意識改革しましょうね

手が、赤く染まっている。
目の前の人は動かない。
もう、動かないのだ。二度と。


────私が、殺したから。











突如発生した大量呪殺事件の起きた現場に私と硝子は送り込まれた。
幾ら悟と傑の庇護下に置かれようと、私達は未だ学生だし、所属は高専だ。正式に任務がくれば、それも緊急ならば逆らえる筈もない。
大至急、丁度出払っていた悟と傑が着くまでの時間稼ぎに私は当てられ、地下鉄を覆う帳に入った。硝子は帳の外で補助監督と待機していた。


そこで見たのは地獄だった。


千切れて転がる腕。
通路にぶちまけられた血飛沫。
潰れたトマトの様に広がる人だったものの肉片。
捻り切られた誰かの頭部。
鉄臭さと、他の色々なものが雑ざった嘔吐きそうになる悪臭。
込み上げてきた酸っぱいものを無理矢理飲み下し、残穢を捜した。


見付けた時にはそいつは少年の胴体をバリバリと喰らっていて、咄嗟に術式で吹っ飛ばした。


投げ出された少年を救おうと彼を見て、息を呑む。
少年は既に、呪われていた。
恐らくは喰われた先から奴の呪力が身体に潜り込んでいて、血の噴き出す肉を掻き分けて触手が生えた。
目の前で痙攣する小さな身体。ぬめった触手がぐちゃぐちゃと音を立ててどんどん増えてくる。


……助ける術が、なかった。


硝子の許に連れていくには敵が強過ぎて、そして何より、少年自体がもう虫の息だった。彼はもう、苗床と化していた。
…言い訳だ、何もかも


『…ごめんね』


虚ろな目を閉じさせて、呪力を流し込む。
体内に残った血液を凍らせて、触手ごと彼を殺した。
動かなくなった少年から目を離し、持ち込んだ水を使って氷の剣を作り上げる。
剣を握った手は赤く染まっていた。











目が覚めた時には見慣れた天井だった。
保健室のベッドの上、並ぶ三つの顔に深く息を吐き出した。


良かった、生きて帰れた。


既に硝子が治してくれていて、大きな傷はない。
結局あの呪霊は一級だったが、私との交戦中に変態、特級へと等級変更。
戦闘不能になった私が殺される前に要請を受けた悟と傑が来てくれたらしい。


『ありがとう、悟、傑、硝子』


「特級相手の時間稼ぎとかねぇわ。先ず水持っていかせろよ、何で1Lのペットボトル五本しか持たせねぇんだ」


「せめてダムの傍か海か川の傍だったら良かったのにね」


「特級相手で生きて帰ってきただけでも御の字だよ。おかえり、刹那」


『ん、ただいま…』


ぎゅうっと硝子に抱き付いて、そこで漸くというか、改めて自分は死にかけていたのだと自覚した。
それと同時に脳裏に浮かぶ、目の前でぶちまけられた血飛沫と、血に塗れた少年の姿。
助けられなかった。
もしあの場に悟か傑が向かっていたなら、彼は助かったのだろうか。
私にもっと力があれば、奴に負ける事なんてなかったのだろうか。


「今日はもう帰って良いと言われてるけど、どうする?」


『…皆は?』


「私は任務が一件あるけど、悟と硝子は座学だよ」


という事は、家に帰っても誰も居ないのか。正直今は独りになりたくなかった。
…けれど夜蛾先生も気を遣ってくれているのだし、素直に従った方が良さそうだ。
帰るよ、そう言おうとした私の身体がひょいとベッドから持ち上げられ言葉は引っ込んだ


「硝子、俺ちょっと授業フケるわ。後よろしく」


「え、ちょっと五条」


「悟?」


「馬鹿を寝かせてくる」


そう言ってさっさか保健室を出てしまう悟に目を丸くしつつ、最早慣れてしまった横抱きで運ばれる。
長い足で高専の敷地内に建てた家に戻ると、そのまま部屋に直行した。
ただし私の部屋ではなく悟の部屋で、何故此処なのかと首を傾げる


『悟?』


大きなベッドに降ろされて、雑に学ランを脱いだと思えば悟も布団に入ってくる。
肩まで布団を掛けると、少しだけ高い位置からじっと私を見下ろしてきた。
頭がそっと持ち上げられ、その下に腕が通される。
所謂腕枕をされ、のそのそと丁度良い位置を捜した。
動かなくなった私を見つめながら、悟が呟いた


「疲れた?」


ぽつりと落ちた問いに頷いた。
大きな手がゆっくりと頭を撫でる。まるで壊れやすいものに触れているかの様に。
普段は雑な癖に、こういう時は酷く優しい手に目を閉じた。
ゆっくりと、思い出す。


『左手潰されちゃってさ。足も折られてて、痛くて怖かった』


外で硝子が待っててくれている。
此処で踏ん張れば、悟と傑が来てくれる。
親友達の事を思い浮かべながら明らかに格上の呪霊に立ち向かった。
でも、術式開示までしたのに敵わなかった。
反転術式を使えない私に怪我は治せない。抉れた場所を何とか持参した水で凍らせて止血して、死なない様に立ち向かった。
辺りにぶちまけられた血を使役する事で武器がなくなる事はないという事実で吐きそうになった。
それでも足を折られ、首を掴まれぐちゃりと左手を潰され、ずっと握っていた鉄扇が床に転がった時には諦めそうになった。
その時悟が蒼で呪霊を祓い、投げ出された私を傑が受け止めてくれた。
だから、私は生きている。
生き残って、いる。


『……助けに行ったのにさ、目の前で、食べられた』


併設された本屋のカウンターで怯えていた少年は、にんまりと嗤った呪霊に頭から食べられた。
頭部を失った首から嘘みたいに血が噴き出して、一瞬頭が真っ白になって。
そして、右足からボキリと嫌な音がした。
勿論痛いのも怖いのも好きじゃない。
けれど養子でも呪術師の家で育てられた所為で、呪霊と戦う事に関しての嫌悪はそこまでない。
ただ、ただ思ってしまうのは


『………助けられなかったのが、しんどい』


カウンターに隠れていた少年の怯えた顔。


『……助けられなくて、私が、殺した』


触手が生えていた虫の息だった少年。


私じゃなくて、悟だったら。
私じゃなくて、傑だったら。


あの子達は、助かったのだろうか。


「────死んだ人間の頭並べんのは楽しい?」


ぽつりと低い声が落ちる。
ゆっくりと視線を上げた先、宝石みたいな蒼が細められた


「俺も傑も居なかった。オマエだけが間に合って、そして生き残った。そんだけの話だ」


『……………でも』


「俺も傑もオマエも、助けられる人間には限りがあんだよ。
大体非術師でごった返してる場所に装備足りねぇ一級時間稼ぎに放り込んで、相手が特級になって、それで五体満足で帰ってきたんなら上出来だろ」


何が不満なんだと言わんばかりの悟が判らない。
非術師を護る為に呪術師は戦っている。それなのに、何で彼は誰も護れなかった私を責める事もなく、怪訝そうな顔で見つめているのか。


『……私、助けられなかったんだよ?』


「オマエは神様かよ。雑魚が自惚れてんな、助けられる数なんてタカが知れてんだろ。
今回はオマエが向かった時点で手遅れだった。
それにあの呪霊を外に出さなかったって点で見ればオマエは被害を食い止めてんだ、文句ねぇだろ」


『呪術師は、非術師を護らなきゃ…』


「だから護れなかった人間の骨数えて泣いてますーって?くっだんねぇ、傑程じゃなくてもオマエも正論好きだよな?それで自分で自分の首絞めんの楽しい?マゾかよ」


『……護らなきゃいけない非術師を、殺した』


「介錯してやっただけだろ。呪いに取り込まれるよりマシ。で?次は?
だぁい好きな正論でもっと首絞めてみろよ、泣きながらオナってる姿をオマエが満足するまでずっと見ててやるから。
なんなら手ェ貸してやろうか?イイトコ触ってあげるけど」


……………………………。
いやクズだな?
思わず固まった私を平然と見下ろしてくる男は何を思ったか、私の唇を親指でなぞった。


「言っとくけど、仮にオマエが自分の命と引き換えに非術師護ったりしてたら俺ブチ切れてたから」


『え』


さらっと言った癖に、妙に蒼がギラついている。
え、こわ。言葉と視線の温度差えっぐい。あれ、キレてます?
ふにふにと私の唇を押しながら、悟が口の端を持ち上げた。
笑っているのに、獣が牙を剥き出しにしている様に見えるのは何故なのか


「傑は知らねぇけど、俺は正直顔も知らない非術師百人とオマエのどっちか助けろって言われたら迷わずオマエを選ぶよ。
だって知らねぇし。たかが百人の雑魚の代わりにオマエが死ぬとか有り得ねぇから」


『いや、だから呪術師の義務…』


「俺さぁ、正論って嫌いなんだよねー。
俺が日々楽しく生きる為に必要なモノを選んで何が悪いの?
前に言ったろ?俺、正直オマエと傑と硝子以外はどうでも良いって。
俺に何もしてくれない有象無象なんかより、俺と笑ってくれるオマエらを優先して何で悪いの?」


堂々と言い切られてしまうと何も言えなくなる。え、これ私が可笑しいの?悟だよね?私普通だよね?
驚いて何も返せない私の目尻から、瞬きに合わせて涙が零れた。
たった一粒転がり落ちた雫にこの世のものとは思えない美貌が寄せられて、ちゅう、と頬に柔らかなものが吸い付く。


「ねぇ、顔も名前も知らない死人の骨なんかほっといて俺達と地獄巡りしようぜ?四人なら寂しくないだろ?
幾ら首並べたって船に乗る為の駄賃にもならねぇよ」


『…ほんと、酷い』


「骨数えてそいつら生き返んの?正論でオナって楽になれんの?
言っとくけど、オマエみたいなタイプは傷を化膿させるよ。
正論で瘡蓋剥いで、じゅくじゅくになった傷に罪悪感で爪立て続けて、要らねぇ後悔で細胞が壊れるまで掻き毟る」


ぽろり、もう一粒涙が零れた。


「家にも居たよ、あの腐った家でマトモな感性持ってたがばっかりに壊れた奴。
この世界じゃイカれてなきゃやっていけない。
硝子はその点ちゃんとイカれてるから、特に心配ねぇけどさ。オマエと傑はダメ、
クソ真面目。


俺はさ、オマエも傑も赤の他人に壊される気ないんだよね。


…だから、俺がオマエをイカれさせてあげる」


涙がちゅう、と吸い取られる。
どろどろとした甘い声が愉しそうに震えた。


「勉強、しよっか」


いやだ、やめて。
耳を塞ごうとする手を押さえられた。
馬乗りになって、指が絡む。
恋人繋ぎになって、ふふ、と酷い男が笑った


「生きて帰ってきてお利口だったね」


────ああ、だめだ。
そんな蕩けた声で、そんな顔で肯定されてしまったら。


「おかえり、刹那」


迫る蒼に私は目を閉じた。












「で?ヤったの?」


『んぐっ』


「うわきたなっ」


硝子の問いに噎せた私は何も悪くないと思う。
いや待って?幾ら親友とはいえ明け透け過ぎない?女の子の猥談ってエグいけどそれ堂々と聞いちゃう?


『ヤってないです』


「は?ヤれよ。私今年中にお前らがヤる方に賭けてんだぞ」


『いや最低だな???』


なに賭けてんの???
なんつーもんを賭けの対象にしてんの?
ドン引く私の口にサラダ味のうんまい棒を押し込んで硝子が頬杖を付く。


「夏油はヤらないでタバコ1カートン。私はヤるで高級土産」


『硝子、あんたもクズだったん…?』


「呪術師なんか皆そんなもんだろ」


『デリカシーって重要だと思うよ』


「私らの半分が生理の日に「生理か?」って聞いたり「血の匂いがするけどちゃんと言うなって止めたんだよ?」とか抜かすデリカシーナシ男だけど」


『だめだクズじゃん』


せめて気付いてないフリでもしろよ。何で二人して生理だって気付いてますけど何か?みたいな雰囲気出すの?スルーしてくれよ恥ずかしいわ。
苦笑いしつつ硝子にめんたい味のうんまい棒を差し出した


「でも最近刹那、寝る時五条のトコ連れていかれるじゃん。だから私はヤった方に賭けたんだけど」


『あー、あれね』


あの事件から一月程度。
悟の部屋に連れ込まれているのはそういう甘い行為ではなく


『洗脳受けてる』


「なんて????」


二度見した硝子にあ、と漏らす。


『ごめん、カウンセリングだった』


「話してみな?多分洗脳だから」






「────刹那、オマエが生きてる事が一番重要だ。顔も知らない非術師なんかより、オマエが生きて帰ってくる事が大事なんだよ」


「刹那、非術師はついでに助ければ良いんだよ。オマエに余裕がある時だけで良い。気に食わなかったら見てないフリして良いよ。
オマエはオマエを護んなきゃいけないんだから、誰も刹那を責めたりしない。
んー、そうだな…あいつらは金蔓だって思えば良い。
それにたまたま見掛けた奴助けてやったって直ぐに金くれる訳じゃねぇんだから、無理して助けなくて良いよ」


「刹那、非術師ってのはさ、幾ら俺らが助けてやったって感謝なんかしねぇよ。だから、必ず助けてやる必要なんかねぇ。助けてやった非術師が善人かも判んねぇし、折角助けてやっても明日自殺するかも知れねぇし、明後日人を殺すかも知れねぇ。もしインチキ呼ばわりなんてされたら殺したくなるだろ?
だからな、刹那。
オマエが、命を懸けて非術師を必ず助けてやる必要なんかねぇよ」


「刹那、オマエは呪霊を祓うだけでもう頑張ってんだよ。呪術師として頑張ってる。あいつらを祓うオマエは、顔も知らない誰かを助けてるんだよ。
ほら、オマエがやりたがってた人助けを出来てる。偉いな?うん、えらいえらい。
…だから、例え目の前の非術師を取り零しても、オマエはなぁんにも悪くねぇよ。
自分の命をちゃんと護った刹那は、何にも悪くないんだよ」


「刹那と俺と傑と硝子、それから呪術師。オマエが優先する命はそれだけで良いよ。
何よりオマエの命を優先すること。俺と傑と硝子はその次。呪術師は俺達の下。それ以外はオマエの気分次第で良い。
オマエは、オマエを一番に護り抜け。俺との約束だ」






『………大体こんな感じ?』


「完璧洗脳だわ」


深く息を吐き出した硝子が呟く。
あ、やっぱり洗脳?
レモンティーを一口飲んで苦笑いした


「自分にべったり依存させるとかじゃなくて、あんたの考え方をシフトさせようとするマインドコントロールだね。
御丁寧に名前を呼んで、私は貴方の味方ですよー、貴方の事が好きですよーって刷り込みまでやってる」


『やっぱりマインドコントロールか。めっちゃ成功してんね』


予想はしていたけど、悟のカウンセリング(という名の洗脳)はどうやらばっちり効いてしまっている様だ。
甘々全肯定botみたいな対応でイカれろ♡イカれろ♡を毎日されてみろ、正直頭のネジが飛ぶ。
最近は非術師?…金蔓かな?とか思いつつある自分が怖い。


「即堕ち2コマってヤツ?」


『いやいや、あのスペックフル活用して甘やかされたらさぁ……』


「何してくれんの?」


『毎日腕枕で頭撫でながら優しい顔で甘い声出して洗脳してくる。
最近は呪霊祓うだけで褒められてるから、最終的には生きてるだけで褒められそう』


「全肯定botかよ。キスは?」


『ちょいちょいする』


「舌入れる?」


『それはナシ。猫の毛繕いみたいな感じ?安心させる為にするみたいな』


大きな身体で包むみたいに抱っこされて、甘い声で非術師なんかより自分優先しろ、非術師が死んでも気にするなって囁かれて、良い子だね、頑張ってるねって言いながら色んな所にキスされる。
あいつのカウンセリングの時間はただただ気持ち良くて、安心出来て、もっと褒めて欲しいと思ってしまう。しまう、のだが。
…いやなかなかやばいな?


『……今気付いたんだけどさ?』


「うん」


『洗脳してくる同級生って怖くない?』


「今更???」


『いやだってキスまでされてるし。私初めてだったんだけど』


「おめでとー。そのまま処女も捧げてきて」


『おいタバコの為に親友売るなよ』


睨む私の視線なんて気にもせず、硝子は椅子に体重を預けた。
大きな目がちらりと此方に向けられる


「ぶっちゃけ五条から逃げられるとも思えないから、早いトコ腹括んな」


『えっ』


「毎晩イカれろ♡イカれろ♡されてる時点で即堕ち2コマ案件だろ。もう今年も少ないから早めにヤれよ。あ、ちゃんとゴムはしろって言っといて」


『だから親友をタバコの為に売るなとあれほど』









目を閉ざす君を連れて歩こうか






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