雲雀は私に触れるたびに細い、という。夕陽を見て赤い、というような、何の感慨も感じさせない声音は私を少しだけ置き去りにした。栄養を拒絶する私の身体は同年代と比べて余りにも肉付きが悪く、突き出した骨が肌を押し上げている。触れるだけで肋骨の形が分かる腹を見て、いつだったか、雲雀は鳥籠みたいだねと言った。「鳥籠?」と聞き返すと、うん、といつものような抑揚のない声が返されて、その後に、「空っぽの、鳥籠。きみは腹の中に何を飼ってるの」と続く。私は何と答えていいのか分からなくて、曖昧なままに黙った。空っぽ、といったくせに、そのあとに何を飼っているのかと聞く。その、好く解らない宙ぶらりんになったような言葉は不思議と私の中に根付いたままどこにもいけずに今でも私の中にとどまっている。今なら彼の問いに「強いて言うなら、雲雀さんの言葉ですかね」とでも返せただろう。


 雲雀はいつも私を細いと言うけれど、でも、本当に細いのは雲雀の方だ。私はただ不健康なだけである。年頃の中学生らしくたくさん食べるのに全く太る気配を見せない体躯は真白くて線が細く、その腰は女の私が腕を回したってきっと余る。平べったい腹は日焼けを知らず瑞々しくて、武器振るう手は骨張りながらも真っ直ぐで、白魚のようにうつくしく、細い。あんな細腕で、華奢な体躯で、一体何処から大の大人を吹き飛ばす力を捻り出しているんだろう。
 雲雀はおおよそ人間らしくない生き物だった。時々冗談か本気か分からない声音で「僕は君達とは生き物としての性能が違うんだよ」と言っているが、私は半ば本気でそれをそれと受け止めているところがある。そして雲雀は私がそう思っていることにも気付いているらしく、偶に可笑しそうに口角だけを吊り上げて笑う。心まで読んでくるなんて、雲雀は本当に妖怪か何かなんじゃあないだろうか。でも妖怪も似合わないような気がする、じゃあ何だろう、と考えて、分かった。

 彼には名前の付いた何もかもが、一切合財似合わない。そもそも、名を付けるというのは一種の呪縛だ。確か夢枕獏だっただろうか、咲いている花に藤という名前を付けると誰もがそれを藤の花と呼ぶようになる、それが最も身近な呪だと安倍晴明が語る小説があった。雲雀のことを考えたとき、私は唐突にそれを思い出した。彼に呪縛など似合わない、どこかに属して、作り上げられたカテゴリーに収められることなどらしくない。だから、名前のある何かだなんて、雲雀には似合わない。


「雲雀さん、風紀委員長なんて、辞めちゃえばいいのにね」
「喧嘩売ってる?」
 むすりと不機嫌そうに表情を歪めた面立ちはまさしく子供だ。はぁ、と整った唇から熱っぽい吐息がそれだけ別物みたいに零される。いつだって冷たげで冷涼とした面立ちはこんなときでも変わらない。細められた灰青色の瞳が凍えるほどセクシーだ。なのに何でやらしいとかそういう単語とは無縁なのだろう。や、確かに仕草は色っぽいけど、それはかっこいい芸能人とかとも何かが違うような気がする。例えるならば、裸婦画の美人。美しいのに硬質で、そして雲雀の身体は安直な褒め言葉なんて容易く弾いてしまう。この行為だってセックスだのえっちだのメイクラブだのそんな可愛らしいものじゃなくて、交尾と言ってしまった方がいい気さえする。この人は所謂思春期の男子の癖して、動物みたいに恥じらいがない。お腹空いた、と、ねぇしたい、と言う言葉の温度が同じ中学生なんて世界広しといえどきっと雲雀くらいだろう。私は不満そうな顔で私を見下ろす端整な容貌を見上げて誤解を解くべく口を開いた。雲雀と違って、唇を動かすたびに変な声が漏れてしまいそうになるのを必死に噛み殺す。
「そうじゃなくて、雲雀さんには、自由が似合うから」
「……それでどうして、委員長を辞める話になるの」
「夢枕獏が言ってた、安倍晴明の……ッ、ぁ、」
「はぁ?安倍晴明?……嗚呼、陰陽師」
「知って、ます?」
「馬鹿だね、僕がそんなものに縛られる訳ないだろう」
 頭の良い雲雀は断片的な私の言葉だけで先程の言葉の真意を解したらしかった。雲雀、陰陽師シリーズ読んでたんだ、意外と読書家なことは知っていたけれど、何か意外だ。そういえばいつもカバーを付けているっけ、どんな本を読んでいるんだろう。私は雲雀がどうやったら感じるのかとか、そういうことは知っているけれど本の趣味とか、一人の時に何をして暇を潰しているのかとか、そういう日常的な部分を何も知らない。改めて考えれば考えるほど、奇妙な関係だなぁ、と思う。それを素直に受け入れている私も私だ。こんなことしてる癖に、別に私と雲雀は付き合っていない。

「……」
 呼吸を乱しながら何とも言えない顔で見上げていると、雲雀はちょっとだけ得意げに笑って私にキスをした。触れるだけの幼いそれはあんまりにも今の状況に似合わず、ぼんやりしながら離れていく端整な面立ちを見送った。いつでも温度の低い手のひらが腰骨の突き出した腰を掴む。すらりとした指の腹が肌越しに骨をなぞった。
「……君ってさぁ、触るたび痛いんだよね、こう、当たる、骨が」
「すみません……?」
「あとうっかり折りそう、肉付けて」
「出来てたら苦労しません」
 こんこん、なんて音がしそうな調子で指先が骨を叩く。こうやって身体を重ねる行為の特性上、どうしたって互いの肌はぶつかるが、その際に骨が痛い、とは最初の頃から割と頻繁にぐちぐち言われていた。大抵の人間は私の拒食症に対して腫物のように扱うか気遣い過ぎるかのどちらかだったが、彼は多分気遣いというスキルを母体に忘れて来たのだろう。全く慮られた記憶が無い、別にそれが不快という訳ではないけれど、ここまで率直に太れと気にしていることを言われた相手は初めてだ。しかも、セックスの時に痛いだなんて自分本位な理由で。これだけ聞くととんでもなく自分勝手な男のように思えるが(いや実際に自分勝手だという反論は置いておいて)、不思議と、遠巻きに見てくるクラスメイトといるより居心地よく感じるのだから不思議なものだ。本当に、変な男だと思う。案外モテる癖にわざわざただ痛いだけの身体をした私とずっと関係を保っているし、体力が無くて寝落ちすると必ず後始末まで終わらせてくれている。面倒臭く、無いのだろうか。もっと健康でスタイルがいい女子生徒とか、もっと年上の手慣れたお姉さんとか、きっと選び放題なのに、何故自分なのか。それは純粋な疑問だった。相性がいいから、と済まされてしまえば、それまでなのだけれど。

ALICE+