月下美人

※オメガバースネタ








この世には、六つの性がある。
男と女、そしてそれらを分けるα、β、Ωという第二の性。
バース性と呼ばれるそれは狼の階級に準えた呼称をする。


リーダー格、優れた才能を持つα。
平凡だが最も自由なβ。
脆弱で、しかしαと番という特別な契約関係を結べるΩ。


どの性にしても何らかの苦しみがある。
αにはαの。βにはβの。そしてΩにはΩの。
……それも、私には関係無いんだけど。













「……マジでフェロモン判んねぇのな」


『おまえ……私がΩだったらどうする気だったの…?』


「信じらんない、刹那がΩだったら確実に強制ヒートだったぞこのクズ」


「悟……人として見損なったぞ悟………」


悟に拳骨をかます傑。
私を護る様に抱き締める硝子。
拳骨されくわっと牙を剥く悟。
そして、フェロモンをぶつけられたらしい事にドン引きする私。


……私は、バース性がない。


それは幼い頃に術師の家に売られたストレスと、桜花の育成という名の暴力によるストレス、そしてバース性自体へのストレス。
見事に三重にストレスが掛かった結果、複雑に負荷が絡み合って出来たのが奇跡の無性である。
バース無しという存在は桜花からすれば許せないものだったらしく、まぁ殴られた。お前らの所為でもあるというのに。
因みに今の私はバース性のない存在として研究所にも狙われている。
一度は其処に売り付ける、という案も桜花で出たんだとか。
何はどうあれそんな地獄から抜け出せば、今度はこれだ。


……入学早々五条悟にバース性確認の為、フェロモンをぶつけられた件。


いや馬鹿かな????
これもし私がΩだったら、あんただけじゃなくて傑と硝子も巻き込まれてたんだよ?
傑と硝子もαだぞ?馬鹿かな????


「……刹那、ごめん。チョーカーしてるから疑った」


『ああ、良いよ。これは家の方針だしね』


万が一私のバース性が目覚めた際、Ωだったら桜花が望む家に私を売る為。
理由なんて、そんなものだ


『私がΩだったら、上の家と繋がる為のパイプに出来るからね。だから何処かで勝手に番われたら困るんでしょ』


ぎゅうっとくっ付いてきた悟の頭をぽんと叩く。悟はαゆえの苦しみを人より多く味わってきたんだろう。
だから、無性という言葉よりも首に嵌められた南京錠付きのチョーカーに目がいった。まぁ当然だ。
そんなものを着けていればΩですと自己紹介している様なものだし、無性なんて存在は
有り得ないのだから


「にしても桜花は趣味が悪いな。こんなゴツいの着けさせて。犬の首輪じゃあるまいし」


『似た様なモンだと思ってるんじゃない?あいつら私の事嫌いだから』


眉を寄せた硝子に笑った瞬間、ばきゃっと酷い音がした。
次いで、首もとの解放感。
…ゆっくりと手を首に伸ばす。
指先が触れたのは自分の皮膚で、思わず目を瞬かせた。


「んだこれヤバ。女の首に嵌める重さじゃねぇぞ」


「悟…刹那に一言言ってからそうしなよ…」


「?詫びだよ、詫び。疑っちまったから、代わりに似合わねぇモン取ってやった。嬉しいだろ?」


ぽーん、ぽーんと太い黒革のチョーカーが大きな手の中で弾んでいる。
…それ取って良かったのかなぁ?
指南役は間違っても破損させるなって言ってたんだけどなぁ…


『んー…まぁ首軽くなったし、良いのかな…?ありがとう、悟』


「おう。こんなキモいモンとっとと捨てちまおうぜ!」


にっと笑った悟が綺麗なフォームで開いていた窓の向こうにチョーカーを投げ────爆発した


「「『「えっ」』」」


……………えっ















すぅりすぅり、白銀の髪がうなじに何度も擦り付けられた。
大きな手が髪を撫で、もう片方の手がお腹に乗せられている。
白い頬がくっ付けられて、頬擦り。反対にもすりすり。ついでに鼻先もかぷかぷ。
悟にすりすりされている私を見て、硝子が呆れた様に呟いた


「猫のマーキングみたいだな」


『はは、もう慣れましたね』


「マーキングしてんだよ。フェロモン擦り付けてんの」


「まぁ、あんな物騒なものを付けられた刹那は私達も見たくないな」


傑が遠い目をしながら口にした言葉に、私も若干気が遠くなった。


一年前、私は桜花の言う通りに武骨なチョーカーを巻いていた。


なんやかんやあって悟がそれを壊し、外に投げた所で爆発した。
それにはチョーカーを投げた悟も、見ていた傑と硝子も、着けていた私もびっくり。
なんならついさっきまで爆弾を首に巻いていたという事実に血の気が引いた。
そのあとキレた三人が桜花にカチコミをかまし、当主をシメた。
それからまたなんやかんやあって、今の私は桜花の当主である。


「俺がマーキングすりゃ大抵の奴は近付かない。研究所も桜花が家ごと五条の傘下に入ってからは手を出してきてない。刹那は安全。
うん、流石俺天才じゃない?」


『お世話になります』


「でも一時間に一回マーキングしなくても良いんじゃないか?なんかもう刹那が悟のフェロモンでべとべとなんだけど」


『えっ』


傑の言葉に反射的に逃れようとして、お腹に回された手に力が籠った。
髪を撫でていた手も肩を押さえてきて、シートベルトの様に身体に巻き付いている。
逃亡失敗した私の首筋に、ご機嫌な巨大猫がすり、と頬を寄せた


「良いじゃん。俺でべとべとな刹那」


『なんかやだ……』


「もうそのレベルだと他の奴はマジで近付きたくないだろうな。溺愛されてるΩにしか見えないし」


『Ωじゃないんだけどなぁ』


「♪」


「最早フェロモンを刷り込んでるね」


『なんでこんなにマーキングされてるの私……』


「あんた実はマタタビだったんじゃね?」


『人型のマタタビだったのかぁ』


αのフェロモンが強く分泌されるという首をすりすり押し付けられて、苦笑いしつつポッキーを口にする。
そんな風に何時も通り過ごしていた所、急に三人の顔が強張った


『?皆、どうし────』


がらり、と扉が開いた。
そこから入ってきたのは三年生の担任の先生だ。
珍しい。そう呑気に思ったのは一瞬。直ぐに鉄扇を引き抜いた。


「は……ぁっ♡五条くん♡」


真っ赤な顔に、うっとりとした顔。
そして三人が鼻を袖で覆っているという事は。


『なんだこれ、ヒートテロ?』


私には全く判らないが、取り敢えず、と印を組む。
眉を寄せた三人に笑いかけ、呪力を鉄扇に流し、術式を励起する


『みなさーん!ただいまより洗濯しまーす!!十秒息止めてねー!!!』


鉄扇から呼び出された水で教室を満たした。緩く水を回して三人を水洗いして、開いていた窓から八割の水を校庭に捨てた。
それから水球の檻で女教師を包囲して、びっしょびしょの三人に目を向ける


『水洗いしたけどどう?フェロモン消えた?』


「あ゙ー…ありがと刹那…めちゃくちゃ臭かった…」


「はぁ…キツかった。ありがと刹那」


「助かった…ありがとう刹那」


『冷静になったなら良かった。水抜くね』


教室と自分達を濡らす水分を指先に集め、窓から捨てた。
首筋にぐりぐりしてくる悟の頭を撫でて、水の檻を叩く女に目を向けた


『あれ、どうしよっか?ヒートってβでもしんどいんでしょ?
先生に通報して私が部屋に放り込むのが良いのかな?』


「いくな。いやだ。センセになげろよいくな」


「凄い不安定じゃん。どうした五条?」


「刹那から俺の匂いが取れた。今からもっかい刷り込む」


『最早堂々と刷り込む宣言されたんですけど』


「悟、じゃああのΩはどうするんだ?夜蛾先生もαだろ、運ぶのはキツい」


「そもそもそんな取れてないだろ。十分五条臭い」


『えっ、なんかやだ……』


「は??????」


…結局駄々を捏ねた悟に抱えられ、私が水の檻を独房に放り込んだ。
水の檻を床にぽい!して悟がダッシュでその区画から離れ、中庭のベンチに移動する。
ベンチでも横向きに悟の膝に乗せられて、またすりすりしてくるお猫様に小さく笑った


『そんなに気になる?匂い取れた?』


「んー…こう、香水の付けたてってあるじゃん?あのぐらいべとべとに匂い付けたい」


『それは香害では…?』


「良いの。α避けになる」


ぎゅうぎゅうに抱き締めてくる悟に笑った。α避けなんて、こいつは何を言ってるんだか。


『忘れたの?私は無性だよ、心配ない』


「…無性なのと虫除けすんのは違う話なんだよ」


『そういうもの?』


「そういうもの」


すり、と頬を寄せられやっぱり私はマタタビだったのかなと笑った。














運命の番、というものがαとΩの間には存在する。
遺伝子的に最も相性が良く、出会った瞬間にたとえ番が居ても、それを投げ捨てたくなる程に強烈に惹かれるものなんだとか。
とはいえそれは運命というだけあって、見付けるのは大変難しい。
例えるならば、そう。砂の中から一粒だけ違う形の粒を見付けるとか、それぐらいの難易度。
故にΩは憧れるのだ。
お伽噺の様なその確率に夢を見る。
眠り姫の様に、シンデレラの様に、迎えに来てくれる運命を夢想する。


「あ、五条さんだ」


「え!嘘!」


「きゃー!!かっこいい…!!」


教室で談笑していた女の子が、窓に駆け寄ってきゃあきゃあ騒いでいる。
五条悟。特級呪術師で、呪術界に於ける御三家の嫡男。
顔も美術品みたいに綺麗で、身長も日本人離れした長身。手足も長く、もう立っているだけで目眩がするほど綺麗な人。
当たり前だけど、α。


……ただ、性格に難アリではあるけれど。


そんな彼がふらりと一人で歩いていた。
珍しい事もあるものだ。あの人は何時もさしすせカルテットと呼ばれている内の誰かと一緒に居るのに。
最早歩くだけで人目を惹いてしまうのは、彼の定めなんだろう。
女の子達の声に振り向く事もなく、すたすたと歩いていき…突如彼は走り出した。
何事かと見ていると、正門方向から歩いてきた振袖みたいな綺麗な制服の女の子がやって来る。
五条さんはその子に長い足で駆け寄り、ぎゅうっと抱き締めた。
その瞬間、教室で悲鳴が溢れた


「いやあああああああ!!なんであんな女に!!!」


「あいつ出来損ないでしょ!?なんで!?」


「Ωじゃないでしょ!?あの女、無性なんだから!!」


────無性。
それは二年特進の一級術師を侮辱する時に良く出てくる言葉だ。
何でも彼女にはバース性がないらしい。
βという訳でもなく、ない。
性が目覚めていないのか、本当にないのか。その辺りは眉を吊り上げる彼女達にはどうでも良いのだ。


桜花刹那はバース性がない出来損ない。それが彼女達にとっての全てなのだから。


窓の外では、女性の平均身長ぐらいであろう桜花さんをぎゅうっと抱き締めて、五条さんはすりすりと猫みたいにくっついていく。


…ああ、道理で彼女、αの匂いがべったりだと思った。


ああやって丹念に塗り込まれているから、何時も濃いαの匂いがするんだ。
濃厚な、しかも威嚇する様なαのフェロモン。
彼女に近付くだけで背筋を嫌な汗が伝っていたけれど、それはきっと、五条さんがそういうフェロモンを擦り付けているからだ。
教室で桜花さんを睨む彼女達の様な存在を、少しでも遠ざける為だろう。


「私はΩよ!?五条さんの運命はこの私なのに…!!」


「はぁ!?私よ!!」


「あんた達の筈がないでしょ!私なんだから!!」


「はぁ!?」


急に起きたΩによる五条さんの運命立候補を横目で見て、また外に目を向ける。
五条さんは桜花さんを抱き上げて、またすりすりと顔を寄せている。
それから桜花さんの鼻先にかぷりと噛み付いて、笑った。
その笑みは甘く、優しく、包み込む様なもの。
それを見てまた騒ぐクラスメイトを尻目に、ふと思った。
鼻先を甘噛みに、自分の身体を擦り付けるのって、あれは狼の……












任務が終わり、今日のパートナーだった悟と共にカフェにやって来た。
悟が行きたいと言ったお店なのだが、店内の客に思わず首を傾げる。


『ねぇ悟』


「ん?」


『何故皆膝の上で食べてるんだろう?』


「そういう店だからだろ。此処のシフォンケーキ美味いんだって!行こうぜ!」


『あ、はい…』


不思議に思うものの、ウキウキしている悟を止めるなんて出来ず、席に着く。
たまたま空いていた一番奥の窓際の席は可愛らしいパステルカラーの水色のテーブルに、しっかりした椅子が一脚。
椅子の肘置きより高い位置に脚の細い丸テーブルがある。
……ああ、うん。私は悟の膝の上なんですね。はい。


「♪」


『ご機嫌だね悟。此処ってそんなに美味しいって評判なの?』


「それもだけど、匂いが取れる前にマーキング出来んの嬉しい」


『私はマタタビだったのかなぁ』


首筋に顔を寄せてくる悟の頭を撫でつつ、それとなく店内を見た。
同じ様に座る客は、男の人が女の人に食べさせてあげている割合が高かった。
中には女子高生二人だったり、男の人同士だったりもする。
あまり性別に縛りがないというか、そこまでして食べたくなるシフォンケーキなんだろうか。


「ホイップたっぷりシフォンケーキ二つと、コーヒーと紅茶」


「かしこまりました」


注文を終え、悟に寄り掛かる。
なんだかとっても嬉しそうな顔で私の髪を撫でている悟に首を捻った


『…何故そんなに喜んでいるのです…?』


「んー?かわいいなって」


『?……何が?お店?』


「んーん、刹那」


……にっこにこで言われた私はどういう反応をすれば良いのか。
悟は先に運ばれてきたハート型のチョコレートを丸テーブルに置かれていったお皿から摘まみ、私に差し出す。


『ありがとう』


「ん」


口溶けの良いチョコレートは甘過ぎず、美味しい。
それに口角を上げる私を見ながら、悟もチョコレートを口に放り込んだ。


「ん、美味い」


『美味しいね。にしても変わったお店だね、人を膝に乗せて食べるなんて』


「それが欲求満たすのに丁度良いからだろ」


『欲求?』


「ん。膝に乗せて、食べさせる。αがするとめちゃくちゃ満たされる行動なんだと」


『ふぅん……大変だねぇ、αも』


じゃあ彼等もそういう行動を外で取りたくなって、このお店に来たのだろうか。お世話してる方がαという事なの?
運ばれてきたシフォンケーキは一口サイズに切ってある。それを見て察した。
これはあれだ、αが食べさせやすい様にしてあるんだ。


「刹那、あーん」


『あ。…美味しい』


生クリームの乗ったシフォンケーキはふわふわで、口の中で溶けてしまった。
笑った私に嬉そうに目を細め、悟が視線でシフォンケーキを指す


「俺も食べさせて」


『良いよ。はい』


「あ」


形の良い口にフォークを差し出す。
ケーキを口にした悟は綺麗な目を輝かせた


「んまーい!!」


『美味しいね。これは食べに来たくなるわ…』


「刹那、口開けろ」


『あ』


お互いに口にフォークを運び、終始にこにこな悟に首を傾げる。
悟は機嫌が良い事が多いけど、こんなにずっと笑顔というのも珍しい。
サングラスを外しているから綺麗な顔が晒されたままで、周囲の利用客もちらちら此方を見ていた。
そりゃそうだ。性格を知らなければ悟はただの美人。知らぬが仏の具現化である。


「今失礼な事考えなかった?」


『気の所為じゃない?』


事実だし。
目を半開きにして凄む悟にシフォンケーキを押し付けた














ベッドに転がり、隣で私の髪を撫でている悟を見た。
すん、と鼻を鳴らすがやっぱり何の匂いもない。強いて言うなら柔軟剤とシャンプー、それから悟の匂いしかしない。
所謂フェロモンは判らなくて、悟の首もとに鼻先を押し付けて一度嗅いでみた


「なぁに?どうかした?」


『悟のフェロモン判るかなって』


「どうだった?」


『柔軟剤とシャンプーと悟の体臭がした』


「臭そうだしヤダ。悟の匂いって言って」


『悟の匂いがした』


「いい匂い?」


『ん。いい匂い』


「そっか。刹那もいい匂いするよ」


『フェロモン出てる?』


「柔軟剤とシャンプーと刹那の体臭」


『オイ』


「wwwwwwwwwwwwwwww」


私の首筋に顔を近付け同じ様に嗅いだ悟が爆笑して転がった。
仰向けになった男の隣に寝直して、前から気になっていた事を口にした


『悟はさ』


「ん?」


『運命って、信じる?』


運命の番。
αとΩの間に生まれる本能のつながり。
それを見付けると、仮に番が居てもそれを捨てて其方と結ばれたくなるのだという強烈な一種の呪い。
αである以上悟にも運命の番は存在するのだろうが、眉唾物だという意見も耳にする。
さてこのリアリストはどうなのか。
問い掛けてみると、じいっと蒼が此方を見つめて、それから薄い唇が動いた


「信じるよ」


あっさりと放られた肯定に、思わず目を丸くした。
意外だ。悟なら唾でも吐くかと思ったのに。驚く私を悟が笑う


「んふふ、そんなに意外だった?」


『悟なら“運命の番だぁ?んなモン夢見る夢子ちゃん系Ωが現実逃避したくて作った幻想だろ?”とか言うのかと』


「そんな生温くねぇわ。
運命の番だぁ?んなモン夢見る夢子ちゃん系Ωが王子サマが来るから、私は此処で待つの♡ってその場でなぁんにも動かなくなる為の丁度良い言い訳だろ?
オマエがその場で体育座りしてる間に出待ちしてる運命は他のΩと乳繰り合ってるけどな、とまで言うね」


『うわ、ひどい』


「…まぁ前まではそうだったかな」


その言葉にゆっくりと瞬きをする。


『今は違うの?』


「信じてやっても良いかなってカンジ?」


『めっちゃ上から目線』


「だって俺だし?」


運命にまで傲岸不遜なその態度を笑いつつ、俯せになり頬杖を着いた男を見る。
そしてチェシャ猫みたいな表情で此方を見ている悟に、一つの推測を口にした


『……もしかして、運命の番見付けたとか?』


「なんでそう思った?」


『リアリストな悟が意見を変えるなら、実際にそれを体験してるんじゃないかと思って』


悟は他人にはワガママで煽リスト、そして意地悪……性悪?取り敢えず敵を作りたくる。趣味かという程に敵を量産する。
私達には素直で可愛い寂しんぼ。たまに本気で憎たらしい男だが、基本的に合理主義な面がある。
だからこそ曖昧なものを信用せず、理論立てて全否定するタイプ。
そんなリアリストが意見を変えるなら、運命の番を実際に見付けたから、だと思ったのだが。
悟はぐっと頭を下げて、私の鼻先をあぐあぐと噛んだ。


『なんでかむの』


「噛みたくなった」


『歯が痒いの?生え替わり?』


「ガキか。これ好きなの。好きだからすんの」


『ふーん…良くわかんないですね』


「ポンコツめ」


『え、むかつく』


鼻を噛んだ男に少し乱暴にキスされた。












────ゆっくりと目を開ける。


鼻先を擽る華やかな香り。
濃厚に咲き誇る月下美人の芳香にゆるりと目を細めた。
すやすやと気持ち良さそうに眠る刹那のうなじに顔を寄せる。
誘う様に薫るフェロモンに顔を擦り付けた。


────入学初日、俺は運命を見付けた。


初めてだった。
Ωであろうと興味を持てなかった俺が、惹き付けられた。
欲しいと思った。相手も同じ様に、俺を求めてくれると思った。
けれどソイツは、バース性はないなんて抜かしたのだ。
俺と目が合ったのに。此方は一瞬で気付いたのに。
刹那は、俺を見ながらΩではないと……俺の運命ではないと、宣った。
悲しかった。寂しかった。辛かった。泣きたかった。
俺こそがオマエの運命なのに。俺にはオマエ以外居ないのに。


故に、苛立ちに任せてフェロモンをぶつけた。


Ωと番うには、ヒートに入ったΩのうなじを噛む必要がある。
だから、ヒートを強制的に引きずり出そうとした。オマエがそのつもりなら、Ωだと思い知らせてやろうと考えて。俺を認めて欲しくて。俺こそがオマエの唯一なのだと知らしめたくて。
その場でヒートに入れば直ぐにでも噛むつもりだった。…今思うと、最低だけど。


結局刹那のバース性が正常に働く事はなく、一年。


ただ、前よりは確実にバース性が機能し始めている。
これが証拠だ。最近刹那が眠りに落ちると濃厚に薫る様になったフェロモンこそが、Ωとして起き始めた本能の証明だろう。


「ゆっくりで良いよ。俺は待ってるから」


刹那は桜花という長年のストレスが軽減した事で、少しずつバース性も正常に働きつつある。
しかし精神的にΩを拒絶しているのか、その性が起きている間に表層に現れる事はない。ただ、こうして眠ると濃く薫る。
まるで昼間の分まで放出する様に、香るのだ。


…きっと、今フェロモンをぶつければ、刹那はヒートになる。


でも俺はそうせず、月下美人の香りに擦り付くだけ。
運命の番であると判っていながら、噛もうとしない。
閉めきった部屋で頭がくらくらしそうな程のΩのフェロモンに包まれて、うっとりと頬擦りするだけ。


きっと、俺も機能不全に近い部分のあるαだ。


普通なら、即座にラットに陥ってΩに噛み付いているだろう。
確かに番になりたい。
でも、今のべとべとに俺のフェロモンを付けた刹那に俺のαの本能は満足しているのだ。
それはきっと昼間に行ったカフェの様に、普段のマーキングの様に、刹那が俺の愛情表現を拒否しないからだろう。


番の居るΩはヒートに入ると、身の回りの事が出来なくなる程に性行為に勤しむ。


本能のままに交わったΩの世話を焼くのは、αの最大の愛情表現だ。
風呂からメシから何もかも面倒を見るというのは最初こそふざけんなと思ったけれど、いざ俺の運命を見てしまえば今すぐにでもやりたくなる事で。
つい番同士で利用するカフェに行ってみたのだけれど、まぁ楽しかった。毎日やりたい。うん、やろう。
膝に乗り、俺に身を任せる刹那が小さな口でシフォンケーキを頬張る姿は文句なしにかわいかった。
最初こそ抵抗があった様だが、流されやすい刹那は俺が楽しいなら良いかと考えたらしい。あのまま俺に世話を任せ、スイーツを満喫していた。
ついでに言うと鼻先を噛むのも愛情表現の一つだ。人によってやったりやらなかったりだが、狼の愛情表現とも重なるそれは、やるとめちゃくちゃ心が和む。
給餌に甘噛みに、マーキング。
つまりコイツは、俺の愛情表現を全部受け入れているのだ


「良かったね刹那、俺が不完全なαで。そうじゃなきゃオマエ、今頃喰われてるよ」


一等匂いの強いうなじにすりすりする。気分はヤクをキメてる特級呪術師。今なら特級五体でも指一本で消し飛ばせそう。


冷静に考えると、俺は運命を噛まないα。
ヒートに持ち込むチャンスを棒に振る腰抜け。
ヒートテロに遭っても臭いとは思えど発情はしなかった。


そもそも俺は俺でセックスを五条悟二号生産の儀式としか思えないので、普通に交尾が嫌。
セックス自体が気持ち悪いので、不特定多数のオトモダチ(意味深)の居る傑とはそういう点では解り合えない。
だからだろう。運命の番が自らΩであると受け入れられる様になるまで、俺の中のαの本能はのんびり待つ気で居るのだ。
いやオマエ気が長いな?おれびっくり。
普通なら「我慢出来るか!噛む!」とか言いそうなのに、俺の本能は「ああ、まだ眠いの?じゃあ起きるまで待っとくわ」ぐらいのぐうたらである。αとして失格。ウケる。


「愛してるよ刹那。覚悟が出来たら番になってね」


αとは愛されたがりな生き物だ。
愛したくて、愛されたい。
特に奇跡とも言える運命の番に会ってしまえば、どうしたってその人に愛されたくて仕方がなくなる。


刹那は俺が求める愛を、与えてくれるのだ。


逆に言うと、今出来る限りで返してくれるから、強制ヒートなんて強姦事件が起きていないとも言える。
可愛い番を抱え直し、目を閉じる。
今度は起きている時にうなじを噛んでみようか。それで少しは、恥ずかしがればいい。
俺に毎日愛情表現をされていると気付いて、死ぬ程照れてしまえばいい。











何時かを夢見る











刹那→無性(Ω)
売られたショックと桜花の虐待によるストレスと呪術師としてのストレスで心と身体のバランスを崩し、バース性が目覚めていない人。
桜花のストレスが軽減された事で、ちょっとずつ正常に働きつつある。
バース性がボイコットをしているので鼻は利かない。フェロモンは嗅ぎ取れない。なのでヒートテロも水洗いして片付ける猛者。
でも最近、五条からバニラみたいな良い匂いがする。とても好ましい香りである。





因みにΩだと自覚するとまた一悶着起きる。


五条→α(α+ぐらい)
一目見て運命だと気付いた。でも気付いてもらえなくて寂しくてやらかした当時人間歴何日の男。
それからのんびりと番がΩだと自覚するのを待っている。月下美人の芳香に包まれてゴロニャンするのが好き。
気が長いα。ただし五条からの愛情表現を刹那が拒否すると直ぐ様強制ヒートルート()になってしまうので、注意が必要。
刹那がのほほんと暮らせているのはこいつのべっとべとにくっ付いたフェロモンのお陰。
圧が凄くてまず近付けない。無性という世界の仲間外れを研究したい輩もこいつが怖くて手を出せない。
この二人はIFならすぐ付き合えるのに、呪術がベースになると一気に恋愛難易度がルナティックに突入する。なんでだろうね。


夏油→α(α+ぐらい)
刹那への五条の動きはどう見たって求愛行動なので、αのフェロモンを当てて強制的にΩにしようとしているのかと怪しんでいる。
娘がΩであっても娘なので襲う事はない。鋼の理性。


硝子→α
多分刹那は五条のΩなんだろうなと察している。
だって露骨に求愛してるし、Ωのヒートテロを食らった五条は先ず刹那にフェロモンを擦り付けていたから。
自分のものである、と主張していた様にも見えたし、浮気してないよ!とアピールする雄にも見えたので、刹那のバース性はΩなんだろうと思っている(正解)
そもそもαであれば別のαからの匂い付けなんて許せない。βであればαの匂いにどうしたって恐怖を抱く。
そこから考えても刹那の寝坊助バース性はΩであると推測した(大正解)
娘がΩであっても馬の骨からは護り抜く所存。切れ味の良いメスを買った。




月下美人の花言葉「艶やかな美人」「儚い美」「秘めた情熱」「強い意志」「たった一度だけ会いたくて」


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