つまりは同じ穴の狢

蛇に巻き付かれる夢を見た。


『………………』


白蛇だった。
手も足も使って絡み付いて、人の首筋で深い呼吸を繰り返している。
重たいのだけど、なんだろう。この重みに安堵を覚える自分も居る。
ぼーっと壁を眺め、充電器に繋ぎっぱなしのケータイを取ろうとして諦めた。
手が届かない。もぞりと動けばぎゅうぎゅうに抱き込まれ、抵抗をやめた。


『さとる』


「ねてる」


『寝言がひどいわ。おはよう』


「………せつな、いる?きえない?」


『居るよ。ちゃんと此処に居る』


そう言えば夢で私に泣かれてたんだったか。これは現実だと知らせる為にぎゅっと、しなやかな筋肉に覆われた身体を抱き締める。
暫く背中を擦ってやると、悟はもぞ、と首筋から顔を出し、それから安心した様にふにゃりと笑った。


「おはよぉ、せつな」


ほんとにいる、とふにゃふにゃな顔で鼻先を擦り付けてきて、泣き過ぎて腫れぼったい目を閉じる。
溶けても腫れても可愛い顔面って得だな。


…そう言えば、こんなに弱った悟って初めてだ。


何時もは私を安心させてくれる長い腕が今は私に縋り付いていて、大きな身体で離れるなと甘えてきて。


……かわいい。
そう、こいつやる事がカッ飛んでるし最適解と最悪解を同時に踏み抜くんだけど、可愛いんだよ。
だから保護者が増えるの。可愛いから。


…久々に思える悟の体温と匂いを感じながら、そっと寝癖の付いた髪を撫でてみた。
ひょん、と跳ねるそれはめぐに似ていて、思わず笑う。


「なぁに?」


『寝癖』


「あとでなおして」


『起きないの?』


「あとごふん」


『…私は起きたい』


「やだ。あとごふん…」


もごもごとくぐもった声で返し、悟は動かなくなった。…せめて暇潰しのケータイをくれよ。
すぅすぅと深い呼吸を始めた悟にマジ寝じゃん、と笑ってしまった。


────それだけだと、平和な一日、だったのだが。


「ひっぐ……うう…」


私を抱えぐずぐずに泣く悟。
私達の前で仁王立ちする先生。
その前で正座する傑と硝子。


先生は額を押さえつつ、問い掛けた。


「傑、硝子、何故こんな事をした…?」


「私達がどんな気持ちになったか、悟に味わって貰おうと思いまして。
あとは報連相の重要さを叩き込もうかと」


にっこりと微笑んだ傑が言う。
すんすん鼻を鳴らす悟の頭を撫でながら、私は先程の虚無る光景を思い出した。
夜蛾先生が呻く様に言葉を吐き出す。


「だからと言って…悟に天逆鉾を刺す事はないだろう…」


「悟で危機一髪をやっただけですよ、先生。医師監修の安全な遊びでした」


「そうじゃない」


「心臓と首チョンはしてないんで死にません。安全です。やらかしたら私が治すし」


「そうじゃない」


「樽越しに刺したので、私達のメンタルに傷は負いません」


「そうじゃない………」


先生が天を仰いだ。
判るよ先生、あれは強烈だった。


大きな樽に詰められたボロ泣きの悟と、そこに笑顔で天逆鉾を刺していく傑と硝子という狂気極まった光景。発狂するかと思った。


仰天した私が悲鳴を上げて、やって来た先生は両手で目を覆った。
…確かに天逆鉾を十本ぐらい作ってって昨日の夜に言われたから傑に渡したけど、まさかこんな事に使うとは思わないだろう。


「先生、最近私は学びました」


「………何を?」


恐る恐る訊ねた先生。
傑が、それはそれは素晴らしい笑顔で言った


「死ぬ事以外は掠り傷、という事です」


「待て、それは何か違うぞ」


「悟は反転術式を会得しましたね?つまりそういう事です」


「つまりじゃない。反転術式は虐待に耐える為の能力ではない」


「私と刹那はとても辛い思いをしたのだと手っ取り早く理解させようかと」


「物理に訴えるな」


「私はハンムラビ法典の信者になりました」


「話を聞け」


「目には目を、歯には歯を。つまり心を滅多刺しされた私は悟を滅多刺しにしても許されると気付いたんです」


「話を聞いてくれ………」


ママがやべえ。
しがみつく悟の髪と背中をよーしよしと撫でる。背中とか学ランとかスラックスとか、至る所に穴が空いていて、シャツが赤く染まっているのが大変リアル。
刺されたであろう箇所を撫でながら、そっと問い掛けてみる


『悟、痛い場所はない?』


「ないよ。全部治した」


『そっか』


うーん、簡単に治せるのも案外考えものでは?
悩む私の前で先生が笑顔の傑の説得を始めた。


「傑、そもそも死ぬ事以外は掠り傷、というのはやられた側の判断であって、やった側が言う事ではない」


「先にやられたのは我々です」


「だからと言って物理でやり返して良い訳ではない」


「娘は刺されました。嫁入り前の大事な身体を」


「だからと言って母が刺し返して良い訳ではない」


「先生、因果応報って御存知ですか?」


「反省する気がないのは判った」


「それは良かった」


先生が諦めてしまった。
苦笑いする私と、泣き止んだのか首筋に猫みたいにすりすりしてくる悟。
ぎゅうぎゅうに抱き込まれながら背中を撫でる私に悟が言った


「……傑と硝子がさ、これで許すねって言ったんだ。だから、俺はコレ、納得してんだよ。怖いし痛かったけど」


『……無理してない?』


「全然。刹那はもっと痛かったんだって言われて、後悔した。
……ちゃんと計画を話しとけば、オマエらを傷付けずに済んだのかなって」


ふにゃふにゃに笑って、悟は言うのだ


「ひどい事したのに、刺すだけでまた帰ってきてくれるんならさ、痛いけど、俺治せるし、良いかなぁって」


『……待って。自分の身は大事にして…?』


「?刹那に今大事にして貰ってるだろ?」


『これはあかん……』


黒ひげ危機一髪をさせられたのにふにゃふにゃ笑顔を浮かべる悟への罪悪感がひどい。
これ駄目じゃない?刺されても私達だからって受け入れちゃうのは駄目じゃない?治せるからって簡単に血を流すのは駄目じゃない?
頭を抱える私を抱え、悟は嬉しそうに笑っていた。












「頭いてぇ………」


『反転術式は?』


「使ってるー」


「もう目ぇ隠せよ。サングラスは?」


「いやだ。オマエらの顔見えなくなんじゃん。やだ」


「悟、私達はちゃんと此処に居るから。居なくならないから痛みが和らぐまでは掛けな」


「……じゃあこっから動かないで。俺の手が届く範囲から居なくなったら茈な」


『動いた時の代償がやばい』


「死んじゃうな私達」


「茈を高専の外に無差別に撃つ」


「生きちゃったな私達」


「マジで無差別テロじゃん」


『罪のない人々を軽率に殺さないで』


「俺にとって大事なのはオマエらだけだよ」


『愛が重い』


「愛してる。だから離れないで。傍に居て。じゃないと周りが死ぬぞ。良いのか?」


「すげー斬新な銀行強盗に見えるわ」


「私達はお金だった?」


『私せんえーん』


「私の娘がそんなに安い訳ないだろう。一万円だよ」


『えっ、じゃあ二千円になるね。傑と硝子は一万円』


「地味にレアだな」


『あ。じゃあやっぱ千円で』


「私の娘が可愛い。皆一万円にしようね」


「は???何寝ぼけてんの??宝石ですけど何か??????」


「圧がすごい」


「ふざけんななんでオマエらがコピー機で刷った紙切れの猿と同じになるんだよ。
オマエらは宝石なの。俺の宝物なの。
何自分の事軽んじてんのそろそろ俺に愛されてる自覚持って?」


「持ってるんだよなぁ」


『愛が底無し沼みたいじゃない?』


「ほんとそれ」


「は?まだまだ沈んでねぇじゃんオマエら」


「『「えっ????????」』」


「えっ????????????」


「かわええ…かわええなさしすせ……」


「声を落としなさい」


教室の中央で渋々サングラスを掛けた五条の頭を三人が撫でて、それを語部が拝んでいる。
というか今の会話の何処が可愛いのか。
軽率に一般人を人質にとる会話の何処が可愛いのか。


例の“五条悟自作自演事件”より数週間。


色々あったが丸く収まったらしい彼等は今日ものんびり寄り添っている。
現在は五条が“最強”になった事が上層部に伝わり、特級任命可否が審議に掛けられているとか。
…その暫定特級様は同級生に囲まれて眼精疲労と戦っている訳だが。


「天逆鉾で六眼って抑え込めんのかな?」


『そもそもその眼って術式なの?』


「判らん。ただ“魔眼殺し”の類いなら効きそうな気もする」


「魔眼殺し?」


「家の古文書の棚にあったんだよ。
確か特殊な眼を術式として捉えて、それを着けてる間はただの人間の眼として機能させるってヤツ」


「そもそも魔眼って何だ?六眼はそこまで禍々しく言わなくても良いだろ?なんか他の能力を持った眼とか?」


「んーと、確か石化?とかエグいのを持ってた奴が昔居たんだって。そんで、ソイツの眼の無効化に特殊な石を使ったってハナシ」


『へぇ、じゃあその人は普通に暮らせる様になったんだ?』


良かったねと夏油と桜花が笑っていると、机に伸びていた五条はサングラスを外して首を振る


「目玉に石を突き刺して石化を封じて、魔眼頼りのひ弱な女を座敷牢に繋いで村の胎として使った話する?」


『うわ…』


「村人がクソ…」


「つーかほんと男共は腰振る事しか考えてねぇな。女と見たら突っ込もうとしか思わないのか?」


「パパ、娘の教育に悪いよ」


苦笑いする夏油に家入が片眉を上げる。
それを尻目に何故か五条と桜花はアルプス一万尺を始めていた。平和か。


「お前らは突っ込んで済むけどな?女は腰が死ぬんだよ。腰が」


「生々しい話はやめようね」


『アーループースーいちまんじゃーくー』


「こーやーぎーのーうーえで」


『あーるーぺーんーおーどーりーをー』


「さぁおーどーりーまーしょ」


「ねぇ待って子ヤギの上でアルペン踊り始めた」


「ジンギスカンでもするんだろ」


語部が腹を抱えて沈没した。


「きーのうみーたーゆーめー」


『二番?歌詞判んないや』


「でっかいちいさいゆーめーだーよ」


「硝子、それは羊だよ」


「じゃあヒージャー汁」


「何それ?」


「沖縄料理」


「のーみがリュックーしょってーふじとざんー」


「合ってんのかあの歌」


『のみ?…え、ノミ?あの蚤?』


「ノミが富士登山ってどんな状況?」


ひたすらアルプス一万尺をする十六才ってどんな状況?
というか五条詳しくない?あれほんと?ほんとの歌詞なの?


「いーわなーつるこにやまじをきーけば」


「何でコイツはこんなアルプス一万尺詳しいの?」


「津美紀達と教育テレビ観るからじゃない?」


「くーものかなたをさおでさすー」


『全然判らん。合ってんの?即席?手が疲れてきたんですが』


「飽きた」


『良かった』


唐突にやめた。
俺、やっぱり五条のテンションが判らないの。なんでさらっと桜花は納得出来るの?五条悟って次の瞬間には切り替わってる感じだし、見てるだけで疲れない?


「アルプス一万尺って二十九番まであるんだぜ、知ってた?」


『初めて知った。良く覚えてるね』


「頭の出来が違うから」


「ナチュラルにいらっとさせる天才かな?」


「え?だってそうだろ?猿より全てに於いて高性能だよ俺」


「見下しデフォとかやべぇな」


「?」


『ほんとなのが腹立つ』


しれっと他人を猿扱いしてるのを流すあいつらもヤバいんじゃないかと最近俺は思っている。


だって五条悟自作自演事件の後、夏油は五条を天逆鉾で刺したという噂が流れたのだ。


いや、流石に噂だと判ってる。
普通はどんなに腹が立っても友達を刺したりしない。親友なら尚更だ。…刺してないよね?
けどそんな噂が流れる様な人物であるというのが、夏油もヤバいという証拠だろう。とてもぶっそう。


桜花がぱくぱくと手で作った狐の口を開閉させる。
それを何故か五条も真似をして、ひょんひょんと左右に揺ら した。


「天逆鉾一本で俺の無限を無効化出来たんだから、本数増やせば六眼にも効くんじゃね?と思うんですケド、オマエらどう思う?」


『どうやって持ち歩くの?悟が言うのって一本二本じゃないでしょ?』


「肝心の物はどうするんだい?流石に目を刺す訳にはいかないだろ?」


桜花の狐に五条の狐がキスをした。
あらかわいい、と語部がニコニコしている。お前はいつも幸せそうだね…俺はしれっと目に天逆鉾を刺すイメージしてそうな夏油が怖いよ…


「天逆鉾を粉にして、多分眼の直ぐ傍じゃねぇと意味がねぇから…無難に眼鏡とか?」


ぴゃっと逃げた桜花の狐を五条が追う。すげぇほのぼのしてるな


「呪具を粉にして術式は消えないのか?」


「欠片にする程度なら多分術式は残るから、粉でも頑張ればいけるんじゃね?」


「まだ試していないのかい?」


「ん。刹那、天逆鉾十本ぐらいチョーダイ」


『はーい』


返事をした桜花の唇にちょん、と狐がキスをした。
目を丸くする桜花の前で五条が得意気に笑う。


「奪っちゃったー☆」


『名もなき狐に唇を奪われた……』


「狐の毛皮はどのぐらいの値段だったかな」


「ママがマジじゃんwwwwwwwwwwww」


けらけらと全員で笑う光景を眺め、素直に良かったなと思う。


何せ五条悟は普通じゃない。


普通の感性を持っているなら、任務を自分がレベルアップする為のゲームにしたりしないし、好意を抱く異性を精神的にあそこまで追い詰めたりしない。


恐らく、普通の感性を持ち合わせた人間なら既に五条の傍から離れている。


実は桜花を嫌ってるのかな?というレベルの嫌がらせを敢行した五条だが、しすせが旅行という名の家出をすると三日で号泣したので、確実に彼等の事が好きなのだ。凡人からすると全く理解出来ないけど。


五条曰く、愛している。
愛しているから、彼等の為に動いている。


…多分、その心掛けはとても清らかで、尊いものだ。
でもなぁ…やり方に問題しかないんだよなぁ…
何処に愛しているからって理由で心をぐっちゃぐちゃに掻き乱して女の子を泣かす男が居るのか。護衛対象を闇サイトで賞金首にする護衛が居るのか。お前の仕事は護る事であって、危険を呼び寄せる事ではない。
桜花との和解も結局ごめんね!!!!愛してる!!!!!で押し潰したらしいと語部から聞いた。
それで良いのか桜花。お前確かに押しに弱そうだけど。


「…時雨のツテで捜すかな、呪具職人」


『私とママをズタボロにした自作自演事件のまともなおじさんですね?』


桜花がにっこりと笑って言うと、五条はさっきまでの楽しそうな表情を一変させ、眉を下げた。


「………悪かったよ。ほんと、ごめんなさい」


『うん、良いよ』


しゅんとした五条の頭を撫でる桜花に、意外そうな顔をしたのは夏油だ。


「おや、刹那がチクチク刺していくなんて珍しいね?」


『もう二度とあんな胸糞案件やらかさない様に、定期的に刺す事にした』


「へぇ?良い心掛けじゃん?どんどん刺せ」


『パパが過激派だった』


「…へへ、刹那に刺された」


ふにゃりと笑った五条は隣の席の桜花にぐーっと寄り掛かった。
猫の様に擦り付く五条に桜花は困った様に笑って、机に放り出されていたサングラスを綺麗に畳む


「悟は何で刺されて嬉しそうなの?」


夏油に問われると、五条は蒼をとろりと蕩けさせ、笑うのだ


「だって、刺してくれるのは俺に執着してくれてるからでしょ?諦めるの得意な刹那が、俺との繋がりを諦めずに、欲しがってくれてるからでしょ?
俺はちゃんとワルイコトしたって思い出せるし、刹那に求められてるって自覚出来る。
……へへ、嬉しい。心臓が溶けそう」


……その笑みで家入は額を押さえた。
夏油は天井を仰いだ。
桜花は静かに俯いた。
語部は拝んでいた。


「そもそもはこいつの所為なんだけどな…かわいいんだよな……」


「わかる……マッチポンプなのもわかってるんだけど……かわいい………」


『……こいつは元凶…こいつは元凶…』


「?」


大概の問題の元凶なのに心のままに喋るもんだから、ちょいちょいしすせトリオは被弾している。
というか三人が心から五条を嫌いになるなんて、あるのだろうか。
今回もあんな事をされても何だかんだ許してしまっているし。
五条の行動理念の根幹に自分達への愛があると知ってしまっている以上、憎悪は鈍るのだろう。
何をされても家族を結局は嫌えない、とかそこら辺と似た感覚なんだろうか。俺にはやっぱり理解出来ない。


彼等は誰か一人でも欠ければ崩れる関係だ。
そしてきっと、五条悟は三人の誰か一人傷付いた時点で暴走するのだろう。


…ある意味あの三人は世界を滅亡から日々護っているのだ。
天元様に捧げられる天内理子よりずっと、カミサマ五条悟の傍で笑う三人の方が“生贄”の様に思えて、俺は目を伏せた。









幸せは尖塔の上









刹那→パパとママが暴走してビックリした人。天逆鉾を量産しちゃう系女子。大体お前が原因。

五条→リアル黒ひげ危機一髪をやった人。
呪って貰えてにっこにこ。大体お前も原因。

夏油→ハンムラビ法典がバイブル。
笑顔で刺した。

硝子→医師の卵。笑顔で刺した。

夜蛾→笑顔で帰ってきた生徒に安心していたら、次の日笑顔で生徒が生徒を刺してて胃に穴が開けられそうな人。

黒川→刺したの…?え…?????

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