02

 とろん、と、ナマエの眸が蕩けた。ぱちぱちと不思議そうにリドルを見詰めて、まるで夢か現か確かめるみたいに片手を伸ばし彼の頬へと触れる。リドルは大人しく自らに触れて来る手のひらに従って、素直にその手のひらへと頬を預けた。
「……私……」
「ナマエ、教えて。僕をどう思ってる?」
「嗚呼、私……何てことしてしまったのかしら!どうして私が貴方の部屋にいるの?やだ、しかもベッドに!待って嘘でしょう!?今日何にも準備してないわ!」
 先程とはうって変わって奇妙なところで慌て出したナマエにリドルは声を立てて笑う。恥ずかしそうに身を引こうとしたナマエの腰を捕まえてぐっと思い切り引き寄せた。

「いいよ、そのままで。それより質問の答えは?」
「よくないわ!大好きな貴方といるのに、私ったら何でこんな適当な服にしちゃったの……!嗚呼リドル誤解しないで、いつもはもっと、あの、ちゃんとしてるのよ、本当」
「知ってる、いつもちゃんと揃ってるよね」

 先程の会話を全て忘れたかのように、ナマエはリドルへと身を預ける。恥ずかしそうに、否、自らの失態を悔いるように顔を覆う様は、いつも彼女がアランへと向けていたものだった。好き、と笑う表情も、触れて来る指先も、伏せられた睫毛も、何もかも。嗚呼なんて、気分が良いんだろう。

 今まであの男へと向けられていた感情が、愛情が、執着が、そっくりそのまま自分へと向かってくる。熱っぽく潤んだ視線が此方を射抜くのが、堪らない。――――嗚呼、気持ちいい。
「……ナマエ、僕が好き?」
「ええ、大好きよ」
 柔らかくて、穏やかで、でも、何処か苛烈な。熱くて蕩けてしまいそうな感情に包まれる。嗚呼、愛しい、暖かい、気持ちがいい。このままナマエの感情に包まれて、心地よさに微睡んで目を閉じてしまいたい。開きっぱなしだった小瓶の蓋を閉めて、立ち昇る螺旋状の湯気を閉じ込めた。
「……いい匂い、これなぁに?」
「試作品の、魔法薬だよ」
「へぇ、流石ね、やっぱり貴方は凄いわ」
「ありがとう。完成したら君にあげるよ、気分が良くなる薬だから」
 戯れるように頬へと擦り付けば、くすくすと笑ってキスを返してくれる。身体を引き寄せて抱き締めれば、背中に腕が帰って来る。こんなにも心地いい触れ合いは、他に無い。


 振り向かせる過程もこちらを見させる手腕ももう要らない。必要なのは魔法薬の小瓶と、魔法薬学の腕だけだ。材料はいくらでも貢ぎに来る奴がいる。




 ――――後日、ナマエはアラン・クロフォードに別れを告げた。

 唐突な話で相当揉めたらしいが、今のナマエはリドルしか見ていない。そして、リドルとナマエが付き合ったという話も、これまた相当に城内を沸かせた。しかも、アランと揉めたままに付き合ったものだから、女子の非難は相当のものだった。酷いものだと、女子に人気のアランと付き合っておきながらリドルにも手を出したビッチ、だなんて陰口を叩かれている。校内一の人気者と、リドルには及ばずともそこそこ人気の高いアランと付き合った遍歴があるのがら、半ば当然の嫉妬だった。
 時には呼び出しを受け、魔法で傷を付けられたり、古典的に水をかけられたりといった嫌がらせを受けることもあるが、ナマエはまるで気にならないかのように笑っている。リドルの調合した愛の妙薬の効果は絶大で、今のナマエにとって興味関心があるのはリドルただ一人になっていた。異常な執着心を抱かせる以上に、その他への関心を著しく削いでいる。最早病的なまでに、リドル以外を見ていない。人が変わったようなその変貌に、嫉妬を抱く必要のない男子生徒が訝しんでいる事実もある。


 でも、それ以上に、周囲の関心を引いているのは、実はリドル自身だ。今までの、誰をも差別しない公平な態度から一変、ナマエを酷く特別扱いしているその態度は、病的なナマエの様子と相まって少々異様ささえ感じる。
 二人して変な薬でも飲んでしまったんじゃあないのか、なんて。半ば冗談交じりに、関係の無い男子生徒達が笑っていた。



 ところで、リドルはナマエに薬を飲ませるとき、必ず自らの唇を用いている。一度口に含んだものを、すっかり従順に呑み込むようになったナマエに口移しで与えている。一度自らの咥内に含んだものを、全く取り込まずにいられる人間なんて、この世にどれだけいるのだろうか。
 ――――アモルテンシアは対象に異常な執着心をもたらす妙薬だ。支配していると思っている側が、無自覚に支配されて。無自覚に支配されている側が、これまた無自覚に支配して。それを滑稽と知る者は、誰もいないのだけれど。

 それでも二人は確かに幸せだった。






2017/04/01 April Fool's Day
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