馬酔木(五条/深謀遠慮篇)

※「馬酔木」続篇
※オリジナル設定あり
※R-18のパートがあります。
18歳未満の方は注意書が記載されているパートをスキップして下さい。








四月三日 昼


「刹那、待て、待って!危ねぇから!!今すぐそれを降ろせ!!そーっと!そーっとだぞ!!!」


『私は爆弾持った犯人かなにか???』


「降ろしなさい!!指が一斉に逆に曲がっちゃうでしょーが!!!」


『激おこ』


今俺は、世にも恐ろしい光景に直面している。
刹那が持っているのはなんと、段ボールだった。
そう、段ボール箱なのだ。


判るだろうか、白魚の様に細くてたおやかな指が、その手には重いであろう荷を抱えているという恐ろしさが。


此方としては、その指が何時逆向きにぱっかーん!しちゃうか気が気じゃない。
慌てる俺を呆れた目で見上げ、刹那が言う


『悟、これ中身スッカスカなの。布だし、軽いの』


「え?コーヒーカップだって指がめきぃっていきそうなのに段ボール…?布の入った段ボール…???」


『そろそろ怒るよ』


オマエ俺が普段、コーヒーカップの取っ手に差し込んだ指がめきぃっていきそうって思ってる事知らないでしょ?
犬の散歩なんか行かせたら、リードで指粉砕されそうって思ってる事知らないでしょ??
呪具なんか持たせたら、戦う前に指がぼきっていきそうって思ってる事知らないでしょ???
しかし力説する俺に背を向けて、刹那は段ボールを開け始めた。
ちょっと、真面目に聞いてよ!
でもこの俺の扱いに慣れてきた感じが恋人♡って感じで好き!!!!!!!


『そういえばさぁ』


「んー?」


『なんか部屋、随分広くない?』


折角の天気だし、此方での初めての夜だしと、布団をベランダの前に設置された物干し竿に掛けていると、部屋の中からそんな問いが聞こえてきた。
いや、そりゃそうでしょ。


「当たり前じゃん。俺との相部屋なんだから」


『難聴かな???』















「いや、そもそも何で一人部屋だと思ってたの?俺そこにびっくりなんだけど」


え?まさか一人で生活するつもりだったの?嘘でしょ?俺達未来の夫婦だよ?そして付き合いたてホヤホヤのカップルだよ?今いちゃつかなくてどうするの???


《これはー?》


《あっちー!》


《どっちー?》


《こっちー!》


…俺としては大分重要なんだけど、どうやら刹那は俺よりも、タオルを運ぶぬいぐるみの方が大切らしい。
ポチを見て微笑む刹那を、意識を此方に向けさせようと、ぎゅうっと抱き込んだ。
突然の抱擁で丸くなった菫青に、怒ってますよとむすっとしてアピールする


「何で俺と居るのに、オマエは他所ばっかり見ちゃうんだろうね」


『?可愛いじゃん、わちゃわちゃしてて』


「俺も可愛いでしょ?」


『可愛いの種類が別かな』


…種類が別、ねぇ。
随分と卑怯な事を言う。


「俺は刹那しか可愛いって思わねぇのに」


『……ありがとう。ポチ可愛いでしょ?』


「ぬいぐるみじゃん」


『ぬいぐるみが可愛いんだけどなぁ…』


そう言ってぬいぐるみ共を見やる刹那に、此方を見ない菫青に────憎しみと殺意が揺らめき立つ様になったのは、何時からだろうか。
その浮気性な目を俺だけに縫い止めるには、どうしたら良いんだろうね。
他のものを全部消し飛ばす?二人ぼっちになれば良い?
…いっそ抉っちゃえば、誰も見えなくなるのかな


「…そうやってさぁ、幾つも引き出し持ってるのって狡いよねぇ」


『?』


愛という言葉を、暖かな想いを注ぐ先を細かく分類して周りに撒き散らす。
それを受け取るのは俺一人であるべきなのに。
柔らかな感情が幾重にも周囲に注がれるのは、どうにも。
俺を不思議そうに見つめる刹那の瞳が、ほんの少しだけ見開かれた。
怖い?ごめんね、でも直す気はないから。


「…まぁ良いよ。俺、優しいから。どう足掻いたって布と綿に戻る分際なら我慢してやらなくもないし?」


まぁ、ポチだって結局俺から産まれたものだし?あのぬいぐるみだって裂けば綿と布だし?綿の塊が模してるのは全部俺だし?
広く捉えてあげれば、それは俺だから好きって事だもんね?
それなら許してあげる。だって俺って心が広いからね、妥協って言葉も知ってるし、使えるんだよ。
だから今回は、俺が折れてあげる。


…他の男を模したものなんて大事にし始めたら、赦さないけど。


あ、そういえばアレがあるんだった。
何気に重要なものを思い出し、ぽかんとしている刹那から離れた


「刹那、はいコレ」


小さな棚から出した書類を刹那に差し出した。
何気無く受け取った彼女が紙面に目を落として、固まる。


『え』


うんうん、想定内。
フリーズした刹那を横目で見つつ、ゆっくりと、困った様な笑みを浮かべた


『………………っ』


「…流石に住所は弄れなかったからさ、俺ん家だけど。後は全員の生年月日も此方に合わせたよ」


小さな手にある書類は、戸籍謄本だ。
無機質に刻まれた家族の名を大事そうに撫でる指先に、ちりりと心の端が焼かれる。
…けれどまだだ。これは俺の好感度を上げる為のスキップアイテム、言わばふしぎなアメである。ん?ポフレだっけ?
まぁ上がればどっちでも良いや。
そういやあの日封印されてなきゃ、あと二週間ぐらいでポケモンの新作やれたのにな。悠仁と野薔薇がピカチュウで、“僕”と恵がイーブイ。イーブイって刹那っぽくて好きなんだけど。
…まぁ良いや、取り敢えず家族は踏み台でしかない。
綺麗な黒髪を、そっと撫でてやる。


「呪術師はさ、隠されてはいるけどそれなりに権力持ってんの。…呪霊に巻き込まれて殺された非術師の処理も、此方でしてる訳だし。
それと一緒。たまにあるんだよ、何らかの呪術的要因で十年後にタイムスリップとか、登録されてる戸籍の情報と合わない状態になった呪術被害者が出るケースが。
そういうヤツのバックアップ機能として、戸籍緊急改訂権ってのを呪術界は持ってる」


便利だよあの権利。
普段の使い方って気に食わないヤツを殺って、ちゃちゃっと戸籍弄ったり弄らなかったりっていう制度だし。案外やるんだよね、上の腐ったミカン達が。
自分達の一族の人間とか、政界のちょーっと恨みを買ってるヤツとか。
そういうのを片付けて、如何にも呪霊にやられましたって感じで肉体年齢なんか判んない様にぐちゃぐちゃにする。
それで改定権を振り翳しちゃえば、役所は頷くしかない。
呪霊の仕業か、それとも呪術師の仕業か────まぁそこら辺は非術師じゃ解らないから。
幾ら疑わしくとも、一度老害共に与えてしまった権利を取り上げるってのも出来ないんだろうね。


文字通り、呪われちゃうかも知れないから。


キラキラと輝く菫青がうっすらと膜を張る。その目許を指先で撫でながら、じっと見つめた


「ただあんまり捏造しても粗が出るから、家族は名前だけだ。
オマエは呪術的要因で死んだ一家の生き残りっていう事で戸籍を作ってある。…何か、質問はある?」


優しく囁いた俺の言葉に、とうとう菫青からぽたぽたと涙が溢れ出した。
俺は苦笑して、刹那を優しく抱き寄せる。
薄い背中をぽん、ぽん、とあやす様に叩きながら、にっこりと微笑んだ


「…ごめんね、刹那。俺は家族っていうものが判んないから、これぐらいしか出来る事は浮かばなかった」


にっこにこだけど、声は優しく。それでいて少しだけ切なそうに。
…いや俺マジで俳優に向いてるね?
まんまと誘導された刹那はぐすぐすと泣いている。勿論歓喜で。
あーかわいい。すんなり騙され過ぎて心配になるけど、そこがまた抜けててかわいい。


「…俺には暖かな家族が判らないけど、優しさもちゃんと判ってないかも知れないけど……それでも、刹那に笑ってて欲しいって、思ってるんだ。
…大好き、愛してるよ刹那。
色々ズレてるかも知れないけど、それでも…俺がずっと一緒に居たいって思えるのは、刹那だけだよ」


出来るだけ優しく、ゆっくりと。少なからず最後の言葉だけでも届く様に。
そう心掛けて話す俺に、静かに泣きながら刹那が抱き付いてきた。


『…悟は、優しいよ』


「そう?」


『うん』


ぐずぐずと鼻を鳴らしながら懸命に頷く刹那に、口角が吊り上がるのを抑えられなかった。


あーかわいい。俺に騙されてかわいそうに、かわいいね。


念の為に刹那の家族の個人情報覚えといて良かった!
これ好感度爆上がりでしょ?ありがとう、馬鹿な家族共。オマエらのお陰で刹那はとーっても堕としやすかった。
馬鹿と鋏とおんなじ。クズの雑魚でも使い様によっては役に立つんだね。
覚えておくよ、これも教師になったら使えそうなネタだ。


「そんなの、好きな子だからに決まってるだろ」


笑いながら、前後に身体を揺らす。
綺麗な黒髪を優しく撫でながら、紛れもない本音を口にした


「言ったでしょ、俺は刹那に笑ってて欲しいの。
だから…刹那だけには優しくしたいって、何時だって思ってるよ」


本当だよ。ただ、時と場合によって優しく出来ないけど。
でも何時だって優しくしたいし、愛してる。それは本当。
まぁ、そうじゃないとこんな面倒臭い好感度稼ぎはしないよね。本当は適当に作っちゃっても良かったけど、こうした方が長い間じわじわ効くだろうと思って、わざわざ興味もない人間の個人情報をインプットしたのだ。
案の定、刹那は此方の想定より余程恩を感じているらしい。
そう考えるとさ、恩義って、遅効性の毒みたいだ。
ずーっと心の奥に根を張って、報いる為に命すら投げ出させる。
恩を売って手駒を増やすのもアリかもね。それなら恐怖で支配するより手間は掛かるだろうけど、裏切りの心配のない駒が作れそう。
ああ、情けは人の為ならずってヤツ?そのままじゃない?


「好きなだけ泣いてよ。泣いてる刹那を甘やかせるのって、俺の特権でしょ?」


ぐずぐず言ってる刹那の髪の指通りを楽しみながら、背中を擦ってやる。
うーん、紙切れ一枚で好感度バッチバチに上がるとか、刹那はチョロインってヤツなのかな?
あ、違うか。人間って、弱ってる所で優しくされればコロッといっちゃうモンなんだっけ?あれだよね、浮気とか不倫するヤツの常套句。


何にせよ────それが俺のみに適用される様に躾てしまえば、何の問題もない。
















四月三日 夜


二人でキングサイズのベッドに転がって、向かい合う。虫の声すら聞こえない、静かな夜。
まるで、あの終わりに向かう七日間に戻ったみたいだ。
二人で住む小さな部屋を、枕元のテーブルライトが柔らかく照らしていた。俺の趣味ではない、角の取れた雰囲気のもの。
壁に背を向ける刹那が、俺の肩越しに窓の方を見て口を開く


『カーテン、綺麗な柄だね』


「ん?…ああ、あれ?刹那が好きそうだったから」


別に刹那が望むなら華やいだものでも良かったが、あまりそういうものは好まなそうだったから。
明かりを消すと出てくるのって面白いし、遊び心があって好きなんだよね。
カーテンに浮かび上がった水色の桜をじっと見ていたかと思えば、刹那の目はきょろきょろと部屋の中を動き回った。
忙しないのかわいい。小動物みたい。
一頻り、明かりを落とした部屋を見渡して、それから俺に視線を戻した刹那


『……悟』


「なぁに?」


そっと距離を詰めてきた刹那が、何処かもじもじした様子で囁いた


『家具、私に合わせてくれてありがとう』


「んふふ、どういたしまして。気に入ってくれた?」


『うん。凄くお洒落だし可愛い』


「流石俺。刹那の事判ってるね!」


うん、刹那の好きそうな物を選んだけど、全部正解だった訳だ。
俺からすれば、家具なんて最低限使えればどうでも良いけど、刹那はそうじゃないだろうと思ったから。
山茶花にアドバイスを貰いつつ選んで良かった。特別給与やろう。


『お皿とかは?寮生活ってご飯は準備されるの?』


「皿とかは最低限しか用意してないよ。つーか、この部屋は全部最低限の物しかまだないの」


『なんで?』


俺に抱き込まれた刹那が、不思議そうな顔で此方を見ている。
その視線を受け止めながら、目を細めた


「…だってさ、……同棲、みたいでしょ?
……そりゃあ皿とかさ、お揃いのマグカップとかさ…一緒に選びてぇじゃん」


『』


だって、夢だったんだ。
この腕の中に刹那を収めるのが。
どんな場所でも良い、一緒に暮らす事が。
刹那と共に居られるなら、それがどんな状況でも、どんな環境でも、俺はきっと笑顔で許容出来るって、解ってたから。


…だから今が、信じられない程嬉しい。


言葉は尻すぼみになって、視線を合わせるのもなんだか恥ずかしくて。
そっと逸らして呟いた夢の一部に、刹那は目を丸くしていた。


『悟、なんでそんなに完璧なのにクズって言われてたの…???』


「俺の優しさを理解出来ないヤツしか居なかったんじゃない?」


俺は兎も角、“僕”はまだ優しい方だったと思うけどね。でもクズって言われてたし、まぁ性格は実際良くはなかったし?
そう考えると、俺を性格まで完璧だって思ってるオマエが激レアなのかも。
とは言え俺だって、優しくしたくて頑張ってる。
だから、オマエの目から見た俺が優しいのは当たり前なのかもね。そう見える様に動いてるんだから。
綺麗な黒髪を指に巻き付ける。
するりするりと逃げる黒絹を愛でながら、静かに菫青に目を向けた。


「…刹那。明日から、きっとオマエの暮らしてきた世界とは真逆の生活になるよ。
毎日任務や実技があって、きっと怖い思いも痛い思いも沢山する。……でもね」


一度言葉を切る。
それからゆっくりと、希う様に、音を紡いだ


「俺は刹那の味方だって事、忘れないで。どんな事でもいいよ、俺に話して。
…絶対に、独りで抱え込まないで。それだけは約束してよ、刹那」


何でも話して、全部俺に晒け出して、独りじゃ立てなくなってしまえば良い。
俺に依存して、俺が居なきゃ何も出来なくなってしまえば良い。
腹の底の粘着質な愛情には気付かないまま、与えられた上澄みの言葉に少女は笑った


『うん、約束する。…悟も、私で良ければ何でも話してね』


「うん。沢山話そうね、刹那」


俺の本音に気付いたら、オマエは一体どんな顔をするんだろうね。














四月五日 朝


もう着る事はないと思っていた制服に袖を通し、椅子に腰掛けた。
少し肩幅や袖が余っているが、これから直ぐに大きくなるし、問題はないだろう。というか新調しないとサイズオーバーする。
胸元の渦巻き模様のボタンを指先で撫でながら、顔を上げた。
視線の先には折り畳み式のパーテーション。パステルカラーのそれの奥で、ごそごそと音がするのが堪らなく心地好い。
明るい光が射し込むレースのカーテンが、ふわりと揺れる。
春の風は何処か柔らかくて、そっと目を細めた。


…なんか、長閑だな。


こんなにゆったりした気分なの、何時振りだっけ。
ぼんやりと衣擦れとそよぐカーテンの音に耳を傾けていれば、パーテーションの向こうから刹那が顔を出した。
改めて見る学ラン姿にゆるりと口角が上がる


「うん、流石俺。百点満点」


『…なんで自分の学ランはカスタムしないんだろうね?』


「えー?素材が良いんだから飾り立てる必要ないじゃない」


『中身がクソ』


「刹那ちゃん??????」


唐突に毒吐くね?
でも心許してくれてる感じで好き!!!!
にこにこしている俺に呆れた様な顔をして、身形を整えた刹那は玄関で待っていたローファーを履いた。あ、勿論細工済み。爪先と踵にガッチガチに仕込んである。
ただ、あの生まれたての小鹿みたいに貧弱な脚じゃあ鉄板は無理だろうから、チタンだけど。
扉を開けた所で刹那が此方を振り向き、動かない俺に首を傾げた。


『悟?遅刻するよ?』


「刹那は先に行っててよ。俺は八分遅刻して行くから」


『えっ』


うん、俺初登校も遅れてったの。
そんで初端傑とスマブラしたんだよ。いやぁ懐かしい。イキってたね俺。
まぁ仕方無いよね。あの当時は周りのヤツは人間じゃなくて、猿だったし。
ぶっちゃけ面隠しナシで人の顔を見るのも初めてだったし。


『五条くんと同類は嫌なので、先に行きますね』


ちょっと待って???急にドン引くじゃん。なんで???
なんでそんな顔してんの???


「あ?オイなに急に距離取り出しやがったオイ」


『意図的に遅刻するとか……人としてダメでは…人間五分前行動がマナーでは…???』


「え?なんで俺が腐ったミカン共の指定時間にわざわざ五分前集合しなきゃならないの?
五条悟の貴重な五分を?ジジイにわざわざ繰り上げで使うの???
早く死ぬなら全然良いけどそうじゃないでしょ?アイツらゴキブリ並みにしぶといもん。
あー、ウン。わかった!じゃあ次からは、一旦部屋に寄って仮眠摂って十五分遅刻して行くね!」


『待って。流石に一桁にしてあげて』


「九分かな?」


『五分前行動は!マナーです!』


「マナーとか食えねぇモンどうでも良いわ。あ、安心してね。刹那との待ち合わせなら何時からでも居るし何時までも待ってるから♡」


『なにそれこわい』


「刹那ちゃん??????」


えー?紛う事なき本音なのに???
ポチを使えば刹那が産まれた時から傍に居る事だって出来るし、あの世界で刹那が死ぬまで待つ事だって出来たのに?


ぶっちゃけ時間軸を跨げば、どの刹那に会いに行く事だって出来たんだよ?


ただそうすると、ポチが時間の反復横跳びになって疲れ果てるだろうけど。
それで壊れたら、新しいポチを作っちゃえば無問題だし。


────ねぇ、偽りの幸せを刷り込んだ上で、世界を殺して王道の勇者とお姫様のストーリーまで体験させちゃう僕、天才じゃない?
胎児の時から見守りたいのを堪えて、ちゃんと一番効率的な時にオマエを連れ去る俺、偉くない?


へらりと笑いながらつらつらとそんな事を考えているなんて、きっとオマエは知りもしない。


『じゃあね悟!早く来てね!』


「行ってらっしゃいハニー、また後でねー♡」


時計に急かされ慌てて部屋を飛び出す刹那を、笑顔で手を振りながら見送った。


「……さて」


時間はたったの八分。
出来る事と言えば、これくらいか。


「もしもーし、元気ぃ?
────早速お仕事だよ、犬共」














ふわふわと道標の様に漂う水の様な呪力を追って、のんびりと脚を動かした。
とっくに集合の時間は過ぎている。でも焦りはしない。


責めるほどでもない遅刻をするのは、勿論わざとだ。


時間通りに相手が現れないというのは、思うよりも心理的なプレッシャーを与える。交渉で意図的に遅れるのは、相手を苛立たせ、判断力を鈍らせる為だ。
ある意味遅刻っていうのは相手へのマウンティングだから、そこら辺で腐ったミカンもしっかり自分の立場を察してほしいモンだけど。
逆に好きな子には、遅刻したお詫びって事で貢ぐ口実に出来るんだけど…どうしよう、刹那が来る十分前にはもう待ってる未来しか想像出来ない。
だって、刹那と外を楽しめる至福の時間を秒でも削る訳ないでしょ?待つわ。あー俺って健気。
あ、でも意図的じゃなくてもついうっかり遅刻してしまう事もある。俺ってもしかしてタイムベンダー?まぁどうでも良いけど。
刹那との待ち合わせに遅れる事はない。ならそれで良い


「刹那、悟はどうした?」


懐かしくもこの身では初めて訪れた校舎の教室から、低く重い声が聞こえてきた。
聞き間違えはしない、恩師の声。
…ああ、この人も、“僕”が取り零した一人だ。
いや、違うな。


“僕”の世界の人間は、あの世界は────須く手離した生贄だ。


俺が憎らしい愛しい女と共に生きる為に捧げた供物。
あの世界がその後どういう分岐を辿ったのか、知らないし興味もない。
だってもう、刹那はこの世界で息をしているんだから。
…ああ、恨むなよ。恨むなら、桜花刹那を存在させなかった世界を恨んで。


『えー………………っと』


俺の所在を問われ、返事に窮した声に思わず笑ってしまった。
嘘が下手すぎない?大方素直に遅れるつもりでした、とも言えなくて困ってるんだろう。
あーかわいい。なんでそんなにかわいいんだろうね。頭からぱっくり食べられれば良いのに。
笑いつつ、扉を横に滑らせた。
わざと荒々しく登場してやれば、狙い通り視線が俺に集中する。
黒い団子を頭に乗せた糸目に、気だるそうな雰囲気の泣き黒子。ぎっちり眉間に皺を寄せたヤクザ。


……あーあ、懐かしすぎてやんなっちゃうな。


相変わらず厳しい顔で此方を見る夜蛾さんの視線を無視して、空いていた席に着いた。
明らかに関わらんとこ、みたいな雰囲気を出している刹那に向けて、ばっちりウィンクしておく。
オイ嫁。逃げんな嫁。


「やっほーハニー、寂しくて泣いてない?」


『わぁ、知らないフリしたーい』


「そこは寂しかったわダーリン♡でしょ。あとで補習です」


『誠に遺憾です』


さっと目を逸らした刹那に硝子が耳打ちしているのを横目に見て、咳払いした大柄な男にゆるりと口角を上げた。


「悟、八分遅刻だ」


「ぁあ?馴れ馴れしいなオッサン。
誰?呪術師ってメンバー足んな過ぎてとうとうヤクザにまで手ェ出しちゃったワケ?」


「ヤクザではない。…お前達の担任になった夜蛾正道だ」


…ほんと懐かしいな。
会話自体は前と同じ。此処にただ、俺の最愛が加わっただけ。


ねぇ、夜蛾さん。
僕、散々世話になったのに、結局貴方を護れなかったね。


僕が封印されなければ、あの世界の貴方はまだ生きていたのかな。
僕が封印されない方法を模索していれば、貴方は死ななかったのかな。


…でもごめんね、僕はもう選んじゃったから。


二週目の貴方で良いなら、死なない様に立ち回るよ。
貴方が生きていれば、刹那を護るのに十分な防波堤になるだろうから。
口の悪い俺に驚いたんだろう、ぽかんとしている刹那を横目で見て、微笑んでやる。
すると安心したのか、細い肩がゆるりと落ちた。
力の抜けた刹那に目で笑い掛け、前を向けと合図する。
それにふわりと微笑んで従った刹那が可愛すぎてちょっと意味が判らなかった。え?かわいいね??まさかオマエ特性でメロメロボディ持ってる???
目が合ったらメロメロ掛けてくんの???大罪人じゃん監禁していい???


「これからお前達は五年間、この呪術高専で呪術師とは何たるかを学び、力の使い方を己で定める事となる。
誰に左右されるでもなく、自分で何の為に呪術師になるかを決めろ。
理由のない力は只の暴力であり、齎すものは破壊だ。
破壊では誰も救えない事を、心に刻め」


うーん、正論!
まぁ“僕”なら頷いてやらんでもない、みたいな感じかな。正論は嫌いだけど、拒否だけじゃ生きていけないからね。
ただし今の五条悟は十五歳。
非術師に触れた事もなく、家が丹精込めて作り上げた繁殖機能持ちの機械!対人スキルは底辺!


つまり!
正論嫌いムーヴが!!
許されるのだ!!!!!!!!


「……理由だぁ?んなモン雑魚が拳振り上げんのに必要な言い訳だろ?
呪霊が居たから祓う。それじゃダメなの?」


『……悟…』


隣で刹那が頭を抱えた。
ウケる。硝子はドン引きって顔だし、傑はキレる五秒前みたいな顔してやんの。
夜蛾さんは普通にイラついてる。ごめんね?でもこの歳でクソガキムーヴしなきゃ、五条悟はお利口さんって事になっちゃうでしょ?
それは困る。腐ったミカンに勘違いさせるとロクな事にはならないし。
だから前ほど酷くはしなくても、“僕”はやめて素直に生きようと思ってる


「…力を扱う者がその力に責任を持つのは当然の事だ」


「へーへー、御高説どうもアリガトウゴザイマス。刹那、学校探検行こっか。俺が案内してあげる」


『えっ』


正論飽ーきた☆
隣を見てへらっと笑ってやれば、刹那が急に抱き上げられた猫みたいな顔になった。かわいい。
硝子と傑は憐れんではいる様だが、助ける様子はない。
さらっと話をぶったぎられた夜蛾さんは、蟀谷に青筋を浮かべていた。はは、ウケる。キレてやんの。


「………刹那、悟の手綱をちゃんと握る様に」


『……………善処しまーす』


一つ深い溜め息を落とした夜蛾さんは、刹那にそう言った。
苦笑いした刹那が投げやりに返事をするのを見て、俺はにんまりと笑った














四月五日 昼


午後、早速行われたのは校庭での鍛練だった。
先ずは簡単に校庭を女は五周。男は十周。
準備運動にもなりゃしないそれを終わらせて、階段に腰掛けた俺は声援を送っている。


「刹那、がんばー」


『なんで……先に…おわってんの…っ』


「え?脚の長さ見てみろよ。サクッと終わるでしょ」


いや良く見て?そもそも腰の高さが違うじゃん?脚が長い分一歩が大きくなるんだよ。俺とオマエ比べなくても判るでしょ?
簡単に言えばチーターとロシアンブルーみたいなもん。
オマエ、スタイルは良いけどほっそいじゃん。走ったら折れない?
そんな事を内心呟きながら眺めていれば、きっと此方を睨んだ刹那が吐き捨てた


『バチクソクズ』


「刹那ちゃん??????」


「ぶふぉwwwwwwww」


「あ??????」


「刹那ウケるwwwwwwww」


「は??????」


ちょっとまって???
刹那が笑うのは全然良いよ?だってオマエは嫁。俺の嫁だから。
硝子も仕方無いから見逃す。
でもオマエ。前髪ぴょろりん。
オマエ俺に良い印象持ってないだろ?なのに噴き出しやがったな???


「なに噴き出してんだオマエ。つーか勝手に俺の嫁見てんじゃねぇよ」


今の俺はガンくれても暴言吐いても許される。だって五条悟(初期型)だから!
クソガキ特権を使って早速絡んでみれば、見た目は微笑んでいて一見穏やかそうなソイツは、直ぐに噛み付いてきた


「おや、日本は何時から十五歳で結婚出来る様な猿量産推奨国になったんだろうね?
ああ、君って確か御三家ってヤツだっけ?
だから現在の日本国憲法に疎いのかな。
呪術の大家の嫡男がそんなじゃ、先が思いやられるね」


「家はマジでどうでも良いわ。…でもさぁ」


ハァイ一本釣りー。
一度言葉を切って、口角を吊り上げた。


「庶民の間じゃ、売られた喧嘩は十億倍にして返して良いって話だったよなぁ?」


「……お殿様は相場もまともに知らない様だ。一度小学生に混じって算盤を弾いてみると良い」


「はーい悟くんおこ。叩き潰す」


「それは此方の台詞だよ」


「「………………」」


本当に、ああ言えばこう言うを体現した男だと思う。
舌が過活動で死ねば良いと定評のある俺の暴言にも、同じレベルで滑らかに言い返す。


…そういや前も、一日目から喧嘩したっけ。


俺達の空気が悪い事に気付いた女子二人がとうとう足を止めた。
おろおろしている刹那にサングラスを押し付けて、校庭の中央に向かう。
小さな背中が慌てて校庭を去るのを横目で確認してから、俺は声を張り上げた。


「吠え面かかせてやるよ雑魚!!」


「土の味を教えてやるよバカボン!!」


因みに。
乱闘直後、直ぐに飛んできたヤクザの鉄拳制裁が下された。















四月五日 夜


昼間にぶん殴られた頭が痛い。


「あ゙ークソ。まだ痛ぇ。あんのゴリラ加減ってモンを知らねぇのかよ…」


『冷やす?』


「いや、良い。もうこの痛みで反転術式会得するわ」


『そんな簡単に会得出来るものなの…?』


ぶっちゃけ反転術式は使えるけど、一応今は蒼しか使えないって事で通している。
その方が色々楽だし、いざって時の切り札は必要だろう。
だってほら、今の時点で茈使えます☆なんて言ってみ?即当主就任からの特級昇格待ったナシ。
上層部からは馬車馬五頭分の働きを求められ、家からは結婚をせっつかれ、俺が忙殺されている隙に、婚約者である刹那をどうにかしようとする馬鹿が絶対に沸いて出る。


ウーン、良い事全くナシ!!


補助監督だってまだ伊地知は居ない訳だから、毎回違うヤツが媚び売るか過度に怯えるかで地味にストレスを与えてくる訳だ。
良し、黙っとこ。
少なくとも、二年の星漿体護衛が来るまでは隠す。
あー、伏黒甚爾どうするかな。アイツ気に食わないけど、ジョーカーとして使えるんだよな。…一応所在は探るか。
ちら、と隣で出汁の味を調整している刹那を見る。
小皿にそっと触れた唇がなんか、えっちだ。
あー、キスしたい。怒るかな。
ぐつぐつと泡を噴き出す熱湯で踊る麺を菜箸でぐるりと回すと、刹那が声を掛けてきた


『悟、これちょっと味見してみて』


「ん?どした?」


『奇跡が起きた』


「???」


奇跡?出汁が刹那の味になったとか?
え、刹那を煮込んだらどんな味するんだろ。…風呂?風呂の水か?コイツ熱めのお湯にゆっくり浸かるもんな?


つまり刹那が入った後のお湯は、刹那の味がする…???


………明日飲んでみようかな。
渡された小皿を口に運ぶ。
舌の上に乗せた飴色の液体は、油揚げの甘味と醤油と白だしの混ざりあった味がした。
…ん?これって何かに似てるな。


「アレだ。どん兵衛」


『だよね?お揚げ入れたからかな』


「オマエ顆粒出汁とか色々入れてたじゃん。だからじゃない?」


『というか悟がどん兵衛の味を知ってた事にびっくりしてる』


「は?俺をどんだけ世間知らずだと思ってんの?そんぐらい知ってるって」


こちとら人生二週目だ。勿論夜中のカップヌードルの禁断の味も知ってるし、明らかに身体に悪いジャンクフードまみれの一週間だって過ごした事もある。
あとはユニクロっていう冗談みたいな値段の服だって体験済みだ。何でアレはあんなに安いんだろう。一回着たら糸屑になんの?と傑に聞いてドン引かれたのも懐かしい。
麺を引き上げ、用意した色違いのお碗に移した。
そこに刹那が出汁を注ぎ、俺がテーブルに運ぶ。
勿論こんだけじゃ足りないから、ご飯付き。此方をまじまじと見つめた刹那はドン引きしていた。なんで???


「カップヌードルとかコンビニのおにぎりとかさ、この頃は食べた事なくて。…全部新鮮だったなぁ」


『…楽しかった?』


「まぁね。でも今も、楽しいよ」


だって今は、俺の俺による俺の為だけのニューゲームだし。
静かに手を合わせ、いただきますを口にする。


「んー、うま」


『…ほんとどん兵衛みたいな味…』


「刹那、料理出来んのね。これから一緒作ろっか」


『…悟ってめちゃくちゃ手際良いじゃん…?邪魔にならない…?』


「ならないよ。それに二人で作る方が楽しくない?」


『そりゃそうだけど…』


寧ろ一緒にキッチンに立つとか新婚さんってヤツでしょ?新婚さんって何時でも何処でもフィーバーしちゃって、周りが「お熱いですねー(ドン引き)」ってなるヤツでしょ?
良いじゃん、面白そうだし新婚さんムーヴかましたい。そんで硝子と傑に疲れた顔させたい。
小さな口でうどんを咀嚼する刹那を見ながら、俺はゆるりと微笑んだ。

















「そうだ、刹那。はいコレ」


契約しておきながら渡すのを忘れていた。いっけね、悟くんったら慌てん坊さん☆
小さな手に乗せたのは白い長方形の筐体。
所謂ガラケーだ。懐かしいな、ちっさいしテンキーがまぁちっこくて押しにくい。
よくこんなの操作してたね、俺。


『ありがとう。なに?ガラケー?』


「携帯ね。今の時代じゃそれ最先端よ?」


『わー、画面ちっちゃ…ほんとだ、タップしても動かない…えっ、何これ伸びた。アンテナ?わぁ…これがガラケー…』


「あー、ウン。未来人の過去との遭遇って感じ」


初めてガラケーに触るんだろう刹那は、アンテナを伸ばしてみたり画面をタップしたりと好き放題やっている。
あれっぽい、初めて見る玩具をおっかなびっくり触る子猫。
うーん、俺の嫁は何しててもかわいい!百点満点!!


「先ずガラケー呼び気を付けな。んな言い方したらオマエの携帯ヒョウ柄にでもしないと怪しまれる」


『あー…もし他の人に覚えられてたら困るもんね…』


俺なら「そんな事言ったっけ?」で通せるけど、刹那は嘘が下手だ。何気なく問われても妙に反応してしまえば、相手から怪しまれるのは当たり前。
無駄に気を張らせるつもりもないが、あまり弛くても危なっかしい。
なので最低限のアドバイスをしてやれば、刹那は素直に頷いた。
うん、いいこ。
今日の予定の確認の為に色違いの携帯を取り出せば、刹那がぎょっとした顔になった。
何でだと考えて、待受を笑顔の刹那にしていたのを思い出した


『ちょっ、え?なんで?いつの間に?』


「んふふ、なーいしょ♡お気に入りは抱いた後に気持ち良さそうに寝てる刹那なんだけど、うっかり見られたら殺しちゃうから秘密のフォルダに入れてる」


『消して???』


「え?なんで??やだ」


なんでそんな事を言うの???
え?こんなにかわいいのに???秘密のフォルダにも選りすぐりの写真しか入れてないのに???


「あ、携帯のロック番号はオマエの誕生日だから。好きに見て良いよ。秘密のフォルダは番号違うから」


『……流石に勝手に人のケータイ見ないよ?』


心外だと言わんばかりに顔を顰めた刹那に思わず苦笑して、そっと唇を触れ合わせた。
判ってるよ、オマエは勝手に人の携帯を覗き見たりするタイプじゃないって事くらい


「違うよ。俺が見て欲しいの。刹那に所有されてる感覚を味わいたい」


『??????』


それが形あるものでも、ないものでも良い。
俺という最強を、この脆弱な存在が支配しているのだという感覚を味わいたい。
他の女に油を売っていないか隅々まで調べられたいし、スケジュールも管理してほしい。GPSを付けられたいし盗聴器もウェルカムだし首輪もしたい。
何だって良い。何だって良いから、刹那に所有されていたいのだ


「愛ってね、蜜にも刃にもなるんだよ」


『悟…?』


困惑した様子の刹那を、ラグに優しく押し倒した。


「俺は刹那を愛してる。全てから護ってあげたいし、一生その瞳に映っていたい。…だからね、だから」


唇を重ねる。
すっかりキスに慣れた刹那は、俺が唇を触れさせれば同じ動きをする様になっていた。
柔らかく数回押し付け合って、離れた。
菫青に映り込む俺は、うっそりと微笑んでいる


「……俺以外を見つめるオマエが、殺したくなるほど憎い時がある」


『』


「そういう時、どうしたら良いと思う?
オマエを傷付けたくない。でも殺したい。愛してるんだ。本当に。命だって捧げられるよ。でも憎たらしくて、どうしても殺したい。でもやっぱり愛してる。大事にしてあげたいのに、何処までも壊したくなる。
だから……だから、オマエを殺したい護りたい


『………………』


ぽかんとした顔の刹那は、何を言う訳でもなく此方を見上げていた。
あは、そういう俺を拒もうとしないところ、凄く良い。
だって、拒絶されたら────殺したくなっちゃうから。












四月六日 夜


「やっほーワンちゃん共。元気してる?」


高専付近の道路に停められた、闇に溶け込む黒塗りの車に乗り込んだ。
皮張りのシートの上で脚を組めば、助手席の山茶花が溜め息を落とす


「随分人使いが荒いですね、ぼっちゃま」


「最初に使い倒すって言ったでしょ。首尾は?」


「上々です」


「猿の数は?」


「五十はいったかと」


五十か。数としてはそれなり、ただ使うにはまだ弱い。
でもなぁ、溜め込むだけだと微妙だし、それだけじゃあ負の感情は爆発的に増えたりしない。
首の後ろで腕を組み、口を尖らせた


「なぁ椿、数が心許ないけどもう始めちゃうべき?」


「食糧を与えるのが面倒なので、とっとと始めて頂いた方が我等は楽ですね」


「ただ…狂気を抱き続けられるかどうか、という感じになってきますが」


「ネックはそこだよなぁ」


あまり短くとも直ぐに終わってしまうし、長く飼えば牙が抜ける。
ただ、毎日双子がジジイ共の目を掻い潜って五十人分の食糧を運ぶのは骨が折れるし、何より非効率だ。
それならば────さっさと纏めた方が早い。


「うん。じゃあ、始めよっか」












かつん、と靴裏が硬い石畳を叩いた。
山奥に隠す様に建てられたそこは、上から見ると古墳の様な、鍵穴に似た形状をしている。
その尖った部分に設置された扉から中に入ると、半円状の天井から、裸電球の灯りが弱々しく照らす通路に繋がった。


「そろそろ裸電球とかやめたら?せめて蛍光灯にしろよ」


「此処が放置されて何年経つとお思いで?」


「時代に取り残されてるんですからこんなもんでしょう。点くだけ御の字です」


先を歩く双子の後ろをのんびりと着いていく。何処と無くつんとした臭いが充満している気がして、サングラスの奥で眉を寄せた。
建物の球体部分に繋がる扉の呪符を剥がし、椿が開ける。
その瞬間にぶわりと襲う悪臭に、堪らず袖で鼻を覆った


「うえ、くっさ!!ヤダヤダ、うんこも小便も垂れ流しにしてんの?」


「人権を奪えと仰ったのは何処のぼっちゃまでしたっけ?」


「いや臭ぇよ。臭い移んじゃん無限って臭い弾けたっけ?」


無駄かもしれないが無限を張る。
お、ラッキー。刺激臭は毒物判定っぽい。
ご機嫌になった俺に結果を悟ったんだろう、術式は消臭フィルターじゃないんだぞと呟いた椿の言葉は無視した。


「こんなイカれた刑に処したのどっち?」


「取り敢えず人権を奪うなら、清掃放棄された家畜の刑だろうと山茶花が」


「取り敢えず人権を奪うなら、餌皿で土の付いた野菜でも食わせろと椿が」


「二人共良いね、ボーナスあげちゃう」


「「ありがたき幸せ」」


手摺に腕を乗せ、大きく円形に広がった屋内で中央を陣取る猿共を見下ろした。
下では既に此方に気付いた猿が、手を伸ばしながらきいきいと鳴いている。
どいつもこいつも頬は汚れ、髪もボサボサ。服だって汚ならしい。
端の方では小猿が根の生えた人参を齧っている。
その隣では、雄猿二匹が着物を着ていたんだろう雌猿に腰を振っている。
そこに理性はない。知性もない。
恥も外聞もなく、ただ己の欲に直向きに息をしているだけ。
あれだけ権力に執着していた雑魚の成れの果てに、ゆるりと口角を上げた


「閉じ込めてどのぐらいだっけ?」


「早いものでしたら一ヶ月程度かと」


「へぇ、人間って一ヶ月で人格崩壊が始まるって事か。ウケる、猿じゃん」


「まぁ、此処は窓もありませんし。早い者だと三日でイカれましたよ」


「あー、言うよね。真っ白い窓のない部屋に人間を閉じ込めたらってヤツ。
まぁイカれようがイカれなかろうが、どうでも良いけど。
…そうだな、もう餌は切って良いよ」


鼻が曲がりそうな悪臭の中でげっそりする山茶花と、無表情ながら嫌そうな感じが滲み出ている椿を笑う。
はよやれと言わんばかりの双子に緩く頷いてやってから、俺は階下の猿共に声を掛けた


「やぁやぁ皆、調子はどうだい?楽しい?極楽?そりゃあ良かった」


「悟様!!!」


「助けて!!!」


「どうして俺がこんな目に!!!」


「此処から出して!!!」


「ふざけるな!!!」


ちょこっと声を掛けてやっただけだというのに、猿はきいきいと興奮している。ふーん、これがあたおかってヤツね、OK把握した。
そろそろ猿の臭いが無限に染み込みそうで吐き気がしてきたので、手短に済ませようと決める。


「どう?此処に閉じ込められた気分は?楽しい?苦しい?俺を殺したい?
そっかぁ、気に入らないかぁ。
じゃあしょうがない。
とっても悲しいけど────出る為のゲームを、始めようか」











四月七日 昼


「刹那、呪霊を祓う時、先ずは何処を狙えば良いか判る?」


『えーと、頭?』


「うん、それも弱点。でもそういうのは、自分が圧倒的な力を持ってるって条件が出てくるよ」


都心の廃ビルの中、呪霊を前に簡単に解説をする。
相手は二級、余所見していても祓えるが、折角だし教材として使わせてもらう。
飛び掛かってくる呪霊の爪を身を捻って躱しつつ、背後で掌印を組んだままの刹那に講義を続けた。


「これは状況に応じて変えた方が良いけど、セオリーとして狙うべきは胴体だ。理由、判るか?」


『んー…大きいから?』


「正解!単純に的がデカいんだ。頭だと、ひょいっと首を捻ってカウンターでどーん!とかあるし」


一撃で確実に祓えるのなら、頭部を撃ち抜くなり捻り潰すなりすれば良い。
ただそれは、確実に呪霊より自分が強い場合であり、格上や等級が読めない相手にそんな事すれば、最悪カウンターを食らって死ぬ。
勿論刹那は後者。ただし未来に期待出来る呪術師だから…現状はミニリュウとか?
進化まで時間が掛かるけど、進化すれば頼もしい感じ。


「■■■■■■■■■!!!」


「じゃあ第二問!脚が速い呪霊は何処を狙えば良いでしょーか!」


『えーと、脚!脚を狙う!』


「惜しい!三角!」


『えっ』


それもまぁ間違いじゃない。ただし呪霊はほっそい脚で異様な速度を出すヤツも居るから、そういうタイプの脚を的確に撃ち抜くとなると、ちょっと難易度が上がってしまう。太いヤツならOKだけど、花丸とは言い難い。
バックステップで爪を躱しながら、ちょいちょいと指を曲げて挑発してやる。
知性が低いのか、呪霊は背中からずるりと新たな腕を生やし、激昂した様子で俺に飛び掛かってきた


「ヒントね。弱い内は無理するモンじゃないよ」


『とても腹立たしい』


「えー?めちゃくちゃヒントなのに?」


…そろそろ飽きてきたな。祓うか。
後退するばかりだった脚でぐっと踏み込む。
左を軸に、振り上げた右足で黒い胴体を思い切り蹴り飛ばした。
めきゃっと蹴られた部分を起点に身体がくの字になって、呪霊が薄汚れた壁に叩き付けられる。
でかい口から吐き出された紫の血は無限に阻まれ、ぱたぱたと床に落ちた


「正解は、カウンターで一撃食らわせる、でした」


『出来るか!』


「挑発して冷静さを失わせると二重丸です」


『私に死ねって言ってんの???』


「んー…じゃあお手本、見せてあげる」


ドン引いた刹那がちゃんと見ているのを確認。
それから、のろのろと身を起こそうとしている呪霊を、わざと囃し立てた


「やーい雑魚!オマエ程度じゃ蟻仕留めんのが精一杯だろザーーーーコ!!!
悔しかったら指一本でも俺に触れてみな!!!まぁオマエみたいなミジンコレベルのクソ雑魚には一生掛かっても無理だろうけどー!!!
わざわざ無駄に腕なんか生やしちゃってダッセー!!イキってんなよザーーーーーーコ!!!!!!!」


「■■■■■■■■!!!!!!!」


まんまと挑発に乗った呪霊を指差し、刹那に顔を向けた


「えー、この様に、呪霊は知性がなくても何となく馬鹿にされた事は判ります。それを利用しましょう」


『真面目くさった顔で此方見んな』


「■■■■■■■■■■!!!!!」


「うるさ」


『怒らせた癖に理不尽…』


怒号を響かせながら向かってきた呪霊を、即座に罅割れた床に叩き付けた。
そのまま祓う。
丸くなった菫青と目が合った所で、へらりと笑った


「こんな感じ。じゃ、残してあるあっちの呪霊でやってみよっか」


『えええ…』











「うーん、刹那は暴言の練習しよっか。流石に呪霊もトーテムポールみたいな見た目しやがって!は悪口だと思わないっぽいし」


『なんで呪霊に悪口言わなきゃいけないの…』


「煽ってナンボでしょ。そのぐらいしなきゃつまんねーし」


『つまらないって理由…?』


まぁ煽った方が、相手が冷静さを欠いて動きが単調になるのは確かだ。
只し、それにはある程度呪霊に知能がなきゃいけないし、微妙な悪口じゃさっきみたいに反応が悪い。
暴言吐かれてキレるでもなく首傾げる呪霊なんか初めて見た。
数秒呪霊と見つめ合うとかやめろよ、呪霊がオマエに惚れたらどうすんの?
まぁ俺は暇潰しに煽るけど、まだ弱い刹那は戦略として、煽りを選択肢に加えた方が良いだろう。


「取り敢えず、そうだな…雑魚と馬鹿はどんな低能にも効くから、まずそれを言う様にしてみろよ。
そうすれば大抵ブチキレて、真っ直ぐに襲い掛かってくる」


『…わかった』


「ん。いいこ」


くしゃりと綺麗な髪を撫でて、ビルを出る。
今の刹那は実力的に二級ぐらいなら倒せるが、まだ場数が足りてない。
本当なら二級に放り込みたい所だけど、そうするにはまだ対応力が育ってないし。
俺が付いていけば刹那は安心して、油断する可能性だってある。
んー…こうなったら、丁度良い任務を此方で見繕うかな


「刹那、任務終わったしカフェ行こうぜ。この近くにイチゴパフェで有名な所あるんだ」


『え、でも、真っ直ぐ帰ってきなさいって夜蛾先生が…』


「いいのいいの!あんまり真面目にしてるとハゲるよ?さ、行こっか」


笑って手を差し出せば、少しだけ困った顔の刹那が手を乗せた。
掌に乗せられた小さな手を傷付けない様に、そっと握った。


「…ねぇ、刹那」


『なに?』


小さな手をにぎにぎと包んで遊びながら、そっと問い掛ける。


「刹那はさ、ハッピーエンドとトゥルーエンド、どっちが好き?」


『どう違うの?』


「死ぬ運命だった仲間キャラが誰も死なずに、皆平和に生きていくのがハッピーエンド」


『トゥルーエンドは?』


「運命に逆らわず、所々で仲間キャラが欠けていって、最後には独りぼっちで立ってるのがトゥルーエンド」


誰が生き残るかは知らないけど、俺がもう終わらせてしまったけど、きっとあの世界はトゥルーエンドに向かっていた。


でもまだ此処は、始まったばかりだ。


今の俺は、刹那が望むルートに進める為、どちらでも選べる様に選択肢を多く持っている。いや、80%の確率で解ってるけど、聞くのは念の為。
というか、ルートを確定させる為。
隣を歩く刹那はうーん、と顎に手をやって、それからそっと、言葉を音に乗せた。


『…私は、ハッピーエンドが好きだな』


「どうして?喪って得る事もあるのに?」


『…独りは、寂しいよ』


ぽつりと落とされた言葉は、何時か教え子に“僕”が掛けたものと同じだった。
その言葉に目を細め、ゆるりと口角を上げた。


「……そうだね。独りは、寂しいよ」


此処に、俺の取るべき動きは定まった。
刹那が望んだから。
俺の神様がそれが良いと、選んだから。


────面倒だけど、ハッピーエンドを目指そうかな。


俺は誰が生きようが死のうがどうでも良いんだけど。
でも、俺の神様がそう望むんだもの。
応えてあげるのが、愛ってモンでしょ?











四月十日 夜


刹那が寝入ったのを確認して、そっと身を起こした。
一級と準一級レベルのぬいぐるみポチを傍に置き、静かに部屋を出る。
そのまま光の消えた廊下を進み、こっそりと靴を履く。
扉を開けて、とっぷりと闇が滴った世界に足を向けた。
迷いなく進み、長い階段を降りて、停められていた車に乗り込んだ。


「お疲れサマンサー。首尾はどう?」


「お疲れ様ですぼっちゃま。なんですその珍妙な挨拶は」


「将来流行るよコレ。国宝級イケメンのお陰で全国規模の挨拶になんの」


「はぁ…本当にぼっちゃまは剽軽になりましたね…」


「そう言ってやるな椿。人間らしくなって此方もやりやすいだろ」


「山茶花、そう言うのはぼっちゃまがもっと人に優しくなってから言え」


「オマエらどっちも俺が居る時に言うなよ」


相変わらず物怖じしない肉壁だこと。
後部座席で腕を組み、サングラスの位置を直した。


「お相手は?」


「三十分後にホテルのラウンジで落ち合う予定です」


「そ」


頷いた俺をちらりと振り向いた山茶花が、何処と無く不安げな顔で言った


「しかし…宜しいのですか?こんな事…下手すると刹那様がお怒りになるのでは?」


「馬鹿だな、悪巧みもバレなきゃ無問題って知らねぇの?」


「ですが…」


尚も言い募ろうとする女を無言で黙らせ、一人こっそりと口角を上げた。
うん、こんなにも刹那を案じるなら、ゆくゆくはコイツを刹那の護衛にしよう。
それまでに死んだらポチが護衛に収まるだけだし。


《ころしていいの?》


いやいや、まだ使えるんだからダメだっつーの。
腹の中のポチに内心そう返し、宥める様に臍の辺りに手を乗せた。












すっきりした内装のホテルのラウンジに、その男は居た。
スーツ姿の黒髪。何処にでも居そうなその男は、けれど俺をその目で捉えた瞬間、動揺した様子を見せた。


「…こりゃあ随分と大物が来たな」


「ハジメマシテ、孔時雨。俺の事知ってるなら話は早い。
…ああ、殺す気も捕まえる気もないから安心しろよ。
さて、ビジネスの話をしよう」


席に着けと促せば、男は此方を警戒した様子で椅子に手を掛けた。
万が一の際直ぐに逃げ出す為か、出口に近い方の席を取った孔に苦笑して、俺は向かいの席に腰を降ろす。
椿と山茶花は車で留守番だ。
相手は一人なんだから、複数でいけば警戒されるだろうし。
何より俺より弱い盾なんて、ぶっちゃけ要らないしね。


「俺は五条悟。簡潔に言うと、アンタに依頼をしたい」


「…五条家次期当主様が、こんなしがない男に何を依頼したいって?」


孔は椅子に腰掛け、テーブルに肘から先を乗せた。
右手は膝の上、しかし手は真っ直ぐに此方に向けられているのを感じ取って、笑ってやる


「撃ってみれば?」


「…何の事だ?」


「右手、掌サイズの拳銃。左手の袖には催涙スプレー?ああ、俺サングラスしてるし、吸っただけで喉を痛めるタイプかな。
使えば良いよ。当たらないから」


孔が訝しんだ表情で、俺を見る。


「…俺が仮にそれを持っているとして、だ。掌印を組んでないアンタに防ぐ方法はないだろ」


「いいや?無限はもう展開してるよ。俺に掌印は必要ない」


今の俺は、二十八歳の五条悟が十五歳の五条悟の身体に入っている状態だ。
それで呪力の核を掴めていない筈がない。
故にオート無限、掌印の省略、領域展開も完璧なのだ。
運ばれてきたコーヒーにざばざばと砂糖を落とす。うわ…と引いた顔をする孔は無視。
スプーンの上の砂糖を見つめたまま、口を動かした


「やりたきゃやれよ。でもその代わり、痛い目には遭わせるよ」


「…殺すのか」


「痛い目って言ったろ。殺しは命を奪う事だよ。痛みを与えはするけど、命は取らない。俺は優しいからね。
それに、依頼したいって言ってんのにソイツ殺せば世話ねぇじゃん。馬鹿なの?」


思ったままを口にすれば、男は呆気に取られた顔をした。それから深々と息を吐き出して、脱力。
がっくりと落とした頭をのろのろと持ち上げると、諦めた様に笑った。


「…参った。話を聞こう」


「それは良かった」


スプーンを操る手を止めて、にっこりと笑みを作る。
安っぽい背凭れに寄り掛かり、脚を組み直した。


「簡単に言うと、ターゲットは二人」


「ほう」


「ソイツらが呪詛師を雇う様にさりげなーく俺の部下が誘導してるから、接触してきたら程好い呪詛師を紹介して欲しいんだよね」


「…ほう」


「因みにソイツらが殺したがってんのは俺の婚約者だから。
可愛いあの子が怪我しない様に、強すぎず弱すぎないヤツでヨロシク!」


「あ、もうダメだ待て」


掌を向けた上に頭を抱えてしまった。なにコイツ?何をそんなに動揺してんの?


「お前…つまり自分の家の奴と婚約者を嵌めようとしてるのか…?」


「家のヤツは兎も角、婚約者は嵌めねぇよ。家の馬鹿がなかなか消えねぇから、下手な事すればこうなるぞって見せしめにしたいだけ」


「じゃあ、婚約者に呪詛師を差し向ける意味は?」


「え?特訓だよ。任務中のアクシデントなんてザラだ。
アイツには、そういうのにもきっちり対処出来る様になって欲しいからね」


四六時中俺が傍に居られたら良いけど、流石にそれは出来ない事を知っている。
幾らポチを着けているとはいえ、アレが確実に刹那を護りきれるかというと、正直頷きがたい。


だってポチは、俺より弱い。
この世で俺が強さを信用出来るのは、俺だけなのだから。


コーヒーを口に運ぶ。
ざりざりと舌の上に残った甘味を転がしていれば、孔が引いた目で此方を見ていた


「…つまり、お前は婚約者に経験を積ませる為に、婚約者に呪詛師を差し向けるって…?」


「そうだよ。呪詛師は二人ね。
あの子は三級だから、個人での任務はない。ペアを組む呪術師にも相手は必要だろ?
ああ、必ず潰すから、呪詛師は適度に強いけど捨て駒にしろよ」


刹那は二級程度なら倒せる実力はあるが、入学したばかりというのと俺の婚約者である事も踏まえて、安全面を考慮した三級だ。故に任務は俺か傑と組む事になっている。
恐らく傑と二人で組む日がある。その時を狙えば、無事特別訓練は行える筈。
未来の夫たるもの、妻が自分の身を護れる様に鍛えてあげるのは当然だよね。
ふふん、と笑った俺の腹の中でポチも笑った











四月十三日 朝


意識が浮上する。
数回瞬きの後、腕の中ですやすやと眠っている刹那をじっと見つめた。
同時に、簡単に術式と己の状態をチェックする。


術式、六眼共に異常なし。
意識の覚醒レベル問題なし。
体温も体感で問題なし。
ポチも沈黙しているが異常なし。
即座に術式展開、並びに即時戦闘も可能。


…うん、オッケー、今日も俺は五条悟だ。
ぽかぽかな刹那の頬にかかる髪をそっと退けてやる。
優しく抱え直し、寝顔を見つめる。
長い睫毛がぴったりと合わさって、うっすらと唇を開いて眠る姿はあまりに無防備だ。
きっと、今俺が首を絞めたら、このまま死んでしまうんだろう。
それぐらい、俺を信頼している。
命を狙われるなんて思わないぐらい、俺を信用している。


意識がなくとも向けられる感情が、どうにも。


そっと、柔らかな唇に顔を寄せる。
ちゅ、と触れるだけのキスをして、俺は目を細めた。


「愛してるよ、刹那」


俺の神様、今日は何して遊ぼうか。












四月十三日 昼


面倒な座学も終わり、昼休み。
食堂に場所を移した俺達は、注文している硝子と傑を待つでもなく、弁当を開いていた。


「刹那、今日ハンバーグにしよ」


『良いけど、どうしたの?なんか見て食べたくなった感じ?』


「ふと浮かんだから」


『そっか』


ぱくりと卵焼きを口に放り込む。刹那の味付けは優しくて、好きだ。
刹那は俺の半分程度のサイズの弁当箱から、きんぴらごぼうを摘まんでいる。
小さな口が動いているのを眺めていれば、硝子と傑がトレーを手に戻ってきた


「今日も弁当なの?良くやるね」


『昨日の残り物が殆どだし、卵焼き作るだけだよ?』


「毎日は私も無理だな。桜花さんが作ってるの?」


『ううん、悟と一緒に』


刹那がそう返すと、二人して驚いた顔で此方を見やがった。


「はぁ?なんだよそのツラ。俺だって料理ぐらい出来ますけど?」


「いや、家事は全部刹那に任せるモラハラ亭主関白クズ野郎だと思ってたわ」


「は??????」


「常識はないのに料理は作れるだと…?」


「あ??????」


いやオマエらほんと俺をイラつかせんの上手ね?作れますけど??モラハラも亭主関白もしませんけど???
睨み付ける俺を、刹那が隣で笑っている


『悟優しいから、大丈夫だよ』


「優しい…?堂々とクズなのに…?」


「オイ硝子」


『まぁクズだけど、優しいから』


「刹那ちゃん??????」


それフォローになってねぇの判る???
キッと睨んでみたが、くすくすと笑う刹那が可愛いので許した。
白米を口に入れた俺を他所に、蕎麦を頼んだ傑が話を続ける


「でも、悟は少し一緒に過ごしただけでも性格がアレだって判るだろ?桜花さんは同室だし、逃げ場もないんじゃないか?」


「あ?喧嘩売ってる?」


やるか?ぶっちゃけ俺の方が強いけどやるか?
睨み付ける俺に涼しい顔を返す傑に、一度此方を見た刹那が困った様に笑う


『本当に大丈夫だよ夏油くん。悟は優しいし、一緒に居て楽だしね』


「刹那、結婚しよ」


『うん』


かわいい。なんでこんな可愛いんだろうね?何をどうしたらこんなに可愛い生き物が産まれたんだろう?異世界産だからか?
堪らず刹那を抱き締めたら可愛らしく笑われた。あーーーーーー結婚しよ。


…そういや傑と話す時の声、固いな?











四月十三日 夜


みじん切りにした玉ねぎとミンチ、豆腐を混ぜたタネを掌に乗せる。
楕円型にしたタネを油を敷いたフライパンの上に並べると、手を洗った刹那が火を入れた。


「手のサイズちっちゃ」


『悟が大きいんだよ』


フライパンに蓋をして、刹那はスプーンでざっくりとタネを分けていた。小さい。俺何個食べれば腹が膨れるんだ。


「つみれ作ってんの?」


『ハンバーグですけど?』


「手がちっちゃいんだよなぁ…どうやって物持ってんの?コップとか実はドラえもんみたいに吸着式なの?」


『おこだよ』


肘で脇腹をつつかれ、擽ったさに笑った。
刹那が蓋を取り、フライ返しでハンバーグをひっくり返した。
勢い良く飛び跳ねた油が、刹那に当たる寸前でぴたりと止まる。
ぱちぱちと大きな目が瞬いて、それから俺を見上げた。


『ありがとう悟』


「どういたしまして」


『無限って便利だね…油跳ねの防止はめちゃくちゃポイント高いよ』


「ふふ、惚れた?」


『もう惚れてるんだよなぁ』


「あは、じゃあもっと惚れてね」


『ふふふ』


……ああ、しあわせだなぁ。
ふわふわと微笑む刹那にゆるりと目を細め、戸棚から皿を出した。
綺麗に焼き上がったハンバーグを更に乗せ、フライパンを洗ってから、区切られたタネを掌に乗せる。


…そういえば。
これ、俺と刹那で作ってるんだ。


何気なくタネに目を落とした。
ミンチと玉ねぎと豆腐を捏ねたそれが、べっとりと二人分の呪力に塗れているのを見て、小さく笑った。


この六眼は、あらゆる呪力の流れも汲み取ってしまう。


家では面隠しを着けて生活していたが、布の下、足元なんかは遮れずに裸眼で捉えていた。
べっとりと、元の畳の色を覆い隠す様に幾重にも塗りたくられた呪力が気持ち悪くて。
その当時は、知識として知っていた色をぐちゃぐちゃに塗り潰す呪力の所為で、正しい色を捉えられずに苦労した。
面隠しを少しだけ捲って膳を直視した時は、それはもう後悔した。


どろどろのぐっちゃぐちゃ。
幾つもの呪力に塗れた冷めた膳を前にして、空っぽな胃の中身を吐いた。


────それからだ。
何かを口にする時、面隠しやサングラス、アイマスクを手放せなくなったのは。
晒した六眼で直視するよりは、サーモグラフィーの様な視界で食べる方が遥かにマシだったから。


口にするものが見知らぬ誰かの呪力で汚染されているのは、堪らなく気持ち悪い。
誰かの汚い感情を自ら体内に招き入れ、胃で溶かして、吸収するのは────見知らぬ誰かに腹の中から犯されていく様で、気色悪い。


でも、それでも。
生きる為と脳を回す為、俺は食事の回数を多くしなくちゃいけない。
どんなに美味くても付き纏う気持ち悪さに、“僕”は折り合いを付ける事は出来たんだったか


…ああ、これを“傑”に話していれば。
そうすれば、まだアイツは隣に居たんだろうか。


『悟?』


優しい声で、はっとする。
隣を見れば、刹那が何処か心配そうな顔で此方を見上げていた。


『具合悪い?座っとく?』


「いや、大丈夫。美味そうだなって思ってただけだよ」


『そう?…良し、出来た。食べよ』


「おー!」


先程の考えは静かに霧散した。
だって、たとえ“傑”が傍に居たとしても────“僕”はきっと、ポチを産み出していただろうから。
焼き上がったハンバーグを盛り付けた皿をテーブルに運んで、席に着く。
コーンスープにハンバーグ、サラダにつやつやの白米。
どの料理にも、水の様な呪力と俺の呪力がべっとりと纏わり付いていて。


『「いただきます」』


箸先で、青と黒のフィルターがかかったハンバーグを一口サイズに割る。
たっぷりと呪力を纏ったハンバーグを口に招き入れ、じゅわりと肉汁の溢れるそれを咀嚼した。
ゆっくりと飲み込んで、目が合った刹那に微笑みかける


「ふふ、美味しい」


オマエの呪力、とっても美味しいね。













四月十七日 昼


真っ昼間だと言うのに、今日も今日とて任務に明け暮れている。学生の本分は勉強と青春だと思うんだけど。
何をどうしたらこんな血腥い青春になるんだか。何でって言うと呪術師だからで済んじゃうんだから、この世界ってほんとブラック。
引率の夜蛾さんは、今回の舞台である廃病院に帳を降ろし、待機している。
現在は回復アイテムである硝子を真ん中に、傑が先頭、俺と刹那が後ろの布陣だ。
入って早々現れた呪霊を三体は祓ったが、少し進めば直ぐに新たな雑魚が沸く。ポケモンの草むらかよ。虫除けスプレーないの?つーか雑魚を一ヶ所に集める撒き餌が欲しい。
飛び出してきた呪霊を鋭い氷が切り捨てた。
びちゃりと床に紫の血がぶちまけられて、俺はうげぇ、と舌を出す。


「何匹居んだよ鬱陶しい。刹那、バテる前に言えよ」


『うん。ありがとう悟』


「どういたしまして」


今のところ雑魚だから、刹那の経験値の為に敢えて手を出してねぇけど、これが等級が上がってきたなら話は別だ。
刹那の術式は便利だが、使えば使うほど体温を失っていく。
あと三回程度は任せても良いけど、二級相当なんかが来たら一度下げた方が良いだろう。
そんな事を考えながら歩いていると、少し前を歩く硝子が肩越しに此方を振り向いた


「ほんと五条って刹那にだけはゲロ甘だな」


「なに?硝子も優しくして欲しいワケ?ごめんね、俺の愛情って一人限定だから」


「なんで私が告ってフラれたみたいになってんだよクズ」


鋭く舌打ちをかました硝子を、ゲラゲラと笑い飛ばしてやった。
めちゃくちゃ嫌そうな顔するじゃん。なんかアレだね、二十代のクマで真っ青なオマエを見慣れてた所為か、なんかもう健康そうなのがギャグに見えてくるね。


「桜花さんは大丈夫?君はまだ三級だろう、無理はしない様にね」


『ありがとう、でも大丈夫』


刹那はちらりと此方を見てから、にこ、と傑に向けて笑った。
でもそれが愛想笑いなのは、俺からすればまる判り。
恐らく勘の鋭い傑も気付いているんだろう。何処か困った様に笑い返すと、傑は正面に向き直った。


…それにしても、ターゲットの位置が遠い。


奥の方に一つと、目当てじゃないけど二級レベルが別棟に一つ。
ダラダラ群れて歩くくらいなら、手分けした方が効率的だろう


「もうこれ二手に分かれた方が良くね?刹那、おいで」


『はーい』


素直に刹那が返事をした。
彼女を連れて別棟に向かおうとした所で、傑に止められる


「いや、悟は硝子と動いた方が良い」


「あ゙???」


「ガラ悪っ」


茶化す様な硝子の声は無視して、意図の読めない傑を睨む。


「刹那は俺の女だぞ。俺が護って何が悪い」


「無下限で護れる悟の方が、硝子の護衛に最適だという話だよ。桜花さんだって呪術師だ、何時までも悟におんぶに抱っこは彼女の為にならない」


一理ある。
ただしそれは、そんな自分の方が弱いと認める様な台詞は────オマエが言って良い訳ないだろ。
…ああ、そっか。コイツまだ十五歳なんだっけ。


そっかぁ、やっぱりコイツは夏油傑であって、“僕”と過ごした“傑”じゃないんだな。


いや、判ってたけどさ。改めて理解するのって、しんどいね。
刹那をそっと端に避けさせて、口角を吊り上げた。


「はっ、自分の力不足を俺の方が最適なんて言葉で誤魔化してんなよ。そんなのオマエが一級三体出せば解決すんだろ。
ああゴメーン、まだ一級とか手持ちに居ないんだっけ?
それとも何?態々仲睦まじい未来の夫婦を引き離して?オマケに女の方にオマエが付くだぁ?
なんだよ、ムッツリしたツラして寝取りが趣味か?」


「……表で話そうか、悟」


「一人で行けよポケモントレーナー。コラッタぐらいなら一人でゲット出来んだろ?」


前と同じ様に、ただし冷めた気持ちのままで適当に言葉を並べ立てる。
俺の軽口に簡単に煽られた傑は、表情こそ取り繕っているものの、握り込んだ拳が音を立てる程に苛立っていた。


「…表に出ろよジャリボーイ。愛しい彼女の前でタコ殴りにされたくないだろう?」


「あーやだやだこれだから脳筋ゴリラはさぁ!…良いぜ、行こうか。
顔面殴り潰してヤな感じー!って叫ばせてやるよ」


「おいお前ら、任務どうすんの?」


まんまと煽るのに成功した所で、刹那の隣に避難した硝子が聞いてきた。
青筋を浮かべた前髪男を睨み返すのを止め、二人の方に身体を向けた。
刹那が怖がらない様に、にっこりと笑みを浮かべるのも忘れずに。


「刹那、ちょっとの間硝子と待ってて。大丈夫、ポチも連れてきてるから。
万が一何かあっても直ぐに行く」


「桜花さん、済まないけど此処で硝子と待機して貰えるかな?大丈夫、直ぐに戻るから」


『いや、待つ前に喧嘩を止めれば……』


「無理かな!じゃ、行ってくるね☆」


「じゃあ、また後で」


二人に背を向け、足早に廊下を抜ける。
建物の外に出た所で風を切る音が迫った。
頬を狙う拳を避け、挨拶代わりに脇腹を打ち抜く


「ぐっ!」


「はっ!威勢が良いのは口だけかよ糸目!目ぇカッ開かねぇと大事なモン見落とすぜ!」


「これ以上ない程開けてる癖に、何も見ていない若白髪にだけは言われたくないな!」


「はぁ?俺が、何を、見てないって?」


右、フェイント、左掌底と見せ掛けて膝蹴り。
傑の攻撃を全て見切りつつ、嘲る様に笑って続きを促す。


「桜花さんの事だ。彼女、私と話す前に必ず悟を見てから話すよ。
どうせお前が何か言い含めてるんだろう?」


多大なる誤解である。
ぶっちゃけオマエと刹那が話そうが、仲良くしようが、俺が嫉妬するだけなので問題はない。
刹那がオマエを避けているのは、あの子の意思だ。
でもなぁ、そう言っちゃうとコイツ刹那に絡んでいきそうだしなぁ。
…よし、嘘吐こう。


「バレた?実はさぁ、他の男とあんまり話すなって言ってあるんだよね。
まぁ良いじゃん?オマエと話す必要ある?ないよね?
だって刹那には、俺だけ居れば良いんだから」


ヘラヘラと笑いながら言ってやれば、傑の拳の速度が上がった。
だろうね。夏油傑はそういう他者の一方的な束縛とか大っ嫌いだったし。


「それは桜花さんも同意の上か!?」


「同意してんじゃない?実際オマエと話したくないみたいだし」


「お前が強要しているからだろう!婚約者だからって、相手の全てを支配して良い訳じゃないんだぞ!」


「ハイハイ正論ゴクローサマ。
だから言ってんだろ?刹那には俺だけ居れば良いって。
支配されたがってるアイツを支配して、何が悪いの?」


まぁ傑を嫌っている訳じゃないだろうけど、避ける理由は不明だ。
どうすっかな、これ以上の嘘をどう繋ぐか。刹那の意図が読めない事には下手な発言もアウトだし…
適当に捌いていれば、血の上った男が言葉を叩き付けた


「一度お前は、彼女に捨てられてしまえば良い…!!」


「………はは、オマエがそんな事言っちゃうワケ?」


────オマエが。
俺を捨てたヤツが、よりによってそんな言葉を口にするのか。
無意識の内に呪力が拳に乗る。
強く叩き付けた拳が、傑のガードに回った左腕を鈍く軋ませた。
低い呻き声に動きを止め、ひらりと解いた手を振ってみる。
…ああ、力加減間違った。罅入ったかな。


「ははは。オマエにだけは言われたくねぇわ」


オマエは“傑”じゃないけど。
俺は今でも、恨んでるから。












四月十八日 夜


「────もしもし」


深夜。
電話を耳に当て、声を潜める。


〈俺だ。計画は無事進行中。ターゲットは呪詛師を二人発注したよ〉


「りょーかい」


〈呪詛師はどちらも呪具使いだ。遠距離からの狙撃を得意としてる〉


「オッケー。金は振り込んどく。…じゃあ、二十日に決行で頼むよ」


〈まいど〉


通話を切って、にんまりと口角を上げる。
ああ、楽しみだなぁ。












四月二十日 昼


朝、任務に向かう刹那と傑を見送って、俺は携帯を弄っていた。
同じく留守番組である硝子も携帯に目を向けている。
そういえば、硝子とこうして教室に残るのは初めてだな。
何気無く視線を向けると、グロスを塗った唇が動いた


「これは言いたくなきゃ言わなくて良いんだけどさ」


「んー?なに?」


「お前、何処まで刹那を縛るつもり?」


静かにサングラスの奥で目を細めた。


「……へぇ?
オマエはそういうのに首突っ込まないタイプだって思ってたんだけど」


「普通ならほっとくよ。でも流石に夏油と話す時、毎回お前の顔色窺ってから話すのは流石にないわ」


「ふーん」


頬杖を付き、携帯を仕舞う。
それからゆっくりと口を開いた


「俺が他の男とあんまり話すなって命令したって、言ったら?」


「最低だな」


「別によくない?だって二年後にはアイツも五条になるんだよ。
それまで無駄に浮気疑惑掛けられなくて済むんなら、そっちが良いじゃん」


いや、刹那が何を考えて傑を避けてるのかは知らないけど。
無難な言葉を返せば、それを信じた硝子が静かに唇を動かした


「お前は私とも他の女とも話すだろ。刹那だけ縛る気か?」


「俺よりも刹那の方が立場が弱いんだから仕方ないだろ。色目使ってるって言われて困るのはアイツだし」


「それはお前が上手く立ち回ればどうにか出来るだろ」


「簡単に言ってくれるじゃん?御三家の内部事情知らねぇ女が口挟むなよ」


「女一人護れないほどケツの穴ちっせぇなら威張んなって言ってんだ」


「おーこわ。力で敵わねぇんだから煽んなよ」


「はっ、力でしか勝てねぇ癖にイキんなよ」


然して表情を変えず、穏やかなフリをして殴り合っている。
刹那が見れば冷戦だと震えそうなそれを涼しい顔で行っていれば、先に硝子が表情を崩した。


「…刹那は、お前と結婚しない方が幸せになれそうだな」


「………」


きっとそれは、何気無い言葉だったんだろう。
硝子からすれば軽口。
本人も特にキツい口調で言った訳でもない。
でもそれは────俺の、地雷だ


「……なぁ、硝子」


ゆっくりと腰を上げる。
脚を動かして女の座る席に近付き、腰を曲げた


「俺はさ、オマエと傑と夜蛾さんは嫌いじゃないんだよ」


同じ顔で、同じ性格で、何処までも同一な他人であるオマエらを。
嫌いじゃない。嫌いじゃないから。
だから、他のヤツらよりは優先してやっても良いと思っている。


「でも、冗談でも刹那を俺から引き剥がそうとするなら」


顔の高さを合わせ、ゆっくりとサングラスをずらした。
目が合った瞬間、細い喉がひゅっと音を立てる。
大きく開かれた瞳を正面から捉えたままで、抑揚もなく、囁いた


「怒るよ」


「っ」


校舎が耳障りな音を立てて軋んだ。
どろりとした殺気と共に呪力をわざと漏らして、何処までも平淡な声で言葉を紡ぐ


「まだ首と胴体がサヨウナラなんて嫌だろう?それなら、もう俺とあの子の事は放っておいてくれよ。
俺と刹那は、幸せなんだからさ」


殺気に充てられたのか、硝子の息が浅い。
…こんなにコイツ弱かったっけ?と内心首を傾げ、それから理由に思い至った。


ああ、そっか。
“僕”の殺気を、十五歳の女の子が受けられる筈ないんだった。


オマケに硝子は気は強くとも、後方支援タイプだ。
身を護る術のないコイツからすれば、圧倒的強者の殺気なんて、ガードなしでぶん殴られてる様なモンだろう。
ゆっくりとサングラスを掛け直し、腰を伸ばす。
冷や汗を流す硝子を見下ろして、目を眇める。…よっわ。
殺気と呪力を引っ込めた所で、へらりとした笑みを口許に貼り付けた


「じゃ、そういう事で!
オイオイ、顔色悪いよ?ずっと体調悪いの隠してた感じ?
具合悪いんなら医務室行けば?じゃーね!」


ひらひらと手を振りつつ適当な言葉を投げ捨てて、俺は教室を後にした。
廊下を進み、裏庭に出た所で────溜め息を一つ。


「いやー、マズった!」


そっか、ちょびっととはいえ非戦闘員のJKに最強の殺気はダメだったね、反省反省。
多分“硝子”だったら僕にメス投げ付けるくらいはしただろうけど。
此処の硝子は十五歳だしなぁ。うーん、これ普通に嫌われるんじゃない?


…いや、でも硝子に好かれる必要ある?


だって、今まで通り適当に話しとけば良いだけじゃね?傷だって、今の俺は反転術式使えるから治せるし。そもそも怪我もしないし。
高専での円滑な人間関係の為に話はしても、ぶっちゃけ好かれる必要は…ないな?
だって“硝子”も僕と傑をクズって言ってたし。
高専での時間を一緒に過ごしてあの評価なら、無理に距離積めなくても似た様な親密度で終わるのでは?
傑もそう。無理に仲良くならなくても、それなりに会話する仲であれば良いのでは?


「それならいっか。俺が好かれたいのは刹那だけだし」


医師免許の取得という理由で離れていく女より、俺の神様の方が余程大事だ。


俺を裏切ってガキ二匹の手を取る男より、俺の神様の方が余程稀有だ。


生徒を見守るなんて言って俺だけを見てくれない男より、俺だけを信じてくれる神様の方が余程大切だ。


……ほらね。
やっぱりそうだ。
今の俺が何より護るべきなのは、刹那じゃないか。
勿論傑の離反は防ぐし、灰原も死なせない。
だってハッピーエンドが良いって、あの子が望んだから。
だから、誰が何と言おうと、俺は誰も死なない様に舵を切る。
でもそれは、別に親密度を深めなくたって出来るだろう。


だって────俺が最強になったから、“傑”は離れていったんだ。


親友だったから。
なんでも話せる距離だったからこそ、アイツは俺に何も話せなくなった。
追い付けない自分を許せなくて、置いていく俺を見たくなくて。
呑み込む呪霊の吐き気を催す様な味に、只管に詰め込まれる任務に、醜悪な非術師の所業に、疲弊したアイツはどんどん軸がブレていった。


…それならば、逆で良い。


このままの何処か余所余所しい距離で良い。早い内に俺が最強であると見せてしまえば、きっと無駄に高い鼻っ柱も折れる筈。
そして、早めに呪術師の汚い部分も見せてしまえば。
そうすれば、あの呪術師をヒーロー視している青臭いガキの理想をぐちゃぐちゃに出来るだろう。


《まま! みて!》


《まま!》


不意に校舎の影から、小さなぬいぐるみが二体飛び出してきた。
どちらも“僕”を模したぬいぐるみ。15cm程度しかないソイツらは、弱いので主に高専内を彷徨いている。


「よぉ三号と四号。なんかあった?」


《みて!》


《が!》


目隠しの僕を模したポチ四号が自慢げに見せてきたのは、真っ黒な蛾だった。
じたばたと無意味な抵抗をしているソイツは、一見すれば普通の蛾だ。


ただし、その翅に夥しい程の文字────呪詛が書き込まれているが。


どうせ俺じゃなく、刹那を狙ったものだろう。
俺の根城で呪殺を狙うとは、馬鹿すぎて同情する。
段差に腰を降ろし、小さな手が掲げた蛾をサングラスをずらして凝視した


「あー、この術式どっかで見たな…」


恐らく俺ではなく、“僕”の時に。
何処だっけ。どっかで見てる筈。
ねちっこくて気色悪いって、確かにあの時も────


「…婚約者とか勝手に言ってた女か」


思い出した。
勝手に人の婚約者ヅラして、他の女にマウント取ってたプライドの塊みたいな女。
ああ、丁度良い。
そろそろ穴蔵に補充もしなきゃだし、面倒は未然に防ぐに限る。


「ポチ、オマエら虫取り篭どこやった?」


《これ?》


「そうそう、蓋開けて」


三号が斜め掛けしていた小さなケースに蛾を放り込ませる。
そこにさっと指を走らせ、結界を張った。
これで証拠固めは完了。
ケースの中で暴れる蛾の翅にびっちりと刻まれた怨念にうげぇ、と顔を歪めていれば、弾かれた様にポチが空を見上げた。


《よんでる》


《しゅーごー?》


《ママ いってくるね》


ひょい、と普段腹の中で大人しくしているポチまでもが姿を現し、そう言った。
遠い地から集合を求めた。
それは刹那に付いたポチが、本性を現そうとしているという事だ。
つまり、孔時雨の手配した呪詛師と無事エンカウントし、刹那の手には負えないとあっちのポチが判断したんだろう。


「おー。刹那に怪我させたらマジビンタな」


《させない!》


《ポチ つよい!》


《いってきまーす!》


ひらひらと手を振って猟犬を見送った。
一瞬でポチが掻き消えた場には、中身を失ったぬいぐるみがころんと転がっている。
蛾の入ったケースに傷がないのを確認して、ぬいぐるみを拾っておいた。じゃないと刹那が怒るだろうし。


「…さて、どんな風になって帰ってくるかな」


見知らぬ人間から金の為に命を狙われるというのは、五条家で狙われたのとはまた違う心理的ストレスになるだろう。
そのまま恐怖で折れるも良し、怒りで捩じ伏せて更に成長するも良し。
どちらに転ぼうと構わない。
膝に肘を乗せ、口許で指を組む。
誰にともなく、象ってしまう三日月を隠した


「俺の神様は、どうなるのかな」


────ああ、楽しみだ。












四月二十日 夕方


呪詛師二人を捕らえて帰還した刹那と傑を出迎え、俺達は教室に居た。
宣言通り、きっちりポチが護り抜いた刹那は無傷だ。ただ傑が少々負傷したらしく、現在硝子が術式を展開している。


「俺の刹那を狙うとか、命が要らないって事だよな?良し殺そう」


「待て悟。まだ尋問中だ、殺すな」


「そうだよ悟、それなら直に狙われた私が先に手を出す権利を貰うべきだ」


「落ち着け傑。先ず座れ」


「おい夏油勝手に動くな。治療止めんぞ」


刹那を抱えながら呟けば、連鎖的に周りも騒ぎだした。
いや、まぁ俺が仕向けたんだけどさ。それでも刹那を殺そうとしたんなら、その雑魚は俺が殺しちゃって良いって事だもんね?
俺の腕の中にすっぽり収まった刹那は、膝の上のポチをそっと撫でた


《えへへ》


『ポチ、疲れてない?寝ても良いんだよ?』


《ポチ たいりょく、あるよ!》


『ふふ、そっか。じゃあ無理はしないでね?』


《ワン!》


にこにこしている刹那とくまのぬいぐるみに、堪らず天井を見上げた。


「えーかわいい…嫁が…俺の嫁がぬいぐるみときゃっきゃしてる…
刹那ってかわいいって意味だっけ…???」


『貴方疲れてるのよ』


「馬鹿が壊れた」


「硝子、悟が可笑しいのは何時もの事だろ」


「あ゙ぁ゙ん??????」


『wwwwwwwwwww』


外野!外野がうるせぇ!!
睨み付けた俺を、柔らかな声が笑う。
…一見、表情に固さはない様に思える。
でもやはり、何処か強張っているものを感じた。
菫青と目が合った所で、笑いかけておく


「…思ったよりダメージ受けてなくて、安心した」


『ふふ、大丈夫だよ』


擽ったそうに笑う刹那の耳許で、そっと言葉を落としておいた


「あとでゆっくり話そうね。それまで頑張って」


『………うん』


安心した様に微笑む刹那に、俺は笑った。










四月二十日 夜


全てを終わらせてベッドに入り、俺の胸元に顔を埋めている刹那を愛でている。


ああ、至福。


俺の匂い嗅いでる…嘘だろぎゃんかわ…すぅ…って深く息を吸い込んでる音がもうかわいい。
すぅ…ってなに???かわいすぎない???しかもそれって俺の体臭がオマエの小さな肺いっぱいに満たされてるって事でしょ?
うーわーやばい。えっ肺まで犯せるとかヤバくね???だって刹那絶対肺の内側までかわいいでしょ?
もうね、健気に小さな肺を動かしてんのがかわいい。
前に、今日も肺動かしてて可愛いねって言ったら、刹那に地球外生命体を見る顔をされた。解せない。


『あー……つかれた…』


「ふふ、お疲れ様。傑と仲良くなれたみたいで良かった」


『………怒らないの?』


のそりと小さな頭が動いた。
恐る恐る俺を見上げる菫青に、緩く口角を上げてやる


「怒らないさ。だって」


理由知らないけど、俺の為でしょ?


「刹那が傑と仲良くなれないのも、仲良くなりたいのも判ってたから」


菫青が丸くなって、はくり、と柔らかな唇が動く。
でも言葉は出なくて、ただただ驚きを伝えてくる刹那に目を細めた。
小さな吐息が唇から落とされる。
それから、ゆっくりと落ち着いた声が問い掛けてきた


『……何時から気付いてたの?』


「…最初から、違和感には気付いてたよ。
初めは俺の婚約者だから、下手に男と話さない様にしてるのかと思ってた。
でも刹那を見てたらさ、出来るだけ傑の視界に入らない位置を取ってるって気付いた。俺と傑が一緒に居ても、俺だけを見てたろ。
……それで、ああ、傑と仲良くなりたくないんだなって気付いた」


嫌いって訳じゃないんだろうというのは、最初から判っていた。
会話の始まりこそ俺を窺う様に視線を送ってくるが、キャッチボール自体はスムーズだったから。
嫌っちゃいない。でも話はしたくないっぽい。
結局理由が判らず、適当な出任せを口にする羽目になったんだけど。


「傑も不思議そうだったけどさ、そこは俺があんまり男と話すなって言い付けてるって言っといたから大丈夫。
まぁ、その代わりに刹那を無理矢理従わせてんのかって話になったんだけど」


『…ごめん』


「いや?俺達の喧嘩って何時もじゃん。だから問題ない」


傑とも硝子ともバチッたけど、問題ない。


ぶっちゃけアイツらは“傑”と“硝子”に恐ろしくそっくりな他人なので。
たとえアイツらが死んでも、俺は泣かないと思う。


…ああ、死なせねぇよ?だってそんなルートに行ったら刹那が泣いちゃうでしょ。
無理。刹那が、俺が用意した出来事以外で泣くのは無理。
なので、ちゃんとアイツらも死なないし離反しないルートを進むつもりでいる。
ある意味、その為の孔時雨だし。
柔らかな頬を撫でて、甘ったるい声で促した


「話してよ、刹那。あれだけ避けてた傑をどうして受け入れようと思ったのか、オマエが悩んで出した結論を、教えて?」


『………』


俺に求められる事が嬉しいのか、刹那の瞳がとろりと甘さを含んだ。
ああ、かわいい。
そんな風に俺を疑う事すらしないから、オマエは世界を殺されたんだよ。
うっそりと嗤う俺の内心になんて気付かない刹那は、ゆっくりと口を開いた


『…最初は、普通に友達になれたらって思ってた。でも、此処に来て生きてる傑と硝子を見たら』


一度、言葉を切る。
それから、苦悩に満ちた心境が、微かに震えながらも音となって零れていく


『…怖くなった。この人は、二年後には私達を置いて行って、傷付けて。
それで死体だけど、悟の大事なもの全部壊すのかも知れないって思ったら……怖くなった』


「……だから、友達になりたくなかったの?」


『………置いていかれるのは、嫌だから』


目を伏せたままに落とされていく言葉は、紛れもなく刹那の本音だろう。


この子は、怖いのだ。


心の柔らかい場所に入り込んだ存在が、自分を傷付ける事を恐れている。
それはきっと、家族に蔑ろにされた過去から来る自己防衛本能。それが多大に影響を及ぼしているんだろう。
そして、仲良くなる気のないままで終わっていたのが、彼方の世界の刹那だ。


『……でも、此処で私が介入すれば、悟が傑を止められるかも知れないって思った』


その言葉に目を細める。


『…だから、怖いけど、友達になる。
…………ごめん、自分の事しか考えてない答えで』


ぽそぽそと紡がれた言葉は、自嘲する様な笑みと共に締め括られた。
恐らくは自分本意だと考えているんだろう。
何処と無く泣きそうな顔で刹那が此方を見上げ、それから目を丸くした


『……………えええ…』


ぽかんとした顔で俺を見上げる彼女に、元から緩んでいた口角が更に持ち上がる。


多分、俺は今めちゃくちゃ笑っているんだろう。


刹那が戸惑っているのも納得出来る。
きっと先程の告白には、神妙な顔をすべきなんだろうとは理解していたから。
……それでも。


「ほんとにオマエは可愛いね。俺の為に怖いのに頑張っちゃって……あー、かわいい」


『………???』


彼方のままの刹那なら、俺との関わりを断った時の様に、傑に近付かなかっただろう。
今までと同じ、話はすれど距離は縮めないままで居た筈だ。
それだけ臆病で、慎重なこの女が。


「だって、俺が間に合う様に友達になるんでしょ?本当は怖くて堪らないのに、俺が傑が可笑しくなった時に引き戻せる様に、友達になるんでしょ?
……ふふ、健気だね。臆病で脆弱なオマエが俺の為に震えながら頑張る姿、とっても可愛いよ」


『……嫌いにならないの?』


「嫌いに?なんで?寧ろどうやったら嫌えるか知りたいよね」


『えっ、いや…知らないけど…』


俺の為に怖くとも手を伸ばす女を、どうやって嫌えると言うのだろう。
そもそも何処をどうやったら嫌いになれるのか、想像出来なくて困る。
多分知っても嫌える筈がないんだけど。でもほら、憎しみは沸くし。
まぁ殺したくなったらそれをムカつくヤツにぶつけるだけだから、刹那に被害はないんだけどさ。
あ、あるか。憎しみ余って愛しさ百億倍になるから。抱き潰すわ。ははは。
内心そんな事を考えていれば、目の前で刹那が怯えていた。
あー、ウン、ごめんね?俺真顔になってるね?
気付いて直ぐ、取り繕う様に笑みを浮かべた


「まぁ良いや。俺が刹那を愛しすぎて憎んで殺したくなる事はあっても、嫌いになる事なんてないよ。
…だからさ、そんな嫌われるかも〜、なんて無駄な心配はやめな?マジで無駄だから。それなら悟くんのカッコイイ所百個考えた方がよっぽど建設的」


『百は多いかな』


「俺オマエの可愛い所で論文書けるよ」


『絶対にやめて』


余裕だよ?なんなら桜花刹那について、辞書レベルの厚さで書けるけど。ほんとだよ?もしかして疑ってる?
うんうん唸っている刹那に顔を寄せた。
そのまま唇を重ね、優しく吸い上げる。
ほんの少し顔を離すと、柔らかな唇が先程の俺の動きを真似てきた。
ふふ、かわいい。
微笑んで、ぴたりと額を重ねる


「…ねぇ刹那、今日は一緒に行けなくてごめんね。ポチが本当の姿になって護ったとは聞いたけど、怖かっただろ?」


ポチがめちゃくちゃテンション高く戻ってきたから、問題ないのは判ってる。
そして刹那の落ち着いた状況から見るに、心が折れなかっただろうというのも把握している。
ただ、メンタルケアは必要だ。


だって今の刹那は────“五条悟の婚約者”として、金で雇われた呪詛師に命を狙われたばかりなのだから。


面識もない人間が、誰かの悪意の為に自分を殺しに来るのをどう思った?
数千枚の紙の束の為に、銃弾の雨を浴びるのはどんな気分だった?


「何処のヤツが依頼したか、今夜蛾さんが調べてくれてる。…刹那が無事で、本当に良かった」


昼間の事を思い出したのだろう、強張った刹那の頬を、慈しむ様に優しく撫でた。
ちゃんと悲しそうな顔は作れているだろうか。


一から十まで俺監修の安全な暗殺講習だった訳だけど、それを知らないオマエからしたら怖かったでしょ?


だから、暗殺未遂なんて目に遭ったオマエに寄り添ってる俺を演出してみた訳だけど、どうだろう。
暫し見つめてみれば、きゅっと柳眉が寄って、細い指が俺の目許をなぞった。
これは重畳、上手く演技出来ているらしい


「…ごめんね、刹那。オマエには笑っていて欲しいのに、俺は泣かせてばっかりだ」


『謝らないで。悪いのは悟じゃないよ』


「でも刹那が狙われたのは、俺の所為だよ。……俺は、刹那と一緒に生きていたいだけなのにね」


俺は穏やかに刹那と生きていきたいだけなのに、家のヤツらも上の腐ったミカン共も素直に頷かないからさぁ。


だから────彼方の世界で見た原作に登場していた孔時雨も、便利そうだから接触して。
家の面倒な雑魚が暗殺依頼をする様に、双子に然り気無く誘導させて。
刹那が傷付き過ぎない程度の呪詛師を手配して。
無駄に暗殺者ゴッコしてくる家の無能を取っ捕まえる証拠も保存して。
刹那を狙う馬鹿を有効活用する計画まで立てて。


うーん、健気!俺めちゃくちゃ頑張ってる!夫の鑑だね!
内心にっこにこな俺を見て何を思ったのか、刹那から唇を重ねてきた。
ちゅ、と優しく吸い上げて、もう一度柔らかく唇で包み込む。
その動きは拙いものの、何時も俺が刹那を慰めたい時にするキスをなぞっていた。


…ほんと、どうしてやろうかな。このかわいいの。


驚きに見開いていた目をゆっくりと細めた。
菫青に映り込む俺の顔は、どう見たって浅ましい色を滲ませていた。


「刹那、舌入れて」


『……ん』


誘う様に開いた咥内に、短い舌が差し込まれた。
にゅるりと侵入してきたそれを、歓待の意味も込めて一度舌で舐め上げておく。
そのまま動きを止めれば、舌先でゆるゆると形を確かめる様になぞられた。
舌の縁をゆるりと舐めると、次に歯列を辿られる。上も下も撫で回したあとは、頬の肉を戯れに内側からつつかれた。
もっと奥まで舐めやすい様に、口を大きく開ける。
その動きに誘われる様に、精一杯伸ばされた舌が、上顎の奥、ざらざらした場所を舐めた。
こすこすと擦り上げられ、身体が小さく震えた。


「んん………ん…」


『ふ……ぅん…』


きもちいい。刹那が俺を犯していく感覚が、堪らなく悦い。
褒める様に頭を撫でる。
もっと深く触れられたくて、舌先で誘ってみたが、どうやら疲れたらしい。
うーん、ちょっと残念。
ずるずると撤退する舌に、お返しに絡み付いた。
じゅばじゅばと数回強く吸い付き、上下に緩く扱く。
最後にじゅう、と吸ってから名残惜しくも唇を離した。
絡み合った証が細く橋を作り、ふつりと途切れた。
息を乱し、頬を赤らめた刹那が目を逸らしながら呟く


『……しびれた』


「んふふ、かぁいいね…たまにはじっくり舐め回させるのも良い」


『舌が攣りそう』


「ああ、舌短いもんね。でも俺の口舐めながら感じてなかった?」


『馬鹿』


「ははは、照れるなよ」


うーんかわいい。なんでこんなに可愛いんだろうね?
細腰をゆるりと指先で撫で上げれば、刹那が首を傾げた


『……えっちするの?』


「?オマエ今日は疲れてるでしょ。ヤりたいなら良いけど、ヤるの?」


『?眠いですけど…一回ぐらいなら…』


「いや眠いなら寝ようよ。何でヤんのよ」


『?』


「?」


……ん???
なんでこんな会話になったんだろう。俺はなんとなく腰を撫でただけなんだけど。
そもそも何故セックスしたいなんて思った?あ、待ってえっちって言い方かわいいね?
取り敢えず意見を擦り合わせる為、俺は白い頬にかかった髪をそっと払った


「なんで刹那は俺がヤりたいって思ったの?」


『だって男子高校生は猿なんだって。三日に一回は迫られるだろうから、嫌ならちゃんと逃げなさいって山茶花さんが』


「アイツほんとまともな事教えないね???」


一回刹那に何吹き込んでんのか確認するべき?
頬が引き攣るのを感じつつ、溜め息を一つ落とした。


「まぁ普通はそうなのかもね。傑もちょくちょく女引っ掛けたり寮抜け出したりしてたし」


『聞きたくなかった情報だわ…』


“傑”は寮を抜け出して女引っ掛けたりしてたけど。此方の傑もやるだろうね。
薄い背中を引き寄せて、すり、と鼻先を寄せた


「俺はね、性欲で言えば別にヤんなくても平気だよ。元々セックスに嫌悪を抱くタイプだから。…でもね、刹那には触れたい。沢山気持ち良くなって欲しいし、気持ち良くしてあげたい」


『…嫌じゃないの?』


「寧ろオマエが感じてる顔が見たいの。イカせたいの。俺自身の快楽は別にどうでも良い。だって擦って抜きゃあ良いし。
どっちかって言うと、俺の手でドロドロになったオマエが見たくてセックスしてるっていうのは大きいかな」


それに、と続ける


「何より、愛し合えてるって感じが凄くある。
刹那にあんな無防備な姿を見せて貰える程心を許されてるって、思えるから。
イカせられると愛せてるって思えるし、こんな小さな身体に挿れて受け入れられると、愛されてるって感じられるから」


『………………』


そもそも俺と刹那は30cm以上も違う。今はそれほどでもないけど、三年も経てばその身長差に落ち着くだろう。
そんなにも体格の違う男を、健気にも受け入れてくれる。
小さな身体には負担でしかないだろう男との行為に、達するほど感じてくれる。
それは心も通わせる事が出来ているからだと思っているし、俺の愛が刹那に伝わっているからだと考えている。


「そりゃあチンコ突っ込めば気持ちいいよ?でもね、それもオマエを可愛がるのに一番適してるからって面が強い。
長さも十分あるから、ポルチオも順調に調教中だし」


『やめて。変なトコ弄んないで』


「最終的にはお腹とんとんされただけで感じちゃうぐらい育てたいよね」


『いやだ』


外でお腹とんとんされて感じちゃったらそのまま押し倒す未来しか見えないんだけど、まぁそれはそれだ。育ててみたいんだから仕方無い。
首を振る刹那を笑って、ちゅう、と唇を吸った


「だからね、俺を気遣って誘ったりしなくて良いんだよ。お互いに疲れてない日に、ゆっくり楽しめたら、それで良い。
…こうやってキスするだけで、俺は満たされるから」


只でさえ呪術師は命懸けの仕事だ。
命のやり取りによる興奮が、祓除後も収まっていないのならするけれど、今の刹那にそんな様子もない。
寧ろ眠いなら寝てほしい。寝てる顔を眺めるだけでも、俺は幸せなので。
数回唇を重ね合って、目が合って、どちらからともなく笑う


「そういえばさ」


『なに?』


そうそう、めちゃくちゃ聞きたい事あるんだった。
前から気になりつつも聞きそびれていた事を、良い機会だしと口にした


「“僕”のチンコと俺のチンコって、違いとかあるの?」


『は?????????』


「だって“僕”のチンコ食ったのオマエだけだよ?そんでもって俺のチンコもオマエだけ。つまりこの世で五条悟のチンコの成長を感じ取れるのはオマエだけなの。
え?刹那ってばオンリーワン(ガチ)じゃん…五条悟を過去も未来も唯一食う女…?凄くない…?」


『…………………………』


「俺的にはまだ身長低いしさぁ、“僕”よりちょっと細くてちっちゃい気がすんだよねぇ。そこんトコ刹那的にはどうなの?
サイズ的には此方が無理なく入んのかな?いやでも“僕”の時は処女だったじゃん?今ならもうちょいスムーズに入ると思うんだよねぇ。
…あれ、寝ちゃった?おーい」











四月二十一日 深夜


刹那が眠りに落ちた後、俺はとある部屋を訪れていた。


「も…許して…ゆるしてくれ…」


「えー?でもオマエ、依頼人の名前言ってねぇらしいじゃん?」


呪詛師や危険因子を閉じ込める為の拘束室。そこに置かれた木製の椅子に背凭れを抱え込む様に座って、俺は手の中の水筒をちゃぷりと揺らした。
すると目隠しをされ、太い縄で全身を拘束された男は悲鳴を上げる


「ひぃ…!!」


「ほーら、熱湯・・かけられたい?」


「いやだ!やめてくれ!!頼む!!」


「じゃあ吐けよ。オマエに依頼したのは誰だ?」


わざとらしく水筒を揺らしながら、低い声で威圧する様に問う。
そこで口籠った男に大きく溜め息を吐いて、かつん、と高く靴裏を鳴らした。


「!!」


「俺はさ、別にどっちでも良いんだよ?
オマエの顔が熱湯で焼け爛れようが、一滴ずつ熱湯を垂らして、掌に穴を開けようが。
好きな方を選んでよ。俺も鬼じゃない、選んだ方を誠心誠意やってあげる」


「ぃや、だ…」


「どっちが?」


「っ…」


ちゃぷり。


「っ!!!…五条の!!五条の家の者だって言ってた!!」


「ふーん。名前は?」


「し、しらねぇ…」


水筒のキャップを、音を立てながら開けてやる。
その音で肩を跳ねさせた男を無感情に見つめ、ゆっくりと腰を上げた。


「名前は?」


「し、知らないって!本当だ!」


「五秒あげる。ごーぉ」


「信じてくれよ!」


「よーん」


「なぁ!知らないんだって!なぁって!!」


「さーん」


「頼む!頼むよ本当なんだよ!!」


「にーぃ」


わざとらしく靴音を高く鳴らす。
キャップを足許に投げ捨てる。
金属が硬い床にぶつかり、キィンと残響が響いた。
何かの音がする度に男の身体はびくついて、終いには歯の根が合わなくなった。


「いーち」


目の前でわざとじゃり、と足許を踏み締めてやると、がちがちと歯がぶつかる音が大きくなった。
さて、何処にかけようかな。
ゆっくりと水筒を持ち上げた所で、とうとう我慢の限界が来たのだろう。
惨めったらしい声が部屋に響いた


「五条■■!!あの女はそう言ってた!!」


「………へぇ?」



それは、孔時雨が引っ掛けたターゲットの名で。
俺はサングラスの奥で目を細めた。
手にした水筒を静かに持ち直し────


「もう一人居るでしょ。ソイツを隠したから、ペナルティね」


ばしゃり。











拘束室を後にすると、通路に大柄な影があった。
ゆっくりと其方に顔を向けると、影…夜蛾さんが、凭れていた壁から背を離す


「……悟」


「あれぇ、夜蛾さんじゃん!お疲れサマンサー!なに?こんな遅くまで働いてんの?教師も大変だねぇ」


「はぐらかすな。何故無断で呪詛師に接触した」


誤魔化す事は許さないと言わんばかりの雰囲気を出す夜蛾さんに、俺は静かに首を傾げた。


「え?俺の家のヤツが悪さしたんだよ?
何でそれを突き止めるのにアンタの許可が要るの?」


「たとえそうであっても、学生が呪詛師を尋問するなど有り得ん」


「学生は学生だけどさ、俺は五条の次期当主だよ。今だって学生で家を継ぐのは面倒だから継いでないだけで、十分にこなせる実力はあると思うけど」


「思い上がるな。全てを自分の思い通りに出来るなんて、若さ故の思い込みだぞ。
組織に所属するなら規律は護れ。
確かに学生は都合上、呪詛師を拘束する場合もある。
だが、拘束した呪詛師に許可なく接触するのは、呪術高専という組織に属する上での規律違反だ。判るか?」


あー、めんどくさい。
これだからクソ真面目な規律主義者は面倒なんだよ。
最早会話するのも面倒で背を向ける。
すると、背後で夜蛾さんが声を荒らげた。


「待て悟!話はまだ……」


「────ああもう、ウッゼェな」


一歩踏み出し、肩を掴もうとした手がびたりと停まる。
…俺に触れられもしない癖に、なんで俺が従うと思っているんだろう。
解んないかな、“僕”は“夜蛾さん”の正しさに自分で納得して従っていただけであって、今の俺がアンタの言う事を聞く筋合いはないってこと。
納得出来なきゃ、何時だって無視出来ていたって事を。
…解んないか。
だってアンタは“夜蛾さん”じゃないもんな。


「正論ばっかで生きていけるなら誰も泣かないし死なねぇだろ。
俺が動かなきゃ刹那は死ぬんだよ。
知ってる?今日だって呪いの詰まった蛾が、高専内を飛んであの子を捜してた。
覚えのある術式だと思ったら、五条の関係者だった」


振り返り、サングラスをずらして正面から見据えた。


「刹那は俺が護らなきゃ、直ぐに死ぬよ。だってウチは腐っても御三家だ、歴史の分だけ腐った手段は幾らでもある。
だからこそ、二十四時間アイツを護る覚悟が要るよ。


────ねぇ、夜蛾先生。


先生は傑とも硝子とも、何なら他の生徒や呪術師とも仲が良いよね。
仲が良いから、見捨てられないよね。
それにさ、先生優しいから、暗殺に一般人パンピー巻き込まれたら、簡単には見殺しに出来ないよね。


そんな先生が、五条家から刹那を護れるって、言えるの?


他の大事なものぜーんぶ捨てて、桜花刹那っていう先生にとっちゃ生徒ってカテゴリーの一つでしかない小娘を救うって、言えんの?」


目を見開いた夜蛾さんは、口を一度開いて────それから何も発する事のないまま、閉ざした。
…ほら、それが答えだよ。
刹那はアンタの“パンダ”にはなれない。
サングラスの位置を戻して、俺はへらりと笑みを作った


「気にしなくて良いよ、立場の違いってヤツもちゃんと理解してるから。
夜蛾さんが大事なものを優先する様に、俺は刹那を優先するだけ」


背を向ける。


「だからさ」


薄暗い道を捉えながら、口だけを動かした


「邪魔、しないでね」


脚を踏み出す。
声はもう、聞こえなかった。













四月二十二日 夜


術式で京都までトんで、とある家に乗り込んだ。事前に仕入れていた情報を元に、足早に廊下を抜ける。
途中で擦れ違った使用人が居る筈のない俺に仰天した声を上げるが、無視。
辿り着いた部屋の障子を勢い良く滑らせれば、すぱぁん!!と景気の良い音が宵闇に響いた。
ぎょっとした顔で一斉に此方を見る雑魚に、サングラスを外さずに口角だけを上げてやる。


「やぁやぁ皆、調子はどうだい?
夜にコソコソ集まるなんて酷いじゃん!俺誘われてないんだけどー!
……さぁて、何のお話をしてたのかな?俺も混ぜてよ」


当主の私室に居たのは男が三人と、女が二人。
夫婦であろう二人と、その娘。残りのオッサン二人はそれぞれ別の家の当主だ。
サングラスの奥から静かに目を細めた。
…娘は過去に“僕”の婚約者を勝手に名乗っていた女と良く似た面立ちで、呪詛を刻んだ蛾に込められたものと同じ術式と呪力を持っていた。


「さっ、悟様!?えっ、何故此処に…あっ、私ずっとあなた様にお会いしとうございました!」


「黙れブス」


立ち上がろうとした娘にそう吐き捨てて、隠し持っていたケースを畳に放った。
腰を上げようとした中途半端な体制のまま、全員が強張った顔で固まる。
ケースの中で暴れる蛾を見下ろして、俺は笑みを作った


「これ、高専の中で飛んでたけど。オマエらって確か、自分の髪で物を作る術式だったよな?」


自分の髪に血液を垂らし、それに呪力を込めて物を象る術式。勿論髪自体もある程度は自分の意思で操れる。
大したものが作れる訳でもないソイツらの家を覚えていたのは、“僕”にこの女がアピールしてきて煩わしかったから。
当時は雑魚が勝手してんなーって思うだけで黙っていたけど、今の俺はそうじゃない。


だって刹那が、此方の世界に居るんだから。


そしてあろう事か、コイツらはあの子を狙ったんだから。
青ざめた親子を尻目に、つい、と視線を動かす。
別の分家の当主共には、書類の束を投げ落とした。
男二人の細い目が紙面を捉え、飛び出さんばかりに開かれる。
────孔時雨から貰ってきた契約書のコピーは、どうやらお気に召したらしい


「オマエらが呪詛師を雇って、刹那を任務に乗じて殺そうとした事。
それからそっちの娘の方が、術式で刹那を暗殺しようとした事。
証拠は上がってるんだ、大人しくした方が痛い目には遭わなくて済むよ」


「ご、誤解です!私達は何も…!!」


「この書類の筆跡、名前、指紋鑑定済み。そんでこの蛾は完全にオタクらの娘の術式、呪力と一致。
オマケに呪詛師がオマエらの名を吐いたよ。
…で?こんなに証拠残ってるのにまだ足掻く?あんまりしつこいと、適度に乱暴しないといけなくなるんだけど」


出来るだけ穏便に済ませようとしている俺の背後で、二つの影が控える。
椿と山茶花は、俺が肩越しに目を向ければ静かに頷いた


「この家の者、全てを捕らえました」


「彼方の家の者も既に捕らえております」


「御苦労。…さて、どうする?無駄に足掻いて手足とバイバイする?
それとも五体満足なまま連れていかれる?
好きな地獄を選んでよ。俺はどっちでも良いからさ」


にっこりと笑った俺を、絶望した五対の瞳が見上げていた















家の前に停めてある、黒塗りの車に乗り込んだ。
運転席の山茶花に、軽い調子で声を掛ける。


「呪詛師の運搬は上手くいった?」


「無事に引き取る事は出来ましたよ。ぼっちゃまと刹那様の担任の方が、少々難色を示されてはいましたが」


「ああ、夜蛾さんね。放置でオッケー」


「勿論放置しました」


しれっとした山茶花の言葉に笑ってしまった。
ああ…でもこれどうしよっか。俺、夜蛾さんと軽くバチッたばっかなんだけど。
…まぁいっか。家の問題を家がどうにかするのなんて当たり前だし、自分でやった事は最後まで自分で片付けなきゃ。
後部座席で脚を組み、用意してあったココアの缶を手にする。
缶に可笑しな所はないかを確認して、よく振ってからプルタブを起こした


「椿は?」


「分家の人間を運搬中です」


「アイツ大型の免許持ってんの?」


「何時何があるか判りませんから」


まぁ最近の俺は、分家の人間をまるっとあの施設に放り込んでいる訳だから、命じられた双子がトラックを使っていても何も可笑しくない。
何年後だっけ?中型とか准中型とか免許も複雑化していくけど、今じゃないしね。


「そういえばさぁ、呪詛師を手引きした補助監督ってどうしたっけ?」


「それならあの後自殺したそうですよ。噂ですが、焼け爛れた遺体が上がったとか」


「ふぅん…」


恐らくは孔時雨の部下だろうが、俺が殺る前に回収したか。
別に置いててくれても良かったのにな。


「親父は?」


「何も」


「そう」


口を出したが最後、当主を引き摺り下ろされる事を察しているんだろう。ダチョウ程度の脳味噌だが、保身に関しては知恵の回る男だ。
このまま家を任せても問題ないだろう。


「刹那様の様子は?」


「元気だよ」


「ぼっちゃまの悪巧みに感付いた様子は?」


「ないない。多分あの子、俺がした事なら全部許しちゃいそうだし」


だからこそ、水面下の行いは全て隠しているのだけれど。
そこまで聞いてあからさまに胸を撫で下ろした女に、むっと口を尖らせた


「なに?俺が刹那にバレる様なヘマするとでも?」


「ぼっちゃまは人とズレてますから」


「オマエ椿が居ないと悪口フォローするヤツ居ないって気付けよ」


「助手席蹴んなクソガキって思ってるそうですよ、椿が」


「居ないヤツに罪を擦り付けるなよクソババァ」













四月二十三日 深夜


長野のとある施設に着いた頃には、既に荷物の搬入を終えたらしい椿が待っていた。


「お疲れ様です、ぼっちゃま」


「お疲れサマンサー。ほら、差し入れ」


気紛れに買った栄養ドリンクを放り投げる。
受け取った椿が、大袈裟に目を丸くした


「ほぉ、栄養ドリンクを差し入れねばならない程我等を酷使している自覚がお有りの様で」


「素直に礼を言えよ。可愛くねぇな」


「アリガトーゴザイマス」


「やっぱ返せ」


「頂いたんですから俺の物です。
…ふふ、ありがとうございます、ぼっちゃま」


「……ふん」


どうにも時折下らない事がこっぱずかしくなるのは、肉体年齢に精神までも引っ張られている様に思えて仕方がない。
今のだって、“僕”なら「へぇ?お礼言うとか成長したねー」くらいの軽口を返せていたのに。
微笑ましいものを見る目を向けてくる山茶花に腹が立つ。言っとくけどほんとは俺だって今のオマエらと同い年だからね?
そんな歳の離れた弟を見守るみたいな慈愛の目を向けんな、ムカつく。


「あー、椿、あの呪詛師は?掛けてたの水だったけどさ、思い込みで死んでたりしないよな?」


尋問の際、俺が男に掛けていたのは水だった。
人間は思い込みで強く生きる事も、死ぬ事だって出来る。
あの時は男の視界を塞ぎ、最初は本当に熱湯を入れた水筒を近付けた。
顔に当たった湯気は、勿論本物。
それで“嘘を吐けば熱湯を掛けられる”と思い込ませ、実際にヤツは掛けられた水を熱湯だと思い込んだ。
依頼者を全員吐かなかった罰として水を掛けた際、絶叫したのが良い証拠だろう。
流石に運搬中に死んでないだろうなと思いつつ確認を取れば、椿が頷いて見せる


「死者0で搬入済みです。
既に運び入れましたので、始まっているかと」


「そりゃ良いね。とっとと合体させた方が効率的だ」


どうせ死ぬなら役に立って死んでほしいし。
重々しい扉を椿が開け、中に入る。
裸電球が頼りなく照らす通路を抜け、奥の扉を開けた。


「助けて!!」


「ああアアあああアアアアアア!!!!」


「■■■、■■■■■■!!!!」


「ひいいい!!ああ゙!!い゙や゙だぁああ゙あ゙ああああ!!!!」


放り込んだばかりの女が、ばりばりと着物を引き裂かれている。
刹那を狙った呪詛師の男が、首もとに食い付かれ、びしゃりと血を撒き散らした。
汚れを知らぬ赤ん坊が足の先から食われ、悲鳴を上げている。
分家の当主だった男が、此方に手を伸ばしながら、無遠慮に目玉に歯を立てられた。
獣とは、正しくこういうものを指すのだろう。
地獄絵図の様な光景を見下ろしながら、俺は顎を擦った


「うーん、やっぱ新鮮な餌に食い付くのね。栄養価が高いものに向かうのって生物の本能なのかな?」


「…ぼっちゃま、これを見ても平気なんですね」


「山茶花、キツいのなら出ていろ。ぼっちゃまには俺が付く」


「いや、平気だが…数日肉が食えそうにない」


「マジで?俺帰りに焼き肉食べたい」


「イカれてますねぼっちゃま」


「おい山茶花。ぼっちゃまは常人と精神構造が違うだけだ」


「おい椿。神経がズレてるなんて失礼が過ぎるぞ」


「オマエらどっちも失礼が過ぎるけどな???」


無礼な双子を笑ってから、階下を覗く。
双子は悪臭に顔を歪めているが、俺は建物の外に居た時から無限を張っているので無問題。
獣が人を貪る様をぼんやりと目に映していれば、下から甲高い声が俺を呼んだ


「悟様!どうか!どうかお助けを!!
何故この様な事をなさるのです!?この者達はどういう事ですか!?」


それは蛾で刹那の暗殺を目論んだ女だった。
髪を振り乱しながら獣を殺す女に、俺は背後の椿を見る


「あー、ルール説明してない感じ?」


「はい。勝手に共食いを始めましたので」


それじゃあただ犬死みたいになるのか。まぁそれでも悪くないけど。
でもどうせなら、ある程度自我を残したヤツに生き残ってほしい。
そう考えた俺は、にっこりと笑って言葉を放った


「その中で生き残った一人だけを出してあげる。
だから────生き残りたければ、頑張って♡」


絶望を目に浮かべた女の顔が滑稽だった。












四月二十五日 昼


振り抜かれた小さな拳をやんわりといなし、脇腹を狙う脚を後退して躱した。
飛び掛かってくる刹那をひょいと避ける。そのまま背後から優しく左手の関節を極め、押さえ込んだ。


「はい、オマエの負け。なんで圧倒的に強い相手に飛び掛かってくるかなー。自滅が得意技か?」


『くっっっっっっっそムカつく』


「溜めて言うなよwwwwwwwww」


ちょっと意地悪を言ってみると、怨敵を睨む目を向けられた。ウケる。
ぱっと離してやれば、顔面目掛けてすかさず裏拳が振るわれる。
それを受け止めて、にっこりと笑ってみせた


「先ずは足を狙えよ。足の先を踏んでから裏拳狙いな」


『判った』


足を退いた瞬間、だんっ!!!っと足許がエグい音を立てた。
…わー、非力な生き物が俺の足を踏み潰さん勢いで地面を踏み締めてる…今のは当たってあげても良かったかもしれない…


「かわいいね…殺意高いのかわいいね…」


『…頭打った…???』


「オマエなら何時も可愛いって思ってるよ」


条件は桜花刹那であるという、この上なく簡単なミッション。達成すれば俺から永遠の愛を与えられる。
もう達成してしまっているそれを思い返しつつにっこり笑って、距離を取った。


「さ、掛かっておいで」


『はぁっ!!』


低い体勢で飛び込んできた刹那の拳をいなし、躱しつつ、しっかりと動きを注視する。
呪力もしっかり纏えている。足運びも、最初からすれば随分滑らかになってきた。
まぁ俺からすれば、卵から産まれたヒヨコが、頭に殻を被ったままで一歩歩いたくらいのモンだけど。


「踏み込みちゃんとしな。殴る時はしっかり肩を入れて。視線のフェイクに惑わされるな。
ほらほら、ちゃんと見極める!」


『いいかげんっ、当たれぇ!!』


「残念、僕最強だし?」


ぶっちゃけ当たったらオマエが痛いんじゃない?幾ら速度と呪力を味方に付けても、元がひ弱だし。


…ひたすらに俺がアドバイスをしつつ組手をして、かれこれ二十分は経っただろうか。


そろそろ刹那の息が切れてきた。
軸もブレ始めたのを見て、一度休憩を挟む事を決めた。
か弱い刹那が二十分も動けたんだ、褒めてあげるべきだろう。
振るわれた掌底を避け、軽く足払いをかける。
重心が外に向いていた脚は、簡単に地を離れた。


『あうっ』


「重心ブレブレ。はい負けー、休憩しようね」


細い身体が地に落ちる前に抱き上げてやれば、むすっとした顔で見上げてくる刹那


『…まだやれる』


「無理はしなさんな。根を詰めても必ず結果が手に入る訳じゃないよ」


『……わかった』


「うん、いいこ」


素直で負けん気も強い、良い生徒だ。
汗で張り付いた前髪の上から、丸い額にキスをする。
そのまま木陰に連れていき、腰を下ろした。
膝の上に乗せられた刹那は、くまのぬいぐるみからスポドリとタオルを受け取っていた。
俺にはデカい僕のぬいぐるみが持ってくる


《パパ どうぞ!》


『ふふ、ありがとうポチ』


《ママ おつかれさま!》


「おー、ありがとね」


五月が近付いてきたこの頃では、こうして動くとじんわりと汗が滲み出てくる。
首にタオルを掛け、額の汗を拭っていると視線を感じた。
見れば、刹那がじいっと此方を見上げていた。


「どうした?」


『なんか、悟が汗かいてるの、不思議』


「ん…?」


いや俺の汗腺死んでないんだけど。
普通に汗もかくけど。
え?刹那の前でも汗かいてなかったっけ?いやセックスとか汗だくじゃん?
首を傾げた俺に、刹那がふわりと微笑んだ


『だって、特級呪霊と戦っても涼しい顔だったし』


その言葉でピンときた。
あれか、あの火山頭。あれと戦った“僕”が余裕綽々だったから、彼女はこんな事を言ったのだろう。
あの時はほら、二十分も動いてないし。
特訓じゃなくて祓いに行ってる訳だから、動きだってコスパ良いヤツだしね。


「まぁアイツ弱いし。あのくらいなら余裕だよね」


『そういえば、さっき僕って言ってたよ』


「え、マジ?」


『僕最強だし?って言ってた』


その言葉に静かにタオルを動かした。
本来の口調に戻しているが、流石につい二ヶ月程度前まで使っていた口調を、完全に忘却するのは難しい。
恐らくは、完全に俺口調に戻すには最低でも一年は掛かるだろう。
うーん、クソガキ状態で僕は不味いよなぁ…気を付けよ。


「教えてくれてありがとね、刹那。表で使わない様に気を付けるよ」


『僕はだめなの?』


「ダメっていうか、今の俺は全方位を煽り散らかすクソガキだからね。
僕なんて柔らかさを見せる訳にはいかないかな。基本的に反抗期真っ只中の、扱いにくいクズだって宣伝しなきゃ」


『勿体無いね、悟は優しいのに』


「オマエだけだよ、俺を優しいなんて言うの」


まぁ、そういう面しか見せてないんだけどさ。でも、好きな子に優しいって言って貰えるのは嬉しいな。
笑いつつ、スポドリを口に含んだ。


『あ、私に指導してる時五条先生っぽいのも言った方がいい?』


「あー……ウン。もうちょっと荒い口調で指導するね」


『ふふ、頑張れクソガキ五条くん』


あーーーーーーーーーかわいい。
押し倒そうとしたら思いっきりビンタされた。












四月三十日 夜



「泊まりがけで任務ぅ?ダッリィな、遠いなら他の呪術師行かせろよ」


「悟、文句を言うな。…今回は四人で長野に行って貰う」


「長野ですか。都外に出るのは初めてですね」


「人手が足りなくてな。念の為サポートとして硝子を着いていかせる。
宿は取ってあるから、きっちりと任務を全うしたら遊んでこい。
……良いか、くれぐれも、羽目は外しすぎるなよ」


こんな会話をしたのは昼の事。
長らく行ってきた実験の集大成の為、俺は長野のとある建物を訪れていた。
裸電球の通路を抜けた先。
壁一面にぶちまけられた赤に、サングラスの奥で目を細めた。


ぐちゅり、ぐちゅり。


首のない、人間だったものの腹から引っ張り出した腸を、両手で掴んで貪っている女。
見たところ、ソイツ以外に生きている者は居ない。
かつん、とわざと靴音を鳴らしてみれば、ソイツは腸を食う動作は止めないまま、長い黒髪の隙間から此方を見上げてきた。
そこで気付く。
────この女、あの蛾を刹那に送り込んだヤツだ。


「生き残りはオマエだけみたいだね。おめでとう、勝者はオマエだ」


「ぁ゙、ア……さ、ト……る、さマ゙…」


「約束通り、出してあげるよ」


にっこりと笑って、手摺を乗り上げて階下に降りた。勿論足許は無限で隔てている。金積まれたって猿の血とか踏みたくないし。
汚物と臓器と血に塗れた女をサングラスの奥で軽蔑したまま、口を動かす


「…ああ、そういえば」


かたかたと震える手が此方に伸ばされる。
血やらナニやらで汚れ、解れて固まった髪の奥の目は、血走って品位の欠片もない。
あは、良い気味。


「頑張った御褒美に、教えてあげる。
此処で理性を保つのは難しいだろ?それはね、結界で呪力が外に逃げない様にしてあるからだよ」


誰かを殺す時に生まれる殺意。
誰かを食らう時に生まれる悦び。
誰かに殺される時に生まれる憎しみ。
どれも全部間違いなくマイナスの感情で、通常なら、呪術師であれば体内を巡るだけ。


ただ此処には、その感情が移動する・・・・様に仕掛けてあった。


死んだ人間を、食糧が運び込まれなくなったコイツらは食うしかない。
そしてその死体の呪力と怨念が、食った猿に移動する様に仕掛けた。
術式として使われた呪力も霧散する事なく、この空間の中で漂い続ける。
そしてその濃い呪力までも、此処に滞在していた女に吸収された。
殺される際の怨嗟も、余す事なく


「生きる為に誰かを食えば、ソイツの怨念と呪力を背負う事になる。
五人食った猿を食えば、六人分の呪力と怨念を内包する事になる。
ああ、食わなくても大丈夫だよ。殺しても良いし、なんなら死体と同じ空間に居るだけでちゃんと背負わされるから」


「ぇ…?ア…?」


「つまり────オマエは此処に放り込んであった人間…百人以上は居たかな?ソイツら全員の呪力と怨念を背負ってるって事。
そんなにぐちゃぐちゃなのに、俺の名を呼べただけでも凄いよ。褒めてあげるね」


女の形をした異物は、その身に夥しい数の呪力を混ぜ込んであった。元の女の呪力など何処にもない。
何十人もの呪力をぐちゃぐちゃに混ぜ、有らん限りの悲鳴と怨嗟と憎悪を詰め込んだ、穢らわしいもの。
最早これは、立派な呪物だ


「蠱毒って知ってる?沢山の毒虫を瓶に詰めて、食い合わせて、生き残った一匹を呪殺に利用する」


到底人とは呼べない存在に、指を差す


「この施設はその瓶でさ。
オマエ────その虫なんだよね」


呆然と此方を見上げている女の前で、ぱん、と柏手を一つ。
それから、とある口上を口にした。


「────掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等
諸諸の禍事・罪・穢有らむをば
祓へ給ひ清め給へと白す事を聞こし食せと恐み恐みも白す」


にんまりと、口角を上げた


還り給え・・・・
虚ろではなく、高志より来たりし八つ首の御身に
七日目の目覚めを待った尊き姿に」


ポケットから取り出したのは、握り拳程度の珠。
呪力を注げば、どぷん、と音を立てて闇を吸い込んだ様な珠が、鯉に似た魚の姿を取る。


────特級呪物・遡及魚。


ゆるりと隣で鯉が泳ぐのを尻目に、静かに掌印を組んだ


「迎えし帳で御身は在るべき姿に戻り、櫛名田比売を食い殺さん。
一刻の後蛇石を呑み込み、人の世を虚ろに戻さん」


最後に呪力をぶち込めば、鯉は激しく痙攣し、いつかの様に姿を変えた。
泥の様な呪力を撒き散らしながら長大な蛇に変じたソイツが、用意した贄に大口を開けて食らい付く。


「いぎっ!?ぎあああああああああ!!!!」


「うるさっ」


ばりばりと頭から贄を齧っていく蛇を眺めながら、ポケットから紙パックのイチゴミルクを取り出した。
ストローを差し、細い筒の先を吸う。
安っぽい人工的な甘さが舌に触れた所で、足許に目を向けた。


────頭から食われた筈の女が、ゆらりと身を起こした。


それを見て直感的に察した。
ヤツ・・が、この女の皮を被ったのだと。


「一先ず成功、かな。まぁ全ては明日の稼働実験次第だよね。
じゃあ俺は帰るから。精々束の間の自由を楽しんで」


ぼんやりと座り込む女を無視して宙を歩き、二階に戻る。
あ、そういやあの内臓と血がぐちょぐちょな壁、イチゴミルクに似てるんだけど


「さて、準備は整った。
────五条先生の特別授業、楽しんでね、刹那♡」


ずず、とイチゴミルクを吸い上げて、笑った。











五月一日 昼


『もう長野?』


俺に手を引かれて歩く刹那が、周囲を見渡しながら呟いた。


「そうだよ。今回は神社の呪物の確認らしいし、さくっと終わらせて遊ぼうぜ」


「とは言え任務は深夜だろう?それまでどうする?」


「一旦宿に荷物置きに行こうよ。あと煙草吸いたい」


「せめて制服じゃない時に吸いな。…じゃあ宿に行こうか」


先頭を進む傑に従い、着いていく。
対向車どころか車も少ない道に、ずらりと並ぶ立派な木々。
田舎の道と言っても差し支えないレベルの道路を、二人分の荷物を肩に掛けて進みつつ、繋いだ手を小さく揺らした


「つーか何でこんな時に限って補助監督空いてねぇんだよ。こういう時こそ運べっつーの」


「仕方無いだろ、皆さん遠くの呪術師の送迎に就いてるんだから」


「仕事の遅い呪術師の運搬ゴクローサマ。そんなんするぐらいなら、ちゃちゃっと終わらせる俺達を丁重に扱う方がよっぽど有意義だと思わない?」


「悟、そう言ってやるな。
先輩方だって命懸けで、丁寧に任務を頑張っているんだよ」


宥める様に吐かれた、紛れもない毒に一度閉口する。それから忠告してやった


「オマエの方が皮肉効いてるってそろそろ気付けよ」


「え?何の事?」


「夏油、それ素なの?ヤバいな」


「えっ」


「wwwwwwwwwwwwwww」


引いた目をする硝子と、苦笑いする刹那、爆笑する俺。
笑われた傑は慌てた顔で刹那に目を向けた。


「刹那も?まさか君も私の方が悟より皮肉を言ってると思うのかい?」


『…………あー』


明らかにオマエの方がタチ悪いと思うけどね。にこやかに悪口言うし。皮肉効いてるし。
案の定、刹那は返事に困っていた。
そんな刹那の代わりに、俺が返事してやる事にする


「オマエ言ってる事かなりキツかったりするよ?俺は直球だけど、オマエはカーブで横から抉ってくる感じ」


「自覚あんならお前も直せよ」


「やだね。雑魚に愛想振り撒いたって面倒が増えるだけだし」


最後にべぇ、と舌を出せば、傑はぽりぽりと蟀谷を掻いた


「そんなつもりはなかったんだけどな…」


「じゃあこれから気を付ければ?無意識煽りが直んのかは知らねぇけど」


「悟にだけは言われたくないんだけど」


「あ?」


「自覚なしかい?恐ろしいな」


「あ゙???」


これは喧嘩売られてるよな?
オマエもめげないね?本気出したら俺が勝つのに何で直ぐ煽んの?
やっぱりどっかで茈撃つべき?俺には勝てないって教えるべき?
睨み付ける俺を、傑は胡散臭い笑みで迎え撃つ。でも俺知ってる。
オマエのその顔は、マジで手が出る五秒前だって


「なぁちょっとツラ貸せよ傑。前からオマエのそういう委員長ヅラムカつくんだよね」


「おや、学校に通った事もない悟が委員長を知っていた事に驚いてるよ。脳内で学級会議ゴッコでもしてたのかな?」


「学校なんて猿の箱庭に通う必要なんかねーから行ってねぇだけですけど?
語彙がねぇのと経験してねぇのは意味全然違うんですけど?お猿出身の夏油くん、そこんトコちゃんと理解しな?」


「学びが足りないって?それは申し訳無い。じゃあベコベコに凹ませる方法を学ばせてもらおうかな。悟の顔で」


「俺は鼻っ柱折る練習しよっかな!傑の顔で!!」


「「────あ゙???」」


《パパー!ちょうちょ!!》


『そうだねー。かわいいねー』


……あ。
刹那の手、握ったまんまだった。












五月一日 夜


今回の任務が決まった時、夜蛾さんに五条の持つ旅館を借りられないかと相談を受けた。軽く了承して、ふと思い出す。
前にもこの任務自体はあったが、組み込まれたのは確か、繁忙期の後のご褒美として、とかだった筈だ。


それが大分前倒し…つまり、俺達は前より全然仲良くねぇって証である。


簡単に言ってしまえば、これは宿泊学習ってヤツな訳で。
そこに親密度が足りねぇ同期をいっぺんに放り込み、強制的に仲良くさせようって魂胆だろう。夜蛾さんはあんな見た目だが、優しいので。


恐らく夜蛾さんは────俺と刹那が互いにしか興味がないって事にも、薄々気付いているだろう。


興味がないから、距離を詰めようとしない。
必要としていないから、互いの間で完結させる。


…正直に言おう。
刹那が頼ってくれるのが可愛すぎて、俺にしか頼れなくなる様に仕向けてきたのは確かだ。


でもまさか、同性である硝子にまで距離を取るとは思っていなかった。これはホント。狙ってない。
嬉しい誤算のお陰で、刹那は基本的に俺しか頼らない最高の状況になっている訳だけど。
でも、流石に硝子ぐらいとは仲良くさせないと、そろそろ俺が夜蛾さんに呼び出されそうな気がしてきた。
うーん、露天風呂にでも二人で行ってくれれば仲良くなるかなぁ?
裸の付き合いは心の距離を縮めるって言うし?


「此処、五条ウチが持ってる旅館なの。だから呪術師の存在も知ってるよ」


『へぇ、流石御三家、規模が違う…』


「あと数年でオマエも五条だよ。楽しみだね」


最低二年、それ以上は…どのくらいにしようか。
こじんまりとした旅館の最高ランクの部屋で、綺麗な黒髪を指に巻き付けた。
恥ずかしいのか、刹那は柔らかな口をもにょりとさせつつ視線を下げた。


あーーーーーーーーかわいい。
折角のお泊まりだし、オマエかわいいし、セックスする?


何時もとは違う場所で愛し合うのも、盛り上がって良いと思うんだけどなぁ。
ダメかな。押し倒して良いかな。
悶々と悩んでいれば、女の声が割り込んできた


「息する様に口説くなコイツ」


「悟、婚約者なら口説く必要はないんじゃないか?どうあれ結婚するんだし」


……あ、やべ。
部外者居んじゃん。すっかり忘れてた。
ねぇ俺最近マジで刹那しか認識出来てない時あるけど大丈夫?
その内教室で押し倒したりしないよね?俺の理性ってわたあめくらいふにゃふにゃじゃない???
…とは言え、先程の傑の発言を無視するのは無理だ。
俺は眉間に皺を寄せ、傑に問い掛けた


「は?傑オマエ釣った魚に餌はやらねぇタイプ?ダメだよそういうの。
言わなくても伝わるなんてないから。
逆だから。伝えなきゃセフレとか普通に考え出すから。
寧ろ言っても伝わらねぇ可能性を考えて小まめに伝えんのが一番だぜ?」


「何だいそれ、経験談?」


俺の言葉に、傑は茶化す様に返す。
だが全くもってその通りなので、俺は表情を消した。


「好きって気持ちが伝わらなくて十年愛を熟成させた俺の話する??????」


「いや、良い。わかった。ごめんね悟。大変タメになった。私もこれからそうする」


俺の表情から何かを察したか、傑は早口にそう言うとテレビを点けた。
その早業を見た硝子は爆笑している。
でもまだ腹の虫は収まらないので、元凶にダル絡みする事にした


「ねー刹那。毎日大好き愛してるって伝えなきゃ、オマエ判んなかったもんねー」


『ごめん…』


「俺が尽くす理由も同情だとか思いやがったもんねー???」


『ごめんて………』


赦さないよ。
一生赦さないし、なんなら来世も来々世も来々々世も赦してなんかやらない。
オマエはそれだけ俺が赦せない事をしたんだ。俺の愛を疑って、勝手に妙なラベリングして、あまつさえ俺をセフレなんて位置に据えようとした。


俺にはオマエしか居ないのに。
オマエ以外要らないから、全部捨てて全部殺したのに。


そんなにも愛情深い俺を、まさかセフレなんて扱いにしたら………愛しくて憎らしくて、殺しちゃっても赦されると思うんだ。
ああ、勿論刹那以外をね。
だって刹那にそんな事したら、俺が“優しい悟”じゃ居られなくなっちゃうし。
ニコニコしつつ身体も絡めていれば、女中が部屋に御膳を運んできた。


「ありがとうございます」


「いえいえ、五条様にはお世話になっておりますから。では、ごゆっくり」


此方ににこりと微笑んだ女中達が、膳を並べ終えると早々に退室した。うん、教育が行き届いていて結構。
あんまりしつこいと、俺怒っちゃうから。たまに居るんだよね、俺を見るなりアピールしてくる雌猿。発情期かよって感じ。
目の前に置かれた御膳に、硝子が口笛を吹いた


「鯛飯じゃん。良いね、美味しそう」


「温かい内に頂こうか」


「おー」


傑の言葉で各々が手を合わせ、御膳に目を落とした。
鯛飯と、胡瓜と白菜の漬物。味噌汁に海老と野菜の天ぷら。それから茶碗蒸し。
…うん、妙な術式も呪力もない。
一通り確認して、先ずは鯛飯を口に運んだ。
それから味噌汁、天ぷら、漬物を食べて、茶碗蒸しに手を伸ばす。
最後にゆっくりと、湯呑みを口に触れさせた。
並べられた全てに手を付けて、妙な感覚が現れるのを待つ。
……ないな。よし。
確認を終えてから、隣でじっと此方を見つめていた刹那に微笑んだ


「…うん、オッケー。刹那、席代わろ」


『はーい』


刹那がさっと立ち上がって、後ろに下がる。
俺が右にスライド、刹那は左に移動して腰を降ろした。
彼女は改めて御膳を前にして、ニコニコしながら湯呑みを取った。


『鯛だ…美味しそう…』


「「待て待て待て待て」」


「いただきます。……なに?急にうるせぇな」


さて味見しよう。
そう思った瞬間に待ったを掛けられ、眉を寄せる。
そんな俺に、険しい顔をした傑が詰め寄った


「悟。流石に自分が口を付けた物を食べさせるのは、人として有り得ないだろ」


「刹那、あんたもちゃんと嫌なら嫌だって言えよ」


『?』


なにコイツら。毒味ナシで刹那に飯食わせる気?正気か???


……ああ、そういやコイツらの前で、他人が作った料理を食べた事ねぇわ。


そりゃあ毒味の件を知らなければ、俺は全部に一回箸を付けてからその膳を婚約者に食わせるクズになる。


そうか、こうやって勘違いは生まれるんだな。覚えとこ。


そうは思うものの、険しい顔の同期を説得するのは面倒だ。
よし、ほっとこ。別に勘違いされたって問題ねぇし。
先程と同じ順番で毒味を開始する俺の隣で、刹那が慌てて口を開いた


『悟が先に食べてくれたのはね、嫌がらせじゃないの。毒味だよ』


「毒味?そんな馬鹿なこと…」


「馬鹿な事が起きんのが俺の周りなの。実際刹那を狙って茶に毒を盛られた事もある」


これだから一般パンピー出身のヤツは。自分が体験した事ないからって有り得ないの一言で済ませるの、良くないと思うよ?
事実は小説より奇なりって言葉もあるだろ?人の話は真剣に聞きましょうって、おさるの学校で習わなかった?
笑い飛ばそうとした傑の言葉を切り捨てて、最後に湯呑みを口にした。
数秒。
それから何処と無く不安げな菫青を見て、笑ってみせる


「此方も大丈夫。さ、食べよっか」


『うん。いただきます』


俺の言葉を聞いた刹那が、ほっと表情を緩めた。
手を合わせると、早速刹那が小ぶりの鯛が乗る鯛飯を茶碗によそい、口に運んだ。
美味かったのか、頬が緩む。
その可愛さに、勿論俺の顔も緩んだ。


『おいしー…』


「あーかわいい。美味しい?沢山食べな」


『食べきれるか判んない』


「そん時は俺が食べるから大丈夫。好きなだけ食べて」


『うん、ありがとう』


ほにゃっと笑った刹那が、漬け物を箸で挟んだ。
一角食べしないの偉いね…表情ですごく美味しいって伝えてくるのかわいいね…
ニコニコしつつ、俺も食事を始めた。
俺が鯛飯と天ぷらを食った所で、漸く箸を動かし始めた傑が言う


「…だが、次期当主の悟が毒味をするものなのか?こういうのは奥さんが食べて判断するものだと思っていたよ」


これだから一般パンピー出身のヤツは(二回目)
当主が率先して危険に突っ込むのは当然だと思うけどね。そうじゃないから、後生大事に護られて生き残った腐ったミカンが蔓延っちゃう訳だし。
俺としては、当主は若い内からガンガンに前線に出して、年取ったらどっかの戦いでサクッと死ねば良いと思うよ。
その辺りで見ると、禪院のアル中おじいちゃんはこれ以上ない良い死に方だったと思うし。
溜め息を吐きつつ、隣で椎茸の天ぷらを頬張る刹那に微笑みかけた


「刹那は毒に慣れてないから、ガキの頃に訓練してある俺がすんの。刹那、茄子の天ぷらあげよっか?」


『良いの?じゃあ海老あげる』


「いや海老は食えよ。あー…刹那烏賊ダメだっけ?それと交換しよ」


『はーい。ありがとう』


「うん」


食べられない訳じゃないが、好きでもないらしい烏賊の天ぷらを貰い受け、代わりに茄子の天ぷらを分けてやる。
トレードした烏賊の天ぷらを、そのまま口に放り込んだ


「うん、美味しい」


『美味しいね』


「……つまり、時代劇でありがちな事を二人は経験してるって考えても良いのかい?」


何処か引き攣った顔の傑に、海老の天ぷらを箸で割りながら頷く


「毒殺、暗殺は余裕だよ。アイツらは俺には敵わないから、そして俺の婚約者って立場が欲しいから、刹那を狙う。刹那、口開けて」


『?……えび』


「美味しいからあげる。…まぁ俺もそれなりに無視出来ない呼び出しもあったからね、そういう時はポチと、俺の側近を刹那に付けてた」


美味しいものって、刹那に沢山食べさせたくなるんだよね。
漬け物をぽりぽりと噛んでいれば、隣からそっと海老の天ぷらは帰ってきた。
いやなんで???俺は刹那に沢山食べてほしいんだけどな???


「いやだから何で同じ分返すかな……だから基本的に自分達で飯も作るし、誰かが作ったものは、先ず毒の耐性を持ってる俺が食べる。んで、俺が平気だったら刹那に許可出すの」


『ほんとは私が代われたら良いんだけどね…』


「オマエを苦しい目に遭わせたヤツら一族郎党殺しても良いなら良いよ」


『あっ、ごめんなさい毒味お願いします』


「おい五条真顔やめろ」


「え?だって刹那を傷付けるって事は私死にたいです☆ってアピールでしょ?
やってやるよ、ただしオマエの大事な御家ごとなってハナシ。
…人の宝に手を出すんだ。自分の宝壊される覚悟ぐらいして来いっての」


良く考えて?
なんで人の宝に害を為そうとした癖に、幸せな未来が待ってると思うの?


そもそもの話だけどさ、なんで刹那に手を出して無事で居られると思うの?
相手がこの俺なのに??
最強舐めてんの???
勿論産まれた事後悔させるの一択しかないのに????


…そこら辺を極めて真面目に言ってみた所、三人は無言で目を見合わせた。
何やらアイコンタクトを取っているらしい。うん、その調子で知り合いから友人(浅い仲)程度には親密度上げときなね。
じゃないと俺に拳骨落としてきそうだから、あの脳筋。
話し合いを終えたらしい刹那が此方に目を向けた所で、名前を呼んだ


「刹那」


『なに?』


此方に返事をした刹那を見つめつつ、そっと口を開いた


「オマエの男はオマエに危害を加えられたら、大暴れするんだよ。
そこはちゃんと覚えておいて」


『……………………はい』


オマエは直ぐにそこら辺をすぽんと忘れちゃうからね、ちゃんと言い聞かせなきゃ。
そう考えて紡いだ言葉に、何故か色白の頬がじわりと赤みを帯びていった。
最後には俯いてしまった彼女に、思わず目を丸くしてしまう


「?え?何に照れた…?え…???」


「なんだコイツら…砂糖吐きそう…」


「ははは、微笑ましいじゃないか。小学生みたいで」


「あ?オイ傑今何つった???」












五月二日 深夜


『ねんむい…』


「寝る?俺が抱っこしよっか?」


『寝ちゃうから歩く…』


「あー、もうちょい目ぇ開けな。転ぶって。なぁ刹那お願いだから抱っこさせて?足許マジで危ないんだって」


『あるく。おきてる。あるく』


「ケーシィみたいな顔してるよ?」


『くず』


「刹那ちゃん??????」


深夜一時五十二分。
現在、呪物のある神社に続く小道を、刹那の手を引きながら歩いていた。
眠たいのか大きな目は半開きで、オマケに寝ない為かぐっと眉を寄せているもんだから、大変くちゃくちゃな顔になっている。
ウケる、ぶちゃいくでかわいい。


「刹那、夜更かし苦手なんだ?」


『苦手……仮眠摂ったのに眠い…』


「意外だな。刹那って全部そつなくこなすのかと思ってた」


『硝子には私はどう見えてるの…』


「んー?イカレポンチの超真面目な婚約者」


「イカレポンチwwwwwwwwwwww」


「あ゙??????」


『夜中ですよー…傑はちっちゃく笑ってねー…』


「ちっちゃくならwwwwww笑っていいんだwwwwwwwwww」


舗装された一車線の道路を進み、辿り着いたのは、黒く聳え立つ鳥居。
墨の様な闇の中で佇むそれに、今まで眠たそうな顔をしていた刹那が息を飲んだ


「……刹那」


『……なに?』


半開きだった目は大きく開いて、表情は強張りを見せていた。
神社は刹那の中で、近付きがたいものになっているだろうと予想していた。
結果はご覧の通り、明らかにあの日の事を思い出している。


…うん、仕込みは上々、かな。


表面上は気遣っている様な顔を作り、刹那を見る。
そんな俺に、刹那はぎこちなくだが笑みを作って見せた。
疑う様にじっと見つめる。
それから視線を正面に戻し、溜め息混じりに呟いておく


「…無理はすんなよ」


『うん。ありがとう』


「一号、オマエは硝子に付いて。刹那には二号ね」


《がんばる!》


《がんばる!》


『うん、よろしくね』


遠出する事を踏まえてか、今回刹那は30cmぬいぐるみのポチと、くまのぬいぐるみのポチを連れてきていた。
俺の指示に従って、刹那に抱えられていた一号が硝子の許に向かう。
ゆるっとした顔で見上げてくる一号を見下ろして、硝子が呟いた


「こんな顔なのに一級レベル…ほんと不思議なの持ってるよね、刹那って」


『可愛いでしょ、ポチ』


「やべぇ呪骸としか思えないわ。顔も五条だし」


「何でだよ。俺かわいいでしょ?」


「無理」


大丈夫、俺もオマエに可愛いって言われても困るから。
硝子が一号を小脇に抱えた所で、傑が此方を確認する様に視線を投げた


「────さて、行こうか」












今回の任務の目的は、この神社に安置された呪物の確認だ。
永きに渡って封じられているとされたもの。仮に実際はそうでなくとも、参拝客より“そうあるべし”と定められる事によって、呪物としての側面を得たもの。
ソイツに閉じ込めてある呪力に異常がないか、高専は定期的にチェックしている


「大体結界の確認なんか学生にやらせんなよ。万が一出てきたら一級相当だっけ?」


「そう言うな、悟。出てこないと踏んでいるから学生の息抜きに使われるんだろう。今回の任務は、先生なりに私達の仲を深める為だと思うよ」


「仲、ねぇ…嫌でも同じ教室なんだから、ほっときゃ良いものを」


まぁほっとけばずっとこのままだけど。
だって、俺から歩み寄る理由も必要性も感じないし。
ああ、刹那は良いよ?俺の為に頑張りたいらしいから、それはやって良いと思う。俺が妬いても刹那に被害はいかないし。
刹那の手を引きながら、呪物の保存されている本殿に向かう。
霊石殿の扁額が、暗闇の中でも読める程に近くなるにつれて、小さな手が緊張を滲ませていった


「刹那、俺から離れるなよ」


『…判った』


木製の本殿の中央に座す呪物。
注連縄を掛けられた抱える程の石は、静かに呪力を帯びていた。


────蛇石。
八岐大蛇の魂が鳥となり、宿ったという石。


一応は任務なので、サングラスをずらして様子を確認する。
勿論呪力に乱れはなく、結界に可笑しな所もない。
じっと見つめ、それからくるりと石に背を向けた


「問題なし。結界も解れもないし、中の呪霊が暴れてる感じもない。帰ろうぜ」


「悟が見たなら確かだろう。…帰ろうか」


「てかこれ五条だけ行かせりゃ良かったじゃん」


「おい硝子、何で俺だけ働かそうとしてんだ」


硝子の言葉に反論しながら本殿から出た所で────ぞわり、と。


「「「『!!!』」」」


鬱蒼とした木々に囲まれた本殿の真向かい────鳥居の奥に、ぼやりと見える人影。
ゆらゆらと揺れているその影は、ずるり、と足を引き摺る様に、一歩進んだ。
びちゃ、と何かが滴る音がする。
全員の目がヤツに釘付けになる中、ひっそりと、口角を上げた。


よーし、じゃあ今から五条先生の特別授業、開始だね♡


「…刹那、硝子の警護。ポチはどっちも警護に当たれ。傑、行けそう?」


「ああ。…二人は出来るだけ遠くに居て。直ぐに終わらせるから」


「…気を付けろよ。アイツ、ヤバい」


心なし青ざめて見える硝子の言葉を鼻で笑って、刹那の頬を撫でた。


「刹那、絶対にポチとはぐれるな。…直ぐ戻るから、待ってて」


『…うん』


つっても、アイツの狙いは櫛名田比売────オマエだから、何よりもオマエを狙ってくると思うけど。
ゆるりと微笑んで、ずっと繋いでいた手を離した。
そして傑と共に、人影に対峙する。


「おいアンタ、こんな夜中に神社に何の用だよ。丑の刻参りか?」


「こら悟。後ろめたい理由を堂々と当てたら失礼だろう」


「オマエの方が失礼だって気付けよ」


「おや、そうかな?」


わざと煽り、人影の動きを見る。
相手が煽ったって意味のないモノだって事は、俺が一番知っているけど。
刹那達に疑いを持たれない為に煽った所で、背中に腕を隠し、印を組む。
傑は隠した手に呪霊を呼び出していた。
ずるり、ずるり、と影が足を引き摺りながら、近付いてくる。
揺れる頭が、闇を吸い込む鳥居を潜った、瞬間。


「──────し、て」


「あ?」










「か  え  し  て」










『「!!!!」』


ばっと振り向いて、駆け出した。
目を見開いた刹那が俺に手を伸ばす。


「刹那!!」


『悟………っ!?』


ぐん、と、背後から、細い肩ががっちりと何かに掴まれた。
即座に氷の刃がそれを切り捨てて、どちゃりと重たいものが地面に落ちる。
一見黒い腕だが、よくよく見ると細い糸が無数に縒り合わさって出来ているのが判る。
あの女の術式、髪の毛だろう


「刹那、怪我は!?」


『だ、いじょうぶ』


うーん、最初の直ぐに掌印を組んだ所までは良かったんだけどなぁ。
動揺しちゃダメでしょ。たかが家族の声を聞いたぐらいで。
まぁ、そこら辺は追々指導するとして。
刹那を抱き込み、掴まれた肩を見た。


…あー、引き込む為のマーキングね。


付着した呪力を祓わず、そのままにしておく。
すると、慌てて顔を上げた刹那が焦った声を上げた


『硝子!無事!?』


「無事だよ。というか、狙われたのはあんただけっぽい」


《パパ!》


声を掛けた先から硝子が一号を連れて駆けてきているのを見て、刹那がほっとしたのが判った。
うーん、お人好しだねぇ。仮に硝子が巻き込まれても、オマエが気に病む事はないのに。
内心呆れつつ、人影を見据える。


「も ド  って」


「せつな」


「ユ  る   差ナ     イ」


…んん?
最後、可笑しくなかった?
もしかして失敗した?この俺が?いやいや、そんな筈ない。
条件と環境は完璧だった。
懸念事項があるとすれば、贄にしたヤツらが幾ら合わせても雑魚な事くらいか。


「……刹那、殺れるか?」


出来るだけ優しい声で問い掛けた。
刹那が引き寄せられる様に此方を見る。動揺を見せていた菫青がゆっくりと落ち着いていくのを、静かに眺めた。
一つ息を吐き、戦闘体勢に入った刹那を見て、小さく頷いておいた。


そうそう。
折角オマエの為に準備したんだ。
最期までちゃんと遊んでいってね。














ゆらゆらと揺れている人影はその場に佇んだまま、動きはしない。
ただ、地面から無数の髪の束が飛び出してくるのが厄介だった。
暗闇に紛れ飛び出す髪の槍は、俺なら呪力ではっきりと追えるが、刹那には少し大変だろう


「見辛いな…!硝子、無事か!?」


「ポチが居るから平気だよ!私は気にすんな、お前らは早くこの髪の毛止めろ!」


『しつこい…!』


《ガルァ!!!》


髪の毛は地を抉る程硬い癖に、此方の攻撃はぐにゃりと撓んで受け止める。
実際に俺の無限もそれで弾かれた。あの女の術式は、ヤツには余程使いやすいと見える。
向かってきた髪の束を刹那が凍り付かせ、ポチが遠くに蹴っ飛ばすのが遠くに見えた。


「チィ…!ウゼェ!!術式順転・蒼!!」


先ずは実験といこうか。
無限は弾ける様だが、収束を司るこの技ならどう出るのか。
蒼い輝きが人影の頭上に現れ、その存在ごと肉塊に変えようとして────


「はぁ!?!?!?」


ぱあん!!と。
……足許から飛び出した髪に、遠くへ弾き飛ばされた。
マジか。えっ、蒼って吹っ飛ばせんの?
確かに実験するつもりではあったが、決して手を抜いたりなんてしていない。
思わず動きが止まった俺に、黒髪が槍衾の様に迫った。
それを無限で留めていると、頭が痛くなる様な会話が聞こえてくる


《しつこい!!》


『ポチ、こうなったら突っ込むよ!』


「待て馬鹿!下手に孤立すんな!!」


刹那と俺は今、少し距離がある。
そして止めたというのに言う事を聞かず、刹那は走り出した。
無数に飛び出す髪の槍を氷で防ぎ、動きの鈍ったそれをポチが払い除ける。


『縛裟・白竹!!』


刹那が頭上に氷の杭を作り上げ、地を抉る髪の束に叩き付ける。
凍り付くのは精々が数秒程度だ。しかしこの状況を狙っていた刹那は、鋭く二号を呼んだ


『ポチ!!』


《ガルァ!!!》


白いくまのぬいぐるみが、凍り付いた地面を駆ける。
そのまま佇む影に肉薄し、拳を振り抜いた。


「■■■■■■■■!!!」


悲鳴を上げた声が家族のものだったからだろう、刹那が一瞬眉を寄せた。
しかし直ぐに持ち直し、復活した黒いうねりが乱打を放つ二号に向かうのを防ぐ。
…うん、良いね。切り替えは大事だよ。


「肉弾戦が弱い、とかじゃないな。…ポチの攻撃だけが効くのか…?」


「アイツ不浄持ちだからね。神性特攻あんじゃね?」


「つまりアレは神様だって言ってんの?」


「可能性としては、ね」


ティンダロスの猟犬が不浄持ちなのは間違いない。ただし、理由としてそれは正しくはない。
物理が通用すると言う俺の見立ては合っている。蒼を防いだのは、ヤツが無限を弾いているのと同じ要領だろう。


恐らくヤツはRPGでいう魔法攻撃────此方で当て嵌める場合の術式を無効化出来るのだ。


刹那の攻撃が当たるのは、術式に氷という状態異常が含まれるから。
食らっておきながらもダメージを負った様子がないのは、純粋に威力は殺して凍っただけという状況になっているからだろう。


…まぁ、それでも殺せるのは俺だけ・・・だけど。


頑張った刹那にぴったりとくっつく。
案の定、術式の連続使用の代償に、華奢な身体は冷たくなっていた


「刹那の術式ならアイツが少しだけど止まる。その隙に距離を詰めよう。
もう一度ぐらい弱らせてくれれば、私が取り込む」


「いや、刹那は…」


『いける。大丈夫だよ』


刹那の術式のデメリットを知らない傑の提案に、堪らず待ったを掛けようとした。
しかし刹那は俺の言葉を遮り、傑に笑みを向ける。
俺が口を閉ざした所で、乱打を放っていた二号が髪の毛に振り払われ、戻ってくる。
猛獣の如く拳を振るっていたくまのぬいぐるみに向け、刹那は問い掛けた


『…ポチ、もう一回ラッシュ行ける?』


《ぼっこぼこにする!!》


「なーんかソイツ野蛮になってきたよね。誰に似たんだか」


少し前までは暴言も知らなかったのに、今じゃ平然と殺しを提案する様になった。物騒だねぇ、一体誰に似たんだか。
ぐっと構え直した二号に笑い、表情を引き締めた所で、刹那は目を瞬かせた


『あれ?』


…ああ、直ぐに気付いたね。
警戒心を忘れてないのは良い事だよ。
静かに視線を正面から、足許に移す。
呪力が、俺と刹那の足許で渦を巻いている。
傑と硝子は気付いていない。勿論、刹那も。
次の瞬間────勢い良く地を割った黒が、刹那の肩と足を捉えた


『!』


「刹那!!」


《パパ!!》


「つかまえた」


刹那が息を飲んだ。
彼女の背後から、耳まで裂けた口を大きく開けた女が、顔を覗かせていた。
ニタニタするソイツが足許の呪力を熾こす。
ずるり、と急に足場がなくなって、足から影に呑み込まれ始めた。


「悟!!」


「刹那!!」


慌てた声を背後に、伸ばされた手をしっかりと握り締めた。
────うんうん、此処までは順調、だね。
















ジー、と機械の稼働する音が、静かな空間に響いている。


静かにサングラスを外す。
スクリーンに映されているのは、何処にでも居そうな両親と、小さな娘の姿だった。
子供が笑えば、親も笑う。
二人に手を引かれた菫青の瞳の子供は、とても幸せそうに見えた。


けれど、そんな幸せも長くは続かなかった。


三人で回っていた家庭に、新たな子供が出来た。新しい子供は、弟だった。
そこから母親が豹変した。
まだ年端もいかぬ娘に、家事の手伝いをさせた。幼い弟の下の世話を押し付けた。
母親はしっかり休まねばならないと、夜泣きの面倒を見させた。
己を差し置いて娘が寝ようもんなら頬を叩いた。


「刹那はお姉ちゃんだから、一人で留守番出来るでしょ?」


『うん、出来るよ。
だから、水族館楽しんできてね』


弟を抱き上げた母親が、にっこりと笑顔で出ていった。
それを見送る娘は、にっこりと作り笑いを貼り付けていた。
…扉が閉まった瞬間、作り笑いが削げ落ちた。
無表情の子供は、鍵を閉めるととぼとぼと廊下を歩いていった。


それから更に、循環の崩れた家に子供が出来た。
次は妹。
作った理由など簡単だ。息子が成長して、可愛くなくなったから。


母親は異常だった。
その女は、幼い我が子しか愛せなかったのだ。


だから、菫青の娘がある程度育つと、次を作った。
息子が反抗期を迎えると、更に次を作った。


…ああ、厳密に言うと、女は子供を愛していた訳じゃない。
赤子に濃く受け継がれた、自分の要素を愛していたのだ。


我が子ではなく、子に確かに感じられる自分を慈しんでいた。
だからこそ、菫青の娘は早々に見向きもされなくなってしまった。
娘は、父親似だった。


つまり、探して探してやっと自分の面影を見付けられる程度にしか、彼女は母親に似ていなかった。
息子も父親寄りではあったが、娘よりはまだ母親に似ていた。


だから、愛した。


放り捨てられた娘の視線など目もくれず、手を伸ばす息子自分を可愛がった。
陰でひっそり泣いていた娘を無視して。
小さな手で懸命に食器を洗う娘をノロマと怒鳴り散らして。
学校から帰ってくるのが遅かった娘の言い訳も聞かず、湯船に沈めて。


…そして、息子に己の面影を見付けられなくなって、次を作った。


今まで可愛がられてきた息子は、突然放り捨てられて混乱した。
そして、それを姉にぶつけた。
家庭内の事にまるで介入しない父親は、それでも毎日食事の味付けに文句を付けた。


…娘の笑顔は、どんどん薄っぺらくなっていった。


朝起きて、朝食を作って、学校に行って、買い物して、夕飯を作って、洗濯物を回して、風呂掃除して。
学校に友人が居る事だけが救いだった。
けれど、誰にも助けなど求められなかった。


「お姉ちゃん、僕達は出掛けてくるから、家の事を頼んだよ」


『……わかった。楽しんできてね』


映像が切り替わる。
父親と仲の良い弟と、赤ん坊の妹を抱いた母親が家を出ていった。
それを、薄っぺらい笑顔で成長した娘が見送っている。
ぱたん、と扉が閉まった瞬間、ごっそりと笑みが落ちた。


「……頑張ったんだね、刹那」


映像が終わった所で、隣にそっと囁いた。
影に呑み込まれ、次に目を開けた時にはこの深い赤の椅子に腰掛けていた。
そしてスクリーンに流され始めた、愛に飢えた女の子の記録。
映像の途中、抱き寄せた身体が小さく震えるのを何度も慰める様に撫でながら見続け、今漸く投影が終わったらしい。
腕を外し、そっと頬を撫でてから立ち上がった。
手を差し出せば、小さな手がそれに甘えて腰を上げる。
ぱっと光が落ちてきて、頭上のライトが灯されたのだと知った。
前方、映像の消えたスクリーンが、乾いた音を立てて上がっていく。
……その向こうに佇んでいた女に、ゆるりと目を細めた


「刹那」


過去の映像を見せた上に、記憶のままの姿で出てくるとは。まぁ随分と性格が悪い。
髪を明るく染めた垂れ目の女に、刹那は痛ましい表情を見せた


『……母さん』


掠れた、吐息だけで紡いだ様な四音。
それでもその声は届いたらしい。女はにっこりと微笑んだ


「戻っておいで、刹那。そこはあなたの居場所じゃないでしょ?帰っておいで」


女は笑って此方に向けて手を広げた。
俺は無言で刹那を抱き込んで、手に力を込める。


万が一、億が一、あんなクズに情を見せたりしたら……


俺の言わんとした事が伝わったんだろう、抱き締められたままで、刹那がくすくすと笑い出した。
そのまま、今度ははっきりとした声で、女に返事をする


『帰らないよ。私は悟と一緒に居る』


「何故?その男はあなたの全てを奪ったのよ?それなのに、何故?」


うーん、確かに全てを奪ったけど、ぶっちゃけ奪った方が幸せだったと思うよ?
俺としてはそんな事を思うだけだったが、どうやら刹那は違ったらしい。
嫌悪感を露にした表情で、ゆっくりと口を開いた。


『……ねぇ母さん』


「なに?」


『…母さんは、何時から私をお姉ちゃんって枠組みに押し込めたんだっけ』


「え?」


『お姉ちゃんだから、欲しいものはないでしょう。
お姉ちゃんだから、弟にあげられるでしょう。
お姉ちゃんだから、一人でも平気でしょう。
お姉ちゃんだから、痛くないでしょう。
……これ全部、母さんが私に言った事だよ』


訥々と落とされた言葉は、血を吐く様な痛みに満ちていた。
何故刹那がずっと、理不尽な扱いに耐えてきたのか。
外に助けを求めるでもなく、ずっとそこに居続けたのか。
寂しくても痛くても逃げなかったのか。


簡単だ。
この子は家族を…母親を、愛していたから。


どんな目に遭っても、家族三人だった頃の無償の愛が忘れられなかった。
暖かな温もりが、思い出から消えなかったから。
だから、耐えた。
耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて、いつか。
もう一度、優しい笑顔で自分を見てくれると、愚かにも信じていたから。


…まぁ、結果はこのザマだけど。


『…わたし、もうお姉ちゃんやめるよ。
だって父さんも母さんも、私より弟と妹が大事だったじゃん。
大切じゃないなら、私は要らないでしょ?
…それなら、私は私を大事にしてくれる人の傍に居たい。
私を愛してくれる悟を、愛していたい』


「刹那……」


あーーーーーーーかわいい。
愛情に飢えて簡単に漬け込める系チョロインかっわい…
馬鹿だねぇ愚かだねぇ浅慮だねぇ妄信的だねぇ……でも大丈夫!そんな所もぜーんぶ愛してる!死んでも離さないよ♡
熱烈な告白をしてくれた刹那を、ぎゅうっと抱き締める。
そのままキスをしようとすれば、さっと顔を背けられた。
え?なんで?俺とキスすんの好きでしょ???…ああ、邪魔者居たんだった。


『私は、帰らないよ。私のかみさまはこの人だから』


「俺達結婚するから。今更口出しすんなよお母様。とっとと土に還れ」


掩護射撃をしてべぇ、と舌を出しておく。
その瞬間、今の今まで惚け面を晒していた女の雰囲気が一変した


「貴様────貴様が、全てを奪ったのだ!!!!」


ばりばりと、叫んだ女の顔が、額から真っ直ぐに裂けた。
頭から腹までぱっくりと裂けて、その下から現れたのは、尖った口許に燃え上がる様な深紅の瞳。
チロチロと覗く割れた舌を出し入れしながら、毒親だった女の皮を脱ぎ捨て、踏み潰して────巨体が姿を現した。


「うげぇ、どうやって入ってたんだよ」


『………』


ずるずると這い出す首は、八。
八つ首の大蛇は、シアタールームに所狭しと首を伸ばすと咆哮を響かせた。
ビリビリと空振が頬を打つ。それに呼応する様に、黒い天井が一気に罅割れ、バラバラと降り注いでくる。
あー、あれっぽい。RPGのボス戦。
無限で天井の破片を防ぎつつ、静かに呪力の疾った床を見た。


足許がじんわりと形を、色を変えていく。


軈て現れたのは石畳に、大きな御神木。
木製の本殿。
真っ暗な空。


…御丁寧に、あの終わりの日を再現したらしい。
自分が殺された舞台を細部まで再現するとか、実はコイツドMなんだろうか。


「貴様が!!貴様が全てを奪ったのだ!!!!私の世界を!!我の愛し子を!!!」


蛇が吼える。
刹那は母親の皮を被っていた大蛇を、静かな眼差しで見つめていた。


「はっ、言い掛かりはやめろよ。全部オマエが犯した罪だろ?」


「ほざきおって…!!!
嗚呼、憎い、憎い…ニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイ!!!!!!!」


……んん?
やっぱりだ。
コイツが負の感情を露にする時、呪力がぶれる・・・
表層の呪力がぶれて、奥にもう一つ、いや沢山……ああ、そういう…
納得した俺の腕の中で、刹那が静かに呪力を励起させた。
菫青は真っ直ぐに燃え上がる紅を見据えている。
良いね、これなら問題なさそう。
俺はゆっくりと腕を離した。
ちらりと此方を窺う菫青に、ゆるりと微笑んでやる


「好きにやりな。トドメは刺してあげるから」


『…ありがとう』


ゆっくりと、刹那が歩き始めた。
余裕のあった歩調が早まり、駆け出して強く踏み込む。
蛇目掛けて突き出した左手は冷気を纏い、氷の槍と化した


『奪ったのは』


噛み付こうと大きく開いた口に、つっかえ棒の様に氷を嵌めて、鼻面を足場に飛び上がる。
長く伸ばした氷の槍が、鋭く睨む深紅に突き立てられた


『奪ったのは、お前だ』


「■■■■■■■■■■!!!!」


蛇が絶叫する。
痛みで大きく首を振る大蛇。勿論華奢な身体がその勢いに耐えられる筈もなく、振り払われた。
宙に放り出された刹那の背を、無限でそっと包んでやる。はっとした顔で此方を見下ろした刹那に、にっと笑っておいた。
力強く頷いた刹那が、左手に呪力を流す。
その呪力が強く、密に込められていくのを見て、目を眇めた。


────絶対零度を使う気か。


温度使役術式の、順転の極みとも言えるそれ。しかしその奥義は、一言で言ってしまえば自爆技だ。
体温を−273.15 ℃まで下げ、全てを凍てつかせるのは確かに強力だ。
しかし、そこに術者の命は考慮されない。
温度使役術式の反転、熱を生み出す術式を即座に使えれば、死なずに済むかもしれない。ただどうしたって戦闘不能に陥るし、下手すれば死ぬ。


刹那にはセーフティを設けてあるんだが。一つ目は突破したらしい。
…さて、どうなるかな。


見た目は自然体で、背中に隠した手にのみ力を込める。
万が一、絶対零度が成功した場合は直ぐに────刹那の意識を刈り取れる様に


「貴様さえ 貴様さえ居なければ!!!嗚呼憎い!!モドッテ!!
ニクイニクイニクイニクイ!!
お前ガ居なケれば!!!!
戻りナさい!刹那!!!!」


『…お互い様。私もお前が大嫌い』


とうとう混濁が始まってきたらしい。
支離滅裂な言葉を叫びだした蛇をその目で捉えながら、刹那は氷で足場を作り上げた。
たん、と固い氷を蹴って蛇の背に飛び乗る。
向かってきた牙は氷が弾いた。砕かれた破片をもう一度操り、蛇の胴体に殺到させる。
その戦い方に思わずへぇ、と声が漏れた。
随分サマになってるじゃん。
平和ボケした世界で暮らしていた小娘が、随分巧く術式を使える様になったモンだ。
壊された氷も、即座に再利用する事で消耗を抑えながら、刹那はじっと大蛇を見据えている。
氷で全身を撃ち据えられているものの、相当硬いのか、漆黒の鱗には殆どダメージは入らない。
だぁん!!と氷の礫が黒蛇の鼻面に叩き付けられ、砕けた氷が煙幕の様に視界を遮った。
そこで、ずっとこの状況を待っていた刹那が動く。
掌を、眼を潰した頭部に向けた。


呪力がいっそう強く、綿密に練り上げられていく。
体内を廻る水の様な呪力が高速で駆け、痛みを覚えたのか、刹那が顔を顰めた。
隠した手に呪力を込める。
六眼で凝視する中、深淵に眠る術式目掛けて呪力が飛び込んでいく。


その切っ先が奥義に触れる、直前で────呪力が阻まれ、逆流・・した。


『え、?』


困惑した声がぽつりと落ちる。
同時に左手からは呪力が噴き出して────俺は、口角を吊り上げた。
血管が浮き上がる程力を込めていた手を、そっと緩める。


純白の龍が、蒼い焔を纏って大蛇に襲い掛かっていた。


「■■■■■■■■■■■■!!!!」


『うぐ…っ!』


蒼焔に巻かれた大蛇が絶叫する。
痛みにのたうち回る大蛇の尾に、小さな身体は為す術もなく弾き飛ばされた。
刹那が後方に聳える御神木に叩き付けられる寸前、瞬間移動して受け止めてやる


「へぇ、面白い技を編み出したね」


『悟…』


「お疲れ様、刹那。良く頑張ったね」


何処かぼんやりした顔で、刹那が此方を見上げていた。ああ、可哀想に。冷えきっちゃって。
頬を撫でてから、目の前の争いに視線を戻した。
白龍は、焔の手足を駆使して大蛇を苦しめている。
でも苦しめているだけだ。燃やしてはいるが、致命傷じゃない。
…そりゃそうだ。刹那の呪力が多い今のオマエじゃ、ソイツは祓えない。


「■■■■■■■■■■!!!!」


大蛇の首の一つが、龍の背中に深々と牙を突き立てた。
けれど龍は痛がる素振りもなく、寧ろ牙を突き立てた事で動けなくなった首に焔の拳を叩き込んだ。
ぶわりと肌を焼かれ、悲鳴を上げる大蛇の喉に、すかさず龍がお返しとばかりに焔の牙を立てる。
噛まれる首が悲鳴を上げる中、ごう、と鬣の焔が勢いを増す。
うねり猛る蒼焔に、他の首は近付けない様だった。


「あは、なかなか良い出来だ。
でも、そろそろ戻らなきゃアイツらが心配するかも知れないから────祓うか」


怪獣大戦争みたいで面白いんだけど、飽きちゃったからさ。それにオマエも休ませてあげたいし。
収穫はあった。ちゃんと役立てたなら……後片付け、しなくちゃね。
刹那をそっと降ろすと、前に出た。
肩越しに振り向いて、此方を見つめる菫青に微笑みかける


「見てて。俺は、刹那の為なら何だって、出来るんだよ」


ゆっくりと、掌印を組んだ。
この姿になってからは初めて組む、印を。


「────術式順転・蒼。
────術式反転・赫」


大きく脚を開き、腰を落とす。
右手を前に。
凝縮された呪力の塊が、紫の輝きとなって指の先に宿った。


「死ネ!!!呪われよ!!!
妬ましイ!!疎まシい!!悍マしいオンなめ!!!ユるサナい!!!
全てを壊す不幸ノ子メ!!!」


『………』


雑魚ほど良く喚くモンだけど、それは図体がデカくても変わらないらしい。
刹那を燃える様な眼で睨め付ける大蛇の眼球は、焔の爪で抉られて瞬く間に焼け爛れた。
煌々と燃え上がる蒼が世界を照らす中、静かな声で、終わりを告げる


「────虚式・茈」


怨嗟を撒き散らす厄災が、鮮やかな紫の奔流に呑み込まれた。












吹っ飛んだ。
跡形もなく。黒い大蛇は塵となった。


「やっぱこれでも消し飛ばねぇんだ?まぁそっか、“僕”の茈にも耐えたんだもんね」


大蛇の居た場所に転がっていた黒い珠を拾い上げる。
掌の上で跳ねさせながら、気絶してしまったらしい刹那にゆっくりと近付いた。
パラパラと遥か上空より降ってくるのは、この世界の空を作り上げていた呪力だ。
此処はあの蛇の領域の中。
本体が死んだのだから、領域が壊れるのも当然だろう。
ただ崩壊がやけに緩やかなのは、遡及魚…八岐大蛇を作り上げていた呪物が、領域内に存在しているからである。


「やっぱ死骸・・じゃダメだな。雑魚過ぎる」


確かに俺は蠱毒を用い、あの世界の神を降ろした。
神を降ろすとはいえ条件も絞ったし、使った生贄と呪力の量からして、あの七日目のバフ盛り盛りバージョンが無理な事は確か。ただし、ノーマルの神なら喚べると踏んでいた。
その為に遡及魚を使ったんだから。
閉じ込め負の感情を増幅させる日数、喰らい合わせた人数、生き残りに背負わせた呪力量、用意した呪物、口にした祝詞。
どれを取っても全て完璧だった筈だ。


ただ誤算だったのは────八岐大蛇が、既に死んでいた・・・・・事である。


死んでいた、というか、“僕”があの世界で殺した。
今回は遡及魚に取り込まれている呪力…所謂過去のデータををサルベージして大蛇を仕立てあげた訳だが────肝心の魂魄は、この珠の中に入っていなかったのだ。


因みに魂はシュレーティンガーに取り込まれた訳でもない。
純粋に、存在しないのだ。


恐らくは此方の世界に来てすらいない。
というかコレは、そもそもそういう物だった。忘れてたけど。
遡及魚は術者の好きなもの、好きな世界を思うがままに創造する。


但しそれが生き物の場合は、術者の記憶を頼りに演じる・・・のだ。
生きている様に────魂がある様に見せる為に。


その結果、随分言動に一貫性のない蛇が完成した。単純に俺がちゃんと記憶していない所為とも言える。
いや、一応は覚えてるんだよ?ただ、ばんばん無限叩きながら返してって言われたイメージが強くて………あと親がクソ。
術者である俺のイメージがぼやっとしていたからこそ、贄が刹那に対して酷く不安定になると、死骸の皮が剥げそうになったんだろう。
その結果、妙に刹那を恨んだ声が出ていたという仕組みだ。
あの女自体にほぼ自我はなくとも、溜め込まれた憎悪が刹那に反応したと推測出来る。


…因みに、この法則に於いて、あの世界の神様は例外に入る。


アレは世界を巻き戻した結果、強制的に現世に引き戻された魂魄だ。
故に、あの世界の八岐大蛇は仮初めではなく、確実に生きていたと言えるだろう。


そうそう、あの時ヤツが蒼を弾き飛ばせたのは、単純に俺が本気じゃなかったから。


確かに手は抜いていない。けれど、それは“高専一年生の俺の実力しか出さない”という事だ。
だってほら、赫も蒼も俺と“僕”じゃ次元が違う。そんなモンこの年齢でホイホイ使ってみろ、馬車馬十倍コース即決待ったナシだ。
今の俺は簡単に言えば、“二十八歳の五条悟の呪力を持った十五歳の五条悟”だ。
だからこそ、俺は常に“十五歳の五条悟”の実力に沿うレベルでしか術式は使わない。
体術は咄嗟の動きなんかで“僕”の経験値が活きてしまうけど、そこは身体がまだ出来上がっていないから大丈夫。
純粋な膂力では、恐らく傑に負けるだろうし。ムカつくけどアイツの筋肉はヤバい。


因みに七海みたいに縛りを使う事も考えた。でも解放した時のブーストがヤバそうだし、却下。


精々最短で一年後…あれって確か春先だったっけ?丁度今ぐらいか?
星漿体護衛任務まで縛りを結んだとして、解放した場合のリターンが大きすぎる。だって一年だよ?


普段“僕”の三割くらいのレベルでしか術式使ってないのに?
七割貯金すんの??一年も??
普通の呪術師じゃないよ?五条悟の呪力量での七割だよ??正気か???
サードインパクト起こすの???ってなるじゃん???


即座に世界滅ばすならまだしも、無駄な呪力は必要ないし。
…ああ、逆に七割貯金して、リターンで得た呪力を何かに込めても良いな。
それを刹那に持たせるとか……良いね!結婚指輪にでもしようか!
それだったらいっそ、二年後の俺の誕生日まで縛っても良いよね!!!


「お疲れ様、刹那。さて、帰ろっか」


まぁそれは追々考えるとして。
遡及魚をポケットに突っ込んで、意識のない身体を抱き上げた。
やはり怒りと強敵は呪術師を成長させる。
今回もそう。
因縁の相手と対峙した事で、刹那の戦い方は格段に飛躍を遂げた。
遡及魚の使用者は俺だったので刹那には祓えなかったけれど、そんな状態でもなかなかに善戦したと言えよう。


何より────絶対零度は使えないと明確に証明された。


「一気にレベルアップ成功だね!これなら死んでいった虫共も浮かばれるんじゃない?」


これで刹那は死ににくくなった。
俺は家の馬鹿を一気に大量処分出来たし、大満足だ。
バラバラと崩れていく世界の中で、一人笑う。


…あー、傑達への説明、どうしよ。












五月二日 朝


布団の中で、目を閉じる刹那をのんびりと眺める。
あーかわいい。すやすや寝てるのかわいい。安心しきってる顔かわいい。
カーテンの隙間から射し込む朝日がほっぺに当たってもう絵画みたいなんだけど大丈夫?起きたら天使の羽生えたりしない?
あ、もし生えても大丈夫!即座に風切り羽を切ってあげようね!
この寝顔を眺めるだけで数時間過ごせるのだが、流石に起こさないとダメな時間になってしまった。
名残惜しく思いつつも、そっと綺麗な黒髪を撫でる。


「刹那。刹那、起きて」


『ぅ……ん…?』


寝覚めの良い刹那は、名前を呼んだだけで直ぐに意識を浮上させた。
だが完全に覚醒してはいないんだろう、大きな瞳は半分ぐらいにしか開いておらず、瞬きを繰り返している。


『……さとる?』


「んふふ、そうだよ。おはよ」


『……さとる…???』


「寝ぼけてる?かわいい」


頬を親指でそっと撫でて、髪を払った。
ぱちりぱちりと半開きの目が瞬いて、それからぱかっと零れんばかりに見開かれた。
思わず手を受け止める形で差し出した俺は悪くない。


『っ蛇は!?』


「んー?俺がちゃんと祓っといたよ」


『え…?』


「茈でどーん!って。だからもう、大丈夫だよ」


にこりと笑っておく。
最後辺りは意識も朦朧としていた様だし、覚えていなくても仕方がない。
俺の言葉を聞いた刹那はゆっくりと一つ瞬いて、眉を下げた


『…そっか。ありがとう、悟』


悲しんでいる様な、もう二度と会えないものを想っている様な。
その何ともいえない表情に、一度言葉を呑み込んだ。
それから意図的に、口調を柔らかくする


「どういたしまして。…そろそろ起きよっか。朝ご飯食べて、硝子と露天風呂にでも行っておいでよ。
僕も傑誘って行ってみるからさ」


『そうする。…ふふ、悟、五条先生っぽくなってるよ』


「あ」


わざとらしく参ったなと後ろ首を掻いて見せる。
そんな俺を見て、刹那が柔らかく微笑んだ。
先に起き上がり、洗面台に向かっていく背中を見送る。
布団の上で胡座をかき、くわりと欠伸を一つ。


「…笑ってくれるんなら、落ち込んでる時にうっかり・・・・“僕”っぽく話すのも有効だな」














「あの呪霊、結局何だったんだろうね」


「さぁ?あの神社に棲み付いてたんじゃねぇの?」


「あのレベルの呪霊を高専が気付けない、なんて事があると思うか?
僻地ならまだしも、定期巡回までしている場所だぞ?」


かこん、と鹿威しが温泉の湯を受けて傾く音を聞きながら、シャンプーを泡立てた。
あのあと無事に戻った俺達は傑と硝子と合流。事情を簡単に説明した後、旅館で解散した。
だが一晩経つとこれだ。このクソマジメ、あの呪霊が突如現れたのを怪しんでいるらしい。
あーめんど…いや待って匂い甘…シャンプーこれ女物か?


「知るかよ。高専の情報網だって万全じゃねぇ。
それにオマエだって知ってんだろ、呪霊は呪いの密度が増すにつれて、知恵も上がる。
そこの神社は集落の守り神。じいさんばあさんが毎日せっせと呪力を込めに来る。
オマケに此処は、任務の遠出に慣れてねぇひよっこと、呪術師のちょっとした息抜きの為に使われる巡回地だ。
ひよっことお疲れの呪術師にバレねぇ様に巧妙に隠れるなんざ、あのレベルの呪霊なら簡単だろ」


適当に言葉を並べ立て、泡を流す。
額に張り付いた髪を掻き上げ、コンディショナーをするべきか悩んだ。
めんどくせぇ…でもなぁ、刹那が髪のケアはちゃんとしないと将来ハゲるって言うしなぁ…でも流したら背中ベトベトすんのヤなんだけどなぁ…
仕方無くでろっとした液体を小さなボトルから掌に落として、髪に塗りたくった


「いや匂い甘…」


「悟?」


「…刹那のヤツ、パッケージに惹かれて俺のシャンプーまでエッセンシャルにしてた…」


全然気にしてなかったけど、良く見たらボトルの表面に、白い身体に青い目のサンリオのヤツが載っていた。
シナモロールじゃん…いや良いけど…でも良く考えて?俺からエッセンシャルの香りってどうなの???
確かに見た目はOKかもしれないけどさ?
俺の性格知ってるヤツらからしたらネタでしかなくない???


「wwwwwwwwwwwwwwwwwwww」


「おいうるせぇよクソゲラ!!オマエもエッセンシャルにしてやろうか!!!」


「オマエもwwwwwwwwエッセンシャルにw
wwwwwwwwwどんなおどしなのwwwww」


ああほら、ゲラが大きな湯船で沈んでいる。
石で囲った湯船と、竹の衝立で外を遮った如何にもな露天風呂な訳だが、コイツの大爆笑の所為で雰囲気はブチ殺されていた。
いや笑いすぎじゃない?そんな爆笑する?オマエそんなんだったっけ?
笑われている事に舌打ちを溢しつつ、乱暴に髪を流し……情けない声が出た


「あああああほら背中ぬるぬるする…」


「wwwwwwwwwwwwwwwwwww」












五月二日 夜


あれから無事に高専に戻ってきた俺達は、食事もそこそこにベッドに入った。
報告書は明日出せば良いらしい。夜蛾さんは楽しげに話す刹那と硝子を見て、こっそり安心した顔をしていた。
これで俺の呼び出しはなくなりそうだ。よかった。


広いベッドにごろりと転がって、ぴったりと密着する。
時折触れるだけのキスをして、ゆったりとした空気を味わっていた。


「なんか、熟年夫婦みたいな過ごし方だよねぇ」


『ん?』


「普通、高校生のガキってヤりたい盛りの猿なんだけどさぁ」


不思議そうな顔の刹那を眺めながら、ゆるりと笑う。


「性欲より、オマエを大事にしたいって気持ちの方が強いの。だから、こうやってくっ付けるのめちゃくちゃうれしい」


『……わたしも、うれしい』


もごもごと照れ臭そうに返すと、菫青がそっと下を向いた。
あーかわいい。ほんとかわいい。
流石に疲れてるだろうから、本当ならこのまま寄り添うだけにしてあげたいんだけど…
うん、あとでトイレ行くかな。
そんな事を考えたタイミングで、刹那がもぞりと体勢を変えた。
同時にぞくりと腰骨を快感が走って、固まってしまった彼女に苦笑いを溢す


『……悟』


強張った声で俺を呼ぶ刹那に、悪戯っぽく笑って見せた


「バレた?いや、まぁ好きな女と寝てれば勃つでしょ。だって俺十五歳よ?腰振る事覚えた猿だもん」


『全国の十五歳に謝って』


「絶対恵もムッツリだったって。悠仁は好みオープンにしてたけどさ」


タッパとケツがデカい女がタイプだっけ?そりゃ葵か。悠仁はなんだったか…ああ、ジェニファー・ローレンスか。
恵はムッツリそうだよね。弄ったらキレたけど。
懐かしい顔を思い返していれば、困った様な顔で刹那が溜め息を吐いた。
なに?照れてんの?かわいいね?
何回もヤってんのにウブなのほんとかわいい。
こうなったら照れた刹那を堪能しようと、すり、と熱いものを腹に押し付けた。
恥ずかしくて赤くなったんだろう刹那の腹を、まじまじと見つめる


「こんな薄っぺらい胎にコレが入るって、不思議。破れそうだよね」


『こわ……』


だって俺のチンコ出し入れするんだよ?
こーんなに薄っぺらくて小さい身体に、小さい穴に。
なんか…裂けそう。というか突き破っちゃいそう。
想像したのか刹那が青ざめた。
あはは、大丈夫だよ。
そうなったら硝子に治してもらおうね♡


『ねぇ、悟』


「なぁに?」


ふわりと微笑んでみると、刹那が目を泳がせた。
何かは知らないが、言うか言うまいか悩んでいるらしい。
黙って見守っていると、暫くして決心が付いた様だ。刹那は真剣な面持ちで口を開いた


『……悟はさ』


「うん」


『…………胸は、大きい方が好みなんですか…』


………。
……………。
……………、…………。


「………………ん??????」


目を瞬かせ、首を傾げた。
ごめんねまってわかんない。どうしてそう思った???


『だって……ガラケーのホーム画面、井上和香って人なんでしょ…?』


「携帯の待ち受けな。いやオマエだけど」


『……星漿体の時に待ち受けその人って言ってた』


もごもごと紡がれた言葉で漸く合点がいった。
あーそれね。なんだ、雑魚に妙な事吹き込まれたのかと思って焦った。
刹那は不安になったのか、自身の胸元をじっと見下ろしている。
そんな様子が可愛くて、つい笑ってしまった


「あー、アレね。アレはね、カモフラージュだよ」


『……カモフラージュ?』


「そ。あの時はさ、俺の婚約者になりたい女が俺の好みを探ってたの。
マジで俺の好みを探ってんのか気になったから、その時に人気だった井上和香にしたのね。そしたらほんとに巨乳ばっか来るからさぁ、次は面倒になってモナリザにしてやったの」


『モナリザみたいな女子…???』


「一週間ぐらいしたらさ、俺のトコに来るヤツみーんな真っ黒な服着て、センター分けの黒髪になってやがんの!アレは面白かった!」


『悪質…』


他には何したっけか。
モナリザの次は紫式部にしたんだったか。
そんで飽きて、最終的にはデーモン閣下にした。
一時期襲来する女が軒並み白塗りのパンクファッションになって、夜蛾さんに俺が怒られたのは良く覚えてる。
ケラケラ笑う俺に、ドン引いた刹那が引き攣った声を上げた。
いやいや、ちょっと待って?
オマエそこでその反応は可笑しくない?


「それもさ、誰かさんが自撮りくれなかったからなんだけどな。愛しい愛しい女の子が頑なに外見情報をくれなかったから、可哀想な悟くんは大好きな子を想像する事すら出来なかったんだけどな」


『ごめんなさい』


恐らく口角を上げた俺は、目が笑っていないだろう。刹那が即座に謝罪した。
眉を下げたその顔を見て、口を尖らせてみる。


「まぁ良いけどね。刹那に“僕”も俺も童貞あげたんだから、その点では感謝してるよ。
他の女を刹那の代わりに抱くなんて御免だからね」


『………ごめんね』


そう、刹那が頑なに自撮りをくれなかったから、俺はどんな女にも刹那を重ねられなかった。
結果的にそれは正解だったと言えよう。
前はセックスで発散出来ない分、他の男よりも性欲の処理が面倒だと思った事もあったが、今はそれで良かったと言える。


…目の前で、刹那の表情が何かを堪える様なものに変わった。


嬉しそうで、けれどそれを隠そうとしている姿に恍惚を覚える。
愛らしい表情をじいっと覗き込んでから、うっそりと微笑んだ


「…そうだよ。俺はオマエのものだ。もっと縛って、独占欲を満たすと良い。
…大体ね、刹那は巨乳の方が良いのかなんて聞いたけどさ」


とん、と薄い胸元に手を乗せた。
シャツの上から撫でて、へらっと笑う。
あーーーーーー薄っぺらくてかわいい。


「いやほんとまな板だね?俺の方があるんじゃない?」


『ツラ貸せよ顔だけ飾るから』


「え?俺の顔そんなに好き?嬉しいなぁ。あ、剥ぎ取ってあげようか?反転術式で治せるだろうし」


『いや良い。要らない結構ですやめてください』


マジで?俺の顔そんなに?そんなに好きなの???じゃああげるね!!!
剥ぎ取るつもりで額に爪を立てれば、刹那に慌てて止められた。
え?なんで?好きなんでしょ?じゃあ止める必要なくない?


「えー、じゃあ生きてる俺の顔見とくの?」


『なんで残念そうなの…???』


「だってそれも独占欲じゃない?俺の顔を飾りたいとかめちゃくちゃ興奮したよね」


『頭が…おイカれなさっている………』


「今更?呪術師ってのはイカれてなんぼだよ?」


俺の顔好きなんでしょ?剥ぎ取って飾ってくれたらめちゃくちゃ嬉しいんだけど?
というか今更イカれてるって言われてもなぁ。事実だしなぁ。
濃紺のシャツ越しにブラの縁をなぞりながら、話を戻してやる事にする


「刹那はさぁ、そもそも術式と天与呪縛の都合上、太るのが難しいと思うよ?」


『え?』


「刹那の術式は自分の体温を放出して水分を操ったりするでしょ?
でも体温を放出しても、刹那は直ぐに全身凍えたりしないよね?」


『…そういえば、そうだね』


神妙な表情で頷いた刹那の前で、立てた指を揺らした


「それはね、刹那の天与呪縛のお陰なの。オマエの天与呪縛は“一般女性の筋力しか得られない代わりに、体温の放出箇所を設定出来る”ってヤツだよ」


『……なにそれ、ダサくない…?』


刹那が何とも言えない顔になる。
いやいや、確かに聞いただけじゃクッソ雑魚wwwwwwってなる天与呪縛だよ?
でもこれは、オマエの術式にはこれ以上ないぐらいマッチしてるんだよね。
眉を寄せた刹那に、俺は指を振ってみせた。
これではかいこうせん!出れば楽なのにね。…あ、赫じゃん。
赫ははかいこうせんだった…?


「いやいや、これはオマエの術式なら最適解の天与呪縛だよ。
だって刹那の術式────それがなきゃ早死しちゃうから」


『えっ』


おーおー、驚いてら。
固まった刹那を笑う。
一頻り笑って────それからすっと、表情を消した


「刹那は大丈夫だよ?でもね、過去にその術式を使ってた呪術師は、みーんな若くで死んでんの。
だってソイツらは、全身の体温を零度まで下げて放出してたから。
体温を上げるにしたって心臓の負荷が酷い。それに消耗しきれば待ってるのは低体温症による死だ。
当時は江戸時代とかだし、そりゃあ早死しちゃうよね」


昔は医療なんて発達しちゃいない。そんな状況でこの術式を使う事は、一種の自殺とも取れた。
温度使役術式は、確かに少ない呪力で大量の水分を操れる、コスパの良い術式だ。
ただし、一度使うだけで死ぬかも知れないリスクは常に付き纏う。
それでも、一族は戦い続けた。
加茂分家としての誇りを護る為、全てを捨てて、文字通り命を削った。


ずっとずっと戦い続け、その一族はどんどんと痩せ細っていき────最後には、表舞台から姿を消した。


もしかしたら、没落しただけで血は続いているかも知れない。
それでも呪術界に温度使役術式が戻っていないという事は、一族は途絶えたか、呪力を持った子が産まれなくなったか。
或いは先祖の若き死を憂い、呪術界から身を退いたのか。
どれにせよ、一族の呪術師としての道が断たれたのは、当然の事とも言えよう。


…あは、漸く自分の術式の危険性を認知出来た?


顔を強張らせた刹那に、あやす様に口付けを落とす。
首にしがみついてきた細い腕に頬を緩め、もう一度唇を重ねた。
最後にちゅう、と吸って顔を離す。


「落ち着いた?」


『ありがと』


「ん。…続き、聞く?」


『お願い』


その表情に怯えはない。
それを確認してから、説明を再開した


「刹那が体温を放出したあと、直ぐに体温は戻るだろ?それね、オマエの脂肪を燃やしてんの」


『…脂肪を?』


「そう。最初は元々子供体温なお陰でカバー出来ても、術式使用が長引けば、どんどん体温は低くなっていく。お湯にずっと水を混ぜていく様なモンだからね。
そうしたらさ、下がったお湯の熱を上げるには、薪が必要だろ?
そこで消費されるのが、脂肪なの。
つまりオマエは、全身の脂肪を燃やして即座に体温に回してるって事」


『……つまり、ダイエット要らず…?』


オイオイオイオイ目が輝いちゃってますけど???
嬉しそうな顔をした刹那に、堪らず溜め息が漏れた


「あー、女子高生って感じの反応だわ。
喜んでるトコ悪いけど、脂肪を燃やし尽くしたら、次はなけなしの筋肉を燃やして体温に変えるよ。
だからまぁ、出来るだけ太った方が良いんだけど……オマエ普段から脂肪燃やしてるもんなぁ」


『?』


「多分ね、普段の子供体温の維持で脂肪を燃やしてる。それか、下手すればその体型まで天与呪縛に入ってる可能性もある。
縛りが多い様に思えるけど、温度使役術式はそれだけ死に近い術式だから、オマエみたいにお手軽操作になってる事自体が奇跡みたいなモンだよ」


そうじゃなきゃ、もう少し肉付きは良くなっていても可笑しくない筈だ。
カロリー不足を引き起こさない様に、俺は小まめにおやつを食べさせているんだから。
しょぼんとした刹那のシャツを捲り、ブラを見る。
あ、水色だ。かわいい。
じーっと眺めていれば、真上から結構な勢いで頭をひっ叩かれた


「ってぇ!」


『え?急になに?セクハラですけど???』


「何でだよ!ちっちゃくて可愛いじゃん見せろよ!」


『嘘でしょ、圧が強いの意味判んない…』


この僅かにふっくらした感じが得も言われぬ可愛さなのだ。
ニコニコしながらちっぱいを包んだブラを眺める俺を、刹那が憐れみを持った眼差しで見つめてくる。


「そもそもさぁ、刹那の術式で巨乳になったらフタコブラクダみたいになりそうじゃない?」


『は?』


不思議そうな刹那を他所に、ほんのりとした胸に顔をくっ付ける。
とくん、とくんと一定のリズムを刻む命の証に、うっとりと笑みを浮かべた


「あーーーーーーーー、心臓動いてる。かわいい」


『…心臓が動いてるのがかわいい…???』


「一生懸命動いてるね…とくとく言ってる。脆弱な命が生きてるの健気でかわいい…オマエの握り拳なんてちみっこいサイズで今日も元気に動いてるんだね。えらいね、かわいいね」


『………???』


毎日動いててお利口さんだね。簡単に停まっちゃいそうなサイズなのにとくとく言っててかわいいね。
もう音がかわいい。リズムよく動いてんのがかわいい。寧ろリズムがかわいい。
可愛いの塊にすりすりしながら、もそもそと続きを口にする


「だって刹那の術式だと脂肪を燃やすんだよ?仮に硝子ぐらいの乳こさえてみ?急激な消費に肉体が付いていけなくて、長期間砂漠を歩き回ったフタコブラクダのコブみたいにでろんって皮が垂れ下がる事になるよ?
それならこの可愛いおっぱいが良いじゃん。膨らんでも萎んでも一緒」


『………』


ちょびっとしかないから、膨らんでも萎んでも、ぱっと見は変わらないし。
ていうか、フタコブラクダの例え秀逸じゃない?めちゃくちゃ判りやすくない?
まぁ刹那のおっぱいって、コブっていうか平べったいメレンゲクッキーぐらいの膨らみだけど。
あーそれにしてもかわいい。小さくてかわいい…


「まぁ刹那なら胸なんかなくて良いんだけど。可愛いし、このぐらいの方が健気な心臓の音聴きやすいし」


『何故心臓を愛でる…???』


「え?毎日頑張って生きてるの可愛いじゃん。オマエなんだから髪の先から心臓まで可愛いのは当たり前だろ???」


『おイカれなさっている……』


「ははは、ありがと」


するりと背中に手を回し、ゆっくりと色を持たせた動きで撫で上げる。
シャツ越しにブラのホックをかりかりと引っ掻いていれば、細い指に耳を引っ張られた


「んえ、なにすんの」


『悟、背中にキスマーク付けた?硝子にお風呂で見られて恥ずかしかったんだけど』


キスマーク…?んなモン付けたっけ…?
内心首を傾げつつ、原因を探る。
最近はセックスしてないし、背中にキスマークは付けてない。
虫刺されか?とも思うが硝子が反応したならその線も薄い。
アイツなら虫刺されとか直ぐに気付きそうだ。


となると、他の………ああ、アレ・・か。


思い当たるものを見付け出した俺は、ゆうるりと笑んだ


「……ああ、見られちゃったの?」


『…温泉一緒に入ったんだよ。私知らなかったから』


「はは、まぁ大丈夫でしょ。アイツらも俺達の関係知ってるんだから」


『恥ずかしいんですけど…』


「大丈夫だって。この部屋も防音特化の札貼ってるし、刹那の可愛い声は誰にも聞かせないよ」


『そういう問題じゃない…』


あはは、話逸らされた事に気付かないのかわいいね。
嘆く刹那のブラをこっそりとずらし、じゅ、と吸った。
甘い肌を一舐めしてから唇を離せば、綺麗な華が咲いている


『言った先から…!』


「あ?硝子の前でブラ外すのかよ。…幾ら女同士でもそんな事したら縊り殺したくなるんだけど」


は?今回特別ですけど?
またアイツの前で裸になるつもり?は???有り得なくね?
そんな事したら殺すよ?硝子を。
笑みを消して詰め寄る俺の首に回ったままだった腕に、きゅっと力が込められる。
望むままに頭を寄せてやれば、ぎゅうっと抱き締められた


『悟にしか見せない。でも恥ずかしい。判って』


「俺にしか見せないなら付けまくっても許されるのでは…???」


『恥ずかしいって言葉は覚えないのかな?』


「あは。…それが見たいって言ったら、どうする?」


『っ』


ぐっと、薄い腹に熱いものを強く押し付けた。雄に迫られ興奮するのか、細い喉がか細く甘い吐息を漏らす。
…あー、もう無理。我慢出来ねぇ。
恥ずかしそうに頬を染めた刹那を、誘惑する眼差しで見下ろした


「…ねぇ、疲れてるなら寝ても良いけど。どうしたい?」


『………ずるいね』


「んふふ、意地悪されて恥ずかしそうな刹那が可愛いのが悪いよ。もっと困らせたくなる」


耳許で甘く囁いてやれば、こくりと喉が上下した。
満更でもないだろうに、この恥ずかしがり屋は口には出さず、細い脚を俺の腰に絡めてくる。
愛らしい意思表示に背筋がぞくぞくした。
興奮して乾いた唇を舐め、俺はうっそりと微笑んだ


「ふふ。愛してるよ、刹那」


『……私も。愛してるよ、悟』














・このパートはR-18です。
・18歳未満の方はスキップして下さい。





ゆっくりと、小さな舌が怒張の切っ先を這った。ぞくぞくと襲う快楽に、ゆっくりと腰を上下させる。
押し付けられるのを受け入れる様に口が開かれ、ちゅむりと先端が柔らかな粘膜に包み込まれた。
思わず感じ入った声が漏れてしまう


「あぁ……たまんない…っ、ん……刹那、上手だね…」


『ん…きもちいい?』


「うん…すごいよ……はぁ…きもちぃ…」


先ず刹那が俺のを咥え込んでいる時点で視覚の暴力がヤバい。
上手い下手とかどうでも良い。俺は刹那しか知らないんだから、俺の中で一番上手いのはずっと刹那なのだ。
根元に細い指が絡み付いて、しゅこしゅこと扱き上げる。
もう片方で袋を優しく撫でられて、腰がぐぐっと前に反った。


「ぁ…っまって…せつな…もう離して、イク…っ」


『んん…』


「っあ…!ダメ、だってぇ…!」


じゅう、と柔らかな唇が先端に吸い付いた。
どうにか引き剥がそうと細い肩を押すが、加減した力では刹那は顔を離そうとしない。
それどころか刹那は一度顔を上げると、べ、と舌を出した。
真っ赤な舌に堪らず釘付けになる。
どくどくと馬鹿みたいに興奮した俺に、見せ付ける様に、妖艶に。
その舌が────アイスクリームを舐めるかの如く、俺の肉棒に触れた


「ぅ、あ…も、ねぇ…ほんとヤバい…ダメだって…せつな、せつなっ…イッちゃうから…っ!」


『出してよ、悟』


「やだっ…まずいっつーだろほんとダメ…っ、はぁ…ダメ…あぁ…っ」


ビクビクと腰が震える。
力を込めすぎた腹筋も痙攣していた。
それなのに、此方を見上げる菫青にどんどん理性が剥ぎ取られていくのを判っていながら、目が逸らせなくて。


『さとる』


だめだ。だめ。
わかってるのに。
刹那が俺を見上げ、艶然と微笑んだ


『いっぱい出して、さとる』


「────────ッ!!!!」


ガクガクと腰が勝手に震えていた。
脳味噌が焼け付いたんじゃないかってくらいにスパークしている。
全てを流し去る様な法悦に、目の前がチカチカした。


きもちいい。だめだ。なんもかんがえらんない。


大きく息を吐く。
心臓がばくばくと騒がしい。蟀谷を伝う汗を、重たい腕で拭った。
全てを刹那に握られているかの様な、堪らない感覚を味わった身体は少しだけ重い。


ああ……刹那に射精管理されちゃった…溶けそうなくらいきもちいい…


うっとりと射精の余韻に浸りながら、くっくっと柔らかな粘膜に腰を押し付ける。
そこで気付いた。
右手が何かをぐっと、腰に押し付、け……


「っっっっっごめん!!!!!!」


『ぶはっ』


慌てて手を離し、背中を擦った。
けほっと咳き込んだ刹那は目をしぱしぱと瞬かせ、口許を拭う。


「ごめんね?大丈夫?喉やってねぇ?」


『大丈夫……ちょっとびっくりしたけど』


「だからダメっつったのに…はい、水飲める?」


『ありがとう』


ヘッドボードに置いてあった水を飲ませ、頭を撫でる。
…こうなるって判ってたから、離してって言ったんだけどなぁ。
快楽を何より優先させた時に、男の本能として相手を強く己に押し付けるであろう事は、予想出来ていた。
だからフェラも直ぐにやめさせようとしたのに…あんなエロい顔で見るから…
………あ、やべ。
勃ってきたそれからそっと目を逸らし、ペットボトルを手に一息吐いていた刹那の様子を窺った


「刹那さん」


『ん?なに?』


「……続き、宜しいでしょうか」


『ぶふっ』


刹那が噴き出した。
笑った拍子に握られていたペットボトルがべこっと凹むが、どうやらそれどころじゃないらしい。
小さな手からそっとペットボトルを取り上げて、震える刹那のほっぺを軽く摘まんだ


「ちょっと」


『だってwwww急に敬語wwwwww』


「わぁ、悪かったなって気持ちが吹っ飛びそう☆」


折角此方が気を遣ったのにそんな笑う???
わざと口を尖らせてみせれば、ちゅっと触れるだけのキスを落とされた。


…え???
今すっごいかわいいことされなかった?


固まる俺を他所に、刹那がベッドに転がった。
ぽかんとする俺を見上げ、にこっと笑う


『ほら、煮るなり焼くなり好きにして良いよ』


「いや男前だな?せめてもっと可愛く誘って?」


『恥ずかしいんだよ早く来い』


「ふはっ」


頬を赤らめつつ手を伸ばす彼女に応じる。
覆い被さって、先程まで舐め回していた蜜壺の具合を確かめた


「もっかい解す?」


『私とあんたの体力の差考えて?』


「はーい」


もっかいやって良いんだったら喜んでクンニするんだけど、それやったら気絶しそうだもんな。
そう考え直し、スキンを付けた怒張を濡れそぼった蜜壺に押し付けた。


「…いい?」


『うん』


するりと首に細い腕が巻き付いてくる。
先端をぐぷぐぷと呑み込ませながら、目を瞑って震える刹那の耳許で囁いた


「ありがとう。だいすき」













たっぷりと愛し合い、後始末も済ませたあと、俺は静かに目を瞬かせた。
腕枕をしてやりながら、すうすうと眠り込む刹那を眺めている。


「本当にオマエはかわいいね」


恥ずかしそうに胸を隠す仕種も。
足の間に顔を埋められた時の、羞恥に塗れた顔も。
俺に奉仕する時の、挑発的な雌の表情も。
何度もイかされ、快楽で蕩けきった姿も。


全てが可愛らしい。


まろい頬を撫で、顔に掛かった髪を後ろに流す。
そこでふと、刹那が言っていた事を思い出した。


「背中、ね」


するりと滑らかな背中をなぞった。
その瞬間、ずる、と眠る刹那の呪力が蠢く。
ぐっと縦に伸び、先端がゆるりと曲がったかと思えば、それは漸く姿を現した。


────純白の、龍。


あの時と違うのは、焔の手足が消えている事だった。
立派な髭も燃え盛る鬣も、恐らくは焔の牙すらも消えたソイツは、シュー、と空気が抜ける様な音を発した。


「…ほーんと、蛇と縁があるモンだ」


焔の手足を失ったソイツは、どう見たって蛇だろう。
白蛇はゆるりと蒼い眼を細め、先が二つに割れた舌を出し入れしてみせた。
手を出してみれば、自ら頭を擦り付けてくる。


その身を構築しているのは、俺の呪力だった。


そっと、薄い胸元に手を乗せる。
とくん、とくんと一定のリズムを刻む小さな臓器。
刹那の術式は、心臓に刻んである。
呪力を流せば使えるその術式は、術式反転に於いても難易度は低いと言える。
簡単な事だ。順転を“あいうえお”とするならば、反転は“おえういあ”、と呪力を逆流させてしまえば良い。
そして俺は、その逆流がとある条件で強制的に発生する様に細工した。


それが、絶対零度。


全身の体温を−273.15℃まで低下させ、体温を乗せた呪力を放出。
全てを終わらせる、温度使役術式・順転に於ける奥義とも言える技。
勿論妄りに使用を考えない様に、精神的に絶対零度と俺の吐血が結び付くように仕向けてはあるが。
普段ならきっとそれで思い止まる。
ただ、それでも使わねばならないと刹那が決めてしまえば、あの程度のトラウマなど簡単に乗り越えられるだろう。


そして、術式に呪力を流し込んだ暁には────呪力は、逆流する。


とん、と五本の指の先だけで心臓を覆う様に触れる。
術式の最下層、“お”に当たる部分に────俺の呪力が鎮座しているのを感じ取った。
ゆるりと目を細める。
指の先で心臓を肌の上から撫でれば、白蛇が嬉しそうに舌を出し入れした。


絶対零度を狙って呪力を流せば、最奥で待ち受ける俺の呪力が壁となり、強制的に逆流させる。
その場で留まっている俺の呪力が“お”を担当する事で反転が成立し、放出されるのが蒼い焔の白龍、という訳だ。
これが、俺が刹那に仕掛けたセーフティー。
一つ目は吐血する俺を思い出す程度で済むが、二つ目。
この龍はどうしようもないだろう。
絶えず注がれる呪力を追い出す事も出来ないのだから、実質絶対零度は使えないのだ。


「それもこれも、オマエが全部受け入れたからだよ」


“大切にするから、全部ちょうだい”


俺の呪力を纏わせた言葉に、刹那はうんと応えた。
縛りとして意味は為さずとも、交わした言葉は身を縛る。贈られた呪力に応えてしまえば、奥深くに染み込んでいく。
俺はあの時、送り込んだ呪力にほんの少し指向性を持たせただけだ。
刹那の術式の最奥…絶対零度の位置する場所に、流れ込む様に。
最初の取っ掛かりさえ出来てしまえば、あとは簡単だ。
常日頃から贈る愛の言葉に、こっそりと呪力を練り込むだけ。
そうすれば、あとは勝手に刹那の中に入り込んで、大きな呪力の塊に引き寄せられていく。
……ああ、誤算があったとすれば。


「俺の愛が、呪いになっちゃった事かなぁ」


白蛇がシルル、と鳴いた。
確かに毎日溢れんばかりの愛情を抱いていたけれど、呪うつもりはなかったのだ。
しかし今、目の前に居るこの白蛇。
これは、俺が愛したが故に産まれた呪いだ。


「確かに絶対零度を使えない様にするつもりだった。でもそれでオマエになったのは、大分想定外なんだよなぁ」


今までずっと、注ぎ込んできた俺の呪力はだんまりだったのだ。だから、あくまでも絶対零度を阻む防波堤にしかならないだろうという予想だった。
仮に反転が上手く使えたとして、精々が刹那の掌から炎が出る程度だろう、と。


それがどうだ、現れたのは焔を纏った龍だった。


恐らく刹那が呪力を流した事で、眠っていた意識が起こされたんだろう。
そして起きたて故に、逆流する呪力に上手く混ざり込めず────結果、刹那の呪力が九割を占めた状態での顕現となった。
んー、何時から呪いになってたんだろうな。流石にこんなガチの呪霊作るレベルで呪ったつもりはないんだけどな。
ただ毎日好きだよ愛してるって、呪力送ってただけなんだけどな。


「まぁいっか。オマエは刹那を護る為の存在だもんね?それなら呪いでも良いや」


言ってしまえばコイツもポチと一緒でしょ?ポチは意図的に作ったけど、蛇は思いもよらず出来ちゃった感じ。
あ、コレ計画的にガキ作ったのと予想外に出来ちゃったガキの例題みたいじゃない?例えクソ面白いじゃん。先生になったら恵辺りに言ってみよ。


「んー、便宜上オマエにも名前付けるかなぁ。蛇だと流石に判りにくいし」


嬉しそうな蛇がすり、と掌に擦り寄ってきた。随分と人懐っこい蛇だ。
…ああ、そっか。俺が親だからか。
コレも俺の腹から産まれたって事になるの?…なるのか。俺の腹から沸き出した呪力から産まれた訳だし。
男なのに二児の母かぁ。ウケるね。
暫し考え、それからとある名前を口にする。


「……そうだなぁ、清姫。清姫はどう?」


一目惚れした僧を追い、その身を蛇に変じた娘の名。
嬉しそうにゆらゆらと頭を押し付けてきた白蛇に、俺は笑った。


「よし、じゃあオマエは清姫ね。清姫、刹那をちゃんと護るんだよ」


シュー、と音を発した蛇が、最後に笑う様に蒼い眼を細めた。
それからゆっくりと刹那の背後に回り────ずるり、と顔を薄い背中に突っ込んでいく。
上から背中を覗きこむ。
ずるずると大きな頭が呑み込まれ、太い胴体も消えていく。
あっという間に殆どが消え、最後、尻尾の先もとぷんと入り込んでいった。


「そりゃあ、硝子も驚くよなぁ」


────白い背中を、蛇が泳いでいた。


恐らくアイツはこれを見てしまって驚いたんだろう。
するり、と光を反射する鱗を輝かせながら、左肩から腰に向けて下っていく。
見れば薄い腹と太股にも細長い胴体が巻き付いていて、なんともいやらしく見えた。


「清姫、刹那が気付きそうならちゃんと戻れよ。あと影を揺らして遊ぶな。バレるぞ」


愛する存在の中で泳げて嬉しいのだろう、ご機嫌な蛇が返事の様に尾を振った。
刺青が泳いでいる様な、面白い状態になってしまった背中をそっと撫でる。
そして、意識のない刹那の小さな耳に、どろりとした愛を注ぎ込んだ










全ては愛の成せる業









刹那→洗脳済み。
気付かない内に愛情たっぷりの呪いを受け、身体を蛇が泳ぐ様になっていた。
特別授業と称して暗殺者と八岐大蛇()を差し向けられた人。
惚れた相手にひたすら命懸けのレベルアップを強制されているかわいそうな子。

五条→にっこにこ。
刹那はちゃんと強くなったし、概ね描いた通りに事が進んでいる。
術式反転と茈が使えることは内緒。

夏油→刹那とは打ち解けたが、五条は時折自分を見ていない気がしている。
この度刹那のレベルアップに巻き込まれた不憫な人。

硝子→刹那とは打ち解けたが、五条は時折自分を通して誰かを見ていると思っている。
露天風呂に一緒に行った際、刹那の背に蛇が居てびっくりした。
オマケに睨まれて息が詰まった。

夜蛾→胃は痛みを訴えている。
教え子が歩み寄ろうとしないのが目下の悩み。

孔時雨→突然五条家次期当主に突撃された人。審査に通ったので、これからもちょいちょい五条に呼び出される。

山茶花→暗躍ひゃっほいの双子の姉。
五条の無茶振りにもそつなく対応した。

椿→暗躍ひゃっほいの双子の弟。
五条が労ってくれた事にとてもびっくりした。

ポチ→特級仮想怨霊・ティンダロスの猟犬。
ぬいぐるみになれば刹那のボディーガードに、弱い方のぬいぐるみも高専を巡回する警備員になる優秀な子。
最近ママよりパパを優先する。
妹分である清姫とも遊びたいらしい。

清姫→五条がずっと注ぎ続ける愛から産まれた呪い。
元々刹那の絶対零度の防波堤として存在していたが、今回それを阻んだ事で完全に覚醒した。
無意識で産み出された呪いだが、それでも“五条悟”が作ったものなので、現時点で一級レベル。
意図的に呪力量を増やせば特級になる。
ぼんやりと意識を持った時から刹那の影を揺らしてみたりしていた悪戯っ子。
勿論本来操る術式は無下限呪術。
名前は「安珍清姫伝説」の清姫から。










「ずっと愛されていて。逃げちゃダメだよ。
逃げたら────地の果てまで追い掛けて、焼き殺すからね」











五条→ぜーんぶこいつの所為。
家の反乱分子を取っ捕まえて蠱毒を開催し、暗殺者と世界ちゃん(死体)を刹那のレベルアップの為に差し向けた。
うっかり愛が呪いになって、白い身体に蒼い目の蛇を作っていた。
全部愛が原因。本人は純愛だと認識している。愛で呪霊を産み出しても許されると思っている。
遡及魚はこいつが持っているのでまだまだ危険。
地の果てまで追い掛けて、焼き殺すからね♡(周りの人間を)
結局ガチヤバタール系男子。

世界ちゃん→死体蹴りされた。
きっとあの世で吐くほど泣いてる。


深謀遠慮とは、深く考えを巡らし、後々の遠い先の事まで見通した周到綿密な計画を立てる事。また、その計画を指す


馬酔木の花言葉「犠牲」「献身」「あなたと二人で旅をしましょう


2022 7/3

目次
top