終幕


 目が覚めると、妙に造りの丁寧な天井のある部屋に丁寧に寝かされていて、シイナは一瞬此処がどこだか理解に遅れた。
「……」
 此処は、嗚呼、ええと、何処だっけ。あの天井、そうだ、見たことがある。此処は実家だ。それで、如何して実家で寝ているんだっけ。確か、ホグワーツは夏休みで、叔父の訃報があったから帰省することになって、リドルも一緒に着いてくるって言うから一緒に日本に来て、それから――――。

「っ……!」

 その瞬間、はっと今までの記憶が戻って大急ぎで布団を跳ね上げ身体を起こした。嗚呼そうだ、こんなところで寝ている場合じゃない。リドルは、彼はちゃんと戻れたのか。慌てて外へ駆け出そうとするも、その前に反対側の襖が開けられ顔を見せた使用人がきゃあと大きく悲鳴を上げた。
「若様!お体に障ります、どうぞお戻り下さいませ!」
「うるさい、そんなことより、リドルが……!」
「彼も無事ですよ」
 シイナが声を荒げると、使用人の後ろから入ってきた医師が安心させるようにそう言った。その言葉にはっと振り返り、真偽を確かめるような瞳で彼を射抜く。医師はそんなシイナに笑い掛けながら、次いで言葉を零した。

「いやぁ、本当に大騒ぎでしたよ、昨日から貴方方の姿が見えなくって、旦那様も大層心配なさっておりました。おまけに、捜索してたら神社に祀ってあった鏡が消えた、なんて報告まで舞い込んで来るんですから、いやはやもう一睡も出来ず」
「っ鏡!?やっぱり鏡が祀ってあったのか、いや、でも、無くなってたってどういう……」
「その辺の詳しいことはよく分かりませんが、結局貴方達は朝方、神社の池で見つかりましてね。それがまた、ちょうど発見場所の近くを探してた奴が池の前を通って、ちょっと違う方向を向いた途端に水音がして、そんで二人が倒れてたっていうんですから不思議なもんですよ。鏡も、これまた見つかったことは見つかったんですが、貴方達の傍で粉々になってたんです」
「こな、ごな……」
「若様より先に目を醒ました継承者様の話では、どうやら継承者様が壊してくれたらしいですよ。いやぁ、我々の誰も手が出せなかった呪鏡を壊してしまうなんて、あの方の実力は本物ですな」

 ははは、と陽気に笑う医師をよそに、シイナは聞かされた事の顛末を茫然と反芻していた。訳の解らないことばかりだが、とりあえず、無事に終わった、という事だけは確からしい。
「さぁさ、とりあえずは横になっていて下さい。先程の使用人が連絡に行きましたから、もうすぐ継承者様がおいでになりますよ」
 朗らかな医師にそう諭され、シイナは渋々ながら再び布団の上へと横になる。嗚呼。そうか、終わったのか。壊されてしまったということは、もうあの鏡もいないのか。診察されている間、シイナの頭はそれだけに埋め尽くされる。別に、寂しいとか、罪悪感を感じている訳では無い。終わったことだ。それに、あれをどうにかしなければ帰れなかった。だから、これで良かったんだと思う。その気持ちに嘘は無い。
「……ふむ、とりあえずは大丈夫でしょう。しかし念のため、今日一日は安静にしていて下さいね」
 そう言って下がる医師を見ながら、思う。嗚呼帰ってきたのだ、と、今更ながらに実感する。嗚呼、戻って来られて、本当に良かった。




 後日、回復した後で聞いた話によると、あの鏡は代々神社に祀られているものらしかった。あの空間でシイナが予想した通り、神具やご神体としてでは無く、見ると気が触れる呪いの鏡として悪名高かったそれのお祓いを依頼されるも、どうしようも出来なかった先祖が応急処置として祀り、祀るという名目の元幾重にも封印を施したらしい。後継者であるシイナにそれが伝えられていなかったのは、先祖にそれを聞いて面白半分で覗き込み、本当に気が狂ってしまった若い後継者がいたらしく、以来真実は成人してから伝える、という決まりがあったからだった。あの鏡が曰く付きであったことは分かったものの、結局中に何が棲み付いていたのか、そもそも鏡が意思を持ってしまった付喪神のようなものだったのか、それすらも分からず謎の儘だ。姿も口調も全てリドルを真似ていたから、本来の姿も何一つ分からない。でも、怪異ってそんなものだと思う。多分、分からないから怖いのだ。

「……結局、"僕を孕め"って言ってたあいつの言葉、何だったんだろうな」
「……、…あれは……君を孕ませて、君の胎を使って現世に出ることで、封印から解放されようとしてたみたいだよ」
「え?」
「君が本当は女だって、あいつは知ってたんだ。でも男として生きてることも、知ってた。性別の曖昧な君を使えば、境界線を作り出して外に出れると目論んだんだろうね。僕が白無垢を着ていたのも、多分性差を歪めて曖昧にして、僕を取り込む為だったんだろう」
「……お前を、取り込む……」
「欲しかったんだよ、僕が。外に出て、タチバナの連中と争っても勝てる、器が」

 神社の方を見ながら、縁側に腰掛けてリドルが語る。リドルは、どうやら融合させられていた間だけ鏡と思考を共有していたらしく、彼の思考の断片が残っているらしい。互いの思考がぐちゃぐちゃに混ざって、それで苦しんでいたのだと言う。要は二重人格のような状態で、根っこを繋げられて表面に出る枠を奪い合っていたのだからその苦痛は壮絶だ。そんな苦しみに打ちのめされてもなお、杖も無しに鏡を壊した意地は尊敬に値する。
 そういえば、失くしてしまったと思っていた杖も、制服と共にきっちり神社の中で見つかった。杖を使われたらまずいと思って鏡が現世に放り出していたのが幸運したとリドルは言う。


「はぁ――…とんだ夏休みになったな」
「本当に。嗚呼、全く、日本って怖い国だよ」
「ふっざけんなこれが日本の日常だと思うなよ馬鹿野郎」

 ちりん、と、縁側に吊るされた風鈴が鳴く。それはあの神社で聞かされた鈴の音を思い出させて、少しだけ二人の背を寒くさせた。夕陽が山へと沈んでゆく。夜が、道端の隅からじわじわとコンクリートを侵食していく。黄昏時が、来ようとしていた。


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