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蛇寮の狡猾な少年の場合
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 アラン・クロフォードという名前を認識したのは、彼がロウェナ・レイブンクローの血を引くと言われるクロフォード家の跡継ぎとなった半年前からだった。その頃リドルは秘密の部屋を見つけて一人穢れた血を殺したはいいものの、犯人を突き出さなければホグワーツは閉鎖という状況になってしまい、そうなれば部屋を閉じて誰か代わりを突き出す以外に選択肢は無く、またダンブルドアの監視が強化されたことから再び部屋を開くのは断念せざるを得なかった。せっかく見つけた部屋を閉じてしまい、代わりに没頭していたのは不死の探求と創立者の遺品探しで、クロフォード家になら何か残ってはいないかと考えたのが始まりだった。


 ただ、その人柄が問題だった。彼はレイブンクローとは言っても何処かハッフルパフめいた空気感を持っていて、リドルの取り巻きとは大分空気が違う。優等生だ、凄い、いい人だ……そんなイメージは抱いていただろうが、積極的に近寄っても来なかったし、多分、勘が鋭い人間なのだと思う。あれだけ社交的なアランと、表向きは社交的なリドルに関わりが無かったのが何よりの証拠だ。彼は無意識に、必要以上にはリドルに近付かなかった。こちらから近付く手も勿論考えたが、それだけ根本的に合わない存在を落とそうとなると本気にならねばならないし、何より時間が掛かる。もう卒業まで二年しか無いというのに、遺品があると確定した訳でもない家の跡継ぎにばかりかまけている時間は無い。それでも、何とか彼を利用出来ないかと考えてアランを観察していて、不意に気付いた。彼の視線の先には、いつも一人の女子生徒がある。


「アブラクサス、彼女は?」
「嗚呼……確か、ロザリア・ラトランドじゃなかったかな?聖28一族ではないが、純血。品行方正で、純血らしく思慮深い優等生だよ。我が寮には君がいるから、さほど目立たないがね、騒ぐタイプでも無さそうだし。彼女がどうかしたかい?」
「……アラン・クロフォードが見てる、何か関係が?」
「……、…いや、特別な何かは聞いてないと思うけれど……気になるなら、調べさせようか?」
「嗚呼、無ければ無いで別に構わないから」


 翌週、アブラクサスからもたらされた情報を前に、リドルはどうすべきかと思案していた。アランとロザリアは付き合っている、内密らしいが、ほぼ事実だ。アランには近付けない、懐柔もおそらく難しい。……それなら、ロザリアの方は?
 彼女からの印象は決して悪く無いのは知っていた。時折向けられる視線は大多数と同じ、好意を孕んだものであったし、大方有名な自寮の優等生程度の認識だろう。さほど熱心な視線も、取り巻きのような接触も無いし、加えてアラン・クロフォードと付き合っているのなら、別段リドルに対して恋情も興味も無い筈だ。こういう、漠然とした好意はあるけれども一歩引いた立ち位置の人間の方が、リドルとしてはやりやすい。アランのような相性だと言わずもがなだし、熱心な取り巻きは正直加減が効きにくくて面倒だ。僅かでも与える蜜の量を間違えれば、取り返しの付かないほどのめり込んでしまってリドルですら制御の難しい盲信者となる。欲しいのは忠実な下僕であって、信者では無い。
 ただ、一つ問題があるとすれば、ロザリアを利用してアランを引き込むのにどれだけ時間がかかるかだった。アラン単体で狙うよりは早いだろうが、それでも手強いことに代わりはない。


 それなら、もういっそ強行手段に出るのも一つの手かも知れない。結果としてアランに言うことを聞かせられればいいのだ。聞いたところ、アランは随分とロザリアにのめり込んでいるようだし、こっちを交渉材料にすれば、あるいは。下手に懐柔するより、早く済むのでは無いだろうか。
「……いや、最初からレイブンクローの髪飾りが目的だとバレたら力関係が反転させられる可能性もある。なら……そう、オマケにすれば……付随品にして、代わりの目的を用意して……」
 ロザリアを利用して、アランの支配権を握る最善策は。ただロザリアを人質に取るだけでは足りない、簡単に目的は明かせない。それなら、それなら?

「……ロザリア・ラトランド。彼女をもっと有効活用して……、取り立てて特別なところのない性格なら、情だってあるだろうし、人並の自己保身欲もあるだろうから……そう、彼女だ。彼女を使えばいい、失敗しても、そうすれば僕の目的は悟られない。最初から欲しいのは彼女だって偽れば……」


 "愛"を免罪符に、計画は組み上がった。
 リドルがロザリアを好きで、横恋慕して。そしてアランからロザリアを奪いたかったことにすればいい。最初にロザリアに近付いて、自分の目的は彼女だと認識させる。適当なところでバラして、そうしたらきっと、アラン・クロフォードは突っかかってきてくれる筈だ。そこで手を引く条件にでも提示すればいい、無理でも、適当に口八丁で聞き出せばクロフォード家に髪飾りがあるかどうかの確認にくらいはなる。これなら半年程度あれば十分だ、最初はロザリア・ラトランドに近付くだけだから、他のことも同時進行出来る。時間も無駄にならない。



 ロザリア・ラトランドは計画の要だった。手段は乱暴だったけれど、ある意味大切にはしていた。彼女の扱いを間違えれば、全てが破綻してしまう。一番の懸念事項は、リドルが途中で恋情を匂わせたときにこちらに心変わりされてしまうことだったが、それも半年間の扱いに気を付けてずっと自分を憎んでいてくれるように細心の注意を払った。犯した相手に好かれないようにと気を付けなければならないなんて心底馬鹿らしいと自分でも思うのだが、冗談と笑い飛ばせない程度には影響力のある容姿なのだから仕方ない。この顔でなければ、こんなふざけた懸念は無かっただろうなと一人嘆息した。


 嫌な予感を感じ始めたのは、12月のダンスパーティの頃合からだった。スラグ・クラブのクリスマスパーティに呼ばれていたリドルは、さてパートナーをどうしようかと思案していた。別にパーティになど何の興味もないが、優等生という地位を保つ為には顔を出しておかないと問題がある。となると次に問題になるのはパートナーで、自分のブランドを保ちつつ、余り騒がしくない相手を選びたい。一瞬だけ、ロザリアの顔を思い浮かべたが、すぐに振り払った。彼女はアラン・クロフォードとパーティに行く、付き合っているのだからそれで当然だし、リドルとロザリアがいきなりパートナーになんてなったら大事だ。結局、悩んでいた間に自分から誘いをかけてくれたグリーングラスの女子生徒をパートナーに選んだ。誰でもよかったし、彼女ならば純血で、そして地位もある。こちらに恋情を持っているのは分かりやすかったが、暴走して貞淑な態度を崩さない女であるから、断る理由は無かった。


 でもその時、彼女と目が合った。まるで浮気がばれた男みたいに、不自然に心臓が高鳴る。自分自身のその反応が信じられなくて、驚きに目を見開いた。何で、どうして。どうして自分が、見つかったことに気まずさを感じる?確かに彼女が好きなふりをして恋情を偽っていたけれども、本気だった訳じゃない。なのに、どうして。

 結局その場は、訝し気にするグリーングラスの女に取り繕って頷く。"好きだ"なんて慣れない嘘を吐いていたから、引っ張られただけだ。きっとそうに違いない。そうでなければ、彼女がいなくなった後の空間にまで、無意識に目をやってしまうなんて、有り得ない。


 でも、可笑しな感覚はその後も続いた。何をとち狂ったのか、金曜日の夜には自分が誘ったらパートナーになってくれたか何て意味の解らない言葉が勝手に滑り落ちたし、挙句の果てには、グリーングラスにロザリアの面影を一瞬感じて、誘いに乗ってしまった。面倒になるから、そういう誘いに乗るのは極力控えていたのいうのに、一体どうしてしまったんだろう。恋情と快感に蕩けたその瞳は、きっとロザリアのものとは違うのに、ちらちらと彼女の目が脳裏を掠めて、堪らない。だってロザリアは自分になんて恋情を持っていない、グリーングラスとは違う。
 ……もしも、ロザリアが自分に恋情を持ってくれていたら、こんな目で見てくれるのだろうか。

「……トム?」
「……、リドルと呼んでみて」
「リドル……?」

 声は違うけれど、似た高さだった。でも、同じ名前で呼ばれたそれがきっかけだったように、一気に現実に引き戻される。ロザリアじゃない。彼女はこんな声で鳴かない、彼女は好きだなんて言わない。どんなに蕩けても、泣く程感じても、決して、その一言だけは。
「……」
 冷たくなって、冷えていく。後は義務的に行為をこなして、さっさとパーティに戻った。パーティの最中も、視線がロザリアを追う。完璧に、可笑しくなってしまったとしか思えなかった。


 全部振り切る為に、休暇明けには終わらせるために動いた。でも少しだけ惜しくて、壊す前に一度だけ、ロザリアを夜のホグワーツに連れ出した。情が移った訳ではないけれど、多分、思ったよりも心地よかったのだと思う。楽しかった、走り回って、笑い合って。キスをしたのも、自分がしたいと思ったからだった。ロザリアは珍しく拒まなくて、少しだけ機嫌が高調したのが自分でも分かる。

 終わらせれば、もう彼女とこうして会うこともなくなる。身体を重ねることも、キスすることも、最初は手段だった筈なのに、惜しいと感じている自分がいるのが不思議だった。繋がりを絶てば、それで終わる。自分はそんなに何かに執着する人間ではない。終わらせようと思っていた、それは嘘ではない。


 それなのに、ロザリアが見抜いてしまうから。本気になったら困るのはお前だと言われて、咄嗟に頷けなかったことにも見て見ぬふりが出来なくなった。どうして駆け引きが終わった後も関係が続かないかと思案したのか、考えざるを得なかった。
 ロザリアの感情を覗いて、愛しいなんて暴力的な感情に殴られて、可笑しくさせられた。完璧に、言い訳も出ないくらい、狂わされた。騙されていたとその時察したのに、そんなことよりも、彼女の中の大きすぎる感情に振り回されて、圧迫されて、呼吸が出来ない。

 アランといるロザリアに苛立った。どうして、お前は僕が好きなんだろう。なのになんでそんな男といるんだ。そんな理不尽な感情に支配されて、感情のままに彼とロザリアを引き離した。これが嫉妬というものなんだって、後で知って苦々しい気持ちを味わう。どこまでが彼女の計算だったのだろう、もしも開心術を使うタイミングさえ図られていたんだとしたら完璧だ。彼女の感情を覗いて、リドルの心は自分でも笑えてしまうくらいに揺らいだ。ロザリアが演技通りアランを好いていたなら、こんなに執着なんてしなかったのに、なんて考えても仕方のないところで憤りさえする。


 余りに胸が掻き乱されて、ぐちゃぐちゃになって、いっそ殺してしまいたいとさえ思った。いや、実際に殺そうと思った。後のことなど何も考えずに、ただただこの女を目の前から排除したいと、それだけに思考が塗り潰される。殺せ、さぁ、殺してしまえ。



 ――――そして殺せなかったとき、リドルは自分の敗北を実感した。
 レイブンクローの髪飾りを捨ててまで彼女を選んだこと、後悔はしていない。あれは確かに希少な遺品だったけれど、本物だった証拠はまだないし、遺品よりもある意味自分を騙して勝ち抜いた女の方が希少だろう。だから、これでいいのだと思う。手にしたら二度と離さない、死ぬことも許さず手元に置く、穏やかな甘さの裏でそんな狂気的なことを考えているなんて、きっと彼女は知らないのだろう。


 知っても、自業自得だと笑ってやるけれど。
 闇の帝王だなんて呼ばれる男を手に入れた代償を思い知れ。

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