愛しの二十一グラム



※近親相姦、反倫理的描写有り



 トム・リドルには溺愛する双子の妹がいる、というのはホグワーツでは有名な話だった。ナマエ・リドルという名のその少女は、兄に似て、というより兄と瓜二つのおそろしく綺麗な顔をしていて、そして兄と同じく、おぞましく優秀な頭脳を持っている。さらさらと流れる黒髪は腰まで届き、すらりと伸ばされた背は針金で釣り下げられたようにいつでもしなやかに反らされている。瞳は夜の闇を閉じ込めたかのように深くて、覗き込まれるとどこか背筋が寒くなるような色合いだ。白い肌は彫刻のように滑らかで、けれどどこか、寒々しい。彼女は兄と同じ、触れてはいけない不可侵の美を持つ少女だった。
 ナマエのパーツはどれもこれも、兄のトム・リドルを想起させた。揺れる黒髪を見れば、そういえば彼の髪も宵闇のように美しい色をしていたなぁと思い出させるし、指先の細さを目に止めれば、男性的な作りをしている割に酷く細く、長かった彼の指を思い起こす。瞳に至っては、じっと見つめていればまるでリドルに見つめられているような気分にさせられるのだから不思議なものだ。けれど、逆に兄の方を見ても、別段、妹を思い起こすことはない。二人は、不思議な兄妹だった。

「ナマエ」

 朝の大広間に、柔らかな声が響く。彼の声は甘く低く、どこにいてもその声は、不思議なほどによく通った。どんな喧騒の中ででも、きっと彼の声だけは聞き逃しはしないだろう。そんな、特別な声だった。リドルが妹を呼ぶとき、その声は砂糖菓子を煮詰めて蜂蜜に漬けたよりも甘くなる。こんな声で囁かれたい、と願う女子生徒はきっと数え切れないだろう。表情も、声音も、触れる指先も、何もかもがまるで恋人に対するように優しかった。実際、リドルとナマエが共にあるとき、周囲の女子生徒はみなこぞって友達同士で身を寄せ合い、二人の会話に耳を澄ませる。そして甘ったるい彼の声を聞いて、きゃあきゃあと騒ぐのだ。リドルの指先がナマエの腰を抱いて、自分の方へと引き寄せる。ナマエは緩やかなその力に逆らわず、彼の膝へと乗り上げてしっかりとした胸元へと頭を預けた。

「ナマエ、どこに行っていたの、探したんだよ」
「ごめんなさい、兄さま。でも教授に呼ばれてたの」
「教授?」
「スラグホーン先生」
「嗚呼、もしかしてレポートの件かな」
「ええそうよ、よく分かったわね」
「何でも分かるよ、君のことならね」

 淡々と謝罪を紡ぐナマエを後ろから抱きしめて、柔く髪を梳く。あやすみたいに耳の裏を撫でて、睦言でも囁くように微笑んだ。その言葉も笑みも、触れる指先も何もかもが甘ったるい。近くで二人の様子を伺っていた女子生徒が友達の肩を叩いてきゃあきゃあと騒いだ。けれど、そうして女子生徒が騒ぎ立てるような、凶器にも成り得る破壊力抜群の笑みを見ても、ナマエの表情が揺らぐことはなかった。どんな状況であっても、ナマエの表情はほとんど変わることがない。ただ、深海のような深さで、相手をじっと見つめている。兄と違って、言葉を紡ぐこと自体も稀だ。大抵の人間は、このナマエの瞳に気後れして腰が引けるのが常であるのだが、兄に言わせるとそれがとびきり愛らしい、らしい。自分とまるきり同じ容貌をした妹に対しての大絶賛は見方を変えれば大層なナルシストだが、確かにこれだけ整っていれば批判も出来ない。
 それに、同じパーツとはいえ、表情の違いで与える印象は本当に大きく変わるのだ。髪の長さでも、雰囲気は大きく違ってくる。性差の所為か、身長や細さもかなり違った。
 でも、裏を返せばそれだけだ。男性的か、女性的か、その違いだけで、他は同じだった。ふとした時に見せる仕草や口癖だけに留まらず、文字を書かせれば余りに似すぎていてどちらがどちらの筆跡かまるで分からないし、食べ物の好悪から好みまで、ありとあらゆる全てが似ている。それはさながら、女性のリドルがそこに存在しているように。性別だけを違えた、全く同じ存在が、そこに立っているように。双子だから、なんて言葉が免罪符にならないくらいに、リドルとナマエは似すぎている。


「……ねぇリドル、もう幾度も聞かれたことだろうけれど、私からもいいかい?」
「何だい、アブラクサス。何か分からないことでも?」
 深夜の談話室はいつにも増して薄暗い。スリザリン寮特有の水面が窓の外でゆらゆらと揺れて、淡い暖炉の光を反射している。リドルは暖炉の傍に置かれたソファーに座って、一番の特等席を当たり前のように独占していた。その膝にはナマエが頭を乗せて寝転がり、穏やかな寝息を立てて夢に微睡んでいる。その髪を梳く手のひらは、やはり蕩けてしまいそうなくらいに甘やかで、本性を知るアブラクサスからしてみれば、例え血の繋がった兄妹であるとはいえども奇妙な違和感を感じずにはいられなかった。ナマエの寝顔は、やはり見た事も無いリドルの寝顔に酷似している。眠る少女の整った面立ちを一瞥して、アブラクサスは控えめに口を開いた。

「……君達は兄妹にしては、いやに距離が近い。下世話な噂が流れていることくらい、君の耳にも入っているだろう?」
「嗚呼、僕とナマエが男女の関係なんじゃないか、って?中らずと雖も遠からず、ってやつかな」
 さらりと零された返答にぎょっとしたように目を見開く。その反応がおかしかったのか、くつくつと肩を揺らして喉で笑い、リドルは面白そうに眸を細めてアブラクサスを見上げた。
「……何を驚く、半ば確信を持って聞いたんだろう?」
「いや、それでも、君達は……、いや、リドル、君はそういう倫理観を感じない人種だったね」
「おや、失礼な物言いだな。僕だって背徳感の一つや二つ、持ち合わせているさ」
 まるで信じられない軽さでリドルが笑う。背徳感はともかく、彼が罪悪感や倫理観といったものをまるで感じていないのは明白なことだった。軽快に笑みを零すリドルと違って、アブラクサスはそういう公衆道徳的な部分が欠けている訳では無い。これだけ似ている兄妹ならば尚更、明瞭な血の繋がりを感じずにはいられない相手を、そういう対象として見られる感性が理解出来ない。気持ち悪い、とさえ感じる。勿論、口にしたりはしないが、きっとリドルはそれさえ見抜いているのだろう。声を立てて笑う面立ちは少年染みて、肋骨の奥に押し込めた闇の気配なんてまるで匂わせなかった。


 気まずい沈黙が談話室に落ちた。何と言葉を続けるべきか迷っているうちに、ふとリドルがアブラクサスを見つめる。深い、深い、まるで深海のような宵闇が、アブラクサスを見つめている。うっかり足を踏み外したら、そのまま底まで落ちてしまいそうな暗さだった。アブラクサスは急に断崖に立たされているような薄ら寒い心地になって、知らず唾液を呑み込む。
「……お前は、ナマエの体重を知っているか?」
 不意に、何の脈絡もなくリドルがそう問いかけた。質問の意図を汲み取りかねて、少しだけ眉を顰める。早く答えろ、とその瞳が暗に急かすので、アブラクサスは仕方なく視線をナマエへと移して思案する。穏やかな寝顔だ。すやすやと寝息を立てているナマエの頬を、白い手のひらが羽毛のような柔らかさで優しく撫でる。リドルに似ているけれど、やはり彼よりも細くて、そしてやはりリドルに似ているからか、スタイルはよく、さほど重そうには見えない。
「……いや。分からないけれど、そう重くはないんじゃないかな?一般的な女性よりは軽そうに、見えるけれど」
「ふ、……そう思うか?」
 アブラクサスの反応を楽しんでいるように、整った唇が歪な弧を描く。吊り上げられたそれは不気味なほどに笑みが深く、細められた瞳と相まって、ぞくりとするような冷笑を象っていた。にやにやと、薄暗い中でリドルが笑っている。自分の悪事を誰かに自慢したくてたまらないような、子供の無邪気な悪意がそこにある。

「っ……、」

 アブラクサスは本能的に恐怖した。幼い子供が蝶の羽をもぎ取り、千切れた胴体だけでのたうつそれを楽しそうに親に見せてくる、そんな光景に酷似している。そういう、理由のない悪意めいたものが固まって出来た存在だとさえ思った。
 表情を固まらせたアブラクサスに、リドルが笑う。ぱち、と、暖炉の薪が音を立てて燃え尽き、組み上げられていた形が心許なげに崩れた。視線を、彼の膝に落とす。ナマエは未だ眠っている。リドルと同じ顔で、リドルと同じ仕草で、リドルそのものの表情で、眠っている。つう、と、細長い指が少女の頬を辿る。少しだけ骨ばって男性的な、真っ白な石膏のような指が、白亜の肌を張り付けた頬へと触れる。重なった白は、寸分違わず同じ色をしていた。
 ここに来てようやく、気付いた。嗚呼、どうして、今の今まで気づかなかったのか。性別と、目に見える表情の違いの所為で、忘れていた。リドルとナマエは似すぎている。あんまりにも、おかしなほどに、そっくりそのまま、鏡写しのように。二人は同じ顔をしている。気付いてしまったそれを助長するかの如く、リドルは甘やかな秘密を晒すように、ぞっとする声で囁いた。


「……ナマエの体重は、僕より21グラム軽いだけさ」


 おぞましい、その言葉の真意など、アブラクサスは知りたくも無い。ぞ、と、寒々しい悪寒が背筋を這い伝って夜に逃げ出した。立ち竦んだ足首に甲高い笑い声が絡み付く。
「ふ、あは……あはははははは!!!!」
 不安定な笑い声が反響する。たった今まで優しくナマエの頬を這い伝っていた指の甘さはすっかり鳴りを潜め、荒々しい手付きで少女の髪を掴み頭を持ち上げて自分の方へと引き上げた。そっくりな二対の顔が間近に並ぶ。しんそこ嘲ったような瞳はうっそうと細められ、ぞっとする美しさを纏いながらアブラクサスを見やった。

「俺とナマエが似すぎてるって、お前なら一度や二度は考えただろう?双子だからって、そういうものだと済ませたか?なぁ、アブラクサス、少しくらいはこいつに不気味さを感じたんじゃないか?だって、ほら。――――ナマエの表情が変わったところなんて見たことがないだろう?」
 似すぎている面立ち、たった21グラムだけ軽い体重。有り得ない、有り得ない、有り得ない。蓄えられた知識が弾き出した答えに吐き気を覚えて、思わず両手で口元を抑えた。そんな、まさか、いやだって、嗚呼。



 特別なひとだと、思っていた。その場にいるだけで誰もが振り向く絶世の美貌、飛び抜け過ぎた知能と知識、処世術に秀でた立ち居振る舞い、とても孤児院の出だなんて思えない優美な品格、偉大なるサラザール・スリザリンの血統。生まれながらに全てを兼ね備えたこの人は、いつか偉大なことを成し遂げるだろう。罪悪感も倫理観も跳ね除けて、常識なんて置き去りに、彼は不可能を可能にする。
「ナマエは俺のもの。ナマエは可愛い、俺だけの分身さ。……文字通り、言葉通り、寸分違わず。ナマエは俺の分身なんだよ」
 それが魂を分けた双子を意味しているだなんて、そんな楽観的なことは思えない。リドルの指先が、また柔らかな甘さを伴ってナマエの頬をなぞった。
「……同じ白さで、同じ顔立ちで、同じ趣味で、同じ好物で、同じ嫌悪だ。何も違わない、何も変わらない。生まれたときからそう決まってる。だって、ナマエは、あの日――――俺から、生まれたんだから」


 今度こそ、アブラクサスは血の気が失せて、込み上げる胃液にえずいた。
「材料は、そう、何だったかな。水と、炭素と、あとアンモニア。マンガンやマグネシウムも必要だ。他にも色々あるけど、別に人体成分の講義じゃあないし、省いても構わないだろう?あとは僕の血と生贄を一人さ、簡単では無かったけれど、そう難しい訳でもなかった。全部混ぜ込んで、女を一人砕いて、適宜混ぜ合わせて、途中に僕の血も混ぜる。煮詰めると不思議と泥のように固まって、そして人の形が形成されていく……同じ”僕”がもう一人いても何だかややこしいし、女がいいと思っていたら、その通りになったよ。僕にそっくりな顔だった。ちゃんと固まって、喋れるようになったら完璧だ。名前も僕が付けたよ、可愛い娘のようなものだし……まぁ、年齢的には妹だけど」

 場にそぐわぬ無垢な笑みを浮かべて、リドルが笑う。
「だから、一人遊びのようなものだろう?」
 男なら誰だって、自分の手で性欲を処理するじゃないか。ナマエはリドルと同じものなのだから、結局はそれと同じことだ。
「……」
 嗚呼、この男は。誰より強く、誰より賢く、誰より秀でていながら――――誰よりも歪んでいるのか。今更ながらに実感して、笑いが零れる。本当に、何て人に惚れ込んでしまったのだろう。着いていくと決めた主君は、思考回路も実力も何もかもが桁外れだった。そもそも、幼い子供の頃合に自分の分身を作り出そうとするなど……おまけに、それに成功してしまうなど、常識外れにも程がある。まるで化物だ。
「君には、本当に……」
 最初の作品だから、自分自身のようなものだから、だからリドルは、ナマエにあんなにも優しかったのか。ならば甘く接するのもただの一人芝居で、それはただただ寂しい。たった21グラムだけ欠けた人形は、その21グラムが故に人間になり切れない。ならば彼が望むままに、ごっこ遊びに興じるしかないのだ。

「だから、ナマエは僕だと思って扱えよ?折角上手に出来たんだ、勝手に壊したりしたら、誰であろうと許しはしない」

 たった21グラム、されど21グラム。魂の重さとも呼ばれるそれが欠けた人形が、もしも完全体だったならば、少しは何かが変わったのだろうか。なんて、今更もう、考えても栓のないことだけれど。孤独な少年は人形遊びに慣れ過ぎてしまった。

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