『そういえばさぁ、思ったの』
「ん?」
『私人間歴一年に術師として洗脳されてるんだけど、どう思う?』
「順調にイカれていくんじゃないか?」
私と傑しか居ない教室で何気なく呟くと、傑はゆるりと微笑んで言った。
「刹那」
『ん?』
「私も最近パパに非術師は猿だって洗脳されてるんだけど、どう思う?」
『順調にイカれていくんじゃないかな?』
それ絶対悟の差し金。だって硝子は非術師を猿なんて言わないもの。
どう見ても傑もそれに感付いていて、しかし悟本人が言ってくる訳でもないから、硝子から話を聞くだけ聞いている様子。
「刹那、私達はクソ真面目らしいよ。知ってた?」
『悟が度々傑とスマブラする時に登場する暴言ですね。私は違うんじゃない?』
「何度も言い聞かせているのに刹那が猿を庇うのを止めないこのクソ真面目親子がってぼやいてたよ」
『寧ろどの猿?非術師属?術師属?』
「聞くのを忘れたな」
ぶっちゃけ悟の言う猿は範囲が広い。
私達以外すべて猿というトンデモ理論で常時武装しているので、悟の見ている世界には猿しか居ないのだ。
凄い世界で生きてるなあいつ。
黒板に向かった傑がチョークを持った。
書き込むものに堪らず噴き出す
『猿の惑星じゃんwwwwwww』
「私達人間と、半猿と、猿。多分悟の人類の認識はこんな感じ」
几帳面な字で書かれたのは人間と書かれた丸の中に書かれた棒人間三人。そして半猿と猿の文字。
『傑せんせ、半猿って?』
「夜蛾先生と…多分、七海と灰原じゃないか?一年コンビは猿と半猿の間に今居るよね」
『順位変動中?』
「今後に期待ってヤツかな」
棒人間を半猿に一人、猿と半猿の間に二つ書き込んで、傑は浅く息を吐いた。
「まぁ、非術師を猿と言うのは一億歩譲って判るんだ」
『判るんだ』
「私達強者が呪いから弱者を護る。それが術師のあるべき姿。力持つ者の義務。正しき行い。
…判ってる。判ってるんだけど。
それでもたまに、思うんだ。
彼等は私達とは違うって。
だって彼等には、呪霊は視えない。
視えないから、それを視ている私達を迫害して、追い詰める。数の暴力で自分達こそが正義だと、私達を否定する。
……それなら、人と猿であると区別した所で可笑しくはないだろう。
種族が違えば、同じ命ある生き物でも会話は出来ない」
『会話が出来ないって言い訳を作る為に、猿だって認定するの?』
「…そうかもしれないな。判り合えないのが悲しくなるから、傷付く前に諦めるんだ」
傑の言葉を聞きながら、静かにブラックコーヒーを飲む。
それからんー、と意味もなく唸って、私は口を開いた
『凄い正直に言うとね?』
「うん」
『私も傑の意見に同調しちゃうタイプだから、二人して闇堕ちする未来しか見えない』
「だよね。知ってた」
圧倒的闇話題。
そもそも真面目同士でこの話題はダメなのでは?割り算になって平等にちょっと病むか掛け算になってめっちゃ病むかって未来しかないぞ?どっちにしろ病む。
ペットボトルのキャップを閉めながら口を動かす
『私は学校ってものに通うの自体が此処が初めて。悟も一緒。
だから、非術師との接触がそもそも少ないよ。
でも傑と…多分硝子は普通に小中行ってるでしょ?だから、非術師の事私達よりも良く見てる』
自分の前世なんてもう思い出せないのだ。多分嘗ての自分が遺したのは桜花刹那という人格の枠のみ。
逆に言うとその枠のお陰で五歳から男尊女卑まっしぐらの桜花でも“普通”に近い感性なのだろう。
『だから、傑が非術師を猿って思いそうだわーって話もさ。ああ、そうなんだねって受け止めちゃう。
だってそれを見てきた人が、傑がそう言うんだから』
「止めないの?」
『止めらんないよ。だって、非術師の嫌なトコを誰より身を持って味わってるのは傑でしょう』
呪霊操術とはある種一番の非術師の被害者だろう。
彼等は気付かずに世界を蝕む。呪いを生んで、太らせて、私達を、自分達を殺す。
そしてその悪意は傑の腹に納められていく。
微笑みながらも呪霊を呑む彼は、とても嫌そうだった。
当時そこまで人の表情を観察していなかった悟は気付かず、硝子は深く関与しようとしていなくて。
ただ、私は傑がしんどそうな雰囲気を出すのが嫌だった。優しい親友に、笑顔で居て欲しかったから。
そんな自分勝手なエゴで、私は傑に笑顔を強要している
『でもさ、猿が居ないと世界が廻らないのも事実だよね。私達野菜もお米も作れない。糸も作れないし、免許もない。
壊すのは出来るけど、言っちゃえば壊すしか出来ない』
術師という存在がマイノリティであるのだし、非術師が滅びるとその結果術師も滅びる。圧倒的弱者である非術師が居なきゃ、私達は生きられない。
そう言うと、傑は困った様に小さく笑った。そして低く呟く。
「……猿は居ないといけないのか?必ず?私達を削っても?」
『……あ、やべーこれどうしよう』
傑がバグった。まさか闇堕ち五秒前?やっべ。取り敢えずポリスメンに連絡する?先生きっと泣くけど。
ケータイを出した瞬間、後ろから蒼が覗き込んできた。
ひゅっと喉が締まったのは多分、これから起きる事に絶望したから。
私達、洗脳のお知らせ。
造形美の限界に挑んだ貌が、軽薄な笑みを形成した
「────なぁに?滅茶苦茶面白そうな授業してんじゃん。混・ぜ・て♡」
「ハイハイハイハイ授業を始めまーす!出欠を取りますねー。夏油傑くーん」
「ハーイ」
「桜花刹那ちゃーん」
『ハーイ』
にっこにこだった癖に一瞬でスンッとなった。何だよこわいよ。こんな先生いやだ
「つーか出欠なんて見りゃ判んだろ。居る居ねぇも声出させなきゃ判んねぇとか馬鹿なの?何見て生きてんの?」
「悟、出席者点呼は先生が生徒の体調を判断する為でもあるんだよ。これだって健康観察って言うものだし」
「顔見て察しろ」
『それは悟にしか出来ないかな…』
「大事なら隅々まで観察しろよ。生徒の表面しか見てねぇから苛めなんて下らねぇイキったガキのマウント行動が始まんだよ」
「それを悟が言っちゃうかぁ…」
黒板には猿と人間という文字。何処から持ってきたのか、白衣を着て指し棒を伸び縮みさせる五条悟。
そして席に着く傑と私。
サングラスの先生って普通にガラが悪いな。
というか術師にマウント行動かます悟が子供の行動馬鹿にしてるのマジでブーメラン。
でも言っちゃ駄目。それ言うとゴングが鳴るからね。黙ってようね。
にっこり笑うと隣の傑もにっこり笑った。以心伝心ですね、ママ。
ブーメラン悟はチョークを持つと、カリカリと雑に書き込んでいく。
それからカン、とチョークで黒板を叩いた
「あー、先ず手始めに、オマエらが優先すんのは自分の命だ。それは判るか?」
『悟との約束だから?』
「そ。刹那は其処まで刷り込んであるからオッケー。刷り込んであるだけで軽視しやがるのは後々躾る。傑、問題はオマエ」
『待って?躾るって何です???』
「カウンセリングでねっとり染み込ませまぁす」
『ひっ』
刹那と傑を等間隔で書き、私の名前の直ぐ下に自分(仮)、と書く。
「刹那はさ、俺らの中で自分が一番死にやすいって自覚してるでしょ。だから、比較的俺の話を良く聞く。
俺が刹那より強いから。本能的に俺の術師としての忠告は聞くべきだって理解してるから。
まぁ今は字面覚えただけみてぇな感じだから、ほんとにそういう状況になったら多分猿を助けようとしやがるんだろうけど。それは今後の躾次第だからオッケー。
でも傑は違うじゃん。オマエ、下手に強いから素直に頷けねぇの」
「私だって死にたくはないから、そう簡単に自己犠牲はしないよ?」
「そう思ってるだけだろ。無理してメンタルガリガリ削るのを自己犠牲って言わずに何て言うの?偽善?ドエム?」
蔑む様に笑って、サングラスを外した。
白い手がカツカツ黒板を叩く
「例えば傑が助けてやった奴が、次の日誰かを殺したら?
傑が怪我をしながら助けてやった奴が、その日の内に自殺したら?
傑が死にかけてでも助けてやった奴が、その場で化物って傑を指差してきたら?
────なぁ、そんな奴等、助けるんじゃなかったって思うだろ?」
命を賭して救ったのに、その人が次の日誰かを殺めたら。自ら命を手離したら。さっきまで縋ってきたその手で私を糾弾するのなら。
……私なら、そう思ってしまう。
すっと目を逸らした私に悟は満足そうに笑った。
「テディちゃんは俺の意見に賛成してるぜ?傑クンはどうよ?」
「……助ける人の全てがそうとも限らないだろう」
「屁理屈言ってんな、今のケースで考えろよ。理屈なんか要らねぇ、心のままに答えな。
助ける価値もねぇ猿の為に、オマエが身を削る意味はあんのか?」
刺す様な悟の言葉に、多分傑は一部納得している。でもそれを認めるには傑の価値観が“普通”過ぎるのだ。
目の前で困っている人を助けようと思うのが、普通だから。そうするべきと、常識として思っているから
「…たとえ自殺をしようとしていたとして、目の前で死にたくないと縋ってくる人を見捨てろと言うのか?」
「別に全部じゃねぇよ?でも自殺の名所に居る奴が呪霊に襲われてんならほっとけよって話。
遅かれ早かれ、どんな理由だろうと死ぬなら同じだろ。
自分で死んで自殺の名所の負の感情育てるか、呪霊に喰われて効率良く呪いの養分になるか、そんだけの違いだ。祓っちまえば一緒」
「自殺の意思が魔が差しただけのものだとしても?」
「魔が差した差さねぇどうでも良いんだわ。死にたきゃ死ね。生きるんなら勝手に生きろ。
────俺が言いてぇのは、オマエがわざわざ全部の猿を助けてやる必要はねぇって事」
そう言って、悟は傑の名前の下に自分と書いた。
そして黒板の一番下に、猿、と。
ばん、と大きな手が黒板に叩き付けられた。
悟は嗤う。
歯を剥き出しにして、低い声で唸る様に言葉を吐き出しながら
「怖い思いすりゃ人が変わるって?死ぬ思いすりゃ簡単に死ななくなるって?
知るかよんな事興味ねぇ。猿は猿、どうでも良い。
でもさぁ傑、オマエは一人なの。オンリーワン。
いくら強くても夏油傑は一人しか居ねぇから、助けられる数には限りがあるんだよ。
俺もオマエも刹那も硝子も、一人しか居ねぇの。ピクミンみてぇに増やせねぇの。
それなのに…それすら忘れて目についた猿を片っ端から助けてメンタル削って、オマエの身体は無事でもメンタルズタボロにされたら────俺は猿を鏖しにするぞ」
「『』」
目がやばい。
これは殺る目だ。傑だけじゃない、私達の誰かがそういう未来を辿れば本気で殺る目だ。怖い。
あまりの恐怖に息が出来ない。思わず机に伏せた。傑も顔色が悪い。
ねぇやめて。生態系の頂点に居る奴が簡単に殺気を放たないで。軽率に呪詛師堕ちやめて。笑えないから。
「…もし私達がそうなったら………非術師を全て殺すのか?」
恐る恐るといった体で傑が問い掛けた。
すると殺気を引っ込めた悟はにっこり笑う
「言っとくけど、俺の猿定義はオマエら以外の全部だから。
破滅した世界で四人で生きようね♡」
『ヒエッ』
「うわ」
もっとやばかった。堪らず傑と抱き合う。
ドン引いた私達を六眼かっ開きの瞳孔ガン開きで見下ろしながら、悟が指し棒で猿を連打する。若干黒板がへこんでいる。
待て、そんなに猿が憎いのか。やめて。黒板かわいそうだからやめて……ああほら罅が入った
「まぁ俺だって猿の中にも良い猿と悪い猿が居るってのは知ってるよ?
上層部は悪い猿だし、灰原と七海はきっと良い猿。夜蛾も良い猿。あと甘いもん作ってる猿は良い猿。
ちょっとくらい間引いた方が色々スッキリするかなとは思うけど。
話がズレたか?まぁ許容範囲か。
先ず俺が今オマエらに言いてぇのは、助ける優先順位を明確にしろって事」
「優先順位?」
頷いた悟がゆらゆらと指を揺らした。
「優先順位っつっても難しくねぇよ?
今のオマエらはまだ俺の理論に理解も納得も出来ねぇだろうから」
『でも先生、最近非術師が金蔓に見えます』
「ねぇ心臓がぴょんってした。もっかい先生って呼んで?」
『最近非術師が金蔓に見えます』
「呼べよ。…それは俺がオマエの中の非術師のラベリングを金蔓に変えたってだけ。要はポケモンの渾名変更。ねずみって付けてもピカチュウはピカチュウだろ。だからラベル剥げば金蔓は非術師に戻んの」
「んっふwwwwwwwwwwwwwwww」
「ハイげとーくんピカチュウのねずみくんで笑わなーい。
最近またネタ貰ったから電車テロをお楽しみにぃー」
「やめてwwwwwwwwwwテロはやめてwwwwwwwwww」
「知るかよ俺だけで抱えられるかこんなん。オマエも無辜の猿共も道連れだ。
あーもう傑がゲラな所為で話ズレた…結局刹那はラベル変えただけで、やべぇ状況になったら猿を優先するままだ。
だから刹那はまだまだ洗脳しねぇとダメ。生きる価値もねぇ猿を護って怪我なんかしやがったら許さねぇからな」
『ひえ』
「怯えるなよ、もっと苛めたくなるだろ。…まぁ刹那苛めは後でね。
俺がオマエらに現状求めるのはただ一つ。何より大事な一番を決めろって話。
…あー、傑は呪術師として人助けがしたいんだよな?弱い奴を護りたいんだよな?」
「まぁ、そうだね」
「刹那も同じ?」
『助けられるならそうしたいかな』
「じゃあ一番簡単で、皆納得の約束しようぜ」
皆が納得の約束?そんなものあるか?
傑と共に首を傾げると、悟がそれはそれは綺麗に微笑んだ。
蒼が光を乱反射して、ギラギラと輝く
「オマエらが何より大事にすんのは自分自身。命懸けになりそうだったり、助けたくねぇなって思った時は猿を見捨てろ。
そうじゃないと、俺がこの世界の、全ての猿を殺す。
────ほら、おめでとう。
オマエら生きてるだけで人助け出来るね♡」
「『』」
君達を乗せた天秤が傾くんだから仕方無い