梅雨空

ざあざあと、空一面が暗くなり、白線を絶えず地に叩き付けている。
梅雨の時季は喫煙所に行くのも億劫だ。
そんな事を思いながら、私は後ろの席のクズ二人に目を向けた。
黒いクズは携帯を熱心に見ていて、白いクズはマッチ棒をキャンプファイヤーの囲い木の様に組んでいた。オイ誰だ二歳児にマッチ渡した奴。
語部と黒川と湖島は三人で秋田に飛ばされたらしい。語部から湖島に私達少なくとも三十回は殺されてますと怒りのメールが来た。
そして最後────此処に居ない上に、連絡が取れていない刹那の席を見る。


「刹那、どんだけ酷使されてるんだか」


「特級の私達でさえ何回か帰ってきてるのに、刹那は一週間前に出たきりでまだ戻って来てないんだろ?」


「クソ猫に聞いたけど、海沿い連戦中。ついでに近くで起きた災害にもあちこち駆り出されてんだと」


「はぁ?一級の刹那が馬車馬になってんのに何で特級のお前らが此処に居るんだよ。行ってこいよ」


「俺だって行きてぇの!!でも待機命令出てんの!!!
この雨で土砂崩れ起きる可能性があるから、其処で発生する一級の相手しろとかほざかれてんの!!!」


「私も同じさ。悟とは反対方向の警戒区域を任されてる」


そう呟いて、夏油が溜め息を吐いた


「…正直、崩れた直後よりも災害が起きて暫く経った方が、呪霊は発生しやすい筈だ。
それなのに何故私達は此処に留められ、刹那だけが酷使されているんだ?」


正直刹那は便利な術式と鉄扇を持っているが、純粋な殲滅力ならクズ二人に大きく劣る。
おまけに体力も男の方があるのだから、幾ら地形や気候的に有利な刹那でも、こいつらより連戦に向いているとは言い難い


「────決まってんだろ。嫌がらせだよ」


いつの間にかマッチ売りを止めたらしい五条が、今度は机の下から弁当箱ぐらいの箱を取り出した。
ぱか、と開けられた箱の中に詰めてあるのは、薄茶色の筒と複数の配線。
それから赤いデジタル数字でも表示されそうなパネルだった。


「(どう見ても時限爆弾)」


「(硝子、私達は何も見ていない。いいね?)」


「(りょーかい)」


アイコンタクトで見ないフリをしようと取り決めて、何食わぬ顔で中にマッチ棒を設置し始めた五条の話に耳を傾けた


「現状、俺と傑の二重防壁はほぼ完成してる。でも爺共はまさか、禪院の次期当主まで俺に付くって思わなかったんだろうよ。
…だって、直哉と仲良くしてんのを見られてからだろ。刹那の海沿いプラスで災害真っ只中の土地に突撃任務が始まったの」


「……つまり、上は刹那に嫌がらせをする為に、最大戦力である私達を此処に留めているのか?」


「そ。…俺の弱点はオマエらだ。俺が強くなれる理由で、同時に露出した弱点。
爺共からすれば、俺を狙うよりも簡単に俺の心に傷を付けられる、お手軽アイテムって認識だろうよ。
大っぴらには手を出せねぇ。でも幅効かせてウゼェクソガキの頭は叩きたい。
そう考えると、先ずはそのクソガキの大事なモノを、壊れない程度に使い潰すのが妥当ってワケ」


工具を手に爆弾を弄っている五条が、蒼い目をすっと細くする


「もし壊れれば、ああ可哀想にもう呪術師は諦めて、立派な孕み袋になろうね♡って囲っちまえば問題ナシ。
そうすれば俺から刹那を奪ってどっかの家に嫁がせるか、胸糞悪い使い方だって出来る」


「…刹那の囲いは完全だと思っていたんだけどな」


「腕があって呪力も豊富で顔も良ければ、どんだけ払ったって虫は沸くんだよ。俺のテディちゃんったら罪な子。
大体耄碌ジジイ共が自分の妾にしようとしてんのマジでキモイ。オマエらの爪楊枝だかこんにゃくだか判んねぇちんこまだ使う気なのホント無理。
幾ら新鮮な精子が作られるっつっても肝心のブツが乾涸びたこんにゃくゼリーとかマジねぇわ」


「ははは、言い得て妙だな」


「そもそも新鮮な精子だって薄いしぜってー雑魚じゃん。ションベンみてぇな精液の中で一匹泳いでりゃ奇跡だろ。
せめて自分の息子に譲れよ何で妾なんだよ中折れどころか勃たねぇだろジジイ共」


「中折れwwwwwwwwwwww」


「男共の下ネタ好きってどうにかなんないの?キモイ」


下世話な会話に舌打ちを溢し、そう言えば五条がそんな会話を自分から持ち掛けて来るのは久々だと気付いた。


「そういや五条、あんたが下ネタとか久し振りじゃない?」


「そう言えばそうだね。でもテレビでは笑ってるよね?」


「ウン」


夏油の言葉に頷いて、視線を上げる事もなく平然と五条は言った


「刹那が下ネタやだって言ったから」


だから、あんまり言わねぇ様にしてる。
何でもない様に放たれた言葉に夏油と目を見合わせた。


「(こいつホント刹那全肯定botだな)」


「(刹那が言ってたって言えば何でも聞きそう)」


夏油とアイコンタクトして頷き合う。
つーか私の前でも下ネタやめろよ。そもそも女の前で言うな。
最後にガチャガチャと配線を弄って五条は箱を閉めた。
爆弾を手にすっと立ち上がり、此方に目を向けてくる


「ちょーっとオジイチャン達のケツに火ぃ点けてくっから、傑は先に刹那の任務地に行っててくれる?
場所は全部クソ猫が知ってるから」


「ああ、判った」


「五条、私はどうする?」


「硝子は念の為待機。刹那が怪我してたら直ぐに連れてくるから、クソ猫の回線は開いといてね」


〈オマカセアレ!〉


〈せつなっち オツカレ ショゲショゲシテル〉


〈ジジイ ブッコロ?〉


廊下から教室に入ってきたさとるっち達は、好き勝手話しながら近付いてきた。
刹那の情報を開示した、少ししょんぼりしたさとるっちが夏油の肩に、老人虐待を仄めかす猫が五条の許に。
私の机には元気良く鳴いたさとるっちが飛び乗った。


「さーて、可哀想なテディちゃんのお迎えに上がりますか」
















────雨が降る。
自然の恵みと歓迎される天の白糸は、しかし過ぎれば地上の何もかもを押し流す瀑布に姿を変える。
雨がざあざあと降り注ぐ中、私はぬかるんだ土の上を走っていた


『オラ逃げんなぁ!!ツラ貸せよカエルもどきぃ!!!!』


「こわ、こわわわわあああああ…コワイイイイイイイイイイい!!!!」


『はぁ!?だったら止まれ!一発で仕留めてやるから!!!』


連日寝る間も削って移動と任務を繰り返す身体は既に悲鳴を上げていたが、今その声に耳を傾けてやる余裕はない。


聞けば最後、きっと私は立ち上がれなくなってしまう。


もう指一本動かせなくなって、このカエルもどきの呪霊に殺される。
そんなのは御免だった。呪術師となった以上死は覚悟しているが、それはまだだ。今じゃない。


『クソガエル、止まんねぇなら止めてやるよ……』


視界は豪雨で最悪。すぐるっちが捕捉してくれているからこそ平然と追えるのであって、普通に見えていない。
しかも奴は脚が速いのだ。こんな泥濘の中でスピードスケートみたいなフォームで逃げていくので冗談抜きで殺意が沸く。綺麗に走るな。せめて無様に逃げろ。


『さとるっち!追い込め!』


〈ブチカマスゾ!〉


木の上で待ち伏せしていたさとるっちが飛び掛かる。白い塊に気付いていなかったんだろう呪霊が脚を止め、迎撃の体勢に入った。
カエルに、狙いを定める。
呪力は残り少ない。遊んでいる暇なんてない、必ず当てる。
ぴたり、空中でさとるっちが静止して、小さな身体を跳ね退けようと振るわれた腕が空を切った


『────脚、置いてけぇ!!!』


カエルの真下の泥濘から水のシャチが飛び出した。
ぶち、と呆気なく強靭な顎で腹から下が喰い千切られ、緑色の身体が泥に落ちる。
その脳天目掛け、鉄扇を叩き付けた。


『…っはぁ…はぁ……脚速いんだよカエルもどき……』


〈ニンム カンリョウ!〉


術式を動かしていた呪力が尽きる。
ばしゃりとシャチがただの水に戻り、ふらつきつつどうにか太い木の幹に寄り掛かった。
目が霞む。大きな傷はないが、如何せん術式と呪力を使い過ぎた。
只でさえ私の術式は使い過ぎると体温を奪われる。それなのに今はこの雨だ。
長時間豪雨に晒された身体は芯から冷えて、もう感覚もない。


〈カコメー!!〉


〈アッタメロー!!〉


〈せつなっち! ネチャダメ!!〉


『あは、は………だっさい…死に方…』


目蓋が重い。
ぺしぺしと頬を叩くのはしょうこっちだろうか。肩を揺すっているのは多分すぐるっちだ。
目を開けなきゃ。でも重たくて、持ち上げられない。
僅かながら確保した視界の端に、左手に飾り紐を使って縛り付けられた鉄扇を見付けた。
五条の紋が刻まれた相棒とも呼べる呪具に、大好きな人達の笑みが浮かぶ


『………さとる…しょうこ…すぐる……』


かえりたかったなぁ。
目蓋が落ちるのと同時に、何処かから梅の花の匂いがした。


















悟と硝子と別れ、私は手持ちの中で一番速いペリカン型の呪霊に乗った。
到着まで呪霊がへばる程飛ばして三十分弱。
帳が上がっていく森に近付き、手頃な場所に降り立とうとして────そこに居る筈のない男に目を丸くした


「悟????」


「あ、傑。遅かったじゃん」


…上層部にお届け物()に行った筈の悟が、刹那を横抱きにして此方を見上げていた。
何故だ?上層部の居る建物に向かう悟を見て私は直ぐに高専を出た。お届け物()を巻きで終わらせたとして、悟は私の様に長距離を一気に移動は出来ない筈だ。
術式による瞬間移動も色々と制限がある上に、長距離や行った事のない場所はまだ難しいと以前本人が言っていた。
軽く地を蹴って宙でぴたりと留まると、呪骸をこんもり乗せた刹那を見せてくる。


「見て、可哀想に凍えちゃってんの」


「悟、何で私より早く此処に?」


「?そんなの、刹那が俺を喚んだからに決まってんじゃん」


喚んだ。
その言葉で悟が私より早く此処に辿り着いた理由を察した。


「生贄ナシでダイレクト召喚するにはモンスターが凶悪過ぎないか?」


「刹那限定だから無問題。つーか何で遊戯王?」


「悟ってブルーアイズに似てない?」


「知ってた?ブルーアイズのモチーフって鮫なんだと」


歩いて呪霊に乗り込んだ悟は、高専に向けて飛び始めた呪霊の嘴の隙間から外を覗きつつ、会話を続ける


「恵が宝石獣デッキ好きでさぁ、アイツすーぐカーバンクルとペガサス置いてレインボー出してくんだわ」


「宝石獣か。それはまた厄介な」


「レインボードラゴンのアタックをミラフォで跳ね返したらキレた」


「それはひどい」


「めんどいから罠カードとモンスターカードの位置全部溜めきった所で激流葬使ったら泣いた」


「かわいそうなめぐみくん」


大人げない。折角万全の布陣を敷いた瞬間にリセットはあんまりだ。
勝てる!と思った瞬間の跳ね返しミラフォも地味に腹が立つ。


「悟はどんなデッキ使うの?」


「レダメ」


「嘘だろ」


「ワイバーンでレダメ出してマテドラとついでにブルーアイズも置いてたら、敵討ちしたる!とか言って交代した直哉が激流葬出したからマテドラで無効化したらキレた」


「かわいそうななおや」


「後はレダメに団結の力三貼りしたら拗ねた」


「とてもかわいそうななおや」


「ブルーアイズ二体にしたら泣いた」


「もうやめてやれ」


禁止レベルのカードで幼子を殴るな。
罠魔法破壊無効モンスターを幼子に使ってやるな。
只でさえ厄介なモンスターを強化して固くするな。
純粋に攻撃力で蹂躙するな。
悟とデュエルして泣かされる恵くんと直哉が目に浮かぶ。
そもそも四歳でデッキ組んだの?凄いな?


「恵くんは自分でデッキを組めるのか?」


「俺がアイツの組みたいデッキ聞いて、そんで骨組み作んの。そっからは全部恵にやらせる」


「へぇ」


「デッキ組ませたらソイツの戦術傾向って大体読めるじゃん?アイツ多分防御型だわ。刹那と似たタイプ。
多分アイツの相伝、十種の方なんだけどさ。それもやっぱり自殺技持ちなんだよなぁ」


刹那をしっかりと抱え直し、悟がぼやいた。血の気のない頬にそっと触れると、思ったよりも熱があって安心した


「…自殺技持ちってのは、どうしてこう……頼るのが苦手なのかね。恵も意地っ張りだろ」


「刹那は責任感が強いからね。任された事は自分でやらなければと思うんだろう」


「信頼して任されるのと潰す為に押し付けられんのは違ぇだろ。こうなる前に、連絡の一つでも寄越せっての」


むすっとした悟が刹那の細い首もとに顔を埋めた。
確かに現地の術師からの催促があれば、私達でなくとも誰かが派遣された筈だ。
それもせず、全ての任務を自分でやりきったこの子はもう少し、頼る事を覚えた方が良い。


「起きたらどうやって甘やかそうか」


「はは、怒んねぇの?ママなら怒るかと思ってた」


「頑張った可愛い子は、叱るよりも褒めるに限るよ」










雨の行路










刹那→梅雨に海沿い遠征した。
任務だけならまだしも災害現場にまで向かわされ、強いストレスに晒された模様。濁流の向かう先をこっそり変えたりしていたら呪力を使い過ぎた。
その結果、最後の任務で呪力空っぽになって倒れた。
あのまま放置していたら低体温症で死んでいた人。

五条→喚ばれたので飛び出た人。
やっぱり刹那に飛梅の事を話すのを忘れている。
お届け物()をこっそり上層部の会議場に置いてきた。

夏油→急いで行ったら先に五条が居てビックリした人。
お届け物()に見て見ぬフリをした。

硝子→高専で待機した人。
このあと湯タンポを用意する。

さとるっち→やっぱり万能。

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