馬酔木(一徹無垢篇)

※「馬酔木」続篇
※オリジナル設定あり









四月三日 昼


「刹那、待て、待って!危ねぇから!!今すぐそれを降ろせ!!そーっと!そーっとだぞ!!!」


『私は爆弾持った犯人かなにか???』


「降ろしなさい!!指が一斉に逆に曲がっちゃうでしょーが!!!」


『激おこ』


よく見てほしい、私が持っているのはただの段ボール箱である。
しかも中身は悟が用意してくれたらしい、五条家で使っていた下着類と数着の衣服のみ。
確かに多めに用意してくれた分を全部詰め込んだが、それでも振り回せるぐらい軽い。
…いやこれ何グラム?これで指が折れてたら、私もう箸しか持てないじゃん。


『悟、これ中身スッカスカなの。布だし、軽いの』


「え?コーヒーカップだって指がめきぃっていきそうなのに段ボール…?布の入った段ボール…???」


『そろそろ怒るよ』


何だろう、悟ってめちゃくちゃ過保護。
たかだか段ボール運びで此処まで心配されたのなんか初めてである。
大袈裟な悟に溜め息を溢しつつ、備え付けの箪笥に段ボールの中身を移した


『そういえばさぁ』


「んー?」


『なんか部屋、随分広くない?』


何気無く抱いた疑問だった。
十畳程度はありそうな此処は、女子一人で入るにしては随分と広い。もう一人誰か来るんだろうか。
あ、もしかして家入硝子?え?いきなり同部屋?私結構めんどくさいよ?仲良くしてもらえる???
そんな事を思っていると、やたら大きなベッドの布団を干していた悟が、窓の向こうからなんて事ない顔で言った


「当たり前じゃん。俺との相部屋なんだから」


『難聴かな???』















「いや、そもそも何で一人部屋だと思ってたの?俺そこにびっくりなんだけど」


《これはー?》


《あっちー!》


《どっちー?》


《こっちー!》


ぬいぐるみ達がわちゃわちゃとタオルを運ぶ姿をほっこりしつつ眺めていると、ぬいぐるみのモデルの男にぎゅむっと抱き締められた。
そちらに目を向けると、むすっとした悟と目が合う


「何で俺と居るのに、オマエは他所ばっかり見ちゃうんだろうね」


『?可愛いじゃん、わちゃわちゃしてて』


「俺も可愛いでしょ?」


『可愛いの種類が別かな』


悟はあざと可愛い感じ。ポチは純粋に可愛い。口にせずとも伝わったのだろう、悟が目を尖らせる


「俺は刹那しか可愛いって思わねぇのに」


『……ありがとう。ポチ可愛いでしょ?』


「ぬいぐるみじゃん」


『ぬいぐるみが可愛いんだけどなぁ…』


どうやったってポチは可愛くないらしい。
ポチというか、ぬいぐるみが可愛くないんだろうか。
あのふわふわできゅるんとした目はどう見たって可愛いんだけどなぁ。


「…そうやってさぁ、幾つも引き出し持ってるのって狡いよねぇ」


『?』


振り向くと、悟が俯いて言葉を落としていた。
白銀の髪の隙間から見える蒼が、ギラギラと輝きながら私を射抜く


「…まぁ良いよ。俺、優しいから。どう足掻いたって布と綿に戻る分際なら我慢してやらなくもないし?」


顔を上げた悟からは、先程までの妙なギラつきは霧散していた。
うーん、なんか良く判らないけど不穏。
ただかわいい顔でむすーっとしているので、これは多分、アレだ。ヤキモチだ。
……いや無機物に妬くの???え???


それってまだ小さかった妹(三歳)と同じレベルでは…???


思わず固まった私を不思議そうに見つめ、悟はそう言えば、と言いながら身を離した。


「刹那、はいコレ」


小さな棚から出した書類を、悟が此方に差し出した。
それを受け取り、何気無く目を落として…固まった。


『え』


────戸籍謄本。
私の名前と……下に、家族の名前が、並んでいた。


『………………っ』


「…流石に住所は弄れなかったからさ、俺ん家だけど。後は全員の生年月日も此方に合わせたよ」


…もう、家族だって思っちゃいけないのかと思っていた。
仮に戸籍を作っても、何処かの誰かの娘になるのだと思っていた。
家族の続柄で記載されている名前を静かに撫でていれば、そっと大きな手が髪に触れる


「呪術師はさ、隠されてはいるけどそれなりに権力持ってんの。…呪霊に巻き込まれて殺された非術師の処理も、此方でしてる訳だし。
それと一緒。たまにあるんだよ、何らかの呪術的要因で十年後にタイムスリップとか、登録されてる戸籍の情報と合わない状態になった呪術被害者が出るケースが。
そういうヤツのバックアップ機能として、戸籍緊急改訂権ってのを呪術界は持ってる」


長い指がそっと目許を撫でた。
蒼が、甘やかな光を湛えて私を見つめている


「ただあんまり捏造しても粗が出るから、家族は名前だけだ。
オマエは呪術的要因で死んだ一家の生き残りっていう事で戸籍を作ってある。…何か、質問はある?」


堪えきれなくなって、ぽたぽたと涙が溢れ出した。
悟が苦笑して、私を優しく抱き寄せる。
長い腕で包まれ、ぽん、ぽん、と背中をあやす様に叩かれた。


「…ごめんね、刹那。俺は家族っていうものが判んないから、これぐらいしか出来る事は浮かばなかった」


優しい声が、耳許でそっと囁かれる。
溢れる涙は悟のシャツに吸い込まれて、どんどん濡らしてしまっているというのに、悟は怒った様子もない。
それどころか甘やかな声で、優しく蕩ける様な感情を与えてくれるのだ


「…俺には暖かな家族が判らないけど、優しさもちゃんと判ってないかも知れないけど……それでも、刹那に笑ってて欲しいって、思ってるんだ。
…大好き、愛してるよ刹那。
色々ズレてるかも知れないけど、それでも…俺がずっと一緒に居たいって思えるのは、刹那だけだよ」


…此方に来てから泣いてばかりの私を、悟は何時だって優しく慰めてくれた。
涙を拭って、抱えた愛を惜しみ無く与えてくれた。
戸籍だって、私を思ってわざわざ父さん達を家族としてこの世界に刻んでくれた。
そんな人が、優しさを判っていない筈がない。
薄い背中にゆっくりと腕を回す。


『…悟は、優しいよ』


「そう?」


『うん』


そうじゃなきゃ、こんな泣き虫の相手を嫌がりもせずするものか。
こんなにも直向きな愛情を注げるものか。
只管に頷く私を悟はけらけらと笑った


「そんなの、好きな子だからに決まってるだろ」


笑いながら、悟は前後に身体を揺らす。
私の後頭部を優しく撫でながら、楽しそうな声が踊った


「言ったでしょ、俺は刹那に笑ってて欲しいの。
だから…刹那だけには優しくしたいって、何時だって思ってるよ」


『………』


「好きなだけ泣いてよ。泣いてる刹那を甘やかせるのって、俺の特権でしょ?」


優しい言葉にまた涙が溢れてきた。
ぐすぐすと泣きながらしがみつく私に、悟はずっと機嫌が良さそうだった。















四月三日 夜


二人で広いふかふかのベッドに転がって、向かい合う。虫の声も聞こえない、静かな夜。
枕元のテーブルライトの光が柔らかく落ちる悟の肩越し。
遮光性の高いカーテンの表面に、水色の桜がぼんやりと浮かび上がっていた


『カーテン、綺麗な柄だね』


「ん?…ああ、あれ?刹那が好きそうだったから」


ぱっと見は落ち着いたグレーのカーテンなのに、電気を消したら桜が現れるなんて、随分私のツボを心得たものをチョイスしている。
そう言えば、テーブルライトも三日月のフレームの先端に球体のライトが吊るされた、女性向けのものだ。
悟なら、きっとこういう物は選ばないと思う。
…もしかして、部屋の内装私に合わせてる…?


『……悟』


「なぁに?」


柔らかな色の明かりに照らされた蒼は、優しい色を帯びている。
…この人、此処まで気遣いが出来るのに、何で原作だと人格破綻者扱いされてたんだろう。
内心首を捻りつつ、悟にそっとくっついた。


『家具、私に合わせてくれてありがとう』


「んふふ、どういたしまして。気に入ってくれた?」


『うん。凄くお洒落だし可愛い』


「流石俺。刹那の事判ってるね!」


そう言って得意気に笑う悟に、私も釣られて笑った。
いそいそと抱き込んでくる腕を受け入れつつ、私は悟を見上げた。


『お皿とかは?寮生活ってご飯は準備されるの?』


「皿とかは最低限しか用意してないよ。つーか、この部屋は全部最低限の物しかまだないの」


『なんで?』


悟なら趣味も良いし、例え変なものでも私はそれを受け入れようと思っているけど。
何故だろうと見つめる先、悟が照れ臭そうにはにかんだ


「…だってさ、……同棲、みたいでしょ?
……そりゃあ皿とかさ、お揃いのマグカップとかさ…一緒に選びてぇじゃん」


『』


ぼそぼそと告げられた言葉が何とも可愛くて、ちょっと無理。
え?なにこの男、顔だけじゃなくて中身も可愛いの…?え…???
格好良くて優しくて可愛いの…???え…完璧人間…???


『悟、なんでそんなに完璧なのにクズって言われてたの…???』


「俺の優しさを理解出来ないヤツしか居なかったんじゃない?」


しれっとそんな風に返して、悟が私の髪を指に巻き付けた。
…悟の纏う雰囲気がほんの少し引き締まる。
彼の言葉を取り零さない様に、しっかりと美しい蒼を見た


「…刹那。明日から、きっとオマエの暮らしてきた世界とは真逆の生活になるよ。
毎日任務や実技があって、きっと怖い思いも痛い思いも沢山する。……でもね」


一度言葉を切って、それからゆっくりと、希う様に、柔らかな唇が音を紡いだ


「俺は刹那の味方だって事、忘れないで。どんな事でもいいよ、俺に話して。
…絶対に、独りで抱え込まないで。それだけは約束してよ、刹那」


…私をこんなにも大事にしてくれる理由は正直、判らないけど。
それでも、この人が私を愛してくれているのは、理解出来るから。


『うん、約束する。…悟も、私で良ければ何でも話してね』


笑顔で頷いた私に、悟もふにゃっと笑った


「うん。沢山話そうね、刹那」













四月五日 朝


降ろしたての学ランを身に纏い、折り畳み式のパーテーションから出た。
既に着替え終わっていたらしい悟は此方を見て、ゆるりと微笑む。


「うん、流石俺。百点満点」


『…なんで自分の学ランはカスタムしないんだろうね?』


「えー?素材が良いんだから飾り立てる必要ないじゃない」


『中身がクソ』


「刹那ちゃん??????」


悪かったな平凡な素材で。
妙に爪先と踵がガッチガチなローファーを履いて、部屋を出る。
だが悟は椅子に座ったまま。
え?今日って初登校でしょ?行かないの?


『悟?遅刻するよ?』


「刹那は先に行っててよ。俺は八分遅刻して行くから」


『えっ』


わざと遅れるの?え?
何かしててそれが思ったより時間が掛かって遅れるとかじゃなくて、あの遅刻癖ってわざと遅れてるの?
……いやそれ社会人というか、人としてダメでは…???


『五条くんと同類は嫌なので、先に行きますね』


「あ?オイなに急に距離取り出しやがったオイ」


『意図的に遅刻するとか……人としてダメでは…人間五分前行動がマナーでは…???』


「え?なんで俺が腐ったミカン共の指定時間にわざわざ五分前集合しなきゃならないの?
五条悟の貴重な五分を?ジジイにわざわざ繰り上げで使うの???
早く死ぬなら全然良いけどそうじゃないでしょ?アイツらゴキブリ並みにしぶといもん。
あー、ウン。わかった!じゃあ次からは、一旦部屋に寄って仮眠摂って十五分遅刻して行くね!」


『待って。流石に一桁にしてあげて』


「九分かな?」


『五分前行動は!マナーです!』


「マナーとか食えねぇモンどうでも良いわ。あ、安心してね。刹那との待ち合わせなら何時からでも居るし何時までも待ってるから♡」


『なにそれこわい』


「刹那ちゃん??????」


ぽんぽんと言葉の応酬をして、はたと気付く。だめだ、このままじゃ私も遅刻する。


『じゃあね悟!早く来てね!』


「行ってらっしゃいハニー、また後でねー♡」


慌てて飛び出す私を、悟が笑顔で手を振りながら見送った。
いやだからあんた遅刻………もういいや。












急いで向かった教室。
四つしか並んでいない机は既に両端が埋まっていて、私と悟が真ん中になるのは決定事項の様だった。
扉を開けると、二人の男女が此方に目を向けた。


お団子にした黒髪に、切れ長の目の少年と、暗めの茶髪のボブで、泣き黒子のある少女。


原作より幾分幼い印象ではあるが、どちらも美形である。ああ、帰りたい。


『…初めまして、桜花刹那です』


人間第一印象は重要だ。
愛想笑いを張り付け会釈すれば、夏油傑は片手を挙げて、家入硝子はひらひらと手を振ってくれた。


「女子じゃん、ラッキー。家入硝子、宜しく」


「私は夏油傑。宜しくね」


『宜しく』


…良かった、第一印象は良かったっぽい。
早速家入さんの隣に腰を降ろし、何と呼ぶべきかと悩む。
普通に考えて、名字だよね?初端下の名前で呼んで許されるのは美形の特権だし。
そう思いつつ、目が合った家入さんに話し掛ける事にした


『家入さんが居て安心したよ。呪術師の女の子は少ないって聞いてたから』


────刹那。
絶対に、“傑と硝子を前から知ってた”って反応をしちゃダメだよ。
“俺以外誰の事も知らされてなかった”ってフリをしな。…大丈夫、嘘を吐く訳じゃないんだ。気負わなくて良い。
だって、“人間の傑と硝子に会うのは初めて”だろ?
そう思って話せば、きっと上手くいくよ。


昨晩の悟からのアドバイスを思い出し、さも入学するメンバーすら知らなかった体を決め込む。
するとその演技が功を奏したのか、家入さんがにっと笑った


「硝子で良いよ。私も同期が妙にキャピキャピしたヤツじゃなくて良かった。アンタ、付き合いやすそうだしね」


『私も刹那で良いよ。ふふ、仲良くして貰えそうで良かった』


…悟の言う事はやっぱり的確だ。
まだ部屋に居るんだろう白銀を思い描きながら硝子と話していると、反対側から穏やかな声が混ざってきた


「やっぱり女性が居ると華やぐね」


私からするとちょっと年上っぽさを感じるお世辞にしか聞こえなかったのだが、どうやら硝子は違ったらしい。
様子を探る様な目で、窓際の夏油くんを見据えていた


「なに?女二人揃うと喧しいって?上品ぶって嫌味言うじゃん」


「おや?そんなつもりはなかったんだけど」


「胡散クセー」


……あれ?もう喧嘩か?
早くない?え?これ間に挟まれた私どうするべき?
思わずおろおろしていると、がらりと戸が横に滑った。
来訪者に思わず胸を撫で下ろし…次の瞬間、つい言葉が零れた


『ヤクザだ』


「ヤクザではない」


「ヤクザだろう」


「話を聞け」


「ヤクザじゃん」


「断定するな」


ヤクザ三段活用みたいな質問をした私達に律儀に返したその人は、私の隣の空席を一瞥すると、深い溜め息を落とした。


「……五条悟はどうした」


「知りませーん」


「私も知りませんね」


先に二人が答えると、刈り上げてラインまで入れているヤクザは此方に目を向けた。


「刹那、悟はどうした?」


あ、そっか。
この人担任だから、私と悟が相部屋なの知ってるんだ。
それに思い至った所で、はたと気付く


『えー………………っと』


いや、言って良いの?わざと八分遅れてきますとか言って良いの???
これって悟の信用問題にも発展しない?私の不用意な発言で悟の信用が地に堕ちない?


答えに窮した私が取り敢えず、遅刻する旨を伝えようと口を開いた、丁度その時────渦中の人物によって扉が開かれた。


ガラガラ!!と先程とは違って荒々しくレールを走る扉に視線が集まる。
そこに立っていたのはやはりと言うか、ラウンドのサングラスを掛けた立派な不良で、私の中の知り合いだと思われたくない人種一位をぶっちぎりで獲得した。
しかし奴はその限りではない。
悟は厳しい顔をするヤクザをフルシカトして空いていた席に着くと、サングラスをずらして此方にウィンクをしてきた。やめろこっち見んな


「やっほーハニー、寂しくて泣いてない?」


『わぁ、知らないフリしたーい』


「そこは寂しかったわダーリン♡でしょ。あとで補習です」


『誠に遺憾です』


入学初日であるというのにふざけ散らかす悟に困っていれば、反対隣の硝子がそっと耳打ちしてきた


「なんだこの意味判んねー奴。刹那、アンタの彼氏?」


『………婚約者』


「は???」


硝子がフリーズした所で、前から咳払いが聞こえた。
其方に顔を向ければ、会話が途切れるのを待っていたらしい先生が重々しく口を開いた


「悟、八分遅刻だ」


「ぁあ?馴れ馴れしいなオッサン。
誰?呪術師ってメンバー足んな過ぎてとうとうヤクザにまで手ェ出しちゃったワケ?」


「ヤクザではない。…お前達の担任になった夜蛾正道だ」


嘘でしょ、めちゃくちゃ態度悪いね…???
悟って入学当初はこんなだったの…?
驚く私をちらりと横目で見て、悟は僅かに口角を上げた。


……あ、何時もの優しい悟だ。


なんだかほっとする。
力の抜けた事が伝わったんだろう、悟が甘く目だけで微笑んだ。
それから、くっと細い顎が僅かに前を指したので、私も先生に向き直った


「これからお前達は五年間、この呪術高専で呪術師とは何たるかを学び、力の使い方を己で定める事となる。
誰に左右されるでもなく、自分で何の為に呪術師になるかを決めろ。
理由のない力は只の暴力であり、齎すものは破壊だ。
破壊では誰も救えない事を、心に刻め」


…誰に左右されるでもなく、自分で。
そうだ。私は私の力に責任を持たなきゃいけない。もう、悟に護られるだけじゃダメなんだ。
呪術師の先達からの有り難い言葉を反芻させていると、悟がブチかました


「……理由だぁ?んなモン雑魚が拳振り上げんのに必要な言い訳だろ?
呪霊が居たから祓う。それじゃダメなの?」


『……悟…』


嘘でしょ、めちゃくちゃイキってるじゃん…
思わず頭を抱えた私の隣で、硝子はないわー、と呟いた。
夏油くんも表面上は微笑んで見えるが、腹の底ではどう思っている事やら。


「…力を扱う者がその力に責任を持つのは当然の事だ」


「へーへー、御高説どうもアリガトウゴザイマス。刹那、学校探検行こっか。俺が案内してあげる」


『えっ』


待って?急に巻き込まないで?
硝子はうわ、かわいそーと言わんばかりの目で此方を見ていて、夏油くんは微笑んでいる。なんか裏がありそうでとても怖い。
そして、押し黙った夜蛾先生の蟀谷には血管が浮かんでいた。
やだーガチギレじゃないですかー。…泣きたい


「………刹那、悟の手綱をちゃんと握る様に」


『……………善処しまーす』


それが出来たらノーベル賞もんじゃない?













四月五日 昼


午後、早速行われたのは校庭での鍛練だった。
先ずは簡単に校庭を五周。男子は十周。
…ただ、この五周とはとんでもなくしんどかったりする


「刹那、がんばー」


『なんで……先に…おわってんの…っ』


「え?脚の長さ見てみろよ。サクッと終わるでしょ」


『バチクソクズ』


「刹那ちゃん??????」


「ぶふぉwwwwwwww」


「あ??????」


「刹那ウケるwwwwwwww」


「は??????」


さっさと十周を走り終えた悟は階段に腰掛け、走る私達にやる気のない声援を送っていた。
脚が短いですね(意訳)と言ってきたので率直な感想を返したのだが、硝子は兎も角、立ったままで此方を見ていた夏油くんまで噴き出したのは完全な事故。
お陰で夏油くんは絶賛悟に睨まれ中である。おい坊っちゃん、ガンを飛ばすな。


「なに噴き出してんだオマエ。つーか勝手に俺の嫁見てんじゃねぇよ」


「おや、日本は何時から十五歳で結婚出来る様な猿量産推奨国になったんだろうね?
ああ、君って確か御三家ってヤツだっけ?
だから現在の日本国憲法に疎いのかな。
呪術の大家の嫡男がそんなじゃ、先が思いやられるね」


「家はマジでどうでも良いわ。…でもさぁ」


一度言葉を切って、悟が口角を吊り上げた。


「庶民の間じゃ、売られた喧嘩は十億倍にして返して良いって話だったよなぁ?」


「……お殿様は相場もまともに知らない様だ。一度小学生に混じって算盤を弾いてみると良い」


「はーい悟くんおこ。叩き潰す」


「それは此方の台詞だよ」


「「………………」」


雲行きが怪しいどころか雷雨確定レベルである。思わず足を止めた私達の隣を悟が通り過ぎた。
その際に押し付けられたサングラスを、汗が付かない様にポケットに入れて、硝子と共に避難を始めた。


「吠え面かかせてやるよ雑魚!!」


「土の味を教えてやるよバカボン!!」


校庭から逃げた途端に飛んできた怒号と派手な音に、私達はそっと顔を見合わせた。


『…これって私達も怒られると思う?』


「災害から避難しただけだし、私らじゃ止めらんないんだから良いだろ」


『だよね』


因みに白いのと黒いのには、直ぐに飛んできたヤクザの鉄拳制裁が下された。















四月五日 夜


「あ゙ークソ。まだ痛ぇ。あんのゴリラ加減ってモンを知らねぇのかよ…」


『冷やす?』


「いや、良い。もうこの痛みで反転術式会得するわ」


『そんな簡単に会得出来るものなの…?』


鉄拳制裁によりダメージを受けた頭頂部を擦りながら、悟は湯気を上げる鍋を見張っていた。
隣に立つ私はお出汁の微調整の真っ最中。揚げの浮かんだお出汁にちょこっと白だしを追加して、お玉で掬う。
小皿に注いで味を見る。……なんで?市販のお出汁っぽくなるとかいう奇跡が起きた。


『悟、これちょっと味見してみて』


「ん?どした?」


『奇跡が起きた』


「???」


小皿を渡し、薄い唇に柔らかい色合いの陶器が触れるのを眺めた。
出っ張った喉仏がこくりと動いて、蒼い目がぱちりと瞬く


「アレだ。どん兵衛」


『だよね?お揚げ入れたからかな』


「オマエ顆粒出汁とか色々入れてたじゃん。だからじゃない?」


『というか悟がどん兵衛の味を知ってた事にびっくりしてる』


「は?俺をどんだけ世間知らずだと思ってんの?そんぐらい知ってるって」


悟が麺を引き上げて、お碗に移した。
色違いのお碗にお出汁を注ぎ、テーブルに持っていく。悟はうどんとご飯、私はうどんのみ。あの薄っぺらいお腹の何処にこの量が入るのか。
ベッドでは、ぬいぐるみ達がババ抜きをしていた。かわいい。


「カップヌードルとかコンビニのおにぎりとかさ、この頃は食べた事なくて。…全部新鮮だったなぁ」


『…楽しかった?』


「まぁね。でも今も、楽しいよ」


向かいに腰を降ろした悟がゆるりと微笑んだ。
静かに手を合わせ、いただきますを口にする。


「んー、うま」


『…ほんとどん兵衛みたいな味…』


「刹那、料理出来んのね。これから一緒作ろっか」


『…悟ってめちゃくちゃ手際良いじゃん…?邪魔にならない…?』


「ならないよ。それに二人で作る方が楽しくない?」


『そりゃそうだけど…』


…まぁ本人がそう言うなら、良いのかな。
大きな口で美味しそうにうどんを食べる悟に小さく笑って、箸を動かした。













「そうだ、刹那。はいコレ」


ご飯の後、悟が渡してきたのは白い長方形の物体だった。
折り畳み式のそれはテレビで見た事はあれど、手にした事はなかったものだ


『ありがとう。なに?ガラケー?』


「携帯ね。今の時代じゃそれ最先端よ?」


『わー、画面ちっちゃ…ほんとだ、タップしても動かない…えっ、何これ伸びた。アンテナ?わぁ…これがガラケー…』


「あー、ウン。未来人の過去との遭遇って感じ」


キーがポチポチ動く…4Gじゃない…ウイルスバスターが居ない…
いっそレトロな玩具を触っている気分の私に、悟が簡単にガラケーの説明を始めた


「先ずガラケー呼び気を付けな。んな言い方したらオマエの携帯ヒョウ柄にでもしないと怪しまれる」


『あー…もし他の人に覚えられてたら困るもんね…』


仮に夏油くんや硝子に「ガラケー?何それ?」なんて言われたら、私じゃ良い切り抜け方は浮かばない。昔からそう言ってたよね、とかもきっとアウト。
素直に頷くと、ふっと微笑んだ悟がガ…ケータイを取り出した。
それは私のと色違いの黒だ。
ぱかりと開かれた画面に表示されたのは私で、ぎょっとした


『ちょっ、え?なんで?いつの間に?』


「んふふ、なーいしょ♡お気に入りは抱いた後に気持ち良さそうに寝てる刹那なんだけど、うっかり見られたら殺しちゃうから秘密のフォルダに入れてる」


『消して???』


「え?なんで??やだ」


心底訳が判らないという顔をしているこの男が私は判らない。
え、よく考えて?盗撮じゃん?寝顔とか嫌だ。しかもその…えっちな事した後とかもっとやだ。絶対顔ぐちゃぐちゃだし。


「あ、携帯のロック番号はオマエの誕生日だから。好きに見て良いよ。秘密のフォルダは番号違うから」


『……流石に勝手に人のケータイ見ないよ?』


なんで私の誕生日にしたのかとか聞きたいけれど、その前に、私は許可もなく人のプライバシーの塊であるケータイを見たりしない。誠に心外である。
眉を潜めた私に苦笑して、悟がそっと唇を寄せてきた


「違うよ。俺が見て欲しいの。刹那に所有されてる感覚を味わいたい」


『??????』


ごめんちょっと意味が…意味が判らない…
困惑する私をラグの上に押し倒して、光を背にした悟がゆるりと微笑んだ


「愛ってね、蜜にも刃にもなるんだよ」


『悟…?』


「俺は刹那を愛してる。全てから護ってあげたいし、一生その瞳に映っていたい。…だからね、だから」


唇が重なる。
柔らかく押し付けあって、離れた。
何処か仄暗い光を宿した蒼が、影の中でうっそりと私を見つめる


「……俺以外を見つめるオマエが、殺したくなるほど憎い時がある」


『』


「そういう時、どうしたら良いと思う?
オマエを傷付けたくない。でも殺したい。愛してるんだ。本当に。命だって捧げられるよ。でも憎たらしくて、どうしても殺したい。でもやっぱり愛してる。大事にしてあげたいのに、何処までも壊したくなる。
だから……だから、オマエを殺したい護りたい


『………………』


……もしかして、病んでる…???
思考停止した脳味噌が辛うじて吐き出した言葉なんてそんなもので。
結局私は口付けを受け入れる事に専念した












四月十七日 昼


私達は夜蛾先生の引率で、廃病院を訪れていた。
回復要員である硝子を真ん中で、夏油くんが先頭、私と悟が後ろの布陣だ。先生は帳の外で待機している。
帳の降りた敷地内で既に三体は祓っているが、呪霊は少し進めばまた沸いてくるの繰り返し。
飛び出してきた呪霊を氷で薙ぎ払えば、悟がうげぇ、と声を上げた


「何匹居んだよ鬱陶しい。刹那、バテる前に言えよ」


『うん。ありがとう悟』


「どういたしまして」


今のところ低級の呪霊だから良いけど、これが等級が上がってきたなら話は別だ。
フードに入ったじゅじゅべあポチは静かにしているので、多分大元はもっと奥。
そんな事を考えながら歩いていると、少し前を歩く硝子が肩越しに此方を振り向いた


「ほんと五条って刹那にだけはゲロ甘だな」


「なに?硝子も優しくして欲しいワケ?ごめんね、俺の愛情って一人限定だから」


「なんで私が告ってフラれたみたいになってんだよクズ」


鋭く舌打ちをかました硝子を、悟がゲラゲラと笑っている。
それを微笑んで眺めていた夏油くんと目が合った


「桜花さんは大丈夫?君はまだ三級だろう、無理はしない様にね」


『ありがとう、でも大丈夫』


私に割り振られた等級は三級。
硝子はその特殊性から等級はなく、悟は準一級。そして夏油くんは二級だ。
…一般出身の夏油くんが二級なら、使い方さえ工夫すれば私も直ぐに二級になれるだろうか。
それぐらいまでいければ、悟に認めて……貰えないだろうなぁ。この人は特級呪霊さえ弱いって言っちゃうから。


「もうこれ二手に分かれた方が良くね?刹那、おいで」


『はーい』


「いや、悟は硝子と動いた方が良い」


「あ゙???」


「ガラ悪っ」


悟に呼ばれ返事をすると、夏油くんが待ったを掛けた。
そしてその発言は悟にとっては不服でしかないらしく、綺麗な唇からヤンキー感ゴリゴリな声が出る。
入学して二週間足らず、無事仲良くなった彼等は、冗談ではなく喧嘩するほど仲が良いを体現していた。
つまり、どちらかが気に食わない発言をすると、拳が出るのである


「刹那は俺の女だぞ。俺が護って何が悪い」


「無下限で護れる悟の方が、硝子の護衛に最適だという話だよ。桜花さんだって呪術師だ、何時までも悟におんぶに抱っこは彼女の為にならない」


夏油くんが恐ろしく正論を繰り出した。それは私も常々思っている。
頷きそうになった所で、大きな手が私をそっと端に避けさせた。
そのまま前に出た悟が、にいっと口角を吊り上げた。


…だめだ、人を甚振る時の意地悪な顔をしている。


案の定、真っ赤な舌がくるくると回りだした


「はっ、自分の力不足を俺の方が最適なんて言葉で誤魔化してんなよ。そんなのオマエが一級三体出せば解決すんだろ。
ああゴメーン、まだ一級とか手持ちに居ないんだっけ?
それとも何?態々仲睦まじい未来の夫婦を引き離して?オマケに女の方にオマエが付くだぁ?
なんだよ、ムッツリしたツラして寝取りが趣味か?」


「……表で話そうか、悟」


「一人で行けよポケモントレーナー。コラッタぐらいなら一人でゲット出来んだろ?」


もうだめ。夏油くんが怖い。
マシンガントークで煽るのほんと良くない。
…ぎちっと凄い音が聞こえたと思ったら、夏油くんの握りこんだ掌だった。怖すぎる。


「…表に出ろよジャリボーイ。愛しい彼女の前でタコ殴りにされたくないだろう?」


「あーやだやだこれだから脳筋ゴリラはさぁ!…良いぜ、行こうか。
顔面殴り潰してヤな感じー!って叫ばせてやるよ」


「おいお前ら、任務どうすんの?」


遂に表に出る事が決定してしまった。
隣に避難して来た硝子が面倒そうな顔で口を挟めば、夏油くんにメンチ切ってる悟がくるりと此方に身体を向けた。
そして、にっこりと笑みを作る


「刹那、ちょっとの間硝子と待ってて。大丈夫、ポチも連れてきてるから。
万が一何かあっても直ぐに行く」


「桜花さん、済まないけど此処で硝子と待機して貰えるかな?大丈夫、直ぐに戻るから」


『いや、待つ前に喧嘩を止めれば……』


「無理かな!じゃ、行ってくるね☆」


「じゃあ、また後で」


カツカツと遠ざかっていく二つの背中。
思わず無言で見つめ、それから硝子と目を見合わせた


「あんたの彼氏の煽り癖どうにかなんないの?」


『無理。あれ多分ポケモンで言う特性だから』


「特性煽りとかないわー。なに、攻撃技しか出させないの?」


『それか確率で混乱入るんじゃない?』


「ああ、じゃあ夏油は見事に混乱キマったワケね」


『ははは』


「ははは」


『「………………はぁ」』


これ先生にバレたら私達も正座コースじゃん。
溜め息と同時に、何処かが盛大に破壊された音がした。











四月二十日 昼


今回は夏油くんとの任務だった。
都内ビルで窓に発見された二級呪霊の祓除。私は夏油くんのサポートだ。
勿論白いのがごねたが、夜蛾先生が拳骨で黙らせた。


「今回の任務は極力破壊を控える様に、との事だし、出来るだけ大技は使わない方向で行こうか」


『了解。ポチ、今日はちょっと加減してね』


《かげん?》


『建物を壊さない様に祓ってねってこと。出来そう?』


じゅじゅべあポチにそう言い直すと、フードに収まっているポチは少しだけうんうん唸ったあと、ぐっと拳を握って見せた


《がんばる!》


『うん。お願いね』


目隠しをしたぬいぐるみの頭を撫でて、正面を向く。
すると切れ長の瞳と目が合って、悟とは違う太くて男らしい指がポチを指差した


「前から気になっていたんだけど、それは呪骸かな?」


『どういう事?』


「夜蛾先生の使う術式よりも、ずっと感情を持っている様に見えるから」


『うーん、悟は呪骸って言ってたから、この子はきっとそうなんだと思う』


確か、此方に来た私を迎えに来てくれた時、悟がそう言っていた様に思う。
フードに収まったまま大人しいポチは特に何の反応もしない。
今年このまま改装をして使うのだというビルに足を踏み入れた所で、夏油くんが口を開いた


「…君は、悟が言う事を疑ったりする事はあるのかな?」


『……どういう意味?』


「その呪骸もそうだし、前回の任務の時もそう。普段の振る舞いもそうだ。
君は、悟の決定を疑う素振りすら見せないよね。…それは少し、危ないんじゃない?」


静かに隣の男を見上げる。
まだ成長途中であろう、幼さの残る少年。
…多分、数少ない同期として気に掛けてくれているのだろう。
だって彼には、五条悟は傍若無人な世間知らずにしか見えていないだろうから。


『……私は、私なんかを愛してくれるあの人の為に生きる。ただそれだけだよ』


「…それは、本当に君の意思か?」


私はあの世界での悟との七日間を誰にも話すつもりなんてないし、判ってくれなんて言わない。
悲しくて、それでも大事な思い出だ。
二人だけの、特別な出来事だ。
だから、優しくて意地悪で、でも何処までも愛に溢れたあの人に応えたいと願う私の想いも、誰にも理解なんてされなくて良い。


『私は、悟の為に生きたい。…私と生きる事を望んでくれた、私のかみさまの為に、生きたい』


私のかみさま。
私の大事な人。
悟が言う事は、私にとっての真実でしかない。
悟が望むなら、どんな事だってしてあげたい。
……ぞわりとした感覚に、反射的に掌印を組む。隣に居た夏油くんが溜め息を落とすと、すっと前に出た


「……それが君の意思なら、私はもう何も言わないさ。刹那、私から離れない様に」


『……名前呼びすると、悟がうるさいと思うけど』


「はは、それは帰ってからが楽しみだね。君も、私だけ君付けなんて仲間外れを止めてくれたら、嬉しいな」


肩越しに振り向いた夏油くんが悪戯っぽく笑った。
それに思わず笑って、表情を引き締める。


『じゃあ、傑。サポート頑張るね』


「はは、それは心強い」


天井からでろりと濃い闇が広がって、滑りを纏った蛙の様な腕が這い出てくる。


────それだけじゃない。
横の壁からは、弾丸の様に赤く小さなものが飛び出してきた。


『!』


それは真っ直ぐに私の頭を狙っている。
バキィ!と凄まじい音を立てて、着弾予想地点の前に氷の盾が現れた。


《こわす…だめ……グルア!!!》


しかし、赤が氷の盾に当たる寸前。
ぴょんとフードから飛び出したポチが、赤い物体を────蹴り上げた。
軌道を変えた弾丸が当たったのは、這い出たばかりの呪霊の腕。
ぐりゅりゅりゅ、と紫の血を撒き散らしながら肉を抉る赤い牙に、ひくりと頬が引き攣ったのを感じた。
血を被らない様に退避しつつ、呪霊の絶叫を聞く。


「■■■■■■■■■■■!!!!!」


『ああ、うん…そりゃ痛いよね…』


「その子、エグい戦法取るね…」


《? ポチ やくそく まもった!》


『そうだね。ありがとうポチ』


《ワン!》


「クマなのにワンは可笑しくないかい?」


《キュウン?》


「君、実は犬なの?」


一旦ビルから出る。
ポチも交えた三人で話しつつ、次の動きを決める事にした。
傑が顎を撫でながら口を開く


「さっきの赤いのが気になるな。呪霊の祓除の確認と、赤いものの原因を探ろうか。もしかしたら、報告にない呪霊が居るかも知れない」


『了解。…ポチ、強い相手の時はメインで出て貰わないといけないかも。いける?』


《まかせて!!》


自信満々に胸を叩いて見せるポチに、くすりと笑う。
確か、じゅじゅべあのポチは準一級相当だった筈。30cmゆる顔五条ポチはちょっとサイズが大きいので、此方のポチにしたのだ。


…早々一級とか居ないでしょ、準一級で大丈夫!とか思った私、もしかして判断ミス…?


何時でも術式を使える様に、掌印だけは予め組んでおく。
いやに静まり返ったビルの中に再び戻ろうとして────先に足を踏み入れた傑が、表情を変えた。


「刹那!!逃げろ!!」


『!?了解!!』


慌ててビルから離れようと踵を返し、目の前が急に氷の壁になって


────ダダダダダダダダダダダ!!!


氷の壁一面に円形の罅が入って、ひゅっと喉が嫌な音を立てた。
小さな丸を中心に、細かい罅が走る氷の盾。


……狙撃、されてる…?


《パパ!》


『!!』


バキィ!!と背後が凍り付き、頭を抱えて氷の壁に身を隠した。
その瞬間、吼え立てるような音と走る無数の亀裂。


……こわい。


こんなの、呪霊の筈がない。
人だ。
誰かが、私を殺そうと引き金を引いている。明確な悪意をその弾丸に乗せている。
背後、ビルの方からも音が聞こえた。
きっと傑も狙撃されているんだろう。


…だめだ、泣くな。
戦え、刹那。


きっとこれで生き残れば、悟が褒めてくれる。悟の許に帰らなきゃ。
私は、悟の為に生きるんだから。


『……ポチ、敵の位置、判る?』


先ずは敵の位置の特定。それから無力化。
狙撃という事は、きっと此処からじゃ反撃出来ない場所から一方的に狙ってきているんだと思う。
今回の任務では帳を下ろして居ないから、周囲のビルからも此方は視認出来る筈。


『…そうだ。なんで帳…』


こんな街中のビルを、何で帳も無しに向かわされている?
補助監督は一緒に居た。でもあの人は、既に一帯が土地開発で封鎖済みだから問題ないって……


────バキィ!!!


────ダダダダダダダダダダダ!!!


『…………………』


うるさい。だんだんイライラしてきたな…?
怖いというより最早苛立ちである。
そもそも見えない位置から撃ってくるのがムカつく。
そして恐らく、あの補助監督もグル。
傑の戦っているであろう相手もきっとグル。


『ほんと、どいつもこいつも……』


卑怯者が。
周囲を睨み付ける私を静かに見上げ、ポチが何処か弱々しい声で、言う


《……ほんき、だす。パパ なかない?》


『え?……多分泣かないと…思う』


多分。わかんないけど。
頷いた私をじっと見て、軈てポチは一つ頷いた。
それから、すっと空を見上げる。


《───────────!!!!!》


狼の様な、遠吠えが空に響いた。
そして次の瞬間、ぶわり、と氷の粒が無数に舞って。


『─────、』


目の前に、獣が佇んでいた。
煙の様な、無数の文字列の様な、動物の毛並みの様な。
どれも当て嵌まるのにどれも当て嵌まらない様な、不思議な身体。
鋭い爪を生やした前肢の前に、ぽてんとじゅじゅべあは座り込んでいる。
狼の様なその獣は、透き通る様な水色の眼でじっと私を見つめていた。


『………ポチ?』


そっと問い掛ける。
…こくり。
何処か弱々しい様子で、大きな頭が上下した。


『…もしかして、これが本当の姿?…ふふ、かっこいいねポチ』


《………ポチ、こわくない?パパ なかない?》


恐る恐る紡がれた問いに、思わず笑みが溢れた。
……ああ、なんて優しい子なんだろう。
そっと手を伸ばす。
キラキラと氷の粒を纏う優しい獣を、ぎゅっと抱き締めた


『こわくないよ。何時もありがとう、ポチ』


《……パパ…ポチ…ずっと ポチのまま あいたかった》


『ごめんね。私が怖がりだから、気を遣ってくれたんだよね。…ありがとう、大好きだよ、ポチ』


《ポチも!!パパ だいすき!!》


煙の様な尻尾がぶんぶん揺れる。
可愛い子をぎゅうっと抱き締めてから、私は水色の眼を覗き込んだ


『ポチ、私を狙う怖い人を、此処に連れてきてくれる?』


私のお願いに、ポチは大きく頷いた。


《まかせて!!ぶっころすね!!!》


『待って???生きたまま取って来いして???』












四月二十日  夕方


あれからポチがズタボロの男をニコニコしながら取ってきて、ほぼ同時に傑も男を引き摺って、ビルを傾けて出てきた。
それから私が補助監督の腕に氷の手錠を掛けて、傑が高専に連絡。
後に応援が来て、私達は無事帰還したのだけれど


「俺の刹那を狙うとか、命が要らないって事だよな?良し殺そう」


「待て悟。まだ尋問中だ、殺すな」


「そうだよ悟、それなら直に狙われた私が先に手を出す権利を貰うべきだ」


「落ち着け傑。先ず座れ」


「おい夏油勝手に動くな。治療止めんぞ」


教室で治療中の傑と、私を抱える悟が大変お怒りになっていた。
傑が怒る理由ならまぁ、判る。
しかし悟は……悟が怒りで無表情になっているのを見ると、しかもそれが私の所為だと思うと、申し訳なさと共に嬉しさも沸き上がるのだ。
歪んでるなぁ、私。
悟の膝に乗せられ腕に囲われたまま、私の膝の上のじゅじゅべあをそっと撫でた


《えへへ》


『ポチ、疲れてない?寝ても良いんだよ?』


本日のMVPにそっと声を掛けると、ポチはぐっと拳を握って見せた


《ポチ たいりょく、あるよ!》


『ふふ、そっか。じゃあ無理はしないでね?』


《ワン!》


「えーかわいい…嫁が…俺の嫁がぬいぐるみときゃっきゃしてる…
刹那ってかわいいって意味だっけ…???」


『貴方疲れてるのよ』


「馬鹿が壊れた」


「硝子、悟が可笑しいのは何時もの事だろ」


「あ゙ぁ゙ん??????」


『wwwwwwwwwww』


やばい。ドス利きすぎてやばい。
思わず笑えば、悟がふにゃっと溶ける様に微笑んだ


「…思ったよりダメージ受けてなくて、安心した」


『ふふ、大丈夫だよ』


そう返すと、低い声が優しく耳許に落とされる


「あとでゆっくり話そうね。それまで頑張って」


『………うん』


ああ、やっぱり悟は全部お見通しなんだなぁ。











四月二十日 夜


ベッドで身を休ませ、胸元に顔を埋めてゆっくりと肺を膨らませる。
悟の甘くてすっきりした香りが肺を満たして、堪らなく幸せな気持ちを味わった


『あー……つかれた…』


「ふふ、お疲れ様。傑と仲良くなれたみたいで良かった」


『………怒らないの?』


思わず顔を上げて様子を窺うが、蒼は穏やかな空の様に、揺らがずにそこに在った。


「怒らないさ。だって」


艶々した唇が、うっとりと笑みを象る


「刹那が傑と仲良くなれないのも、仲良くなりたいのも判ってたから」


はくり、唇が動く。
でも言葉は出なくて、私を柔らかな眼差しで見つめる悟を見つめ返した。
それからそっと、息を溢す


『……何時から気付いてたの?』


「…最初から、違和感には気付いてたよ。
初めは俺の婚約者だから、下手に男と話さない様にしてるのかと思ってた。
でも刹那を見てたらさ、出来るだけ傑の視界に入らない位置を取ってるって気付いた。俺と傑が一緒に居ても、俺だけを見てたろ。
……それで、ああ、傑と仲良くなりたくないんだなって気付いた」


『………』


「傑も不思議そうだったけどさ、そこは俺があんまり男と話すなって言い付けてるって言っといたから大丈夫。
まぁ、その代わりに刹那を無理矢理従わせてんのかって話になったんだけど」


『…ごめん』


「いや?俺達の喧嘩って何時もじゃん。だから問題ない」


ゆっくりと大きな手が頬を撫でた。
蒼が、ゆるりと微笑む


「話してよ、刹那。あれだけ避けてた傑をどうして受け入れようと思ったのか、オマエが悩んで出した結論を、教えて?」


『………』


ゆっくりと、口を開く。
甘やかな眼差しで見つめる悟に、求められるままに、胸の裡を差し出す事にした


『…最初は、普通に友達になれたらって思ってた。でも、此処に来て生きてる傑と硝子を見たら』


…硝子は気が合うし、話していて楽だ。だから友達として上手くやれていると思う。
でも傑は。
夏油、傑は。


────脳裏で、袈裟が翻る


『…怖くなった。この人は、二年後には私達を置いて行って、傷付けて。
それで死体だけど、悟の大事なもの全部壊すのかも知れないって思ったら……怖くなった』


「……だから、友達になりたくなかったの?」


『………置いていかれるのは、嫌だから』


……未来で悟が殺すかも知れないと思うと、その死体の所為で悟が苦しむのだと思うと、どうしても仲良くなるのが怖かった。


だって、今仲良くなったって、彼は此方を裏切るかも知れない。


紙に描かれた世界は、悟が一度辿った軌跡だ。その結末を此処でも繰り返さないとは、言い切れなくて。
その未来を知っているからこそ、夏油傑という存在を自らの中に根付かせたくなかった。
裏切られるのが嫌だったから。
悲しむのが嫌だったから。
……置いていかれるのは、嫌だから


『……でも、此処で私が介入すれば、悟が傑を止められるかも知れないって思った』


それも簡単な事だ。
微力でしかないにしろ、未来を知る私なら、夏油傑の求める言葉を探せるかもしれないと思った。
塵芥の重さでしかなくても、彼が此処を捨てるまでの僅かな逡巡になれれば良いと、考えた。そうすれば、きっと悟が間に合う筈だから。


『…だから、怖いけど、友達になる。
…………ごめん、自分の事しか考えてない答えで』


結局は、自分が悲しみたくないだけ。
此処まで自分本意に友人になる人間も居ないだろう。親友を避けていた理由も、急に受け入れた理由もこんなんじゃ、悟も流石に嫌だと思う筈。
そう、思ったのだが………


『……………えええ…』


めっっっっっちゃ笑ってるじゃん…


にっこにこである。
もうこんなに嬉しい事はありません、みたいな顔で顔面宝具がにこにこしている。
いや引かないの?なんで笑ってるの?
困惑する私を笑いながら見つめた悟が、柔らかく綻んだままで言葉を紡いだ


「ほんとにオマエは可愛いね。俺の為に怖いのに頑張っちゃって……あー、かわいい」


『………???』


いや待って?私は私が悲しみたくないから、こんな結論に至ったんだよ?
疑問符を浮かべる私を愛おしそうに見つめながら、悟が柔らかな声で囁いた


「だって、俺が間に合う様に友達になるんでしょ?本当は怖くて堪らないのに、俺が傑が可笑しくなった時に引き戻せる様に、友達になるんでしょ?
……ふふ、健気だね。臆病で脆弱なオマエが俺の為に震えながら頑張る姿、とっても可愛いよ」


『……嫌いにならないの?』


「嫌いに?なんで?寧ろどうやったら嫌えるか知りたいよね」


『えっ、いや…知らないけど…』


急な真顔は怖いのでやめてほしい。
ひくりと震えた肩に目敏く気付いた悟が、取り繕う様に笑みを浮かべた。


「まぁ良いや。俺が刹那を愛しすぎて憎んで殺したくなる事はあっても、嫌いになる事なんてないよ。
…だからさ、そんな嫌われるかも〜、なんて無駄な心配はやめな?マジで無駄だから。それなら悟くんのカッコイイ所百個考えた方がよっぽど建設的」


『百は多いかな』


「俺オマエの可愛い所で論文書けるよ」


『絶対にやめて』


…まって?何の話してたっけ?
悟って直ぐ脱線するから……先程までの会話を思い返していると、悟が顔を寄せてきた。
そのまま唇が重ねられ、優しく吸い上げられる。
少しだけ離れた唇に、同じ様にして返す。悟がうっとりと微笑んで、ぴたりと額を重ねてきた


「…ねぇ刹那、今日は一緒に行けなくてごめんね。ポチが本当の姿になって護ったとは聞いたけど、怖かっただろ?」


優しく囁かれた言葉に、赤い弾丸を思い出す。
件の任務に現れたイレギュラー。
…犯人は、呪詛師二人組。
依頼は────“五条悟の婚約者”の、抹殺。


「何処のヤツが依頼したか、今夜蛾さんが調べてくれてる。…刹那が無事で、本当に良かった」


私の頬を撫でる悟の方が、よっぽど泣きそうな顔をしている。
そっと悟の目許を撫でれば、大きな蒼がゆるりと細められた


「…ごめんね、刹那。オマエには笑っていて欲しいのに、俺は泣かせてばっかりだ」


『謝らないで。悪いのは悟じゃないよ』


「でも刹那が狙われたのは、俺の所為だよ。……俺は、刹那と一緒に生きていたいだけなのにね」


…確かに命を狙われたのは怖かった。
けれど、それよりも。
今、目の前で悟が泣きそうな顔をしている事の方が、私にはずっと辛い。
そっと、唇を重ね合わせた。
それから何時も悟がするみたいに、優しく吸い上げて、もう一度柔らかく唇で包み込む。慰める様な優しいキスが、私は好きだった。
まぁるく開かれていた蒼は、軈て恍惚とした表情で私を映し始めた。


「刹那、舌入れて」


『……ん』


乞われるがまま、誘う様に開かれた咥内に舌を差し込んだ。
歓迎する様に、長い舌が私の舌をするりと撫でた。
そのまま動かなくなった舌を、形を確かめる様に舌先でなぞる。綺麗に並んだ歯列を辿り、薄い頬を内側からつつく。
それから精一杯舌を伸ばして、上顎の奥、ざらざらした場所を舐めてみた。
そこでひくんと、悟の身体が小さく震えた。


「んん………ん…」


『ふ……ぅん…』


いいこ、と言う様に、優しく頭を撫でられる。…もう無理、舌が攣りそう。
ずるずると撤退する舌が、今までされるがままだった長い舌に絡み付かれる。
じゅばじゅばと数回強く吸い付かれ、漸く解放された。…舌がじんじんする。


『……しびれた』


「んふふ、かぁいいね…たまにはじっくり舐め回させるのも良い」


『舌が攣りそう』


「ああ、舌短いもんね。でも俺の口舐めながら感じてなかった?」


『馬鹿』


「ははは、照れるなよ」


上機嫌に笑う悟にもう、先程までの憂いはない。
ほっとして、腰を撫でる手に首を傾げた


『……えっちするの?』


てっきりお誘いなんだろうと思って、問い掛けたのだが


「?オマエ今日は疲れてるでしょ。ヤりたいなら良いけど、ヤるの?」


『?眠いですけど…一回ぐらいなら…』


「いや眠いなら寝ようよ。何でヤんのよ」


『?』


「?」


……え?
なんで悟まで不思議そうな顔をしている???
私としては、したくなったから腰を撫でたり深いのさせたりしてきたんだと思ったんだけど、違うの?
不思議そうな悟は、私の頬に掛かった髪を避けつつ問い掛ける


「なんで刹那は俺がヤりたいって思ったの?」


『だって男子高校生は猿なんだって。三日に一回は迫られるだろうから、嫌ならちゃんと逃げなさいって山茶花さんが』


「アイツほんとまともな事教えないね???」


頬を引き攣らせ、それから悟が溜め息を溢した。


「まぁ普通はそうなのかもね。傑もちょくちょく女引っ掛けたり寮抜け出したりしてたし」


『聞きたくなかった情報だわ…』


流石に毎日顔を合わせる同級生の、そういう一面は知りたくなかった。しかも顔を合わせて一ヶ月も経ってない。
大きな手が背中を引き寄せて、すり、と鼻先を寄せてくる


「俺はね、性欲で言えば別にヤんなくても平気だよ。元々セックスに嫌悪を抱くタイプだから。…でもね、刹那には触れたい。沢山気持ち良くなって欲しいし、気持ち良くしてあげたい」


『…嫌じゃないの?』


「寧ろオマエが感じてる顔が見たいの。イカせたいの。俺自身の快楽は別にどうでも良い。だって擦って抜きゃあ良いし。
どっちかって言うと、俺の手でドロドロになったオマエが見たくてセックスしてるっていうのは大きいかな」


それに、と悟は続ける


「何より、愛し合えてるって感じが凄くある。
刹那にあんな無防備な姿を見せて貰える程心を許されてるって、思えるから。
イカせられると愛せてるって思えるし、こんな小さな身体に挿れて受け入れられると、愛されてるって感じられるから」


『………………』


…男ってそういう行為が気持ち良いから好きなんだと思っていたけど、悟は何だか違うらしい。
不思議そうにしているであろう私を甘い笑みで見つめ、囁くのだ


「そりゃあチンコ突っ込めば気持ちいいよ?でもね、それもオマエを可愛がるのに一番適してるからって面が強い。
長さも十分あるから、ポルチオも順調に調教中だし」


『やめて。変なトコ弄んないで』


「最終的にはお腹とんとんされただけで感じちゃうぐらい育てたいよね」


『いやだ』


なんて恐ろしい計画を立てているのか。
首を振る私を笑って、悟はちゅう、と唇を吸ってきた


「だからね、俺を気遣って誘ったりしなくて良いんだよ。お互いに疲れてない日に、ゆっくり楽しめたら、それで良い。
…こうやってキスするだけで、俺は満たされるから」


数回重ね合って、目が合って、どちらからともなく笑う。
…しあわせだ。
心からそう、思った。


「そういえばさ」


『なに?』


そう思ったのだが。
良い雰囲気をぶち壊すのがこの男である


「“僕”のチンコと俺のチンコって、違いとかあるの?」


『は?????????』


は???
固まった私に、男は平然とした顔で宣うのだ


「だって“僕”のチンコ食ったのオマエだけだよ?そんでもって俺のチンコもオマエだけ。つまりこの世で五条悟のチンコの成長を感じ取れるのはオマエだけなの。
え?刹那ってばオンリーワン(ガチ)じゃん…五条悟を過去も未来も唯一食う女…?凄くない…?」


『…………………………』


「俺的にはまだ身長低いしさぁ、“僕”よりちょっと細くてちっちゃい気がすんだよねぇ。そこんトコ刹那的にはどうなの?
サイズ的には此方が無理なく入んのかな?いやでも“僕”の時は処女だったじゃん?今ならもうちょいスムーズに入ると思うんだよねぇ。
…あれ、寝ちゃった?おーい」


なんでわたし、こんなバカを好きになっちゃったんだろう。











五月一日 昼


「泊まりがけで任務ぅ?ダッリィな、遠いなら他の呪術師行かせろよ」


「悟、文句を言うな。…今回は四人で長野に行って貰う」


「長野ですか。都外に出るのは初めてですね」


「人手が足りなくてな。念の為サポートとして硝子を着いていかせる。
宿は取ってあるから、きっちりと任務を全うしたら遊んでこい。
……良いか、くれぐれも、羽目は外しすぎるなよ」


そんな会話をしたのが昨日。
悟に手を引かれながら、私は周囲を見渡していた。


『もう長野?』


「そうだよ。今回は神社の呪物の確認らしいし、さくっと終わらせて遊ぼうぜ」


「とは言え任務は深夜だろう?それまでどうする?」


「一旦宿に荷物置きに行こうよ。あと煙草吸いたい」


「せめて制服じゃない時に吸いな。…じゃあ宿に行こうか」


先頭を進む傑に従い、着いていく。
私のボストンバッグを肩に掛けた悟が、繋いだ手を揺らしながら面倒そうに言った


「つーか何でこんな時に限って補助監督空いてねぇんだよ。こういう時こそ運べっつーの」


「仕方無いだろ、皆さん遠くの呪術師の送迎に就いてるんだから」


「仕事の遅い呪術師の運搬ゴクローサマ。そんなんするぐらいなら、ちゃちゃっと終わらせる俺達を丁重に扱う方がよっぽど有意義だと思わない?」


「悟、そう言ってやるな。
先輩方だって命懸けで、丁寧に任務を頑張っているんだよ」


悟が一度口を閉ざし、胡乱げな目を向けた


「オマエの方が皮肉効いてるってそろそろ気付けよ」


「え?何の事?」


「夏油、それ素なの?ヤバいな」


「えっ」


「wwwwwwwwwwwwwww」


引いた目をする硝子と、慌てる傑と、爆笑する悟。仲良しだなぁと眺めていれば、慌てた顔の傑と目が合った。


「刹那も?まさか君も私の方が悟より皮肉を言ってると思うのかい?」


『…………あー』


傑は悪気なくやばい事言ってる気がする。
今の丁寧も、言い換えたら時間が掛かってるって取れるし。先輩方って言い方もなんか嫌味っぽい。
言葉に詰まった私の代わりに、悟が口角を上げて返事した


「オマエ言ってる事かなりキツかったりするよ?俺は直球だけど、オマエはカーブで横から抉ってくる感じ」


「自覚あんならお前も直せよ」


「やだね。雑魚に愛想振り撒いたって面倒が増えるだけだし」


べぇ、と舌を出す悟に苦笑いしか出てこない。息する様に自然に悪態しか吐かないんだけど、どうやったらそんな事になるのか。これで五条先生の記憶持ちだって言うんだから驚きだ。


「そんなつもりはなかったんだけどな…」


「じゃあこれから気を付ければ?無意識煽りが直んのかは知らねぇけど」


「悟にだけは言われたくないんだけど」


「あ?」


「自覚なしかい?恐ろしいな」


「あ゙???」


喧嘩するなら手を離してほしいなぁ。
ぐいぐい引っ張るが、長い指がしっかり絡み付いて抜け出せない。
ガンくれ合う二人の横でそっとバス停の休憩所を見ると、硝子が煙草を蒸かしていた。避難早いな???


「なぁちょっとツラ貸せよ傑。前からオマエのそういう委員長ヅラムカつくんだよね」


「おや、学校に通った事もない悟が委員長を知っていた事に驚いてるよ。脳内で学級会議ゴッコでもしてたのかな?」


「学校なんて猿の箱庭に通う必要なんかねーから行ってねぇだけですけど?
語彙がねぇのと経験してねぇのは意味全然違うんですけど?お猿出身の夏油くん、そこんトコちゃんと理解しな?」


「学びが足りないって?それは申し訳無い。じゃあベコベコに凹ませる方法を学ばせてもらおうかな。悟の顔で」


「俺は鼻っ柱折る練習しよっかな!傑の顔で!!」


「「────あ゙???」」


《パパー!ちょうちょ!!》


『そうだねー。かわいいねー』


あー、おそらきれい。












五月一日 夜


手配されていたのは、こじんまりとした旅館だった。建物自体はそこまで大きくはないものの、洗練された雰囲気の佇まいの此処には露天風呂まであるらしい。
任務とはいえ、高校生がこんな所に泊まって良いの?
そう思ったものの、どうやら此処は悟と関係があるらしかった


「此処、五条ウチが持ってる旅館なの。だから呪術師の存在も知ってるよ」


『へぇ、流石御三家、規模が違う…』


「あと数年でオマエも五条だよ。楽しみだね」


そう言って、悟は微笑みながら私の髪を指に巻き付けた。
なんかこう…五条先生の記憶があるからか、平然とこういう事するよね…
甘ったるい雰囲気の悟に照れる私とは対照的に、硝子がけっと吐き捨てる様に言った


「息する様に口説くなコイツ」


「悟、婚約者なら口説く必要はないんじゃないか?どうあれ結婚するんだし」


大部屋で御膳を待つ間、そんな事をだらだらと話す。
何気無い傑の発言に、悟は怪訝そうな顔をした


「は?傑オマエ釣った魚に餌はやらねぇタイプ?ダメだよそういうの。
言わなくても伝わるなんてないから。
逆だから。伝えなきゃセフレとか普通に考え出すから。
寧ろ言っても伝わらねぇ可能性を考えて小まめに伝えんのが一番だぜ?」


「何だいそれ、経験談?」


茶化す様に訊ねられた悟が、真顔で傑を見た


「好きって気持ちが伝わらなくて十年愛を熟成させた俺の話する??????」


「いや、良い。わかった。ごめんね悟。大変タメになった。私もこれからそうする」


何の本能が反応したのか、傑は早口に捲し立ててテレビを点けた。見事な撤退だ。
その早業を見た硝子は爆笑している。


「ねー刹那。毎日大好き愛してるって伝えなきゃ、オマエ判んなかったもんねー」


『ごめん…』


「俺が尽くす理由も同情だとか思いやがったもんねー???」


『ごめんて………』


あの七日間での発言を未だに引き摺るこの男、やっぱりねちっこい。
絡み付いてくる腕を甘んじて受け入れていれば、女中さんが部屋に御膳を運んできた。


「ありがとうございます」


「いえいえ、五条様にはお世話になっておりますから。では、ごゆっくり」


にこりと微笑んだ女中さん達が退室した。
目の前に置かれた御膳に硝子が口笛を吹く


「鯛飯じゃん。良いね、美味しそう」


「温かい内に頂こうか」


「おー」


各々が手を合わせ、御膳に目を落とした。
鯛飯と、胡瓜と白菜の漬物。お味噌汁に海老と野菜の天ぷら。それから茶碗蒸し。
一通り確認して、隣を見る。
悟が鯛飯を口に運んだ。
それからお味噌汁、天ぷら、漬物を食べて、茶碗蒸しに手を伸ばす。
それから最後に湯呑みを口に触れさせた。
並べられた全てに手を付けて、数秒無言になった後、悟が此方を見て微笑んだ


「…うん、オッケー。刹那、席代わろ」


『はーい』


私はさっと立ち上がって、後ろに下がる。
悟が右にスライドして、私は左に移動して腰を降ろした。
ついさっきまで悟が手を付けていた御膳を前に、湯呑みを取る


『鯛だ…美味しそう…』


「「待て待て待て待て」」


「いただきます。……なに?急にうるせぇな」


面倒そうに返す悟に、険しい顔をした傑が詰め寄った


「悟。流石に自分が口を付けた物を食べさせるのは、人として有り得ないだろ」


「刹那、あんたもちゃんと嫌なら嫌だって言えよ」


『?』


向かいで傑と硝子が怖い顔をしていて、何故だと首を捻る。そして、ふと気付いた。
…そうだ、私達基本的にお弁当だから、こういうご飯を二人の前で食べた事ないんだっけ。
悟がゆっくりと、さっきと同じ順番でご飯を口に運んでいるのを見て、私は二人に目を向けた


『悟が先に食べてくれたのはね、嫌がらせじゃないの。毒味だよ』


「毒味?そんな馬鹿なこと…」


「馬鹿な事が起きんのが俺の周りなの。実際刹那を狙って茶に毒を盛られた事もある」


笑い飛ばそうとした傑を悟が切り捨てて、最後に湯呑みを口にした。
数秒。それから蒼が此方を見て、優しく笑う


「此方も大丈夫。さ、食べよっか」


『うん。いただきます』


手を合わせ、先ずは小ぶりの鯛が乗る鯛飯を茶碗によそい、食べてみる。
上品な鯛の風味にしっかりと存在する昆布のお出汁。ふわりと最後に抜けたのは生姜だろうか。
美味しくて思わず頬が緩んだ。


『おいしー…』


「あーかわいい。美味しい?沢山食べな」


『食べきれるか判んない』


「そん時は俺が食べるから大丈夫。好きなだけ食べて」


『うん、ありがとう』


漬物はしゃきしゃき感も残っていて、薄すぎず濃すぎない絶妙な浸かり具合だった。
次に天ぷらに箸を伸ばすと、漸く箸を動かし始めた傑が口を開いた


「…だが、次期当主の悟が毒味をするものなのか?こういうのは奥さんが食べて判断するものだと思っていたよ」


「刹那は毒に慣れてないから、ガキの頃に訓練してある俺がすんの。刹那、茄子の天ぷらあげよっか?」


『良いの?じゃあ海老あげる』


「いや海老は食えよ。あー…刹那烏賊ダメだっけ?それと交換しよ」


『はーい。ありがとう』


「うん」


食べられるけど進んで食べたいわけでもないものが、ひょいと悟の箸に連れて行かれた。
代わりに茄子の天ぷらがやって来て、トレードされた烏賊の天ぷらが、案外大きな口に呑み込まれる


「うん、美味しい」


『美味しいね』


「……つまり、時代劇でありがちな事を二人は経験してるって考えても良いのかい?」


何処か引き攣った顔の傑に、海老の天ぷらを箸で割りながら悟が頷いた


「毒殺、暗殺は余裕だよ。アイツらは俺には敵わないから、そして俺の婚約者って立場が欲しいから、刹那を狙う。刹那、口開けて」


『?……えび』


「美味しいからあげる。…まぁ俺もそれなりに無視出来ない呼び出しもあったからね、そういう時はポチと、俺の側近を刹那に付けてた」


さくさくの衣を咀嚼しながら、海老の天ぷらを箸で割る。
それをそっと悟のお皿に献上して、茶碗蒸しに手を伸ばした


「いやだから何で同じ分返すかな……だから基本的に自分達で飯も作るし、誰かが作ったものは、先ず毒の耐性を持ってる俺が食べる。んで、俺が平気だったら刹那に許可出すの」


『ほんとは私が代われたら良いんだけどね…』


「オマエを苦しい目に遭わせたヤツら一族郎党殺しても良いなら良いよ」


『あっ、ごめんなさい毒味お願いします』


「おい五条真顔やめろ」


「え?だって刹那を傷付けるって事は私死にたいです☆ってアピールでしょ?
やってやるよ、ただしオマエの大事な御家ごとなってハナシ。
…人の宝に手を出すんだ。自分の宝壊される覚悟ぐらいして来いっての」


至って真面目な顔で極めてヤバい思考を聞かされて、私達は無言で目を見合わせた。
いや待って?確かに人を自分の都合で傷付けるのは悪い事だよ?


でも傷付けてきた相手の大事なもの全壊させて良いんだっけ???


ダメです、と傑が無言で首を振る。
アウトだろ、と硝子が頷く。
だよね、アカン思考です。
ちらりと隣を見ると、悟はかぼちゃの天ぷらを口に運ぶ所だった。


「刹那」


『なに?』


優しく呼ばれ、返事をする。
悟がゆるりと目を細め、言うのだ


「オマエの男はオマエに危害を加えられたら、大暴れするんだよ。
そこはちゃんと覚えておいて」


『……………………はい』


……悟が、オマエの男って言った。
私のものだよって、言ってくれた。
嬉しいのと恥ずかしいので頭の中がごっちゃごちゃだ。
堪らず俯けば、隣から不思議そうな声がした


「?え?何に照れた…?え…???」


「なんだコイツら…砂糖吐きそう…」


「ははは、微笑ましいじゃないか。小学生みたいで」


「あ?オイ傑今何つった???」












五月一日 深夜


『ねんむい…』


「寝る?俺が抱っこしよっか?」


『寝ちゃうから歩く…』


「あー、もうちょい目ぇ開けな。転ぶって。なぁ刹那お願いだから抱っこさせて?足許マジで危ないんだって」


『あるく。おきてる。あるく』


「ケーシィみたいな顔してるよ?」


『くず』


「刹那ちゃん??????」


深夜一時五十二分。
現在、呪物のある神社に続く小道を悟に手を引かれながら歩いている。
どうしても夜更かしは苦手だ。仮眠を摂ったにも関わらずこの眠気…恐らく根本的に夜更かしが向いてないんだと思う。


「刹那、夜更かし苦手なんだ?」


『苦手……仮眠摂ったのに眠い…』


「意外だな。刹那って全部そつなくこなすのかと思ってた」


『硝子には私はどう見えてるの…』


「んー?イカレポンチの超真面目な婚約者」


「イカレポンチwwwwwwwwwwww」


「あ゙??????」


『夜中ですよー…傑はちっちゃく笑ってねー…』


「ちっちゃくならwwwwww笑っていいんだwwwwwwwwww」


舗装された一車線の道路を進み、てくてく歩いて辿り着いたのは、黒く聳え立つ鳥居。
…あの七日間を思い出す神社という存在に、眠気が散った。


「……刹那」


『……なに?』


そっと、気遣う様な視線が綺麗な横顔から向けられる。
フードに入ったじゅじゅべあポチも、腕に抱えたゆる顔五条ポチも、話しはしないけれどぎゅうっとくっついてきた。


…大丈夫、私は戦える。
何時までも悟に護られるだけなんて、嫌だ。


笑みを作って見せれば、悟は私をじいっと見つめた。
それから視線を正面に戻し、溜め息混じりに言葉を落とした


「…無理はすんなよ」


『うん。ありがとう』


「一号、オマエは硝子に付いて。刹那には二号ね」


《がんばる!》


《がんばる!》


『うん、よろしくね』


ゆる顔ポチはぴょんと腕から飛び降りて、硝子の許に向かった。
ゆるっとした顔で見上げてくるポチを見下ろして、硝子が呟く


「こんな顔なのに一級レベル…ほんと不思議なの持ってるよね、刹那って」


『可愛いでしょ、ポチ』


「やべぇ呪骸としか思えないわ。顔も五条だし」


「何でだよ。俺かわいいでしょ?」


「無理」


硝子がゆる顔ポチを小脇に抱えた所で、傑が私達に確認する様に視線を投げた


「────さて、行こうか」












今回の任務の目的は、この神社に安置された呪物の確認だった。
長きに渡って封印されているものらしく、中に閉じ込めているものが悪さをしない様に、定期的に巡回するんだとか。


「大体結界の確認なんか学生にやらせんなよ。万が一出てきたら一級相当だっけ?」


「そう言うな、悟。出てこないと踏んでいるから学生の息抜きに使われるんだろう。今回の任務は、先生なりに私達の仲を深める為だと思うよ」


「仲、ねぇ…嫌でも同じ教室なんだから、ほっときゃ良いものを」


悟に手を引かれながら、呪物の保存されている本殿に向かう。
暗闇の中で掲げられた霊石殿の扁額に、少しだけ背筋が伸びた


「刹那、俺から離れるなよ」


『…判った』


木製の本殿の中央に座す呪物。
注連縄を掛けられた抱える程の石は、静かに呪力を帯びていた。


────蛇石。
八岐大蛇の魂が鳥となり、宿ったという石。


見る限り、巨岩は大人しくしている様に思える。
ちらりと悟を見れば、彼はサングラスをずらして蛇石を見つめていた。
じっと見つめ、それからくるりと石に背を向ける


「問題なし。結界も解れもないし、中の呪霊が暴れてる感じもない。帰ろうぜ」


「悟が見たなら確かだろう。…帰ろうか」


「てかこれ五条だけ行かせりゃ良かったじゃん」


「おい硝子、何で俺だけ働かそうとしてんだ」


やいのやいのと騒ぐ三人を眺め、本殿から出た所で────ぞわり、と。


「「「『!!!』」」」


咄嗟に腰を落とし、掌印を組む。
木々に囲まれた本殿の真向かい、鳥居の奥に、ぼやりと見える人影。
ゆらゆらと揺れているその影は、ずるり、と足を引き摺る様に、一歩進んだ。
びちゃ、と何かが滴る音がする。
むわりと鼻を突いた鉄臭さに、堪らず掌印を組んだ腕で鼻を覆った。


「…刹那、硝子の警護。ポチはどっちも警護に当たれ。傑、行けそう?」


「ああ。…二人は出来るだけ遠くに居て。直ぐに終わらせるから」


「…気を付けろよ。アイツ、ヤバい」


心なし青ざめて見える硝子の言葉を鼻で笑って、悟が私の頬を撫でた。


「刹那、絶対にポチとはぐれるな。…直ぐ戻るから、待ってて」


『…うん』


ゆるりと微笑んだ悟が、ずっと繋いでいた手を離した。
そして傑と共に人影に対峙する。


「おいアンタ、こんな夜中に神社に何の用だよ。丑の刻参りか?」


「こら悟。後ろめたい理由を堂々と当てたら失礼だろう」


「オマエの方が失礼だって気付けよ」


「おや、そうかな?」


二人がわざと煽り、人影の動きを見ている。
悟はこっそりと背中で印を組み、傑は隠した手に呪霊を呼び出していた。
ずるり、ずるり、と影が足を引き摺りながら、近付いてくる。
揺れる頭が、闇を吸い込む鳥居を潜った、瞬間。


「──────し、て」


「あ?」










「か  え  し  て」










『「!!!!」』


ばっと振り向いた悟が此方に駆け出した。
私も悟に手を伸ばす。
怖い。怖い。
今の声は。
…今の、声達は。


私の家族の、声だった。


「刹那!!」


『悟………っ!?』


ぐん、と、背後から、肩をがっちりと何かに掴まれた。
直ぐに氷の刃がそれを切り捨てて、どちゃりと重たいものが地面に落ちる。
……髪の毛の、手…?


「刹那、怪我は!?」


『だ、いじょうぶ』


悟の腕の中に引き込まれ、安堵の息を吐く。
鈍く痛むが、学ランも破けていないし大丈夫だろう。
そこではっと顔を上げた。
私の隣には硝子が居たのだ。彼女は無事だろうか。


『硝子!無事!?』


「無事だよ。というか、狙われたのはあんただけっぽい」


《パパ!》


声を掛けた先から硝子がポチを連れて駆けてきているのが見えて、ほっとする。
…狙われたのは、私だけ。
それって、つまり…
静かに見上げた先で、蒼が鋭く人影を見据えていた。


「も ド  って」


「せつな」


「ユ  る   差ナ     イ」


「……刹那、殺れるか?」


そっと、優しい声が私を呼んだ。
…蒼が。
蒼が、慈しむ様な光を宿して此方を見下ろしている。


……大丈夫。
私のかみさまは、此処にいる。


力強く地を踏み締め、頷く。
真っ直ぐに目が合った悟が、小さく首肯した。











ゆらゆらと揺れている人影は佇んだまま、動きはしない。
ただ、地面から無数の髪の束が飛び出してくるのが厄介だった。
暗闇に紛れ飛び出す闇を吸い込んだ様な黒は、地面を貫く音と風を切る勢いで辛うじて察知している。


「見辛いな…!硝子、無事か!?」


「ポチが居るから平気だよ!私は気にすんな、お前らは早くこの髪の毛止めろ!」


『しつこい…!』


《ガルァ!!!》


狭い境内を走り回る。
髪の毛は地を抉る程硬い癖に、此方の攻撃はぐにゃりと撓んで受け止める。
その所為で悟の無限も、傑の呪霊も大したダメージを与えられていないのだ。
なんて面倒な特性なのか。
向かってきた髪の束を凍り付かせ、ポチが遠くに蹴っ飛ばす。


「チィ…!ウゼェ!!術式順転・蒼!!」


焦れた悟が本体目掛けて術式を放った。
蒼い輝きが人影の頭上に現れ、その存在ごと肉塊に変えようとして────


「はぁ!?!?!?」


ぱあん!!と。
……足許から飛び出した髪に、遠くへ弾き飛ばされた。
…え?蒼って弾けるの?え???
思わず立ち止まり────バキィ!と顔の直ぐ傍が凍り付き、現実に引き戻される


《しつこい!!》


『ポチ、こうなったら突っ込むよ!』


「待て馬鹿!下手に孤立すんな!!」


髪が凍るなら、もう私が奴に突貫して凍らせた方が早い。
無数に飛び出す髪の槍を氷で防ぎ、ポチが払い除ける。


『縛裟・白竹!!』


頭上に氷の杭を作り上げ、地を抉る髪の束に叩き付ける。
凍り付くのは数秒。でもそれで良い。


『ポチ!!』


《ガルァ!!!》


愛らしいくまのぬいぐるみが、凍り付いた地面を駆ける。
そのまま佇む影に肉薄し、拳を振り抜いた。


「■■■■■■■■!!!」


…家族の声が痛みに捩れる。
それに一瞬眉を寄せ、それから復活した髪の束が乱打を放つポチに向かうのを防ぐ。
寒さで手の先が悴んできて、きゅっと握り込んだ。


「肉弾戦が弱い、とかじゃないな。…ポチの攻撃だけが効くのか…?」


「アイツ不浄持ちだからね。神性特攻あんじゃね?」


「つまりアレは神様だって言ってんの?」


「可能性としては、ね」


三人が傍に来て、悟がぴったりと身体をくっ付けてきた。多分、術式を使いすぎたのがバレているかもしれない。


「刹那の術式ならアイツが少しだけど止まる。その隙に距離を詰めよう。
もう一度ぐらい弱らせてくれれば、私が取り込む」


「いや、刹那は…」


『いける。大丈夫だよ』


渋る悟を遮り、傑に笑みを向けた。
乱打を放っていたポチが髪の毛に振り払われ、戻ってくる。
それを迎え、静かに掌印を組んだ


『…ポチ、もう一回ラッシュ行ける?』


《ぼっこぼこにする!!》


「なーんかソイツ野蛮になってきたよね。誰に似たんだか」


ぐっと構え直したポチに笑い、人影を見据える。
そこで、目を瞬かせた。


『あれ?』


────人影が、居ない。


何故?四人で警戒を怠ってはいなかった筈。ポチだって居るのに?
慌てて周囲を見渡して────ぐいっ、と。


『!』


「刹那!!」


《パパ!!》


「つかまえた」


肩が、足が、真下からがっちりと捕らえられていた。
冷や汗が頬を伝う。
ゆっくりと、視線を後ろに滑らせた。


背後から、耳まで裂けた口を大きく開けた女が、顔を覗かせていた。


ずるり、と急に足場がなくなって、影に呑み込まれる。
咄嗟に手を伸ばし、掴んだものをキツく握り締めた。












────しあわせ、だった。


父さんと母さんが笑顔で、私だけを見てくれていた頃。
二人の笑顔は、いつも私だけのものだった。


それから弟が産まれて。


お姉ちゃんだから、私がまもらなきゃって。
そう考えて、張り切って弟の世話をした。
母さんの負担を減らしたくて、家事も積極的に手伝う様になった。


「刹那はお姉ちゃんだから、一人で留守番出来るでしょ?」


『うん、出来るよ。
だから、水族館楽しんできてね』


…ほんとは私も行きたいなんて、言い出せなくて。


それから、妹が産まれて。
弟は反抗期を迎えて、父さんとも母さんとも話す機会が減っていった。
そうしたら、気付いたら、弟の世話が私の役目になっていた。
家事も私がする事になっていた。
朝起きて、朝御飯を作って、学校に行って、買い物して、ご飯を作って、洗濯物を回して、お風呂掃除して。
私はお姉ちゃんだから。
お姉ちゃんだから、荒れた弟にも笑顔で居ないといけなくて。
お姉ちゃんだから、育児で疲れて動けない母さんの代わりに動かなきゃいけなくて。
お姉ちゃんだから、泣き止まない妹にヒステリーを起こした母さんに叩かれても、泣いちゃいけなくて。
お姉ちゃんだから、父さんにご飯が美味しくないって言われても笑ってなきゃいけなくて。


「お姉ちゃん、僕達は出掛けてくるから、家の事を頼んだよ」


『……わかった。楽しんできてね』


……何時から、いつから。
いつから、私ってお姉ちゃんって役目なんだっけ。
家族で遊びに行くって話だったのに、私だけ仲間外れにされ始めたのは、いつだっけ。
……名前で呼ばれなくなったのは、何時からだっけ。


「……頑張ったんだね、刹那」


映画館のスクリーンに映し出された私の話を観た悟が、静かにそう囁いた。


…影に呑み込まれる寸前、掴んだのは悟の手だったらしい。


気付いたら深い赤の椅子に腰掛けていたこの状況で、私が取り乱さなかったのは、悟が隣に居たからだ。
私を抱き寄せながら静かに映像を眺めた彼は、そっと頬を撫で、立ち上がった。
手を差し出され、それに甘えて腰を上げる。
映像の消えたスクリーンが、乾いた音を立てて上がっていく。
その向こうに佇んでいた女性に、静かに目を閉じた


「刹那」


目を開く。
明るく染めた髪に、垂れ気味の大きな目。私は父さん似だって、笑ったひと。


『……母さん』


思っていたよりずっと掠れた声が出た。
それでもこの声が届いたらしい。彼女はにっこりと微笑んだ


「戻っておいで、刹那。そこはあなたの居場所じゃないでしょ?帰っておいで」


母さんは笑って此方に向けて手を広げた。
悟が無言で私を抱く手に力を込める。口に出さない癖に雄弁な態度に、思わず笑ってしまった。
そのまま、彼女に返事をする


『帰らないよ。私は悟と一緒に居る』


「何故?その男はあなたの全てを奪ったのよ?それなのに、何故?」


判りませんと言わんばかりの顔に、苛立ちが沸いた。
…悟がどんな思いで世界を壊したか、知らない癖に。


『……ねぇ母さん』


「なに?」


『…母さんは、何時から私をお姉ちゃんって枠組みに押し込めたんだっけ』


「え?」


音のない世界にぽつぽつと、言葉が落ちていく。
思い出すのは、家での記憶だ。


『お姉ちゃんだから、欲しいものはないでしょう。
お姉ちゃんだから、弟にあげられるでしょう。
お姉ちゃんだから、一人でも平気でしょう。
お姉ちゃんだから、痛くないでしょう。
……これ全部、母さんが私に言った事だよ』


お姉ちゃんだからっていう魔法の言葉にずっと縛られて生きてきた。
寂しくて、痛くて、泣きたくて、でもずっと耐えてきた。


だって私は、お姉ちゃんだから。
初めてお姉ちゃんって言われた時…母さんが、お姉ちゃんだもんね、頑張ってって。
優しく笑ってくれたから。


…でも、それももうおしまい。


『…わたし、もうお姉ちゃんやめるよ。
だって父さんも母さんも、私より弟と妹が大事だったじゃん。
大切じゃないなら、私は要らないでしょ?
…それなら、私は私を大事にしてくれる人の傍に居たい。
私を愛してくれる悟を、愛していたい』


「刹那……」


ぎゅうっと悟に抱き締められる。
そのままキスをしそうな男からさっと顔を背け、黙り込んだ母さんを見つめた。


『私は、帰らないよ。私のかみさまはこの人だから』


「俺達結婚するから。今更口出しすんなよお母様。とっとと土に還れ」


べぇ、と悟が舌を出した。
その瞬間、母の雰囲気が一変する


「貴様────貴様が、全てを奪ったのだ!!!!」


ばりばりと、母の顔が額から真っ直ぐに裂けた。
頭からお腹までぱっくりと裂けて、その下から現れたのは、尖った口許に燃え上がる様な深紅の瞳。
チロチロと覗く割れた舌を出し入れしながら、ずるずると母さんだった皮を捨て、巨体が姿を現した。


「うげぇ、どうやって入ってたんだよ」


『………』


ずるずると這い出す首は、八。
八つ首の大蛇は、シアタールームに所狭しと首を伸ばすと咆哮を響かせた。
それに呼応する様に、黒い天井が一気に罅割れ、バラバラと降り注いでくる。
悟が無限で防いでくれたお陰で、天井の破片は私達に触れる事なく足許に降り積もった。
代わりに、足許がじんわりと形を、色を変えていく。


石畳に、大きな御神木。
木製の本殿。
真っ暗な空。


……何もかもが、あの終わりの日を再現していた。
違うのはポチの入ったぬいぐるみが居ない事と、悟が幼い事ぐらいだろうか。


「貴様が!!貴様が全てを奪ったのだ!!!!私の世界を!!我の愛し子を!!!」


蛇が吼える。
その姿をじっと見つめる私の目は、今どんな色をしているのだろう。


「はっ、言い掛かりはやめろよ。全部オマエが犯した罪だろ?」


「ほざきおって…!!!
嗚呼、憎い、憎い…ニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイ!!!!!!!」


……静かに、左手に呪力を流した。
燃え上がる赫を見据える。
悟の腕が、ゆっくりと私から離れた。
見下ろす蒼は、とても柔らかい。


「好きにやりな。トドメは刺してあげるから」


『…ありがとう』


脚力を呪力で強化。
ゆっくりと、足を踏み出す。
足を早め、駆け出して、強く踏み込む。
突貫。突き出した左手は冷気を纏い、氷の槍と化す。


『奪ったのは』


噛み付こうと大きく開いた口につっかえ棒の様に氷を嵌めて、鼻面を足場に飛び上がる。
長く伸ばした氷の槍を、此方を睨む赫に突き立てた


『奪ったのは、お前だ』


「■■■■■■■■■■!!!!」


痛みに蛇が絶叫する。
大きく首を振られ、遠くに投げ出された。
そんな私をとん、と受け止める暖かな呪力。無限で、支えられている。
下を見れば悟がにっと笑っていた。


私のかみさまが、笑っている。
それだけで、私は何だって出来る。


左手に呪力を流す。
氷より冷たく、一撃で、祓える力を。
……あるのだ。直感で判る。今なら行ける。
脳裏に浮かんだ悟の血を吐く姿に一瞬手の力が緩みそうになるも、強く握り直した。


「貴様さえ 貴様さえ居なければ!!!嗚呼憎い!!モドッテ!!  
ニクイニクイニクイニクイ!!
お前ガ居なケれば!!!!
戻りナさい!刹那!!!!」


『…お互い様。私もお前が大嫌い』


氷で足場を作り、蛇の背に飛び乗る。向かってきた牙は氷が弾き、砕かれた破片をもう一度操り、蛇の胴体に殺到させる。
漆黒の鱗は硬く、表面に傷を付ける程度にしかならなかったが、それで良い。
目眩ましになれば、それで。
掌を、眼を潰した頭部に向けた。


研ぎ澄ます。
左手の感覚が無くなる。


刺す様な痛みが走り、何時もの術式よりももっと奥深く、その力に手を伸ばそうとして────ぐるりと、逆流・・した


『え、?』


左手に溜めた呪力が突然噴き出した。
勿論私の意思ではない。だって私は、氷を…絶対零度を使おうとしたのだ。
それなのに、これは。


────純白の龍が、蒼い焔を纏って大蛇に襲い掛かっていた。


「■■■■■■■■■■■■!!!!」


『うぐ…っ!』


最早母のものではない声が、焔に巻かれて絶叫する。
痛みにのたうち回る大蛇の尾に、オートで現れた氷ごと弾き飛ばされた。
後方に聳える御神木に叩き付けられる寸前、ぽすりと受け止められる。


「へぇ、面白い技を編み出したね」


『悟…』


「お疲れ様、刹那。良く頑張ったね」


私を受け止めた悟がふわりと微笑んだ。
前方では龍が、焔の手足を駆使して大蛇を苦しめている。
でも、苦しめているだけだ。致命傷じゃない。


「■■■■■■■■■■!!!!」


大蛇の首の一つが、龍の背中に深々と牙を突き立てた。
けれど龍は痛がる素振りもなく、寧ろ牙を突き立てた事で動けなくなった首に焔の拳を入れた。
ぶわりと肌を焼かれ、悲鳴を上げる大蛇の喉に龍が噛み付いた。
ごう、と鬣の焔が増す。うねり猛る蒼焔に、他の首は近付けない様だった。


「あは、なかなか良い出来だ。
でも、そろそろ戻らなきゃアイツらが心配するかも知れないから────祓うか」


私をそっと降ろすと、悟は前に出た。
肩越しに振り向いて、蒼が柔らかく笑う


「見てて。俺は、刹那の為なら何だって、出来るんだよ」


ゆっくりと、悟が掌印を組んだ。
何時もの片手ではなく、両手で。


「────術式順転・蒼。
────術式反転・赫」


それは、あの日大蛇を消し飛ばした構えだった。
ゆっくりと腰を落とす。
右手を前に、凝縮された呪力の塊が、紫の輝きとなって悟の指の先に宿った。


「死ネ!!!呪われよ!!!
妬ましイ!!疎まシい!!悍マしいオンなめ!!!ユるサナい!!!
全てを壊す不幸ノ子メ!!!」


『………』


喚き散らす大蛇に、やるせない気分になった。
こんな存在に、私の家族は、日常は、世界は、奪われたのだ。
私を燃える様な眼で睨め付ける大蛇の眼球は、焔の爪で抉られて瞬く間に焼け爛れた。
蒼が世界を照らす中、静かな声が、終わりを告げる


「────虚式・茈」


怨嗟を撒き散らす厄災が、鮮やかな紫の奔流に呑み込まれた。












五月二日 朝


「五条が祓ったんだって?」


『そう。私気絶しちゃって。結局は悟に迷惑掛けちゃった』


ちゃぷり、と温かなお湯に身を沈めて背伸びする。大きな石で囲った温泉風の湯船に、竹の衝立で外を遮った此処は見るだけでテンションが上がる。
あの後というか、悟の茈が放たれた直後、情けない事に私は気絶してしまったのだ。
気付けば朝で、にこにこした悟に起こされたのが一時間前の事。


「でもビビったよ。あんたら二人、影に沈んじゃったから」


『ごめんね。私もびっくりしちゃった』


身体を洗い終えた硝子もお湯に身体を沈めた。二人で並び、何となく目がいったのは硝子の豊かな胸元である。
次いで自分のそれに目を落とした。
……私、まな板だね…?


『…硝子さ、何食べたらそんなに胸育ったの…?』


「特に何も意識してないけど。なに、五条はデカイ方が好みとか言いやがったの?シメる?」


『多大なる誤解が生まれちゃったな』


やめてあげて。冤罪で根性焼きのジェスチャーしないで。
ふるふると首を振ると、硝子がだよなと頷いた


「あの刹那全肯定botがデカイ方が好みとか言う筈ないもんな。どうせ今のサイズで満足してんだろ」


『…個人的には、もう少しあった方が…』


「つっても刹那、全体的に痩せ型だしな…胸こさえる脂肪もないんじゃない?」


『……肉を付けるには?』


「沢山食べてみれば?」


『じゃあお昼から沢山食べよう。先に上がるね』


「んー………………っ」


ざば、とお湯から身を上げる。
その際に背後から引き攣った声が聞こえた気がして、肩越しに硝子を見た。
目を丸くしている。どうしたんだろう


『硝子?』


声を掛けると、硝子はひくりと肩を揺らして、それから口角を上げて見せた。
その様は、何処かぎこちない。


「…驚いただけだよ。背中、マーキングしてあるから」


『え゙』


まさか、キスマーク付けられてる…?
顔を真っ赤にした私が慌ててお風呂を飛び出したのは言うまでもない。












五月二日 夜


無事に高専に戻ってきた私達は、ご飯もそこそこにベッドに入った。
ごろりと転がって、ぴったりと密着する。
時折触れるだけのキスをして、ゆったりとした空気を味わっていた。


「なんか、熟年夫婦みたいな過ごし方だよねぇ」


『ん?』


「普通、高校生のガキってヤりたい盛りの猿なんだけどさぁ」


ゆるりと、大人びた表情で悟が笑った


「性欲より、オマエを大事にしたいって気持ちの方が強いの。だから、こうやってくっ付けるのめちゃくちゃうれしい」


『……わたしも、うれしい』


あんまりにも柔らかな悟の表情にどきどきしてしまって、そっと目を逸らす。
もぞりと体勢を変えた時、太股に硬いものが触れて、思わず固まってしまった


『……悟』


固まった私に、悟が悪戯っぽく笑って見せた


「バレた?いや、まぁ好きな女と寝てれば勃つでしょ。だって俺十五歳よ?腰振る事覚えた猿だもん」


『全国の十五歳に謝って』


「絶対恵もムッツリだったって。悠仁は好みオープンにしてたけどさ」


溜め息が出た。そういう男子特有の下ネタってどう返せば良いのか判らないから、困る。
すり、と熱いものがお腹に押し付けられた。
恥ずかしくて赤くなったであろう私のお腹を、悟が感慨深そうな顔で見つめる


「こんな薄っぺらい胎にコレが入るって、不思議。破れそうだよね」


『こわ……』


ほんとにやりそうだからやめてほしい。
そこでふと思い出したのは、硝子との会話だ。
……そういえば、この人ホーム画面を井上和香?って人にしてるんじゃなかったっけ?


『ねぇ、悟』


「なぁに?」


ふわりと微笑む悟に、一瞬聞くか聞くまいか悩んだ。けれど気になるものは気になるのだ。
意を決して、聞いてみる事にした。


『……悟はさ』


「うん」


『…………胸は、大きい方が好みなんですか…』


尻窄みになった質問に、悟が目を瞬かせた。
ぱちぱちと真っ白な睫毛を打ち合わせ、それからこてんと首を傾げる


「………………ん??????」


『だって……ガラケーのホーム画面、井上和香って人なんでしょ…?』


「携帯の待ち受けな。いやオマエだけど」


『……星漿体の時に待ち受けその人って言ってた』


そこまで言うと、ああ、と合点がいった様子を見せた悟。どうしよう、その井上さんが巨乳だったら私はどうすれば…
俯いてじっと胸元を見る私に、悟は可笑しそうに笑いながら言った


「あー、アレね。アレはね、カモフラージュだよ」


『……カモフラージュ?』


「そ。あの時はさ、俺の婚約者になりたい女が俺の好みを探ってたの。
マジで俺の好みを探ってんのか気になったから、その時に人気だった井上和香にしたのね。そしたらほんとに巨乳ばっか来るからさぁ、次は面倒になってモナリザにしてやったの」


『モナリザみたいな女子…???』


「一週間ぐらいしたらさ、俺のトコに来るヤツみーんな真っ黒な服着て、センター分けの黒髪になってやがんの!アレは面白かった!」


『悪質…』


嘘でしょ、好かれたくて頑張る女の子の努力を嘲笑ってやがる…
引いてしまった私に、目が笑っていない悟が口角を持ち上げて見せた


「それもさ、誰かさんが自撮りくれなかったからなんだけどな。愛しい愛しい女の子が頑なに外見情報をくれなかったから、可哀想な悟くんは大好きな子を想像する事すら出来なかったんだけどな」


『ごめんなさい』


「まぁ良いけどね。刹那に“僕”も俺も童貞あげたんだから、その点では感謝してるよ。
他の女を刹那の代わりに抱くなんて御免だからね」


『………ごめんね』


…私の所為で、悟は女の人と付き合ってもいなかった。
それが、どうしよう。私の所為なのに、嬉しいと思ってしまう。
喜んじゃいけないのに、じわじわと歓喜が染み出してくる。
私の顔をじいっと覗き込んだ悟は、軈てうっそりと微笑んだ


「…そうだよ。俺はオマエのものだ。もっと縛って、独占欲を満たすと良い。
…大体ね、刹那は巨乳の方が良いのかなんて聞いたけどさ」


とん、と大きな手が私の胸元に乗せられた。シャツの上から撫でて、へらっと笑う


「いやほんとまな板だね?俺の方があるんじゃない?」


『ツラ貸せよ顔だけ飾るから』


「え?俺の顔そんなに好き?嬉しいなぁ。あ、剥ぎ取ってあげようか?反転術式で治せるだろうし」


『いや良い。要らない結構ですやめてください』


がっと躊躇いもなく額に爪を立てた男の凶行を慌てて止めた。え、そんなコンビニ行くノリで顔面剥ぎ取らないで???やめて???


「えー、じゃあ生きてる俺の顔見とくの?」


『なんで残念そうなの…???』


「だってそれも独占欲じゃない?俺の顔を飾りたいとかめちゃくちゃ興奮したよね」


『頭が…おイカれなさっている………』


「今更?呪術師ってのはイカれてなんぼだよ?」


規模が…イカれのレベルが違うんだよなぁ。
痛くなってきた頭を押さえれば、シャツ越しにブラの縁をなぞっていた男が話を戻した


「刹那はさぁ、そもそも術式と天与呪縛の都合上、太るのが難しいと思うよ?」


『え?』


「刹那の術式は自分の体温を放出して水分を操ったりするでしょ?
でも体温を放出しても、刹那は直ぐに全身凍えたりしないよね?」


『…そういえば、そうだね』


術式を使うと、手だけが痛いぐらい冷えて、それからじんわりと温まっていく。
悟の言う通り、全身が一気に冷えるなんて事はない。
頷いた私に、悟が指を立てて揺らした


「それはね、刹那の天与呪縛のお陰なの。オマエの天与呪縛は“一般女性の筋力しか得られない代わりに、体温の放出箇所を設定出来る”ってヤツだよ」


『……なにそれ、ダサくない…?』


なんだそのぱっとしない天与呪縛。
伏黒パパとか真希とか、呪力ない代わりにめちゃくちゃフィジカル凄いじゃん。メカ丸も術式範囲が凄く広いとかじゃん…なのに私の天与呪縛、放出箇所の設定…?ショボくない…?
眉を寄せた私に悟は指を振ってみせる


「いやいや、これはオマエの術式なら最適解の天与呪縛だよ。
だって刹那の術式────それがなきゃ早死しちゃうから」


『えっ』


え、死ぬの?
固まった私に、悟がくすくすと笑った


「刹那は大丈夫だよ?でもね、過去にその術式を使ってた呪術師は、みーんな若くで死んでんの。
だってソイツらは、全身の体温を零度まで下げて放出してたから。
体温を上げるにしたって心臓の負荷が酷い。それに消耗しきれば待ってるのは低体温症による死だ。
当時は江戸時代とかだし、そりゃあ早死しちゃうよね」


…つまり、身体全部の体温を放出して、そっから急いで体温を上げてたって事?
そんなの、普通に無理だ。
確か心臓って拍動の回数が大体決まってるって何処かで聞いたし、使った代償があんまりにも重すぎる。
改めて自分の術式が怖くなった私の唇を、悟が優しく塞いだ。
宥める様な口付けに、悟の首にしがみつく。
ちゅう、と吸って顔を離すと、悟がゆるりと微笑んだ


「落ち着いた?」


『ありがと』


「ん。…続き、聞く?」


『お願い』


怖いけど、天与呪縛で私は早死じゃないって判ったから。詳しい事を聞かなきゃ、私は私の事もちゃんと判らないままになってしまう。
自分の事なら、ちゃんと知りたい。
頷いた私に、悟が説明を再開した


「刹那が体温を放出したあと、直ぐに体温は戻るだろ?それね、オマエの脂肪を燃やしてんの」


『…脂肪を?』


「そう。最初は元々子供体温なお陰でカバー出来ても、術式使用が長引けば、どんどん体温は低くなっていく。お湯にずっと水を混ぜていく様なモンだからね。
そうしたらさ、下がったお湯の熱を上げるには、薪が必要だろ?
そこで消費されるのが、脂肪なの。
つまりオマエは、全身の脂肪を燃やして即座に体温に回してるって事」


『……つまり、ダイエット要らず…?』


え、ずっと太らないの?なにそれめちゃくちゃ良いね?
顔に出たんだろう、悟が呆れたと溜め息を溢した。


「あー、女子高生って感じの反応だわ。
喜んでるトコ悪いけど、脂肪を燃やし尽くしたら、次はなけなしの筋肉を燃やして体温に変えるよ。
だからまぁ、出来るだけ太った方が良いんだけど……オマエ普段から脂肪燃やしてるもんなぁ」


『?』


「多分ね、普段の子供体温の維持で脂肪を燃やしてる。それか、下手すればその体型まで天与呪縛に入ってる可能性もある。
縛りが多い様に思えるけど、温度使役術式はそれだけ死に近い術式だから、オマエみたいにお手軽操作になってる事自体が奇跡みたいなモンだよ」


…つまり、取り敢えず沢山食べてもオーケーってこと?
あ、でも硝子みたいなグラビアスタイルは無理なのか…
しょぼんとした私のシャツを捲り、何故かブラを見ている馬鹿をひっぱたいた。


「ってぇ!」


『え?急になに?セクハラですけど???』


「何でだよ!ちっちゃくて可愛いじゃん見せろよ!」


『嘘でしょ、圧が強いの意味判んない…』


何故かそのままブラを見つめる顔面国宝という混沌極まった図が出来た。疲れてるんじゃない?寝ろよ。


「そもそもさぁ、刹那の術式で巨乳になったらフタコブラクダみたいになりそうじゃない?」


『は?』


え?なんで急にラクダ?
突然の例えにぽかんとする私に構わず、悟が胸元に顔をくっ付けてきた。


「あーーーーーーーー、心臓動いてる。かわいい」


『…心臓が動いてるのがかわいい…???』


「一生懸命動いてるね…とくとく言ってる。脆弱な命が生きてるの健気でかわいい…オマエの握り拳なんてちみっこいサイズで今日も元気に動いてるんだね。えらいね、かわいいね」


『………???』


心臓を愛でられている私はどうすれば……
困惑を極めた私の胸元にすりすりしながら、悟がもそもそと言う


「だって刹那の術式だと脂肪を燃やすんだよ?仮に硝子ぐらいの乳こさえてみ?急激な消費に肉体が付いていけなくて、長期間砂漠を歩き回ったフタコブラクダのコブみたいにでろんって皮が垂れ下がる事になるよ?
それならこの可愛いおっぱいが良いじゃん。膨らんでも萎んでも一緒」


『………』


やっぱり面の皮剥いでも許されるんじゃないだろうか。
無言になった私を無視して、デリカシーナシ男は続ける


「まぁ刹那なら胸なんかなくて良いんだけど。可愛いし、このぐらいの方が健気な心臓の音聴きやすいし」


『何故心臓を愛でる…???』


「え?毎日頑張って生きてるの可愛いじゃん。オマエなんだから髪の先から心臓まで可愛いのは当たり前だろ???」


『おイカれなさっている……』


「ははは、ありがと」


背中を撫でる大きな手に、そういえばと思い出す。
幸せそうな顔で胸にくっつく男の耳を引っ張った


「んえ、なにすんの」


『悟、背中にキスマーク付けた?硝子にお風呂で見られて恥ずかしかったんだけど』


キスマークは誰に見られるか判らないから、付けないでと言った筈なのに。
苦情を申し立てた私に悟は目を瞬かせ、それからゆうるりと笑んだ


「……ああ、見られちゃったの?」


『…温泉一緒に入ったんだよ。私知らなかったから』


「はは、まぁ大丈夫でしょ。アイツらも俺達の関係知ってるんだから」


『恥ずかしいんですけど…』


「大丈夫だって。この部屋も防音特化の札貼ってるし、刹那の可愛い声は誰にも聞かせないよ」


『そういう問題じゃない…』


ちくり、と胸元に痛みが走った。
見ればブラをずらした悟が肌に吸い付いている。柔らかな唇が離れた場所には、赤い痕が残されていた


『言った先から…!』


「あ?硝子の前でブラ外すのかよ。…幾ら女同士でもそんな事したら縊り殺したくなるんだけど」


目がマジだった。
うーん、悟ってなんでこんなに私を好きなんだろうね?どうしても理解出来ない。
不思議に思いつつ、首に回したままの腕でぎゅうっと抱き締めた。


『悟にしか見せない。でも恥ずかしい。判って』


「俺にしか見せないなら付けまくっても許されるのでは…???」


『恥ずかしいって言葉は覚えないのかな?』


「あは。…それが見たいって言ったら、どうする?」


『っ』


ぐっと、お腹に熱いものが強く押し付けられた。…お腹の奥がきゅんとする。
恥ずかしくて言葉を詰まらせた私に、蒼が色っぽく緩められた


「…ねぇ、疲れてるなら寝ても良いけど。どうしたい?」


『………ずるいね』


「んふふ、意地悪されて恥ずかしそうな刹那が可愛いのが悪いよ。もっと困らせたくなる」


耳許で甘く囁いた男に、私はどうやったって敵わないんだろう。
せめてもの抵抗に、口には出さず、脚を細い腰に絡める。
唇を舐めた悟がうっそりと微笑んだ


「ふふ。愛してるよ、刹那」


『……私も。愛してるよ、悟』









信仰するは唯一









刹那→洗脳済み。
かみさまを否定するものは敵である。

五条→優しくて頼れるちょっとえっちなお兄さんムーブ絶好調。

夏油→バカボンかと思ったら達観してたり婚約者には大人っぽく振る舞う五条が掴めない模様。
五条の対刹那の態度とその他への態度を目にして風邪引きそう。

硝子→バカボンを早々に刹那全肯定botと判断した人。中身はクズだと確信している。

夜蛾→胃は痛みを訴えている。

ポチ→特級仮想怨霊・ティンダロスの猟犬。
今回刹那の前で本体を出した。
刹那は理解していないが、毒物である出現時の気体も青い脳漿もオートガードで氷の粒に変えているので、刹那はポチに触れられる。
怖がるどころかハグされた事で一生護ると決めた。











「────あは、念入りに計画練った甲斐があった。
もっと俺に溺れようね、刹那♡」









五条→やっぱりやらかしてる。
洗脳大好きガチヤバタール系男子。

世界ちゃん→恨んでも恨み足りない


一徹無垢とは、一筋に信じ込む純粋な様子。一徹は思い込んだら、その事を貫き通す事。
無垢は穢れがなく清らかな事。


馬酔木の花言葉「犠牲」「献身」「あなたと二人で旅をしましょう」

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