「うん、楽しいね。とても楽しい」
「なんかイキイキしてんな傑」
「ゲロ拭いた雑巾の味がしなくなったんでしょ?そりゃああもなるって」
『うん、楽しそうで何より』
珍しく四人で任務があり廃病院にやって来ていた。
前を進む傑がオブラートを使って呪霊を取り込んでいる。
その表情が歪まないのを見て安心しつつ、私は鉄扇を手に硝子の護衛に当たっていた。
『傑ー、違和感あるなって思ったら無理しないでね。今日は硝子も居るんだし』
「判ってるよ刹那。足許に気を付けてついておいでね」
「ママか」
「あいつ最近マジでママじゃん。オマエ何時傑から産まれたの?」
『五億で売りやがった母親よりママ(♂)の方が良いわ。良いだろ私のママ、格好良くて綺麗で強いんだぞ』
「ママ(♂)wwwwwww」
「おいゲラ置いてくぞ」
最後尾に着いた悟がゲラゲラ笑っているが放置する。だってこれは本音である。
性格に難アリではあるが、そこも含め夏油傑は私の親友だ。
今何をしているか知らない実の家族より、此処で得られた友の方がずっと大事だ
「おいクソゲラ声が響く。少しは声量落とせよ」
「ゲラじゃねぇし。つーか呪霊居ねぇじゃん。これって俺と傑で上と下から見てきた方が早くね?」
『私達どうすんの?』
「建物の傍で待機。窓から投げてやろうか?」
『女の子の扱いが雑』
「女の子ォ?猫の間違いだろ。オラ首輪着けるから首寄越せ」
「変質者じゃん」
「悟、私の娘に手を出すなら私を通してからにして貰おうか」
「とうとうママだって認めちゃったじゃん」
「ママ(♂)wwwwwwwwwwwwwwwwww」
「おいこのクソゲラの所為で出てこないんじゃないか?」
『悟の声良く通るから…』
ゲラゲラ笑う声が廃墟に響いて大変うるさい。声に惹かれて出てくるタイプの呪霊なら楽だけど、今回の一級は逆かも知れない。
「あー笑った。つーか此処どういう奴が出んの?それ次第で根城も変わってくるだろ」
『資料には確か、分娩室が…っ!!』
「刹那!!」
踏み出した脚を、何かが掴んで────引き摺り込まれた。
一瞬で目の前が暗くなる。目を丸くした硝子が伸ばす手が空を切ったのを最後に、視界が切り替わった。
『……地下かな?』
瞬きの間に空間が変わったのは生得領域に連れ込まれたか、それとも移動を得意とする術式で一人だけ飛ばされたか。
鉄扇を構え、背負っていたリュックに積んだペットボトルの口を開ける。
腰を落とし、周囲を観察する。
罅割れた薄暗い部屋の中。真っ二つに割れた診察台と、画面に亀裂の入った機械。横倒れした本棚からはカルテらしきものが溢れていた。
悟の様な類い稀なる眼がなくても判る。
瓦礫と埃だらけのこの部屋には恨みと痛みが積もり積もって、泥の様に渦巻いている。
『……堕胎された子供の呪い、か』
産まれる事を望まれなかった子供の怨念。私を狙ったのは女だからだろうか。
戦闘向きではない硝子が狙われなくて良かった。
ずるり、砕けた診察台の上に生白い小さな手が掛かった。
「おかぁ゙サン」
「縺翫°縺ゅ&繧薙?√>縺溘>繧」
「縺ェ繧薙〒逕」繧薙〒縺上l縺ェ縺九▲縺溘?縲√♀縺九≠縺輔s」
────部屋中に、小さな手が這っていた。
繋がる先は見えない。
恐らく生得領域に連れ込まれた。領域展開じゃないって事だけが救いだろう。
…こいつ、間違いなく一級相当。下手したら特級だ。
啜り泣く様な声が響く中、ざあっと血が引く音が耳の奥で聞こえる。
緊張で乾いた唇を舐めて、ペットボトルから水を引き出した。
『縛裟・雪薙!』
水で作った鎖鎌を振り回し、向かってくる手を斬り払う。
その度に部屋中から赤子の泣き喚く声が反響して耳が痛い。
幾ら手を斬っても次から次へと生えてくるし、相手が特にダメージを負った様子もない。ただ痛みはあるのか泣き喚くだけだ。
この生得領域の本体は何処だ。それさえ特定出来ればまだやりようはある。
『あー、こういう時羨ましいな強い奴は…!』
悟なら多分蒼の一発で脱出出来るし、傑なら階級の高い呪霊を大量に出して押し切れる。
対する私の手段は鉄扇による物理と背負ってきたペットボトル、斬る度に増える呪霊の血、それからぼたぼたと景気良く滴る自身の血液のみ。
勿論彼等の努力もあるけれど、生まれながらの才能の差とはこうも残酷なのかと舌を打った。
手っ取り早く止血して、鉄扇で向かってきた手を叩き潰した。
この鉄扇、使っていて気付いたのだけど、もしかして“倍にする”術式でも付与されているんだろうか。
最初の違和感は、操る水が鉄扇に触れた時。
白銀の表面に触れた水が一瞬吸い込まれる様に消えて、倍の太さになった事。
突然の事に目を丸くするも、直ぐにこれが悟の言っていた“オマエと相性が良い”の正体だろうと当たりを付ける。
触れたものを倍に出来るんだろうそれを使って、部屋を満たせる程の水を産み出したのだが。
『だあああああ、本体何処だ…!?』
狭い室内には夥しい量の紅葉の手しかなく、壁に水の塊を叩き付けてもビクともしない。いやこれほんと人選ミス。悟か傑なら秒殺じゃんか、マジで。防御全振りタイプにクイック主体の雑魚を宛がうな。
ならば、と水を全部凍らせて造り上げた巨大な刃を大きく薙いだ。
凄まじい音と巻き上がる煙に壁が壊れたか、と期待して。
『………え?』
気付けば、目の前で血が噴き出していた。
額から真っ直ぐ、まるで身体を半分に割くみたいに。魚を捌くみたいに。
私が、切られていた。
『マジ、か……攻撃の…反射…?』
その場で崩れ落ち、痛みと溢れ出す血に歯を食い縛る。
鉄扇と意識は死んでも離すな。大丈夫、まだ私は生きている。落ち着け刹那。
恐らく今の攻撃は私の氷を反射したもの。
水の塊に対するカウンターは入らなかったから、きっと何か法則がある。
ぐちゃ、とナニかを踏み締める音がする。
右目は血が入って見えない。何とか無事な左目で捉えたものは、二本足で立つ異形だった。
「縺頑ッ阪&繧薙?√♀縺九≠縺輔s縲√が繧ォ繧「繧オ繝ウ縲?スオ?カ?ア?サ?昴?√♀豈阪&繧薙?√♀豈阪&繧薙?√♀縺九≠縺輔s」
赤子の頭が人の形を模した肉体から所狭しと生えては腐り落ちて床に堕ち、目玉がある位置からは小さな手が伸びている。
口から小さな頭が出てきているのが見えて、胃から酸っぱいものが競り上がった。
「縺頑ッ阪&繧薙?√♀縺九≠縺輔s縲∫ァ?#繧貞?繧後※縲ゅ♀閻ケ縺ォ蜈・繧後※縲ゆソコ驕斐r逕」繧薙〒」
近付いてきた呪霊が、手を伸ばす。
腕が、私の切り開かれた腹部の肉をがしりと掴んで抉じ開けようとして。
なんならそいつが────私の中に顔を突っ込もうとしているのを。
産まれる事を否定された命の恨みが、私の胎に還ろうとしているのだと認識した、瞬間
『あ────────あ』
冷える、覚める、褪める、醒める、冷める。
脳内で、ナニかが弾けて
『あああああああああああああああああああああああ!!!!!!』
────全てが、白く染まった。
「───────っ!!?」
突如呪霊に呑み込まれた刹那を手分けして捜している最中に、大きな呪力が弾けた。
はっと其方に目を向けて、直ぐ様手を真下に向ける。
「術式順転・蒼!!」
真っ直ぐ地下まで穴を開け、迷わず飛び込む。
恐らく傑と硝子も今の音で直ぐに気付くだろう。
薄暗く埃っぽい廊下を抜けて、呪力を濃く漏らす分娩室のプレートを掲げる部屋の扉を蹴り飛ばして。
────目に映ったのは、凍り付いた部屋だった。
氷柱の伸びる部屋の中央。
其処に倒れ伏す見覚えのある姿に心臓が嫌な音を立てる。
「刹那!!!!!」
サングラスを毟り取る様に外しながら駆け寄って、ぞっとする。
閉じられた目。氷の様に冷たい身体に、びきっと音を立てて氷の膜が張った。
その膜を砕いて、そっと白い頬を擦る。
……よかった、生きてる。
微かな、本当に僅かだが呼吸をしている事に気付いて安堵の息を吐く。
額から股にかけて一直線に切られた傷口ごと凍り付いているのは不幸中の幸いってヤツか。それとも刹那自身が生き延びる為の策として選んだか
「刹那、刹那、聞こえるか?良く頑張った。もう直ぐ硝子が来るからな。それまで頑張れ」
黒い睫毛を白く染め上げる氷を払ってやりながら、何時ものカウンセリングの時みたいに出来るだけ優しく話し掛ける。
抱き上げたらきっと、崩れる。
今の刹那は殆ど氷に近い。下手に触れない分、頬を撫でてやるくらいしか出来そうにない。
微かに、眼球運動が薄い目蓋越しに見えた。大丈夫、まだ意識はある。
この止まらない氷は、刹那の術式だ。
液体使役なんて端っこの端っこみたいなものではなく、こいつの術式本来の使い方。
今も呪力がぐるぐると華奢な身体の中を走り回って、若干暴走気味に術式が巡っている。
だがこれが今解けてしまえば刹那は失血死する。なんなら意識を手放した時点でアウト。その瞬間に身体の芯の芯まで凍り付き、内臓までリアルな氷像に成り果てる。
だから、硝子と合流するまで今にも途切れそうな意識を繋ぎ止め、走り過ぎている術式を弛く動かして貰う方に専念する事にした。
「自分で止血して偉いぞ、刹那。もう少し。もう少しだけ、な?頑張れ。そうだ。もう少し起きててくれ。うん、良い子だな刹那」
「五条!!」
「硝子、刹那の傷がやべぇ!!!」
「診せろ!!!」
駆け寄ってきた硝子が息を飲む。
冷えきった頬を擦りながら早速手を翳す硝子を見た
「刹那はギリギリ意識がある。部分解凍すればダメージは最小限で済むか?」
「なら先ずは頭からいくぞ。五条、刹那にずっと声掛けとけ」
「刹那、頭の方だけ体温戻せるか?頭から首までだ。ゆっくり、ゆっくりイメージしろ。首から下はまだ冷たいままだ。判るか?」
悴んできた掌で小さな顔を包み込む。指先で首まで撫でて、此処までだぞと刹那に示してやる。
すると、髪に付いている氷がかしゃりと音を立て崩れた。少しずつ、張り付いた氷が溶けていく様に息を吐く
「上手だなぁ刹那。その調子でゆっくり、ゆっくり体温上げてけ。急に上げると吃驚して身体が割れちまうから。うん、良い子だ刹那。…硝子、傑は?」
「補助監督に状況説明に行った。お前がでかい音出した時点で緊急事態だろうって思ってたし」
じわじわと氷が溶けて、次第に生々しい傷口が露になる。
硝子がその傷に反転術式を掛けて治療を始めた。
「こんな傷負って良く生きてたな。下手すりゃ即死だ」
「傷を負って直ぐに凍ったんだろ。よしよし、直ぐに硝子が治してくれるからな。痛いのちょっと我慢しような。
刹那、起きたら温かいモン食おうぜ。寒いのは嫌だもんなぁ」
閉ざされていた目蓋が持ち上げられて、俺を見た。菫青はまだぼんやりしているし、右目は血が入ったのか開けにくそうだ。
未だ冷たい頬を撫でながら、意識的にこいつの好きな優しい顔を作る
「おはよ、刹那。ゆっくり体温戻してけ。大丈夫、硝子が今治してくれるからな」
「刹那、怪我は任せな。今寝たら死ぬから、死んでも起きてろよ」
硝子の言葉が面白かったのか、強張っていた目許が緩んだ。良かった、死にかけてるが本人は案外余裕そうだ。
首までの傷が塞がった所で次、胸元の解凍を行う
「刹那、刹那、顔の傷は治ったぞ。良く頑張ったな。次は胸の下までゆっくり体温戻せるか?術式を少しずつ弱めるんだ。此処まで、ゆっくりさっきみたいに元に戻していけ」
先程の様に判りやすくする為、鳩尾の辺りを傷に触れない様に手で示した。
ゆるりと瞬いた刹那の胸元の呪力が少しずつ、術式の行使を弱めていく。
軈て、白く染まった学ランの隙間から覗く傷口からこぽりと血が溢れ出す。
顔を治した時より意識がはっきりしてきたからか、痛みに顔を顰めた刹那の頬を包み込み、親指で優しく解した。何時もよりずっと低い体温に目を細める
「良い子だ刹那。痛いけど我慢しような。大丈夫、直ぐに治るよ。硝子が治してくれるからな。ほら、痛くなくなってきたろ?」
「五条、お前案外カウンセラーに向いてるんじゃないか?」
「冗談。俺はこのポンコツで手一杯でーす」
茶化してくる硝子に軽口を返し、即死に至る傷を塞がれた刹那を見る。
硝子の処置のお陰で死は免れた。呪力も安定してるし、後は腹を治せば高専に戻れるだろう。
下がっている体温も俺が抱えていれば問題はない筈だ
「よし、腹治すぞ」
「りょーかい。刹那、最後頑張ろっか。腹の術式ゆっくり弱めな。大丈夫、さっきも出来たんだから此方も出来るよ」
刹那の口がはくりと動く。
何処かぼんやりしているこの顔は、アレだ。何時も見せる顔だ。
……こいつ、死の瀬戸際だってのにカウンセリングの時間と勘違いしてねぇか
「……オマエ、死にかけてんのに余裕ね」
「どうした?」
「んー?この馬鹿カウンセリングの時間と勘違いしてるっぽい」
苦笑して、硝子の処置の邪魔にならない様に覆い被さった。
視界いっぱいに俺の御尊顔を映しただろう刹那にゆるりと微笑んで、その唇を柔く吸ってやる。
何時もよりずっとひんやりしていた
「偉いぞ、刹那。呪霊も祓って頑張って傷塞いでお利口だったな。痛いのも直ぐになくなるから。ゆっくりあったまっていこうな」
「おいクズ何襲ってんだ」
「カウンセリングですぅ。毎晩こうやってこの真面目チャンのメンタルケアしてあげてるんですぅ」
「洗脳の間違いだろ」
「もう死なねぇなら何でも良いわ」
額にキスをして、柔らかい頬をかぷりと食む。猫の毛繕いみたいなキスを繰り返している間に処置が終わって、俺は身を起こした。
刹那はほぼ寝ている。これは完全にカウンセリングの後の光景。頭撫でときゃおやすみ三秒なヤツ。
オマエ死にかけてたってちゃんと判ってる?ほんと馬鹿。
「治った?」
「誰に言ってんだ。細かい傷はまだだけど、死にかけからただの怪我人には引き戻したよ」
「上出来、じゃあ傑んトコ行くか」
抱き上げようと刹那を見下ろして、制服が見事に縦に切れている事に気付いた。
ウケる、安物のAVみてぇ。
ぺらっと捲ると同時に硝子にひっぱたかれた
「ってぇな!!何すんだ!!」
「お前が何してんだクズ!とっととその学ラン脱いで刹那に貸せ燃やすぞ!」
「ハイスミマセンデシタ」
即座に学ランを脱いで刹那をくるむ。
こういう時の硝子に逆らうなって傑が言ってた。
氷下の夜