部屋の中に流れるのは教育テレビの音と、とんとんと包丁がまな板を叩く音。
それと、女二人の話し声にガキ二人と男の話す声
「この着ぐるみ何で人気あんの?」
「さっちゃん、この子はわんわんだよ?」
「あー、ハイハイ。わんわんね。中身どうせオッサンだろ」
「どうして?わんわんはわんわんなのに」
「は?恵ィ、あの中何か知らねぇの?アレの中身は」
「坊、ちょっと此方来い。コレ手伝え」
流石に今年四歳になる子供に着ぐるみの現実を知らせれば俺が嫁にどやされる。そしてその後に夏油にまでネチネチ言われるのだ。アイツは親か。
というかコイツ、何でピタゴラスイッチ(犯罪)とかやった癖に津美紀達に嫌われてねぇんだろう。まさかアイツらにも年下だとでも思われてんのか
「ぁあ?んだよ」
悪態を吐きつつ素直に此方に来た坊の頭に手を伸ばした。
…払い除けるかと思ったが、坊はサングラス越しにじっと手を見つめるのみ。
ならば無限で阻むかと思えばそうでもない。
何にも阻まれなかった手は、手触りの良い白銀の上に着地した。
「………」
「?なに?何で撫でんの?」
「………」
「え?は?マジで何なの?俺なんかした?」
サングラスをずらして俺を見るその顔は酷くあどけない。
これなら嫌がるかと髪をくしゃくしゃにするが、それでも不思議そうに見ているだけだ。これが五条の至宝…?
……恵は津美紀と共に教育テレビを観ているし、少しなら平気だろう。
競馬中継を流していたイヤホンを放り投げ、坊に向き直った。
「……お前、変わったな」
「は?……アンタと会った事あったっけ?」
「あー……どうだったかな」
────一度、興味本意で見に行った事がある。
五条に産まれた六眼と無下限呪術の抱き合わせ。将来を約束された革命の麒麟児。産まれた瞬間に世界のパワーバランスを崩した混沌の象徴。
こっそりと五条家に忍び込み、俺とは違う五条の至宝ってヤツはどんなものかと面を拝みに行くと。
……こいつは、俺に気付いた。
背後に立つ俺に気付く存在など、それまで誰も居なかったと言うのに。
その時の六眼は幼いながらに冷えきり、感情など読み取れず。まるで人形の様だと感じた。
…それが今はどうだ。
あの時よりもずっと、生きている。
活きた表情を浮かべている。
だからこそ、俺の中の小さな怪物と、今のこいつが重なってはぶれるのだ
「なぁ、坊」
「坊言うなゴリラ」
「俺に勝てたら名前で呼んでやるよ」
体術で俺に勝つなんて何年掛かるか知らねぇけど。
内心呟いて、前々から抱いていた疑問を口にした
「五条家は、お前をどんな風に育てたんだ?」
「は?」
「……俺はこの通り落伍者。俺の出はもう調べてんだろ?」
警戒心の高いこいつなら、今台所で嫁と料理をしているお嬢ちゃんが、俺の事で夜蛾に掛け合った時点で調べている筈だ。
案の定、蒼がゆるりと細められた
「────術式至上主義の禪院出身。術式どころか呪力もない天与呪縛のスーパーゴリラ」
「よっし明日エビ反りの刑な」
「なーんでホントの事言っただけなのにボコられんの?体罰はんたーい」
「教育的指導ってヤツだ」
「それ最近傑もママ黒サンも良く言うんだけど。正論大好きな癖にホントの事言ったらゲンコってマジ判んねーわ。情緒不安定?」
しゃあしゃあと言葉を吐き出す坊に溜め息を溢し、声を潜めた。
こいつと話すと直ぐに話が脱線する。恐らくは、こいつが意図的に煙に巻くのだろうが。つーかお前嫁の事ママ黒サンって呼んでんのな
「俺はお察しの通り、禪院で人として見られた事はねぇ。落伍者だから当たり前だがな。
んで、お前は術式も呪力も眼もある恵まれた存在だ。
……そんだけ恵まれたなら、一体どんなにちやほやされたのかって興味が湧いてな」
────俺の言葉に、五条の坊から表情が消えた。
無機質な、触れたら体温すらなさそうなその表情にぞわりと産毛が総毛立つ。
ぶわ、と溢れ出すのは紛れもなく殺気だった。
目を逸らせない。ただ、確実に仕留めるにしても無力化を図るにしても、まずこいつを家から出さなければ。
精巧に造られた人形の様な薄い唇が何かを発しようとした、瞬間
『さとるー?甚爾さんと遊ぶならめぐに握らせた玩具片付けてねー?』
「………………へーへー。判りましたよテディちゃん」
お嬢ちゃんの声で、はっと目が覚める様に人の温度を取り戻した坊はひらひらと手を振った。
同時に先程までの空気は霧散して、俺も人知れず力を抜く。
じいっと台所の方角を見つめる蒼、その熱に、確信する。
────五条悟は、俺と似ている。
自然とどちらも口を閉ざした。
二人の間を通るのは教育テレビの間抜けな音楽。子供の笑う声。台所から聞こえてくる作業音。穏やかな笑い声。外を飛ぶ鳥の鳴き声。…可笑しな程に、空気がぐちゃぐちゃに混ざっていく
「……俺は、あの家じゃあ五条悟って名前だけ付いた、六眼と無下限呪術を搭載した機械だったよ」
ぽつり、溢れる様に抑揚のない声。
サングラスを外し、麦茶を口にすると、坊はゆっくりと俺をその瞳に映した。
「術式と眼の使い方だけひたすら鍛えて。時々連れていかれた先で呪霊祓って。エネルギー切れしない様に高級和菓子を俺の好みに関係無く口に放り込んで。
俺に近付く奴等の表情なんて何時も硬いし、目も合わせてくれない。手が触れようもんなら土下座して謝られる。声だって明らかに震えてた。
何を訴えたって悟様の為なのですって魔法の言葉で切り捨てて。
その癖悟様の誕生で世界の均衡が崩れました。責任をお取り下さい、お役目を果たして下さいなんて念仏みてぇに毎日言われて」
ちら、と台所から此方を見るお嬢ちゃんに気にするなと首を振った。小声だから聞こえちゃいないだろうが、きっと坊が尖った気配を出したから気に掛けているんだろう。
俺の仕草に安心したのか、お嬢ちゃんは嫁との会話に戻っていく。
料理の為に高く結われた黒髪が揺れるのを眺めながら、坊は続けた
「そんだけでも嫌だったけど、決定的にコイツらは猿なんだなって思ったのはさ。
……俺が精通した日に、盛大なパーティー開きやがった時だよ」
……麦茶を噴き出すかと思った。
気道に引っ掛かりそうになった液体を無理矢理飲み下して目を向けると、犯人は何でもない顔をして笑っている
「な?ドン引くだろ?アイツら、結局俺の事繁殖機能のある機械だとしか思ってなかったんだぜ?
だって次の日からだ、許嫁候補とか言って母胎品評会を開きだしたのは。
アイツら、うちの機械が精通しました。これで種馬になれます!雌を持ってこい!って分家に大々的に下知したの。
……それでさ、もう良いやって思った。コイツらは猿なんだ。俺と違うから、俺を愛してくれないんだって」
「…家ブッ壊そうとは思わなかったのか?」
「皆殺しにすんのもだるかった。だってほら、そん時の俺、機械だから。
そういう時にどうしたら良いのかインプットされてなかったの。
殺しても良いけど面倒だし、そのあとどうしようって思ったし。
辛うじて考えたのは、五条家から出たい、此処から逃げたいって事。
…使用人の話で高専の存在は知ってた。京都は
────首が要らないなら俺を此処に縛り付ければ良い。生きていたいなら俺を東京校に通わせろって当主にオネダリしたよね☆」
「脅迫の間違いだろ」
「え?機械の初めてのオネダリだぜ?学校に通わせろぐらいなら可愛いもんじゃん」
其処に生きていたいなら、なんて脅迫文がなけりゃあな。
内心呟いて、もう一度手を伸ばした。
先程と同じ様に、蒼は近付いてくる手をじっと見つめている。
ぽん、と白銀の上に手が乗っかって。
津美紀や恵にする様に髪を掻き混ぜると、大きな目がぱちぱちと瞬いた。
その顔は、やはり酷くおさない。
「……今、幸せか?」
問い掛ける。
対極でありながら、己と似た境遇に在った存在に。
嘗て機械でしかなかったガキは、ぱっと花咲く様に笑った
「………そうか、そいつは良かったな」
────明日から、気が向いたら優しくしてやろう。
木漏れ日の君へ