出会った日


 別段寒い時期に校内に足を踏み入れた訳でも無かったが、その部屋は殊更空気が冷えているように感じた。中に潜む獣染みた男の気配の所為かもしれない。それでも、その時のディーノは、何か薄ら寒いものがこちらを監視しているように思えてならなかった。室内に鎮座していた少年は大人と子供のあわいを平気で渡っていくような、妙な奔放さに満ちていて、その未来何て全て思い通りとでも言わんばかりの不遜さが、世界なんて敵じゃないとでも思わんばかりの傲慢さが、何故だか薄ら寒いまでに網膜に焼き付いていた。
 部屋の中にいた子供の名前は雲雀恭弥といった。

 雲雀はとかく扱い辛い子供である。まず第一に、とにかく人の話を聞かない。挙句、暴力的で唯我独尊。並み居る問題児ばかりのマフィア界で生き抜いてきたディーノだが、その中でも彼はとびきりの異端児だと本能的に感じた。ディーノが少なからず抱いていた、平和な日本の中学生という偶像を壊すのには十分過ぎる態度だった。別にそれだけで彼の家庭教師を止めようとは思わなかったけれど、彼が当初思い描いていた教育プランを大幅に書き換えたのは言うまでも無い事である。やんちゃな問題児を矯正させるというより、獰猛な猛獣を手懐ける――――いや、それでもまだ正しくない。猛獣に自分では無く、他の餌をやるからあっちを噛み殺してくれと説得する、という感覚に近い。そして叶うなら、ただ愚直に噛むのではなく牙や爪を使った攻撃のバリエーションを教える。何とも荷の重い仕事だが、仕方がない。可愛い弟分の為だ、と思いながら彼と修行の旅に旅立ったが、結局どちらの修行だったのか分かりやしない。どちらかと言えばディーノが鍛えられた、主に精神力という方面で。その結果、彼は飛躍的に戦闘能力が向上した。底なしの成長だと、素直に関心した。
 その日から、ディーノは彼の持つ特異性に気付いていた。


 雲雀の周りには人が集まる。人嫌いというか、大勢の人の塊が嫌いだと公言しているわりに、彼の周囲には風紀委員が集まっているし、彼に恨みを持つ人間もよく集まってくる。けれど、ずっとそこには居続けない。恨みつらみで集まった人間は言わずもがな、然程の時間もかけずに病院送りだ。そして、風紀委員はよく入れ替わる。いつも彼の傍にいるのは草壁くらいで、あとは大体、見た事のない委員が入れ替わり立ち代わり傍にいる。
 一度、その件についてそれとなく草壁に尋ねてみたことがある。
「……委員長の傍は、様々な危険が伴いますので」
 草壁は歯切れ悪そうにそう言った。その言葉の裏にはまだ何かが隠れていそうだったが、それを探るにはどうにも憚られる。草壁は、そんな表情をしていた。


 雲雀の周りには人が集まるが、それと同じだけ可笑しなことが日常的に起こる。草壁はこれの事を言っていたのか、と理解するのに、余り時間はかからなかった。
 ある日、応接室にいると一人の風紀委員が青い顔をして駆け込んできた。
「い、委員長……!すみません、今日、そ、早退の許可を頂きたく……!」
「……何事?」
「それが……実家の祖母が倒れたみたいで、うち、母子家庭で、母は出張で北海道に……お、俺しか行けないんす、お願いします……!」
 急な話に、人の情に疎い雲雀も流石に許可を出した。

 こんなことが、一か月の間に三回あった。最初の一人以外は風紀委員では無かったが、三人とも、何らかの形で雲雀と関わっていた。一人は校則違反の注意され、自転車とぶつかって全治一週間の怪我を負った。一人は風紀委員と喧嘩して、その日の夜に母親が倒れた。盲腸で手術だったのだという。後で聞いた話、最初の風紀委員は祖母が倒れる数日前に服装について雲雀にきつく注意を受けていたらしい。流石に可笑しい、と違和感を覚えた。一つ一つはさほど大したことはない。それでも、こんなに頻繁に起こるものだろうか。
 その次の月も、同じことがあった。次は四回だった。帰国を挟んだ次の月は二回で、その次は五回になった。元々、雲雀の周囲は本人も含め怪我が絶えない。だから、そんなものだと納得してしまう。それで仕方ないと、完結してしまう。蓋を開ければ、可笑しなことばかりだった。その可笑しなことに連動するように、ディーノは密やかに囁かれるある噂を耳にした。
 基本的に、彼は並盛という土地ではほとんど敵無しだ。広い世界を知らない中学生や高校生、ひいてはある程度の大人にとって、雲雀の強さは圧倒的で質が違うように感じられるのだろう。"ヒバリは神隠しに遭ったから人でなくなったんだ"なんて、そんな話、イタリア人のディーノにはにわかには信じられやしないだろう。実際雲雀は一見そういう怪奇的なものには無縁であるように思えたし、神隠しに遭うこと自体、不釣り合いであるように感じた。周囲を奇奇怪怪な現象に巻き込んでもなお、自分自身が被害に遭うなんて、そんなことは。


 ある日、雲雀が喧嘩をした。それ自体は珍しいことでもない。彼は毎日のように、その愛用の鈍器を血に濡らして帰ってくる。制服に跳ねた血を煩わし気に見やって、そのままソファーに座っていたディーノを無視して着替え始めた。ディーノは最初、「お前はまたやったのか、ほどほどにしとけよ」と呆れたように言葉を漏らしていたが、着替えるためにシャツを脱いだ雲雀の背中を見て、ぎょっとしたように瞳を見開いた。
「ちょ、おまっ、それ……!」
「……?なに、突然」
「鱗みてーな、何だこれ、妙なもんがついて……あれ?」
 一瞬、彼の背中に青白い魚の鱗のようなものがびっしりと付着しているのが見えて、ディーノは慌てて立ち上がり雲雀に駆け寄った。けれど、改めて至近距離で見返してみると、鱗なんてものはどこにもない。ただ、真っ白で一つも傷痕のない綺麗な肌が残るだけである。見間違い、だったのだろうか。ディーノは釈然としない心地を抱えながら、何でも無い、とだけ呟いて身を引いた。このまま近付いていたら、また彼の鈍器が飛んでくるだろう気配を察知したためである。
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