馬酔木(五条/導入篇)

※特殊設定あり
※不穏








あの女は、勝手に俺の心に住み着いておいて────そして勝手に、俺を捨てた。















────2005年。


「…なんだ、このアプリ…?」


呪術高専に入学する頃に与えられた携帯電話。
それを何気無く弄っていると、見覚えのないアイコンに気付いた。
下を向いた白い花のアプリ。
名前は、アンドロメダ。


「アンドロメダ…?」


アンドロメダってアレか?
自意識過剰な母親の所為で化物の生贄として岩場に縛り付けられた女?
……ああ、この花馬酔木か。Japanese andromedaから取って“アンドロメダ”ね。
納得し、アプリを開いた。
青い画面が一面に広がって、下にカーソルが出る。
今までにないそのアプリに興味を惹かれつつ、所謂チャット系のアプリである事と同時、このアプリ自体に微力だが呪力が流れている事に気付いた。


「……せつな、ね」


チャットが出来る相手はただ一人。
さて、この相手が俺を五条悟であると知っていて仕掛けてきたのか。
それとも俺と同じで突然巻き込まれたのか。
確かめるべく、俺は文字を書き込んだ


さとる
《何これ?携帯にこんなの入ってるとか初めて知ったんだけど
オイ、せつなだっけ?
コレ見たら返事しろ》














カチカチとキーを押してチャットに書き込む。
あれから数ヵ月、刹那は巻き込まれた一般人で、尚且つ面白い女である事を知った。
先ずネーミングセンスが死んでる。
何処の世界にピカチュウをねずみと名付けるヤツが居るのか。
そして感性は呪術師寄り。このアプリを弄れるって事は、そもそも才能があるんだろう。このアプリ、どうやら呪力がなければ見る事は出来ない様だし。
アイツは一個下だから、来年此方に引っ張るか。
そんな事を考えつつ、写メを催促すると丁寧に拒否してきやがった。
オイ、送れや。ツラ見せろ。


「悟、最近楽しそうだね。彼女でも出来た?」


「あ?違ぇよ。生意気な子猫の面倒見てんの」


「年下に手を出しているのか?…面倒じゃない?」


「いや、別に?割とドライだから話しやすいぜ?多分オマエとか硝子とも話合うと思うよ」


「へぇ?悟が其処まで言うとは珍しい。是非とも会ってみたいものだね」


傑の言葉に目を瞬かせ、それから俺は口を尖らせた。
……傑や硝子にコイツを会わせるのは、何だか気分が悪い。


「……コイツは俺ンだ」


「はは、年下の子猫ちゃんに随分ご執心じゃないか」


「なかなか懐かねぇのが可愛いんだよ」


ふん、と鼻を鳴らす。
手早く文を送って、携帯をポケットに突っ込んだ。


さとる
《ねぇ、オマエ彼氏とか居んの》
















そういえば刹那の進学先を聞いていなかったと気付いたのは、ぼんやりとニュースを眺めている時だったか。
思い立ったが吉日、慣れた手順でアプリを開き、メッセージを送る


さとる
《刹那って何処住んでる?東京居る?》


せつな
《個人情報特定は怖いですね》


さらっと返ってきたのは可愛くねぇ一言。
でもそれが妙に落ち着く。
最近じゃあそんな素っ気ない言葉が可愛く見えてきて、末期かと頭を抱えた


さとる
《急に距離取んなよ
ツラ拝んでやろうと思ってるだけだって》


せつな
《間に合ってます》


さとる
《宗教勧誘か》


埓が明かねぇ。
というかこの異様なまでの警戒心ほんと何なの?
この女の思考回路が気になる。
何を思い、何を感じ、その目にどう映るのかを知りたい。
…それを何気無く言うと、傑は「犯罪者にだけはならないでくれよ」と言った。
は?マジどういう意味???


さとる
《わかった
東?西?》


せつな
《西》


さとる
《ふーん
じゃあ京都高専か》


なんだ、アイツ東京来ねぇの?
顔も知らない女に、ちりちりと胸が甘く焦げる感じがする。


会いたい。会って、声を聞いてみたい。
その顔を見たい。


ベッドに転がりながら返事を待つ。
すると意外な返事が来た


せつな
《京都じゃないんだけど》


「は?」


さとる
《は?東京くんの?》


せつな
《地方の高校行く》


「………は????」


いや有り得ねぇ。
は?呪力があるのに?
このアプリを弄れるって事は、間違いなくそっちの能力を持ってるのに?
え?オマエそんな呪術師向きの感性で非術師に混ざる気で居んの?は???


さとる
《は?オマエ絶対非術師の中に混じるとか無理だって
なんで?なんでわざわざ普通の高校なんか行こうとしてんの?
京都がヤなら俺が手ぇ回して此方に呼ぶって
つーか今から学長に掛け合ってやるからさ、呪術高専来いよ》


京都は保守派の巣窟だ。
一般出身には向いていないだろうし、俺が話を着けた方が色々スムーズに進みそう。
そう考え、学ランに袖を通して寮を出た所で返信が来た


せつな
《いやいや》


せつな
《呪術高専とかない》


さとる
《は?》


せつな
《そんな呪術廻戦じゃないんだから》


「……呪術廻戦…?」


奇妙な言葉に首を捻る。
そして刹那の言葉の節々に感じる違和感に注目した。
今の刹那の言い方だと“呪術高専は進学先として有り得ない”ではなく“呪術高専という存在が有り得ない”ではなかったか?


「………………」


行き先を学長室から校門に変える。
ご立派な木製の門の前で、写真を撮った。
文章も抜きにそれを送る。
次は俺の写真を。
それから最後にその場でメモ紙に刹那の名前を書いて、それを手にした写真を撮った。


呪術高専という“存在”が有り得ないという発言をしたならば────それは此処に通う呪術師としても、そして俺個人としても見過ごせない。


返信が来ないという事は、恐らく固まっているんだろう。
既読とか言う便利機能が表示されたのを暫く眺め、それから俺は、核心を突く言葉を飛ばした。


さとる
《ねーぇ》


さとる
《呪術廻戦って》


さとる
《なーに?》














「なぁ傑」


「なんだい悟」


「…会いたいけど確実に会えないヤツが居たら、オマエならどうする?」


ぐでんと机に伸びつつ問い掛けた。
あれから刹那と会話して得たのは、刹那はこの世界の住人ではない、という事だった。
そして俺達の存在は、刹那の世界で漫画として知れ渡っているのだとか。
全然嬉しくない情報である。


「例の子猫ちゃんの事?」


「そ。…親が頑固で、アッチからは来ないっぽい」


親っつーか世界だけど。
情報を簿かして伝えると、傑はふむ、と顎を撫でた。


「じゃあいっそ、悟から会いに行くと良い。それなら彼女も拒否は出来ないんじゃないか?」


「凄ぇな、行動力の塊かよ」


傑の返事を笑い飛ばした。
…この時は、それを実行する気はなかったのだ。














────関係が崩れたのは、何時からだったか。


二年生の時に天元様から指名された星漿体護衛任務。
その時、俺は徹夜で警備に当たる事を選択した。
一人桃鉄をやりながら、そういや刹那の世界と此方は最近じゃあ時の流れがズレて来たんだったかと思い出す。
なら今起きているだろうか。
試しにメッセージを送ってみた


さとる
《今ホテルで徹夜してる
なぁ面白い話して》


桃鉄に熱中して三十分程度、ポケットに突っ込んでいた携帯が震えた


せつな
《明日だか明後日だかに五条悟が死ぬ話する?》


「あ゙?????」


さとる
《オイふざけんなマジ此方来いマジビンタする》


いやそれ笑えねぇ冗談なんだけど?
は?刹那ちゃんマジ今すぐ目の前に来ねぇかなどつき回してぇ。


せつな
《私を殺させない世界ちゃんマジ優秀》


そんな返事が来て、いらっとしつつ……しかし何処か冷静な自分が脳内に居るのは事実。


刹那は今まで此方の世界の事を教えようとはしなかった。


唯一自分から教えてきたのは、どうやら未来の俺が封印されるという事のみ。
そして今回の、冗談めかしてはいるが俺が無視出来ない様に与えられた情報。


「……臆病なモンだな、オマエも」


────刹那はきっと、下手に情報を与えて未来がズレる事が恐ろしいのだ。
多分、俺には生き残って欲しいんだろう。じゃなきゃあんなに細かく人が封印されるシーンを教えたりしない。
しかし、刹那が知っている未来を俺に教えない理由は。


多分、全て話してそれが“刹那の知る未来”よりも最悪なものになった時、責任を取れないからだ。


アレはそういう女だろう。
だからこそ未来を決して口にしないが、俺という失いたくない存在に冷徹になりきれないから、最低限の助言を綴る。


「はは、可愛いねオマエ」


甘っちょろくて。
クスクスと笑った数時間後────綺麗にフラグを回収した時には笑ってしまった。


そしてその後────


「は?」


────せつなさんが、アプリを削除しました


みしり、携帯が掌の中で軋んだ。













刹那と会話が出来なくなってから一年後、灰原が死んだ。
その次に、傑が消えた。
あの様子じゃきっと七海も居なくなるし、硝子はそもそもドライなヤツだ。
来年からは医大に編入するらしいし、きっと俺に構ってる暇はない。


……独りだ。


それを改めて認識して、アプリを開く。


────せつなさんが、アプリを削除しました


…この文字の表示以降、彼方から何かが書き込まれる様子はない。
まだ、もう一度アプリを入れて此方に謝るなら、それならまだ、許せたと思う。


でも、削除までして俺との繋がりを絶とうというなら。
俺の手を、身勝手に離したというのなら


「最初に俺を捨てたのは、オマエだよ」


そっと画面を撫でる。
捨てられた側が何をしようと、捨てた側に文句を言う筋合いはないだろう。














「〜♪」


俺が…“僕”が箱に閉まっちゃおうねされるらしいのは、教職に就いてから。
ガラケーからスマホに機種変しても、アンドロメダは「私初期アプリですけど???」というツラでホームの正面に居座っていた。
偉そうなツラすんなら刹那のスマホにもっかい潜り込めよ。
いや、アイツの場合もっかい入ればまた消しそうだけど。
アンドロメダに保存されている僕の封印画面を何度か見直すが、僕ダッセー!としか感想が浮かばない。
つーかちらっと映り込んでんの傑か?
は?アイツが僕の封印すんの?…いやそういうタイプじゃなくない?
むむむ、と頬を手で包んで口を尖らせつつ、悩む。
アイツって目立ちたがり屋でクソ真面目で負けず嫌いだから、僕の足止めはするにしても封印はしないと思うんだよね〜。
ていうか額にキリトリ線付いてんね?イメチェン?


サングラスを掛けてのんびりと異国を闊歩する。


チラチラと此方を見てくる女の視線が鬱陶しい。
こちとら顔も知らない女に逢いたくて常に情緒がぐちゃぐちゃだっつーの。良かったねオマエら、僕の顔を一瞬でも見られて。


「いやアイツ僕の顔散々携帯に貰っといて身バレ防止したの?は???
僕可哀想じゃない???は?????」


唐突にそんな事に気付いてしまい、思わず地面に脚を強めに叩き付けてしまった。
所謂地団駄だが気にしない。
依頼をとっとと終わらせようと、此処らで有名な大学に向かった。












現れた呪霊をサクッと祓い、卑しい目を向けてくる下心丸見えの雌猿を隣に居たデブに押し付けて、とっとと大学を後にする。
欲を丸出しにした女の目ってのはどうも気色悪い。いや、あのデブ僕にもそんな目を向けてやがったな?キッショ。
とっぷりと滴る様な闇が落ちた道を、ゆっくりと進む。


「この辺り、かな」


丁度人気のない場所を見付け、脚を止める。


「おいで。僕は此処だよ」


建物の角に背を向けて立ち、呼び掛ける。
のんびりとスマホを出して、アンドロメダをタップした。


────せつなさんが、アプリを削除しました


その文字を目で追って、胸を掻き毟りたくなる様な衝動を深い溜め息で外に逃がした。
これが恋だと気付いたのは、オマエが僕を捨てたから。
恋がのたうち回って愛しい愛しいと泣き喚き、憎い恋しい欲しい会いたいと啜り泣き始めたのは何時からか。


ずるり、音もなく背後で何かが首を擡げたのを察知した。


ソレに関する記述はこうだ。


────曰く、酷い刺激を伴った悪臭を振り撒きながら此方に顕現する。


…それは毒物に該当するので、無限に跳ね返されてダメージにはならないが。
普通の人間なら、それを嗅いだだけで動けなくなるらしい。


────曰く、獣の様な姿で、長い舌を持っている。


ぬるりと唾液を纏わせた舌が僕に触れたいと蠢いて、無限にやっぱり拒絶されている。
そして最後、これが一番重要だ。


────120°以下の“角度”があれば、どんな場所にでも・・・・・・・・行き来出来る。


しゅうう、と音を立て、煙にも肉体にも見える奇妙なものが僕に巻き付いていた。
無限で永劫に触れる事など許されないというのに、コイツはどうしても僕を喰いたいらしい。
そりゃそうか。
今目の前で、アンドロメダ────世界を跨ぐ、コイツらの住む“とがった時間”に抵触する事を現在進行形で行っているのだから。


「ふふ、そんなにお腹空いてんの?可哀想に」


コイツに襲われない基準、“時間に内包される決定した出来事”…それは恐らく、僕で言うならば、刹那と出会わない事だ。


ならその逆────“時間に内包されていない想定外の出来事”を、コイツの起源である国で、コイツが出てくるとされる120°以下の角の前で、やれば良い。


そうすれば、幾ら日本と違って呪霊が産まれにくくとも、“コイツ”は僕という特級呪術師に望まれた事で、現れる。
本来は存在しておらずとも、僕に“そう在るべし”と定められた事で、無理矢理世界に産み落とされる。


呪術師は己の肉体から呪霊を産む事はない。


けれど、こうやって────鋳型さえ、あれば。
これだけ“それが産まれるべき”環境を整えてしまえば。
僕がその型に、呪力を流すだけで……ほら、今みたいに。


「会いたかったよ、ティンダロスの猟犬」


ゆっくりと振り向いた先。
僕に産み出された自覚があるのだろう。
煙とも肉体とも断言出来ない不思議な呪霊は、僕に恭しく頭を垂れた。














「んー、ポチ。オマエが来た事で刹那に会う手順は80%整ったよ」


《キュウン》


「オマエ腹減ったりしないの?呪詛師なら喰って良いよ?」


《キュウン?》


愛しい女を迎えに行く為の手段は無事手にした。
だが予想外にティンダロスの猟犬…ポチは大人しく、拍子抜けだった。
え、ちょっとヤンチャだったら躾てやろうとは思ってたけど、なんかマジで犬じゃん。
なに?刹那に似たの?
アイツに会いた過ぎて無意識で僕がオマエの人格刹那にしちゃった?だとしたらウケる。


「……ああ、オマエって飼い犬か。つまり僕が主人なのね。納得」


そこでふとティンダロスの猟犬の設定を思い出し、頷いた。
コイツは一度見付けたら執念深く追い掛けるが、ティンダロスには主人と呼ばれる存在も居る。
つまり、産み出した僕がコイツの主人なんだろう。
煙みたいな毛みたいな、妙な感覚の頭を気紛れに撫でてみた。尻尾らしきものが揺れた。
なにコイツ、案外かわいい。


「あ、そうそう。この女なんだけど。追える?」


《キュン?》


アンドロメダを起動させ、刹那とのトーク履歴をポチに見せた。
そういえば、刹那は今年出たトークアプリみたいなコレの扱い方に、疑問を持った様子はなかった。
もしかして、アイツはまだ先の時代の子なんだろうか。


「いや、だとしても関係無いよね。初めて話した時に一個下だったんだから、アイツは僕の一個下じゃなきゃ。
たとえもっと年下だったとしても関係無い。オマエは俺のモノだ」


……おっと、いけない。
刹那が関わるとつい口調が戻ってしまう。
すんすんと画面の匂いを嗅いでいるらしいポチを好きな様にさせつつ、次に必要な事を考えた。
刹那を此方に連れてくるのに必要な手段はこうして用意出来た。
だが今度は、刹那から聞いた僕の未来が立ち塞がってくる。


「刹那を呼べたとして、問題は……僕が何時封印されるか、だよなぁ」


傑らしき男に封印される未来の僕。
そうなると、仮に今すぐ此処に刹那を呼んだとして、アイツの未来を僕が約束してやれない。


「いやそれはダメじゃない?
なんで僕の為に呼んだのに僕じゃない誰かが刹那に寄り添うの?は?無理。
ふざけんなよ刹那を護るのは俺だ。刹那に寄り添って良いのも護って良いのも触れて良いのも俺だけの権利だろ」


《キュウン?》


「あーーーーーーーーー、うん。情緒が毎日ぐちゃぐちゃじゃん。ダッサいねー僕!!!」


それもこれも刹那が僕を捨てた所為。
多分ね?今もアプリで繋がってくれていたなら、きっと此処までヤバくなってないと思うんだよ?
でもさぁ、刹那ったら急に僕を捨てたじゃん?
…予告も何もなく捨てられたらさぁ、そりゃあ愛し憎しで焦がれちゃっても仕方無いと思うんだ。


「今が2011年……困るー、僕ってば見た目が変わんないもんだから、顔で年齢が予測出来ない。
いや、此処でイケメンが邪魔してくるとか思わないじゃん?
てかアイマスク?なんでアイマスク???」


《キュウン?》


「うんうんイケメンでしょー?…ん?どしたのポチ?」


つんつん、とポチが示したのはとある画像。
僕が獄門疆に封印されて骸骨に囲まれているページだ。
これがどうしたと言うのか。


「え?なに?封印されてやんのダッセー!!って?しばくぞクソ犬」


《キャンッ!?!?》


物凄い勢いで首を横に振られた。
ウケる、必死か。
冗談だよ、と眉間を擦ってやれば、ほっとした様に項垂れた。


「知能が高い呪霊ってのも面白いね。暇潰しには持ってこいだ」


まぁ有用性がなきゃ嬲り殺すだけだけど。
ポチが見ていた画像をあちこち拡大して、ふと。


「……なんだこれ、トゲ…?」


見切れているが、黒いトゲトゲが左端に映っていた。
それをじいっと見つめ、顎を擦る。
漫画の只の背景…じゃないな。
多分、三人描いてある。だって上下が学ランっぽいし。
じゃあこれは何だ。いや、誰だ。
高専に居る人間でこんなにトゲトゲしてるヤツって居たか?居ないな。
そもそも上下が学生なら、多分このトゲトゲも同い年。
という事は、この時の僕の受け持ちの生徒か?


「生徒って事は十六から二十の間。上下二人は特定しようがない。…と、なると。
やっぱりこのトゲトゲが手掛かりか」


トゲトゲ。トゲトゲねぇ。
自分の髪を摘まんで、伸ばしてみる。
これが何束か。こう、しゅっしゅって……


「ん?」


もう一度画像を見る。
黒髪。黒髪のトゲトゲ。……いや違う、ウニ頭。
そう取れば────居る。
去年ぐらいから面倒を見ている子供が。
丁度こんな風に、ウニみたいに髪がビヨビヨしてて…


「恵って今幾つだ?」


《キュウン?》


「九?九才?ホント?…あ、マジだ。九才だ。偉いねポチ!大手柄!!」


《ワン!》


尻尾らしきものを振り回すポチの頭をわしゃわしゃと撫で、思考する。
恵が今九才。仮にこれが恵なら、最低でも七年は猶予がある。
いや、それ以前にウニ頭が来たら、それから数年を警戒すれば良いだろう。
つまり、僕が封印されるのは可能性としては七年後が最有力。
勿論それ以前も警戒はするが、……いや待て。


「これって、発想の転換で行けるんじゃね?」


《キュウン?》

















────獄門疆による五条悟の封印。
それは恐らく、五条悟がその未来を知ってしまった事で、確定事象になってしまったんだろうなぁ、と思っている。


「だってほら、もう僕は“獄門疆に封印される”前提で動いちゃってるし」


《キュウン?》


「あ、封印される時はオマエは僕の中に入っとくんだよ。じゃないと別個体として弾かれるだろうから」


《ワン!》


2016年。
ポチを連れつつ向かう先は、とある寺だ。


「逆転の発想ってさ、重要じゃない?
そもそも僕は、此方に刹那を連れてくる予定だったんだよ。
でもそれだと“絶対に起きる封印”が邪魔になる。オマエだって心置きなく刹那に会いたいだろ?」


嘗て親友が言ったのだ。
会えないのならばいっそ、自分から会いに行くと良い、と。
その時の僕は笑い飛ばしたけど、今ならそうだねと即頷く。
所々苔に覆われた石造りの階段を登る。
なんでこう、段差低いんだろうね。クッソ歩きにくい。
ぶつくさ文句を言いつつ歩いていると、隣で飛んでいるポチが鳴いた


《パパ!!》


「うーん、じゃあ僕は?」


《ママ!!》


「ちげー!!!」


最近意思疏通の出来る様になったポチだったが、コイツは何故か僕をママと呼んだ。
いや、理由は何となくだが判っている。


多分、コイツを産み出したから、僕が母親って事なんだろう。


「んー、オマエを産んだのはヘルハウンズだっけ?じゃあ僕がヘルハウンズだって?あ、オマエの系統のトップ?マイノグーラって事?嘘でしょ?
人間を嗜好品って思ってるヤツじゃん?ふざけんなよバカ犬ブッ飛ばすぞ♡」


《キャンッ!!!》


バカ犬を小突き、寺に脚を踏み入れた。
古ぼけた、今にも崩れ落ちそうな廃寺に土足のまま上がり込む。
襖の取り払われた屋内の────床の間の前にあった目的の物に、にんまりと口角が上がった。


「目的の物二つ、みーっけ♡」












2017年、12月24日。
親友を殺し、その亡骸を見つめる僕に、そっと煙みたいな犬擬きが寄り添った。


「…オマエはやっぱり刹那に似たのかな」


《せつな……パパ!!》


「そ。オマエのパパだよ」


僕がママならもうアイツはパパで良い。
ゆるりとくっついてくるポチの眉間をわしゃりと撫でて、ゆっくりと立ち上がった。


「……そう言えばさぁ」


《クウ?》


「今僕傑殺しちゃったじゃん」


《キュウ…》


「……傑、来年僕を封印するっぽいじゃん?」


《クウン》


ゆっくりと前髪を掻き混ぜる。
動かない親友を最後に目に焼き付けてから、静かに前を向いた。


「……ねぇ傑殺しちゃったじゃん。僕刹那に会えないの?
は?ちょっと待って生き返って傑」


《ギャワッ!?!?》















春、弟子とも言える関係の伏黒恵が入学してきた。
黒いウニ頭。
その跳ね具合はやはりあの画像のものと似通っていて。
真新しい制服に身を包んだ恵に、僕は笑って手を差し出した


「────待ってたよ、本当に」













「……あの、五条先生」


「んー?どったの恵?」


入学して直ぐの頃だろうか、恵が何処か落ち着かない様子で僕に訊ねてきた


「あの……先生は、獣に効く呪具でも持ってるんですか?」


のんびりと文献を漁っていた手を止める。
ゆっくりとそちらに顔を向け、意図的に微笑みを作った。


「面白い事言うね。どうしてそう思ったの?」


「……玉犬が」


一度自分の影に目を落とし、それからぼそぼそと恵が呟いた


「玉犬が、たまに五条先生に怯えるんです。五条先生って言うより、五条先生の持っている、何かに」


「…………へぇ」


今は体内に引っ込ませているポチがグルル、と喉を鳴らした。
ああ、だから今も怖がってんのね。僕が何となく、何時もの僕じゃないから。
やっぱり獣系の式神にはバレちゃうモンなのかなぁ。
まぁバレても特に問題はないけど、それで封印の予定が崩れちゃったりしたら嫌だしなぁ。
此方を何処か不安そうな顔で見ている恵に、僕は笑顔で返した


「気の所為じゃない?僕、何にも持ってないし」


持ってないよ。
腹の中に飼ってるだけで。














「五条。お前、変わったな」


「んー?いきなり何の話?」


硝子に突然そんな事を言われ、首を傾げた。
変わった?僕は毎日元気に五条悟を遂行している筈だけど。
最近見ている文献を一旦閉じて、硝子の方を見る。
聞く姿勢になった僕を静かに見上げ、硝子は言った


「女の尻でも追っ掛けてるのか?あの五条悟に女の影があるって持ちきりだ」


「………………へぇ」


そりゃまた鋭い勘をお持ちの様で。
アイマスクの奥で目を眇め、また腹の中でグルルと唸るポチを、腹を撫でて宥めた。
コイツ、最近威嚇を覚えたらしい。
僕にしか聞こえないけれど、僕に近付く人間には最近良く唸っていた。


「まぁ、捕まえる予定の子は居るかな」


素直に認めた僕が意外だったのか、硝子の眉が跳ね上がった。


「へぇ。君は女に興味がないのかと思ってたよ」


「随分前に愛も恋も捧げてるだけさ。そんで、今度その子に会いに行くってだけ」


「五条に好かれるなんて、不幸な女も居たもんだ」


「はは、僕って一途だよ?」


「どう考えてもお前の愛は重いだろ」


…重い。果たしてそうだろうか。
死なないで欲しいなんて身勝手に呪って愛しておいて、突然離れていった女の愛の何処が、重くないと断言出来ようか。
オマエがそんな風に、見守る愛なんてものを選んだから。
だからこそ僕は、奪い取る愛を選んだだけだと言うのに。


「…僕はさぁ、強欲なんだよね」


「何を今更」


興味なさそうに相槌を打つ硝子から、文献の表紙に目を落とす。


「一度愛したなら、壊れても大事にするのが筋だと思うんだ。
だって先に労りって愛を見せたのは、僕を失いたくないって脆さを見せたのはアイツだろ?
それなら僕がアイツを愛しても問題ないよね?だって僕を沼に落としたんだ。自覚させた。ねじ曲げた。
だから僕がアイツを引き摺り込んでも、愛し過ぎて憎らしく思うこの想いも、全部アイツが受け止めるべきだよね?」


だってオマエが僕を捨てたから。
捨てられた僕の愛情が、オマエを愛して憎くて壊したくて傍に居たくて泣きたくて侵したくて恨めしくて好きで辛くて可愛くて会いたくて恋しくて悲しくて愛しくて抱き締めたくて犯したくて欲しくて愛されたくて独占したくて殺したくて────それぐらい俺がオマエを欲しているのも、全部全部オマエの所為だと思う。


「………………御愁傷様」


ぽつりと呟いた硝子は何故だろう、青ざめて見えた。














2018年、10月31日。
獄門疆に封印された。


「あはっ」


骸骨に囲まれながら、耐えきれず声が漏れた。
ダメだって、あんまりにも不謹慎でしょ。
笑っちゃダメ。ああ、でもダメ。
口角が上がる。
口が開いた。ああ、ダメ。ダメだって。


「あはははははははははははははははははははははははは!!!!!!」


────もう無理。
素直になろう。


封印されて、めちゃくちゃ嬉しい。


腹の中でポチも嬉しそうだ。うん、いいこだね。そうだね、オマエも嬉しいよね。
だってオマエも、この日を待ち望んでたもんね。
笑いながら、ポケットから指に当たったものをするりと取り出す。


「展開」


僕が声を掛けた瞬間、繭の様だったそれは真っ白な猫になった。


────呪物・シュレーティンガーの猫


密閉された空間の中で、生と死を永遠と繰り返す呪物。
一体何処で使うんだと言った効果だが、今の僕からすれば喉から手が出る程欲しいものだった。


この呪物を展開しておけば、獄門疆は開かない・・・・


要は、僕の代わりに永続的に情報を書き換え続ける何かを捜していたのだ。
そうすれば情報の処理に時間が掛かり、獄門疆はその場に沈む筈。
こういう封じる、閉じ込める事に全振りなタイプは、対象を完璧に読み込みたがるヤツが多い。
勿論出られるなら出てあの脳味噌を消し飛ばしたいが、今はそれよりも彼方に行きたいという欲が強い。
しかし僕がこの中で何の細工も無しに消えれば、入れる物の消えた箱は開くだろう。
そうじゃなくても、“中身がなくなった”というアクションを取る筈。
このビックリ箱の仕掛けは知らないが、僕が消えたという事実が箱の外に知られるのは不味い。
何故ならその結果、五条悟が死んだという情報で呪術師側の士気が下がるから。
それだけ、“五条悟”の存在は大きいのだ。


「永遠におニューの猫ちゃんと遊んどけよ、乾涸びたおじいちゃん♡」


手を伸ばしてくる骸骨を蹴飛ばして、立ち上がる。
足許に散らばった鋭い破片角度を指差して、告げた


「ティンダロスの猟犬、僕を憎らしい愛しい女の世界に連れていけ」


────猟犬の遠吠えが響いた瞬間
















「………へぇ、此処が刹那の生きる世界かぁ」


目を開ければ外だった。
腹の中に居たポチが隣でふわふわと揺れていて、頻りに外を見渡している


《パパ?いる?》


「そ。パパに会いに来た。…でもね」


宙に浮かんだまま、真下にある神宮を見下ろす。


────伊弉諾神宮。


国産み、そして神を産み出した神の夫婦を祀る神宮。
荘厳な門構えの其所を、僕はにんまりと笑って睨み付けた。


「────刹那を貰い受ける為に、一仕事しよっか♡」










愛し憎し、懸想の念













五条→じっくりことこと煮込んだ結果、愛憎引っ括めたクソデカ感情になった。
執着心が凄い。顔も知らない女を愛して愛し過ぎてでも置いていった女が憎い。憎い。でも愛してる。情緒はぐちゃぐちゃ。
ポチは多分、心の在り方が本来の自分と近いので五条に純粋に懐いている。
もうこいつがティンダロスの猟犬って名乗れるレベル。

遂に、元凶が、平和な世界にやって来た。

ポチ→特級仮想怨霊・ティンダロスの猟犬。勿論未登録。
そこにあった伝承に、五条が呪力を流し込み作り出した怨霊。
120°以下の角度から何処にでも行ける。世界も余裕。
本来は執着心が凄い性格だが、何故かのんびりした煙系わんこになった。かわいい。
高専ではママの薄っぺらい腹に収納される事が多い。だが愛憎入り乱れたママのお腹は居心地が良い様だ。
まだ見ぬパパに会うのが楽しみ。

伏黒→何か(ティンダロスの猟犬)の気配を感じ、玉犬が五条に近付きたがらないのが気になっていた。

硝子→目を隠しているのにハイライトの消えた六眼を幻視して青ざめた。

夏油→まさか将来過去の自分の言葉を親友が全力で遂行するとは思いもよらない。

刹那→まさか自分が逃げた所為でヤンデレが爆誕したなんて思いもよらない。

メロンパン→封印間際「封印してくれてありがとう♡」と五条に言われ、自分はとんでもない事をしたのではないかと思った。

世界ちゃん→ん?なんか来たっぽい???

アンドロメダ→このアプリが選ぶのは“呪力”か“霊感”のある者。
つまり刹那は後者で、勝手に五条とマッチングさせられた。
原因不明、出自不明の不思議なアプリ。
ただ、世界を超えるヤンデレを生んだのはこいつも原因。




馬酔木の花言葉「犠牲」「献身」「あなたと二人で旅をしましょう」

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