猫の恩返し(呪術トリップ)
『ただいま』
家に帰り着く。
リビングに続く廊下からお母さんのおかえりの声がして、同時にふわりと香ばしい匂いが鼻を擽った。
洗面台で手洗いうがいを済ませてリビングに向かった所で出迎える白。
尻尾を立てて足にすり、と身を寄せてきた白猫を抱き上げた。
『ただいま。さとる』
「にゃあ」
蒼い瞳の猫は、おかえり、とでも言う様に鳴いた。
さとるは私が拾った猫である。
四年ぐらい前、中学からの帰り道、雨に打たれ震えていた白猫を拾ったのが最初。
名前はその日にあったアニメのキャラクターから。だって色合いが似ていたのだ。
彼と同じ白い毛並みに蒼い瞳でしなやかながら大きな身体。おまけに大層な美猫であったので。
性別も雄だし、まぁ良いかなって。
「にゃおう」
『ん?どうしたのさとる。膝に乗る?』
「にゃあ」
お返事の出来るイケメンを持ち上げるとびろーんと伸びた。脱力している感じが可愛い。ゆるっゆるな顔のまま膝に乗せてあげた。
拾った私に恩を感じているのか、さとるは私に良く懐いている。
学校から帰ってくれば大概膝の上に居るし、寝る時は布団に潜り込んでくる。
毎週金曜の夜更かしも一緒だし。寧ろさとるがテレビをガン見しているのは動画で撮った。呪術廻戦を見る猫は見事にバズった。
さとるは何処に移動するにも必ず着いてくる。お風呂だって蓋に乗って傍に居たりする。
学校の帰りも塀に乗って待っているのを見付けた時にはスパダリかな?と思った。因みに行きも送られている。猫に。
そしてあの子は先に家に入り、毎日私を出迎えてくれる。良妻かな?
最近じゃ休日のさとるの散歩も一緒に行く様になった。行こうって誘われるんだもん、断れない。ちゃんと着いてきてる?と時折振り向くのが可愛い。
朝に見掛けるおじいちゃんと猫の散歩風景と同じである事に気付いたけれど、まさか私はさとるに迷子になると思われているんだろうか。
学校以外はほぼ一緒に居る事に気付き、あれ、猫って一人を好むんじゃなかったっけ?なんて思いもしたが、可愛いので流した。家の子がこんなに可愛い。
「ほんとあんたにはデレデレよね、さとる」
『拾った事なんて気にしなくても良いのにね』
膝の上でごろにゃんしている大きな白猫は、何故か父と母には塩対応だ。
撫でさせるは撫でさせる。けれど今みたいにお腹を見せたりしないし、父には結構な頻度で高速の猫パンチを放つ。めっちゃ速くて痛そう。爪を出さないのはきっとさとるの慈悲。
父と母が構ってやろうと猫じゃらしなんか振ればスン、とした顔で見つめる。猫の真顔とか初めて見た。
真顔とかする癖に、私が猫じゃらしを持つと嬉々としてじゃれてくれるのはこれ如何に。
「人間の男だったら最悪じゃない?好きな子にしか優しくしないタイプ」
『人間でもイケメンだろうからなぁ、その内刺されそう。猫で良かったね、さとる?』
「にゃあ?」
顎を擽る指に甘える様に身を捩るさとるに私は笑う。
今日も家の子がこんなに可愛い。スマホはさとるの写真でいっぱいだ。それをちょいちょいくれとせがむ父は何時も私に甘えるさとるを見て羨ましいと嘆いていた。
『さとる、父さんと母さんにももう少し愛想良くしな?そしたらちゅ〜る貰えるかもよ?』
「にゃぁお?」
きゅるるん、としたおめめで私を見上げる。僕、愛想良いよ?とでも言いたげだ。
うん、愛想良いよ?私にだけな?
ふさふさのお腹を撫でると尻尾がたしたし動いた。
多分この子はラグドールかノルウェージャンフォレストキャットだと思う。じゃなきゃこんなにもっふもふで大きくはならない筈。
人懐っこいと人気の種だ
「私にも愛想良くしなさいよー。何で刹那だけなのよ」
「なぁん」
はっと猫に鼻で笑われた。
母さんがいらっとしたのが判って苦笑した
冬は日が暮れるのが早い。
今日もお迎えに来てくれたスパダリにゃんこを寒いので抱っこして、私は家路を急いでいた。
『さとる、寒くない?コートの中入る?』
「にゃおん」
大丈夫だよ、と言う様に頬にすりすりしてくれる白猫に頬が緩む。
ああ可愛い。さとる可愛い。もっふもふぅ…
暖かいさとるを少しでも寒くない様に抱き締めて、暗い道を早足で進む。
この通りは街灯が少なくて少し怖いけれど、さとるが居れば平気だ。
『さとる、寒いしお洋服でも買おうか?』
「にゃあん」
『さとるは白いから、黒い服でも似合うかな。綺麗な蒼い目だし、青い服も良いな。というか美人だからどんな服も似合うな?』
「にゃお?」
『あー可愛い。おめめくりくりだねさとるー。もっふもふでふかふかだねさとるー』
「にゃあ」
私の言葉に返事する様に鳴いてくれるさとるが可愛い。寒くない様にという配慮か顔までぴったりくっ付いてくれているし、長い尻尾も腕に絡んでいる。
可愛い。家の子がこんなに可愛い。
……にこにこしながら歩いていたのがいけなかったのだろうか。
────とすっ。
酷く軽い音と、衝撃。
そして、じくじくと痛みが走った
『あ、え…?』
「にゃあ!」
ぐらり、身体が揺れる。
転がる前に、さとるを潰してしまわない様に、それだけを考えて身を捩った。
ごっ、と頭をアスファルトにぶつけて、誰かが走り去る様な、軽い足音が聞こえて。
ああ、お腹痛いな。
触った手がにちゃっと濡れた。
「にゃあ!にゃおう!!」
視界に白と蒼。
必死で鳴いてくれるさとるに震える手を伸ばした。
『さ…とる……けが、ない…?』
「にゃあ!にゃあお!」
冷えてきた手で触った感じ、怪我はなさそうだ。
良かった、さとるに怪我がなくて。
ぼろぼろと涙を流している猫に人間みたいだなぁと笑って、頭を撫でた。
ああ、ごめんね。綺麗な白が汚れちゃった。
『さ、と……』
ねぇ、さとる。
父さんと母さんをよろしくね。
暖かい服、用意して貰ってね。
ちゅ〜るもちゃんと貰ってね。
爪切りもお風呂もブラッシングもちゃんとして貰うんだよ。
それからね、さとる。
『だい、すき』
ちょっとしか一緒に居られなかったけど、大好きだよ。
可愛くて、何処か人間みたいなさとるが本当に大好き。
貴方はどうか、幸せに。
痛みと薄れていく意識の中、可愛い子の声がどんどん遠くなっていった。
「にゃおん」
猫の声がする。
この声はさとるだ。
私の可愛い白猫
「にゃあ」
ああ、私を呼んでる。
行かなきゃ。
さとる。さとる、どこ?
「にゃおう」
ふわりと柔らかな感触が頬を撫でた。
ああ、そこに居たの?
ゆっくりと、目を開けた。
「にゃおん」
『…おはよう、さとる』
「なぁん」
ぐりぐりと額を押し付けてくるさとるを優しく撫でて、ゆっくりと身を起こす。
…それはどう見たって外だった。
暗い空に見た感じ廃墟な建物。暗い所為でめっちゃ怖い。
取り敢えずさとるを抱っこして、そういえば私何で此処に居るんだと首を傾げた。
私、刺されなかった?
でもお腹に痛みはないし、血も付いてない。…夢、かな?
すりすりしてくれるさとるにすりすりしつつ、これからどうしようと呟いた。
周りは廃墟と明らかに森。
人の気配はない。夜に廃墟とかアカンフラグしかないので、人が居そうな場所に行きたい。
そう考えた私は今、さとるに案内されながら歩いている。
「にゃあん?」
『ちゃんと着いていってるよー』
一歩先を歩くさとるは頻りに私がちゃんと居るか確認する。
こんなに過保護なさとるは初めてだ。同時に酷く不安そうなさとるも。
これはやっぱり私刺された?とかさとるも知らない場所は怖いのかな?とか。
いやでも知らない場所にしては堂々と歩いていくな?とか思いつつ、ゆらゆらと立った尻尾が揺れる様を眺めた。
『ねぇさとる、此方に人が居るの?』
「にゃお」
『そっか。取り敢えず…街に行ったら何か判るかな?』
「なぁん」
立ち上がって直ぐに先導を始めたさとるに付いて歩いているけどマジで此処は何処状態だ。
早足で廃虚エリアを抜けて、今は真っ直ぐ坂を下っている。左右は木。暗いので非常に不気味。夜の森というのは怖い。
あの時、私は多分刺されて、目が覚めたら此処に居て。
何でか傷はなくなってて。
あれ…此処ってもしかしてあの世とか?
え、さとるも死んじゃったの?
『ねぇさとる、此処ってあの世なのかな?私死んだと思ったんだけど』
「にぃ」
『ごめんねさとる。私、犯人からさとるを護れなかったんだね』
「なぁう」
あの時さとるは無傷だったし、走り去る足音がしたから無事だと思っていたんだけれど。
『はぁ…六文銭は持ってないんだけどなぁ』
さっきから手を掠める尻尾が擽ったい。ちゃんと私が居るのを確認してるみたいで可愛い。
ちょんと指先で掴むとぴんっと尻尾が震えた。可愛い。
愛猫にほっこりしていると、不意にさとるが脚を止めた。
それに合わせて私も止まる。
すると、前方に何か……黒っぽい皮膚の明らかに人間ではなさそうなモノが佇んでいるのが見えて────
「にゃおん」
青い球体みたいなものが突然現れて、弾丸みたいな勢いでナニかに突っ込んだ。
そしてそれがぶつかった瞬間、凄い音と爆風が起こる。
え、いや何?急に爆発したな!?
『さとるっ!』
何が何だか一切判らないまま、さとるを抱き締めた。
猫なんてあんな爆風を受けたら何処かに飛ばされてしまう……そう思ったのだけど、案外此方への被害はなく。
何で?何で爆風が私達を避けてるの?何か私達を球体状に避けて風が流れてるんですけど?
きょとんとしたまま土煙の上がる方を見つめ、それが晴れた頃には何もない地面に首を傾げた。
『…最早何が何だか判らないな?』
「にゃん」
『…さとる、痛い所ない?』
「にゃあお!」
ないよ!とばかりにすりすりしてくるさとるに笑って、溜め息を吐いた。
いや、マジで誰か説明してくれ。
謎の物体Xは遠目で発見する度に赤かったり青かったりするボールで吹っ飛ばされていた。その度にさとるを抱えるんだけど、ふと気付く。これもしかしたらさとるがあのボール出してる?このバリアも張ってる?
だってさとるが鳴いて、そしたらあのボールがびゅんって飛び出すのだ。
つまりこの子はあの物体Xを追い払ってくれている…?凄くない?家の子神だった…?
『さとる、ありがとうね』
「にゃあん?」
『あの変なの追い払ってくれてるでしょ?疲れてない?』
「にゃん!」
『そっかぁ、帰ったらちゅ〜るあげようねー』
「にゃあ!!」
ちゅ〜るで反応した家の子が可愛い。良く判んないヤバそうな奴をワンパンしてくれるにゃんこ様イケメン。
確かに訳が判らないし周りは暗くて怖いけど、さとるが居るだけで安心だと思えた。
『でもあのボールなんだろ。モンスターボールとスーパーボールかな?』
赤いし青いし、物体Xがポケモンならまぁ納得出来るのだ。いや、あんな可愛くないポケモン要らんけど。どっちかって言ったら捕獲というより爆破してるっぽいけど。
あんなに友好的じゃないモンスターボール初めて見た。
『モンスターボールとスーパーボールがあるならハイパーボールもあるのかな?やっぱ最強はマスターボール?』
「んにゃっふ」
『え、今噴き出した?』
さとるが変な声を出してぷるぷるしている。こいつまさかポケモンって概念を知ってる…?
いや凄いな?ポケモン知ってる猫とか凄いな???
『さとるポケモン知ってるの?凄いねぇ、家の子天才』
「にゃおーん」
ドヤ顔してる可愛い。
にこにこしてたら何処かの駅に降りてきたらしい。取り敢えず駅名を探す。
見付けたけれど見覚えのない名前で、検索しようとスマホを捜して、ポケットに慣れた感触がない事に気付いた。
『えっ、嘘』
「にゃあん?」
『スマホ、無くした…?』
ていうか今気付いた。鞄もないな?
今の私は正に身一つ。嘘でしょ?流石に鞄の有無には気付いて?
まさか彼処に鞄置いてきぼり?いや、それはない。それだったらさとるが鞄を引っ張ってきてくれるから。猫への圧倒的信頼よ。
つまり私は、刺されたのに良く判んない場所に飼い猫と一緒に居るって事になる。
……という事は?私、やっぱり死んじゃったの?
『ねぇさとる…』
「にゃあん?」
『…私、やっぱり死んじゃったの?』
「にぃ」
ベンチに座り込む私の膝に手を乗せて、慰めるみたいに頬を擦り付けるさとる。
此処ってあの世?それともあの世に向かう電車の停留所?
だって前に見た。あの世に向かう電車の話。
だから、これに乗って私もあの世に行くのかなって思ったら、涙が出てきた。
さっきまで死んだのか〜なんて他人事だった癖に、自分が死んだって感じる様な確かな違和感をいざ目の当たりにしたらこのザマだ。
『ごめんねさとる……こわい』
「にゃあ」
『しんじゃった…?もう、父さんと母さんに会えない…?』
「にゃう…」
『ここ、どこ……?こわいよ、さとる…』
ぎゅうっと白猫を抱き締める。
これからどうしよう。どうすれば、何をすれば。
ぐるぐるする頭と流れ続ける涙の中、ざり、と砂利を踏む音がした。
誰だろう。そもそも人だろうか。さっきまで散々物体Xを見掛けていたのだし、もしかしたらまたあいつらかも知れない。
乱暴に袖で涙を拭いて、顔を上げる。
振り返った先、佇む影に目を丸くした
「やっと見付けた。いやー、せめて土地名がもっと早く判れば直ぐにでも迎えに行ったのに、なーんでこんなド田舎の無人駅なんだか」
軽薄さを窺わせる軽い口調に、黒の学ラン。すらりと伸びた長い足が一歩ずつ馬鹿広いストライドで此方に近付いてくる。
いや、有り得ない。だって彼は漫画の存在だ。それが何故月明かりを浴びながら立っているのか。
「にゃ」
動けない私の頬にふにゃりと猫パンチが入った。
見下ろせば綺麗な蒼が楽しそうに煌めいている。ああ、これは悪戯が成功した時の顔だ。
さとるが腕の中から抜け出して、彼の足許で腰を落ち着けた。
目前までやって来た彼が長い足を折り畳んだ。
瞬きに合わせぽろりと落ちる涙を長い指が掬う。
さらりと揺れる白い髪。サングラスの奥から覗くのは、愛猫と同じ綺麗な、蒼。
「ねぇ、刹那────猫の恩返しって、知ってる?」
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