イカリソウ2

※「イカリソウ」の続編









最近、悟が鞄の中から良く外を窺っている。


『悟?』


「なぁに?」


アイマスクを片方ずらして周囲を見渡している時はぬいぐるみにあるまじき無表情なのに、私が声を掛けるとふにゃっと笑うのだ。いや、いっそ清々しい程に態度が違うな?
タオルをそっと被せ直して飴を差し出すと、蒼い目を輝かせて口を開けた


「ありがと!」


『どういたしまして。…最近ずっと外を警戒してない?何かあった?』


家に居る時はのんびりしているけど、一度仕事や買い物で外に出ると、トートバッグの中でずっと何処かぴりぴりした空気を纏っているのだ。
一体彼に何があったというのか。
心配する私の前でしっかりとアイマスクを付け直し、悟は首を傾げてみせる


「何もねぇよ?あ、今日の晩御飯何にする?俺肉じゃがが良いなー」


明らかに誤魔化された。
けれど無理に聞き出そうとして悟を傷付けるのは嫌だった。
僅かに逡巡し、それから私は笑みを浮かべた


『……そっか。それなら良いけど。じゃあ肉じゃがにしよっか。付け合わせは?』


「肉が食いたい」


『めちゃくちゃ肉食みたいな事言うじゃん』


「だってクマだもん」


くすくすと笑うぬいぐるみの頭を撫でて、今日の業務が早く終わる事を願った。




















『彼岸花が綺麗だね』


「もうそんな時期か。じゃあ一ヶ月もすれば彼岸?やった、お萩食える!」


『ほんと甘いの好きだね』


「食わないと頭回んないからねー」


ウキウキした様子の悟に笑い、鍵を差す。
部屋に入り、電気を付けた所で目を瞬かせた。


『ただいまー……あれ?』


────見覚えのない、男物の靴が綺麗に揃えてあった。
父ではない。勿論部屋に招く様な関係の男性も居ない。
つまり、不法侵入…?
咄嗟に靴箱の棚に隠したスタンガンを握る。


『悟、静かにしててね』


「刹那待って。俺が行く。っコラ!閉めるな!!」


文句を全て言い切る前にトートバッグのチャックを閉めた。
玄関の隅に鞄を置き、スタンガンを握った手を背中に隠す様にして仕切りのカーテンを払った。


「やぁ、おかえり。…初めまして、が妥当かな?」


逆立てた白銀の髪。黒いアイマスク。襟の広いマウンテンパーカー。
ソファに窮屈そうに収まる脚が妙に長い男を見て、私は目を瞬かせた。


『は?』


目を擦る。
でも男は消えなかった。


『は???』


「ウケる。ビックリした?まぁそうだよね、こんなイケメンが部屋に居たら驚くよねぇ」


男はそう言って笑った。
その心地よいテノールにも聞き覚えがあったし何より────その容姿に見覚えが、あり過ぎた。


……これ悟かな?
悟の人になった姿かな???


凝視する私が面白いのか男はけらけらと笑う。
そしてソファから立ち上がったかと思えば、長い足であっという間に目の前にやって来た。
そして腰を折り、ずいっと顔を近付けてくる。いや近いな?キスするつもりかと勘違いされるぞ不審者


「んー、そんなに良いモノ持ってるのに術式は新品そのもの……もしかして、呪力も判らないとか?」


『宗教勧誘ならお隣へどうぞ』


「はは、マジか。こんなウルトラレアもそうそう居ないよ?面白いね、君」


何を言っているのかさっぱり判らない。
ただ不審者だというのは把握出来ているので、私は背中に隠していたスタンガンを男の腹に押し当てた


『そろそろスタンガン当てますよ。今なら通報だけで許してあげますけど』


「あ、通報しちゃう?僕こんなにグッドルッキングガイなのに?」


『目隠しした不審者が女性の部屋に無断で上がり込んでるんですよ?それをニュースで見た貴方はどう思います?』


「僕以上に目隠しが似合う男が居ると思う?ベストアイマスク賞を受賞してるんだけど」


『あんた実は宇宙人か何か???』


会話しよう?なんで軽率に脱線するの?あんたは不審者ですよ、はいそうですね。で終わる会話だったでしょ?
取り敢えず離れろとスタンガンを男の腹にぐいぐいと押し込んで、それでも全然動かない男を怪訝に思い、視線を落とそうとして


「それにしても、綺麗だね」


顎を長い指で掬い取られた。
鼻先が触れる程の距離で此方を見ている……見ている?アイマスクの男。
何それメッシュ生地なの?実はサングラスみたいなもんなの?此方透けて見えてるの?
私のクマちゃんのそっくりさんに困惑していれば、男が僅かに顔を傾けた。


────やばい。


何がかは判らない。
けれど指先は咄嗟にスタンガンのスイッチを弾き、火花が弾けた。


「!へぇ、反射神経はなかなか……」


その瞬間、視界が真っ赤に染まった。






















「────テディベア法第一条…刹那に邪な意図を持って触れる生命は死ね」


「クマがクマの法律諳じてんの?ウケる」


……視界が真っ赤に染まって、ぐっと身体が何かに引き寄せられる様な感覚がして。
気付いたら、私は玄関の前にへたり込んでいた。
目の前に立ち、男と対峙しているのは白いクマのぬいぐるみ。
悟はアイマスクを引き下げて、綺麗な蒼い眼で男を睨んでいる


「んー、術式も呪力も僕そのまま。違うと言えばそのふざけたナリだけだ。
……お姉さん、君、このぬいぐるみが何か知ってるかい?」


不意に男に問われ、目を瞬かせた。
悟が何か?そんなもの此方が知りたいと言うのに


『その子は物心付いた時から傍に居るぬいぐるみです。……喋るし動くけど』


「物心付いた頃から?…僕と君は同い年だよ?それは可笑しくない?」


『そんな事言われても居たし。…ねぇ悟、あんた気付いたら居たんだけど、それって私の勘違い?』


私を護る様に立つぬいぐるみに問い掛けると、彼は此方を振り向いてにっこり笑った。


「合ってるよ。小さい時に口紅塗られたし、耳とか手をもぐもぐされた事もある」


『待って?それは言わなくても良い事じゃない?』


「なんで?そういうのってぬいぐるみにとっては持ち主から愛されてるって証拠になるんじゃない?
少なくとも俺は嬉しかったけど」


小さい頃の黒歴史をさらっと暴露され、思わず頭を抱えた。いや、なんで初対面の人の前でバラした?
顔を引き攣らせた私を笑いながら、男は首を傾けた。


「桜花刹那ちゃん、こんなトコでクマのぬいぐるみとにらめっことか意味判んないからちゃちゃっと済ませたいんだけど……一先ず、僕に着いてきてくれる?」


『……お断りします、と言ったら?』


「その時は仕方無い。今この場で、そのぬいぐるみが一番嫌な事をするよ」


『……一番嫌な事?』


男がチェシャ猫みたいに笑った。
低く甘く響く声で、優しく囁いた


「君を抱く。そのぬいぐるみの目の前で」


『』


「殺す」


……部屋が一瞬で瓦礫の山に変わった。





















「えー?だってそのぬいぐるみ明らかに君に懐いてるんだもの、挑発するなら刹那ちゃんを突くに決まってるじゃん?
あ、大丈夫だって本気じゃないから。最後まではするつもりなかったよ。
まぁキスぐらいはしただろうけど、ついでに言っちゃうと舌ぐらいは入れちゃうかもしれないけど、こんなイケメンならそれも良い思い出にならない?」


『死なないかなこの目隠し』


「刹那、此方おいで。ソイツに寄るな」


「なーにイイコぶってんのこのクマ。彼女の家どころかアパート壊したの八割オマエじゃん」


「オマエが刹那に無闇に絡まなきゃ今日も俺達は平和に過ごしてたんだよ。飯食って風呂入ってテレビ見ておやすみだったの。平和な日常を壊したのオマエじゃん」


現在、五条悟と名乗った不審者に連れられて呪術高専という学校に来ていた。
それもこれもこいつらが家を壊した所為。私の部屋どころかアパートまで倒壊させた所為。
応接室で悟を抱っこして、何故か隣に座る五条から少しでも距離を取る。


「ていうかこんなに綺麗な娘なら、手を出さない方が逆に失礼じゃない?」


「刹那に触んな」


『悟、ごめんね私を変態から護ってね』


「任せろ。俺最強だから」


「えー?頼られるの良いなー…………………夜中に綿抜いちゃおっかな」


『こいつホント嫌』


悟にそっくりな不審者は、本当に見た目だけそっくりなのだと秒で理解した。
だって悟はそんな卑猥な事を言わない。そんな遊び人みたいな事言わない。いや、クマのぬいぐるみだからかも知れないけど。
悟にぎゅうっと抱き付くと、柔らかな手で頭をぽふぽふされた。
それを見た五条がまたぶーぶー文句を言っている


「ねぇ刹那ちゃんソイツ貸して?忌庫に放り込むから」


『嫌な予感しかしないから無理。…というか夜蛾さん?という方はまだですか?
お忙しい様なら後日伺いますが』


「んな事言ってビジネスホテルにでも行くつもり?スマホどころか鞄も通帳も瓦礫の中でしょ?
文字通りの無一文なんだから今は素直に言う事聞きなって。夜蛾さんなら一時間後に来るからさ」


『無一文なのは誰の所為だと……一時間後?』


危うく聞き流しそうになった言葉に男を二度見した。
あ、と呟いた目隠しは一瞬固まって、それからにっこり笑った。


「あ、一時間は僕とお話ししよ♡って事なんだけどどう?
取り敢えずお互いの趣味とか…」


『悟、この男の財布とか奪えないかな。靴とか高そうなもの履いてるから、少なからずホテルで過ごせるぐらいは毟れると思うんだけど』


「コイツカードしか持ち歩いてないよ。カードじゃ下手すると怪しまれるし、時計とか売っちゃう?
あ、ベルトもそれなりなの使ってるかも」


『採用。おい立て。時計とベルト寄越せ』


「僕からwwwwww追い剥ぎしようとしてるwwwwwwwwwwww」


爆笑した不審者を悟と共に冷めた目で見下ろした。


















「はい、此方僕にそっくりなクマのぬいぐるみを連れた桜花刹那ちゃんでーす!諸事情により高専の寮に住みますが、男子諸君、綺麗だからって夜這いしない様に!」


馬鹿みたいな紹介に生徒さん達は見事にドン引きしていた。なんだこいつセクハラ教師じゃん。
そっと悟を抱え直し、五条から一歩横にずれた。


「え、何で僕から離れんの?ああ、判った!僕に構って欲しいんだ?君ってツンデレだねぇ」


『皆さん言葉の通じない教師との意思疏通はどうなさってるんです?』


「馬鹿はほっとけ」


「しゃけ」


「ほっときゃ勝手に騒いでるな」


「基本的に流してるわ」


「真に受けない方が良いっすよ。あの人適当なんで」


『判った、ありがとう』


五条の生徒さん達は冷静に対処法を教えてくれた。なので礼を言えば、悟が此方を見上げて口を開く


「刹那、おやつちょうだい」


『はいはい』


ポケットに入れていた飴を小さな口に放り込む。もこっと膨らんだほっぺが可愛くて指先でつついていると、真希ちゃんは奇妙なものを見る目で悟を見た


「にしても悟に似てんな。その眼も六眼か?」


「そうだよ。でもソイツと一緒扱いは止めてね。俺を抱えないといけない刹那がかわいそう」


そういえば、悟は五条と同じ扱いが嫌だからと此処に来てからはアイマスクではなく、夜蛾さんに頂いたペット用のサングラスを掛けている。
この見た目ならオシャレなぬいぐるみで通せるので、私としては大変ありがたい。あと外でもサングラスの隙間からちらちら綺麗な眼が見えるのは嬉しいのだ。
柔らかな頭を撫でていれば、何故か生徒さん達は固まっていた


「悟が人の心配してる、だと…???」


「あ、俺の事はクマ条って呼んでよ。ややこしくて判りにくいし」


「凄ぇ。悟の見た目なのにちゃんと会話が成り立ってる」


「しゃけしゃけ」


『え、そこの男は普段どれだけふざけてんの?』


「やだ、悟って呼んでよ刹那ちゃん♡」


「刹那の悟は俺ですー。オマエは五条だよバーカ」


「……やっぱり夜中に綿抜いちゃおっかな」


「ぬいぐるみにマジで嫉妬してるわよアイツ。絵面ヤバ」


「言うな釘崎。此方に来たら面倒だろ」


教師だろうに、この目隠しの扱いよ。
生徒と友達みたいな距離感の男に私は苦笑いした
















高専に居る間の基本的な案内役は五条になったのか、私は次の場所に誘導されていた。
地下に続いている階段を降り、進む。


「この先に居る子はちょっと複雑な事情があってね。恵達には生きてるって事を伝えないで欲しいんだ」


『それならそもそも会わせなければ良いのでは?』


「そのクマを見付けたのもその子だからね。報告ついでに君達には息抜きの相手になって貰おうと思って」


『話聞けよ』


「見事に言いたい事しか言わねぇじゃん」


「だって君達に拒否権ないし」


『クズ』


「ちょっと、端的に罵倒するのやめてよ!」


ぎゃーぎゃーうるさい五条を無視して薄暗い通路を進む。軈て辿り着いた扉に五条が手を掛けた。


『……へぇ、秘密基地みたい』


「懐かしいな。小さい時に公園の藪に作ったよね、秘密基地。刹那がいじけると良く俺連れて籠城してた」


『そうだねぇ。弟に母さんが掛かりきりの時は良く行ってた』


フェンスの破れた小さな穴から潜り込んでいた秘密の場所を懐かしみつつ、にこにこしているかわいいクマちゃんを撫でる。五条?騒いでる。相変わらずうるさい。


「ちょっと?なんでそんな二人でしか判んない思い出なんかで盛り上がってんの?ねぇ過去なんかぬいぐるみと語らっても無駄じゃない?これからの話を僕とお話ししようよ。そっちの方がずっと建設的でしょ?」


薄暗い部屋の中、中央に置かれたテレビの前でピンク色の頭の男の子がソファを陣取っていた。
ぱっと振り向いた彼は、私と悟を見て三白眼をぱちりと瞬かせる


「ん?お客さん?」


『はじめまして、桜花刹那です。そこの不審者の所為で暫く高専でお世話になります』


「初めまして、虎杖悠仁です!好きなタイプはジェニファーローレンス!宜しくお願いします!」


「好きなタイプまで言う必要ってある?判んないの俺だけ?」


『ははは』


悟がサングラスをかけ直し、そこでぬいぐるみが己の意思で動いた事に気付いたのだろう、虎杖くんが悟に目を向けた。


「あ、五条先生みたいなぬいぐるみ」


「やめろ。俺はアッチよりマシだっつーの」


「はぁ???僕の方が百倍マシですけどぉ?そもそも誰にでも高圧的な態度取るクマのぬいぐるみなんかより愛想の良いイケメンな僕の方が圧勝するに決まってるじゃない。ねぇ刹那ちゃん?」


『悟、あとでブラッシングしよっか。暴れたからかな、手の毛がちょっと解れてる』


「はーい♡」


「ねぇもう清々しい程無視し始めるじゃん。なんで???僕よりそんなクマのぬいぐるみが良いの????」


『悟はかわいくてかっこいいもんねー』


「ねー」


少なくとも軽薄が服を着て歩いている様な五条よりは、優しくて甘えん坊で素直でお茶目な悟の方がずっと可愛い。
なによりぬいぐるみである。もうフォルムが可愛い。
悟をしっかり抱え直すと、私達を順に見た虎杖くんが苦笑いした


「えーと………先生、ガンバ!」


「ねぇ悠仁それって僕にミリも可能性ないって言ってる???嘘でしょ???
ねぇ怒らないから此方見な???ねぇ????」




















夜、悟にブラッシングをしながらテレビを眺める。
もふもふになったぬいぐるみはチロルチョコを食べながら、動物特番を私の膝の上で退屈そうに観ていた


『悟は犬とか猫って嫌い?』


「弱いからそもそも俺に近付いて来ないし、刹那の膝に乗るかもって考えたら憎たらしいよね」


『私も動物に嫌われてるのか近付いて来ないんだよね。ちょっと寂しい』


「刹那には俺が居るじゃん。他とか要らなくね?」


『そうだね。悟が抱っこさせてくれるんならいっか』


「わーい!!」


ぎゅうっと抱き付いてきた悟を受け止める。そのまま悟とじゃれてから、眠りに就いた。















「────それで?オマエは何なの?」


「そんな使い古した誰何しか出来ねぇの?俺は俺。刹那の悟。かわいいクマちゃん。他にラベルが要る?」


「大体全部イラつきしかないんだけどさ、そうじゃない。オマエは────」









「オマエは、僕だろう?」










にんまりと笑った影が、人の形を象った。












君の為のテディベア














刹那→一般人。
次の日かわいいクマちゃんが不審者と同じ姿になっていてびっくり。
でも中身は悟だったので秒で絆された。
軽薄が服を着て歩いている様な五条より、優しくて可愛い悟が好き。
動物に嫌われる訳じゃない。寧ろ好かれるタイプ。
動物が近付いてこないのはぬいぐるみの所為。

悟→じゅじゅっとしたクマ。
人の形になるけど、何時も通り刹那に甘えて何事もなくクマちゃんポジに戻った。抱っこされるクマ(ぬいぐるみ)から抱き抱えてくるクマ(成人男性)になる。
このクマは人生二週目なので、刹那がどんな風にされると弱いかを熟知している。

五条→不審者。
刹那に付いて回るクマを排除したい。
つつくと楽しいので刹那ともっと話をしたいけど、彼女からは嫌われている。
悟が人の形になる事で嫌われるかと思えば、直ぐに良好な関係を築いていたので舌打ちした。


目次
top