ゆっくりと意識が浮上する。
腕の中のものをぎゅううっと抱き締めて、私は目を開けた。
全身で絡み付いてくる巨人の頭を撫でて、欠伸を漏らす。
充電器に繋いだケータイを起こし、時間を確認した。
そろそろ起きなきゃいけない事を理解して身動ぐと、それを封じる様に大きな身体にしがみつかれた。
『…悟、起きてる?』
「ねてる」
『凄い寝言だなオイ』
ぎゅうっとくっついて顔を首筋にぐりぐりしてくる悟の頭を撫でながら、込み上げてきた欠伸を手で隠した。
目許を擦っていると、ぐりぐりしていた悟がぴたりと止まる。
「……せつな」
『んー?』
「…まだおこってる?」
覇気のない声に、これがあの最強かと笑ってしまいそうになる。
綺麗な白銀の髪を撫でて、ゆっくりと口を動かした
『おこってないよ』
昨日の二人の謝罪に此方も暴力的でごめんねと謝罪を返し、双方落ち着いたと思ったのだけれど。
どうやらまだ気にしているらしい悟の頭を撫でながら、ぽすぽすと背中もあやす様に叩いておく。
暫くそうしていると、もぞりと悟が動いた。恐る恐る上げられた顔。
綺麗な眉はへにょりと下がり、何時も自信満々に輝いている蒼い瞳は、ゆらゆらと頼りなく揺れている。
まるで今から怒られる猫ちゃんみたいな顔の悟に一頻り笑ってから、すべすべな頬を両手で包んだ。
『悟』
「ん」
『もう、怒ってないよ』
言葉を区切って伝えると、そこで漸く納得したのか、悟がふにゃっと笑った
「……そっか…そっかぁ」
『うん。おはよう悟、もう起きる?』
「おはよ。幸せだから、もうちょっと浸る」
『なんだそれ』
────五条悟は、最強である。
五条相伝の無下限呪術をその身に刻み、六眼を宿し産まれた麒麟児。
膨大な呪力を持ち、強く美しく育った五条家の最高傑作。
……そんな存在が、非術師の出の男と、弱小の家の女二人にうつつを抜かしている。
女を囲うのはまぁ大目に見ても良いだろう。
あちこちに種を蒔かれては管理の都合上困るが、胎を決めているのならまだ良い。
家としては桜花や家入よりもっと上の家が望ましいが、肝心の悟が其方に見向きもしない。
どうしても嫌なら子種だけ置いていけと迫った家令は、悟にこっぴどく締められてしまった。
度を超した暴れ馬ではあるが、噂では毎晩女とまぐわっているとの事。
五条家当主として最低限の自覚があるなら文句はない。
何れ孕ますであろう未来を見据え、本家は“次”を大っぴらに探す事はしなくなった。
女好きであれば年頃の女を宛がえば良いと考えていたのだが、どうやら家入と桜花に執着している様子が窺えた故。
それ故、悟の方から女の催促があるまでは此方から送り込むのは止めた。
只し、家入、桜花が五条家の望む子を産めなかった場合、または良い縁談を結べそうな場合は、リストアップしていた家、若しくは縁談を持ち掛けてきた家から娘を送る事とする。
女はまだ良い。
しかし、五条家は夏油傑をどうにも看過しかねていた。
非術師出身でありながら、悟と同等の実力と階級を持つ異分子。
特級となった事で悟の庇護を抜け、隣に並び高専にて幅を利かせる世間知らず。
その身には卑しい猿の血が流れていると言うのに、畏れ多くも悟と同格だと思っている愚か者。
何より────夏油傑が居ては、五条悟の価値が下がる。
同い年の特級など要らぬ。
“五条”という名により一層の権力と価値を付ける為には、夏油傑は邪魔だった。
未成年での特級という輝かしい偉業を当代で二人も出せば、一人の時よりも希少性が薄まってしまう。
五条家は考える。
夏油傑を排除する手立てを。
────そして、そこに話を持ち掛けてきたのが上層部の人間だった。
上層部にとって、己の意にそぐわぬ動きをする駒は要らなかった。
長らく治めてきた世界を乱す反乱分子は二人。おまけにその二人は幻の等級と言われる特級となり、揃って上層部に舌を出す。
どちらも揃って死んでくれれば一番だが、五条悟は曲がりなりにも御三家の五条の正当後継者だ。
…そうなれば、片付ける方は自ずと決まってくる。
「桜花を使い潰す前に五条と夏油の横槍が入った」
「ならば家入はどうだ?あの女に男を送り込むのは」
「家入は今の所我々の手勢も文句なく治療している。あの女よりは桜花に送るべきでは?」
「桜花も任務には大人しく向かっているぞ。ただ、五条の残穢がべっとりだそうだが」
「ふん、卑しい女よ。これだから弱い家の女は躾が悪い」
「あんな痩せぎすの何処が良いのだか。抱くならやはり、家入の方が良かろ」
「いやいや、存外名器なのかもしれん」
下卑た声がそれぞれ笑う。
暗い部屋の中、笑いの波が引いた所で誰かが口を開いた
「ところで、夏油はどう致す?」
「あの餓鬼を潰すなら、先ずアレの親はどうだ?」
衝立越しの視線が二人に向かう。
二卵性の双子はそれぞれに声を上げた。
「アレの親族は既に亡いそうです。家の者に調査をさせましたが、産んで直ぐどちらも死んだのだとか」
「ならばやはり、桜花の女当主か」
「アレは悟様の御手付きです。下手につついて悟様を刺激するのはやめて頂きたい」
「ならばアレはどうだ?準一級に居るだろう、五条の派閥の小娘が」
「語部結の事でしょうか」
「それだ、後は黒川とか言う非術師の出の餓鬼が居るだろう。
アレらを等級違いの任務に放り込むのはどうだ?」
老人達は策を練る。
全ては自分達の安寧の為。自分達に歯向かう若造を痛め付ける為。
その醜悪な会議をじいっと見つめる、白と黒。
黒い方はその手にしっかりと、小型の機械を握っていた。
〈カタリベ ト クロカワ ヨリモ モット コウカテキ ナ コマガ オリマス〉
〈ホウ? モウシテミヨ ツバキ〉
〈ソレハ ニネンノ ナナミ ト ハイバラ ニ ゴザイマス〉
「よーし、ちゃんと言えたじゃん。務めは果たせよ椿」
五条悟のセーフハウスにて。
サングラスの奥の瞳を緩め、五条は大きなソファーの背凭れに寄り掛かった。
彼と、対面のソファーに座る男二人が見つめるは、テーブルに一列に並ぶさとるっち。
その中の、山茶花と書かれたプレートを首から提げたさとるっちが、ぱくぱくと口を動かした
〈ナナミ ハイバラ ハ ゼンイン ナオヤ トモ シンコウガ アリマス
ココデ フタリ ヲ ケシテ オケバ ゲトウ ヲ ユルガス ノミ ナラズ ゼンイン ト ゴジョウ ノ アイダ ニモ フワ ガ ショウジル カト〉
腐ったミカンと書かれたプレートを提げたさとるっち達が言う
〈ホウ? ゴジョウ ト ゼンイン ノ カンケイ アッカ ハ コチラモ ノゾム トコロヨ〉
〈ヨイ アン デハ ナイカ !
アレラ ハ ニキュウ !
シンダ トコロ デ イタクモ カユクモ ナカロウ !〉
〈トクニ ハイバラ ハ ゲトウ ニ ナツイテ イルノ ダロウ ?〉
〈ソレハ ヨイ !
アノ ガキヲ コラシメル ニハ ウッテツケ ヨ !!〉
ばき、と五条が噛ったクッキーをへし折った。
恐らくサングラスの奥の神秘の蒼は、温度のない眼をしているのだろう。
十分に我慢している、と孔は思う。暴れないだけまだ理性がある、とも。
隣の伏黒は我関せずと言った態度で、家に置いてあった缶詰を開けている
〈ナラバ チカヂカ イッキュウ ニンム ヲ ヤツラ ニ ワタソウ〉
〈ワカッテイル デ アロウガ ゼッタイ ニ ゴジョウハ ノ ニンゲン ニ シラレテ ハ ナラヌ
ヨイナ ツバキ サザンカ〉
〈ギョイ〉
〈ココロエテ オリマス〉
〈コレデ コンカイ ノ カイギ ハ シマイ ト シヨウ〉
そこまで言うと、白猫達が一斉に口を閉ざした。
いそいそと自分達でプレートを外し始めたさとるっち達を眺めながら、孔が溜め息を溢す
「うわ…何処もやっぱり上ってのは腐ってるモンだな…」
「格式大好きなジジイ共だからな」
孔に合わせる様に伏黒も笑った。
その言葉に五条はゆるりと口角を吊り上げた。
「家の雑魚がキナ臭ぇ動きしてるのは知ってたんだ。だから今回は俺の活動報告って係で椿と山茶花を向かわせた。
言わば二重スパイってトコ?上層部のジジイと五条の馬鹿共の動きは逐一知らせろって言い含めてある」
「ソイツらが坊を裏切る可能性は?」
「俺を裏切ったら死ねって縛り結んでる。それにアイツらなんか知らねぇけど刹那を俺の嫁って認識してるっぽいから、積極的に護ってくれそう」
「あー…」
「あー…」
納得した二人に不思議そうに首を傾げ、五条はクッキーを口に放り込んだ。
「じゃあ、七海くんと灰原くんを椿に勧めさせた理由は?」
「それはアレ。椿と山茶花が俺側じゃないって証明と、次に誰が狙われるか此方から指定したかったから」
セイロンティーに風味を殺すかの如く砂糖をぼちゃぼちゃと放り込み、じゃりじゃりと音のする液体をスプーンでかき混ぜる。
うげ、と顔を顰めた伏黒はブラックコーヒーを口にした
「あんまりにも五条派の人間を庇い立てすればジジイ共に信用されないだろ?
だから、アイツらの今回の仕事はジジイ共に信用される事と、いざって時に俺が直ぐ動ける様に、狙いやすいヤツをちらつかせる事。ついでに傑の身辺情報の操作。
誰が狙われるか判ってれば、その通りに狙わせてやって、危なくなったら俺か傑か甚爾が助太刀に入れば問題ない訳だし」
「つまり、七海くん達は」
孔の問いに、五条はあっけらかんとした様子で言った
「餌」
「うわぁ…」
「いやー、ジジイ共が食い付いてくれて助かったよ。
甚爾、これから一ヶ月程度、七海と灰原をそれとなく注意して見といて。
遠方の任務とかめちゃくちゃフラグだからヨロシク」
「おー。報酬は弾めよ」
「ママ黒サンに渡しとくね」
「オイそれは俺の取り分じゃねぇ。貯金に回されるだろ」
「どーせ紙にして溶かすんだから有効利用しろって。家族サービスだっけ?やってみたら?」
「たまには当たるんだよ」
ぎゃあぎゃあと言い合う二人を尻目に、孔は自分の鞄からパソコンを取り出した。
キーボードを叩いてくるりと向きを変えると、騒いでいた五条はぴたりと口を閉ざした。
「……へぇ。じいやが此方に付くなら五条の制御は楽になりそうだ」
「多分、今はボスの手腕を測ってるんだろうな。俺が動こうが、椿と山茶花が動こうが静かに見てるだけだ」
五条家は今、現当主の悟派と前当主派で真っ二つだ。
表面化しない様に、表立って争う訳ではないが、五条を操ろうと画策する者は前当主の代から家に身を捧げる者ばかり。
その中でもどちらにも属さず静観しているのが、長年先代の秘書を勤める男だった。
家令よりも影響力のあるその男が、悟と対立すると宣言していないからこその水面下での冷戦な訳だが、じいやと呼ばれるその男さえ悟に付けば、家の八割が悟に降伏する事となる。
「当主になっても言う事聞かねぇんだもんあの雑魚共。いっそ全員閉め出したいよね」
「まぁワンマンにはなるけど、それも已む無しってトコだろ?
此方は椿と山茶花、それからじいやを取り込めれば万々歳かな」
「おーおー、御家騒動ってのは何処も大変だな。俺なら無理」
「俺だってやだっての。でも権力さえあれば、硝子と傑と刹那を護れんの。
…これはさ、俺にしか出来ない事なんだよ。実力はあるけど後ろ楯のない傑を支えて、ちょっかい出されやすい硝子と刹那を護れるのは、こんなクソみたいな家に産まれた、俺だけ」
静かな表情で、五条はそう呟いた。
小生意気なだけかと思いきや、御三家に産まれた当主としての思慮深さも覗かせる様になった。
その成長を感慨深く思いながら、二人の大人はそれぞれ種類の違う笑みを浮かべる
「大人になったなぁ、ボス」
「ガキが一丁前にカッコつけちゃってまぁ」
「は?????」
暗躍
刹那→なかなおり。
五条→なかなおりしてにっこり。
また何やら悪巧みしている様だ。
甚爾→悪巧みトリオの一員。
報酬は是非自分に払ってほしい。
時雨→悪巧みトリオの一員。
ボスが成長していて感慨深い。
さとるっち→沢山置けばそれぞれ(ミッキーみたいな五条の声で)演じ分けてくれる。
すぐるっち→証拠集めとしてボイスレコーダーを握っていた。
椿→この度二重スパイを命じられた。
山茶花→この度二重スパイを命じられた。