「そこまで興味はなくて。うちの父親なんかは、話のネタの為に高い金払って貴賓席取ってたみたいだけど」
「勿体ねぇ、凄い試合だったのに……嗚呼でも、あの騒ぎに巻き込まれなくてよかったといえばよかったかな」
 そんなことを話している間に、一人目の代表選手が入場して来た。セドリック・ディゴリーだ。彼の目の前には、気の立ったスウェーデン・ショート・スナウト種が牙をむいている。青みがかったグレーをしていて、鋭い瞳は忙しなくあちらこちらへと向いている。観客全員が息を飲んで見守る中、彼は悪戦苦闘しながらも卵を強奪した。他の選手が競技していない以上何とも言えないが、完璧な奮闘とは言い難い。が、発想自体は中々だとオズワルドは思った。それに、あんなに上手に岩を犬に変えるなんて、流石監督生なだけある。
 次いで会場に投入されたのは、ウェールズ・グリーン普通種だった。このドラゴンも先程と同じく、随分と気が立っている。会場中に轟く咆哮に思わずオズワルドは耳を塞いだ。少しの間を空けて入場してきたのは、オズワルドのお目当てのフラー・デラクールだった。ドラゴン相手は流石に彼女も恐ろしいのか、つんと澄ました態度はどこへやら、蒼白の面立ちは血の気が失せて手足は少し震えているようにも見える。それでも、彼女は果敢だった。振り上げた杖から飛び出した魅惑の呪文がぶつかって、途端に獰猛だったドラゴンの瞳がとろんとする。ゆるやかに大きな頭が持ち上がって、崩れて、そして眠りについた。握り締め過ぎた手のひらに爪が食い込んできりきりと痛む。やったか、と思ったその瞬間、いびきをかいたドラゴンの鼻から炎が噴き出してフラーのスカートへと火を付けた。
「っ、デラクール……!」
 一瞬、フラーが燃えてしまうのではないかという懸念が浮かび上がって、オズワルドは殆ど反射的に身を乗り出した。フラーは慌てて自分の杖を振りかざし、水を出して消火している。無事なようだった。オズワルドはほっと息を吐く。けれど気を抜くにはまだ早い、一連の間にドラゴンがふと目を醒まして、フラーはまた恐ろしいドラゴンと真っ向から戦う羽目に陥っていた。
 オズワルドは、ただ息を詰めてその戦いを見守っていた。彼女が、あんまりにも美しかったから。強大なドラゴンにも臆せずに――――いや、震える身体を押さえつけて果敢に立ち向かっていくその姿が。ぼろぼろになっても立ち向かう、その凛々しい瞳が。澄ましてお上品に座っている方がよほど似合うその面立ちが闘志を剥き出しにして歪んでいく、その様が。あんまりにも鋭い威力を持って、オズワルドの心臓を貫いた。
 嗚呼、綺麗だ。あんまりにも綺麗すぎて、息も出来ない。その日、オズワルド・グレンヴィルは、フラー・デラクールに本物の恋をした。


 フラーの結果は大きく優れたものでは無かったが、それでもオズワルドにとっては誰より鮮烈な戦いぶりだった。惑わされただけの感情が本物になってしまってから、オズワルドの胸の内は逆に落ち着いたように思う。成程、あれは確かに魅了されていただけだったのだな、と思い返して自分で納得する。今は逆に、自分から彼女に話しかけることも出来ている。と言っても、容姿目当ての男に集られることの多いフラーである。同じことをしたからといって、自分を見て貰えるとは思えない。オズワルドからの接触は、他の男子生徒に比べれば酷く淡白なものだった。最も、フラーに集っている男子の大半は少し前までのオズワルドと同じように魅了されているだけのものなので、アピールが一辺倒になるのも無理はない。多分、この求愛はヴィーラに惹き付けられた人間に共通するものなのだろう。オズワルドがフラーに声を掛けるのは、主にボーバトンのことに偏っていた。あからさまなフラー目当てだと分からないように、一番多く声を掛けるのは、同じボーバトンの男子生徒にしている。自分でも中々陰湿な距離の詰め方だな、とは思えど、他に適切なやり方が思い付かないのだから仕方ない。スリザリンのようだ、とも思う。オズワルドは、フラーに好意的であるということを隠さなかった。その上で、ヴィーラの魅力に魅せられていることを認め、気にしないでくれとあっけからんと言い放つ。
「はしかみたいなものだし、慣れたら落ち着くさ。こういうの、あんまり耐性ないんだ。精神系の魔法にはどうにも弱い」
「というこーとは、錯乱呪文なんかにもよわーいというこーとですーか?」
「そう、うっかり愛の妙薬飲んだ時も酷い目に遭った」
 そのお蔭か、否か。それほどフラーからの印象は悪くない、と思われる。自分から積極的に話しかけることはせず、ボーバトンの男子生徒から始まって彼女の友達へと知り合いを広げ、近くで友人と話をすることでフラーから声をかけてくれるまで辛抱強く待った。幸い、オズワルドは当たり障りなく話をする知り合いを作る術には長けていたので、ボーバトンの生徒がレイブンクロー寮と主に行動を共にしてくれていることも相まって、クリスマス前にはこちらから声をかけても普通に返事をしてくれるようにはなったように思う。相変わらず、彼女の態度はつれないが、あからさまに無視されるということもない。フラーにとって、今のところオズワルドは有り余る求愛者の一人ではないのだろう。
「アンタは、アンタの顔に魅せられてるだけの俺には振り向かないだろう?……そういうとこは結構好きだ、きっと魅了されていなくとも、同じこと言ったと思うよ」
 そう言ったオズワルドにほんの少しだけ笑ったフラーの顔は、多分一生忘れられないだろう。


 クリスマスのダンス・パーティがこれまでより盛大なものになるとは、オズワルドには半ば予測できたことだった。ダームストラングとボーバトンが滞在している以上、それは当然だ。きっとオズワルドでなくとも、多少冷静なやつなら、同じ推測に行き当たったに違いない。そしてその推測は多いに当たっていた。そういえば、フラーはレイブンクローのクディッチ・キャプテンであるロジャー・デイビースをパートナーに選んだらしい。その前は同じ代表選手であるセドリック・ディゴリーを誘ったらしいが、結果を見るに、恐らく断られたのだろう。オズワルドは別に、セドリックのことは好きでも嫌いでもなかったが、フラーに誘われたというだけで仄暗い嫉妬の炎が自らの脳裏に刻まれた彼の名をじりじりと焼き焦がしていくようだった。最も、人気者の彼は顔も名前も知らないレイブンクローの一生徒に睨まれたって、痛くも痒くもないだろうが。
 オズワルドはここ数週間の間、最も話す機会の多かったボーバトンの女子生徒を伴ってパーティ会場へと向かった。彼女もフラーと同じく、お高くとまっていることの多い女子生徒だったが、パーティの知らせが舞い込んできたと同時にオズワルドの袖を引いて直ぐに彼をパートナーにと誘った。誰にも先を越させないと言いたげなそのスピードにオズワルドは少しだけ瞠目したが、少し考えた後に快く了承した。元々、彼は別段目立つ訳でも無い一生徒だったが、気位の高いボーバトンの生徒といることで、相対的に人気が上がっている。グリフィンドールのロナルド・ウィーズリーにパートナーを申し込まれてナマコでも見るような眼を向けていたあのフラー・デラクールが、オズワルドに名前を呼ばれて嫌な顔一つせず振り向くのだ。目立った人気者ほど競争率は高くなく、それでもパートナーに連れていればそこそこ見栄えする。人格的にも普段の競争率的にも、えり好みをしそうとも思えない。そういう立ち位置であったが故に、逆に競争率が上がってしまっていた。加えてオズワルドは知り合いが多く、誰に話しかけられても基本的に嫌な顔はしない。特別親しい男友達のいない女子生徒にとって、非常に話しかけやすい存在だった。それが故の素早さだったのだが、勿論当人はそんなこと知る由もない。
 パーティ会場は既に熱気に包まれていた。最初に代表選手が躍るのをぼんやりと眺めた後、周囲に同調するように彼女の手を取って自然な動きで中心へと導く。オズワルドが身に纏った上等のローブが動きに合わせて揺れて、ほんの僅かに薄い香水の香りが漂った。身じろぐと着込んでいた正装が揺れ、目立たないが相当に高級のものであると分かり、一見すれば、貴族の子息と言っても差支えない。酷く手慣れた様子のエスコートだった。


 少し時間が経つと、踊り付かれたオズワルドとパートナーは会場に設置された椅子へと腰掛け、用意されたドリンクを飲みながらのんびりと各々の踊る会場を眺めていた。余り体力のないオズワルドは暫くぐったりとしていたが、どうにもこういう時の女子は男子よりよほど体力があるらしい。未だオズワルドが動けないのを見れば、一言だけ断って同じボーバトンの男子生徒と踊りに行ってしまった。さて、どうしようか。このまま適当な時間までだらけていようかと思案していたが、視界の端に思い人の姿を見つけてぱっと立ち上がる。もう、疲れたなんて感覚は消えていた。
「レディ・デラクール」
 ロジャー・デイビースが隣にいると分かっていながら、オズワルドは綺麗に着飾ったフラーへと話しかけた。ぼうっと見惚れているロジャーを余所に、ホグワーツの会場に文句を漏らしていたフラーは、オズワルドの声に反射的に振り向く。
「こんばんは、綺麗だね」
「こんばーんは、オズワルド、あなーた、パートナーはどうしまーしたー?」
「嗚呼、今は友達と踊ってる。……レディ、少々お時間を頂いても?」
 オズワルドの言葉を聞いて、フラーはロジャーに断ることもなく彼に並んだ。ロジャーは焦ったようにフラーへと手を伸ばしかけたが、その前にオズワルドは彼に視線だけを送って牽制する。ふ、と吐息だけを流すような笑みを向けられて、彼は夢から醒めたようにその場に立ち尽くしていた。フラーは飲み物を選ぶのに夢中で、後ろの様子に気付いてはいない。
「あなーた、飲み物はどうしーました?」
「嗚呼、同じもの、取ってくれる?」
「わかーりましーた。ここーは暑いのでー、もう少し隅に行きーたいでーす」
 フラーの言葉に従って、オズワルドは彼女の飲み物も受け取って会場の隅へと足を向ける。彼女と歩いていると、周囲の視線が痛いのはいつものことだった。少し人気の減った隅っこで装飾の施された壁に背を預けると、フラーはオズワルドの服装を見て少し驚いたように瞳を瞬く。瞬きのたびに、きらきらと輝く銀色の睫毛が揺れて、今夜はとびきり美しい。
「……あなーた、随分、きれーいな恰好をしてーます」
「そう?……嗚呼、これか」
「それ、知ってまーす。わたーし達の国でーも、ちょっとした人気でーす。でーも、高くて、中々買えまーせん」
 フラーが知っていることは意外だったが、確かに彼女はいつも上等のものばかり身に着けていた。マイナーなブランドだったが、知っていても可笑しくはない。
「……俺の父親は、随分な身分コンプレックスだったみたいだからね。まぁ、ちょっと金があるもんだから、俺にもいいものを身に着けさせたがるんだ。それがステイタスだと言わんばかりにね」

 優秀で勤勉な、模範生だったと聞いている。所属はレイブンクローで、どの授業を受けても軒並み優秀な成績を叩き出していたらしいが、一番を取ることは出来なかった。ずっと、人より出来が良い、程度の成績だった。それに加えて、生まれはそれほど大層な事は無かったらしい。一応、純血の身ではあったようだけれど、所謂純血貴族のような、そんな高貴な身では無かった。何もかもにおいて他人より上をいかねば気が済まないあの人にとっては、それはどうしようもない欠点だったのだろう。
 そして、彼はオズワルドの母と出会った。見合い婚だと聞いているが、恐らく父親の方が、母親の家名欲しさに強引に取り付けたのだろう。オズワルドの母は、元をただせば聖28一族にも連なるという、それなりにいい家系の生まれである。多分、父の身分からいけば、手の届くぎりぎりのところだっただろう。
「ついでに、上流階級の子供がやるような事は、一通り習わされた。……さほど、いい成績を出してた訳じゃあ、無いけど」
 勉強も、礼儀作法も、帝王学も、金に任せてあらゆる教師を呼んできたが、オズワルドが父親の望むような完璧な結果を出せることは殆ど無いに等しかった。一応、一般的な子供よりは良い出来だっただろう。スポーツ関連の事以外で、余り教師を困らせた記憶は無い。オズワルドについた家庭教師も、良くオズワルドを褒めていた。でも、父はそれでは、満足出来なかったのだ。完璧で優れた結果を出す事を求めた。自分と同じで、優れていながらも、決して一番は目指せないオズワルドのその姿が、彼は最も許せなかったのだ。
「でーも、あなーた、さっき綺麗に踊ってまーした」
「嗚呼……ダンスだけはね。箒とか、フェンシングとか……後はまぁ、ヴァイオリンとか、そういうものは軒並み出来が悪かったけど、踊るのは結構性に合ってたんだ」
 自分でも意外だと思う。どんなスポーツも全く上達しなかったのに、ダンスだけは初めから然程苦も無くこなすことが出来た。幼い頃から習っていたから、これだけは本物の純血貴族の面々と比べても遜色ないだろう。人間、何か一つくらい特技が出来るものだな、と暢気そうに肩を竦める。
「だから、まぁ、そんな訳で。俺、エスコートは上手いよ。……お嬢さん、俺と一曲、踊って頂けませんか」
 自信たっぷりに、差し出される手のひら。普段の無表情から一変し、浮かべられる得意そうなその笑みは、フラーの胸を高鳴らせる。急に、オズワルドが自分の知っている男の子では無くなった気がして、何だか平静が保てなくなってしまった。目立つような、綺麗な顔をしている訳じゃあなかった。別に不美人という訳ではないけれど、フラーにとっては皆等しく自分より綺麗では無い。だから、改めて誰かにときめくなんて一生ないと思っていたのに、この気持ちは一体何なんだろう。心臓の音が煩くて、オズワルド以外の全てがただの背景と化していく。引き寄せられるように、フラーはオズワルドの手を取った。
「お手を拝借致します、レディ」
 オズワルドはちょっと笑って、流れる音楽に合わせて静かにステップを踏む。成程確かに、自信満々に誘っただけある、上品なダンスだった。フラーの手を持つ指先は酷く繊細で、硝子でも扱うような慎重さだったが、かといって恐々と触れている様子も無い。
「……何考えてる?」
「なーんでもありませーん」
「嘘、俺のこと考えてるだろ」
「……あなーた、紳士的にふるまーうのに、意地が悪ーいです」
「……ふ、ごめん、意地悪だった」
 流れるようなステップの最中、少しだけ揶揄交じりにオズワルドが笑う。その笑みをじっと見つめて、そして、フラーが笑った。ぱち、と、驚いたようにオズワルドが瞬く。この笑い方、知っている。フラーがセドリックを誘った時と同じ、ヴィーラの魅力を振り撒いているときの笑みだ。何故突然、そんな笑みを向けられたのか分からなくて、オズワルドは不思議そうに首を傾げる。
「……オズワルド、わたーし、つかーれましーた。外の空気を吸い―に行きたいーです」
「え?嗚呼……いいよ」
 さらに突然、外に誘われてますます首を傾げる。頷いて外へと向かえば、少々の肌寒さは感じるものの、火照った身体にはちょうどいい温度だった。フラーに導かれる儘、オズワルドは人気の無い方へと歩みを進める。


 辿り着いたのは会場の灯りが僅かに届く、大きな木の木陰だった。フラーは綺麗なドレスも気にせず根元へと座って、ちらりと伺うようにオズワルドを見上げる。
「座−らないのでーすか?」
「嗚呼、うん……」
 小首を傾げて問いかけるその仕草が、どうにも可愛くて、つい誘われるままに隣へと腰を下ろした。隣に座ると、彼女から放たれるヴィーラの魅力がより強くなる。ぐらりと傾いてしまいそうになった心地を無理矢理持ち直して、彼女へと視線を投げかける。元々、オズワルドはこの手のものに耐性が無い。気を抜けば直ぐにでも、彼女の魅力にだけ惹かれていたあの頃に戻ってしまいそうだった。フラーはじっとオズワルドを見詰め、少しだけ開いた距離を詰める。――――嗚呼、と、オズワルドは唐突に理解した。フラーはオズワルドに、自分に惹かれて欲しいと思っている。セドリック・ディゴリーを誘った時と同じように、自分を見て欲しいと思っている。そんな事をしなくてもいいのに、と我知らずオズワルドは僅かに笑う。
「……何で、俺なの?」
「……、…あなーたは、ヴィーラのわたーしに惹かれた人を選ばないわたーしを好きと言いーました。あなーたは、ヴィーラのわたーしは好きではなーいと言いーました。……ごめんなーさい、でも、わたーし……これーしか知りーません」

 ずっと、ヴィーラだから、好かれていた。勿論、そういう部分を見ない友達はちゃんといたし、自分そのものを好いてくれる人だっていたのだろうけれど、それが重要だとは思わなかった。自分に釣り合う人を、レベルの高い人を、そういう人を求めているだけで、相手が見ているのが自分かそうじゃないかなんて、どうだって良かったのだ。
 でも、オズワルドが、真っ直ぐに自分そのものを好きだと言ったから。ヴィーラの魅力に惹かれた男を選ばない自分が好きだと、彼は言ったから。初めて、自分を見てくれることが、嬉しいと思えた。それなのに、彼にこちらを向いて貰うために使うのがヴィーラの力だなんて、あんまりに卑怯だった。フラーは急に自分の顔が、髪が、瞳が……自分がヴィーラの血を引いていると示す何もかもが恥ずかしくて、俯いて顔を伏せる。黙り込んでしまったフラーの方へと身体を寄せて、オズワルドはそっと内緒話でもするように囁きかける。
「……俺の方が、デイビースよりアンタに似合うと思うんだよね。俺はアンタの顔が焼け爛れたって、怒って鳥のようになったって、誰より綺麗だと言い切れる。勘違いさせて悪かった、俺は、アンタの顔も、ヴィーラの血も、全部好きだよ。その気位の高さだって、実は割と好きだ。……ねぇ、俺を選んでよ、デラクール」
 フラーが、驚いたように顔を上げる。煌めく湖畔の瞳は瑞々しく、多分、潤んでさえいた。
「……わたーし、…オズワルド……わたーしは、オズワルドが……」
「うん、……俺が、何」
「……あなーたが、……あなーたを、選びまーす。だから、あなーたにも、選んで欲しーいでーす。わたーしが、ヴィーラでない、わたーしでも、好きだと、言って欲しーいでーす」
「うん……俺も、アンタが良いよ。アンタじゃなきゃ、嫌だ」
 オズワルドの言葉に心底嬉しそうに笑うフラーの顔は、多分、オズワルドが知るどの顔よりも可愛かったと思う。土くれに汚れても、上等なドレスに千切れた草が張り付いても、それでも彼女は楽しそうに笑っている。誰かが窓を開けたのか、会場からは妖女シスターズの激しいロックミュージックが流れている。オズワルドは軽くローブに着いた汚れを払って、フラーへと手を差し伸ばした。
「踊ろう、デラクール」
「……フラー。なまーえで呼んで下さーい」
 オズワルドの手を取って、フラーがまた笑う。彼が返事をする前に掴んだ手をぐいっと引っ張ってくるりと回り、月光に銀の髪を靡かせて踊り始める。このまま時間が止まってしまえばいい、なんて、オズワルドは初めてそんな夢見がちなことを考えた。
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