馬酔木(五条/五条家篇)

※特殊設定あり
※「馬酔木」続篇
※五条が悪巧みをしています。それを許容出来る方はどうぞ。
※R-18表現あり、未成年の方は三月二日 深夜をスキップして下さい








三月一日 昼


廃寺で刹那と合流した俺は、小さな手を引いて屋敷に戻った。
すると突然屋敷を抜け出した俺を捜していたのか、使用人達が此方を見るなり駆け寄ってくる。
……こんな顔の使用人共、居たっけ?


「悟様!一体何処に」


「その娘は…?」


「嫁。誰でも良いから親父を広間に呼んどいて」


「は?嫁???」


「刹那、行くぞ」


『え、はい』


困惑するヤツらを放置して、刹那の手を引いて玄関に向かった。
玄関にも廊下にも使用人が居て、此方を見るなり悟様と馬鹿の一つ覚えの様に鳴く。そして、俺が連れている刹那に眉を寄せるのだ。
なんだオマエら、コピーじゃねぇんだからもっと違う動きしてみろよ


「無駄に広いよね。俺だったら刹那の家くらいの部屋に住みたいかな」


『悟、めちゃくちゃ見られてるんだけど…』


「木目の柄だと思えよ。あるでしょ?天井の模様が目に見える事。あれと一緒」


『えええ…』


使用人なんて、此方に冷たい目を向けるだけで何もしてこない。
飯だったり道具だったり、物を運ぶだけの機械と同じだ。コイツら、皮剥いだら最先端のアンドロイドだったりするんだろうか。…いや、ないか。馬鹿で雑魚しか居ないし。
多分、彼方で安穏と育ってきた刹那からすれば、この家は異質でしかないだろう。
中庭に面した廊下を進む最中、刹那は周囲を緊張した様子で見渡していた。














先に大広間に通され、敷かれた座布団の上に腰を降ろす。
部屋に入った途端に刹那は『ひえ…』と小さな悲鳴を上げた。


「ほら、座れよ。親父も直ぐには来ないでしょ」


『ドラマのセットみたいなお屋敷じゃん…』


萎縮する刹那の言葉で、広間を見渡してみた。
ぴったりと閉ざされた、ハゲなさそうな虎が遊ぶ襖。ずらりと並ぶ格子模様の障子。五条の家紋が縫い付けられ、如何にも手を掛けてますと言わんばかりに光って見せる畳。
上座の後ろの一輪挿しの花器からは、独りぼっちの梅の枝がゆるりと花を綻ばせていた。アレをお高く留まったぼっちと取るか、独りが嫌で仲間を呼ぼうと花開いたと取るかで性格診断出来そう。下らないけど。
無駄に金掛けてそうな掛け軸の中から、見た目だけは猛々しい虎が此方を鋭く睨んでいる。
そういやこの部屋矢鱈虎が居るな。親父の趣味か?


「呪術の家なんかこんなモンよ?見た目重視で中身空っぽ。何時まで御武家様ゴッコしてんだか」


大体こんなに広いと管理は面倒だし、屋敷を覆う結界の規模も広いし、警備の配置に人を多く使うし、木造だから焼けば燃えるしで良い事ないと思うんだけど。
それでもジジイ共はこういう格式高い建物を好むのだ。寝ている内に焼いてくださいっていう遠回しなアピールなんだろうか。
恐る恐る座布団に座った刹那が、腰を受け止められた所でまた引き攣った声を漏らす。
えー、かわいい。値段想像して恐縮してんのめちゃくちゃかわいい…やっぱり見掛けは必要か…?


「悟様、旦那様がいらっしゃいました」


「判った。…刹那、オマエは聞いてるだけで良いからね。話は俺が通すから」


『……うん』


緊張した面持ちで刹那が頷いた時、静かに障子が横に滑った。
入ってきたのは着物姿の男。黒の羽織を翻してやって来た親父は、無言で此方を一瞥した後、上座に用意された座布団に腰を降ろした。
…ダメだ。親父が席に着いた事でカチコチになった刹那が面白すぎる。
誂う様に、綺麗な黒髪を指に巻き付けて遊んでいれば、その様を温度のない目で眺めていた親父が口火を切った


「……悟、その娘は何だ」


今となっては懐かしい、温もりのない親父の声。
そういやこんな話し方だったな、なんて呑気に構えていたが、どうやら刹那は違ったらしい。


ああ、あんな雑魚でも怖いのか。可哀想に。


ぴくっと肩を震わせた刹那の薄い背中を、そっと擦ってやる。
弱った顔でそろりと此方を見た菫青に笑みを返してから、正面に顔を向けた。


「廃墟で呪霊に襲われてたから、助けた。その身に術式を刻んでいたから救助後、此処に持ち帰ってきた」


「何故だ。その娘にも親が居よう。そこに戻せば良かった話だ」


「術式も呪力も問題なし。早い内に五条で囲った方が利になるよ」


「猿の出だろう。卑しい血の女など捨て置け」


…猿、ねぇ。
これからの時代はその猿から優秀な呪術師が出てくるのにな。
十二年後には猿の出の男が百鬼夜行なんてテロ起こすし、その一年後にはソイツの死体が呪術界最強を封印するんだけど。
その時は猿の子が消し飛ばせやしない特級呪物の容れ物にもなるし、一応うっすく五条の系譜だけどほぼ猿の子が特級過呪怨霊も産み出してるし、彼女が解放されても後は実力で“僕”と肩を並べる未来が来る。
猿は下等、なんて視野も狭けりゃ頭も固い。これからの猿はどいつもこいつもゴリラだよ?ああ、キングコングは絶対にアイツ。
そもそも俺が産まれた時点で時代の波が来てるってのに、そんな事も判らないとは。あーあ、こんな大人にはなりたくないもんだ。


「────へぇ、捨てんの?
…コイツが俺にそっくりなガキを産んだら、アンタ、五条の笑い者だぜ?」


親父に睨まれ怯えた刹那を引き寄せて、髪の感触を楽しむ。
此方を見下ろす親父の前で、目を細めながら薄い腹をゆっくりと撫で上げた


「…悟、説明しろ」


意味を察したであろう親父が僅かに殺気立った。
んー、親父ってこんな顔だったっけ?
何気なくそんな風に思って、直ぐに理由に思い至った。


そうだ。
屋敷に居た時って、俺は何時も面隠しをしてたんだ。


だから、この当時の使用人の顔をイマイチ覚えていないし、若い時の親父の顔が朧気なんだろう。
そう思えば、親父の面白味のない顔も少しは眺める価値も出る。吹けば飛ぶ程度の価値だけど。
怖がる刹那を抱き込みつつ、俺は笑った


「抱いた」


「……避妊は」


「するかよ。俺の女だ。
耳かっぽじってよーく聞けよ。
“俺は生涯、桜花刹那以外の女を抱かない。抱くぐらいなら死ぬ”」


「貴様…!!!」


呪力を乗せた言葉が自らの魂に課すのは、縛りという制約だ。
しっかりと自分に縛りが掛かったのを感じながら、ちらりと腕の中で小さくなっている刹那を見やる。
耳が赤い。親父に中出し報告されたのが余程恥ずかしいらしい。
大丈夫だよ?他のヤツには絶対に見せないし、此方ではちゃんと避妊するから。


だってほら、ガキなんか出来たら二人の時間は減るし、何よりオマエの感心がガキに向くでしょ?無理。殺しちゃう。


それならガキも産まれない方が幸せだよね。まぁどうしても産みたいっていうなら、産んでも良いけど此処に預けようかな。どう育とうが、刹那じゃないならどうでも良いし。
…ああ、もし刹那にそっくりなガキが腹から出てきたらどうしようかな。ある程度育てたら、ホルマリンにでも浸けようか。中身抜いて人形にしても良いかもな。
俺が親父の前で課した縛りに気付いていない刹那の背中を擦ってやりつつ、言葉を続けた


「で?俺はもう覚悟を示したけど。アンタは?卑しい血の小娘を追い出して、五条の至宝の子種をドブに捨てて未来永劫笑い者になる?
それとも卑しい血の小娘に暖かな家を用意して、うるさい雑魚に嘲笑われながら、五条の未来の安泰を望む?
あは、プライド高ぇアンタにとっちゃどっちも地獄みてぇな二択か?
まぁ良いや。好きな地獄を選んでよ、オトウサマ♡」


縛りを解く気がない俺と刹那を引き剥がして、女宛がうなんて下手打って俺まで殺すか。
それとも俺と刹那を結婚させて、五条の安泰を望むか。
どちらが良いかなんて、火を見るよりも明らかだろう。
判っているからこそ、険しい顔になっているのだ。
むっつりと黙り込んだ男が、射殺さんばかりの目で俺を見ている。


でも知ってるよ、アンタも俺の眼が怖いんだろ?


面隠しもサングラスもせずにこうやって向かい合うの、初めてだもんな?
睨み付ける眼の奥に、畏れがあるのが隠せてないよ。…ほら、呪力が揺れた。
実の息子が怪物に見えますって?知ってるよ、そんなこと。


「…………良いだろう。その娘をお前の婚約者として支援する」


「聡明な御判断、アリガトウゴザイマス♡」


勿体振った後に吐き出された決断に、口角を上げてそう返してやる。
…何が良いだろう、だ。偉そうに。
内心唾を吐き、最早同じ空気を吸うのも嫌になって荒々しく腰を上げた。
驚く刹那を丁寧に抱き上げて、くるりと踵を返す。
こんな空気が悪い所なんて、とっととおさらばしてやろうと足早に障子に向かう所で、親父の声が投げ付けられた


「何のつもりかは知らんが、その話し方を止めろ。貴様に感情など与えた覚えはない」


待ってwwwwwwwwwwww何言ってやがるんだこの雑魚wwwwマジで大草原wwwwwww
ウケるwwwwwwww何勘違いしてんのコイツwwwwwwwwwwwww


………は???
オマエまさか俺の心まで制御出来てると思ってんの?嘘だろ?マジウケるね。勘違い乙ってヤツ?


感情なんかオマエに貰った覚えねぇし、そもそもオマエが俺と顔合わせんの年に一回ぐらいだろ。
それでオマエから学んだ事なんか、権力持ってようが血が繋がってようが雑魚は雑魚って事だけだよ。
取り敢えずこの馬鹿をシメるか悩んでいると、刹那の呪力が大きく揺らいだ。
何だと視線を落として、目を丸くする。


……なんでオマエがそんなに辛そうな顔してんの?


え?もしかして、親父の言葉でオマエが傷付いてんの?俺の事を考えて?マジで?
……いやなんでそんな可愛い事するかな…


マジかよかっわいいねオマエ…天使かな?


え?俺の為にそんな可愛い顔するんだ?えー何それめちゃくちゃ嬉しい。
俺の所為で傷付くオマエがめちゃくちゃ可愛い…脆弱な癖に、俺の事を想って傷付くオマエが愚かで愛らしい。
とうとう堪えきれなくなって、笑みが漏れた。
それで此方を見上げた刹那が、笑っている俺を見てぽかんとした顔になる。
ああ、本当に愛おしい。どうしてくれようね。


「んふふ、可愛いね刹那」


『え…』


「あは、可愛すぎてつい言っちゃったじゃん。……あんまり溺れさせるなよ、オマエが息出来なくなっちゃうよ?」


俺を夢中にさせるのは構わないけど、息出来なくなるのはオマエだよ?
くすくすと笑う俺を不思議そうに見ていた刹那が、じっと俺を見つめた後に、顔を隠す様に首もとにくっついてきた。
どうやら照れたらしい。
そりゃそうだ、目は口ほどにものを言うって乾涸びた言葉がある様に、見つめるだけで人は愛を囁ける。
彼方の世界で、散々俺に教え込まれた目合いの視線を正しく受け取った刹那を、褒める様に撫でた。


「そのまま、動いちゃダメだよ」


そっと囁いて、首だけで振り返る。
それから浮かんでいた笑みを消して、言い放った


「────イキってんなよ、雑魚。
俺は俺だ。ガキ使ったお人形ごっこがしてぇならお袋と相伝ガチャ回してろ。
オマエのうっすい精子じゃどうせ“五条悟の劣化版”しか出来ねぇだろうけどな」


「貴様…!!!!無礼だぞ!!!」


「そりゃドーモ。ごめんねー悟くん反抗期だっちゃ♡」


無礼なモンかよオマエが不敬だよ。
もう雑魚と話す事はない。足で障子を開け放ち、それからルナティックなんちゃらぐらいにキレてそうな親父に顔だけを向けた。そんなに怒るなよ、禿げるよ?


「じゃ、そういう事で。……ああ、刹那に手ぇ出したら殺すから」


これ重要。破ったら殺すからね。
生きてたいなら覚えとけよ。このぐらいならそのダチョウ並みの脳味噌でも記憶出来るだろ?
親父は怒りのあまりに絶句していた。だからそんなに怒るなよ、血管千切れんじゃない?
まぁ俺は言いたい事を伝えられたので、意気揚々と部屋を後にした。













三月一日 夕


「悟様!どういう事ですか悟様!!」


「一体何を考えておられるのですか、悟様!!」


『…呼ばれてるよ?』


「ほっとけよ。有益なヤツは居ないから」


親父と話した後に早々に自室に撤退した所為か、家老やらその手下がやいやいとうるさい。
ただ声を張るだけでぴったりと閉ざした障子に手を掛けないのは、単に俺の怒りを買いたくないからだろう。はー意気地無しはツラいねぇ。
入れ替わり立ち替わりの雑魚の声をフルシカトしていた所で、障子の前に二つの影が現れた


「────ぼっちゃま」


「……開けて良いよ」


静かに障子を開けたのは、ガキの頃から俺に付いている双子だった。
確かコイツらは“僕”を裏切った事もないし、そもそも機械的だった俺に“十五歳の五条悟”の初期設定を与えた筈。
……うん、重用すれば裏切りはしないだろう。


────ポチ、刹那と遊んでて。


《ワン!!!!》


声に出さず呼び掛ければ秒速で返事がきた。
そのままわらわらとぬいぐるみに群がられ、刹那が目を丸くしているのが見えた


『え?どうしたの?』


《あそぼー!》


《あそんでー!》


《あそぶー?》


《ワン!》


刹那にポチを纏わり付かせておけば危険はないだろう。まぁ部屋から出るわけでもなし、此処で何かしてくるヤツが居るとすれば、それはただの自殺志願者だ。
そう判断し、部屋の仕切りを跨ぐ事なく正座の二人を見下ろした。
双子の姉、山茶花がちらりと部屋の奥を見るなり声を潜める


「……あの娘は?」


「嫁」


「…ぼっちゃま、何時の間に高度なボケを覚えたんです?」


「ボケじゃねぇよ。明日には親父が正式に通達出すだろ」


そう返すと二人は目を丸くした。
弟、椿がじっと俺を見つめ、戸惑った顔で言う


「…ぼっちゃまをそんなにも人らしくしたのが、あの娘なんですか?」


「……そうだよ。俺はアイツに色んな感情を貰った」


傑に善悪の指針を貰った。
硝子に戦える者だけが強い訳じゃないと教えられた。
そして、刹那に愛と憎しみを抱かされた。
俺が人らしいとすれば、この三人のお陰だ。まぁ“僕”からすれば十五歳から二十八歳までの長い時間を掛けた学習だけど、オマエらからしたら数時間で人が変わった様に見えてるんだろうね。まぁ言葉のままだし仕方無いね


「刹那を娶る。それは決定事項だ」


「……承知致しました」


頭を下げた二人を見下ろして、声を落として命令する


「オマエら、俺に仕える気があるなら刹那を裏切ったら死ぬって縛れ」


「「!!」」


「それが出来るなら、オマエらを側近として使い倒す」


俺が使うとすれば、それは勿論刹那に危害を加えないものでなければならない。
そしてそれは勿論人間にも該当する。
現時点で必要なのは、この二人に名前しか知らない小娘を死ぬまで裏切らないと誓う気概だ。
次期当主の妻となる女の為に、その身を犠牲に出来るのか。
静かに見下ろす俺の前で、先に動いたのは山茶花だった


「“刹那様と悟様を裏切る事あらば、この山茶花は死にます”。……これで宜しいですか?」


「おい山茶花」


「椿、お前もとっとと縛りを結べ。何を恐れる。普段通り生きていれば良いだけだろうが」


ほんと呪術界に身を置く女って強いよね。
思わず笑ってしまった俺に椿は目を丸くして、それから溜め息を溢した。
ゆっくりと、呪力を帯びた声が空気に溶ける


「“刹那様と悟様を裏切る事あらば、この椿は死にます”」


「…良し。じゃあ早速使うよ」


「「何なりと」」


やる気のある山茶花と半ばヤケクソの椿。対照的な双子だが、どちらも与えられた命令はきっちり遂行するだろう。
刹那がぬいぐるみの面倒を見ているのを視界の隅に捉えながら、俺は早速指示を出した


「山茶花は刹那の服と下着買ってきて。椿は役所で刹那の戸籍作り。緊急改訂権使えばいけるだろ」


そう告げつつ、机から紙と筆を取った。
そういやこの家にボールペンっていう文明の利器が存在してないのほんと何?
江戸時代かよ。いちいち硯と墨出すのかったるいんだけど。しかも墨汁じゃなくて固形墨なのマジで頭が可笑しい。
和紙に筆を滑らせて、それぞれに渡した。


「ぼっちゃま、刹那様は戸籍がないのですか?」


「そんなトコ。…ほい、じゃあお使いヨロシク」


訝しげな椿に紙を押し付けて、ひらひらと笑顔で手を振った。
先に立ち上がったのは山茶花で、彼女は紙を懐に仕舞うと俺を見る


「ところでぼっちゃま、面隠しは?」


「失くした」


「…長時間六眼を晒すのは疲れるでしょう。新たな物を持って参ります」


「布はやめろ。キョンシーじゃん。じゃあついでにサングラス買ってきて」


確かに疲れは残るし、刹那だけをこの眼に映していられる訳でもない。雑魚を見るのは不快だ。かと言ってキョンシーは嫌だ。そもそも和服で面隠しって何時の時代だよ。江戸時代の忌み児か。
買い出し担当の山茶花に追加する物を伝え、障子を閉めた。


「あとぼっちゃま」


「ん?何だよ」


何か問題があったかと再度障子を滑らせれば、心無し引き攣った山茶花が俺を見て、言った


「女性のスリーサイズを知ってるのはきもt」


「うるせぇ黙って買ってこい」


皆まで言わせず障子を閉めた。














三月一日 夜


自室で刹那の膝を堪能しながら目を閉じる。静かな部屋に溶けるのは俺と刹那の吐息のみ。ああ、そうだ。
遮音の効果を持つ結界張んなきゃな。あとで札作るか。


『ねぇ悟』


「んー?なぁに?」


愛しい声にゆっくりと目を開けた。
静かに俺を見つめる菫青。綺麗な瞳が、ほんの少し翳りを帯びている


『良かったの?お父さんをあんなに煽って』


…ああ、何かと思ったら昼間の事か。
すっかり忘れてたわ。親父に監視付けた方が楽かもな。
綺麗な黒髪を指に巻き付けながら、口を開く


「良いんだよ。俺は卒業後には当主を継ぐ予定だし、実際五条に俺を凌ぐ呪術師なんて居ない。
それに、刹那の言う原作じゃあ俺以外の五条も居なかったでしょ?つまり、そういう事だよ」


『……五条悟のワンマンチーム』


「大正解!…弱いなら弱いなりにアタマ使って生き残れよってハナシ。
五条は俺が居ればデカい顔出来るしね。幾ら言う事を聞かなくても、“僕”を頭に据えた方のメリットが大きいって踏んだんだろ。
……俺だって、継ぎたくはないんだよ。出来るならさぁ、なーんにもせず日がな一日布団で寝っ転がってみたい」


勿論そんな事は許されないけど。
それでも、五条悟という重責から解き放たれたあの七日間は、それほどまでに甘美だった。


護るものはたった一つで。
誰の目もなくて。
好きな様に動き回れて。
何をどうしたって文句なんか言われなくて。
…ああ、もう一回やりたいな。


うっすらと危ない思考が心にかかったその時、小さな手が頬を撫でた。
柔らかな感触に頬を押し付けて、上を見る。
刹那の瞳は俺を案じる様な目で、思わず頬が弛んだ


「んふふ、こうして甘やかされるんなら、“僕”が頑張った甲斐もあったなぁ」


『…お疲れ様、悟』


「ありがと。オマエが撫でてくれるなら、直ぐ元気になっちゃう」


『ふふ』


「あ、信じてないな?ほんとだぜ?」


ぷくっと頬を膨らませてアピールしてみた。ほんとだよ?俺、こうして甘やかしてもらうの夢だったし。


だって、“僕”は頑張ってオマエの世界を殺したんだから!


世界の越え方を考えて、世界を越える為の道具を産み出して、世界を殺して、オマエを此方に連れてきて、その果ての報酬がこれならば最高の結果だ。
あれだよね、努力は報われるって正にこういう事だと思う。
再び教師になった暁には生徒に伝えよう。
笑う俺を見下ろす刹那が、眉を下げてそっと口を開いた


『………悟』


「ん?」


『…私さ、家族って、暖かいものだって思ってた』


────あれ、オマエ家族から嫌われてなかったっけ?


だってリビングの写真にオマエ一枚も写ってなかったよね?
親の部屋の写真にも居なかったし。オマエが写ってるのは、鍵付きの引き出しに纏めて放り込んであったよね。
靴箱も年頃の女の子が履きそうな靴はなかった。クローゼットもスカスカだったよね。
そこまで思考して、閃いた。


…ああ、もしかして、大切にして貰えてたって、思い込んでる?


例えば一週間の内に二日、家族の気分が良くて構って貰えたとする。刹那はそれを強く覚えているのでは?という推測だ。
そうなるのはある意味当然とも言える。だってもう家族居ないし。
居なくなった人間の思い出は美化されて、良いものになりやすい。恐らくはこれもそうなのだろう。
刹那はきっと、愛されたかった。
でもその愛を貰えず、自分は確かに家族から愛されていた、と記憶を美化しているのだ。


『…悟が、悟のお父さんに感情を与えた覚えはないって言われてるのを見て、すっごくさびしかった』


ぽつぽつと言葉を落とす刹那に、笑みが零れそうになるのを堪えた。
……俺の推測が確かなら、これ以上はないほど“イイ”状態だ


『……悟、こんなに色んな感情を見せてくれるのに。それを、家族が否定するって…なんか、やだよ』


「………」


静かに身を起こした。
揺らぐ菫青を見つめながら、柔らかな頬をそっと手で包み込む。


「……ごめんね、刹那。俺、ああいう態度取られるのが普通だったからさ。オマエのやだが判んない」


『………』


多分オマエが描いてる暖かな家族って、テレビとか友達から得た理想像だと思うけど。
それを伝えようとして思い留まる。
わかる。これを馬鹿正直に言ったら流石に刹那も怒るよね。
怒らせたくないし、こんなに都合の良い状態を使わないなんて勿体無い。
だから家族への追及は止めて、別の方向にシフトした


「でも。でもね、刹那。
……刹那が俺を思って悲しんでくれるのは、すっごく嬉しいよ」


囁いたのは、悲しんでくれている事への喜び。
それはあくまで共感してくれている事への反応となり、刹那から見れば歪だろう。
でもそれが正解だ。
…ほら、悲しそうな顔の癖に、目には光が宿った。
自分の感情を認められて嬉しいって隠せないの、かわいいね。


「ああ、かわいい。本当に可愛いね、オマエは。
刹那が気にする事じゃないんだよ。此処はそういう場所だから。
俺はそういう家で産まれて、そういう教育を受けたってだけ。
確かに此処に居る間は、俺は機械みたいだったよ。
でも大丈夫。今はもう、感情がある。
…それじゃあだめ?刹那はまだ、かなしい?」


愛情に飢えた人間の掌握は、簡単だ。
求められるままに、蜂蜜の様に愛を注いでやれば良い。


『…かなしいけど、だいじょうぶ』


「……ふふ。かわいい。あいしてるよ、せつな」


そして愛を口にしてやれば、ほら。
小さく笑う刹那に、そっと唇を重ねた。















「おやすみ、刹那」


『うん。おやすみ、悟』


二組用意した布団に転がって、目を閉じた。
今日は色々あったし、何より幼い身体に慣れるのに時間が掛かった。
明日からはもう少し楽になるか。いやならないな。寧ろ明日からが大変だろう。


恐らく明日、親父は動く。


いや、親父は唆すに近いか。俺に直接脅されている以上、下手には動けないだろうから。
この時期ってなんかあったっけ。家を出るまで特に問題なかったと思うけど。
…まぁ、明日は刹那にポチを張り付かせて警戒するか。


そこまで考えて、隣の布団から、静かな呼吸が引き攣ったのが聞こえた。


大方現状を冷静に考えたとか、そこら辺だろう。
そもそも何で一人で寝られると思ったの?馬鹿なの?
俺が七日間ずっとくっついて寝てたの忘れた?


「刹那」


可愛いお馬鹿の名をそっと口にする。
もぞもぞと此方に顔を向けた刹那の瞳から、ころりと涙が転がり落ちた。
それを見て、口角が上がる。
そっと、布団が持ち上げてやった


「おいで」


無言で潜り込んできた刹那の肩に布団を掛けて、不安そうな顔を覗き込む。
揺らぐ菫青に、優しく声を掛けた


「怖いよね…でもね、大丈夫だよ。
なんたって君には、最強の僕が付いてるからね」


刹那を助けたのは“僕”だったからか、その一人称にしてやると表情が和らぐと気付いたのは何時だったか。
まぁ俺が刹那の精神安定剤である事は確定なので、無理して僕という必要もない。
でも今は、この口調が安定していないアピールは重要だと思う。
真剣に話す時、わざと僕であった事をちらつかせる。僕と話す事に慣れていたのだと匂わせる。
不測の事態でこうなってしまったのだと、それでも俺は刹那を護ろうとしているのだと、そう印象付けるのは大事なのだ。
人間は情に弱い。己よりも、愛する者を優先する主人公に人気が集まるのはその為だ


『………さとる』


「なぁに?」


勝手に甘ったるくなる返事。ウケる、気持ち悪いぐらい甘い。
自嘲する俺の前で、涙が一粒溢れた。


『わたし………ひとりに、なっちゃった』


「……違うよ、刹那」


まろい頬を伝う涙を、そっと指先で払ってやる


「俺は……僕はずっと、刹那の傍に居るよ。だから独りぼっちじゃない。オマエを独りぼっちになんかしやしないよ。
…好きなだけ泣きな。今の僕達、ふたりぼっちなんだから」


…もう一度ふたりぼっちになるのも良いよね。
そんな事を思いながら、更に流れた涙を唇で吸い上げた。
恥ずかしいのか俯く刹那の顎を救い上げ、微笑んでやる


「ひとりじゃないよ。俺が居るよ」


言い聞かせる。
優しく、甘く。甘やかされるのがいっとう好きな愛しい女に、何度も。
次第に不安そうだった顔が、少しずつ安堵の色を滲ませていく。
…ああ、かわいい。
愛を知らない俺でも簡単に堕とせる程に傷付けたコイツの家族には、本当に感謝しか浮かばない。


「可愛い刹那。大丈夫だよ。僕が居る」


目尻の涙を吸い取って、最後に優しくキスを唇に落とした。
少しだけ温度を残す様にゆっくりと離れると、白い頬がじわりと染まる。


『…………ありがと』


吹けば飛びそうな弱々しい声に、ゆるりと微笑んでやる。
すると恥ずかしいのか、菫青が泳いだ


「ふふ、もっと泣いても良いんだよ?泣き止むまでずうっと慰めてあげる」


『…恥ずかしいから、もう遠慮する』


遂に俯いて動かなくなってしまった刹那。
抱き込んだ身体はぽっぽしていて、照れているのは明らかだ。
暫く待ってみたが、旋毛を眺めるのも直ぐに飽きが来る。
なのでカマを掛けてみる事にした


「……んふふ、もしかして」


『え、なに?』


「刹那、俺の事好きって気付いちゃった?」


『…………………………えっ』


ぶっちゃけオマエあの七日間の内に俺に惚れてたっぽいけどな。
それを指摘せずにこにこしながら聞いてみると、刹那はぴたりと固まった。
それから数秒。


『〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ』


真っ赤になった刹那に馬乗りになる。
ああ、真っ赤になって目をうるうるさせて、美味しそう。
思わず舌舐りした俺に、こくりと小さな喉が上下したのが見えた


「んふふ、じゃあ身体に聞いちゃおっかなー」


『は?ちょ…………』


すっと手を寝間着の合わせに伸ばした。ゆっくりと布地の下に指先を侵入させて、柔い肌に俺の体温を馴染ませる。
熱を持つ身体は間違いなく、俺に興奮しているという証拠だろう。
これなら合意と捉えて問題ない。
先に進もうとした俺の手首を、小さな手が掴んだ。
真意を探る為、じっと潤んだ菫青を見つめる。


…拒否、じゃないな。
ああ、気持ちいいのが怖いのか。


ゆっくりと顔を近付けて、微笑んでやる


「大丈夫、こわくないよ。
“大切にするから、刹那を全部ちょうだい?”」


そっと、言の葉に呪力を乗せる。
そうとも知らず、彼女は応えた


『……………“うん”』


こんな曖昧な言葉遊びは縛りになり得ない。ただ、呪力を帯びた言葉は身を縛る。
その身に染み込む。軈ては身体に溶け込んでいく。
俺の手首を掴む手が、布団に落ちた。
その手に指先まで絡め、俺は笑った


「うん、いいこ。
一緒にきもちよくなろうね」


────ごめんね。
気持ち良くしてあげるから。












三月二日 深夜


『あっ、あっ、ぅ…んっ』


「かわいい。かわいいね刹那」


此方に背を向ける刹那に覆い被さって腰を振る。
薄い背中に吸い付きキスマークを付けると、その度にひくりと波立った。


『さとる…さとるっ』


ぐちゃぐちゃと肉壁をこそがれ、甘い声が静まった部屋に良く響く。正面とは当たる場所が変わるからか、締まりが良い。
気持ちいい。気持ちいいのだけど。
ただ、不安そうに俺を呼ぶのが気になった。


「刹那、どうしたの?言ってごらん?」


とん、とん、と甘やかす様に奥をノックしながら問い掛ける。
その動きにきゅううとナカを締めながら、刹那が此方を振り向いて、囁いた


『ん……かお、みたい』


「後ろ、苦手?」


『ぅ、ん……なんか、やだ…』


どうやらお姫様は正面からが好きらしい。
ゆっくりと自身を抜いて、布団に崩れ落ちた華奢な身体を引っくり返す。
それからもう一度、ずぶりと奥まで貫いた


『んー……っ』


「あー、キッツ…でもほら、直ぐに奥まで咥えられる様になったね。いいこ」


ぎゅうっとしがみついてくる華奢な身体を抱き返して、ぐうっと腰を押し込んだ。
子宮を持ち上げる様な動きに細い腰ががくがくと揺れる。
目の前で、刹那が恍惚とした表情で背をしならせた。


『あっ、んぅ…ん、んー…っ』


「気持ちいいね。いいこ、もっと気持ち良くなって?」


枕元の行灯がぼんやりと照らす中、白い肌が艶かしく光を浴びている。
ぐちゅりと接合部から水音がして、刹那の腰がひくりと震えた。濡れた菫青が、俺を映す


『さとる…きもちぃ…?』


「ああ。堪んない」


『……そっか…よかった』


ふにゃりと笑った刹那が可愛くて、無防備な口を荒らす事にした。
短い舌を舐め回してから頬肉をなぞり、歯茎を伝う。
それから上顎の奥を擽って、最後にじゅるじゅると舌を啜った。
びくびくと跳ね回る身体を押さえ込み、とん、とん、と奥を刺激する。


『っん…ふ…ァ、あっ、んん…ッ』


「ん……イキそ?良いよ、イキな」


ぐーっと押し込んで、ついでに皮を剥いた肉芽をぐりぐりしてやる。
すると重なる快楽に耐えきれなかったのか、刹那の身体が大きく跳ねた。
背中に小さな爪が立てられて、走る痛みに酷く興奮した


『あっ、や…あっ、ああ……っ!!!』


「っ……フーーーーーーー……」


ぎゅううっと締め付けられ、腹筋に力を込めて射精感をやり過ごす。
軈て、食い千切る様な締め付けから肉杭を味わう様に蠢き始めた蜜壺を軽く揺すりながら、今にも気をやってしまいそうな刹那の頬を撫でた。
うん、俺も正面から抱くのが好きだな


「もうギブ?あと一回だけ付き合ってよ」


『…なんで…イッてないの…』


「ごめんね。俺遅いから」


というかもっとナカに居たいから耐えたが正解。遅漏かは知らない。
行かないでと追い縋る蜜壺からギリギリまで引き抜いて、それをゆっくりと根元まで押し込んでいく。
決して速くはないストロークは、だからこそまざまざとその形を刹那に教え込んでいく。


『ん、んんっ、ぁ…んんっ、あぁ…ッ』


甘い声がうっとりと音色を奏でる。
奥まで深々と貫く度に、細い腰が迎え入れる様にぐっと押し付けられた。
慎ましやかな胸に顔を寄せる。白い肌に浮かぶ汗を唇で掬って、胸の先端を舌先で擽った。


『ぁう…んんっ…あぁ…さとる…きもちぃ…』


「気持ちいいね。俺も最高だよ刹那」


蕩けた顔で俺を見つめる可愛い刹那に、甘やかす様なキスを贈った。
じゅぶじゅぶと少しだけ速いテンポで腰を打ち付けながら、快楽に溺れる彼女にそっと囁いた


「ねぇ、刹那。“此処には俺しか迎え入れちゃダメだよ”」


『“うん”…あっ、ああっ!』


刹那はまだ術式を使った事がないからか、呪力が外に漏れ出している。
だから────俺が言葉に呪力を込めてしまえば、本人の意思はどうあれ縛りを結ぶ事が出来るのだ。
縛りの恩恵として急に感度が上がったのか、目を白黒させる刹那に俺は微笑みかける。


「いいこだね、刹那。…ほら、まだまだイこうね」













すやすやと眠りに就く刹那の身を清め、俺も襦袢を身に纏った所で、そっと障子に手を掛けた。
ほんの少しだけ開けて、そこで平伏する男を睨み付ける


「…これで満足かよ。気が済んだなら消えろ。次はねぇ」


「っ……失礼致します…ッ」


逃げる様に去った男に舌打ちが漏れる。
御丁寧に部屋の外から聞き耳立てやがって、御添寝役か。
…まぁ良い。顔は覚えた。
障子を閉めて、布団に戻る。
暗い部屋をぼんやりと照らす行灯の明かりを眺めながら、思考する。


これが逆行なら、これから俺はもう一度、あの呪いの世界を進む事になる。


それは別に良い。寧ろ丁度良い。
ただ、刹那をそこに加えるとなると、色々と変わってくる。
俺だけならば獄門疆を奪取して終わりだけど…刹那をこのまま巻き込めば、確実に傷を負う。
俺が望むのは、刹那が傷付かない事。
そうなれば、俺がすべきなのは。


「…虎杖悠仁、それから夏油傑、伏黒恵もかな」


コイツらを始末すれば平和になるだろう。
虎杖悠仁の場合は、何故脳味噌があの一家を狙ったのかが判らない。
ただの確率論で虎杖悠仁が産まれたのなら、手当たり次第に女を孕ませれば良かった筈だ。
そうすれば今頃メロンパンの穴兄弟と棒姉妹が大量発生しているだろうし、メロンパン♂とメロンパン♀産のガキが世に蔓延っていた筈だ。その方が因子もあるのだし、色々使えて便利だったろう。
でもヤツはそうしなかった。
つまり、最初から宿儺の器の生産の方法を知っていたか、或いは虎杖仁を使えばソレを作れる可能性が高いと考えていた。
そうならば、虎杖の血に関係があると見て間違いはない筈だ。


それならば、一家丸ごと消した方が早い。


例え脳味噌の入った女を殺せなかったとしても、宿儺の器が消し去れるなら、それで良いだろう。
念の為に虎杖の歴史を遡って系譜を全て潰せれば上々。名を連ねない零れ種が居る可能性は否めないが、それは新たに出てきた時に対処すればそれで済む。
夏油傑も同じだ。
ヤツに乗っ取られる前に、身体を消し去れば良い。ただ百鬼夜行は面倒だし被害が大きいから、今の内に。
伏黒恵は両面宿儺に目を付けられていたから、万が一も考えると消した方が楽。ああ、伏黒津美紀も独りは嫌だろうし、一緒に消そう。
あとは呪術高専を裏切る与幸吉。ヤツも消す。メカ丸も残さず潰して…あとは火山頭と雑草か。それから蛸。
ヤツらは恐らく随分昔から居る呪霊だ。昔から畏れられる場所をピックアップして捜せば、祓うのは難しくない。
問題は真人とかいう呪霊だけど…アレは何時産まれたのかが特定出来ない。
そうなると、逆に泳がせて被害を拡大させ、場所の特定をした方が早いか。
…うん、これで取り敢えずの憂いは消せるだろうか。
この辺りを消してしまえば、所謂原作は起こらなくなる筈だ。
実際俺になら出来る。与幸吉も虎杖悠仁も今は二歳か三歳のガキだ。夏油傑も、火山頭と雑草だって今の俺なら問題ない。
夜に紛れ、ターゲットを特定して、蒼で潰せば────そこまで考えて、腕の中ですやすやと眠る女に目を落とした。


「……でもそうしたら、オマエは泣いちゃうよなぁ」


刹那はきっと、あの世界を愛していた。
そして、生徒を大事にし、呪いを祓う“僕”が好きな様だった。
そうなると、ヤツらを殺す訳にはいかなくなる。
だってもし刹那に虎杖悠仁達を殺したのがバレてしまえば、もう二度と柔らかな笑みを向けて貰えなくなるかもしれないのだから。


「面倒だけど、生かしたままか…」


教師って面倒なんだけどなぁ。
でもそんな俺を好きになったなら、俺はその期待に応えるしかないのだろう。













三月二日 朝


刹那は術式を持っているが、呪力は何故か外向きだ。
術式を使った事がないからだろうか。
取り敢えずは漏れ出す呪力を内側に向ける。そうとなれば、呪力をどんな時でも一定の量にするべきだ。
俺は膝の間に座らせた刹那を抱え込み、顔を覗き込んだ


「ほーら、乱れてるよ」


『…そう思うなら、もう少し離れて』


「やぁだ♡…ふふ、かぁいいね。俺の事好きーって顔、してるよ?
…昨日の事、思い出しちゃった?沢山イッちゃってたけど腰痛くない?」


『あーあーセクハラ!!!』


かわいい、照れてるなぁ。
刹那は眉を吊り上げつつも、呪力を操作しようと頑張っている。
あー面白い。正直言うと、呪力の使い方なんて教えちゃいないんだから、余程の才がない限りは無理だ。
今のこれはただの暇潰しでしかない。
下手に教えて昼までにバテちゃ困るし。


「こーら。どんな時でも呪力は一定。ブレブレじゃん、お仕置きされたい?」


『…ツカモト的なのはいやだ…痛そう…』


「あんなのさせるかよ。オマエを傷付けるなんて例え訓練でも呪骸でも許さねぇ。
……でも、そうだな。俺に抱かれてるって意識しちゃうと恥ずかしくて呪力操作どころじゃないみたいだし……アイツ置くか」


『言い方ぁ…』


ポチは四匹で集まって人生ゲームをしていた。それオマエら人格とかどうなってんの?全部ポチが一匹で動かしてんの?
それとも全員ポチの人格が入ってる感じ?


「一号、オマエ刹那の膝に乗って。呪力が乱れたら声出してね」


《わかった!》


たーっと走ってきたのは30cmぐらいの“僕”のぬいぐるみだ。ソイツはぴょいと刹那の膝に飛び乗った。


《パパ!》


『…ふふ、悟、パパだったの?』


「ん?…ああ、ソイツの言うパパはオマエだよ」


『え???』


ああ、そういや刹那はコイツが何なのか知らないのか。
もしポチが、オマエを得る為に“僕”が産み出した存在だって聞いたら、オマエはどう思うんだろう。
驚くだろうか。それとも嫌悪する?
…まぁ良いか。それをバラす必要なんてない訳だし。


「ポチ、刹那は?」


《パパ!》


刹那を指せば元気良く返ってきた言葉。
次に、俺を指してみた


「じゃあ俺は?」


《ママ!》


『まま…??????』


「wwwwwwwwwwwwwwwwwwww」


ぽかんとする刹那の顔が傑作で、堪らず爆笑した。
うん、そうだよ。俺がコイツのママだよ。
だって“僕”がソイツの伝承のある土地に赴いて、鋳型に呪力を注いで産み出したんだからね。


『…わたし、パパなの?』


《パパ!》


『そっかぁ…パパかぁ』


何故だか納得している刹那にぬいぐるみが寄ってくる。
わちゃわちゃと狭い膝を占拠したポチ達が口々に言葉を発した


《パパ!》


《パパ!》


《ママ!》


《まぱ!》


「オイ一匹可笑しいぞwwwwwwww」


《まぱ?》


《まぱ!》


《パパ!ママ!》


《まぱ!》


「あ、そうそう。これぜーんぶ呪力乱れてるよーって警告だからね?」


『いや判んないからね???』


あれ、俺ポチが鳴いたら警告だって言わなかったっけ?












三月二日 昼


「あの娘を婚約者にすると通達を出した」


「ありがとうございます」


大広間で親父と向かい合い、形ばかりの礼を述べた。
面隠しもない顔を見つめる男は無表情。
しかしその眼には此方に対する嫌悪が浮かんでいて、やはり親でもこんなものかと内心嘲笑った。


「話はそんだけ?もう戻っても?」


「大須より縁談が申し込まれている」


「へぇ。で?俺には婚約者が居るんだ。もう関係無いだろ?」


にこりと作り笑いを浮かべ、出方を窺う。
そう、仕掛けてくると判っていた。


だから今、刹那から離れたのだ。


勿論ポチを付けているから、問題ない。
万が一が起きそうならば、直ぐにぬいぐるみから出て相手を殺せと命じてある。
親父の言う大須といえば、五条傘下のそれなりに大きな一族だ。
前はそんな家から申し込まれた覚えなんてない。
やはり、この雑魚が直々に話を持ち掛けたんだろう


「……通達は出した。だが、」


上座に座った男が、醜悪な笑みを浮かべた


「それは、家令が判断して下々に通達するそうだ。
……婚約者の名が大須に代わろうが、問題なかろう?」


外が急に騒がしくなった。
同時に笑みを深めた男に、溜め息が零れた。
────馬鹿だ。
我が親ながら、此処まで馬鹿だとは知らなかったな。
もう少し賢いと思ってたんだけど、買い被りすぎたか。
ゆっくりと立ち上がり、無感情に男を見下ろした。


「…俺、言った筈だけど」


静かに距離を詰める。
だん!と直ぐ傍に脚を振り下ろし、眼を見開いた男を真上から見下ろした


「刹那に手を出したら、殺すって」


「………………っ」


真上から降り注ぐ殺気に男が息を詰めているのを感じる。
じいっと睨め付け、それから殺気を仕舞った。


「次はない。覚えとけよ、アンタの首を俺に替えるのなんて簡単だってさ」


足早に部屋を出て、騒々しい方に足を向ける。
大きな梅の木が鎮座する中庭に人集りが出来ていた。
それを見て、口角が上がる


「…へぇ、初めてにしては上出来じゃない?」


凍り付いて氷華を咲かせた梅の大木。
漣の様に氷が波立つ地面。
そして、片腕が凍った使用人と、腕を振り上げた状態で凍り付いた男。
うん、良い感じ。
ちょっと威力をセーブ出来てないみたいだけど、初めてにしては上出来だ。
それにまだ術式を展開しているんだろう、雪が降り注いでいるのがその証とも言える。


「悟様は何故この様な小娘を」


「さっさと殺してしまえば」


「術式もまともに使えぬのか。これだから女は」


「早く術式を解け。その方は悟様の────」


雑魚の言葉に首を傾げた。
大体その女なに?使用人じゃないの?
…ああ、もしかして、さっき親父が言ってた大須のヤツ?
でも使用人の格好してるし、そう扱っても問題ないよね?


「早く私を助けなさいよ!私は悟様の婚約者なのよ!?
とっととあんなブス殺せば良いじゃない!!!」


「早く片付けろ!」


「悟様に見付からない様にすれば────」


どうやら正解らしい。雌猿がキイキイと喚く中、使用人が座り込む刹那の腕を乱暴に掴んだ。
その瞬間に手が凍って悲鳴を上げた男を良い気味だと笑って、中庭に降りる。


「────ねぇ、何してんの?」


そもそも雑魚が囲んでどうする気なのか。
幾ら制御出来ていないとしても、刹那が身に刻んだ術式は一級品だ。
しかも術式をまだ起動させたまま。雑魚じゃどうしようもない。
だからオマエらのそれ、凍死の順番待ちにしか見えないんだよね。
雑魚ってほんと相手の実力もちゃんと把握出来ないんだな、ウケる。


『………さとる』


弱々しい声が俺を呼んだ。
そちらに目を向けて、微笑んでやる。
いいこだ、泣かないで頑張ったんだね。偉いよ刹那


「遅れちゃってごめんね、刹那。……なにオマエ勝手に刹那に触ってんの?汚れんだろ、離せ」


「あ、ぎ………ッ!!!」


刹那を掴んだままで凍り付いた男の腕を、もう要らねぇだろとぐちゃぐちゃにして引き剥がす。
のたうち回る男を放置して、刹那の前でしゃがみ込む。
うんうん、良いね。良い感じに弱ってる


「こんな所で座り込んじゃダメだよ。風邪引いちゃうよ?」


「悟様!その女はわたくしと護衛を急に術式で……」


「あ?話し掛けんなブス。…刹那、暖かいトコに行こっか。はい、首に腕回して」


『……でも』


「だいじょうぶ。ほら、おいで」


大方触ったら俺まで凍らせてしまいそうで怖いってトコだろう。
でも大丈夫、俺最強だから。
にっと笑った俺に安堵したのか、そっと刹那が身体を寄せてきた。
華奢な身体を抱き上げると、寒いのか身を寄せてくる。
可愛い仕草を笑ってから、体温の下がっている刹那に声を掛けた


「寒かっただろ。早く部屋に帰ろうね」


『……さとる。…わたし、ひどいことしちゃった』


小さな呟きに、思わず口角が上がる。


「大丈夫、俺に任せろ。……ちょっと疲れちゃっただろ?後は俺が片付けるから、少しお休み」


とん、と額に指先を押し当てる。
呪力を流し込み、閉ざされていく菫青を見送ってから、俺はゆっくりと振り向いた。


「…さて」


「悟様!お助け下さいませ!」


キイキイと煩い猿を見下ろした。
目が合った事で助けてもらえるとでも思ったか、笑みを浮かべた女。
その奇妙な存在に、かくりと首を傾げた。


「使用人がガタガタ抜かすな」


「いいえ、違います!わたくしは大須桃子です!貴方様の婚約者で────」


「俺の婚約者、この子なんだよねぇ……次期当主に嘘を吐くんだ、覚悟は出来てんだろうな?」


凍り付いた男に手を伸ばす。
ごきゃぐぎゃと耳障りな音を立てて、頭部が大きく形を崩した。
それから無限で粉々に砕かれた氷の像に震える女を見下ろして、俺は背後に現れた二人に指示を出した


「椿、山茶花」


「「此処に」」


「大須の一族郎党捕らえろ。あとは…」


のたうち回る男と、後ろで部外者みたいな顔をしている男。それから雌猿の後ろに立つ女を指差した


「そこの男と、あっちの男と、あの女。アイツらもだ」


「なっ、何故ですか悟様!」


「何故私達が…!!」


「だってオマエら、刹那を侮辱しただろ」


座敷牢に入れろだの、俺に見つからない内にだの。
人集りに紛れれば判らないとでも思ったのなら、随分目出度い頭だと思う。
せっせと双子が馬鹿をふん縛っているのを見つつ、逃げようとしている雑魚に目を細めた


「ポチ」


《ワン!》


くまのぬいぐるみに入ったポチが、此方に背を向けて走り出した女を蹴り飛ばした。
地に伏せた女をふんす!と鼻息荒いくまが踏んでいる。


「…さて、オマエらも身の振り方は考えとけよ」


これでもまだ従わないと言うのなら、潰すまで。
震えて腰を抜かす雑魚共を尻目に、踵を返した














三月二日 夜


「アイツら、何処に押し込むのが良いと思う?」


夜、双子の家の居間で地図を広げて話し合う。
順調に捕らえた雑魚は、弱いが数だけは多い。それならば有効活用したいと思うのが人として当然だろう。
活用先が見付かるまでは、取り敢えずは座敷牢にでも入れておきたいところ。
案を募れば、椿が地図に指を乗せた


「此方なら地下に大きな洞窟があります。今の人数を収容するのは可能かと」


「長野……ん?此処って…」


何気無く覗き込み、とある土地の名が引っ掛かった。
携帯を開き検索する。表示された結果に、俺は口角を吊り上げた。


「良いね。此処にしよう」


「ぼっちゃま、また悪巧みですか?」


「失礼だな。計画って言えよ」


「そもそもぼっちゃまが一族郎党とか言い出すから入れる場所で難儀してるんでしょう」


「おい山茶花。ぼっちゃまが此方の都合を考えないのは何時もの事だろう」


「オイ椿、オマエも失礼だって気付けよ」


口の減らない双子を睨んでから、袖に入っている物に触れた。
────使い道、きーめた。











三月五日 夜


「今の内にあの小娘を生け捕りにしろ」


「今夜は悟様は任務で出ている。あんな小娘、捕らえるのは容易い」


「捕らえてどうする。殺した方が早いだろう」


「馬鹿め。あんな貧相な小娘でも術式持ちだ。呪力も豊富にある。何処かの家に高値で売れば────」


「────へぇ、随分楽しそうな話してるじゃん。俺も混ぜてよ」


にっこりと笑って、暗い部屋に集まった男達に近付く。
悲鳴を上げる前に締め上げて、呆れ顔の双子に力の抜けた身体を放った


「ぼっちゃま、五条の使用人を根絶するおつもりで?」


「コイツらは当人だけで良い。あんまり捕まえると収容所がパンクするし」


「大体あんなに詰め込んで、一体どうなさるおつもりですか?」


山茶花の問いに、にっと笑って返してやった


「イベントの準備だよ」














三月六日 夕


書庫で呪術書を漁りつつ、考える。
四日前のあの事故は、俺が狙ってわざと傍から離れたのだと言ったら。
刹那は、怒るだろうか。
確かに少々乱暴だった事は認めよう。でも、アイツの呪力の向きを変えるには、術式を使わせるのが一番だと思った。


そして術式を使わせる簡単な方法は、命の危機に晒す事。


勿論本当の危機じゃない。
刹那が術式を使う事が出来なければ、あの男をポチが殺すだけの話。
けれど、それを本人に知らせずに危機に瀕する事が必要となる。
その結果、刹那は無事に術式を発動させ、呪力の向きも術師のものとなった。


「……温度使役術式」


とある古書に載っていた詳細に目を通す。
自身の体温で周囲の水分を操る術式。術式反転を使えば炎も操れる。
対価としては肌の上で温度変化をする為、度を越せば細胞が死ぬ事か。ただ少量の呪力であれだけ凍らせるなら、恐ろしくコスパの良い部類に入る。
それだけ強力な術式ならば、代償が大きくても頷けた。
しかし、驚くべきはそこじゃない。


なんとこの術式、加茂の分家の相伝らしい。


勿論刹那は生まれが違うので、加茂の流れなんて汲んじゃいない。
加茂の分家であるとでっち上げれば婚約も楽になるかと思ったが、別の面倒が生まれそうなのでやめた。















三月十日 昼


五条の武道館。
畳に正座した刹那と向き合いながら、俺は指示を出した。


「じゃあ、ちょっと呪力を出してみて」


『はい』


目を閉じた刹那を眺める事一分。
出るどころか揺らぎもしない呪力に、予測通りだと一つ頷いた


「全然ダメね」


『…ごめん』


「謝んなって。オマエは言わば、ある日突然呪力に目覚めちゃった非呪術師なんだよ。というかそれよりもっと感覚的に判りにくいと思う。そもそもアッチとコッチじゃ理が違うし。
だから、オマエは呪力の引き出し方も判んなくて当然なの」


呪力の動かし方さえ教えていないのだ、そんな状態で呪力を使える筈がない。
笑う俺を、刹那がぽかんとした顔で見つめている。
あ、これは悪口言うって思ってたな?
言葉にせずとも伝わる心外な感想に、俺は口を尖らせた


「あのね、これでも人生二週目よ?しかも一回目は教師。迷える子羊に知恵を授け、導く立場だったワケ。
そんな俺からしたら、今のオマエは赤ちゃんどころか卵なの。
才能云々の前に、せめてひよこにはなって貰うよ」


『私は産まれてすらなかった…???』


「俺が大切に暖めてる卵ちゃんだよ。大事にしてあげるから早く産まれておいで。
…さて、刹那は呪力の源は知ってる?」


彼方で熱心に原作を追っていた様だから、恐らくは理解しているだろう。
案の定、刹那は視線を宙に投げてから答えた


『えーと、怒りとか悲しみとか、負の感情』


「そ。引き出す鍵は人それぞれ。
まぁ負の感情のどれでも呪力を引き出せる様になるのがベストだけど、そういうのが出来るのは呪術師の家に生まれたヤツらとか、一級のレベルだし。
初心者コースとしては、特定の感情を鍵にするのがオススメ」


『悟は?』


「殺意かな。…あは、冗談だって。そんな怯えないでよ。
じゃ、話を戻すね。
今までの刹那はさ、非術師と同じで呪力が外に放出されてる状態だったんだよね。
力の向きを変えようと思ってアイツらを握らせてみたんだけど…術式を使った後の呪力の向きが、内側の循環になった。
つまりは完全に呪術師の構造になったんだよ。それなら話は早い」


いや冗談だよ?ほんとに。
というか呪力なんて簡単に起こせるから、最早感情とか考えるのも忘れてた。
息する様に殺意を抱けるって事かな?はは、イカれてるって?知ってた。


「刹那は先ず、どの感情が呪力を引き出しやすいのかを調べよっか。
呪力の揺れ幅が大きければ、その感情が一番心を揺らしてるって事だから、取っ掛かりにしやすいと思うよ。
それから呪力操作に取り組んでもらって、最終的に小さな感情で呪力を引き出せる様にしたいかな」


とは言え呪術初心者には難しいか。
顎を撫でつつ、手頃な所を探す


「うーん、一番メジャーなのはやっぱ怒りかな。刹那、ちょっと怒ってみて」


『えっ』


「イラッとしたのを思い出す、とかでも良いよ」


どんな些細な感情でも良い。それで呪力が動かせれば取っ掛かりに使える筈。
…そう思ったのだが、刹那の呪力はほんの少し揺れただけだった


「んー………いやゆらっとしただけだわ。怒りの感情が薄過ぎない…?
え、待って刹那って怒れる…?
脆弱すぎて怒り方すらもひ弱なの…?え?可愛いね…?オマエを構成する遺伝子がもう脆弱すぎて可愛いね…???
もう存在が愛しいね…???」


『すっっっっっっっごいいらっとした』


「え???なんで???」


いや怒る理由謎過ぎない?
褒めたのに怒るの?ツンデレ?
そんな事を思いつつ観察するが、やはり呪力は僅かに揺れるだけだ。
明確に掴める程の揺れには至らない。


「ダメだ、ゆらゆらーってして、止まった。…刹那、怒るの苦手だったりする?」


『うーん、疲れるからあんまり好きじゃないかな。もう良いやって諦めちゃう』


「へぇ………………………」


『なに?もう言いなよどうせ馬鹿にしてるんでしょ』


「怒り続ける体力のなさと許しちゃう甘っちょろさが可愛いね」


『とてもイライラする』


「紛う事なき本音なのに…???」


さっきから本音にキレるじゃん、何で???
だって怒りを持続させられないのは疲れるからでしょ?そんで妥協しちゃう甘さがあるからでしょ?
それを可愛いって言っただけなのにキレんの?不思議な生き物だね…???
とは言え直ぐに鎮火してしまう怒りでは、呪力の感覚を掴むのが難しいのは確か。
むむ、と頬を挟み、口を突き出す


「多分、刹那は怒りの鎮火の速度が早いんだよね。アンガーマネジメントってヤツ。それを無意識下に行ってる可能性が高い。
そういうタイプは怒りじゃなくて、他の感情から攻めるのがベストかな」


『怒りにくいのって、呪術師としてダメ?』


「ダメじゃないよ。別にどの感情が攻撃力上がるとかそんな設定ないし。
好きな感情で呪霊祓えば一緒だろ」


殺意だろうが何だろうが、呪霊を祓う感情に違いなんざないでしょ。
へぇ、と呟く刹那の前で、指を立てて揺らした


「じゃあ……次!悲しいこと!」


『五条悟が予想以上に煽リストだった事』


「あ゙?????????」


煽リスト?は???どこが???
ちょっとそう感じた部分を三千字以内に纏めて提出して欲しい。
…ていうか人の事モヤッとさせておいてコイツ別の事考えてやがるな?
思考を飛ばしている様子の刹那の額を、指で軽く弾いた


『いたっ』


「集中しな。育ててあげるけど、出てこないなら此方からナカに突っ込むよ」


『言い方やらしいのどうにかならない?』


「なぁに?欲求不満?判った、今夜セックスしようね」


『たまに自分が日本語話してるのか自信なくなるんだよね』


「安心して、刹那の言葉を聞き逃すなんてしないよ」


『会話の大事な所拾い損ねてるよね』


溜め息を溢した刹那に堪らずニヤついてしまう。だってからかうの楽しいんだもん。打てば響くのって良いよね。
一頻り笑ってから、すっと真面目な顔を作った。
俺の雰囲気に釣られたんだろう、背筋を伸ばした刹那に向けて、静かに告げる


「…正直な話、刹那はこの辺りなら呪力を揺らしやすいと思ってるよ。
悲しさ、怖さ……ゆっくり考えてごらん」


菫青が閉ざされる。
俺はその身を包む呪力に注目した。
先程よりも確かに揺れている。けれどまだだ。まだ、掴むには足りない。
……仕方無いなぁ、脅すか。


「……もう少し、かな。ねぇ、刹那」


柔らかく呼び掛ければ、閉ざされた目が開いた。
菫青が俺を捉え、驚愕に見開かれる。
敢えて殺気をぶつける俺に、細い喉がひくりと引き攣った音を漏らした


「甘ったれんな。出来ねぇなら捨てんぞ」


『──────っ』


恐怖で緊張が高まった、瞬間。
呪力が一気にうねり、弾けた。


「………うん、術式の放出範囲と呪力の調節は必要だけど、それは追々かな。
良く出来たね、刹那。…怖がらせちゃってごめんね」


それなりに広さのある武道館の中が、見渡す限り凍り付いていた。
ただまぁ無差別な辺り、これは術式の暴走だろう。これからに期待ってトコかな。
無限を解けば、球体状に張り付いていた氷ががしゃがしゃと氷の張られた畳に落ちた。
俯き、微かに震える刹那の頬をそっと包む。
目が合うと、小さな唇がそっと安堵の息を吐き出した。


「ごめんね、刹那。酷い事わざと言った。俺は絶対にオマエを捨てたりしないよ」


『……こわ、かった』


「うん、ごめんね。…呪力を引き出すどころか術式に直通か…才能は100%あるけど、先ずは怖いと直ぐに凍らせちゃう癖、直さなきゃね」


これはなかなか育て甲斐のある素材だ。
今ので呪力の動かし方どころか術式の使い方すら身に付けたのだから、あとは細かい部分を修正すれば問題ないだろう。
小さな身体をぎゅうっと抱き締める。
かたかたと震える腕が背中に回って、俺は笑った


「可愛い…愛してるよ刹那。俺だけはどんな状況になったってオマエを裏切らないし、捨てたりしないよ。
どうか、それだけは信じて」


『………うん』


「ふふ、いいこ」


そっかぁ、俺の言葉だけでこんな揺れちゃうのかぁ。
順調に堕ちてるね、いいこ。












三月十一日 昼


暗い通路の中、ひた、ひた、と足音がする。
ゆっくりと後ろを向いて────びしゃあ!!と血飛沫が舞った


『………………………っ!!!!!』


《こおった!》


「はーいおめでとう、十回目でーす!」


ばきい!!と音を立てて凍り付いたのは、コップに注いであった水だった。
ウケる、これで十個目。カッチカチじゃん。
映画を停めて、凍り付いたコップを掌の上で跳ねさせた


「んー、どうしたもんかな。呪霊相手なら全然問題ないけど、日常生活で不便だろ、コレ」


『……ごめん…』


「謝んなって。此方としては術式使えない可能性も考えてたからね。使えなくて悩むより、使えて悩む方がずっとマシ」


刹那が術式を使える様になったのは喜ばしい事だ。
だが今は、新たな問題に直面していた。


刹那は驚くと、周囲のものを凍らせてしまう様になっていた。


とは言え、恐らく見境なく凍らせる訳ではないだろう。それなら今ので俺も凍ってる筈だし、目の前にコップを置いた無言の誘導にまんまと乗せられているから、恐らくある程度の指向性は通用する。
適当な部屋で刹那にホラー映画を観せつつ術式の特徴を探っている訳だが、推測も修行も難航していた。
ポチと共に凍ったコップで遊びつつ、肩を落とす刹那に目を向けた


「まぁ無差別ってよりは、無意識の内に色々判別して凍らせてるっぽいのがせめてもの救いかな。
これで無差別に冷凍人間作っちゃってたら、流石に矯正難易度ルナティックだし」


『これどうにか出来るの…?』


「んー…」


お手玉を止め、刹那の顔をじいっと覗き込む。
素直に此方を見上げる刹那に笑みを返しつつ、読み解いた情報を口にする


「オマエのコレはオートっぽいよね……誰にでも反応するのか、それとも選別基準があるのか…」


うん、試すのも一興。
細い顎を掬い、唇を重ねた。
丸くなった瞳を見つめながら何度か唇を触れ合わせる。
恥じらう様に菫青が目蓋に隠れた所で、そっと唇を舐めた。
催促に素直に応じた唇の隙間に、ゆるりと舌を差し込む。


『ぅん…あっ……ふ…』


舌を愛でつつ、髪に差し込んだ手で頭皮を擽ってやる。
肩をきゅうっと竦める姿に笑みを溢しつつ、優しくソファー押し倒した。
そのまま腰を押し付けて、華奢な身体を軽く揺らす。
こういう時は着物って便利だと思う。
多分、外から見ても俺の羽織で隠れた刹那の姿は、足先しか見えないだろうし。
気が済むまで咥内を舐め回し、最後に上顎の奥を撫で回してから唇を離した。
…うん、もう良いな。
少し乱れた息を沈めつつ、口許を拭う。
それからぼんやりとした顔の刹那を見下ろして、呟いた


「驚いてもキスじゃ凍んない感じ?それとも俺は警戒対象から外されてんの?」


『………は?』


「この感じからすると多分、俺は警戒対象から外されてんのかな。となると、傷付けられる前にオートで反撃してるって事?
あれかな、オマエが怖いって思ったら出るのかも。んー、あの蛇も面倒なギフト付けたよねぇ…」


呼吸を乱したまま、ぽかんとしている刹那を観察する。術式に乱れはない。呪力は揺れているが、漏れ出した感じもない。
つまり、好意的な相手からの突発的な行為は平気なのか。というよりも負の感情を抱かなければ、オート機能は反応しない?
推測していた俺は、わなわなと刹那が震えていた事に気付かなかった


『さ……』


「ん?どうした?」


『さとるなんか、だいっきらい!!!』


「あ゙?????????」















《パパ?》


《ぱぱー?》


《おこ?》


《おこ!》


「刹那ー?ねーってば、何で怒ってんの?生理?」


『デリカシー無し男……ほんとやだ…』


「えー?俺めちゃくちゃ気ぃ遣ってんのに?」


部屋の隅で丸くなる刹那をぬいぐるみが囲んで、その後ろで俺は首を捻っていた。
いや俺気を遣ってるよね?なんで?何で急に怒ったの?
だって術式の作用範囲を調べられるし、馬鹿も釣れるし、俺も刹那も気持ちいいし、良いことずくめじゃない?それなのにダメなの?
女ってわかんねー。なんで今ので怒ったのか…


『ばか。もうやだ。こっちくんな』


膝を抱えて顔を伏せる刹那の前に、ゆっくりとしゃがみ込む。
取り敢えず、こういう時は此方が折れるべきだ。だってほら、あんまり可愛い態度取られちゃうと、殺したくなっちゃうからね。
何でかな、最近軽率に殺意が沸く。ヤバいよなぁコレ。
一度、静かに息を吐く。
それからゆっくりと、努めて優しい声を出した


「ごめんね?…何でそんなに怒ってるのか、俺に教えて?
俺って人の心の機敏に疎いらしいから、刹那を何でそんなに怒らせちゃったのか、判んねぇんだ」


『………………』


「気が向いたらで良いよ。それまで待ってるからさ」


さて、こう言えば素直で優しい刹那は強硬姿勢を崩さざるを得ないだろう。
あとは刹那が自己嫌悪の末に降伏するのを待つだけ。簡単なおしごと。
のんびりと黒い旋毛を眺めていれば、一つ深い呼吸を落として、刹那はゆっくりと顔を上げた。
綺麗な菫青と視線が絡み、自然と笑みが溢れる


『ごめん、もう大丈夫。…実験の話、聞いて良い?』


「ちょい待ち。その前に何で怒ってたのって話だったでしょ?」


『私が子供っぽかったってだけ。気にしないでよ』


本人は綺麗に笑ったつもりだろう。けれどヘタクソな作り笑いに内心舌を出す。
うーん、そうじゃないんだよね。その隠してる所を晒け出して貰わなきゃ、これ定期的に繰り返しそうだし。
柔らかな頬を包んで、覗き込む。


「あのね、刹那。俺はオマエが何を考えてどうしてそう感じたのか、知りたいんだよ。子供っぽいとか関係ねぇの。
その感情を知りたい。何を感じてどう思って何でそんな言動に至ったのか、全部知りたいんだよ」


何にかは知らないけど、いじけたんだろうっていうのは推測出来る。
そしてそれを言わずに隠せばまた互いにモヤモヤするだけだ。時間の無駄。
まだ迷っているのか揺れる菫青を、逃げるなと正面から見据えた


「刹那、言え」


俺が優しく接している内に、とっとと言え。
軈て真正面からの圧に屈したのか、刹那が溜め息を溢した


『……下らないよ?』


「それを決めるのは俺だ」


『……わかったよ』


もう一つ溜め息を落として、渋々といった体で小さな口が動く


『………悟はさ、何時も余裕そうじゃん』


「まぁ俺最強だからね」


『……えっちの時もさ、余裕そうじゃん』


「リードする側が慌てたらダサいでしょ」


『………………』


そりゃそうでしょ。
明らかに刹那は処女。そんでもって俺も“僕”も童貞だったけど、やっぱりリードする側がもたついたらダサいし、相手に不安を与えてしまう。
だから前に傑が持ってたAVを参考資料として観た。それを覚えていて、あとはざっとネットで知識を集めたのだ。
知らない女があんあん喘ぐのは猿の交尾の観察に近かったけど。
完全に教材感覚で眺める俺に、傑が引いていたのは覚えている。
そんな事を思い出していると、刹那は目を逸らして俯いた。
うーん、口に出さないタイプって難儀だよねぇ。勝手に溜め込んで爆発するの。
オマエ多分、傑とも気が合うと思うよ。


「刹那。そうやって黙りになってマイナス方向に突っ走るのは、オマエの悪い癖だよ」


『……ごめん』


「謝れって言ってる訳じゃねぇ。そのぐるぐる考えてる事全部口に出せって言ってんの」


俯いた顔を無理矢理上げさせた。
泣いてはないけど泣きそうな目許を、親指でそっと撫でる。
暫くあやす様に撫でていると、小さな口がそっと開いた。


『…………凄く嫌な事を聞きます』


「ドーゾ」


『………』


「………」


数秒の沈黙。
それから、意を決した様に言葉が飛び出した


『………………今までの彼女さん達は、やっぱり美人でモデル体型だったんですか…』


………………は??????


え?今なんて言ったコイツ。
今までの、彼女さん、達???
なに?なんで複数系?何をどう考えたらそんな回答に辿り着いたの?
馬鹿?馬鹿だな??馬鹿だよなぁ???
思わずフリーズした俺の目の前で、馬鹿は更に地雷を踏みつけた


『………まさか、私ってセフレ…???』


「────オイ、今の訂正しろ。
幾らオマエでも赦さねぇぞ」


もう無理。赦さない。無理。
此方を見た刹那が小さく悲鳴を上げた。恐らく今の俺に表情はない。
でしょうね、だって俺今キレてるもん。
だからこそ敢えて、口角だけを吊り上げてやった。
目に見えて馬鹿が怯える。うん、赦さない。


「オマエはさぁ、俺の地雷踏むの好きだよなぁ」


『ひっ』


「今までの彼女さん?セフレ?
…はは、面白ぇ冗談抜かすじゃん、ウケる」


ウケる、すっごく面白いよ。
…全然笑えないけどな。
棒読みで空笑いして、怯える刹那を押し倒した。
強張った指に自分の指を絡ませて、這う様に指先を触れさせながら、恋人繋ぎをする。
両の手を床に縫い付けて、顔を近付けた。
鼻先が触れ合う寸前まで顔を寄せれば、菫青が明らかに「地雷踏んだ」と自己申告している。
大正解。オマエは見事に俺の地雷の上でタップダンスしました。赦しません。


「────悪かったな、こちとらオマエしか抱いてねぇし、愛してねぇ。
恋も愛もオマエにとっくに捧げてんだ。有象無象なんか誰が触るか。
俺はオマエを、殺してぇ程愛してんだよ。
オマエだ刹那、オマエだけを愛してる。
…だから、他の女を抱いたなんて妄想を二度とすんな。虫酸が走る」


『』


「返事」


『ひゃい…』


喉を伝った声は恫喝以外の何物でもなかった筈。しかし刹那は。
刹那は、目を瞬かせるとじわじわと頬を染め始めた。


………ん???


え?照れてる?なんで???
思わぬ反応に、堪らず俺も目を瞬かせてしまう。
わかんねー…女ってわかんねー…


『………』


「…顔赤いけど?……へぇ、もしかして、強引に迫られるの好きなの?」


『ち、がう』


取り敢えず揺さぶろうとからかう様に言葉を投げ付ければ、刹那は首を横に振った。
しかし否定は弱々しい。
つまり、良く判んないけどさっきの恫喝は刹那に刺さった訳だ。
うーん、謎。
……でもまぁ、丁度良いか。


「ふぅん?…ま、良いけど。
そもそも“僕”がキスもハグもした事なかったの、オマエの所為だから。
“責任取って今世も来世も来々世も…魂が擦り切れるまで永遠に俺の傍に居ろよ”」


『えっ、重………』


「ぁ゙あ゙???」


『“ハイ,ソバニイマス…”』


刹那は呪力操作が甘いから、ちょっとした揺さぶりで直ぐに呪力が漏れる。
ほんの僅かなそれでも、六眼で捉える俺の前では致命的だ。
……あは、これでまた、縛りが増えたね♡














三月十二日 朝


昨晩もしっかり判らされた刹那は、腰を擦りつつ俺を睨んでいた。


『…悟が横暴だ』


「んー?絶賛交際中で、未来の夫である俺に、何か、文句でも???」


『なんでもないです…』


こうでもしないと理解出来ないオマエが悪いと思うんだよね。だってセフレとか抜かしたしね?誰の所為で世界が死んだと思ってるんだろうね???
あー、うん。思い出したらまたイライラしてきた


「…俺だってさ、初恋なんだよ」


綺麗な髪から手を離し、ごろりと背を向ける。
こんなの、本当は言いたくない。男はカッコつけたい生き物なのだ。
でも、オマエは口にしなきゃ判ってくれないって、理解したから。
それなら俺のみみっちいプライドとか、マジでどうでも良いだろう


「余裕なんてないの。カッコつけてんの。……好きなヤツにカッコ良く見られたいなんて、男として当たり前の感情でしょ」


『悟……』


「あー、カッコ悪……」


溜め息が溢れた。
それと同時に昨日のイライラが再燃した。


「…それをさぁ、女に慣れてるとか勘違いされて?挙げ句の果てにはセフレ…?
は???ふざけてんね???
何をどうしたらそんなエキセントリックな発想に至ったの???俺何時も言ってるよね?愛してるって。
え???なに、オマエ俺の愛情疑ってたってこと???
いや赦せねぇわ嘘だろ恋愛レベルゼロどころかマイナスかよ」


『怒濤の苦情…』


「苦情も言いたくなるわ。何でだよ。愛してるって言ってんだろ。
そうじゃなきゃ此処まで尽くすか。七日間も大事に護りきるかよ。
こんなに大事にしてんのに判んないって事は、もう一日中抱き潰すしか………」


『やめてください死んでしまいます』


「殺してぇ程愛してるんだけどどうしたら良い?」


『上手く殺意を往なしてくれたらとっても嬉しいな!!!』


「かわいい。抱くわ」


『いやー!!!!』










三月十二日 昼


取り敢えず刹那をぐちゃぐちゃにして、本気で寝落ちる前に勘弁してやった。昼間は使用人が彷徨くからね。幾ら防音機能を持った結界を張っても、周囲を気配がちょろちょろしたら俺の気が散るので。


『腰が………』


「沢山動いたもんね。今夜も頑張ろっか」


『去勢しろ猿め』


「えっ、急に毒吐くじゃん…かわいいね…???俺のチンコに完堕ちしてる癖にそんな事言っちゃうポンコツ具合がかわいいね…???」


『………』


俺としては、痛みに呻く刹那を見るのも嫌いじゃないんだけどな。
とは言えセックスは女の方が負担が大きい。少しずつ回数を減らすかな。これからは本格的に鍛練もしたいし。
恨めしげな視線を送ってくる刹那を本を片手に見つめていれば、部屋の襖が滑らかに動いた


「お茶をお持ち致しました」


「そこ置いといて」


「かしこまりました」


女の使用人が、湯気を立てる湯呑みを二つ、盆の上に置いて下がっていった。
去り際、女は刹那に一瞬だが嫌悪の目を向けた。
ハイハイ、察した。
よいしょと腰を上げ、盆を持つ


「刹那はさ、ただびっくりしただけじゃ氷を出さないって気付いてる?」


『え?』


さっさと盆を持って刹那の隣に戻った。
文机に湯気を上げる湯呑みを並べる。
そして、刹那の前に置いた方の湯呑みを指差した


「これ、凍らせてみて」


『ん』


右手の呪力が放たれた。
ばきり、と湯呑みの中身が凍り付く。
…やっぱり古書で見た加茂の相伝と、違うな。
いや、一緒なんだが放出箇所が違う?
呪力を吐き出した右手を取り、隅々まで観察する


「此処だけ…んー、やっぱ天与呪縛か?まぁそうじゃなきゃ大分リスクが…」


『?』


「…直ぐに体温が戻った。となると何が縛られてんのか…うん、要観察ってトコかな」


これが天与呪縛なら、代わりに何を制限されているのかを探る必要がある。
何も理解せずに使わせるには、温度使役術式はあまりに死に近すぎた。
最後に指を暖める為に包んで、それからそっと離した


「今、何を考えて凍らせた?」


『……怖かった事』


「そう、オマエが呪力を励起するには“恐怖”がトリガーになる。だから、俺にいきなりキスされたぐらいじゃ凍らせたりしないんだよ」


『………』


「ん?キスしよっか?」


『とても腹立たしい』


「え?急に怒るじゃん何で???」


え?キス嫌なの?あんなに嬉しそうな顔してた癖に???


「オマエの術式は温度使役術式。
簡単に言うと、オマエの体温を呪力に乗せて撒き散らして、周囲の水分なんかを弄る術式だよ」


『……強い?』


神妙な表情で訊ねる刹那を静かに見つめた。
…まぁ、伝える情報を選んでしまえば問題はないか


「強いよ。使い方次第では上を目指せる」


『ほんと!?』


「ただ…その術式は、体温を身体に触れたままで零度まで下げて、放出するんだ。
その時点でオマエの身体への負担は大きい。
そして体温を一度に放出出来る箇所も決まってるみたいだから、ポケモンみたいに絶対零度レベルの大技は使えないよ」


『えー……なんか不便だね』


────嘘だ。
温度使役術式の順転の極致は、絶対零度。
−273.15℃まで下げた己の体温を呪力に乗せて放出、敵を殲滅する技だ。


ただし、それは自滅技に等しい。


下げきった体温を戻せるであろう反転があるとはいえ、凍り付いた身体に何の影響も及ぼさないかというと頷けない。
仮に脳死を避ける為に脳から反転で最優先で解凍したとして、それが毎度間に合うとも限らないのだ。
恐らく絶対零度は、術者の死を前提とした一撃だろう。だからこそ一撃必殺の威力を誇る。
そう考えると、刹那に本当の事を教えるつもりなんて更々ない。
俺が死なせる筈がないのだから。
眉を寄せる刹那の頭を、わざとぐしゃぐしゃにした


「でも使い方さえ考えればかなり強いと思うよ?それにオマエにはオート防御もある。あの蛇が餞別に持たせたんだろうそれは、“僕”の無限と違ってマニュアルに切り替えは出来ないけど、多分それはオマエが怖いとさえ思えば勝手に出るよ。
呪力量も多いから、すっからかんになる程凍らせまくらなきゃ基本大丈夫」


『すっからかんってどのぐらいでなるの?』


「んー…周囲5qぐらいバッキバキにしたら、多分呪力は空っぽになるんじゃないかな。でも、その場合低体温症で死ぬ可能性が高いから、やったらダメだよ」


『えっ』


あー、うん。やっぱりその辺りを考慮しなかった訳ね。
ダメだ、刹那はイマイチ自分の術式の恐ろしさが理解出来てない気がする。
低体温症舐めんな。人体ってのは案外脆いんだぞ。
とはいえ、今のままじゃきっと自分の術式の危険性は判らないよなぁ。


……よし、じゃあ別の方法で忌避感を植え付けようかな。


文机の上に置いた、湯気を立てる湯呑みを手に取った。
あー………うん。めちゃくちゃレベル低いよなぁ。こんなのに引っ掛かってやんなきゃいけないの、癪だよなぁ。
でもこれも刹那の為だ、はい飲ーんで飲んで飲んで!!
湯気を立てる深緑の水面を暫し見つめ、それからゆっくりと口を付ける。


うえ、ヘッタクソ。茶も不味ければ混ぜ方も雑。
痺れぐらいどうにかして誤魔化せよ。
誰だこんな雑な暗殺者頼んだの。親父じゃねぇな?


何食わぬ顔で湯呑みを戻して、宙に視線を投げる。
コレ、強くないし前に食らってるな。どのくらいで効くかな…


「幾ら放出範囲を固定してるって言っても、零度まで冷え込んだ手は刹那自身の体温で暖めてるんだよ。水にお湯入れたら温くなるだろ?それと同じ」


『…暖めるには限界があるってこと?』


「そ。最初にさ、庭を凍らせただろ?アレも本当は全然弱い。
もう少しぐらいなら強度を上げても良いけど、そこから上はオートに任せるべきだね。そっちなら確実に、最小の被害でオマエの敵を凍らせるから」


そこまで言って指を立てた。
人差し指でくるくると円を描く


「庭を凍らせたのは、オマエの怖いって気持ちによる術式の暴走だよ。一応此方はマニュアル。
そんで、びっくりする時に怖いって思ったら、術式のオート機能が動いて対象を凍らせる。
ホラー映画を観ててテレビじゃなくてカップの水を凍らせたのは、俺が前以てオマエに“このカップを凍らせたらダメだよ”って言葉を掛けてあったから。
あの時は本当にオマエの身が危険に晒されている訳じゃなかったから、オート機能も“カップを凍らせたらダメ”って思い込んでた刹那の意思に従ってた。
つまり、その時の刹那の意識にある“怖いものの原因”を排除したの。
カップが凍れば、映画は中断するからね」


『……………ふむ…』


ずくり、と心臓が嫌な動き方をした。
背筋がぞわぞわしてくる。
ふむ、効くまでの時間は五分程度。あの女はその間に屋敷を逃げるだろうか。
…いや、違うな。
ヤツは刹那にコレを仕込んだ。
それならば、今夜まで居る筈だ。
標的をちゃんと殺せたか、確認する為に。


『…ねぇ、悟』


「ん?」


『……私さ、あの庭で人を凍らせちゃったじゃん』


「ん?……ああ、そういやそうね」


『軽いな?…あの人達、無事?』


身体が火照る。
顔はどうにか誤魔化せているが、背中は汗でぐっしょりだ。喉もイガイガする。
…ああ、そういや人間凍らせたんだったね。
すっかり忘れてたけど。
怖々と聞いてきた刹那に、俺は微笑んでみせた


「問題ないよ。あのあと直ぐに俺が氷を砕いたから」


『そっか、良かった…』


安堵した様子の刹那に微笑んだまま、ゆったりとした動作で凍った湯飲みの縁をなぞった。
…見えない様に、湯呑みで掌を冷やす。
ずくり、もう一度吐き気を催す様な動悸。
うん、もうそろそろかな。


「…刹那」


『ん?』


「刹那が望めばきっと、絶対零度に近い事も出来るよ」


そっと、冷やしていた手で小さな頬を包む。
何処か不安そうな菫青を、口角を上げたままで見下ろした。
……ごぷり。
喉を鉄臭いものが競り上がる


「でもね、どうか忘れないで。
……刹那が命を懸けて呪霊を祓って、それで誰かを救ったとしても────凍えた刹那を見て、俺は何時だって悲しくなるんだって事」


『────え』


刹那が目を見開いた。
よしよし、ちゃんと見てたね。いいこ。






つぅ、と、唇から血が伝うのを感じる。
堪らず笑いだしそうになるのを堪えた。






ぽたり、顎先を滴った血が、薄墨色の胸元に落ちた。
じわりと滲んだ所でゆっくりと、口許を手で覆う。
はいオッケー、噎せて良し。


「っごふ…げぇ…っ!」


『悟!』


今まで堪えていた咳の我慢を止めた途端、吐きそうな程咳き込んだ。
うえ、咳き込みすぎて肋が折れそう。
背中を丸め、その場にしゃがみ込む俺を刹那が慌てて支えた。
え、刹那折れそう…凭れたらぽきっとかいきそうだよなぁ…
寄り掛かるフリをしつつ、自分でしっかりと立ちながら尚も咳き込めば、口許を押さえた指の隙間から、細い筋となって赤が滑り落ちていく。
それを目の当たりにした刹那は俺の背を擦りながら、それでも何とか冷静さを保てている様だった。


『悟、家の人を…』


「っぅえ…よぶ、な。もんだい、ない」


『でも!!』


口許を覆っていた手で細い肩を掴む。
掌にべっとりと付着した血が白い着物に染み込んでいく。
ぼたりと顎先から膝に落ちた血を見て、とうとう菫青から涙が溢れた。


あは、かわいいねぇ。


まろい頬を滑った涙を、震える手で拭う。
俺の血で汚れたその姿に、自然と口角が上がった。


「…だいじょうぶ……おれ、さいきょーだから」


『…なんで』


泣きそうな声が鼓膜を揺らす。
でも最後に激しく咳き込むと、意識がブラックアウトしてしまった。
はは、ダッセェ。















三月十二日 夜


ぱちり、目を開く。
素早く視線を動かして、薄暗い此処が自分の部屋である事を知った。
刹那は…居るな。部屋の隅っこで小さくなってる。
その周りにポチが居るから、恐らく問題もない。


《パパ》


《なかないで パパ》


《パパ》


《パパ…》


『…ありがと、ポチ』


弱々しい声に軽く笑う。
それから静かな夜に混ざり始めたぐすぐすという音に、今起きましたとアピールする様に身動いだ


「……せつな、どこ…せつな…?」


…こんなにがさがさな声で哀れっぽく刹那を呼べるとか、俺天才じゃないだろうか。
自画自賛する俺の傍に、涙を流したまま、ぬいぐるみ達を抱えた刹那がそっと近付いてきた。


『…悟、目が覚めた?』


「ん。……あーあ、またないてる…」


静かに泣いていた刹那の涙をそっと拭う。それから安心させる様に、出来るだけ優しく笑った


「…きにしないでよ。これぐらいの時はね、こういう事、よくあったから」


『……でも、これは私の所為なんだよ』


まぁ、これは確かに刹那の所為かもね。でもこういう事が良くあったっていうのは本当。
この歳になるまでは割とあったし。
思い詰めている様子の刹那を尻目に、重たい身体をのろのろと起こした。
やべぇ、全身に鉛ブチ込まれてるみたい。やっぱ久々の毒は効くわ。
背中を支えてくれる細い腕に笑みを返した


「ありがと。…マジで気にしないでよ。この毒は前に盛られた事があるから、そんなに深刻な症状も出ないし」


『……でも』


「水ちょうだい」


もう動悸もないし、残ってるのは喉の痛みと身体の怠さだけだ。あとは少し熱があるぐらい。
俺の要求に従った刹那が水差しを手にして、動きを止めた。
昼間の事を思い出しているんだろう、顔色を悪くする刹那をじいっと見つめる。


良いね、ちゃんとトラウマになった。


内心ほくそ笑みつつ、小刻みに震える手から水差しを抜き取った


「……大丈夫だよ、刹那」


声を掛けて、コップに水を注いだ。
暫しコップの中の水を見つめ、それから静かに口に運んだ。
こくりと一口飲み込むと、張り付いた喉をひんやりとした液体が流れ落ちていくのを感じる。
うん、毒はない。
ゆっくりとコップを盆に戻す。
心配そうな眼差しでじっと此方を見つめている刹那に、へらりと笑ってみせた。


「……ほら、平気だろ?」


此方を穴が開きそうなほど見つめて、それから刹那は深い溜め息を溢した。
何処か憂いを纏ったままの菫青が、決意を滲ませた輝きを宿して俺を見る


『………次からは、私が飲むね』


「いや、それはダメだよ」


『なんで』


何でもクソもない。
強めの拒否に面食らった顔の刹那を見て、俺は冷静さを心掛けて言葉を紡ぐ


「俺はガキの頃から毒の耐性を付けてきたの。だから、今回みたいに血を吐く事はあっても死にやしない。
でも刹那は違うだろ?」


一息置いて、言った


「刹那だったら、死んでたよ」


『……ごめん』


肩を落とし、俯いた刹那の頭に手を乗せる。
何も出来ないと思ってる?自信がなくなりそう?


…良いね、どんどん弱っていくの。
弱って弱って弱りきって、それで俺にしか縋れなくなれば良い。


頬に流れた黒髪を耳に掛け、そのまま顎を掬った。
月明かりに照らされた涙で潤む菫青を、ゆるりと微笑みながら見下ろす


「刹那、俺はオマエが傍に居てくれるだけで良いんだよ。
身代わりが欲しい訳じゃない。俺は、刹那が欲しいだけなんだ」


『………』


「ごめんね、愛してるんだ。
これからもきっと、何度もオマエを泣かせるよ。でもごめん、もう離してやれない」


離してやる気なんて微塵もない。
だってもう来世も来々世も一緒に居るって約束したし。
眉を下げ、困っている様に見える顔をしながら柔らかな頬を包んだ。
そっと額を合わせ、囁く


「ねぇ、笑って。
刹那が傍で笑ってくれたなら、俺は何だって出来るから」


『………ほんと、ずるい』


「ふふ、刹那の為ならズルい男のフリもお手の物ってね。…ズルい俺はきらい?」


こういう言い方されると断れないタイプって可哀想だよね。だって俺みたいなのに容赦なく活用されちゃうから。
刹那からしたら、俺が気を遣ってるって思うんだろうなぁ。
気なんか遣ってないし、百歩譲って遣っているとしても、それは刹那を堕とす為の布石でしかないんだけど


『……すき』


ぽつりと落とされた言葉は、俺が待ち望んだものだった。
ああ、やっと言ってくれた。
勿論俺を好きになっているというのは判っていたけれど、素面の状態で自ら口に出させる事が、目標だったのだ。


だって口にすれば、それは自らに言い聞かせる事にもなる。


口で放って、自らの耳で聞く。それは一種の刷り込みにも等しい効果を発揮するのだ。
つまり、刹那は俺により好意を抱く事になる。
口に出しただけ、なんて舐めちゃいけない。
言霊っていうのは存外馬鹿に出来ないものなのだ。言うでしょ?自分の発言には責任を持ちましょうって


「────ありがとう、受け入れてくれて。
愛してる。
誰よりも、何よりも愛してるよ、刹那」


愛してるよ。だからオマエも、愛してね。
誓いにも似た呪いで、優しく唇を塞いだ













三月十二日 深夜


真っ暗な廊下を足音もなく進む。
月明かりが頼り無く差す板張りの道を抜け、とある部屋の前に立った。
障子を一枚隔てた向こうから聞こえるのは、潜められた下手人の声。


「どういう事だ。あの娘ではなく悟様が毒を飲んだという話ではないか」


「申し訳ありません。ですが、私は確かに女の湯飲みに毒を仕込みました」


「どうする?悟様の犬が既にこの女に目を着けているそうではないか。捨てるか?」


「そんな!元はと言えばあなた様の娘が悟様を振り向かせるなどと豪語するから…!!」


にいっと口角を吊り上げる。
だんっ!!!とわざと大きな音を立てて障子を押し退ければ、男二人と女が飛び上がった。


「どーもこんばんわぁ。良い夜だなお三方。こんなトコで何してんの?悪巧み?空っぽな頭突き合わせちゃって無駄な会合ゴクローサマ♡」


「さっ、悟様…!!」


「何故此処に…!?毒で臥せっておられる筈では…!!」


「お、お身体に異常は?心配していたのですよ?」


三者三様、馬鹿の猿芝居を無表情で見下ろして、それから先ずは女に目を向けた。


「ウチの家はさ、毒見を通してから飲み物も食べ物も出るんだよ。だから、オマエが出した湯気の立つ茶なんて有り得ない。
あと純粋に毒の選び方が下手。緑茶に混ぜるならもっと苦味に寄ったの選んだ方が良いんじゃね?ターゲットの舌先痺れさせてどうすんの。
あともっと茶の淹れ方習った方が良いよ。渋くて不味い」


次に右側に座っていた、ハゲた男に目を向ける


「オマエ、俺と刹那を覗き見してたヤツだよな?大方オマエが俺と刹那が何処でもヤってるなんて勘違いして、さっさと刹那を消そうなんて短絡的な方法に走った訳だ。
馬鹿だなぁ、オマエらに見られる様な場所で大事な子を抱く筈ねぇじゃん。罠だよ、ワーナ。
そんな事も解んないとか、オマエ頭に蛆でも涌いてんの?」


最後、媚び諂った鷲鼻の男を見下ろした


「それとオマエは初夜に部屋の外に居たヤツだな?あー、オマエの娘が俺を振り向かせるなんてイキってんだっけ?
無理無理、俺一途だから刹那にしか興奮しないの。五回ぐらい死んでから出家しろって伝えといて。
あとオマエは俺の嫁の可愛い声を盗み聞いた罪人として百回は殺す」


此処から無事に帰してやるつもりもないんだけど。
音もなく隣に立ったくまのぬいぐるみに、顎で命令を下した


「殺すなよ。ソイツらも放り込む」


《グルァ!!!!》


「ひぃっ!お許しを!!」


「悟様!!どうか御慈悲を!!」


「来るな!来るなぁ!!」


ごき、めき、と到底発してはならない音を人体から奏でさせるポチを、柱に凭れながら眺める。
なんだアイツ、随分キレてるね?生理?
そんな事を内心呟けば、腹の中に入っているポチが反論した


《ママ いじめた!パパ なかせた!ゆるさない!》


「……ああ、そういう」


そういやすっかり忘れてた。俺、毒盛られたんだったね。
腹からにゅっと顔を出して、怒ってますアピールをするポチに小さく笑った。


「つっても、毒なんかじゃ俺は殺せないけどね」


今更だ。そんなもので殺せる期間は疾うに過ぎた。
血だらけになって伸びる男の頭を踏みつけて、笑った。


「────さて問題。
常時反転術式を回している人間を、毒なんかで殺せるでしょうか♡」















三月十三日 朝


簡単な事だ。
二十八歳の五条悟の記憶が存在する=勿論呪力の核の掴み方も心得ている。
なので十五歳に若返ろうが、俺的には一切問題はない。昨日の毒も、毒でやられた箇所をささっと修復し、それ以降は少しだけ傷を残して刹那の前で演技。
そして寝ている間に修復完了というルートを辿った。
なので、今俺がけろっとしているのも当然の事なのだ。
勿論刹那には教えないけれど。


『………あれ?』


「ん?」


毎度の如く冷めた膳が並べられ、手を合わせた後の事だった。
箸を手にした刹那が、そのままの体勢で固まっている。


「刹那?」


『え、あ、ごめんごめん。何でもないよ』


下手くそな作り笑いを浮かべ、刹那はそう返した。大方お粥を出された俺に気を遣ったんだろう。
何処かぎこちなく左手が動いた。
明かりを弾き輝く朱色の箸先が、ほうれん草のお浸しを掴もうとして────


『……なん、で』


「………」


ぴたりと止まった箸先に、内心ほくそ笑んだ。


良いね、俺の迫真の演技も無駄じゃなかったって訳だ。


口を閉ざし、じっと膳と向き合う刹那を静かに観察する事にした。
こくり、細い喉が上下する。
かたかたと、小刻みに震えだした左手。
菫青が頼りなくゆらゆらと揺れている。
ひゅっと、喉が酸素を鋭く吸い込んだ所で俺は動いた。


「落ち着きな、刹那。怖い事なんかなぁーんにもないよ」


震えだした華奢な身体を抱き締める。
ぽすぽすと薄い背中をあやす様に叩いてやれば、小さな手が握り締めていた箸が畳に転がった。…膳が凍ったのは、見せなくていっか。
刹那が腕の中で安心したタイミングを見計らい、さも今気付きましたという体で言葉を紡ぐ


「ごめんね、刹那。そうだよな、毒盛られるのって普通じゃないんだよな。
ほんとごめん、すっかり忘れてた」


『……ごめん、悟』


「謝るなよ。んー、じゃあ飯食うのも怖いよね……どうすっかな」


よしよしと艶々な髪と薄い背中を撫でながら、ゆらゆらと身体を前後に揺らす。
計画は順調、まさか此処まで素直に食事を怖がる様になるとは、そこまで誘導出来た俺の才能を誇るべきか。それとも刹那の素直さに感謝するべきか。
まぁ良いや。俺も腹減ったし、次のフェーズに行こう


「お散歩行くよ、刹那!」


『?』














「椿、山茶花!台所貸せ!」


「えっ、横暴…」


「こら山茶花。…どうしましたぼっちゃま。また毒でも盛られましたか?」


「おい椿。…どうしましたぼっちゃま。ピルなら持ってますが」


「オマエらどっちもどっちだって気付けよ?」


『お、おはようございます…』


母屋の隣に建てられた、小さな離れ。
肉壁専用の住居にずかずかと侵入した俺は、畳に正座する双子に早速命令した


「台所貸せ」


「それは構いませんが、何をなさるので?」


「飯作んだよ。逆に台所借りて他に何すんだ」


台所借りに来といて料理しないとか馬鹿じゃない?
椿の許可を得て、さっさと冷蔵庫に手を掛ける。取り敢えず、此処は健康体だけど病み上がりのフリをしている俺に合わせて、刹那にも卵粥を食わそう。
早速卵を取り出し、小さな鍋に水を張る。
料理を始めた俺の隣に椿は立って、妙な空気になった刹那と山茶花を眺めていた


「……刹那様、どうぞお座りになって下さい」


『ひえ……あの、様付けはやめて頂けると…』


「いえ、我等はぼっちゃまの護衛ですから。ぼっちゃまの婚約者であらせられる刹那様を呼び捨てになど出来ません」


『無理を言ってしまって申し訳ありません…』


「えっ。いや、そう畏まらず!出来れば気にせずに頂ければ!!」


『えっ、でも…』


ウケる。真面目とおちゃらけ真面目の対談とか面白い以外の何物でもないな。
沸騰を待つ間に頭を下げた刹那に慌てる山茶花をのんびりと眺めていれば、隣の椿がぽつりと呟いた


「ぼっちゃま、何処でこんなまともな娘を拾って来たんです…?」


「廃寺」


「寺…?……菩薩の生まれ変わりか…???」


『えっ』


菩薩の生まれ変わり、ねぇ。まぁ俺に愛情を教えた神様ではあるよね。
その神様がどうしても欲しかったから、世界を墜として神様を同じ土俵に立たせたのは俺だけど。
鍋を掻き混ぜつつ、目が合った刹那に訊ねた


「刹那、鶏がらは平気?」


『うん。好きだけど…』


「ほお。手際が良いですねぼっちゃま」


「そりゃ俺だし?つーかこんぐらい誰でも出来るでしょ」


沸騰した鍋に鶏がらスープの素を溶かし、炊飯器から拝借した米を放り込む。
そのまま数分煮込んだ後、コンロの火を消して微笑みかけた。


「刹那、此方おいで。卵粥作ったよ」


『うん』


明らかに仲良くなりたいんだろう山茶花に会釈して、刹那が此方に駆けてきた。しょうもない事なんだけど、こういうのって優越感を覚えるよね。
二人用の小さな机に鍋を運ぶ。
椿から御椀を受け取り、湯気の立つ卵粥をよそってやった。
それをそっと刹那の前に置き、様子を窺う


「はい、刹那」


『……ありがとう』


匂いに対しての抵抗はナシ。やっぱり昨日の毒がネックになっているだけで、食事への拒絶感はなさそうだ。
ただこのままじゃ食べるには至らないだろう。
そう考え、先に手を合わせた


「いただきます」


『……いただきます』


刹那も同じ様に手を合わせはしたが、握ったスプーンは動かなかった。
大方食べられなかったらどうしようとか、そういう心配が頭から離れないんだろう。
細かい事気にするタイプってほんと生きにくそうだね。もっと気楽に考えれば良いのに。
一つ息を吐き、固まった刹那の目の前にスプーンを差し出した


『え』


「刹那、あーん」


『………』


戸惑いを滲ませた菫青が此方を見つめる。それに笑顔を返し、ただ黙って待った。
数秒。おずおずと口が開かれた。
そこにそっとスプーンを差し込んで、閉じられた口からゆっくりと引き抜く。
静かに細い顎が上下して、軈て、喉が動いた。


「どう?美味しい?」


問い掛けた俺に、刹那は小さく頷いた。久々に温かな食事を口にした事への喜びか、それとも俺が作ったものを飲み込めた事への安堵か。いや、両方か。
潤みそうになった目を擦って、刹那は笑った


『…ありがとう、悟。とっても美味しい』


「どういたしまして。…自分で食べられそう?俺が食べさせる?」


『大丈夫。…悟のご飯なら、大丈夫』


小さな手が御椀を手に取った。
ゆっくりとスプーンをとろりとしたスープに沈め、米を掬う。
そっと、スプーンを口に運んだ。
ゆっくりと飲み込んで、それから此方に頷いてみせた


『美味しい』


「……ふふ、そっか。それなら良かった」


笑みを返して、俺も卵粥を食べ始める。
一連の流れを黙って見ていた山茶花が、とうとう弟に囁いた


「……なぁ椿、あれは本当にぼっちゃまか?ぼっちゃまの皮を被った呪霊では…?」


「こら山茶花。……この間盛られた毒に呪霊でも入ってたんじゃないか?」


「オマエらを祓ってやろうか」


堂々と悪口を言う双子に怒る俺と、それを笑う刹那。
にこにこしながら卵粥を口にする刹那を見て、俺も笑った。


────これで、俺が作ったものしか安心して食べられなくなったね♡













三月十四日 昼


苔の張る石畳を上がり、“僕”にとっては懐かしい、今となっては初めてやって来た場所の門を潜った。


────東京都立呪術高等専門学校


勝手知ったる道を、後ろに椿を従えて突き進む。
石灯籠の道を抜け、一直線に向かうのは学長室。
最短ルートで向かい、ノックなしで扉を開けた


「ぼっちゃま……何故ノックしないのです…」


「ノック?習った覚えがねぇな。…初めまして、五条悟デス」


ずかずかと部屋に足を踏み入れて、微妙に覚えのない男を真上から見下ろした。
…こんな雑魚が学長だったっけ?うーん、この当時の先生ってマジで夜蛾さんしか覚えてないんだよなぁ。
まぁ良いや。雑魚ならさくっと終わるっしょ。
俺は椿に持たせていた封筒を机の上に置いて、にっこりと笑いかけた


「この度は、この俺が、推薦したい者の書類を直々に持って参りました」


「ひっ……これはこれは、ご、御丁寧に…」


…ダッセェな。声は引っくり返ってるし震えてる。俺に怯えてるってのが丸判りなんだけど。
そんなんだから一年後には学長追い出されるのが確定すんだろ。夜蛾さんの方がよっぽど貫禄あるぜ?
内心雑魚を嘲笑い、封筒を開けて中身に目を通し始めたのを見てゆるりと口角を上げた


「この娘は俺の婚約者です。先日は毒を盛られてしまい、現在は食事も俺が作ったものしか食べられない」


「そ、それは大変な目に」


「なので、彼女と俺を同室にして欲しいんですが」


「えっ」


何気なく発した言葉に、学長が目を丸くした。
力が入ったのか、書類に皺が寄る。それを慌てて伸ばしながらも、男は俺に目を向けた。口にせずとも、信じられない、と雄弁に顔が語っている


「俺の婚約者は現在、俺が傍に居なくては満足に睡眠も摂れず、食事も出来ない状況です。
でも家に置いておくには彼女には敵が多すぎる。
五条悟の価値は高いですから。欲に目の眩んだボンクラが身の程知らずにも彼女を狙うんです」


ワンサイドゲームのコツは、相手に口を挟む隙を与えない事。
先ずこの男は初手を間違えたのだ。
俺に臆している姿を表に出してしまった。
謂わば、戦う前から戦意を喪失しているのだ。
そうなれば、俺が負ける道理がない


「刹那自身も豊富な呪力と優秀な術式を持っています。
何れ夫婦となり身籠らせるとしても、学生の間に妊娠なんて無計画な事はしない。
だから此処では、彼女も純粋に呪術師として力を磨かせます。
そうなれば────十分な食事と睡眠は必須となる。
ああ、勿論タダでとは言いません。
五条の方から、呪術高専に相応の援助をさせて頂きたいと思っております」


サングラスをずらし、すっかり青ざめた男に口角だけを吊り上げた笑みを贈る。
六眼は形容しがたい威圧感を与えると、いつか俺に言ったのは誰だったか。大変有効利用出来て感謝しかない。


「ねぇ、学長」


「ひっ」


にいっと笑う俺に、とうとう雑魚は惨めったらしい声を上げた。背後で椿が頭を抱えているのが判る。
それを無視して、わざと呪力を漏らしながら、眼で圧を掛けながら、俺は猫撫で声を出して、命じた


「桜花刹那の入学、並びに俺との同室の件────認めて下さいますよね」
















三月十五日 夜


「刹那、お出掛けするよ」


『……お出掛け?』


寝る準備をしていた刹那を連れて、椿の回した車に乗り込んだ。
ウチに来て初めての外出だからか、何でもない夜道を、刹那は目をキラキラさせながら眺めていた。


『悟、何処に行くの?』


「近くの小学校。本当は俺の任務なんだけど、等級は高くないから、オマエも見学として連れていこうと思って」


《けんがく?》


「ポチ、オマエは刹那を護るんだよ」


《ワン!》


一級相手だが、ソイツさえ即座に潰せば問題はないだろう。
今回刹那が選んだのは、30cmの“僕”のぬいぐるみだった。顔に締まりがない。
こんな顔でもサイズ的に一番ポチを収納出来るので、何気にぬいぐるみの中では一番強いのだ。
他の三体は今頃部屋の見張りと、家の中を彷徨いて悪巧みする雑魚探しでもしているんだろう。
特に小さいポチがそれを楽しんでいる様だから、今日も何かしら聞いてくるかもね


「雑魚は刹那の練習に使おうかなって思ってるけど。大丈夫そう?」


『頑張る』


強く頷いた刹那に、ちょっとだけ困ってしまう。
真面目だよなぁ…真面目なヤツってどうにも力んじゃうんだよなぁ


「あんまり気負うなよ。無理はしないこと、良いね?」


『はい、五条先生』


取り敢えずそう声を掛けた俺に、刹那が擽ったそうに笑ってそう返した。
まさか先生と呼ばれるとは思っていなくて、目を大きく開いてしまう。
…うん、緊張はないね。
緩みすぎでもなく、自然体の刹那に此方も笑う


「んふふ、早く産まれな卵ちゃん。ひよこちゃんになったらあちこち連れていってあげるから」


「……ぼっちゃまがとても人間らしい反応を…」


「オマエマジでその内しばくからな」















車の護衛として残る椿と別れ、小さな手を引きながら中庭をゆっくりと歩く。
後頭部にポチを張り付けた刹那は懐かしいのか、きょろきょろと周囲を見渡していた。


『何処の小学校でもチューリップって育てるんだね』


「あー、花なんか気にした事なかったな。小学生って何で花を育てんの?」


『えー…植物を育てる事の楽しさに触れて貰うため?』


「文句も何も言えねぇ圧倒的弱者を自分の手で思い通りに育てる経験させるってこと?義務教育ってのは歪んでるねぇ」


『……………うわぁ』


「?なんで引いてんの?」


だってそういう事だろう。
植物の世話をするという事は、生かすも殺すも自分次第という、命を手中に収めたスリルを子供に教えているに等しい。
思い通りに育てられれば、それは自分より弱いものを望むがままに仕立てあげるという征服感の肥やしになるし、上手くいかずに枯れたのならば、それは自分という強者に上手く順応する事が出来なかった無能な弱者の成れの果てであると蔑む事も出来るだろう。


あーあ、ガキの内から弱者を甚振る悦楽を教えようなんて、非術師の世界は歪んでんね。


とっぷりと闇に沈んだ世界を進む。
ぼうっと朧に浮かび上がる年季の入った校舎────その連絡通路の縁に、ソイツは居た。
上から此方を覗き込んでいる呪霊を真っ直ぐに見上げ、片手で刹那を下がらせる


『!』


「刹那、下がってな」


掌印を組む。
奇声を校舎に反射させながら連絡通路から飛び降りてくる呪霊が、鋭い爪を俺に向ける。
特に何の感想もなく、静かに紡ぐ


「術式順転・蒼」


ばぎゅり、と形容しがたい音と共に、呪霊が中央にぐちゃりと吸い集めた様な形となって、地面に落ちた。
消えていくその影を見送って、此方を呆然と見つめていた刹那に笑いかける


「今のが一級ね。俺の目当てのヤツ」


『…一級』


「怖かった?」


正直言って、怖くたって仕方がないと思う。刹那はまだ呪霊を祓った事もなく、この世界に来てからまともに外に出たのも今日が初めて。あまりにも様々な面で経験値が足りていない。
さっきの雑魚が怖かったなら、次は準一級と会わせてみるだけだ。
それで今、どの程度の圧まで耐えられるかを測るだけ。
問い掛けた俺に頷きかけて、動きが止まる。
逡巡、それから少し迷う様に、言葉が落ちた


『……先ずは手足を封じれば良いのかなって、考えてた』


沈黙。


「あは────あははははははははは!!!!!」


その次に口を突いて出たのは爆笑だった。
嘘だろ、この世界に来たばっかりのただの女が!こんなにもか弱くて脆弱な女が!


一級相手に────怯えるでもなく、狩るつもりでいたと言う。


ああ、堪らないイカれ具合だ。やっぱり俺の目に狂いはなかった。
笑いすぎてくの字に折ってしまった腰を伸ばし、軽く目尻を払った


「はー、笑った。良いよ、良いねぇ刹那。ちゃーんとイカれてる!
怖くて震えてるんじゃなくて、祓う手立てを考える…良いよ、やっぱりオマエは呪術師に向いてるね」


『…ありがとう?』


困惑しつつ笑みを浮かべる刹那を、にんまりと笑って見下ろした。
今の状態であれば、祓うのに何の問題もないだろう


「…さて、これでちゃんと祓えればオマエをひよこに格上げしてあげる。
敵は複数。多対一。
俺とポチは、オマエが死にかけるまで手出しはしない。
乱戦はオマエにとって有利だし、経験も積めるよ。レベルアップには最適ってね」


ビギナーに必要なのは、何より数である。
低級とはいえ呪霊は呪霊。確実にステップアップ出来るし、何より乱戦は学ぶ事が多い。
一通り御託を並べ、最後に口角を吊り上げた


「さぁ────殺れ」


ぎらり、菫青が光を宿した。












三月二十日 昼


「ほい、刹那。これ着てみて」


『?』


朝方届いたカスタム済みの制服を刹那に渡す。
ファー付きのフードに、振袖を模した鮮やかな袖。腰のベルトから下にプリーツが入ったデザイン。下は黒のスラックスにした。刹那は脚が綺麗だけど、それを知るのは俺だけで十分だし。
学ランを広げて不思議そうな顔をする刹那に向けて、衝立を指した


「あっちで着替えてきてよ。あ、別に此処でも良いよ?」


『…着替えるのは確定なの?』


「勿論。ほら、早く俺に着た姿見せて」


でも此処で脱がれたら学ラン着るどころじゃなくなるからね。衝立の方に行ってね。
俺の願いが通じたのか、刹那は溜め息を落としつつ衝立の向こうに消えた。
しゅるり、と着物が畳に落ちた音を、目を閉じて楽しむ。
帯を解く音だったり衣擦れの音だったり、想像力を掻き立てられる和服も案外良いものだ。
今シャツのボタン留めてるのかなとか、脚を上げた音がするから、スラックスにあの白くて細い脚が呑み込まれていってるのかなとか、想像するのが楽しい。
勿論目を開ければ呪力の流れで刹那の動きが見えてしまうけど、こういうのは見ないからこそイイのだと思う。
…音が止んだ。よし、覗くか。
ぱっちりと目を開けて、衝立の向こうに顔を突っ込んだ


「うんうん、流石俺!サイズばっちりじゃん」


『……着替え終わってなかったらどうするの…』


「え?何度も裸見てんだから良くない?」


『ぜんっぜん良くない』


セックス沢山してるじゃん。それなのに俺に肌を見せるの恥ずかしいの?奥ゆかしくてかわいいね…?
他の女になら人のチンコ散々咥えといてカマトトぶってんなよって思うんだろうけど、刹那ならかわいいのなんで???
あ、そっか生着替え?俺の女が自分をラッピングするなんて可愛すぎて我慢出来なくなるって判ってる感じ?
え、凄いな俺の事理解し過ぎ…天才じゃん…???
結局刹那は可愛くて天才という世の真理に落ち着いた所で、当の本人が学ランを見下ろしながら呟いた


『…悟が着るべき配色じゃん…』


「はぁ?俺が着て何になるんだよ。俺の女ってアピールの為にその色にしたの」


明らかに俺を意識した学ランを身に纏う姿が可愛すぎて閉じ込めたい。
あーこの腰辺りのプリーツ最高じゃない?小さいお尻をスカートっぽく覆うのやばいね?あとこのすとんと真っ直ぐな胸元。膨らみゼロ。脂肪の塊で媚売らないスタイルかわいい。
流石俺。刹那の可愛いを良く理解して最大限に引き立ててる。
あーーーーーーーかわいい。刹那かわいい。もう生きてるだけでかわいい。食べたい。でも今だと絶対刹那怒るよなぁ。がまんがまん…
可笑しな部分はないか、刹那の周りを歩きながら見ていると、随分今更な事を訊ねられた


『ていうか私、呪術高専に通うの?』


「あれ?言ってなかった?」


『言われてないね』


「そうだっけ?刹那は俺と来月から呪術高専に行くよ。此処に居たって飯食えないんだし、そもそも刹那は術式を使える様になった方が良い。
そうなれば、オマエの事を最優先で考える俺と一緒に来た方がお互いハッピーでしょ」


そもそも置いていくという選択肢なんてハナから存在していないのだが。
うーん、言わなくても判ってると思ってたんだけどな。だってほら、漫画とかで自分を主人公にする場合ってさ、どうあれその舞台の組織に所属するモンじゃないの?
だから、刹那も自分が呪術高専に入学するって考えてると思ったんだけど。
てっきり喜ぶと思っていたのだが、俺の予想に反し、難しい顔をして黙り込んでしまった刹那に、緩く首を傾げた


「まーた何か考え込んでるな?言っただろ?黙りになってマイナス方向に突っ走るのはオマエの悪い癖だって」


『……悟』


「言ってよ。俺は刹那に笑ってて欲しいの。だから、オマエの感じた不安は知っておきたい」


安心させる様に柔らかさを意識して微笑む。俺をじっと見つめた刹那は、暫し口を閉ざし、それからゆっくりと頷いてみせた。


『…高専での三年間は、悟にとって凄く大事なものでしょう?』


「そうだね」


『そんな大事な場所に、私が紛れ込むのはどうなのかなって、思った』


ぽつりぽつりと溢された言葉に、ゆるりと笑う。
……なんだ、そんな事か。


「確かにあの三年間は大事だよ。それこそ、戦場でこの“僕”が判断を間違えるくらいに、ね」


まぁアレは判断ミスったっていうか、自分からその選択をした、が正しいけど。
だってあの時は、アレが刹那の許に行けるベストタイミングだったし。
でもまぁ、その勘違いは十分使えるな。利用しよう。
まろい頬を手で包み、そっと上向かせる。視線が絡んだ所で、誘う様に微笑んだ


「でもね、刹那。
俺はオマエと一緒に居たいよ。
あの三年間が何にも勝るって判っているからこそ、俺は刹那ともその大事な三年間を一緒に過ごしたい」


『……私なんかが混じって良いの?』


「刹那が良いんだよ。つーか、その“なんか”って言い方止めろ。
オマエを大事にしてる俺には嫌な言い方だ」


それすっげぇ嫌。
だって俺は刹那が大事で愛してるから、殺したい程憎いんだよ?
それなのに刹那自身が俺が大事にしてる刹那を卑下するのはさぁ────憎たらしくなっちゃうよね。


『ごめん』


内心そんな事を思っているなんて知りもしない刹那は直ぐに謝ってきた。
そんな彼女の頭を撫でて、一拍。
意図的に、真剣な顔を作る


「…正直な話ね、刹那の力を借りたいと思ってるよ」


『…私の力?』


「そう。刹那はこの世界の進み方を、漫画っていう形で知ってるだろ?
そりゃあ全部じゃないって事は判ってるよ。
もしかしたら、傑は今回も居なくなるかも知れない。
けど、せめて……せめて傑があの脳味噌に乗っ取られるなんて未来は、避けたいんだ」


真面目な顔を、痛みでも堪える様にくしゃりと歪ませてみせる。
ぶっちゃけてしまうと、今生で傑を救えれば良いとは思う。ただしそれは最優先ではない。


俺の最優先は勿論、刹那が俺の傍に居る事だ。


それを阻むなら傑と敵対する事に躊躇いはないし、正直言うと、今の内に色々片付けて良いなら殺ってしまいたいぐらいなのだ。
あー、問題児ぜーんぶ殺しちゃえば早いのになぁ。
内心ぼやく俺の手に、小さな手が重ねられた


『…私で良ければ、好きに使って』


「…刹那」


『だって、私をあの蛇から助けてくれたのは悟なんだよ?…だったら、今度は私が悟を助ける番。
…好きに使ってよ。悟になら、何されても良いよ』


────良い傾向だ。
今の刹那は、俺を自分の中で何よりも大事なものに分類している。
何をされても良いというのは、そういう事だ。


たとえ俺に殺されても、赦す、と。


…でもまだ、そんなモンじゃ足りないんだよね。
笑う刹那に、俺はゆるゆると首を横に振った


「…ねぇ、刹那。俺はオマエの世界を殺したんだよ。
あんな事になって、他に方法が無かったとは言え、“僕”はオマエの世界を────オマエの家族を、殺したんだよ」


足りない。
もっと明確に俺を一番にしてよ。
オマエを大事にしなかった家族より、何億倍も好きだって言って。
オマエの世界を殺した俺を、オマエの家族を踏み台にした俺の所業を、もっと明確に理解して。


「…だから、こんな男に。
君の家族も、友人も……何もかも殺した僕に、何をされても良いなんて、言っちゃダメだよ」


“僕”が奪った命の数を認識しろ。
そして、その男に唯一望まれたのがオマエなのだと理解しろ。
わざと自ら手に掛けた様に言って、しっかりと表情も作る。
イメージは前に映画で見た、泣きたいのに無理矢理笑っている様な、変な顔。
俺からすれば不細工な女優のヘタクソな演技だったけど、俺がすればどうだろう。
……案の定、ころっと騙された刹那が声を張り上げた


『違うよ!悪いのはあの世界の神様だった!!あいつが!あいつが急に元の神様の姿に戻ろうなんてしたから!
…っ悟は!私を助けてくれただけだよ…!
父さん達を殺したのは、あいつなんだから…』


ウケる。
あんなに一生懸命還っておいでって言ってたカミサマがアイツ扱いwwwwww
そうだねwwwwwカミサマ戻っちゃったねwwwww俺の所為でねwwwwwww


……あー、なぁんにも判ってない刹那のなんて愚かで可愛らしい事だろう。


オマエ、俺がした事ずぇーんぶ知っちゃったら、どんな顔するんだろうね?
軽蔑?嫌悪?絶望?憎悪?
まぁいっか。知られる予定一生ないし。
キツく眉を寄せ、小さな白い歯を食い込ませる唇を指先でそっと撫でた。
のろのろと向けられた視線と絡み合った所で、ゆるりと微笑む。
あー、此処で俺が泣いたら完璧じゃない?
涙。涙、ねぇ。どうやって出すんだっけ。
涙、泣く。泣く、………あ。


「……ありがとう、刹那」


つう、と、涙が一筋、零れ落ちた。


「…使えなんて言わないで。ずっと俺の傍に居てよ」


『……悟』


「独りになんかしないよ。これからは、オマエが毎日魘される夢にも付いていってあげる。
…好き。愛してる。愛してるんだよ刹那。
ずっと俺の傍に居て、俺の望む幸せな未来を、一緒に作って」


えっ、俺今泣けたね?凄くない?
しかも片目だけぽろっと。マジで天才では???
俳優も出来ちゃうじゃん俺。主演男優賞モノじゃない?
にっこにこな俺の内心など露知らず、刹那の細い指がそっと涙を拭ってくれた。
そして確かに愛情を滲ませた瞳で、こう囁いた


『…私で良ければ、傍に居るよ』


静かに菫青が目蓋に隠れて、顔が近付けられた。
薄紅色を優しく食んで、何度か唇を触れ合わせる。
名残惜しくもほんの少しだけ顔を離して、唇を緩めた


「……ありがとう。“ずっと一緒に居ようね”」


愛ほど歪んだ呪いはない。
俺はそれを知りながら、言葉を紡ぐ。
丁寧に、丹念に、愛を贈り続ける。


────ゆらり、彼女の影が揺れた。












薄氷で嗤う











刹那→一般人から呪術師へ。
不安や環境の急激な変化などでメンタルがベコベコ。今はすぐ泣く。
この度無事五条を自分の神様に定めた。
導かれるがままに洗脳されているかわいそうな子。

五条→暗躍ひゃっほい☆

ポチ→特級仮想怨霊・ティンダロスの猟犬。
刹那のボディーガード担当。

椿→双子の弟。五条の肉壁係。暗躍ひゃっほいの部下。

山茶花→双子の姉。五条の肉壁係。暗躍ひゃっほいの部下。


馬酔木の花言葉「犠牲」「献身」「あなたと二人で旅をしましょう」

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