泥より伸ばす


・ホラー展開







『……ん?』


それはとある夏の日の事だった。
中三の夏といえば受験勉強真っ只中。
じりじりと肌を焼く様な日射しと、一斉に降り注ぐ蝉時雨の中。


────私は、駅に立っていた。




















朝、ゆっくりと起き上がり、制服に着替える。
インスタントコーヒーを淹れて、食パンをトースターにセット。テレビの電源を点けた。
ぼんやりとニュースを流し見て、食べ終わった食器を水に浸ける。
歯磨きをして、窓や火の確認。それから施錠しエレベーターへ。
エントランスで擦れ違った下の階の石田さんに挨拶し、マンションを出た。
通学路を歩いて程なく、背後からぽん、と肩を叩かれる。
振り向けば、ゆるりと細められた梔子と目が合った


「おはよォ刹那ちゃん」


『おはよう修二』


「あーだりぃ。暑い日休みとか出来ねぇかなァ」


『それだと夏場は毎日休みだね』


「だってガッコ行くだけで汗かくじゃん、めちゃくちゃイヤ」


『それすると授業と宿題の密度やばくなりそうなんだよな』


「良いじゃん、授業とか宿題とかやんなくても。教科書読めば大丈夫だって」


『コイツほんと純粋に煽るわぁ』


それで判れば皆満点取るっての。
これだから天才は、とぼやく私の隣で。


「──────、」


修二が後ろをじいっと見つめていた事を、私は知らない。















学校が終わり、帰宅する。
気分が乗らないので、今日の食事は十秒で終わるヤツ。コンビニで買ってきた袋を揺らしながらマンションまで来ると、茶髪の男の人が此方を振り向いた


「あ、白露さん。おかえり」


『お疲れ様です』


下の階の石田さんだった。
へらりと笑ったその人に会釈して、集合ポストを見に行く。
エレベーターに乗ると、隣に立った石田さんに話し掛けられた


「白露さんって今年中三だっけ?勉強上手く行ってる?俺教えようか?」


『順調なので大丈夫です』


「頭良さそうだもんねぇ。なんかあったら何時でも言ってよ。じゃあまた」


『お疲れ様です』


またへらりと笑って、先にエレベーターを降りていった石田さん。扉が閉まった瞬間に、愛想笑いを削ぎ落とした。


『…面倒だ』


ああいう私は味方ですと言わんばかりの人間は、苦手だ。何を考えてるのか得体が知れない。
エレベーターを降り、鍵を出す。
暗い部屋はじっとりとした熱気で満たされていて、鍵を閉めながら眉を潜めた。
がらりと窓を開け、扇風機を起動させる。
手洗い嗽をしてリビングに戻った所で、ふと妙な匂いが鼻を擽った。


『なんだこれ…お香…?』


それはどうやら窓の向こうからやって来ている様で、ベランダに漂っていた。
誰かが窓を開けたままお香でも焚いているんだろうか。
ベランダから部屋に戻り、網戸を閉める。
ソファーに座りテレビを点けて、ケータイを手に取った。
……香の匂いは、夜になっても途切れなかった


















──────赤と黒が混ざり合ったみたいな、色だった。
電気を消して眠った筈の部屋の中は、夕焼けに似た色で染まっていて。
身を起こそうとした私の身体は、ぎしりと固まっている。僅かに身動ぐ事すら出来ず、ベッドに横たわったまま。


何故、どうして。


口を動かそうとしても、顎はぴくりともしない。
眼は開いたまま。どんどん眼球が乾いていくちりちりとした痛みが目を襲った。


それでも、動けない。


なんだこれは。どういう状況だ?
懸命に思考を回す中、ふと、視線を感じた。


────いる。


此方からは決して見る事は出来ないけれど。
ベッドの傍、数歩下がった位置から。


此方をじいっと見つめる視線を、確かに感じていた。


『────っ!!!!!!』


がばっと身を起こし、慌てて周りを確認した。
部屋の中は薄暗い。身体も問題なく動く。
ベッドの傍にも、何も居ない。


『……夢、か…』


…寝起き早々どっと疲れが押し寄せてきて、ベッドに沈んだ。
ケータイに表示された時間は三時。
額の汗を拭って、大きく息を吐いた。駆け足のままの心臓を落ち着かせる為に、何度も深呼吸した。
今から寝直すのは……少し怖い。


……あれから結局一睡も出来ず、私は朝の準備を終えた。


戸締まりと火の確認をして、家を出る。
エレベーターに乗り込み、一階へ。
少し重たい頭のまま、エントランスに向かうと、茶髪の男の人が視界に入ってきた。


「おはよう白露さんって……あれ、大丈夫?顔色悪くない?送っていこうか?」


『いえ、大丈夫です』


笑みを貼り付け、足早にエントランスを後にした。
マンションから離れ、ほっとした所で肩を叩かれる。
まさか追ってきたのかと勢い良く振り向いて、目の前が白いシャツである事に気づいた。
そして、思わず安堵の息を吐く。
こんなに大きな男の友達は、一人しか居ない


『おはよう修二』


此方を怪訝そうな顔で見下ろす修二に笑いかけると、大きな手がそっと頬に触れた。


「……疲れてんなァ」


『ん?そんな顔に出てる?』


「ウン。あ、ちょっと肩払うわ。ゴミ着いてンよ」


『え、マジで?』


「動くなよ」


大きな手がぱんぱん、と肩を払っていった。
するとどうだろう、あんなにも重かった身体が少し、軽くなった気がしたのだ。


『なんかちょっと楽になったかも。なに、厄落とし?』


「俺ら厄年だったっけ?」


『さぁ?でも楽になったのは本当。ありがとね』


「ドーイタシマシテ」


ふにゃりと笑った修二に笑みを返し、学校への道を歩き出す。


「──────、」


マンションの方を静かに見つめていた修二に、やっぱり私は気付かなかった
























「おかえり白露さん、学校楽しかった?」


『お疲れ様です。まぁ、そうですね』


今日もまたマンションのエントランスで石田さんに遭遇した。この人が幾つか知らないが、彼の仕事と私の登下校の時間は丸被りしているんだろうか。
あまり話したい気分でもないので、目を合わさずとっととエレベーターに乗る。


「今朝は大丈夫だった?今は元気そうだけど」


『はい』


「そう、良かった。なにかあったら俺に言ってよ。じゃあまたね」


『お疲れ様です』


家に帰り、窓を開ける。
むわりとした空気に乗って、昨日のお香の匂いが部屋に入ってきた。
窓を開けながらお香って意味あるんだろうか。蚊取り線香的な使い方か?
首を捻りつつ、扇風機を回した。











──────赤と黒が混ざり合ったみたいな、色だった。
ぴくりともしない身体に、直ぐ傍からじりじりと感じる視線。
瞬きを許されない目がじわじわと涙で潤んでいく中、ぎしり、と床が鳴った。
滲む視界に黒っぽい何かが映り込んだ、瞬間。


『っは……!!』


……目が、覚めた。


幸運だったのは、この夢を見たのが金曜の夜だった事。今は土曜の朝。予定は入れていなかった。
気分は悪かったものの、二度寝しても問題ない。
溜め息を落として、もう一度布団を被った。
……結局、寝れば寝るだけ同じ夢を見る羽目になったのだけれど。



















「あっつ…」


「だりぃ…」


『あっついなー…』


私達は文字通り茹だっている。
扇子を動かす私の隣で、硝子は鞄で影を作ろうと試みていた。
修二はシャツの裾をばたばたしていた。無駄に綺麗な腹筋を外で曝すな。向かいのお姉さん見てるから


『あっつ…どっかで涼む?』


「マックあるぞ。入るか?」


「行こ〜ぜぇ…暑くて溶けそう…」


私の手を掴んだ修二は真っ直ぐにお店に向かっていた。
店内に入ると冷たい空気に迎えられ、意味もなく唸る。
手早く注文し、商品の載ったトレーを手に席に着いた。
シェイクを飲んだ所で、全員が深く息を吐いた


「クソ暑ィ……なァ刹那ちゃん、家行って良い?」


『なんでよ』


「暑い。うざってェ視線ナシでダラダラしてェ」


「……妙に視線集めてんな」


硝子の言葉で周りを見ると、何故か客が挙って此方に視線を送っていた。
男子は私と硝子、女子は修二を見ている。なんだコイツら暇か?と首を捻り、思考から追い出した


『ウチ今なんにもないよ』


「弁当でも買ってくか?」


『というか流石に三人だと暑いかも。扇風機しかないけど』


「あ?刹那ちゃん家エアコンあったろ?」


『必要ないんで使ってないですね。フィルター掃除だるいし、扇風機でいけるしな』


「「あ゙???」」


呟いた瞬間に、ヤンキー二人がオラついた声を出してきた。
すかさず目の前からネイルばっちりの綺麗な手が伸びてきて、私の下目蓋を引っ張った。隣は無言で右手を取り、手首に指を置く。あ、これ脈測ってるな?
何が始まったのかと目の前の硝子を眺めていれば、おでこをぺちんと叩かれる


『なにゆえ……』


「チッ、貧血気味だ。つーか充血も酷いぞ、ちゃんと寝てるか?」


『んー』


「ダウト。とっとと吐きな」


『…最近嫌な夢見てて、ちょっと眠りが浅いんだよね』


充血で判断はズルくない?擬装難しいじゃん。
ちょっと口を尖らせた所で、隣から優しく髪を撫でられた


「最近疲れてるもんなァ。なんか変わった事とかある?」


『んー……』


最近の事を思い返す。
何か変わった事…そう考えて、一つ思い当たるものがあった。


『そういえば、お香みたいな匂いがするんだよね』


「お香?」


『うん、窓開けてると大体する』


「へェ……」


修二は静かに目を眇めた。
それからゆったりした口調で、ふにゃりと微笑んだ


「じゃあ取り敢えず、クーラー掃除のスプレー買うかァ。あとファブかな」


『「え?」』




















『スプレーとお弁当は判るんだけどさ、なんでファブ?』


「さぁ?」


「刹那ちゃん知らねェの?ファブって除霊出来ンだよ?」


『えっ』


修二と硝子を連れ、家に向かう。
買い物袋を提げた修二が笑って言うのを聞いて、首を傾げた。
ファブって幽霊祓えんの?
え?スプレー吹き掛けたら消えるの?
何だか面白くて笑っていると、マンションの前に着いた。
三人でエントランスに入ると、石田さんが居た。
此方に背を向けていた彼は、自動ドアの開閉に気付いて振り向いた。


「おかえり、白露さ………その子達は?」


何時もの様に笑おうとして、中途半端に失敗したみたいな顔になった石田さんに首を傾げた。


『お疲れ様です。友達ですが』


「へ、へぇ……こんにちは、石田です」


「どうも」


「どーもォ」


ダメだコイツら名乗りもしない。
とはいえこの人とそんなに会う事もないだろうし、まぁ良いか。
二人を連れてエレベーターに乗り込む。
…修二が石田さんをじいっと見つめていた事に、私は気付かなかった。



















家に着くなり、修二は硝子にファブを押し付け、自分はクーラーのフィルター掃除に掛かった。
さっさと蓋を外して二枚のフィルターを風呂場に持っていった長身を見送って、硝子と目を合わせる


『たまに修二って家に住んでたっけ?ぐらい家の物に詳しいの何で?』


「アイツ八割勘で弄ってんだろ。二割ン時は壊れる」


『何それ困る』


窓を開け、扇風機を回した。
修二の作業が終わるまでの繋ぎに開けていると、また何時ものお香の匂いが飛び込んでくる。
それに気付いた硝子が、ベランダから顔を出してきょろきょろしていた


「お香?」


『最近いっつもするんだよね。下の人かな?』


「…あんまり良い気はしないな」


『そう?』


飲み物の用意をしていると、修二が戻ってきた。
フィルターをベランダに出すと、顔を顰める


「うえ、刹那ちゃん良くこんなん吸ってられンな?」


『え、そこまで?』


「んー。…エアコンにゃあんま良くねェけど、俺がヤダ。もう良いや、クーラー点けよ」


「マジか。壊れない?」


「壊れたら俺が買い直すから無問題〜」


『問題しかないな???』


苦笑いする私と呆れた顔の硝子は無視して、修二は外に出したフィルターをエアコンに取り付けた。
蓋を嵌め直してスイッチを入れる。
妙な音がしないか不安だったが、久し振りに目覚めたエアコンは問題なく稼働した


「お、動いた」


「ほ〜ら問題なかったろ?」


『壊れたらそれはそれって考えのヤツが威張るな』


「ばはっ」


窓を閉めると、修二は消臭剤のボトルを手にした。
せっせとファブる姿を尻目に、コップに適当な小皿を乗せて蓋をする


『そんなにあのお香ダメなの?』


「ダメなの。取り敢えずファブって鏖するしかねェ」


「すんごいシュールだな」


「こンだけ汚染されてりゃもうファブった方が早ェんだわ」


部屋中ファブりまくる男を見つつ、馬鹿を見る目を向けていた硝子が此方を見て、笑いかけた


「…まぁ、これで悪夢を見なくなれば良いな」


『そうだね』


…翌日、何も夢を見る事なく起きた私は、修二とファブを信仰する事にした。
















…数日後、郵便物を回収し、エレベーターに向かった。家に着いて届いた物を確認する。
チラシに混じって入っていたものが、ぽとりとラグの上に落ちた。
拾い上げ、首を傾げる


『……なにこれ』


長方形の、赤く染まった小さな紙。
行き先の読めないそれは、電車の乗車券の様だった。
気味が悪いが、捨てるのも何だか怖い。
怪奇現象は苦手なのに。修二に電話…いや、何も起きてないのに言うのもな…
誰かの悪戯だろうと考え直し、結局ゴミ箱に放り込んだ。
明日はゴミの日だし、そのまま捨ててしまえ

















「────今から来る電車に乗ると、酷い目に遭いまぁす」


蝉が合唱する声を聴きながら、呑気にとんでもない事を言い放つ駅員を見る。
帽子を目深に被ったその人の顔は見えない。ただ、何処かで聞いた事のある声な気がした。


良く判らないけれど、これは夢だ。


駅のベンチに座ったまま、滑り込んできた電車を眺める。軽やかなメロディーと共に、ドアが開いた。
それを、私は座ったまま眺めている。


「今来た電車に乗ると、酷い目に遭いまぁす」


駅員が此方に向けてそう言った。
それを聞き流し、ポケットを漁る。そういえば、制服を着ていた。
学校の帰り道という設定なんだろうか。


「…今来た電車に乗ると、酷い目に遭いまぁす」


うん、酷い目に遭うんでしょ?乗らないので次へどうぞ。
しつこい駅員を無視して、指先に触れた物を取り出した。
薄くて、小さいもの。
摘まみ出して目に映し、ひゅっと喉が鳴った


────赤く染まった、電車の乗車券。


「なぁんだ、やっぱり持ってるんじゃないですかぁ」


『ひっ』


ぬうっと目の前に吊り上がった口角が現れた。
腕を掴まれ、振りほどく間もなく引き摺られる。そのままぽっかりと開いたままだった口の中に、放り込まれた


『っおい!ふざけんな!!』


振り向いた時には既に遅く、自動ドアは閉ざされていた。
慌てて駆け寄るも、走り出した電車を止める手立てなど思い付かない。
舌打ちを溢し、席に着いた。
周囲には疎らではあるが、人が乗っている。
皆一様に顔色が悪いのが気になるが、誰かと話したい気分でもなく。
電車がトンネルを潜る。
ライトは珍しい色で、紫の光が車内を満たした。
短いトンネルを抜けると、ぶつ、とスピーカーの音がする


《次は〜、活け造り〜。活け造り〜》


『…は?』


いけづくり?
妙な地名だ、流石夢。
そんな事をぼんやりと考えていると、一番端に座っているサラリーマンが頭を抱えた


「いやだ、もう嫌だ…死にたくない…」


…今妙に、恐ろしい言葉が聞こえなかっただろうか。
思わずそちらに顔を向けた時、隣の車両に繋がっている扉が開いた。
現れたのは私の膝丈程度しかない、四人の男達。
その手に妙にギラつく包丁を手にした彼等は、サラリーマンを取り囲んだ。
次の瞬間、悲鳴が上がる。


「いぎあああああああああああああ!!!!!」


男達の隙間から見えた、それ。
……男の人の胸から下が、綺麗に捌かれていた。
靴のみを残し、脚も胴も、全て等間隔の肉となって、骨の上に並べられている。


それは宛ら、先程の地名そっくりな……活け造り、そのものだった。


ぶわりと漂う鉄臭さに口を覆って、席を立った。
びくん、びくんと痙攣する手を見てしまった事を後悔しながら、悲惨な現場から少しでも距離を取る。


《次は〜、抉り出し〜。抉り出しでございまーす》


…抉り、出し。
何を。どうやって。何で。
疑問は浮かぶが、全て判らないまま。
今度は二人、隣の車両からやって来た。


「いや、もう嫌…ねぇ貴女、代わってよ!!ねぇ!!!」


『っ…!!離せ!!』


隣に居た女の人に腕を掴まれた。
必死の形相の彼女から少しでも離れたくて踏ん張るが、ぎっちりと食い込んだ指は動かない。
そうこうしている間に二人組がやって来た。
彼等は座席に飛び乗ると、手にしていたスプーンを構え────


「ああああああああああああああああ!!!!!」


ぐちょりと、眼窩に突き刺した。
ほじくり出す様に、スプーンがぐるりと一周する。
ぶちぶちと何か繊維を切る様な音が響いて、ずるりとスプーンが引き抜かれた。
……銀色の金属に乗せられた、ぬるりと滑った白い物体に、喉元まで酸っぱいものが競り上がる。
ぴしゃりと、跳ね上がった血が私の頬に掛かった。


『ぐ、ぅ……!!』


こんな場所で吐きたくなくて、必死でやり過ごした。
かぱりと開いた彼女の口から、意味を成さない声が漏れている。ぽっかりと空いた眼窩から、どろどろと赤いものが溢れ出していた。
力の抜けた腕を振り払って、私は電車の角で膝を抱えた。


なんで、こんな事に。
私はこんな電車、乗りたくなかったのに。


頭を抱え、耳を塞ぐ。
夢だ、覚めろ。
これは夢だ、覚めろ。


《えー、次は〜》


覚めろ。覚めろ。


《挽き肉ぅ〜。挽き肉でぇ〜、ございま〜す》


足音。近付いてくる。
近くで妙な機械の音がする。
機械の風圧が、髪を揺らした


覚めろ。覚めろ。覚めろ。覚めろ。覚めろ。覚めろ。覚めろ。覚めろ。覚めろ。覚めろ。覚めろ。覚めろ。覚めろ。覚めろ。


『────早く、覚めろ!!!!!』


《おや、逃げるんですかぁ?次に来た時は最期ですよぉ》


……心底愉しそうな声がして。
次の瞬間、私は目を開けていた。
映っていたのは見慣れた天井で。
ゆっくりと身を起こし、全身に触れる。何も可笑しな点はない事を確認して、大きく息を吐いた
















「疲れてンねェ」


『あ、判る?また眠れなくてさ』


朝、修二と合流するなりそう呟かれてしまった。
顔に出ていたんだろうか。頬を揉み込み苦笑いすれば、梔子がじいっと此方を見つめている。


「…刹那ちゃん、今日泊まって良い?」


『えっ』


「流石にそこまで好き勝手されるとさァ、ムカつくんだよなァ」


忌々しそうに呟くと、大きな手が肩を払った。


「気休めだけど、こんなモンだろ。あ、家入には言うなよ。荷物増えンのだりぃし」


『うん…?』


「じゃ、行くかァ」


そう言って私の手を引き歩き出す。
…いや待ってほしい。全然説明してくれてないな?困惑する私をちらりと見下ろすと、修二は小さく笑った

















『……修二、説明して』


「刹那ちゃん、質が悪いのにストーカーされてる」


『ストーカー』


「受け取ったろ、招待状」


眠気と戦いながら一日を終え、一度家に戻った修二と共に自宅に向かう。
そもそも彼の言うストーカーと招待状が判らなくて首を傾げると、繋いだ手をにぎにぎされた


「なんか、身に覚えのねェモンが手元にあんじゃね?刹那ちゃんから聞いた感じ、それ猿夢だろうから……切符とか?」


『………昨日、ポストに真っ赤な電車の乗車券が』


「はいビンゴ。それで招かれちまったンかね」


歩幅を合わせてくれる修二と共に、マンションに着く。
集合ポストの前に立って、開けるのを躊躇した。
…また何か入ってたらどうしよう。
手を止めた私の背後から、大きな手がにゅっと現れた。
がぱりと蓋を開け、入っていた封筒を浚っていく。


「流石にポストに入ってたモンを避けンのは無理だしなァ」


手を引かれ、エレベーターに乗り込む。


『……そういうのって、良くある事なの?』


「さァ?」


『適当…』


「俺、興味ねェと覚えらンねェから」


エレベーターを降り、自宅前に着いた。
ポケットから鍵を出し、鍵穴に差し込む。ぎい、と鈍く鳴いて開いた扉を引いた格好で、修二がうげぇ、と舌を出した


「えっぐ……ナニコレ。
刹那ちゃん、良くこんな中で暮らしてンね…?」


『え…酷い?』


「帰れコールヤベェ。オモロ♡」


一切笑っていない表情でそう吐き捨てると、修二は部屋に乗り込んだ。
明かりの点いていない部屋は、自宅なのに何処か余所余所しい。修二が手を離さないでいてくれて良かった。
パチリとスイッチを押して、明かりを点けた。


────壁一面に、真っ赤な手形がびっしりと浮かんでいて、ひゅっと喉が鳴った


「………ひふみよいむやこと」


低い声が聞き慣れない言葉を紡ぎ、ぱん、と柏手を打った、瞬間。
それはまるで幻の様に、消え去ってしまった


『……え?』


「ひふみ祝詞っつーの。覚えときな、損はねェよ」


『ひふみ…?』


「怖ェ時に唱えンのオススメ。悪い気をプラスにすんだってェ。
あと柏手は、取り敢えず打てば悪いの死ぬよ」


『物騒…』


笑いながら、修二は郵便物を指先でどかす。
封筒の間に挟まっていた物を見て、背筋がゾッとした


────赤い、乗車券。


なんで。
それは今朝、ゴミとして出した筈。
そう考える私を嘲笑う様に、テーブルに。


……捨てた筈の乗車券は、鎮座していた。


『…昨日、捨てたのに』


「捨てても戻ってくるとかガッツあんじゃん?」


へらっと笑った修二は例の消臭剤を手に取った。
それを部屋中に撒き散らしながら、落ち着いた声で言うのだ


「気にすんなって。夏場は特に、そういうのが悪さしやすいからさ」


『……修二、やっぱ幽霊視えてんの?』


ファブの音が止まる。
此方を見下ろした梔子が、にんまりと笑った

















夜、ベッドに座った私は、テーブルに置かれた小さな白い山を見つめている。
小皿の上にあるのは、昨日捨てた筈の真っ赤な乗車券。それが二枚と、その上に綺麗に形成された盛り塩。
先からちりちりと黒くなっていく盛り塩を、息を飲んで見守っていた


『修二、盛り塩が負ける。黒くなってく』


「気休めだかンなァ。まァ、楽しめよ。
目の前で心霊現象起きてンのオモロいだろ?」


『なんっっっっっにも面白くないんだが?』


「ばはっ」


笑った修二は、ボトルを手にしていた。キャップを外すとそれを自分に吹き掛ける。
ふわりと香ったのは、何時も修二が身に纏う匂い。


『香水?』


「ン。…俺の匂い、ちゃんと覚えて。この匂いがしたら、それがどんなナリでも俺だから」


『…姿が変わる可能性があるの?』


「判ンね。でも俺にまで招待状出してるって事は、その電車ン中で俺を殺してェんだろ。
……俺ならそのまま乗せるか、姿を変えて、助けてって縋っても刹那ちゃんが拒否する様に仕向けるかなァ。
そんで、死んでから元の姿に戻して、絶望する刹那ちゃんを笑う」


『…確かに、その方が私のダメージは大きい』


────猿夢。
それが、私の夢の原因だろうと修二は言った。
電車に乗った人間を殺す怪異だ、と。


元は挽き肉になる寸前に逃れられたという話らしいけど、電車に乗っている夢を何度か繰り返し、次は最期という宣告を受けるそうだ。
私のケースは微妙に違う。
乗ったら酷い目に遭う、とは言っていたが、私の場合は無理矢理乗せられている。
そして一回目である筈なのに、次が最期という宣告がされている。


「多分、乗車券もあの臭ェのも、誰かがやってるからなァ」


『……なに、私恨まれてんの?』


「だと思うぜ?
元々引き寄せやすい刹那ちゃんを呪って、そんで乗車券を送り込んだヤツが居る」


呟いて、修二は持ち込んだ鞄から一升瓶を取り出した。
茶色い瓶のラベルは、どう見ても未成年に無縁なもの、で


『おい未成年』


「お清めだからオッケー♡」


私でも知っている有名な物をテーブルに置くと、コップを二つ持ってくる。
それから洗面台の方に消えたと思えば、何故かバケツを持ってきた。
それを私の膝に置くと、栓抜きで蓋を開ける


『どうやって買ったの?』


「前に冥さんから貰ってたンだよ。な〜ンか使う気がしてさァ」


『…最早未来予知じゃん?』


「予知出来たら楽なのになァ」


とくとくと、透明な液体を桜の舞うペアのコップに注ぐと、片方を私に差し出した。
受け取りつつ、無言で抗議する


「だァめ。それ飲んで」


『……くさい』


「大人になれば良さが判るンじゃね?」


『なんでこんな臭いの大人は飲むんだろう…』


「忘れてェ事が多いからだろ」


アルコールの匂いに眉を寄せる。
だが恐らく、修二に飲ませないという選択はないのだ。アルカイックスマイルの時は絶対に引かない。
溜め息を溢し、半分も入っていない液体をぐっと呷った。
三口程で飲み干した、瞬間。


『ゔ────うえええええっ…!!!』


………気付いたら何かが喉を逆流していて、バケツに顔を突っ込んでいた。
びちゃびちゃとプラスチックの底を叩く液体は、ドス黒い。
墨の様なそれにぎょっとしていると、あろう事かバケツを覗き込んで、修二は笑った


「ばはっ、ちゃんと吐き出せて偉い偉い♡」


『オイ吐瀉物を覗くな…!!』


「いや吐かせてンだから見るわ。あ、大丈夫。
吐き出させンのはメシとかじゃなくて、刹那ちゃんが呑気に窓開けて吸い込んでた臭ェ煙だから」


『煙……あのお香みたいなヤツ?』


「そ。先ずはそれで部屋と刹那ちゃんの身体を汚して、次に乗車券っつー手口だろうな。はい、二杯目ェ」


『えっ、今ので終わりなんじゃ…』


まだ吐けと???
思わず呟いた私を、一瞬で表情を落っことした美形が真顔で見下ろしてきた


「あ゙???
そもそもテメェがクソ暑ィのに窓開けて煙吸い続けたからこうなってンだよボケ。暑ィも寒ィも判ンねェのか?年寄りかよ。
払っても払っても付けやがると思ってれば好き勝手されやがってよォ…テメェは誰のモンか判ってンのか?あ?」


『私は私の物では…』


「あ゙???」


『アッ、ゴメンナサイ』


真顔でメンチ切ってくる美形怖い。
しかも普段は私に向けられるものじゃないから、余計に怖い。
瞳孔が開き気味なのが非常に恐ろしい男は、無言で継ぎ足したコップを差し出した。
飲みたくない。でも飲まなきゃきっと、口を開かせ無理矢理飲ませてくる。今の修二は手段を選ばないだろうと、誰に言われずとも判った。
仕方なくコップを受け取り、バケツを持ち直す。
ぐっと喉を焼く液体を飲み干し、再びバケツに顔を突っ込んだ


















「はいどーんどん」


『はぁ……は……も、むりぃ…っ』


「んー、流石にもう逝けねェか。…ま、大分前から透明になってたし、良いよ。おしまい」


『っけほ……ゔぅ』


「喉がガラガラになっちまったなァ、可哀想に」


一升瓶の中身は半分程まで減っていた。
息を荒らげ、涙を溢す私の口許をタオルで優しく拭いながら、修二はうっそりと微笑んだ。
ペットボトルから注いだミネラルウォーターを新しいコップに注ぐと、差し出される


「口濯いでから飲みな。脱水なるよ」


『ん…』


正直もう指を動かす気力もない。嘔吐とはそれだけ体力と気力を消耗するのだ。
ぐったりする私に包み込む様な笑みを向けると、修二はそっと私の口にコップを宛がった。


「ゆっくり飲めよ」


そっとコップが傾けられ、常温の水が咥内に溜まっていく。
傾きは直ぐに止まり、口を濯いだ。
もう一度水を注がれ、散々痛め付けられた喉を動かした。
吐き続けて干からびた身体に、水分が浸みていくのが判る。
浅く息を落とすと、くすくすと笑われた


「かァいいなァ、刹那ァ♡」


『……も、つかれてる。軽口には乗らんぞ』


「良いよォ。弱りきったお前の世話すンの、堪ンねェ……か弱い生き物の世話ってカンジ」


『悪趣味』


「あは♡」


優しく涙を拭われ、背中を大きな手で擦られる。
低めの体温が、じんわりと背中を温めるのが心地良かった。
私が落ち着いたのを見計らい、バケツを回収する。それを持って洗面台に消えた背を見送って、大きく息を吐いた。


方法は文句しかないが、何だか身体が軽くなった気がする。


背中に添えられたクッションに身を任せていると、戻ってきた修二が自分のコップに日本酒を注いだ。
一口舐めて、それからぐっと容器を傾ける。
じっと見つめるも、修二が吐き気を覚えた様子はない。
解せぬと言わんばかりの私に気付いたんだろう。修二はゆるりと双眸を細めた


「刹那ちゃんは呪いを身体ン中に溜め込んでたンだよ。だから、日本酒で吐き出したの。アレって穢れを祓うらしいし」


『……修二は呪われてないの?』


「みたいだな。身体ン中には入ってねェんだろ」


『……同じ苦しみを味わえば良かったのに』


「自業自得♡」


『クソが』


「wwwwwwwwwwww」


笑いながら修二がベッドに近付いてきた。
そっと大きな手が額と首筋に添えられた。暫くそうしていたかと思えば、満足そうに頷く


「脈も体温も無問題♡調子どんな?」


『…大分楽になった』


「そか。良かった」


ふにゃりと笑った修二を見つめ、そっと手を伸ばす。
薄い頬に触れ、無言で摘まんだ。
撫でられると思っていたらしい切れ長の目が、まん丸になる。それに鼻を鳴らし、手を離した。
力を抜いた手が、大きな手に絡め取られる


「えー、撫でてくンねェの?」


『説明なく吐かされていらっとした』


「しゃーねェじゃん、先ずは身体ン中のヤツ追い出さなきゃだったンだし」


『せめて説明しろよ』


「じゃあ、悪ィモン吐かす為に酒責めしま〜すっつって刹那ちゃん素直に飲んだん?」


『言い方。悪いものを追い出さなきゃいけないから、これ飲んでって言いなよ』


「えー…刹那ちゃん嫌がる顔も可愛いじゃん?それ見たァい」


『ぶ ん 殴 る ぞ』


「あは♡オコじゃ〜ん♡」


ケラケラ笑う修二に溜め息を溢した。
すり寄ってくる頬をそっと撫でれば、修二はふんわりと微笑んだ。


「大丈夫だよ」


私の頬を挟んで、梔子が甘く緩んだ


「お前は、俺が護るから」



















────がたん、ごとん。


気付いたら、電車の中だった。
寝る時と同じ、シャツにジャージ。その格好で昨日座っていた席に腰を降ろしたまま、ゆっくりと周りを見渡す。
顔触れは昨日と同じ。…修二は、居なかった。


『………よかった』


ほっと、胸を撫で下ろす。
良かった。こんな恐ろしいものに、親友を巻き込まないで済んで、良かった。


でも、怖いものは怖い。
電車を停める、もしくは電車を飛び降りる。
そういう事をすべきだと考えるのは、これを夢だと笑い飛ばせないからだった。
もし挽き肉にされて現実世界でそれが起きても死ぬし、仮に現実世界に影響がないとしても、こんな夢を毎日見続ければ精神を病む。
何より修二のあの態度を考えれば、これを夢だと放置するのは愚かとしか言えないだろう。
あの野生の勘EXは、私に嘘は吐かないので。
ポケットに入っているのは真っ赤な乗車券のみ。それを苛立ち混じりに握り潰して、席を立った。


…取り敢えず、窓割るか。


そもそも恨まれてこんな事になっている時点で、怖いより怒りが先に来る。
純粋な怪奇現象ならどうしようもないけれど、そこに人間が介入するのなら話は別だ。悪戯半分でやったのかも知れないが、ソイツに後悔させねば気が済まない。
周囲の乗客は頭を抱えていたり、ぶつぶつと何かを唱えたりで此方を気にする者は居ない。
申し訳ないが鞄を漁り、固そうな物を投げ付けようと決めた時、ざり、と何かが擦れる音がした。
隣を見て、目を丸くする。


蛇が、隣でとぐろを巻いていたのだ。


私の太股ほどありそうな胴体の、大きな黒蛇。
それは此方をじっと見つめながら、首を傾げてみせた。
いやに人間臭い動きをする蛇に驚きつつ、ふと引っ掛かるものに気付く。


綺麗な、梔子色の瞳をしていた。


『……まさか、ほんとに?』


思わず呟いた私に、蛇がゆっくりと首を伸ばす。
するりと身体を巻き付けてきた時に、ふわりと見知った香りが鼻先を掠めた。
攻撃的な様で甘い、掴もうとすればするりと逃げる香り。


────俺の匂い、ちゃんと覚えて。この匂いがしたら、それがどんなナリでも俺だから


この蛇、修二だ。
そう確信した瞬間、黒蛇の姿がぐにゃりと歪んだ。
艶やかな鱗で包まれた胴体が、黒地に青紫の細いストライプが入ったスーツに包まれる。
背中に回る感触は太いものから人の掌に変わった。


気付けば大蛇に絡み付かれた状況から、人に抱き締められた状態に、瞬きの間に変化していた。


身を離し、改めて修二の顔を見ようとして、固まった。
黒地に細い青紫のストライプが入った、スリーピースのスーツ。ただしベストのボタンは骸骨である。
きっちりと結ばれた漆黒のネクタイ。
真っ黒なハットの下から、金と黒の混じった髪が緩く波打っていた。
見慣れた顏にはシルバーのラウンド型の眼鏡が掛けられていて、しゃらりと金色の長いピアスが左耳で揺れている。


『…………ヤクザの方ですか?』


あかん、良く見たら年上では?
誰?修二に似てるけど、あいつはまだ中学生だ。この人みたいな妙に退廃的な色気はない。
修二のお父さん?それとも大人になったらあいつはこうなるの?…いや完全にヤクザでは???
固まった私に、男の人は目を丸くする。
それから何かを察した様に、にんまりと笑った。
一連の仕草は、修二にそっくりだった


「残念、紫ピクミンです♡」


察した。
可愛らしくにっこり笑うそいつの外見はどうあれ、中身は修二であると確信した。
座席に腰を降ろし、修二は私を膝の上に乗せた。
横向きに座らせて背中に手を回す。黒い手袋には罰という文字が刺繍されていて、あんまりなヤクザ感に気が遠くなった


『まさか、ヤクザ…?』


「その辺りは判りませんが、まぁ悪くない装いですね」


『なんで敬語?』


「そうじゃないと言葉が出せなくなるんです。恐らく、貴女に僕だと気付かせない為のルールなんでしょう」


敬語を操る姿に、一気にインテリヤクザ感が増した。
それにしても敬語を強制されるって何?
アレだろうか、修二って敬語を使えなさそうに見えるんだろうか。
まぁ確かにこいつは先生にも基本タメ口だが、敬語の使い方なんかも読んでいた筈。必要とあらば、綺麗な言葉遣いも可能なのだ。


「敵のホームで名を口にするのは危険ですので、僕は貴女をお嬢さんとお呼びしますね。
恐らく、お嬢さんが僕を認識した事で、蛇からこの姿に変化したのだと思います。
せめてもの悪足掻きで、この姿にしたのではないかと。浅慮ですねェ」


『笑顔で毒舌……じゃあ私はお兄さんって呼ぶよ』


「承知しました」


にこにこしている修二を見ていると、此処が恐ろしい場所である事を忘れそうになる。
膝の上に乗せられたまま窓に視線を投げると、紫色の光が飛び込んできた。
数秒の後、光は消える。
……昨日は確か、紫の光の後にアレが始まったんだった。
修二にそっとしがみつくと、大きな手で優しく背中を撫でられた


《次は〜、活け造り〜。活け造り〜》


『…来た』


「お嬢さん。怖いなら、耳も塞ぎましょうか?」


『…大丈夫、見るよ』


昨日と同じく、一番端に座っているサラリーマンが頭を抱えた。


「いやだ、もう嫌だ…死にたくない…」


隣の車両に繋がっている扉が開いた。
現れたのは私の膝丈程度しかない、四人の男達。
その手に妙にギラつく包丁を手にした彼等は、サラリーマンを取り囲んだ。
修二にしがみつく手の力が増した瞬間、悲鳴が上がる。


「いぎあああああああああああああ!!!!!」


男の人の胸から下は、綺麗に捌かれていた。
昨日と同じ。
靴のみを残し、脚も胴も、全て等間隔の肉となって、骨の上に並べられている。


「おやおや、綺麗に捌きましたねェ」


口許を罰の手で隠しながら、くつくつと修二が笑う。私は無言で目を逸らし、見た事を後悔した。
此方まで漂ってくる鉄臭さに、顔を目の前の首筋に埋める。
攻撃的な癖に甘さを内包した香りを、胸一杯に吸い込んだ


《次は〜、抉り出し〜。抉り出しでございまーす》


あやす様に頭を撫でられた。
されるがままで居れば、隣の車両から誰かがやって来た音がする


「そういえば、此処から出る方法を教えていませんでしたね」


『え?』


髪を梳く様に撫でながら、耳許でそう囁かれた。
目を丸くする私を楽しそうに見下ろしながら、修二は口を動かした。


「先程言ったでしょう?此処は敵のホームだと」


『うん』


「閉じられた空間ですし、此処自体を猿夢の腹の中と捉える事も出来ます。
…ではお嬢さん、問題です。
敵の腹の中に迷い込んでしまった場合、どうやって脱出しますか?」


突如出された問題に、私は首を傾げた。
悩んでいる間にも、小人は震える女の人の傍に近付いていく。
その手に握ったぎざぎざのスプーンが、振り上げられてぎらりと照明を反射させた


「ああああああああああああああああ!!!!!」


『……っ!!』


「ふむ…拷問としては中々。
ただ大きな秘密を聞き出す最終手段にしなければ、被害者のダメージと結果が釣り合いませんね。
抉り出すのは簡単でも、生かす為に此方が負担するデメリットは大きい……ああ、お帰り頂く際のプレゼントとしてするのもアリですね。
必ず生かす必要がない限り、ですが」


至って冷静にコメントをする男が居てくれるお陰で、昨日の様に吐き気を催す事はなかった。
というかこいつ、言ってる事全部反社だけど大丈夫か?見た目に中身が引き摺られてない?


『お兄さん、中身幾つ?』


「お嬢さんと同い年ですよ」


『発言が流れる様に反社だけど大丈夫?』


「ばはっ」


笑って誤魔化した修二に呆れた目を向けつつ、惨劇を見つめていた。
女の人の目があった場所にはぽっかりと穴が空いていて、どろどろと血が流れ出している。


「お嬢さん、答えは浮かびましたか?」


『えー……お腹なら、胃壁をつついて吐き出させる…?』


「正解です」


《えー、次は〜》


右手がジャケットの内側に潜る。
取り出したものは、細い筒状の物。
黒い羅宇に青紫の蔓が巻き付いたそれ。火皿には木屑の様な物が詰め込まれていて、ぽ、と小さく火が灯った


《挽き肉ぅ〜。挽き肉でぇ〜、ございま〜す》


「離れないで下さいね」


罪の手が私を抱え直す。
罰の手が下から掬う様に支える煙管の小さな吸い口が、薄い唇に寄せられた。目が伏せられ、長い睫毛が梔子に影を落とす。
火皿の赤が強く輝いた。吸い口を離すと、細く唇が開いた。
ふう、と吐き出される煙。
それが電車に触れた、瞬間。


《ぎいいいいいああああああああああああ!!!!!!》


────絶叫した。
煙の触れた箇所がぱっくりと裂け、そこから赤い液体がどろどろと流れ出す。
目を丸くする私を見つめ、修二がくつくつと笑った


「桃に邪気祓いの力がある事は御存知でしょう?それを、煙にして広範囲に叩き付けているだけですよ」


『…凄い悲鳴』


もう一度修二が煙管を咥え、煙を吐き出した。
瞬く間に壁に傷が増え、車内が赤く染まる。
ゆったりとした仕草で吸い口を含む姿はぞっとする程艶かしいのに、その行為がもたらす結果は何処までも暴力的でしかない。
倒錯的な光景を呆然と眺めていれば、伏せられていた梔子が此方を捉えた


「……ふふ、吸ってみますか?」


『え』


「随分熱心に見つめていらしたので。それとも…」


ほんの少し首が傾けられ、しゃらりとピアスが揺れる。
切れ長の双眸が、ゆるりと眇められた。
低い声音が、甘く掠れを伴いながら、吐息を多分に含んで耳に滑り落ちた


「吸ってみたいのは、僕の唇ですか?」


『み゜』


ダメだ、色気の暴力みたいな男が居る。
思わず両手で顔を隠すと、ケラケラと笑われてしまった。
からかわれた事が恥ずかしくて何とも言えない表情になっていると、薄い唇が吸い口を食んだ。
手を外した私に猫の様に目を細めたかと思えば、ふう、と煙を吹き掛けられた


『んぐっ』


「ばはっ、魔除けですよ」


『うう…』


煙たい。ぱたぱたと手で扇ぎながら周囲に目を向けて、現状を思い出した。
…煙に触れた男達が、血を噴き出しながら泣き叫んでいた。
あっという間に阿鼻叫喚の光景を作り出した男の目が、つい、と一つの方向に向けられた。


《い、ぎ……てめぇぇぇぇぇ…!!!》


運転席の方から現れたのは、昨日私を電車に放り込んだ男だった。
煙を食らったのか、制服や目深に被った帽子も大きく裂けている。
全身傷だらけで血を流すその男の顔に、見覚えがあった


『え、石田さん…?』


帽子が殆ど意味を為していない状態だからこそ、顔が見えた。
思わず呟いた私に石田さんは肩を震わせ、修二は愉しそうに、笑い出す


「ひゃははははははははははははは!!!!
可哀想になァ!!認識されちまった!!!
テメェはもう、車掌じゃねェってよ!!!!」


足許から伸びた影が石田さんに絡み付く。
ずぶずぶと真っ暗な影に引き込まれる石田さんは、此方に向けて手を伸ばしていた


「たっ、助け……」


そっと、私の口を手袋に包まれた手が覆った。
静かに見上げた先。
眉間に皺が寄って、けれど眉尻は下がって。
ゆるりと、双眸が撓んだ。
口角が、歯を見せながら綺麗な弧を描く。
……私の知らない表情を浮かべて、彼は唱うのだ


「人の物に手を出すならば、内臓を切り刻まれても文句は言えないでしょう?
……こういう有難い言葉もあんだぜ、人を呪わば穴二つってなァ♡」

















目を、開けた。
目の前には見慣れた修二が居て、ほっと息を吐く。
そろりと周りを見渡したが、何時も通りの我が家だった。


「ん……」


小さく唸り、切れ長の目が開かれる。
此方をぼんやりと見ていた梔子が、数度瞬きをして、しっかりと光を灯した。


「おはよ、刹那ちゃん」


『…おはよう、修二』


欠伸を溢してから、修二はへにゃりと笑う。


「安心しろよ。もうあの夢は見ねェから」

















それは、数年前の話。


『あの、落としましたよ』


「えっ」


高校のクラスに上手く馴染めず、俯いてばかりだった俺の前に、天使が現れた。
振り向いた俺に差し出されていたのは学生証。
それを此方に向けていたのは、ランドセルを背負った女の子だった。


「あ、ありがとう」


『いえ』


ぺこりと頭を下げて、マンションのエントランスに消えていったその子。
黒髪に青紫の目をした綺麗な子だった。


…最初はそう、あんなに綺麗な子が居るんだなぁ、で済んでいたのだ。


次の日、またマンションのエントランスで出会った。
彼女は此方に気付くと会釈して、集合ポストに向かっていった。
封筒を手にエレベーターの方に歩いていった姿を見送って、そっとポストの許に向かう。


「……白露って言うのか」


下の名前は、何て言うんだろう。











その子は親と良い関係を築けていないのか、それらしき大人は五十代くらいの女の人しかしか見た事がなかった。
そうは言ってもその人はあの子が学校に行ってから家に来て、二時間程度で帰っていく。
もしかしたら、家政婦やそういう仕事なのかも知れない。
こっそりと非常階段から家の前を眺め、集合ポストに向かう。


あの子の名前は白露刹那ちゃんというらしかった。
とても綺麗な名前だ。彼女に良く似合う。


「おはよう、白露さん」


『…おはようございます』


刹那ちゃんは俺に会う度、会釈をしてくれた。
話し掛ければ、話をしてくれる様にもなった。
あんなに引っ込み思案だった子が、俺と真っ直ぐに目を合わせて話してくれる。
きっと人と接するのは得意ではないだろうに、俺の為に。
その姿はいじらしくて、とても可愛かった。
そう思うと同時に気付いたのだ。
ああ、この子は俺に惚れているのだ、と。











可愛くて綺麗な刹那ちゃんは、中学に入るとより美しくなった。
…それと同時に、妙な虫が飛ぶ様になった。


「おはよう、白露さん」


『おはようございます、石田さん』


朝、エントランスで会瀬を楽しむ。
綺麗な黒髪を靡かせながらマンションを出た彼女に近付く、学ランの子供


「刹那ちゃん、おは〜」


『おはよう修二、めっちゃ眠そうじゃん』


「聞いて、夜中にお散歩コースだったンだよ…あのクソババァの所為で」


『マジか。…次からウチに来なよ。ソファー貸すよ』


「マジ?…マジで?良いの?俺マジで行っちゃうけど」


『良いよ。電話くれれば鍵開けるから』


「刹那ちゃん神じゃん…拝むわ…」


『やめろwwwwwwwwwwww』


屈託なく笑うその顔を、俺に向けた事がないのは…ああ、そうか。
年上の俺の前では、緊張してしまうからか。
そうだ、そうだよな。じゃないとそんなガキの前で、君が楽しそうに笑う筈がない。
そのガキが特別なんじゃなくて、俺が特別だから、目の前で笑えないんだろう?
大丈夫、判ってる。君の気持ちはちゃんと、判ってるよ。











俺の前ではおしとやかにしたいらしい彼女は、どうやらアプローチの方法を変えた様だった。
朝と夕方、必ず俺に挨拶してくれる。
けれど────時々、男を連れ込む様になっていた


『今日は唐揚げでーす』


「うぇ〜い♪」


『てか修二、お米重くない?』


「ヨユー。あんね、こういうのは俺に頼んで良いンだよ。メシ食わせて貰うンだし、男手は使っとけ」


『…ありがとう』


「んー。…あ、今日家入居ねェし、唐揚げ全部俺のモノでは…???」


『1kg食い尽くすつもりか…???』


「えっ、1kgしかねェの…???」


『「えっ」』


仲良さげに話しながら、二人はマンションに入っていった。
…俺は、マンションの向かいに立っていたのに。刹那ちゃんは俺を見る事なく、あのガキを連れて消えたのだ。


……ああ、そうか。
どうやら彼女は、俺に嫉妬させたい様だ。


きっと気付いていた。
あの子は此方を見ていたのだ。
毎日挨拶だけでは俺が飽きると思って、あのガキを使ったのだ。
…大丈夫かな。
俺はその意図が読めるけれど、あのガキ、君に本気になるんじゃないか?
わざわざ君の手料理を振る舞って、家を追い出されたら招いて。
ねぇ、刹那ちゃん。幾ら俺に嫉妬させたいからって、やり過ぎじゃない?俺は君が心配だよ。














────ほら、やっぱり。


朝、そっと非常階段に隠れた。
家から出てきたのは刹那ちゃんと、あのガキ。
ああ、ほら。馴れ馴れしく肩を抱くガキを、君は拒絶出来ないじゃないか。
だから言ったんだ、大丈夫かって。
君の華奢な身体じゃ抵抗なんて出来ないだろう。
強く迫られれば、利用している罪悪感から拒絶出来ないだろう。
もう良いよ、君の可愛い感情は理解した。
……だから、俺が動いてあげよう。















お香に自らの血を垂らして、一晩乾燥させる。
それを想い人に嗅がせれば、厄を断ち切れる。
……そんなとっておきのおまじないが、俺の一族には伝わっていた。
手頃なお香を用意して、自らの血を垂らす。
あのガキを、彼女から遠ざけてくれます様に。
そう願いながら、一箱分にたっぷりと血を染み込ませた。
次の日、早速お香を焚いた。
ベランダに置き、絶えずお香を焚き続ける。
これできっと、あのガキとの縁は切れるだろう。
良い事をしたと笑いながら、俺は眠りに就いた。















────ガキは随分しつこかった。
あのガキは刹那ちゃんの肩に触れ、それからきろり、と蛇みたいな目を此方に向けるのだ。


刹那ちゃんと俺が想い合っているのに気付いておきながら、間に挟まってくるクソガキ。


…排除、しなければ。
刹那ちゃんがもっと酷い目に遭う前に、早く。


それからずっと、お香を焚いた。
彼女が救われるのだと、救うのは自分なのだと信じて、焚き続けた。
ガキの相手で疲れているのだろう。
窶れてきた彼女が心配だったけれど、あの子は俺に甘えたりしてくれない。
素直に甘えられないけれど、嫉妬はさせたいのか、あのガキと友人らしき女の子を家に招いていた。
その際、やっぱりあのガキは俺を蛇みたいな目で見ていた。


お前の所為でその子は苦しんでいるのに。
隣を歩くなんて、なんて罪深いガキなのか。


……その日、家に帰った瞬間。


「ぐ、ぅ……っ!!」


全身が痺れる様な痛みに襲われた。
堪らずその場に崩れ落ち、胸を押さえる。
ずぐずぐと駆け巡る痛みに呻きながら、家の中に目を向けて────気付いた。


お香が、全て灰になっていた。


────あのガキだ。
漠然と、思った。
あの蛇の目のガキが、俺のおまじないに手を出したのだ。
刹那ちゃんを護る為のおまじないをどうにかしたのなら、もうあの子を何処か安全な所に連れていくしかない。
家に連れてくるか?いや、車で遠くに離れるぐらいはしなくては、きっとあのガキは気付いてしまう。
ぎち、と爪を噛み、はたと思い出した。


────ああ、あるじゃないか。
ウチに伝わる、呪いが。














愛する人の身体の一部と、自らの血で満たした皿に、電車の切符を沈める。
もう片方には、怨めしい人間の一部と、自らの血を。
身体の一部……毛髪を手に入れるのは、簡単だった。あの子の家のゴミは小さくて、判りやすいから。
一晩浸したそれを、一晩乾かす。
そして、彼女の家のポストに郵便物として紛れ込ませた。


最初は彼女の分を。
次の日に、あのガキの分を。


二枚目こそが地獄の片道切符となる、ウチに伝わる呪いだ。眉唾物ではあるが、それで呪殺していたという文献も残っている。
これで少しでもガキが弱れば此方のもの。
弱ってくれ、死んでくれ。
そう願いながら、眠りに就いた。












「馬鹿だなァ、猿夢を使うなんて」


低い声が、嘲る様に落とされた。
気付けば俺は床に転がっていた。
全身から夥しい程の血が溢れて、神経は痛みを訴えていた。
ぐりぐりと、ブーツで頭部を踏み付けられている。
なんとか視線を向けると、嫌味な程長い脚の奥に、見覚えのある顔があった


「……ガキ…!!」


「ひゃは♡呪いなンか使って刹那ちゃん殺そうとするとか、ダセェなァ。
男だろォ?正面切って向かって来いや」


ハットを被った男は、べぇ、と舌を出しながら俺を煽った。
スーツを身に纏った男は、その腕に刹那ちゃんを抱えている。気を失っているらしい彼女に手を伸ばそうとして、ブーツに蹴り飛ばされた


「大人しくしとけよ。今迎えが来るからサ」


「迎え…?何を…」


がたがたと、奥の方から物音がする。
次いで、ミキサーの様な機械音。
そして、ぎゃりぎゃりと耳障りな音がして


「ぎゃああああああああああああああ!!!!!!」


────足先が、激痛に襲われた。
俺を踏み付ける男は、にんまりと笑って喉を鳴らしていた。


「次は挽き肉でございまーすってなァ。
なんにも考えずに猿夢なんて使うから、跳ね返りが来るンだよ。
……まァ楽しめや、それがテメェの結末だ」


「ああああああああああああああああああいだいいだいたすけてひどいなんでいだいいだいあしがいでぇああああああくるじいだずげ

















朝、修二と共にエレベーターを降りた。


「」


エントランスに出た時、不意に名前を呼ばれた気がした。
そちらに振り向こうとして


『んぶっ』


「あは、刹那ちゃんったらだいたァん♡」


……ぎゅうぎゅうに修二に抱き込まれた。
おい待て何をどう捉えたら大胆になるんだ?修二が大胆なら判るけど、何で私?
文句を言う前に、ぱっと手が離れた。
私の手を引いて、修二がエントランスを出る。
マンションから両足が離れた瞬間、修二がぽそりと何かを呟いた


「────唵阿毘羅吽欠蘇婆訶」


『ん?なんか言った?』


見上げる私に微笑んで、修二が言う


「おまじない。刹那ちゃんが今日も一日元気であります様に〜ってな」


『ありがとう。私も修二の分祈っとくわ』


「ばはっ、ありがと♡」


……後日、石田さんが突然姿を消したらしいという噂が流れた。


「石田ァ?ダレ?」


『修二会った事ないっけ?茶髪の男の人だよ』


「ふーん。ねェ今日のメシなァに?」


『ウケる、全然興味ないじゃん』


思わず笑ってしまった私を見下ろして、修二も笑っていた。


「そりゃあねェよ。もう二度と会わねェだろうし」


ぽつりと落とされた言葉は、誰の耳にも届かず消えた。









人を呪わば穴二つ






刹那→呪われた人。
見えない、触れない、祓えない。なのに妙なのに好かれやすい霊媒体質。
今回は知らない内に石田に好かれ、呪われていた。
本人からすれば、石田は良く会うだけの近所の人。

半間→祓った人。
見えるし触れるし祓える。
なんでかしょっちゅう要らんものを引っ付けてる刹那を毎度祓ってあげてる人。
今回もきっちりしっかり返り討ちにした。
因みに半間の言う「疲れる」「払う」は刹那が勘違いしているだけで、本当は「憑かれる」と「祓う」だったりする。

家入→見ていた人。
見えるが祓えないので、刹那にお守りを持たせるか悩んでいる。
取り敢えず、真夏のコンクリートジャングルを扇風機で乗り切ろうとしないでほしい。

石田→呪った人。
刹那に一目惚れし、勘違いにより本人の中で両片思いである事になり、突然現れた半間に怒りを抱いた。
彼が消えた後はどうなったのか不明。



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