02

ナマエの騒動の件は国を隔てて母国にも伝わり、学校は退学で、後継者を降ろされることになった、という噂は風よりも早くホグワーツ中に伝わった。中には諸手を上げて喜ぶ者、自業自得だと笑う者、流石にそれは可哀想だと同情する者……様々な人間がいたが、オリオンとアルファードはそのどれにも当てはまらなかった。彼らは、純粋にナマエを心配していた。


「五月蠅い…!先輩のことを何も知らない癖に、あの人の家名に取り縋っていたくせに、今更みっともなく騒ぎ立てるな!見苦しい!」
騒ぎ立てる取り巻きに対し、オリオンは珍しく声を荒げて怒鳴っていたし、アルファードは表向きには平常通り振る舞っているものの、彼女の帰国を嗤う女子生徒に、余りいい顔はしていなかった。

この頃にはアブラクサスやシグナスも大分心の整理が付いていて、心配、というよりも、彼女が帰ってしまうことに対して僅かな寂寥を覚えていた。ナマエは確かに、同じ場所に生きた同じ立場の人間に対して、確かな痕跡を残していたのだ。


人知れずナマエがホグワーツ城を後にしたのは、彼女が女性と発覚してからおよそ二週間後のことだった。




「……こんな終わりか」
深夜、ナマエはトランクを引き摺り、一応元には戻った身体を黒いマントに身に包み城の正門の前に佇んでいた。ここから教師に付き添われてホグズミードまで向かい、そこから煙突ネットワークでロンドンまで戻る手はずになっている。広場まで向かえば、そこには家から迎えの者が来ている筈だ。

改めて、ホグワーツ城を見上げる。大きくて、広い。何だかんだ言っても、ナマエはここが好きだった。これも見納めか、と思えば、自然と瞳が潤むのも自然現象だろう。最後に、目に焼き付けておこう。忘れてしまうことのないように――――永遠に抱えて生きていけるように。

「さよなら、ホグワーツ……、って、え?」


さよなら、と。全て振り切って出て行こうとしたのに、タイミングよく見知った黒髪が現れて、ナマエは溢れかけた涙を引っ込ませて瞳を見開き素っ頓狂な声を出して思い切り男を指差した。


「お、おま……っ!?えっ、何してるんだ!?今何時だと思ってる!?」
「それはこっちの台詞だよ、こんな時間に発つの止めてくれないかな、眠くて仕方ない」
「今の僕の現状からして昼間に出て行ける訳ないだろ……!?っていうか!何で!何してんだよ!何で、それ……っ何で、お前、その荷物……」
「嗚呼、これ?これでも纏めたんだけど、案外本の量が多くて。まぁ減らした方だから、残りはアブラクサスに押し付けたから」
「違う!そうじゃなくて……、っ、何で、そんな!まるで、今から出てくみたいな…!」

「そうだよ」


重たいトランクを抱えて、帰省時の恰好をしたリドルが飄々と笑う。茫然としたまま動けないナマエの後ろから、音も無くダンブルドアが姿を現し、軽い調子で笑い声を零した。


「揃ったようじゃの」
「先生…!これはどういうことですか!!何でっ、リドルがここに!」
「はて、聞いておらんかったかの。トム・マールヴォロ・リドルは本日付けで退学届けを受理されておるよ、君と同じように」
「は……退学……?」
「まぁ、そうは言っても行く宛てとか無いからとりあえず君にくっ付いていこうかな、と。君んちって名家だったよね?取り敢えず前に言ってたスシが食べたい」
「え、何、はぁ……?どういう、どうなってんだよこれ……」


脱力して、思わず地面へとへたり込む。その様子を可笑しそうに見下ろして、トランクへと頬杖をつき、リドルがにんまりと笑った。愉悦の滲んだ黒曜石の瞳は相変わらず、夜空に負けないくらいに美しい。


「ところで、君ってもう後継者降ろされたんだっけ?じゃあ退屈だろ、家に挨拶言ってから、僕と世界旅行でもどう」
「……いや、あの……いや、僕あの、帰ったら結婚……」
「血を遺す為?じゃあいい相手がいるじゃないか」
「は……?」
「いるだろ、目の前に。スリザリンの末裔様だぞ、おまけに頭も才能も顔も良い、優良物件だと思わないか。今なら格安で売ってやる」


リドルが、笑う。
不遇な状況を掬い上げてくれるその佇まいは、まるで幼い頃に触れた物語の王子様のようだった。そんな称号、誰よりもこいつには似合わないっていうのに、どうしてそんなこと思ってしまったんだろう。今この瞬間、確かに、リドルはナマエにとっての救世主だった。

茫然とその、おぞましいまでに美しい顔を見上げて、ナマエは泣いているみたいに笑った。


「……はは……嗚呼……そりゃあ、いい、買い物件だな……」
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