独りはダメだよ

────沈んでいく。


泥みたいに汚い水が脚に絡み付いて、真っ暗な世界の中で、どんどん身体が沈んでいく。
水ならば簡単に動かせるのに。
呪力を流そうにも手は動かず、ただ沈んでいく己を見ているしかない。


────お前が死ねよ!!


────助けてくれぇ!!!


────娘が!!娘がまだ家の中に!!


────■■■■■■■■■■!!!


……ごぼり、と頭まで汚い水に浸かる。
そこで、真っ赤な眼でじいっと此方を見詰めるシャチの姿を見た。


















「大丈夫だよ、刹那。此処にオマエを苛めるものなんてなんにもないよ」


……こえが、きこえる。


「起きたら何しよっか。皆で外で遊んでも良いし、家でだらだらするのも良いよな」


ゆらゆらと、水の中で漂う様な柔らかな眠気に包まれながら、優しい声を聞いている。


「……ふふ、まだ寝る?それでも良いよ、好きな時に起きれば良いから」


声が楽しそうに踊った。
眠りの薄布を捲らない程度の、囁く様な潜められた声。
身体を包む温もりに頭をぐりぐりと押し付けてみる。
柔軟剤と、悟の匂い。


「んふふ、擽ってぇ。なぁに?甘えたなの?」


優しく頭を撫でられる。
その手付きが気持ち良くて、抱き付いたままの腕に力を込めた。
眠気の薄布を少しだけ捲って、重い目蓋を持ち上げる。
視界一面に広がるのは肌色で、そこで漸く悟の首もとに顔を突っ込んでいるのだと気付いた。
深く悟の匂いを吸い込んでみる。
…ああ、安心する。
心地好い匂いに一度目を閉ざし、それから目蓋を持ち上げて、のそりと身動いだ。


「お、起きた?おはよう刹那」


『…………おはよ。夢…?』


「夢じゃねぇよ。へぇ、早起き得意なテディちゃんも流石に疲れ果てたら寝惚けるんだ?良い事知った」


そう言ってくすくすと笑って、目蓋が半分も持ち上がっていないであろう私の鼻先に唇が降ってきた。
……夢ではない、らしい。






















結論から言うと、連戦でバテた私を悟と傑が回収してくれたらしい。
大変申し訳無い。大雨の中で無駄に手を煩わせてしまった。


「35.2℃か。刹那、具合はどうだ?」


『んー、ちょっとだるい』


ソファーに座る悟の膝の間に毛布を巻いて座らされた私は、硝子に問診を受けていた。
体温計を見る硝子の問いにそう返すと、彼女は何故か私を抱える悟に目を向けた


「五条、お前の推察は?」


「腕を持ち上げんのもダルそうな感じ。あと寒気」


「判った。絶対安静な」


『えっ』


嘘でしょ?動けるよ?
思わず硝子を二度見するが、暖かな手で頬を撫でられただけだった。
当人より悟の推察を取った?え?信用ないな???
そう思って目を丸くしていたが、硝子の顔を見てすっと背筋を伸ばした。
…硝子がとても、痛そうな顔をしていたから


「…五条と夏油がアンタを連れて来た時はゾッとしたよ。だってアンタ、身体が冷えきってたんだ」


死体みたいな冷たさだった。
もう、間に合わないんじゃないかって、一瞬でもそう思った。
少しだけ震えた硝子の呟きに、心の底で蜷局を巻く罪悪感が首を擡げた


『……ごめんね、硝子』


「…任務を断るのは難しいかも知れないけど、キツいなら五条や夏油に言いな。
アンタはその術式上、低体温症になりやすいんだから」


『はい…』


素直に頷くと、そこで漸く硝子が微笑んだ。するりと首に腕が回されて、優しく抱き締められる。
重たくて動かない腕の代わりに、硝子の首もとにすりすりしておいた


「え、良いなー俺も混ぜて!」


『ぐえっ』


「おい馬鹿力!!空気読め!!!」


硝子ごと抱え込んだ悟に押し潰されて、硝子が悟の頭を叩いた。



















絶対安静であるらしい私は、なんだか一日中悟に抱えられている。
ぽかぽかで丁度良いのだけど、任務は?あんた任務はどうした?


『ねぇ、悟』


「なぁに?あ、ポテチ食う?」


『今は良いかな。そうじゃなくて』


「じゃあココア飲む?」


『あとで貰おうかな。いやそうじゃなくて』


「あ、判った。寒い?毛布追加する?」


『任務はどうしたの五条さん!!!!』


会話をブッチする勢いで問えば、悟は大きな目をぱちぱちさせた。
それから此方に向けて、ふにゃっと笑う


「休みだよ。傑も遊びに行ったけど、夜には戻るし」


『……特級二人が一日オフ…?嘘でしょ…?』


「なんかね、上層部でゴタゴタが起きて、任務を振り分けるのに難航してるんだって。だから緊急時以外、三日は全員の休みが確保されてんの」


『え、三日も?』


「指揮系統ゴチャついてんのに任務降ろして死なれたら、責任問題とか面倒だからじゃね?
アイツらにとって結局猿が何匹死のうが書類の数字な訳だし、どうでも良いんだろ」


上層部で指揮系統が乱れる程のゴタゴタって、一体何が起きたのやら。
あれだろうか、日頃の恨みが爆発して誰かがテロ起こしたとか?悟ならバルサンしそうだけど。
まぁ上層部はヘイトを稼ぐのがお上手なので。
そんな事よりも、私は他の事が気になった


『……じゃあ今日は、みんな居るんだ』


悟も硝子も傑も、居るんだ。
……もう、ひとりじゃないんだ。
へへ、と気の抜けた笑みが意図せず溢れてしまって、少し恥ずかしくなった。
意味もなく咳払いして表情を戻し、そこで悟が沈黙している事に気付く。
目を向けると、悟が真顔で此方を見下ろしていた。え、こわ


『え?五条悟さん…???』


「は????なんだこのかわいいいきもの。俺達が居るとそんなに嬉しいの?かわいいかよ。いやかわいいんだよ知ってた。なんだおまえかわいすぎて心臓がぎゅうっっってなったんだけどどうしてくれんの???
あっ、ねぇ唇食ませて。赤くて柔らかかくて甘いだろ。オマエの唇実質林檎じゃん?ねぇ、吸いたい。良いよな?吸わせろ」


『うわ……』


「オイ引くな」


悟の頭がバグっている。
そっと目を逸らし、ギラギラした六眼を手で隠して戦っていると、鍵の開く音がした。
直ぐにリビングに顔を出したのは傑で、私と目が合うと口角がゆるりと上がった


「ただいま。刹那、具合はどうだい?」


『おかえり傑。元気だよ。私を迎えに来てくれてありがとう』


「ふふ、どういたしまして。お土産にシュークリームとクッキーを買ってきたんだ。夕飯の後に食べようか」


「はーい!!!」


『悟が一番に反応したwwwwwwww』


「はいはい、ちゃんと悟の胃袋も考えて多めに買ってきてあるよ」


「やった!!!!」


にっこにこになった悟に二人して噴き出して、傑は私達の頭を順番に撫でていった。
部屋に向かった大きな背中を見送って、そういえばと悟を見る。
膝に乗せられた事で直ぐ傍にある人外レベルの美貌を相変わらず綺麗だなと眺め、それから不思議そうに此方を見つめる悟に笑いかけた


「刹那?どうしたの?」


『そういえば言い忘れてたなって思って』


「?何を?」


そっとすべすべの白い頬を撫でる。
それから蒼を真っ直ぐに見つめ、言いそびれていた言葉を音にした


『迎えに来てくれてありがとう、悟。お陰で私、生きてるよ』


あの時悟が来てくれなければ、多分、私は死んでいたんだと思う。
だから、こうやって生きて皆に会えたのは悟と傑が迎えに来てくれて、そして硝子が看護してくれたお陰だ。


…思えば何回か死にかけているけれど、その度に親友達が私の命を掬ってくれている。


私、もう三人に足を向けて寝られないな。
そんな事を考えていれば、悟が綺麗な顔をくしゃりと歪めた。


「…あとちょっと俺達が遅れたら、オマエ、死んでたかもって硝子が言ってた」


『そっか……』


「キツいなら助けてって言えよ。助けてって言ったって、誰もオマエが弱いなんて思わねぇよ。
独りで抱え込んで、全部背負い込んでボロボロになってくオマエに頼って貰えねぇのが辛いんだって判れよ」


『……ごめんね、悟』


…頼ったらダメだと思っていた。
だって、あれぐらいで悟も傑も根を上げたりしないから。
親友達の前で胸を張れる自分で居たいと思った。だから、全部耐えた。耐えようとした。
……でも私の思いは、悟を傷付けていた。
傑にも迷惑を掛けたし、硝子にもあんな顔をさせてしまった。
労る様に白い頬を優しく擦ると、空と海を溶かした様な瞳がカッ開かれた。
おや?さとるが ほしょくしゃのめを しているよ???


「許さねぇからな。死んだら呪ってやる。呪って一生俺に縛り付ける」


呪詛みたいにひっくい声で宣告されてしまったら、私はどう反応するのが正解なのか。


『うわ…堂々と呪詛師宣言されてる』


「は?死んだ方が悪いんだろ。
世の中には文明研究なんて大義名分掲げた墓荒しだってあるんだぜ?
それなら死んだら呪うね♡ってわざわざ宣言してやったのに勝手に死にやがったテディちゃんを呪ったって有言実行なだけで罪じゃねぇ」


『言い方ぁ…』


確かに見ようによってはそうだけど…言い方よ。昔の時代の研究とかじゃダメなの?なんでそんな攻撃的な表現するの?
そして何故私を呪うの?え、呪いで縛り付けられたらどうなるんだろう。呪霊になるって事?


『呪霊はやだな…見た目ぐちゃぐちゃじゃん』


「は?俺が呪うんだぞ?オマエの姿で縛り付けるに決まってんじゃん。
つーか呪霊より怨霊か?あんだろ、過呪怨霊って。多分それになる」


『怨霊』


「そして力のある俺が呪うんだから、オマエはきっと特級過呪怨霊になる」


『まず呪うのやめない?』


「やめない」


『そっかぁ』


困った、私は死んだら呪われるらしい。
怨霊なんかなりたくない。でも正直、最強である悟より長生き出来る気がしないので、もう私の未来は約束された怨霊化である。つらい。
でもなぁ、この寂しがりやは独りにしちゃダメだしなぁ…


「怨霊にするには物に憑かせるのが手っ取り早いよな。どうしよっか、そのペンダントにする?それとも指輪でもあげようか」


『将来の私の棲みかをお菓子感覚で決めるのやめない?』


「やめない」


『そっかぁ……』





















「ねぇ傑、今日は泊まっていかない?」


蕩ける様な時間を過ごしたあと、さっさとシャワーを浴びてしまった男に甘い声を掛ける。
第三日曜日の午後三時。
その時間にカフェで落ち合って、ホテルに向かうのが何時もの流れ。
逞しい身体にのし掛かられるのが堪らなく悦くて、そのテクニックも極上。
少し掠れた甘い声に顔だって良い。
そんな“良い”男とは身体の関係だったのに、何時しか本気になってしまった自分が居た。


「すまないね。とても魅力的なお誘いだけれど、今日はこれから予定があるんだ」


────とても、冷たい眼で此方を射抜く黒曜石。
思わず肩が震えてしまい、そっと目を逸らした。


「……そうね。ごめんなさい、今のは忘れて」


広い背中に残した爪痕が、白いシャツで隠される。
その上から黒のジャケットを羽織ると、彼は携帯を取り出した。
此方に背中を向けて携帯を弄る彼の背中越し。ちらりと見えた液晶画面。


……泣き黒子のある女が、傑の傍で笑っていた。


「私は先に出るよ。支払いはしてあるから、ゆっくりしていってね」


「…ええ。またね、傑」


「ああ、じゃあね」


……またねって、言ってくれなかった。
出ていった傑の面影を求めても、行きずりのホテルにそんなものがある筈もない。
寂しくなって、ひとり、シーツの上で身を丸める。
鼻先を、傑の身に纏う香水の残り香が掠めた


……傑の携帯の画面には、四人映っていた。


傑と、白銀の髪の綺麗な子と、黒髪の女と、泣き黒子の女。
多分、黒髪が白銀の髪の子とデキている。そうじゃなきゃ膝に乗せたりしないだろう。
じゃあ、傑の本命はあの泣き黒子?それとも黒髪?


自分がセフレである事は十分に理解していた。けれど、傑が欲しくなった。
身体だけじゃなくて、心も。
わたしのものになってほしくなった。
…でもきっと、もう傑は私に会う気がないのだろう。
関係を持ってから一年弱、去り際にあれだけ言ってくれたまたねが消えてしまったのだ。
判ってる、原因は私が泊まっていかないかと誘ったから。


ホテルでヤったら、後はお互い無干渉。
それが最初に傑と決めたルールだった。


その不文律を私が破ってしまった。だから、傑は私に背を向けた。
…今からあの泣き黒子の女に会うの?それとも友人の彼女に実らない恋を捧げるの?
考えるだけで胸の奥を掻き毟る様な痛みが襲い、嫉妬で黒く塗り潰される。


「うらやましい」


こんなに焦がれているのに。
その優しい眼で私だけを見つめてほしいのに。
大きな手で私だけに触れてほしいのに。
甘い声で私だけに囁いてほしいのに。


────じゃあね


手に入らないのならば、いっそ。











この手で終わらせたいと











刹那→絶対安静。
親友の事はめちゃくちゃ心配するのに自分の事はへーきへーき!で済ませるので、観察系SECOMに聞いた方が正確に症状を把握出来る。
縛りでもないのに未来の怨霊化が決まった。かわいそう。でも寂しがりやだし仕方ないなぁ、で納得した。
後日夜蛾先生に「あまり心配させてくれるな」とデコピンされた。優しい声に少し泣いた。

五条→刹那全肯定bot。
観察するし、記録も取る。部屋に観察ノートが沢山ある。
かわいいとスパコンがバグる。
刹那が死にかけたのにはおこ。なので、死んだら呪うね♡と宣言してやった。
指のサイズも把握済み。

夏油→遊び人ママ(♂)。
遊んでからおやつを買って帰ってきた。
新しいオトモダチ(意味深)探さなきゃなぁ。

硝子→パパ(♀)。
刹那の症状の把握に遠慮なく観察系SECOMを使う人。

オトモダチ(意味深)→アップを始めた。

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