あの日から私と雲雀は時々身体を重ねるようになった。前のように時々話をする空気感はそのままに、話の合間に性行為が挟まったような感じになっている。雲雀が風紀を重んじる故に校内でそういうことをしたことはないが、でも一度だけ、中庭の隅でキスをされた。その時私は一人忍んで本を読んでいて、体育館の方からやってきた返り血塗れの雲雀に驚く暇もなく肩を掴まれ一瞬で唇を奪われ、深く重ねるでもなく一度噛み付いてから離された。一体何事かと問う前に「暇なら、今夜六時に」とだけ囁いてそのまま雲雀は校舎の方へと去っていく。
 その日の行為はいつにも増して激しかった。そういえば、何度か行為を繰り返すうちに、雲雀は上手に理性と本能のバランスを保つ術を学んだようだった。最初の日のようにほとんど理性だけにしなくとも、最低限の力加減さえ忘れなければ問題は無いと感覚で覚えているらしい。始まりの疑問は「悪くはない感覚」という結論で落ち着いたようだ。その日によって、ぐらつく理性の揺らぎを楽しむか、本能任せに快感を貪って獣に堕ちるか、気分次第で異なっている。案外己の中の駆け引きを楽しむことも好んでいる男にしては珍しく、あの日は最初から意図的に理性をかなぐり捨てていた。噛み付いて、奪って、突き上げる、性欲に溺れただけの情交。別にそれが嫌いな訳ではないし、むしろ雲雀より私の方がそれを好んでいるとは思うけれども、一体何があったのだろう。結局真相は謎のままだ。

 雲雀は私としたい時、大体は私が一人でいるときを見計らって、暇ならこの時間に部屋に来て、と言う。極稀に、学校の外ならキスをする。私は頷いて、都合が合えば指定された時間に雲雀の部屋に行く。或いは、キスに応えてそのまま一緒に部屋に行く。雲雀のベッドやソファで身体を重ねて、基本的にはシャワーだけ借りてそのまま帰るのが通常だ。中学生がそう何度もお泊まり出来ない。例外は三交代の仕事に就いている両親が二人とも夜勤で家にいない時で、そういう夜は大体雲雀の家に行く。わざと雲雀の前で一人になる日を零しておくと、雲雀は大抵家にいて、黙ってインターホンを鳴らす私をいつもの無表情で出迎える。偶に都合が合わないときは、雲雀は当日に校内で私を捕まえて、わざわざ違う日の誘いをかける。それが一種の合図だ、直接的な言葉を使わない密会のようなやり取りは私を酷く楽しませた。雲雀が首筋に残した赤い痕をそっと指先でなぞる。ちょうど制服の襟で隠れるように、鎖骨の近くに残されたそれはいわゆる所有印の類だったけれども、そういう意味で使っている訳じゃないのは暗黙の了解だ。私だって時々雲雀の肌に赤を残すけれど、別に雲雀を所有したい訳じゃない。むしろその真逆だ、私は私の所有どころか彼を縛り付ける一切合切の形容詞すら疎んでいる。雲雀には自由が似合う、その名のように、大空を羽ばたく自由な鳥になって、ただひたすら自由に飛んでいればいい。
「……何してるの」
「こんにちは雲雀さん、雲雀さんには空が似合うなぁって考えてたんですよ」
「何それ、こないだは雲見て似たようなこと言ってなかったっけ?」
「言ってましたね、雲雀さんには雲も似合いますよ、何せふわふわしてますし、加えて気付いたらどっか行っちゃいますから。ほら、ぴったり」
「……それはどうも。ほらもう下校時間だから出て、邪魔」
「はぁい」
 雲雀なら眩しい朝焼けも、午後の青さも、夕暮れの寂しさも、夜のさやけさも全部似合うよ。追い立てられるようにして教室を後にしながら、私はそっと窓の外を見た。夕陽が目に眩しい。私はすうっと瞳を細めて施錠している雲雀へと視線を移した。
「もう夏ですね、雲雀さん」
「そうだね、暑いのは好きじゃない」
「私もです。嗚呼でも、プールは好きですよ。あとは夏祭りとか、花火とか」
「ふぅん……君は肝試しで活躍しそうだね」
「まだ引っ張りますか人体模型ネタ、そろそろ名前覚えて下さいよ」
 私は雲雀の少し先を歩きながら廊下を踏み潰した。力強い夕焼けが尾を引いて世界を舐る。橙色に染められた世界を私は歩く。誰の気配も無い静かな校内は何だか別世界のようで、このまま帰ってしまうのが少しだけ勿体無かった。相変わらず私を人体模型と認識している雲雀に小さく笑って暑さの篭った襟を摘まんでぱたりと仰いだ。明日もきっと晴れだろうなぁ、何て考えながら軽快に廊下を蹴ったその瞬間、雲雀は普段と比べると少し小さな声で口を開いた。

「舞原祐希」

 ほとんど衝撃みたいな感覚が私の頂点を突き抜けて、全身を覆った。雲雀の綺麗な唇が今何と言ったのか、脳味噌の処理が追いついていない。思わず立ち止まった私を追い越して、雲雀は顔だけで振り返った、真っ赤な夕陽が彼の黒髪を彩ってぞっとする陰影を描き出している。雲雀は薄っすらと、まばゆさで瞬きをしてしまえば、その瞬間に掻き消されてしまいそうな軽さで静かに笑った。
「とっくの昔に覚えてるよ、君の名前くらい」
 夕陽が目に痛い。私はほとんど衝動的にふらりと歩み寄って、雲雀のシャツを掴んだ。背伸びをして唇を押し付けてみても、雲雀は抵抗しなかった。しなやかな両腕は体躯に沿ってぶらんと両脇に吊るされていて、少しだけ下へと傾けられた首の角度が雲雀の唯一の気遣いだ。そういえばキスする時も身体を重ねる時も、雲雀に抱きしめられた記憶がほとんど無いなぁとぼんやり思う。数少ない記憶も深まったキスの最中か、或いは体勢的に必然とそうなるかで、それこそただの抱擁を受けたことなどない。私は唇の角度を変えながらそっと視線を上向かせて彼の面立ちを伺う。雲雀は相変わらずの冷えた白皙でそこに佇んでいた。夏は雲雀を重宝したい季節だ、この顔を見ているだけできっと暑さなんて飛んでいく。今日もまだクーラーなんて付けないでしようよと口付けの合間に小さく囁けば、雲雀は小さく笑って私の顎へと手をかけた。

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