咨咀逡巡は貴女の悪い癖

「はぁ!?さっさと高専戻った方が安全でしょ!!」


廉直女学院・中等部。
誰も居ないプールサイドにこっそり侵入した私達は、高専側と連絡を取りつつ理子ちゃんの戻りを待っていた


『プールってなんでこう…虫が……』


「虫も暑いんじゃないか?」


〈オレ フロ キライ!〉


『でもシャワーは浴びてね?』


〈………………〉


「さとるっちが死んだwwwwwww」


『そんなにいや?』


〈イヤ〉


悟が夜蛾先生と揉めているのを尻目に、傑とさとるっちと共にプールを眺める。
何気無く並んでいる傑を見上げると、私の視線に気付いて直ぐに此方を見てくれた。
それが何となく嬉しくて、笑ってみる。
すると傑もにこっと笑ってくれて、更に嬉しくなった。


「どうしたの?抱っこ?」


『ママ?それマジで?マジで言ってる??』


「あれ?違った?」


嘘だろ抱っこせびってると思われてたの私?びっくり。ママ天然かな?


〈バカジャン!〉


「刹那、その猫ちょっと貸しなさい」


『どうすんの?』


「プールに投げる」


〈ドウブツギャクタイ!!〉


「お前はぬいぐるみだから大丈夫」


さとるっちは素早く鉄扇の中に逃げてしまった。あの子めっちゃ自由。
まぁ抱っこも面白いし良いかと手を伸ばすと、何故か傑が手を伸ばす前に私の身体が浮いた。
犯人は香りで既に判っている。
今日はスパイシーなバニラの香水を着けてきたアイツだ。
抱き上げられ、さっと手を傑に向けて伸ばした


『ママー!!』


「娘を返して!!!」


「返して欲しけりゃ十億出しな!!」


「え、十億?そんなに私の娘が安い訳がないだろう!!やり直し!!!!!」


『まってwwwwwやり直さないでwwww払ってwwwwwwww』


「競りかよwwwwwwwwwwwwwwwwww」


誘拐犯と娘が競り人とマグロになってしまった。せめて買って。
ゲラになった誘拐犯は大口を開けたまま器用に私を抱え直す。おいやめろ、降ろせ。お前の声通るしデカいからうるさいの。
結局悟の口を塞ぐ事で落ち着いた。


「そうだ悟、夜蛾先生は何て?」


「んーんー」


「ふむ、そうか」


『何て?』


「今日のお昼はピスタチオとドリアンだって」


「wwwwwwwwwwwwwwwwwwww」


『ママ?待って?これクソゲラの腹筋バッキバキになるヤツ』


「悟より私の方が筋肉凄いよ」


『張り合っちゃった』


「何時でも娘にはカッコいいって思われたいよね」


『ママカッコイー!!!』


「えっ俺は??????」


『急に真顔になるじゃん』


ふざけ散らかして全然夜蛾先生の電話が判らないのは仲が良い故の弊害。
偶然ではあるがゲラが解除されたので、丁度良いと二人で悟に問い掛けた


「先生は何て?」


「ガキんちょの望みは叶えてやれってよ。それが天元様のご命令だと。
チッ、ゆとり極まれりだな」


「そう言うな、悟。ああは言っていたが、同化後、彼女は天元様として高専最下層で結界の基となる。
友人、家族、大切な人達とはもう会えなくなるんだ」


傑の言葉に目を伏せる。
同化と死はイコールではない。彼女はそう言っていたけれど。
…自分だけの身体でなくなるのであれば、それは個人の死とはならないのだろうか。


「好きにさせよう。それが私達の任務だ」


「理子様にご家族はおりません。幼い頃事故で…それ以来私がお世話して参りました。ですからせめて、ご友人とは少しでも……」


「それじゃあ貴女が家族だ」


明るく微笑んで、傑はそう言った。
それにほんの少し目尻を赤く染めて頷いた黒井さんをじっと眺めていると、ぽん、と頭を叩かれた。
…悟が、何処と無く心配を滲ませた目で私を見下ろしていた。


『んふふ、悟。ご飯貰えないネコチャンみたいな顔ですけど』


「あ???じゃあ戦利品のマグロ食っちまおうかなー」


『マグロwwwwwwママ結局競り落としてないwww』


「哀れ、娘は誘拐犯に漬け丼にされて食べられてしまいましたとさ」


『え、ママもマグロ?』


「カジキじゃね?」


『私は?』


「シャチ」


『マグロどこいったwwwwww』


ほらもう直ぐ脱線する。
けらけら笑いながら、まだ此方をじいっと見ている悟の頬を包んだ。
…多分、悟にはバレているんだろう


『大丈夫だよ。素敵な家族だなって、思っただけ』


“家族”という関係性は眩しいけれど、前みたいに見ているだけで胸の奥が痛い訳じゃない。
悟が無理矢理傷を暴いたから。
暴いてくれたから、今は少しだけ、前より楽なのだ。
それを伝えれば、そこで漸く悟が笑った。
耳許に顔を寄せて、そっと囁いてくる


「…このままオマエの全部、俺に暴かせてね」


『痛いのはやだなぁ』


悟のトラウマ治療は荒療治が過ぎるのだ。
互いにくすくすと笑って、それから悟は黒井さんと話していた傑に顔を向ける


「傑、監視に出してる呪霊は?」


「ああ、冥さんみたいに視覚共有が出来れば良いんだけどね。それでも異常があれば直ぐに────」


『傑?』


不自然に言葉を止めた傑が鋭い目で校舎の方を見た。それからぽん、と悟の肩を叩く


「悟、急いで理子ちゃんの所へ」


「あ?」


「二体祓われた」













〈アマナイ!レイハイドウ!アマナイ!レイハイドウ!!〉


「レーハイドウ!?」


「この時間は音楽ですから、音楽室か礼拝堂なんです。音楽教師の都合で変わります」


「その猫の言う事合ってんのか!?」


『理子ちゃんを尾行してるすぐるっちからの情報だから合ってるよ』


廊下を疾走しつつ、さとるっちを抱えてナビにする。どうやら鉄扇の中のすぐるっちに連絡が行き、それをさとるっちに伝え、鉄扇の中のさとるっちの情報をこのさとるっちがオープンするという…伝言ゲームみたいだな?


「理子ちゃんの位置が判っているのは大きいな。手分けしよう。
悟と黒井さんは礼拝堂、刹那と私は正体不明アンノウンを一人ずつ」


『了解。悟、さとるっちパース!!』


「クソ猫爪立てんなよ!!」


〈せつなっち! アトデネ!!〉


『りょーかい!怪我しないでね二人とも!』


「誰に言ってんだ!!」


「はい!桜花様もお気を付けて!!」


悟の後頭部にさとるっちを投げ、私は傑と共に校舎の外を目指す。
角を曲がった先、人影を見咎め鉄扇を構えた


「おおっ、その制服は」


『?…呪霊操術の………パチもん?』


「ふふ、そうみたい」


呪符らしきものから呪霊を繰り出した作務衣の呪詛師を見て思わず呟くと、小さく笑った傑に頭を撫でられた。
それからそっと、その手に窓の方へ押された。


「あの爺さんは私がやる。刹那は外を頼む」


『了解。怪我しないでね、傑』


「勿論。刹那も気を付けて」


傑が呪霊を引きずり出すのと同時に窓から外へ飛び出した。
呪霊を仕掛けていた場所を脳内で思い浮かべながら走る。
校舎の角を曲がった所で、上空から殺気を感じ水壁を張った。
勢い良く突き刺さったのは暗器。
今度は正面から飛んできて、また防ぐ。


視界が完全に水で覆われた所で────真上から水壁ごと真っ二つにする刀の一閃が


『ッ!!!!!』


咄嗟に自らを氷で覆い、傷を防いだ。
刃が真下に着いた瞬間、切っ先を踏んづけて下がった顔面に爪先を捩じ込む。
上がった頭に鉄扇を叩き込み、股間に膝をかまし、最後にふらつく頭部に回し蹴りを食らわせた。
刀を握る力もなかったのか、吹っ飛んだ人影は随分と小柄で驚く。
…あれ、力が強かったから男かなと思って甚爾さん直伝ストーカー撲滅コンボを放ったんだが。
恐る恐る倒れる敵に近付く。
…そこに倒れていたのは金髪の女性で、もっと言ってしまえば何処かで見た顔で、そっと合掌した


『…ごめん、菊田さん…』


それは悟が前に不正を暴いて高専から追い出した、元同級生だった。
ごめん、ごめんね…女性の顔面に爪先を捩じ込んでしまった…
流石にこれは…女性の顔面にこれは……


『しょ、しょうこっちを呼ぶべき…?』


一人でオロオロしているとそっと長い袖が下から引っ張られた。
見ればすぐるっちが此方を見上げている。
すぐるっちが来たという事は、悟は無事理子ちゃんと合流出来たのか


『お疲れ様すぐるっち。悟は理子ちゃんと合流した?』


こくりと頷き、私を先導する様にゆっくりと歩き出す。
それに従い歩き出すとケータイが鳴った。
この曲は悟だ


『もしもし』


《刹那、無事?》


『無事です。ですが前にクラスメイトだった子を蹴り倒してしまいました。
女の子です。とても後悔しています』


《呪詛師に慈悲は要らん。以上。今どこ?》


『すぐるっちと学校から出るトコ』


《俺らビルの上。あ、そうそう。黒井さん拐われた》


『は??????????』












「「めんそーれー!」」


『……なぜ…?』


「何でだろうね」


「申し訳ありません…」


────学校で呪詛師の襲撃が起き、その混乱に乗じて黒井さんが誘拐された。
そして何故か取引先に指定されたのは沖縄で、私達は飛行機に乗った。
無事拉致犯を捕縛し、黒井さんを救出した、のだが


『なんで沖縄…?』


「海を見たかったんじゃないか?」


『嘘じゃん。…真面目な話、一年コンビで良いと思う?』


恐らく敵の狙いは私達を離島に閉じ込めた上での空港封鎖。定石ならば空港に呪詛師を向かわせ、占拠した上でこの島ごと人質にして理子ちゃんを狙う筈。
それを予想し、此方も空港警備に七海と灰原を連れてきた。
正直一年生二人にこの任務は重い。
…此処の護衛は二人で足りるし、私は七海達に合流する方が良いのでは?


『傑、私は七海の方に合流するよ』


「だーめ。オマエと傑はコッチ側」


ナマコを女子にぶん投げるという暴挙をかましていた男が此方に合流した。
先程まで悟と走り回っていた理子ちゃんは、今は黒井さんと共に砂の城を作っている。
それを視界に納めつつ、すっと印を組んだ。


────遠くに発生した呪いを貫く。


塵になる呪いを視たのだろう悟が口笛を鳴らした


「やっぱ海のフィールドだとバフかかんな」


『……今の呪詛?めっちゃ飛んでくるじゃん』


「そ。金が欲しい呪詛師が頑張ってんの」


────三千万。
それが、理子ちゃんの首に懸けられた懸賞金。
呪詛師の用いる闇サイトに突如現れたその記事は、金を求める呪詛師の手によって一気に黄金のチケットへと姿を変えた。


「現在地が細かくバレてるのも気になるな。私達が海に来ていると情報が載ってるよ」


「刹那、何処まで呪力広げてんの?」


『全方位三キロ。近付く呪力を片っ端から串刺してる』


「やっぱ海だと呪力の伸びって良いの?」


『伸びっていうか、使いたいなって時に直ぐ傍に使えるものがある感じ?水素を固めるより海水使う方が早いし、工程が省略出来る』


「ゴキブリ見付けた時に直ぐ傍にスリッパあるみたいな?」


『例えがイヤ』


呟いて、遊んでいる理子ちゃんを見つめる。…こうして見ると、やっぱり普通の少女だ。
ニコニコして、楽しそうに声を上げて笑って。次の満月の日に…明日には死ぬなんて、到底思えなくて。
呪詛を突き刺す。
沢山の薄汚い欲望に死を願われている。その魔の手から、理子ちゃんを私達が護っている。


……でも、私達がしている事だって、本当は同じじゃないのか。


悟の言葉が甦る。
あの時、悟は供えるという言葉を使った。
供える。…神に捧ぐもの。供物。
神は天元様。供物はあの子。
今は護っているけれど、この任務の本質は供物を丁寧に運んでいるだけ。私達は、生贄を護る匣。優しくしておきながら。彼女に笑みを向けられておきながら。
最後には、祭壇に向けてあの子の背中を押すのだ。
………やっぱり、一番酷いのは私達なんじゃないのか。


「刹那、顔色が悪いよ。日に当たりすぎた?」


『!』


傑が顔を覗き込んでいて、慌てて笑顔を貼り付けた。


『大丈夫。…飲み物、買ってくるね』


「それなら私も一緒に」


「傑は天内と黒井さん見てて。刹那は俺が見とくから」


いや正直あんたからも距離を取りたい。だってこいつ相談しても良いけど、メンタルグチャグチャにするって宣言してきたからな。
…とはいえ傑には相談するなと言われてしまった。
多分、私は傑と考え方が近いからだろう。
傑の意見を聞けば私は曖昧な意思に蓋をして、彼の意見に同調する可能性が高い。
だから傑に相談するなと釘を刺されたのだ


「悩んでんね、ウケる」


『ぜんっっっっっぜんウケない』


隣を歩く悟がサングラスを頭に乗せて、チェシャ猫みたいな顔で此方を見下ろしていた。楽しくて仕方がないって顔。激しくムカつく。岩肌で顔を削ってやりたい。
というかこんなに悩んでるの、あんたも関与してるんですけど?
睨み付ければ、無駄に綺麗な顔で華麗にウインクを決めてきた


「俺に相談しても良いよ?グチャグチャにしちゃうけど」


『しない。頑張る』


「そう?…まぁ、イイコちゃんにはちょっとレベル高過ぎたか」


自販機に向かい、飲み物を吟味する。
シークワーサー味…?なにそれ…?


「うっし、じゃあ判った。俺に相談しても良いよ」


『……自殺しろと?』


「人を悪魔みてぇに言うなよ。相談しても良い。でもその分俺はオマエのメンタル侵食する」


しまった、おしるこ押した。


『…………メンタルの自殺とどう違いが…?』


メンタルグチャグチャにされるのと侵食されるのってどう違うの…?
困惑する私を自販機に押し付けて、真上から背中を曲げて顔を寄せてくる悪魔。
目の前まで近付いて、甘い声で囁いた


「その場で染まるか、じっくり熾火みたいに端っこから俺に染まるか。そんだけ」


『嫌です』


「拒否権?ないけど」


『何で』


「だってオマエはゲームの参加者じゃん?それならちゃんと、ルールには従わなきゃ」


『……ゲーム?人の命の選択が?』


「フフ、怒るなよ。言い方ミスった、機嫌直して?」


顎を掬い、唇を重ねてきた悟の意図が本当に読めない。なんでお前そんな恋人の機嫌取りみたいな事ナチュラルにかました…??
……なんだこいつニヤニヤしている。
チェシャ猫か、腹立つな。
ああ、猫だった。悟はねこ。なので、これはキスではなくじゃれ合いである


「なぁ、そういや初めて外でキスしたね」


『言うなよ。気にしない様にしてんの』


「なんで?すげードキドキした。ねぇもっかいして良い?あとさ、水着かわいい」


『二度としない』


「は?????????」









君のルールは天秤にかける事








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