壊れやすいように出来ている



 私と彼は喧嘩をしている。と、言うと何だかシリアスな風に見えるが、実際はそうでもない。でも、喧嘩という表現がいちばん似合うと思う。グリフィンドールの私とスリザリンの彼はよく授業が一緒になるのだが、顔を合わせた瞬間からそれは始まる。

「やぁ、おはようナマエ」
「おはよう、今日も早いわね」
「五分前行動派だからね、僕は。君は……珍しいかな、こんなに早いのは」

 柔らかで人を安心させるような声音が滔々と唇から滑り出す。くすくすと上品に笑い声を零す彼は、当たり前のように寮の違う私の隣へと腰を下ろした。彼に恋する女子生徒からの視線は感じるが、邪魔をしようと周りに集まってこないのは、一重にこれからの展開がお馴染みになってきているからだ。ここ数ヵ月で私達の喧嘩に割って入る勇者はかなり少なくなってきている。隣り合った彼と視線が合えば、それは大抵、勝負開始の合図になる。

「……そういえば、今日の午後は暇かい?」
「暇だけど……なぁに?」

 授業開始まで後数分。徐々に集まる生徒達の話し声の合間を縫って、彼がそっと声を潜める。別に人目を忍ぶ必要性も無いのだけれど、これは彼の手法だ。女子は秘め事に弱い。特に、学校一の人気者との内緒なんて格別だ。秘密めかしてその優越感を擽らせ、自分に気持ちを向けさせようとする。勿論、私はそんなことは知っている。そして、私が知っていることを知りながら、それでも彼はその手法を使うのだ。落としたいと目論んでいることを、如実に伝えるために。相も変わらず上手なおとこだと常々思う。お上品な口振りで、繊細な指先で、暴力的に暴こうとする瞳を上手に覆い隠してしまう。そしてその断片だけを私にちらつかせて、手招くのだ。作り物みたいな面立ちが、もっと見たい?と厄介に笑う。

「午後って、授業が無いだろう。一緒にお茶でもどう」
「あら、貴方にご執心の子達はよくって?」
「僕が君と一緒にいたいんだ、理由なんて、それじゃ駄目かな」
「素敵な口説き文句ね、考えとくわ」

 だけどその瞳に、私は頷かない。見たくないという訳ではない、見たいから、見たいからこそ、頷いたりしない。言われるがまま覗き込むのではなく、みずからの手で暴きたい。じょうずに取り繕ったベールを粗野に引き剥がして、むきだしの性根を見つけたい。彼が私を頷かせるか、私が彼を引き剥がすか、これはどちらが先かを競う戦争なのだ。勿体ぶって髪を打ち払う私を見つめて、彼が微笑む。期待してるよ、と潜められた声を最後に、教師が部屋に入ってきて私達の喧嘩は一度終わった。




 Trick or Treat.

 大広間に来るまでに何度も繰り返された言葉がまた頭上を飛び交う。飽きもせず漂う甘い匂いの中をすり抜けるようにして歩いた。もう、仲の良い友人達とは通過儀礼のようにこの呪文は交わし合ってしまった。グリフィンドールやハッフルパフには、何となくのノリで仮装をしている生徒もそれなりにいるが、ハロウィンという行事の意味合いを鑑みれば只人に避けられるべき私達魔女や魔法使いが、何故か同種の避けられるべき生き物の仮装を積極的にしていくのは中々にロックだと思う。私は結局、午後の誘いには乗らなかった。押して駄目なら引いてみろ、なんて言葉が恋愛の格言として常套句に挙げられるように、適度な押し引きは大切だろう。最近は誘いに乗ってばかりだったし、丁度よかった。かくいう彼にも先日一つ断られたので、スパンとしては割合上々だ。ハロウィン色に染められたパンプキン多めの食事を食べ終えた後、雑談に興じる生徒達に混じって同寮の友人達と談笑をしていれば、ふと、近くの女子生徒が黄色い声を上げた。

「あら、リドル」
 周囲を大勢に囲まれた通りがかりの彼を視界に入れて、思わず声をかける。特別用事もなかったが、独り言のように零れたそれを拾って、彼は穏やかに振り向いた。げ、また始まる、と溜息を吐いた友人に関しての文句は後回しにしよう。やぁ、と軽快に返事をしてこちらに歩み寄ってきた彼の後ろでは、さっきまで熱烈な視線を惜しげなく彼に向けていたスリザリンカラーの女子生徒が、顔を見合わせて一歩足を引いていた。嗚呼、こんなに反応をされると、期待に応えたくなってしまうじゃないか、なんて。彼に負けず劣らずの性格の悪い思考が頭に浮かぶ。それを敏感に感じ取ったのか、す、と瞳を細めた彼が、流れるような動きで私の横のテーブルに片手を付いた。

「Happy Halloween」
「Happy Halloween、楽しんでる?」
「それなりにね、そろそろ手持ちのお菓子がなくなりそうだよ」
「あら、流石人気者。律儀に用意するだなんて、相変わらず優しいのね」
「そうでもないよ、ちょっとした勝負みたいなものだ。僕の想定していた数と、実際に声をかけてくれる生徒の数と、どちらが多いか……何てね」
「皆貴方からお菓子が欲しいのよ、それとも、悪戯したい……のかしら?」
「どちらも嬉しいけれど、生憎と今は全勝だよ。誰も僕に悪戯出来た人はいないかな」
「流石ね。……嗚呼、その調子だと、私がTrick or Treatと言っても負けてしまうかしら」
「ふふ、まだお菓子は余っているよ」
「残念、嬉しいけれど、悪戯もしてみたかったわ」

 杖を一振りし、手のひらに羽根のように落とされた一本の薔薇に少しだけ目を見開く。小さくラッピングされたそれは、よくよく見ればキャンディで出来ているのだと遅れて悟った。真っ赤な情熱の、薔薇。私が握り締めたそれを見て、彼が楽しそうに瞳を細める。
「赤い薔薇か、素敵なタイミングだな」
「タイミング?」
「それ、ランダムなんだよ。色んな花があって、色もばらばら。赤い薔薇の数はほんの少しなんだ」
「あら素敵、食べてしまうのが勿体無いくらいね」
 彼らしい気取った仕様にくす、と笑みを零す。はてさて、赤の薔薇が出てきたのは故意か、偶然か。満足そうな彼の笑みに少しだけ悔しくなって、背の高い彼が座った私と会話をする所為で身を屈め、自然と目の前に垂れ下がったスリザリン色のネクタイを掴んで苦しくない程度に引き寄せる。

「ナマエ?」
「本当に、素敵な薔薇。貴方の瞳みたい」
 本日二度目の喧嘩を、吹っ掛けた。唇だけを吊り上げた挑発的な仕草に彼が笑う。
「僕の眼を、食べるの?何だかエロティックだね」
「カニバリズムの趣味でもあるの?私、血生臭いのは遠慮するわ」
「概念の話だよ、僕の一部が君を構成するだなんて、悪くない発想だ」
 話しながら、指先をネクタイに滑らせる。結び目を軽く引っ掛けて、白いシャツと白い首筋の合間を見上げるように視線を送る。テーブルに付いていた彼の手のひらは私の腕へと移動して、握り締めない程度のちからで柔らかになぞられる。彼との駆け引きは倒れない程度の力で殴り合っているようなものだといつも思う。お互い本気になれば一瞬で決着が付いてしまうと知っている。私達の結末はいつだって手が届くところにあったのだ。

「貴方って時々詩的ね」
 呟いた唇を、なぞられる。そうかな、と小さく笑う、その瞳の細め方が好きだった。歪められた唇はそのままに、彼が身体を引き離す。あのままだったら、きっと、どちらが相手を食いにかかっていた。

「……Trick yet Treat」

 離れ際に囁く声音が甘く耳朶を擽る。え、と聞き返す暇も無く、テーブルの中央に積み上げられた小さなパンプキンケーキを摘まんで得意気に笑った。
「これがあるから、お菓子はいらないよ」
 作りたてのそれを整った唇に押し付けて、身を引く。
「また夜に」
 返答も受け付けないというように、ひらりと後ろ手に手を振って、彼が歩き去る。やられた、と、頬杖を付いて溜息を吐けば、照明を反射して赤い薔薇が煌めいた。彼の魔法の名残が残るそれを無造作にテーブルに放る。甘い匂いに囲まれた夜はまだまだ終わらない。

 お菓子はいらないから、悪戯させて。
 彼らしく改変された、ハロウィンだけの特別な呪文。彼が私以外の誰にもあの呪文を使っていないことくらい、知っている。




2016/10/31 Happy Halloween

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