海割り

「今日の任務俺要らなくね?」


『じゃあ帰る?』


「ハァ?誰が。今日は俺見学な。ちゃっちゃと片付けろよ」


『はーい』


悟と共に電車で任務地に向かう。
通勤ラッシュにぶち当たってしまったのか電車の中はごった返していて、しれっと壁際を陣取ってくれた悟には感謝しかない。
私の顔の隣に腕を付いて首を曲げている悟がげんなりとした顔をした


「満員電車とかサイアク。あと何駅?」


『あと十四ですね。壁役代わろっか?』


「あ?チビが俺の壁になれるかよ」


『女性の平均身長です』


「チビはチビだろ」


身長がそんなに高くないのは自覚している。だがチビなんて全然嬉しくない言葉だし、大男に言われるといらっとする。お前がでかいんだっつの。
小柄は許せるけどチビは許せない不思議。意味なんて殆ど変わらないのにね。やっぱり言い方の問題?
むすっとすると、サングラスをずらした悟が至近距離でじいっと此方を見下ろしてきた。


「今は怒ってる?」


『ちょこっとね』


「チビって言ったから?ほんとの事なのに?」


『本当の事でも言われたくない事ってあるんだよ』


「傑の変な前髪とか?」


『それ弄って入学初日に校舎壊れただろ』


────ハジメマシテ変な前髪してんな何それアンテナ?それともそれ引いたらくす玉みてぇに頭割れんの?
とか初日から傑の前髪を弄って殴り合いの大喧嘩になったのは忘れられそうにない。


「んー、じゃあチビには蟻みたいですねって言やぁ良いの?」


『何で悪化するの???』


「?だってちっちぇじゃん。ちっさいのっつったらアレだろ?蟻」


『………今度はおかあさんといっしょの感想文書こうね…』


「ゲェ、やだよ!なんで閻魔大王見ねぇといけねぇの?俺嘘吐いてねーし」


『閻魔大王じゃない放送回見るんだよ』


傑と硝子にもあとで連絡しておこう。夜蛾先生には心を育てる絵本でも頼むか。
暇なのでネットでも見ようとケータイを出せば、目の前の黒い壁がぷちっと私を押し潰してきた。
え、更に人口密度増した?ちらと視線を周囲に走らせるが先程より増えた様子はない。というか駅に着いていないので増える筈がない。
体幹が強いこの男が電車の揺れ程度でふらつく事もない筈なので、必然的に理由は絞られる。
顔を上げると、いかにも不機嫌ですと言わんばかりに口を尖らせた悟が見えた


『……潰れてるんですけど』


「潰してますけど」


『理由は?』


「壁になってやってる俺ほっといてケータイ弄るとか良い御身分じゃん」


『さびしんぼか。せめて無限一枚分の隙間をくれ』


「残念オマエも此方側」


『外に張るな私とあんたの間に張れよ』


「えー俺達の間に壁とかないから。死んでも一緒に居ようねって約束したじゃん」


『なにその怖い約束。死んだらサヨナラしたいわ』


「やだよ、オマエらは死んでも俺と一緒に居るの。離さないよ」


……えっこわ。
周りに聞こえない様にぼそぼそと耳許で囁かれているのが本気で呪いの言葉っぽくて怖い。
狭い中で必死に距離を開けてもぐぐっと背を丸めて顔を近付けてくるから意味ないし。
そーっと上を見ればギラギラした蒼がずらしたサングラスの向こうに見えて、あ、冗談じゃないんですねってなった


『……これから白髪サイコパス野郎って呼ぶね』


「何でだよ」


『悟のさはサイコパスのさでしょ?』


「違ぇわ最強のさだわ」


くすくすと笑う悟にほっと息を吐く。
…よかった、サイコパスモード回避した。流石に傑も硝子も居ない状況でサイコパスモードは無理。テディちゃん死んじゃう。
仕方がないのでポケットにケータイを仕舞い、暇潰しに悟の顔を見る事にした。
細い顎。雪みたいな綺麗な髪にすっと通った鼻梁、つやぷるな薄い唇。そしてなんと言ってもけぶる様な白い睫毛に覆われた、光を乱反射する蒼。


多分神様は黄金比率の限界に挑んだんだろう。その結果の悍ましいまでの造形美お化けが出来上がった訳だが、きっと神様は其処で力を使い果たした。
だから力の配分も間違って才能の塊にしてしまって、その分性格を良くするエキスを入れ忘れた。
美に挑んだ神様が端正込めて造り上げた概念:造形美(性格補正無し)が五条悟なんだろう


流石造形美の化身、見ていて飽きない。
こいつマジで毛穴どこ?


じっと顔面国宝を眺めていると、流石に気になったのか悟は二度瞬きをして、こてんと首を傾げた。
めっちゃ機械っぽいが、この仕草は見覚えがある。傑の真似だ


「なあに、何で俺見てんの?」


『暇潰しに』


具体的に言うとあんたがケータイ禁止にしてきたので、その暇潰しに。


「見てて面白い?」


『美術品の鑑賞に近いかな』


「はっ、斬新な誉め言葉どーも」


んべ、と舌を出してきた悟に苦笑する。
電車が静かに速度を落とし、停まった。車内の人の入れ替わりを黒い肩越しに眺めていると、頭頂部に細い顎が乗る。
目の前が物理的に真っ暗になった


『なに』


「ひま」


『私暇だったから目の前の美術品眺めてたの』


「俺の目の前にあんのテディベアだからさぁ、眺めるより撫でくり回したいんだよね」


『最近皆テディベア扱いしてくるんだけど発端誰よ?』


「ねぇひま。山手線ゲームしよ」


『話聞いて?』


車内でパーティーゲーム始めようとするな。












電車から解放され、其処から最寄り地点までバスで移動し、やっとこさ辿り着いたのは


『あーーーーーーーーー海。マジで良いよね水の塊じゃん使い放題』


「パケ放題みたいに言ってんじゃねぇよ。つーか鉄扇持ってんだからもう外で水探しする必要もねぇだろ」


『判ってないな、鉄扇の水も大事だけどこんなに大量の水があったら興奮するでしょ』


「異常性癖ワカンネ」


『そっちじゃねぇよ突き落とすぞ』


テンションの低い悟を放置して海に向かって走った。
あとで水分を剥ぎ取れば良いだけなので、靴なんて脱がない。波に引かれるままにどんどん進んでいけば、真上から影が落ちてきた。
見上げれば、水面ギリギリに無限を張った悟が此方を見下ろしている


「何処まで行くんだよ。溺れんぞ」


『へーき。寧ろ今回のって海の中なんでしょ?もう行く?行って良い?』


「オマエほんと海と雨でポンコツになるじゃん。呪霊は日が落ちて次の朝日が昇るまでの時間にしか出ねぇよ」


『あと何時間?』


「三時間ぐらいじゃねぇの?」


『じゃあ遊ぶ?遊んで良い??』


「あーーーーーーヤクキメてる馬鹿の手綱握んの疲れる。良いよ、行ってこいよ。真冬の海に好き好んで潜るトチ狂った奴も居ねぇだろ」


『やった!!!!!行ってくる!!!!』


「おー」


アイ・ラブ・オーシャン!!!
その場の水を凍らせて飛び上がり、呼び寄せた水をスライダーにして海に飛び込んだ。
ざぶん、と深く沈みながら辺りを見回してみるが、魚なんかが居るだけだ。
確か呪霊が根城にしているであろう神社は此処から北西方向。明るい内に現場を見に行こうと水を蹴る。
面の様に顔を覆う呪力を纏った水を装着しているので幾ら深く潜ろうと支障はない。面にはちゃんと酸素の層を作ってあるし、酸素補給の為に呪力を纏った水をパイプ状にして海上目掛けて伸ばしてある。
足先に水のフィンを着けて水を掻く。
するりするりと泳ぎ、光が降り注ぐ青の中を泳いだ。












赤い綺麗な珊瑚礁。ゆるりと大きな身体で泳ぐ魚。波で揺らめくイソギンチャク。頭上を揺蕩う白い海月。
幾重にも重なり離れる光。こぽこぽと小さな音を立てて浮かんでいく泡。
その光景が綺麗で、自然と微笑んでいた。


『……さて、もうそろそろかな』


微かに見える、くすんだ赤。
ぐっと強く水を蹴る。
辿り着いた先、苔に覆われた赤い鳥居が聳え立った。
ずっと昔に海の神へ祈りを捧げる為に建てられて、何時しか忘れ去られてしまった社。
御神体を納めてあるであろう小さな戸が、かたかたと震えているのが見えて────


『やっば』


悟、帳降ろしてくれただろうか












『んのやろーぶち殺す!!』


どうせ三時間全部海に潜ってんだろと思って近くのカフェでタピオカミルクティーを買って戻ってみれば────烏賊の腕みてぇなのに海から真上に吹っ飛ばされたらしい刹那が吠えていた。
サングラスを取ってしっかりと見る。
おお、ガチギレじゃん。アレみてぇ、この間皆で見た動物のドキュメンタリーに出てたシャチ。確かアレはペンギン食ってた。つーかなんでまだ時間じゃねぇのに呪霊出てんの?


今の所跳ね上げられたペンギン役の刹那は海から伸ばした水の階段に着地すると、静かになった海を睨めつけた。
呪霊の腕は既に水の中。恐らく刹那が隙を作るのを待っているんだろう


『海の中なら見付からないとでも?……割れば良いんだよ割れば!!!』


シャチが大声と共に海面に呪力をぶち込んだ。けたたましい音を立てて揺れた青が、ずずず、と腹に響く音を立てて────割れた。


「モーセかよウケる。動画録っとこ」


そういや電車の中で海割っちまえば早くね?って話はした。実際やるとは思わなかったけど。
無理矢理海から引き摺り出されたのは苔だらけの鳥居と、小さな社。
腐った木製の戸がほんの少し開いていて、其処から先程刹那を打ち上げた白い触手が覗いている。
呪力の塊である社を見下ろす刹那はにんまりと嗤った


『かーみーさまっ!!あーそびーましょっ!!!!
ダーツしようぜダーツ!!────てめぇが的役でなぁ!!!!!』


「クソイカれてんじゃんウケる」


カミサマなんて呼んだ癖に祓うつもりとか面白すぎない?ダーツの的にするとか不敬過ぎじゃない?
もっちもちのタピオカを咀嚼しつつ目ぇギラギラの刹那をバッチリ録画する。
あは、目がイッちゃってるかわいー。
多分あとで見せたら虚無るレベルで見せられないよ!顔してやがる。アップで撮っちゃお。


「んー、マジでかわいい」


最新機種なので画質は良い。アップでしっかりと映せているイカれた菫青に、口の中のタピオカを飲み込んだ。


アイツの仲間には絶対に向けないあの目は、何だか見ていてぞくぞくする。


これはこの間映画で見た。
ジョーズが出る前とかの、スリルによるものだと既に俺は知っている。


『はーっはっはっはっはっは!!死ねやカミサマ!!私と出会った事を後悔しながら的になれ!!』


ゲラゲラ笑ってる声が此方まで余裕で届いてるんだがアイツ喉大丈夫?あとで喉ガラガラになってそう。そしたら笑おう。
バキバキと宙に浮かせた海水を氷の槍にすると、刹那は勢い良く指差して発射した。


『はーい端っこ5てーん次投げんぞオラ出てこいやイカやろぉ!!!!!』


最早カミサマですらなくなった。
ごしゃあっとえげつない音を立てて鳥居に電柱ばりの太さの氷が突き刺さった。けたたましい音の中で鳥居が崩れていく中、刹那はガンガン槍を投げていく。粉塵と音が凄ぇ。これダーツっつーか槍投げじゃね?正しくはミサイル発射。
的を一撃で粉砕するダーツがあるかよ


「雋エ讒倥i縺ゅ≠縺ゅ≠縺ゅ≠縺ゅ≠??シ∬ィア縺輔s縺槭♀縺翫♀縺翫♀縺翫♀縺翫♀縺奇シ?シ?シ?シ」


『はーい猿の言葉は判りませーん!日本語でお願いしまーす!!!』


ナチュラルに煽ってんなアイツ。
次から次へと投げ込まれる槍と煽りに腹が立ったのか、怒号と共に社から飛び出した無数の触手が一斉に刹那に殺到する。全弾命中。一瞬で華奢な女が見えなくなった。


「!………いやいや、海があるんだから平気か」


咄嗟に蒼を放ちそうになって、慌ててミルクティーを持ち直した。
間を取る為にずこーっと吸う。タピオカもっちゃもちゃ。うまい。
此処のタピオカミルクティー当たりだな。帰りにもっかい寄ろう。


『────つーかまーえた』


にいっと嗤う可愛いテディちゃんから滲み出るホラー感に噎せた。
オマエそれ完璧悪役だわ。絶対祓われる側の顔してんぞ


「逾槭r謨ャ縺茨シ∫撫繧後h?∝エ?a繧茨シ∵?繧貞・峨l?」


しっかりと触手の一本を脇に抱えられた呪霊が、何処と無く困惑を滲ませる声で叫んだ。呪霊困らせるとかウケる。
だがどちらにせよゼロ距離。もうあの呪霊に勝ち目はねぇだろう。
刹那の唇がゆるりと動く


『縛裟・芽吹花』


それは氷の華の様に、呪霊の核から氷の刃が身体を突き破って咲き誇る技。
触手から流された刹那の呪力に体液を操られ、呪霊は体内から全てをズタズタにされ祓われる。
悲鳴を上げて崩れていく触手を見下ろしながら、瓦礫の山になった社に刹那は二礼二拍手一礼をした。
それからゆっくりと、割り開いた海を一つに戻していく。
周りに被害のない様に海を元通りにした刹那はひゅう、と海面まで落下して、何でもない様な顔で海の上を歩き始めた。
自分の足の接地面だけを呪力で足場にしているんだろう。
それが面白くて、サングラスを掛け直してから俺も足許に無限を張って海を歩く事にした。
ケータイを刹那に向けたまま。


「お疲れ刹那。シャチみたいで可愛かったよ」


中間辺りで合流した刹那は、俺の手許を見て顔を引き攣らせる


『んーーー???…まさか撮った?』


「もち」


『ケータイ寄越せ。沈めてやるから』


「やあだ♡目がイッちゃってるかわいいテディちゃんの画像傑と硝子に送っとくね♡」


『死んで♡』


「いーや♡」


『じゃあ一緒に沈も♡』


「無限張って良いなら行くけど」


『お前は生身だよ』


はぁ、と溜め息を吐いた刹那は何時もより元気がない。流石に特級は疲れるのか、呪力も減っていた。
ケータイを仕舞い、サングラスを少しだけずらしてから刹那にタピオカミルクティーを持たせ、ひょいと抱き上げる


『うわっ』


「俺ヤサシーから、運んでやるよ」


お姫様抱っこという運ばれる荷物を美化した名前で通じる運搬方法で刹那を持っていく事にしたのは、これが一番顔を見やすいからだ。
剥き出しの六眼で外の景色を長時間見ると疲れるけれど、傑と硝子と刹那は別だ。


こいつらは毎日色んな顔をする。
俺は、それを全部見てみたい。


好きなタイプはこれで、どんな事が好きで、どんな事が嫌いで、ちょっと好きなものはあれで、そんなに好きじゃないのはこうで。
呪術師についての考え方とか、非術師をどう思ってるかとか、そういう、色んなこと。


俺はこいつらの全てが知りたい。


大事な親友。大事な級友。ぽかぽかするテディベア。
知って、細部まで知り尽くして、それで俺の傍でずっと笑っていて欲しい。
欠けるなんて許さない。俺以外がこいつらの何処かを削るなんて許せない。
もし呪霊なんかに身体を削られたら、俺は怒り狂ってオマエらを安全な場所に閉じ込めたくなるだろう。
……これを前に傑に言ったらドン引いていたけど。せめて閉じ込めるなと説得されたけど。


「刹那、今どんな気持ち?」


だから俺は問い掛ける。
オマエの全部を知りたいから。
オマエを抱えた時に、心臓がむずむずし始めた理由を知りたいから。
傑と硝子にはこのむずむずを感じなくて、なんでオマエだけなのか知りたいから。


『今?んー…任務達成、いえーい。みたいな…?ああ、あとちょっと疲れた』


「ふーん。タピオカあげる」


『わー、ありがと』


「それ最後の一個だから、飲みきったゴミオマエが捨てろよ」


『わー、ゴミ押し付けただけかー』


呆れた様に笑う穏やかな菫青をじっと見る。さっきみたいにイカれた光はないからか、ぞくぞくはしない。
ただ、凪いだ夜の海みたいに柔らかくキラキラしている瞳を眺めていると、心臓がぽわぽわ、みたいな新しい感覚を覚えた。
やっぱり俺の心臓、なんかへん。


「刹那ー」


『なぁにー?』


「俺の心臓、ぽわぽわする」


『ん゙』


何気なく報告すると、刹那がなんともいえない顔をしていた。
…何だこの表情。恥ずかしいに近いけど、嬉しい?いや違うな。困ってる?焦ってる?びっくり?良く判んねぇけど顔は赤い。初めての表情だ。
じいっと見ると刹那が顔を背けた。


「おい此方見ろ。今何考えてる。その気持ち言え」


『あれ…?私は何時から感情監理局に収容されてたの…?いや恥ずかしすぎない…?これただの羞恥プレイでは…?
いや言われる側だけ辱しめに遭う羞恥プレイってなに…?』


「なに意味判んねぇ事言ってんの?あ、そこのカフェ寄ってホテル行こうぜ。次はショコラタピオカラテにすんの。チョコましましで」


『そっかー……』


何だか遠い目をする刹那を抱えたまま、その場でステップを踏む。
心臓はまだぽわぽわしている。嫌じゃない。判んねぇけど、きっと悪いものじゃない。
映画で見たベニーズワルツを海上で踊りながら、斜め下に目を向けた


「なぁ刹那」


『うん?』


かわいいかわいい俺のテディベア。


「夜、何食べに行こうか」


綿も出さずに戻ってきて、おりこうだったね












────後日、海が真っ二つだった、海を歩く人影が見えた、等々でオカルト掲示板が賑わい、俺と刹那は正座する羽目になった。











弘原海を散らす








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