それは傍らの話

細い腕が拳を振るう。
速いが、結局は体重も膂力も足りねぇからへなちょこパンチだ。当たったらきっとお嬢ちゃんの拳が痛むだろう


「オラもっと腰入れろ」


『はい!』


拳をいなし、横薙ぎに脚を振るう。
しゃがんで避けはしたが、爪先が掠ったお嬢ちゃんの身体が傾ぐ。
稽古を始めてそろそろ二十分。精彩を欠きだした事から推測するに、これが限界だろう。
前のめりになったお嬢ちゃんの首根っこを掴み、放り投げる。
軽く投げたつもりがすっ飛んだお嬢ちゃんを、腕を大きく広げた坊が待ち構えていた


「オーライ、オーライ…ゲットー!!」


飛んできたお嬢ちゃんを受け止める。
ぎゅうっと抱き込んで笑っている坊に、息を乱したお嬢ちゃんがぼやいた


『受け止めてくれてありがとう…でも離して……汗かいてるから…』


「ん?ほんとだ。刹那が頑張った匂いがする」


『嗅ぐな…離して…ハナシテ……』


「悟、運動した女性の匂いを嗅ぐんじゃない」


「それ私だったら股間蹴り上げてんぞ」


ばたばたともがくお嬢ちゃんの首筋に鼻を寄せる坊。誰だって汗の臭いなんざ嗅がれたくねぇだろうに、とてもかわいそう。
…というか、アレじゃねぇの?
腕の中の女が汗だくで息を乱してたら、アッチを想像しねぇの?


「なぁ、坊」


「んあ?」


「今のお嬢ちゃん見て、何も思わねぇの?」


俺が問うと夏油が眼をかっ開いた。アイツ修羅みてぇな顔してんのウケる。
その隣で家入はドン引いた顔で俺を見ていた。オイ、その眼をやめろ。
二人に気付く事もなく、お嬢ちゃんを抱えたままの坊はじいっとお嬢ちゃんを見て、それから表情を明るくさせた


「疲れてるからスポドリと、タオルだな!あとシーブリーズ!!おいクソ猫!持ってこい!」


〈オレニ メイレイ スンナ!〉


〈タオルー!〉


〈スポドリー!〉


〈シーブリーズー!〉


命令された猫の呪骸が頭と背中で器用に頼まれた物を運んできた。
タオルを受け取った坊が笑顔で汗を拭っている。
階段に腰掛け、膝に乗せたお嬢ちゃんにキャップを開けてからスポドリを渡したのを見て、夏油が静かに天を仰いだ


「悟、すっかりスパダリになって……」


「いやスパダリは汗かいた女の匂いなんか嗅がねぇだろ」


「つまんねーな。流石にあんだけ顔赤くして息乱してたら坊も反応するかと思ったのによ」


「おい教師」


「いやだってお前も判るだろ?汗だくで顔真っ赤で息乱した女を抱えたらよぉ」


「おい教師」


「ヤった後だろ」


「確かに…」


「お前らクソだな」














僕はしがない補助監督です。名前?どうぞモブとでも。
本日も呪術師を乗せて西から東へ駆け回り、漸く高専に戻る事が出来ました。
ああ、疲れた……
いえ、呪術師の方々に較べればこの程度、些事でしかない事は判っているのです。
それでも、長時間の運転はしんどい。
運転は勿論、精神的にクるのです。
時間に遅れたらいけないというプレッシャー、後部座席に呪術師が居るという空気の重さ、彼ないし彼女の命を預かっているのだという責任感。
そこに呪術師との人間的な相性まで加算される事を考えると、胃が死にそう。


「はああ……」


コーヒーが沁みるぅ…
ベンチに座り、肺に取り込んでいた酸素を全て吐き出した。
何気無く校庭を見る。
広い校庭に四つの黒を見付け、ぼんやりと眺めた所で気付いた。


……さしすせカルテットだ。


呪術高専に於いて右に出るものは居ないとまで噂される問題児集団。
ある時には校庭を粉砕し、ある時には校舎を吹っ飛ばし、またある時には水族館ごっこと称した巨大水球を作り出し、そしてある時には上層部に爆破を仕掛ける。
最近では京都校の生徒を地面に刺したとか、マインスイーパーしたとか、呪霊でリアル野球盤したとか、その他諸々。
…取り敢えず話題に事欠かない四人組が、校庭で何故か四人一列になっていた。


「しゅっしゅっぽっぽっ♪しゅっしゅっぽっぽっ♪」


「これ何処行くのが正解?」


「何処だろう?取り敢えず先頭に続くしかないのかな」


『悟ー?これ何処行くの?』


「何処行くかな。このままコンビニ?」


「嫌だダルいパス」


「流石に汽車ぽっぽしながら行くには遠くないか?」


「じゃあパンダに会いに行く?」


『ああ、それなら良いのかな?異議ナーシ』


「異議ナーシ」


「異議ナーシ」


「じゃあしゅっぱーつ」


しゅっしゅっぽっぽっ、と呑気な声と共にゆっくりと歩いていく四人組。
先頭の五条さんの腰に手を添える桜花さん、そして後ろに続く家入さんと夏油さん。
四人で和気藹々としている姿を見ていると、やっぱり和む。


だって彼等はまだ十七歳だ。


高専二年生なのに、呪霊なんておどろおどろしいものと日々戦って、五体満足で帰れる保証も保障もなくて。
…そんな彼等がああやって笑っているのを見ると、なんだかほっとする。
若者の青春というのはこんなに心が温かくなるものだっけ、と思いつつ眺めていると、蒼い目がふと此方を見た。


この世のものとは思えぬ美しい瞳と目が、合う。


暫し此方をじっと見たかと思うと、五条さんは何故か────此方に向かって歩いてくる。
…ん????歩いてくるな????
なんで????え????なんでこっちくるの?????ひとりでずんずんくるね?????
あ、ああ!!自販機!!
そっか、喉が渇いたんですね!?
どうぞどうぞ、飲み物のラインナップはなかなか変わりませんが無難なものが────


「なぁ、アンタ」


キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!
まって!?!?!?!?今僕に話し掛けたの!?!?!?!?五条悟が!?!?!?
なんで????あ、見てたから!?!?!?
今俺らのこと見てたろって!?!?!?!?え、ごめんね!?!?
もう見ないからゆるして!!!!!!!


「オイ、聞いてる?」


「ひゃい!!聞いてまふ!!!!!!」


あまりの圧に起立して直立した。軍隊か。
ピシッと立つ僕を見下ろして驚いた様に目を瞬かせると、五条さんはポケットに手を突っ込んだ。
それから緩く拳を作った手を、僕の前に差し出す。


「手」


「え?」


「手ぇ出せ。早く」


「あ、はい」


なに?新手のカツアゲ?いやでもそれなら金寄越せって言いそうだ。
内心ガクブルでそっと手を出す。
……そこに転がされたのは、チロルチョコだった。


「え……」


「………一年前、礼言ってなかったから」


その言葉で過ったのは、白。
詳細を思い起こす前に、薄い唇が言葉を紡ぐ


「あの時、アンタが飛ばしてくれたから刹那は元気に過ごせてるよ」


「……そうですか。よかった…」


…一年前、酷い顔をした三人と、氷を所々に張り付けた桜花さんを乗せて廃病院から高専まで車を飛ばした。
あの後桜花さんは無事快復したという書類を見て胸を撫で下ろしたのが懐かしい。
思わず頬を緩めれば、白銀の頭がすっと、低くなって────


「あの時はありがとう、ございました」


「ごごごごごごごごごご五条さん!?!?!?頭上げて!!!!!!」


まって!?!?!?!?やめて!!!!!!!こんな下っ端補助監督なんかに御三家次期当主が頭を下げたりしないで!!!!!!!!!
慌てて肩を押そうとして、僕なんかが触れるのは無礼なんじゃないかと手が宙を掻いた。
結局何も出来なかった僕の前で、ゆっくりと五条さんが体制を戻す。
人形の様に美しい顔が、にっと笑みを作る。そして長い指が掌の上に鎮座するチロルチョコを指差した


「────借りは返した。じゃあな、柳さん」


「え?ああ、はい。お気を付けて……」


……僕の名前、知ってたんですね。五条さん。










彼等の小噺










補助監督→一年前、死にかけの刹那を乗せて飛ばしてくれた人。
五条の表情が一年前より豊かでびっくりした。


五条→正面から本人の知らない所で彼氏面した。

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