オドントグロッサム

・刹那が子供なので、前世の記憶が“ある”状態
・「枝違いの先」の続篇に近いけど、そちらを読んでいなくても大丈夫です












五歳で肉親の手により桜花という呪術師の家に売られ、更に御三家の五条という家に買われた。
気分はドナドナ。卸売りされる魚でも良い。
売られて買われて更に買われた私は、何故かそこで丁重にもてなされている。


『………悟』


「なに」


『…私って、悟の護衛じゃなかった?』


五条の相伝と、数百年振りの六眼を併せ持ちこの世に産まれた五条悟。私は色々あって彼と出会い、そして桜花から引き抜かれる形で此処に……彼の肉壁として迎え入れられた筈なのだが。


護衛対象に膝枕する肉壁とは。


膝に頭を預けたまま無表情な八歳児とか恐怖でしかない。
しかも着物だから最早和風ホラー。せめて笑おう?
綺麗な白銀の髪を撫でる私をじっと見つめながら、悟が桜色の唇を動かした


「オマエは桜花から俺が買った。だからオマエの命は俺のモノだ。
名目上俺の護衛だが、俺より弱いオマエを護衛にするなど無意味」


『すごくきずついた』


「そうか。事実だ」


『ないていい?』


「何故」


『………うん、なんでもないよ』


当然という顔で存在意義を両断する八歳とかトラウマ量産機でしかないんですけど。
溜め息を溢しつつ、ちょっと短い前髪を摘まんでみた。
この悲しみの分だけ変な寝癖が付けば良いのに。
無言で七三の刑に処す。その間も悟は無言で私を見上げていた。


「俺の髪を撫でて何になる」


『慰めにはなってるね』


「………オマエは良く判らない事を言う」


『その内判る様になるよ』


今の悟なら、上手く言いくるめたら顔に落書きとか出来そう。
そんな事を思いつつ七三にしたものの、素材が良過ぎて何処も変にならなかった。
よし、次はちょんまげにしよう













悟が行く先には、必ず私を同行させる。
というか私の手を掴んでいるので、私が連行されていた。
今日もドナドナされていると、使用人達の内緒話が流れてきた


「悟様は何を考えてあんな小娘を」


「あんな貧相な娘より、ウチの娘の方がよっぽど…」


手を引かれながら、此方を見下ろす悪意と決して目が合わない様に俯く。


判っていた、私が歓迎されていない事など。


肉壁という名目はあれど、今私は悟に護られて生きている。
悟が望んでくれたから、桜花から此方に買い取られた。
というか献上品に近いのだったか。
桜花の名字を背負わせたまま、私を五条の若の肉壁係に送り込む。
私を捧げる代わり、桜花は五条の傘下に入ったのだと使用人達が囁いていた。
今だって、皆冷たい目で私を見下ろしている。
桜花でも決して良い扱いは受けなかったけれど、此処は…此処は、もっと酷い。


だって彼等は、私が今すぐに死ぬ事を望んでいる。


「────刹那」


無感動な声が、私の名を口にした。
はっと俯いていたらしい顔を上げると、ガラス玉みたいな蒼がじいっと此方を見つめていた。


「俯き、脈拍の増加、眉の下がり具合、瞳孔、口許の硬直、血の気の引き具合、呪力の乱れ……これらの情報から推測するに、今のオマエは恐怖を抱いていると結論を出した。合っているか」


『……えええ』


え?唐突にこわい。
急遽開催された感情推測ゲームに目を丸くしていれば、急かす様に手を揺らされた


「答えろ」


『えっ、あ、はい。合ってます』


五条悟こわい。これがどうやったらあのクソガキ五条悟になるの???
教え子のスカートを履く系28歳になるの???
困惑しっぱなしの私をじいっと見て、それから悟はゆっくりと奥に目を向けた。


「────オマエらか」


悟がそう呟いて。
小さな手が、掌印を組んで。


「ぎゃああああああああああ!!!」


ぐちゃごきばきょ、ととんでもない音が後方から聞こえた。
慌てて振り向く前に、悟の腕が後頭部に回った。
視界は水浅葱に埋め尽くされて、これが悟の胸だと理解する。


『さ、悟…』


「黙って」


ぎゅっと薄い胸に押し付けられ、落ち着いた鼓動があやす様に鼓膜を揺らす。
騒ぎに気付いたのだろう、重いものが駆けてくる音がした


「何事ですか、悟様」


「あの雑魚は必要ない。捨てろ」


「畏まりました」


「部屋に戻る。刹那、振り向いたら目を抉る」


『………はい』


ぐしゃりと髪を乱してきた悟が手を離し、私の手首を掴み直した。
再び歩きだした悟に手を引かれ、付いていく。


此方に向けられる視線は畏怖ばかり。


……理解出来ない暴力を恐れるのは、責められる事なのだろうか。














『────という事がありまして』


「「あー…」」


「あーあ、やっちまったなぁぼっちゃま」


術式の稽古に向かった悟を遠目に見つつ、私は先日のぐちゃごき事件を先輩肉壁三人に話した。
先輩とは二卵性の双子で五条分家の出らしい山茶花さんと椿さん、そして石榴さんという豪快に笑うおじさんだ。


「お嬢、怪我はなかったか?」


『はい、振り向かなかったので目玉は無事です』


「いや、違う。椿が聞いたのは、使用人に何もされていないかの心配だ」


どうやら私の返事は違ったらしい。山茶花さんの訂正に目を瞬かせ、顎を擦った


『……運ばれてきたお茶を、悟様がその人に掛けた事はこの間ありましたね』


夕方のお茶の時間、漆でつるりと輝くお盆に載せられてきた湯飲み。
深い色の緑茶をじいっと見たかと思えば、悟は私の前に置かれた湯飲みをむんずと掴んだ。


そして私が何かを言う前に────湯気の立つ中身を、若くて美しい使用人にぶちまけたのだ。


目を丸くする私は悟にぎゅうっとテディベアよろしく抱き締められ、奥の部屋に連れていかれた。
理由を聞く前に黙れと言われてしまったので聞けていないが……あれは多分、私の湯飲みに毒でも仕込んであったんだと思う。


「あー、あの姉ちゃんか。顔が爛れて美人が台無しだとは思っちゃいたが。
まさかぼっちゃまの前でお嬢を狙うとは。勇気あるねぇ」


『ある程度なら毒も平気なんですが』


「ぼっちゃまの前でそんな事は言うなよ。舌を抜かれるぞ」


『ひっ』


加減判ってない系八歳こわい。
静かな椿さんの忠告に口を塞ぐと、山茶花さんに頭を撫でられた。


「そう怯えるな。幾らぼっちゃまでもそこまではしないさ」


「舌をつまんで爪を立てるまではしそうだが」


「椿、脅すな」


やっぱりこわい。舌をつまんで爪を立てるとか狂気だ。
そんなやべぇ奴の世話とか普通に無理なんだが。
最早肉壁というより世話係でしかない自分に顔を引き攣らせていれば、石榴さんがわしゃわしゃと頭を揺らす様に撫でてきた


「お嬢、ぼっちゃまはお前が大切なんだ。確かに腕をぐっちゃぐちゃにしたり別嬪さんの顔をぐっちゃぐちゃにするのは良くないが……まぁ、此処での境遇を考えりゃあ文句も言えん。あいつらがヘマしただけって事よ」


「ヘマ?私はお嬢に毒を盛った女は首を刎ねても赦されんと思うがね」


「止めろ山茶花、お嬢が怯える」


あー、まともだと思っていた三人もやっぱりイカれてる。
この人達、結局は悟の暴挙を容認しているのだ。
苦笑いする私を見下ろして、石榴さんがにっと笑った


「ぼっちゃまがあんな風に、誰かの為に動くのは初めてなんだよ。初めてだから、大体物理で解決しちまうんだ。
だからな、お嬢。
……ぼっちゃまを、どうか恐れないでやってくれ。お前の役割は肉壁じゃない。
ぼっちゃまの心に寄り添うのが、お嬢の仕事だよ」


……そして、三人の言葉を素直に受け入れる私もきっと、イカれている。
















悟の心に寄り添う。
ええ、それはとても大事な仕事だろう。
…だがしかし。


『……これは…いいの…???』


「なにが」


『小学校二年生の距離感ってどんなだっけ』


八歳って、こんな隙間が生まれたら死ぬぐらいの勢いでくっついてるもん?
何処にでも付いてくるし、一度座ればびたっと密着する。磁石か?
物理で寄り添うのが私の仕事なの?
私の背中に腕を回し、足を緩く曲げてお互いに密着するこの体勢。
私の首もとに頭を預けている悟は、ぴたりとくっついた途端に動きが鈍くなった。
眠いのだろうか。


『悟、眠い?寝るなら布団敷くよ?』


「腕を折りたいのか」


『えっ』


今のどういう意味???
離れたら腕を折るぞって意味???いや怖いな???ちょっと離れただけで代償がやばくない???
びっくりして固まった私と沈黙する悟。
その状況で硬直していれば、部屋をひょこっと山茶花さんと椿さんが覗き込んだ。


「……これはこれは」


「随分とまぁ、微笑ましい」


『私たった今腕折るぞ発言されたんですけど???』


ニヤニヤするな。助けろ。無表情ジャイアンを剥がしてくれ。
無言で愉快犯系双子を睨んでいれば、もぞりと首もとの白い頭が動いた。


「オマエら、どっちでも良い。床の用意をしろ」


「承知。お加減でも悪いのですか?」


「六眼の過剰発動により、発熱と倦怠感を併発している。休めば夕方には動ける」


『えっ』


無機質に告げられた症状に目を丸くしたのは私である。
え?悟具合悪いの?
慌てて顔を覗き込めば、無表情だけどほんのり頬が赤くなっていた。
……え?マジで?熱あるの?あれ、でも私の方が熱いな?なんで???


『悟、ごめんね?具合悪いって知らなかった…』


「……問題ない。オマエは通常通り、抱き枕の任を果たせ」


『何時肉壁から抱き枕にジョブチェンジしたの…???』


気付かなくてごめんねの意味も込めて、白銀の髪と背中をそっと撫でる。
すり、と首筋に擦り寄る悟を抱っこして待っていると、布団を敷き終えた椿さんに纏めてひょいっと抱き上げられた。


『え?重くないの…?』


「もう少し肉を付けた方が良いと思う。石榴の呪具より軽いぞ」


『呪具より…?え?椿さん、子供と鉄製の槍と比べたの…???』


「椿は馬鹿なんだ、気にするな」


「山茶花も馬鹿だから、気にするな」


『……ああ、はい』


平然とお互いを煽り合っておきながら放置するスタイルとか、巻き込まれた此方がどうすれば良いか判らないからやめて欲しい。
すたすたと畳を進み、広い部屋の真ん中に敷かれた布団に優しく降ろされた。
布団を丁寧に掛けてくれた彼にお礼を言う


『ありがとう、椿さん』


「気にするな。ぼっちゃまを頼む」


「私達は外に居るからな。何かあったらすぐに呼べ」


『はーい。ありがとうございました、椿さん、山茶花さん』


もそもそと抱え直されながら、静かに退室した二人に手を振った。
ぎゅむっとしたりすりすりしたりと一頻りぬいぐるみ扱いをされて、最後に胸元に顔を埋めると悟は動かなくなった。
綺麗な白銀の髪を撫でつつ、背中を擦る。


『おやすみ、悟』


「………おやすみ」


そういえば、最近悟は挨拶を取り敢えず鸚鵡返しする様になった。多分本人の中では“私が言ってくるから返している”だけなんだろうけど。
ある意味これも成長だろうか。
















────ぱちり、目を開ける。


…六眼の過剰発動による発熱、なし。
無下限呪術の連続発動による頭痛、発熱、なし。
倦怠感、なし。
起床、並び術式使用、即時戦闘に支障なし。


そう判断したものの、俺は動かなかった。
身体と頭に細い腕が巻き付いている。
俺よりずっと体温が高いそいつは、寝ているともっと暖かい。
その温もりに包まれたまま、数回瞬きをする。
刹那の呪力に乱れがないのを確認して、俺はまた目を閉じた。


……起きたくない、なんて、何時ぶりだろうか。








未だ理解し得ず












刹那→五条の肉壁係。
肉壁なのに五条に庇われる事が多いので、肉壁とは???となっている。
五条と先輩肉壁三人衆は好き。他はちょっと……

五条→人間歴数週間。
刹那を傍に置く様になってから、少しずつ変わってきている。
キツい言い方をするが事実を述べているだけなので、他意はない。無表情だし疑問符も付けられない。

因みに
目を抉る
(訳:貴女が見るには刺激が強いです。このまま行きましょう)

手を折りたいのか
(訳:貴女の手では布団は重いですよ。使用人を待ちましょう)

となる。
刹那は勿論判ってないし、五条自身も刹那を案じる言葉を口にしているとは気付いていない。

椿→先輩肉壁係。
五条の盾兼世話役。
双子の弟で、刹那をお嬢と呼ぶ。

山茶花→先輩肉壁係。
五条の盾兼世話役。
双子の姉で、刹那をお嬢と呼ぶ。

石榴→先輩肉壁係。
五条の盾兼世話役。
何処と無く孔時雨に似た、明るいおじさん。
ゴミ箱にて五条が言っていた“死んじゃったマトモなヤツ”



オドントグロッサムの花言葉「特別な存在」



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