イカリソウ

※五条がぬいぐるみ






何時からだっただろうか、気付いた時には傍に居た。


「刹那、起きてー!!今日は火曜日!ゴミ出しの日だぞ!!あと今日の乙女座六位だって!人間って上過ぎても調子乗って失敗するし、下過ぎてもマジで不運な事が起きて死んじゃうかも知れないから、真ん中って平凡の象徴みたいで丁度良いね!!可もなく不可もなく!生きてるだけでたまに有害な感じ?あ、そりゃ猿か」


『朝から不吉な事言うな目隠しクマ……』


「おっはー!!目隠しは俺の綺麗なおめめが盗まれない様に必要なんだよね!俺ってほら、グッドルッキングベアだから!!」


『うるさ……』


青みがかった白い毛の、綺麗な眼をしたクマのぬいぐるみ。
気付いた時には常に記憶の中に居るそいつは、何故か二本足で歩き、喋った。
そいつは私の被っていた布団をぺいっと剥ぎ取ると、しっとりした鼻先を頬に押し付けてくる


「おはよう刹那。おはようのちゅーして」


『知ってる?朝起きたばっかりの人間の口って細菌まみれなんだよ』


「うるせぇキスさせろ」


『んむっ』


クマの口がぱかりと開き、唇が食べられた。じゅう、と吸ってから離れたクマは、半目の私に向かってにっと口角を上げてみせた。


「おはよ。今日もかわいいね、愛してるよ刹那♡」


『…おはよう。今日もクマだね、かわいいよ悟』


「ねぇ愛してるは?クマでかわいいは俺のテディベア法に抵触するけどどうする?」


『おはようさとる、あいしてるよ』


なんだテディベア法って。



















外に出る際は大きな鞄を持っていく。
理由は簡単、抱っこ出来るぐらいの荷物の所為だ。


「刹那、今日のご飯なぁに?」


『今日はハンバーグかな』


「マジで?やった、ミンチ捏ねるの頑張るね」


『うん』


家に帰ったらミンチを解凍しなきゃな。
大型のトートバッグからひょこりと顔を出す悟の頭を撫でつつ、街中を歩く。
悟はどういう仕組みなのか、マジックテープで留めるアイマスク越しでも目が見えるらしい。
というかそもそもぬいぐるみが何故生きているのか。
仕組みは全く判らないけれど、このクマは動くし、食べる。
鼻も生きているからかプラスチックではなくしっとりした獣の鼻で、口も小さな歯と舌がある。普段はアイマスクをしている眼だって瞬きをする。胸に耳を寄せると確かな鼓動が聴こえる。
つまり、このクマは生きているのだ。
気付けばずっと傍に居て、けれど新品の様に綺麗なぬいぐるみの頭をそっと撫でた。


「なぁに?」


『…何でもないよ』


……そういえば地元で暮らす家族の前で、この子が動いた事ってあったっけ?

















ゴミ袋に包まれた白いクマのぬいぐるみがミンチの入ったボウルの上で跳び跳ねているというのは、なかなかにシュールな光景だろう。
ぬいぐるみ故の軽さで満足にミンチを捏ねられない悟は、何時しかこの方法を思い付いた。確かに消毒したゴミ袋に入れてしまえば悟もミンチも汚れないけれど。
良いのかそれで。あんたそれゴミ袋だけど良いのかそれで?
口縛ってあるし、それってぬいぐるみ(もえるごみのすがた)では…???


「〜♪」


『楽しそうだね、悟』


「お手伝いしたイイコに御褒美は付き物だろ?それ期待してんの!」


『堂々と御褒美を催促するじゃん』


「俺イイコだもん、正当な権利を主張するのは当たり前じゃん?」


ぴょこぴょこ跳ねるゴミ袋のぬいぐるみに苦笑いして、みじん切りした玉ねぎをボウルに追加する。
調味料と卵も投下すれば再び悟がぴょこぴょこするので、サラダの準備に回った。
水に浸してあったレタスを皿に盛り、トマトを添える最中にテレビを観ていた悟が言う


「あ、刹那。明日朝から雨だって。洗濯物大丈夫?」


『そうなの?ご飯食べたら取り込んどくよ。ありがとう悟』


「どういたしまして。タネ出来た!」


『はーい。ありがと、じゃあ焼こっか』


悟をゴミ袋から取り出して、フードに入れる。良く判らないけれど悟はこれが好きらしい。
フードに入ったクマに後頭部を抱え込まれながら、ハンバーグのタネの形を整えてフライパンに並べていく


「俺、おっきいのがいい!!」


『はーい。…そんなちっさい身体で良く食べるよね。私より食べてない?』


「だって俺大人だしね。ぶっちゃけ何時もの倍は食えるよ」


『成体のクマのぬいぐるみ…?いや幼体のクマのぬいぐるみってなに…???』


「wwwwwwwwwwwwwwww」


フライパンの上のハンバーグから出た油が跳ねて、此方に飛んでくる。
それが空中でぴたりと動きを止めて、私は一度瞬いた。
……そういえば、油跳ねが痛いという料理あるあるを見て首を捻る様になったのは何時からだろうか。


『…油跳ねを防いでるのって、悟?』


普通はそんなの有り得ない。
しかし現にこのぬいぐるみが奇妙な存在だし、今更それを肯定されてもやっぱりかとしか言える自信がなかった。
フライパンに蓋をした私の背後から、聞き慣れたテノールが届く


「そうだよ。ついでに言っちゃうと玉ねぎの汁も天ぷらの油も急な雨も防いでる。…俺のこと、こわくなった?」


…怖いかと聞いてくる癖に頭にぎゅうっと抱き付いてくるぬいぐるみに、思わず笑ってしまった。
手を洗って、ふわふわな頭をそっと撫でる


『今更じゃない?それならあんたが動いた時点で怖がってるよ』


「……じゃあおれのことすき?」


『うん。好きだよ』


「……んふふ、うれしい」


自信家な癖に、寂しがりやな甘えん坊。
後頭部にすりすりしてくるクマのぬいぐるみに笑いつつ、ハンバーグをひっくり返した。
















悟はたまにトートバッグから大きく顔を出す事がある。
その際は目立たない様に頭にタオルを被せてあるのだけど、何時も誰かに見られやしないかとヒヤヒヤするのだ


「んー、雑魚だな。どうしよ」


『悟?どうしたの?』


「ねぇ刹那、今日あっちの道通る予定とかある?」


『あっち?ないけど』


そう返すと、悟はアイマスクをずらす手を退けてにっこりと笑った


「そっか!じゃあ今日は寄り道せずに帰ろうね。残業もすんなよ、夜は危ないから」


『?うん、残業は回避出来る様に頑張るね』


……それが、フラグになったのだろうか。


「────そもそもさぁ?なんで後輩の尻拭いが刹那に回ってくんの?
刹那はちゃんと見直ししとけって再三言ったじゃん?はーい♡とか返事だけしてちゃんとやってなかったのあの雌猿じゃん?
しかもアイツせんぱぁい♡私今日どうしても外せない用事があってぇ〜♡とか抜かして定時で帰りやがったじゃん?アレ絶対合コンだろ?今日は医者の四人組捕まえたって言ってたし。
なんで?刹那に何の非もないのに何であのハゲ上司君の指導が足りないんじゃないか?とか抜かすの?
馬鹿なの?馬鹿だな??馬鹿だよな???
だって何度言っても響かねぇのはあの後輩だし刹那は悪くねぇじゃん。なんなら不手際が起こりやすい箇所と起こった場合の後始末の面倒さだって説明してやったじゃん???
そこんトコ理解せずに嫌な事ばっか刹那に押し付けるとかマジで何?
もうハゲもぶりっこ女も死んじまえ」


『こらこら、物騒な事言わないの』


「だってさぁ!!!」


荒ぶるクマのぬいぐるみを撫でて落ち着かせる。
少し集中力の足りない後輩が案の定やらかして、その尻拭いが私に来た。
まぁそれも良くある話なのだが、悟はそれが大層気に食わないらしい。
残業からの退勤の帰り道、人通りのない道で悟は上司と後輩の悪口をブッ放していた。


「もー、刹那は優しすぎ!!俺なら仕返しするよ!!!バルサンする!!!!」


『恐ろしいクマだな』


「だって自分達は甘い汁だけ吸ってるんだよ?そのクセ刹那には嫌な事押し付けてさぁ?給料だって大して上がんないしその割に休みばっかゴリゴリに削られて無駄じゃん?
上が馬鹿だと苦労するのは動いてやってる実働だっての。そういうのホント学ばねぇよなぁ」


『残業代は馬鹿にならないんだよ?
……というか、なんでこのクマは働いた事があるみたいな反応なんだろうね?』


「え゙」


前々から思ってはいたのだ。
悟は何故か数学の問題も判りやすく教えてくれたし、英語も完璧だった。それどころかフランス語やスペイン語、ドイツ語も触りだったけれどペラペラと話した事もある。


……これはもうぬいぐるみというか、中に人入ってない?


思わずトートバッグから悟を取り出して、凝視する。
アイマスクをしているクマは動かなくなった。おいやめろ、ぬいぐるみのフリするな。これは私が痛い奴になるだろ。
真っ暗な夜道でクマのぬいぐるみを凝視する二十代女性とか怖いしかないだろ。


『ねーぇさーとる、こっちむーいて?』


「ムーミンじゃねぇんだよ歌うな」


『アイマスク剥ぐぞ』


「やめて!お家以外でおめめは晒したくないの!!腐った世界を幼気なクマちゃんに見せないで!!!」


『あんたお昼に片眼出してたじゃん』


「片方ならノーカンじゃね?」


『アウトでしょ』


「ていうかこれ抱っこ?やった!外で刹那の抱っことかレアじゃん!ぎゅってして!!」


『急にぬいぐるみの本能に忠実になるじゃん』


「俺かわいいクマちゃんだもーん」


手を伸ばしてくるぬいぐるみを仕方なく抱き締める。耳許できゃっきゃしている悟に溜め息を吐きつつ、ゆっくりと歩き始めた。


「だーっこ♪だーっこ♪」


『なんでそんなに上機嫌なの?』


「刹那がしてくれるなら俺何でも上機嫌になっちゃうけど?」


『……確かに?』


そう言えばこのクマは私に触れていれば大概にこにこしていた。
ぬいぐるみだし、やっぱり人に触られるのが好きなんだろうか。
アイマスクをしているというのに上機嫌なのが丸わかりなクマのぬいぐるみに苦笑いしていると、不意に悟が抱き付く力を強くした。
その瞬間────めきょごきばきょ、と形容し難い音が背後から響いて。


「ダメだよ刹那。振り向かないで」


振り向こうとした私を、ぎゅっと白い腕が抱き締めた。


『……悟…』


「大丈夫、怖いことなんてなんにもないから。ほら、早く帰ってアイス食おうぜ?刹那がイイコな俺の御褒美にハーゲンダッツ買ってるの見ちゃったんだよねー」


…悟は今の音の方をどうしても私には見せたくない様だった。
きっと後ろを見ている彼には音の原因も見えたんだろう。その上で、私には見せたくないと判断した。
……それなら、私が振り向く必要は、きっとない。


『…そうだね。残業に付き合ってくれた悟には、ハーゲンダッツをあげよう』


「マジで!?やった!!」


ご機嫌になった悟がぎゅうっと抱き付いてくる。マウンテンパーカーみたいな服に包まれた背中を笑いながら撫でて、私は今度こそ家に向かって歩き出した。


「………チッ、面倒な事になった」


『悟?何か言った?』


「んーん、なんにも?」









「────あれって、五条先生…?」


私は知らなかった。
桃色の髪の少年が、此方を不思議そうに見つめていた事なんて。
後日、悟にそっくりな不審者に家で待ち伏せされる事なんて。











ぼくは君だけのかわいいくまちゃん













刹那→一般人。
物心つく頃から喋るクマのぬいぐるみと過ごしてきた。なんだこいつ、とは思うものの、“悟はこういうもの”という刷り込みが発生している為深くまで追及しない。
術式も呪力もあるが、呪霊はクマのぬいぐるみがしまっちゃおうねしているので見た事もない。
後日、悟を人間にした様な不審者に家で待ち伏せされて悲鳴を上げる。

悟→とてもかわいいクマのぬいぐるみ。じゅじゅっとしたべあ。
愛しのテディちゃんを追い掛けたらなんでか自分がクマになった。本人曰く自分はグッドルッキングベアだが、世界で一番かわいいのは俺のテディちゃん。なのでクマだから可愛いというのは禁句。彼のテディベア法に抵触する。
小さい頃の刹那の傍にこっそり現れ、それからずっと傍に居る。恐らく呪骸。そうじゃなきゃ特級呪霊か特級呪物。いや、やっぱり特級呪霊…???
刹那が見付ける前に呪霊をしまっちゃおうねしてきたが、今回は高専関係者にその姿を見られてしまった。
後日家に現れた不審者に遠慮なく赫をブッパするし、なんなら本性を現して刹那に五度見される未来が待っている。
好きなものは刹那。嫌いなものは刹那以外。特に抱っこされる類いのものには憎しみすら覚える。お陰で刹那の部屋にはぬいぐるみはない。
持って帰ってきたら夜な夜なばりめきょしちゃう。そして刹那はお仕置きされる。
ブラッシングで毛が抜けても反転術式で元通りだし、綿が出ても自分で治せる。
ぬいぐるみを他に置けない事さえ除けばまさに理想のぬいぐるみ。

後日の不審者→生徒から報告を受け、ウォーミングアップを始めた。




イカリソウの花言葉「君を離さない」「旅立ち」

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