倫理!死ぬな倫理!!

高専という特殊な環境下において、誰が道徳の授業なんてすると思うのだろう。
倫理も常識も呪霊にシュートして生きるのが呪術師である。正直階級が上であればあるほど人としての何かがズレている事が多い。まともではやっていけないというのが本音であるからだろう。
しかし、そんな世紀末な世界の中枢で育った男の倫理がやばいと生徒に泣き付かれてしまえば────夜蛾正道は、教員として彼等に手を差し出さない訳にはいかなかったのである。












議題:婚姻関係・それに移行するであろう恋愛感情について


こんな言葉を黒板に大文字で書き上げて、夜蛾は生徒に目を向けた。
死んだ目が三人と、面倒そうな顔をしているのが一人。いや原因お前だから。


「…先ずは、婚姻について確認しておこうと思う。悟、婚約者の意味を答えろ」


「青田買い」


夏油が机に額をぶつけた。


「……理由は?」


「ガキの頃に術式と呪力と顔で判断して予約しといて、相性次第で複数キープするから」


これはひどい。
夜蛾は頭を抱えたくなった。
確かに呪術界は閉鎖的な世界であるし、御三家は特にその傾向にある。
その習わしを嫌った五条は自ら家を飛び出し、保守的な京都校ではなく東京校に来たイレギュラーだ。
ただし長い間五条本家に居たのだから、やはり“ズレ”も生じている。
恐らくはこれもその一つだろう


「……傑、婚約者の意味を答えろ」


「……婚約者は結婚の約束をした恋人だと思います」


「世間一般的にはそれが妥当だ」


「え、じゃあ俺のって何?」


「五条のは政略結婚の為の相手だろ」


「何だ、じゃあ事前予約の苗床で合ってんのね」


『……先生、大丈夫ですか…?』


しゃあしゃあと問題しかない言葉を吐く五条に夜蛾は胃を押さえた。判る、呪術師としてその考えも理解はするが、心が痛い。
恐る恐る心配する桜花の隣で、胃痛の原因は背もたれに頭の後ろで手を組んで寄り掛かる


「……悟、なら婚姻はどう考えている?」


「んあ?専用契約」


「何の?」


「胎」


桜花が死んだ。
虚ろな目の彼女の髪を指に巻き付けながら、五条の至宝は首を傾げる。


「だってアレだろ?貴方専用の胎になるから地位も権力も金も頂戴ね♡って契約だろ?男は男で最低限の生活はさせてやるから相伝ガチャさせて♡っていうヤツ。
あのジジイ共俺にガチャ台十台押し付けようとしてんのマジふざけんな」


せめて人としてカウントしろとか、契約内容があまりにもビジネスライクで俺のメンタルを抉るなとか、子作りを軽率にガチャ扱いするなとか、幾つもの注意が浮かんで目詰まりを起こした。死にそう


「………硝子、婚姻とは何だ」


「……恋愛感情のある男女が法的に最後まで添い遂げる為の契約?」


「そうだ。……悟、今の硝子の回答で疑問に思った事はあるか?」


絞り出す様な声で問えば、五条は再び爆弾を落とした


「前から思ってたんだけどさぁ、レンアイカンジョーって何?
辞書で見たから概念は知ってるけど、イマイチしっくり来ねぇの」


「「「『』」」」


全員が机に額をぶつけた。
うわ、こわ。じゃない。俺達はお前が怖い。
夜蛾はもう授業を放り出して呪骸作りをしたくなってきた。現実逃避とも言う。
五条家せめて情操教育を取り入れろ。後生だから


「……恋愛感情とは、特定の誰かを想うと愛しく思ったり、その誰かの為ならどんな事も出来ると思う事だ」


「んー…?」


長い脚で隣の席を引き寄せる問題児は何やら唸っている。おい止めてやれ、刹那が嫌がっているだろう。そもそも授業中だぞ。
注意しても何処吹く風で、問題児は目が死んでいるテディベアを自分の膝に乗せた。


「じゃあ俺、傑にも硝子にも刹那にもレンアイカンジョーってヤツ抱いてる事になるんだけど」


真剣に悩んだ結果、豪速球で斜め上の回答をかましてきた五条に夜蛾は溜め息を吐いた。いや、まだ三人の名前を上げられるだけマシだ、多分。
愛?AとIを並べた造語ですか?とか言われないだけマシである


「詳しく言えるか?」


「あ?愛しいってのは知んねーけど、こいつらが理不尽な目に遭ったら俺が腐ったミカン外に捨てれば良いって話だろ?
なら俺こいつらにレンアイカンジョーあるよ」


大分過激派だった。上層部を簡単に捨てるな。すかさず夏油がフォローに入った


「悟、それは友愛だよ。悟は友達として、私達を愛しているって事さ」


「じゃあこれはレンアイカンジョーじゃねぇの?」


「多分ね。少なくとも私と硝子への悟の感情は友愛だ」


「………種類多くね?愛ってめんどくせぇな」


テディベアをぎゅうぎゅう抱き締めながら五条は呟いた。それは愛を知らない幼い子供そのものに見えて、夜蛾は口ごもる。


そもそも五条悟は特別なのだ。
六眼と無下限術式の抱き合わせ。数百年振りの奇跡。産まれた瞬間に世界のパワーバランスを崩した存在。
そんな異端児であれば、五条という呪術師の家が彼を人として見ないのは当たり前でもあった。
呪術師は術式と呪力にしか益を見出ださない。故に才能を持った彼は、何処までも呪術師として育てられた。
そこに愛はなく、慈しみもない。
ただ只管に、その類い希なる才能を磨く事にのみ心血を注がれる。
だからこそ、紙面に載せられた概念として愛を知っていても、感覚として知らない。
五条悟はある意味御三家の被害者とも言えるだろう


「…じゃあ、五条。夏油と居るとどんな感じがする?」


「傑と?楽しい。色々教えてくれる」


『じゃあ、硝子は?』


「楽しい。ノリ良いからつるんでる」


ふむ、と夏油が頷いた。


「じゃあ、刹那と居るとどんな感じがする?」


夏油に問われ、五条は自分が抱える少女に目を向けた。
一般的に考えれば明らかに恋愛感情を持って接しているのだろうが、油断は出来ない。何故なら相手は五条悟。
才能ゆえに愛を知らない天才である


「刹那と居ると……?楽しい。良く眠れる。良い匂いする。髪めっちゃツヤツヤ」


「んー、もうちょっとないかな?」


最早夏油が保育士に見えてきた。
疲れているのだろうかと夜蛾は目を擦る。次の休暇はゆっくりしよう。


「………あ」


暫し悩んでいた五条が、ぴこん、と電球を光らせるのが見えた


「心臓がぽかぽかする」


「……心臓が?」


「おー。ぽかぽかするし、そわそわするし、どきどきするし、ぎゅうってする。あとむずむずする」


いや語彙力。
童顔である事も相俟って、その姿は本当に幼子の様で。
聞いた側は全員が少なからず悶えているのに言った本人がケロッとしているのは何故なのか。
それは自分の発言の破壊力を理解していないが故である。
特に被弾したのは桜花で、家入と夏油は憐れみを含んだ目を向けた


『え……嘘だろ……ええ…?』


「……どんまい刹那、逃走成功確率はゼロパーセントになりました」


『なんで?なんでそんなひどいこというの?』


「悟が自覚したら逃げられないだろ?そもそも今だって逃げられないんだし」


『ねぇ2メートル級の巨人にしがみつかれて逃げ出せると思う???』


友人達は人身御供を発動する気満々だった。だが夜蛾もそれが良いと思う。
傍若無人な五条と人当たりの良い桜花。性格的にも術式的にもフォローに回れるし、何より五条のアプローチを嫌がってはいない様に見えたのだ。
現に今も五条の膝の上。抵抗を悉く踏み潰されている姿に目を瞑れば相思相愛()だろう。


『いや距離感の深刻なバグじゃないの…?マジで…?』


「なんだよ、このぽかぽか判んの?」


「それは悟が自分で気付いた方が達成感があると思うよ。クイズだと思って気軽に考えると良い」


「解いたら執着が増しそう」


『硝子ちゃん…?そろそろ私は泣いて良い…?』


「なあに?なんで泣くの?」


『あんたの所為だよ』


夜蛾は決意した。
取り敢えず育児本を購入しよう、と









一個ずつ覚えましょう








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