とある一人の哀れな男

「────オイオイ、こりゃどういう事だよ…」


とあるホテルのラウンジで、男は硬直していた。
度々仕事を斡旋してやっていた男から連絡があり、場所を指定され向かってみれば、コレだ。


…違和感は、あった。
しかし今回の件は、それを気の所為であると流したが故に起きた、男の自業自得であるとも言えた


「────初めまして♡
韓国籍、元刑事の現呪詛師御用達仲介役、孔時雨さん?」


ラウンジの最奥の席で嫌味な程に長い脚を組む、サングラスに白銀の髪の年若い男。
その隣では、男────孔時雨をこの状況へと誘きだした元凶が競馬新聞を片手にコーヒーを飲んでいた。


「……禪院。まさか五条の至宝と組んでたなんて知らなかったぜ?」


「俺婿に入ったからよ、今伏黒なんだわ」


「問題はそこじゃねぇ」


「坊が情報に強くて頭も回って世渡り上手な駒が欲しいっつったから、オマエ紹介してみた」


「なんつー事しやがったのお前」


「タダで甥っ子が喜ぶモンくれてやった気分だわ。ありがとな」


「死んでくれ」


孔は額を押さえた。
伏黒は全く悪気がないし、奥のサングラスの男は此方を静かに観察している。
元よりただの仲介役である自分が“五条の至宝”と“術師殺し”に勝てるなど思えもしない。


そう。純粋に。
相手が悪かったのだ。


逃げ道がないのであれば、頭を下げるだけ。それが生き残る鉄則だ。プライドなんてものはとうに捨てた。
深く深く溜め息を吐いて、孔は最初以降黙って此方を見つめている五条の至宝に声を掛ける


「……孔時雨だ。アンタは五条悟で間違いないか?」


「……ふーん。しても良いよ?無駄な足掻きってヤツ。一歩下がった時点で脚を潰すけど」


「そういうのは此方の勝利条件を八割の確率で取れる時だけにするモンだ。今やったら本当に骨折り損ってヤツさ」


どう考えたって逃げられないし勝てる見込みもないのに抗うのは馬鹿のやる事だと孔は思う。大概そうするのはプライドが高く、誰かに降る事を許容出来ない者だ。
矜持なんて裏稼業では特級レベルの死亡フラグだ。一銭にもなりはしない


「うん、まぁ及第点かな。座ってよ。話をしよう」


「タバコは?」


「吸いたきゃ吸えば?無限張るし」


「じゃあ止めとくわ」


五条の前の椅子に掛け、ゆっくりと息を吐いた。
隙のない子供だと、孔は思った。
長い脚を組み、ゆったりとしている様に見せておいて、その実孔が何らかのアクションを起こせば一瞬で制圧するつもりであるのが見て取れる。


「単刀直入に言うよ。
此方の要求は簡単だ、俺の駒になれ」


繰り出された要求があまりにも真正面から来たものだから、孔は堪らず吹き出した。
駒、と。包み隠さずに口にした豪胆さに笑っていれば、白いティーカップを白い指が持ち上げる。
ゆったりと口許に運ぶ姿だけでも画になるというのは、まさにこういう男の事かと思いながら孔は運ばれてきたコーヒーを受け取った。
従業員が去った所で、孔が口を開く


「俺に仲介役から足を洗えって事か?」


そう問い掛けた瞬間、五条がかくりと首を傾げた。
それからソーサーに戻したティーカップの取っ手を指でなぞり、伏黒に顔を向ける


「いいや?そうは言ってないデショ。ちょっと甚爾、コイツ案外普通じゃね?」


「いや普通はそう思うんだよ馬鹿」


「えー、傑みてぇに一言えば十判るタイプかと思って楽しみにしてたのに。期待ハズレだ」


「……おい伏黒、俺もう帰って良い?」


「アホか。お前売り込んでんだよもっと頑張れ、今日の賭け金が懸かってる」


「お前ホント何なの?」


どうやら男は孔を五条からの金目当てで売ったらしい。どうせ紙切れに変えて一瞬で大金も消し去る癖に。
コイツ何時か絶対刺す、と強く心に決めて、孔は退屈そうに競馬新聞に落書きを始めた五条に問い掛ける事にした。馬に角を生やすな。


「じゃあ、五条。俺に何を望んでんだ?生憎だが、俺にはちょっとした経験と悪いツテしかないんだ」


「んー、偉ぶんねぇのはプラス一点かな。ヒントね。いち、良く言われんだけど、俺に常識は求めない方が良いんだって」


「え、自己紹介?」


「ヒントっつってんだろ耳聞こえねぇの?バカじゃん??ちょっと甚爾クン???????」


「お前何でもかんでも俺の責任にすんな。おい時雨、どうにか気に入られろ俺の軍資金がトぶ」


「マジでお前何時か刺す。つーか子供に金を集るな!」


孔を紹介するにあたって、五条と伏黒の間に“依頼人”と“仲介役”という関係が成り立っているのは判る。
しかしやはり、幾ら呪術師とは言え十六歳の子供に大の大人が金を、しかも競馬の為の軍資金を要求しているというのは元刑事である孔には見逃せないものだった。
伏黒はへーへーと手をひらひらさせて反省した様子がない。
だが対照的に、正面に座る五条の方が何故か孔の言葉に反応していた。
五条はサングラスをずらすと、じいっと孔を見つめ始める。
光を乱反射する類い稀なる蒼がレンズを介さず向けられて、孔は少したじろいだ。
そして、反応を見せた五条にこっそりと口角を上げたのは伏黒だ


「……アンタ、俺を知ってんのに“子供”として扱うの?」


その声音は酷く不思議がる小さな子供の様で、孔は目を瞬かせる。
それから五条の質問に裏はなく、純粋な疑問であると察して、ゆっくりと口を開いた


「…幾ら呪術師であろうと、お前はまだ十六歳だろ?なら大人が護んのは当たり前だ」


……何故目を丸くして、酷く奇妙な生き物を見る視線を向けられているのだろう。
孔はそれが逆に不思議だった。
正直に言うと可笑しいのはお前の方。結局駒になって欲しいのは判ったが、五条側からの要求と言えばそれだけで、それ以外の内情が一切判らない。
だがこれは…聞いて良いのか。


……カブトムシを見た子供みたいな目を十六歳に向けられているんだが、俺はどういう反応をすれば良いんだろうか


「…甚爾!変な猿だ!俺を知ってる癖に初対面でマジでただのガキ扱いした!なんだコイツ新種!?」


「孔時雨っつー猿だ。覚えたか?」


「覚えた!」


「ねぇ俺何処から突っ込めば良い???」


逞しい肩をばんばん叩きながら何やら興奮した様子で話す五条と、此方にニヒルに笑って親指を立てる元凶。
猿ってなんだ。俺は猿じゃないし、新種でもない。だが伏黒、お前を殴るべきなのは理解した。


「変な奴!つーか何で呪詛師側の奴がコッチの奴よりマトモなんだよウケる!!傑達に言おう!!」


「おい坊、時雨はもう少し後から御披露目しねぇとお嬢ちゃん達にバレたら先ず止められるぞ」


「え?…あー、バレたら止められる?マジで?なんで?」


「コイツ、こんなんでも呪詛師側だぞ。さっきお前も言っただろ」


「刹那達止めてくる?」


「普通はやめとけって言ってくるだろうよ」


俺びっくり、と言わんばかりの顔で伏黒を見る五条に、孔は何となく察した。
コイツ、最初の自己紹介の通りになかなか常識がないのかも知れない。


「でも俺コイツ駒にするよ?…そうだ、黙っとこう。それなら嘘吐いてねぇし」


「教師の前で堂々と隠し事宣言すんなよ」


「ギャンブル教師が何言ってんだ。お金あげるから黙っといて」


「まいどありぃ」


「だからガキを強請るな」


「マジでガキ扱いじゃんウケる。あ、甚爾。ケーキ頼んできて」


「おー」


目の前で許しがたい金銭強要の現場を見た。結局この集まりはなんなのかと額を押さえた孔に、膝に肘を置いて顔の前で手を重ねた五条が楽しそうな声で言う


「ねぇ、時雨。俺は呪術師のサイドじゃあ触りにくい所にも手が届く、呪詛師側のパイプが欲しい」


唐突に真面目な話を始めるな。今お前笑ってただろ?何処で切り替えた?
コイツの会話のリズムが全く掴めない。つまり、非常にやりにくい。
一度息を吐き、孔はゆっくりと姿勢を正した。


「…その言い方だと、俺はこのまま仲介役として動いて良いって事か?」


「そ。ただ俺に、アンタに舞い込む依頼人と依頼内容を教えて欲しいってだけ。後は俺が頼んだ奴の情報とか。簡単だろ?」


一度顎を撫で、孔は問う


「俺のメリットは?」


「呪詛師の大捕物を計画してたら教えてやるよ。自分だけ逃げても良し、お気に入りの呪詛師を逃がしても良し。好きにすれば?あ、情報料欲しいなら払うけど」


「金は良い。ガキからせびってるみたいで嫌だ」


「マジでウケる」


…確かに十分なリターンがある。
その情報が確かなら、孔は呪詛師に今以上に恩を売る事も可能になるだろう。
だが、と同時に疑問が沸いた。


「依頼を知ってどうする?仮に流したとして、依頼を片っ端から呪術師側がしょっ引いていきゃあ直ぐに俺の顔が割れるぞ」


片っ端から潰された依頼を辿ってしまえば、直ぐに仲介役の存在が浮かび上がる。
振り分けて優先度の高いものから潰すのだろうかと考え問い掛ければ、五条は酷くつまらなそうな顔をした


「んな面倒な事なんかしねぇよ。
呪詛師に狙われんのは大概誰かの恨みを買った奴だろ?依頼される様な事してんだから自業自得だ。
同じ穴の狢同士、被害者も加害者も勝手にどんどん呪い合え」


いや待ってコイツ本当に呪術師???
実は呪詛師じゃない?????
信じられない生き物を見る目を向けると、不思議そうに五条は首を傾げた。
ステーキの乗った皿とケーキが複数乗った皿をカートに乗せて戻ってきた伏黒が、ちらりと孔を見て笑う


「時雨、コイツ普通じゃねぇぞ」


「…そうっぽいな」


「ほれ坊、取り敢えず全部頼んどいた」


「さーんきゅ。何から食べよっかなー?」


キラキラした目で山積みのケーキを見ている姿はどう見たってただの甘いもの好きな学生で、孔はどんどん五条悟という存在が判らなくなっていく。
恐らくは感情の切り替えが速すぎるのだ。
故に、見ている人間には一瞬で機嫌が変わる様に見える。五条の中では筋の通った表現なのかも知れないが、見ている此方は置き去りにされてしまう。
…これはまぁ曲者だ。
孔は五条を観察しつつコーヒーを口にした


「あ、これクマ居るじゃん。最後にしよ」


「お嬢ちゃんっぽいからか?」


「ウン。あーでもやっぱ最初にする。そんで最後も食べる」


「好きにしろ。払うのお前だし」


「甚爾また頼んできてね」


「おー。俺ももう一枚ステーキ食うかな」


「良いよ。勝手に頼めば」


「そうする」


人の金で勝手にステーキを食べ始めた伏黒と、ケーキを食べ始めた五条。
自然すぎてなんだか親戚の食事風景に見えてきた孔は、疲れているのかと目頭を揉んだ。


「五条」


「ん?」


「依頼を知って、どうする?その様子じゃ呪術師側の被害を減らしたい、とかでもないんだろ?」


クマの乗ったティラミスを食べる手が止まった。
ゆっくりと視線を此方に向ける。
サングラスの奥の蒼が、ゆるりと細くなった。
…ああ、まただ。
機嫌が、切り替わった


「俺には宝物がある。善悪の指針と、理性と知恵のランタンと、やさしい感情をくれるぬいぐるみ。
正直、この三つが傷付かないなら俺は何がどうなっても良いんだよ。
…でも、俺の宝物はそうじゃない。
コイツらはそれぞれ好きなものがあって、それが死んだらきっと悲しむ」


フォークに首を傾げたクマを乗せ、五条が蒼い瞳で静かに見つめる。
黒いクマのつやつやした頭が柔らかく降り注ぐ照明を跳ね返し、宝石の様に輝いていた。
蕩けそうな程甘さを湛えた蒼が、食べられるのを待っている彼女を視線で愛でる


「だから、俺は宝物を泣かせない為にそいつらも護んなきゃならねぇ。でも今の俺の手札はあんまりにも不利だから。
取り敢えず、信用出来る駒を増やそうと思った」


結局食べ辛かったのか、クマは優しく皿の上に戻された。
ティラミスを食べ終わった五条は、クマに見守られながら次に真っ赤に輝くイチゴを掲げるショートケーキを引き寄せて、ざっくりと切り分ける。
大きな一口でも不思議と品があるのは何故なのか


「甚爾は金で動くけど、誰かから依頼が来たら俺に伝える手筈になってる。だから裏切らないと思ってるし、裏切っても此方には人質が居るからそもそも裏切らない。
俺を裏切って今あるものずぇーんぶパーにする程のメリットもそうそうないしね」


「お前そういうトコどうにかした方が良いぞ」


「ドコ?」


「人の家族平然と人質って言うトコだよ」


「?事実じゃん」


孔は察した。
これはアレだ、デリカシーがない。平然と大事な家族を人質扱いするのはどうかと思う。
伏黒は何かを言おうとして、諦める様に肉を噛んだ。匙を投げたとも言う。
孔は、あの男に沈黙という選択をさせた五条悟は規格外だと認識した。
常識がない上にデリカシーもないとは、どんな紛争地帯で育てばこんな子供が育つのか。
ショートケーキに飾ってあったチョコレートの花をクマの頭に乗せながら、五条は言う。


「呪術界の奴らってさ、馬鹿ばっかじゃん?アイツら俺が気に食わねぇからさ、俺が大事にしてる宝物に触ろうとすんのね。
そういう奴は燃やすんだけど、最近は俺の宝物達のお気に入りを壊そうってすんの。
等級間違いなんかザラ。
お気に入りにって訳じゃなかったけど、三級呪霊二体って内容だったのに蓋を開ければ二級レベルの呪詛師って事もあった。
…だから、これは予防。
呪術界で呪詛師と繋がってる奴も居る。欲しいのはそういう奴の情報と、キナ臭い依頼の内容」


「………万が一呪詛師側と繋がってるってバレればお前の立場も危うくなるぞ」


「それはホラ、時雨を呪詛師側に潜入させてる俺の駒って説明すれば全然平気。
呪詛師からの信用を得る為に、ある程度アチラの要望にも答えてますって言っちゃえば誤魔化せる。
だって、そうか、それなら仕方ないって思っちゃうからね、上の腐れ共は」


つまり五条は情報屋として孔を欲しがっている。
厳密に言えば“宝物”の為の様だが、孔を上手く活用すれば数多の命も救えるし、上層部の何人かを失脚させる事も叶う筈だ。
メリットは十分。話した感触で考えると、恐らく“宝物”の為になら恐ろしく頭を回すし、そもそも孔を捨て駒として捉えている訳でもない。なんなら重用されそうな気すらする。
人間性に大きく不安はあるが────ケーキに乗ったクマをデコレーションする程度には可愛らしさもある。雇い主にするには、これ程良い条件もないだろう。
元より逃げ道はないのだ、自ら乗ってやろうではないか。


「良いぜ、乗った。アンタはなんて呼べば良い?ボスか?」


笑って問うと、五条は大きな目を瞬かせ、それから笑った


「ボスって!マフィアかよ!!」


「じゃあ若って呼ばせろよ。ヤクザみてぇになるぞ」


「元々家で呼ばれてんよ。んー、好きに呼んで。俺だって判れば返事する」


「じゃあボスで良いや」


「結局マフィアかよwwwwww」


ケラケラ笑う姿は年相応で、孔は思わず笑ってしまった。
…その後にパクッとクマを食べた姿に目を丸くしたが。









ひとつ前の歯車








五条→概ね行動が悪い

甚爾→親戚のワルイコトを教えるおじさんみたいになってきた

時雨→新たなる苦労人。実はハブ酒の人



やらかす少し前の話

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