逃げられない(逃げる連打)

近年は随分な豊作である、とは呪術界の上層部の言葉だった。
優れた術式を持つ者、豊富な呪力を宿した者。そして何より、女の生徒が多い事。


────最近、女子生徒が姿を眩ます事が増えていた。


呪術界に於いて、女というだけでその人生は軽視される。
優秀な術式と豊富な呪力があれば最上級の孕袋、どちらでもないのなら次世代の為の胎。何れにしても上層部の人間は、女性を子を成す為の道具としてしか見る事はない。
そしてそれは、特進クラスに属する彼女らも同じ事だった。


『なんでさ、何で最近私を抱えるの…?私はとうとう地を歩く権利すら剥奪されたの…?』


「その短ぇ脚で歩かなくて済んでんだ、ありがたく思えよ」


『謝れ五条悟。じゃないとお前の部屋にメントスコーラが降臨するぞ』


「んな事したらオマエの部屋カエルまみれにすんぞ」


『ヒョッ』


「ぶっは!!…やんねぇからんな顔すんな」


職員室に居る夜蛾の見る先、伽藍とした廊下をひょろりとした影が歩いている。
その影からは二人分の声。何故なら五条が桜花を抱き上げて歩いているからだ。


桜花刹那と家入硝子。
二人も上層部から最上級の胎盤として認識されていた。


液体を操る術式を持ち、その豊富な呪力を使えば雨天時に限り特級すら祓えるだろうと期待されている桜花に、反転術式を他者に使えるという希少性を持つ家入。
現に二人の許には毎日の様に釣書が届き、別校舎の男子生徒が仄暗い目を向ける。


『ねぇ、抱える側からしたら首に手を回して貰った方が良いの?』


「別にどっちでも良いわ。いきなり聞くとか何観たのオマエ」


『カリオストロ』


「あー。まぁ走る時は首に掴まってた方が運ぶ側は楽だよな。荷物が安定してりゃ無駄な事気にしなくて済む」


『荷物言うな。じゃあ走る時はそうするね』


「知ってる?それフラグって言うんだぞ?オマエ抱えて走る予定作んな」


『がんばえー』


「捨てんぞ」


別校舎で学ぶ女子生徒が行方不明になる件を受け、また以前桜花が拉致されかけた事もあり、五条と夏油が同級生である二人の護衛に本格的に力を入れ始めた。
常に桜花、家入と二人一組になり、どちらかが任務で外す時は必ず片方が付く。桜花の任務も五条か夏油と組むものに限られ、どうしても男子二人が同時に任務に出る時は、女子は二人で固まっていた。それも無理そうなら残ったどちらかが職員室に預けられた。


彼女達は、一人で居る事がなくなった。


五条に至っては最早歩調を合わせるのが面倒になったのか、それとも己が抱えた方が安全であるからか、桜花を抱えて歩く事が増えた。
最初こそ全員が目を丸くしていたものの、夏油は成る程と頷いていたし、家入は私にはすんなよと呟いて終わった。良いのか、それで。
桜花は降ろせと騒いだものの、回数が嵩めば諦めたのか、今では五条の肩に頭を凭れさせて脱力している。本当に良いのか、それで。


『あ、今日のご飯当番悟じゃん。何すんの?』


「カップラーメンで良くね?」


『めんどいからって露骨に手抜きやめよ?…じゃあシチューにする?』


「手伝ってくれんの?」


『シチューを?皮剥いて切って煮込むだけだぞ?ちゃんとルーも買ってあるよ?』


「俺ハンバーグも食べたい」


『………………』


「ハンバーグも食べたい」


『………………』


「ハンバーグも食べたい。ハンバーグだってばねーねーねーねー!!!!」


その場で止まって交わされるのは今日の献立についてらしい。
男子二人は食事に毒を盛られ、おまけに盗撮までされていた同級生を高専の敷地内に(強引に)建てた家に住まわせている。
それ以前も五条の部屋でルームシェア状態になっていた四人は、一軒家に引っ越して生き生きしている様に思えた。
やはり信頼している存在のみの環境は疲弊した精神に良かったのだろう。顔色の良くなかった家入も最近は穏やかな顔をしているし、遠い目をする事が多くなっていた桜花も笑う事が増えた。
二人を守っている五条と夏油も楽しそうな顔をしている事が多い。
あまりにも目に余る問題行動の所為で別校舎となってしまった同級生からは孤立してしまっているが、それ故に彼等四人の絆はより深まっている様に思えた。


『…ああもううるさい!!!玉ねぎのみじん切りはしてよ!?』


「はーい!刹那ちゃん愛してる!」


『はいはいありがとー』


「オイこの俺が愛してるって言ってんだぞ?もっと喜べや」


『こんなに堂々とした愛の押し売りとかやだ。もっと控えめに捧げろよ。自分に自信あり過ぎて無理でーす』


「んだとチビ。俺より良い男が居んのか?あ?言えよオイ、あ゙あ?」


『いやあああああああああああああああ』


…その場でぐるぐる回り始めた五条を止めるべきかとか、男女の距離感が些か可笑しくないかとか、きゃあきゃあ騒いでいる声が響いているとか、色々と指摘するべき事が多いという事に気付いて夜蛾は席を立った。










それは実技演習が終わり、ジャージから制服に着替えようと思った時の事。
不思議な事態が起きているのに気付く。


自分の席に置いてあった筈の制服が消えていた。


『……硝子、私の制服知らない?』


「私もないんだけど」


『えーマジか。もしかして盗まれたとかじゃないよね…?』


「それもう私ら此処通えなくなんね」


『ほんとそれ』


冷静にうげって顔をする硝子と虚無る私。
これで制服知らない奴に盗まれてたら、普通に泣くぞ?
誰とも知れぬ奴の手に渡った制服とかやだよ。何されたか判んないし、買い換えないといけないじゃん。
いや知ってる奴でも嫌だな?悟とか傑の部屋にあっても嫌だな?
取り敢えず汗とか埃付いてるし着替えたいなーと思っていれば、ガラッと扉が開いた。
硝子と共に音の方に目を向けて、固まる


「桜花刹那でぇ〜す☆」


「家入硝子でぇ〜す☆」


『「」』


急募:同級生(男子)が女子(自分)の制服着てキメ顔でダブルピースしてきた時の対応










夜蛾正道は困惑していた。
ニコニコしている男子二人と、遠い目をしている女子二人。温度差が酷い。
そして全員の格好も凄い。


「……悟」


『ハーイ』


「……刹那、大丈夫か?」


「大丈夫でーす☆」


満面の笑みでシャツの上から肩出しの学ランを着て、プリーツの入ったショートパンツを履いた五条を取り敢えず問い質そうとすれば、何故か虚ろな目の桜花がぎこちなく返事した。
その桜花は華奢な身には明らかに大きな学ランを着て、床に付く長さのスラックスを履いている。おまけに見え過ぎる目を隠す為のサングラスまで鼻に引っ掛けていた。ずれたサングラスから覗く目が死んでいる。
夏油は五条と同じく笑顔で小さめの学ランと女子のスカートを履いているし、家入は桜花と同じく死んだ目でオーバーサイズの学ランに床に付くボンタン姿。
女子の目の死に具合と男子の滲み出る悪ノリ感に、取り敢えず夜蛾は察した。


「刹那、硝子、誰の仕業だ?」


念の為に問えば、キョンシーの様に袖で見えない手は、しかし確かに其々が身に纏う制服の持ち主を指差した。
はい有罪。


「なぁ凄くね?刹那のショーパン短過ぎてパンツ見えそう」


「それは悟が高い位置で履いてるからだろ?腰じゃ履けないの?」


「腰はキツいわ、骨で引っ掛かる。だからそこのちょい上で履いてる。…こいつマジで細いな?折れねぇ?内臓入ってる?
袖もさぁ、ベルトギリギリなんだよな。こいつ余裕で着けてるよな?骨か?」


「まぁ両手で掴めそうな腰はしてるよね。腕はほら、刹那って筋肉ないから」


「うっわオマエそんな目で刹那の事見てんのかよ。趣味悪っ」


「いっつもそんな目で刹那を見てる悟には言われたくないかなぁ」


「見てねぇわ!つーか傑、スカート似合わねー!!それちゃんと穿けてんの?」


「悟もな!実は立ち上がったら脱げる!!」


「露出狂かよ!!!」


男子はゲラゲラ笑っている。
夜蛾は静かに拳骨を握り締めた。










『んー』


冬というのは肌が乾燥する季節だ。
私は特に唇が荒れるので、リップクリームが手放せないのである。


「どしたん?」


『そろそろ新しいリップ買わなきゃなぁって思って。硝子って何付けてる?』


「私色付きのヤツ。ちょっと顔色悪くても誤魔化せるから便利」


『いや顔色悪いなら休みな?今日もクマ居るよ?』


「解剖とかやった事ない症例とかさ、つい夢中になるよね」


『マッドじゃん』


「呪術師なんて皆イカれてんだろ」


『確かに』


ポーチから鏡を取り出して、白いキャップを取る。全幅の信頼を寄せるメンソなレータムのリップクリーム。塗った後はメンソールの清涼感が残るのでお気に入り。
ちょっぴり荒れている唇に塗っていれば、教室の扉が開いた。


「お疲れー」


『お疲れおかえりー』


「ただいま、良い子にしていたかい?」


『してたー』


「してましたよママーお土産は?」


「私は二人も産んだ覚えはないんだけどな。硝子が禁煙出来る様にキャンディだよ」


『あれ、まだ私言ってないのに』


「どうせママって言うだろう?だから数に入れておいた」


『マジか』


「うえー、甘いヤツじゃん」


ニコニコしている傑が硝子の前に明らかに甘い飴を置いたのを見ながら笑う。これ絶対悟のじゃん。しかもこの間コンビニで買ってた。
ママって呼んだから嫌がらせしたな。
ケラケラ笑っていれば傑が私の机にも袋を置いてくれた


「はい、刹那はこれね」


『ありがと傑!今回って和歌山だっけ?…わ、美味しそう!』


箱に詰めてあったのはかげろうというクリームをサンドした洋菓子だ。美味しそう。
早速個別包装のお菓子を硝子に渡し、傑にも渡す。


『皆で半分こー!ありがとう傑!はい、これ硝子の分ねー。はい、傑もどうぞー』


「ありがとー。…すぐるー、私のおみやげはー?」


「ふふ、私にもくれるの?ありがとう。
これ、刹那が好きそうだったから。悟に残りを全部取られない様にしなよ?
…はい、硝子のはこれ。とろ煮まぐろ。つまみ系好きだろ?」


「わーいありがとー、今夜食べるー!」


『いや流石に全部は……全部は…取らない…よね?』


十個入りが二箱だったので、一人当たり五個。早速硝子と傑に分けたから残りは十個。…いやいや、幾らあの甘党でも私のを全部は取らないだろう。
悟の分を机に並べていそいそと箱を片付ける。硝子は早速かげろうを一個食べていた


『傑、怪我しなかった?』


「ああ。今回は森に出た一級呪霊だったけど、それなりに使えそうだし、和歌山も楽しかったよ」


『そっか、お疲れ様。口直しにハイチュウあげる』


「おや、ありがとう」


ふはっと笑って傑は私の頭を撫でた。
前から思ってるんだが、傑は私を幼女か何かだと認識していないだろうか?
めっちゃ扱い方が小さい子なんだが。組手の時にタオルとか飲み物とか用意してくれるし。
傑と歩く時も、私が迷子にならない様に手繋ぐしな。…あれ、私は幼女だった…?


席に戻り、中断していたリップ塗りを再開する。
縦に動かして塗り込んでいれば、がらりと扉が横滑りした。
其方に目を向ければひょろりとした影が目に入る。見慣れたそれは、確か夜に戻ると聞いていたのだけど


『お疲れおかえりー。めっちゃ早くない?』


「お疲れ、悟。帰りは夜って聞いてたけど随分早かったね」


「お疲れー」


「たでーま。雑魚だったからとっとと祓ってとんぼ返りしたんだよ。此方のがゆっくり出来るし。家に土産置いてきたから、帰ったら冷蔵庫見ろよ」


『はーい、ありがと。おみやげ何だろうね』


「ありがとー。美味しければ割と何でも良いかなー」


「ありがとう。悟に前喜んでたてまりみかん買ってきたよ」


「おーマジか。ありがとな」


がたん、と隣の席に座った悟は机を見て、私を見た


『それ、傑のおみやげ』


「ありがとな。あー、移動が疲れる…あんな雑魚常駐の奴にやらせろよ」


「そんなに弱かったの?」


「一級。土産選ぶ時間のが長かった」


それはそれで非常に周りを煽る発言である。私も最近一級になったけど、相性的に手こずる時もある。
それを雑魚扱いとは、今は同じ階級ではあれどとことん格が違うなぁと思うのだ。
苦笑する私の顎が掴まれ、ぐいっと横に向けられた。
何事かと目を丸くした私を、何時の間にかサングラスを外していた悟がじっと見つめてくる。


『え、なに?』


「何塗ってんの?色気付いた?」


瞳孔開いてるねどうした???


『何って、リップクリーム。冬は唇荒れちゃうから』


これ、と手に持ったスティックをヒラヒラさせる。今更ながらこの青と白のカラーリング、悟に似てるな。
じいっと宝石みたいな透明度の高い瞳が私の唇を見たかと思えば、ぐいっと親指で下唇を拭われた。
……いや、なんで?????


『おい今塗ったんですけど?何故拭った?』


勿体無い。あとそれベタベタしない?
意味が判らず首を傾げる私の前で、親指が移動する。それが薄く色付いた唇に近付いて────真っ赤な舌が現れた。
そして、ぺろり、と。


「うえ、変な味する」


顔を顰めた悟に傑が宇宙猫を背負った。
硝子はないわーとドン引き。
私は取り敢えず、困惑している。
え、なんで?????
なんで舐めた??????


『……なんで舐めた?』


「甘そうだったから」


『何が?』


「オマエの唇」


ガン、と傑が机に突っ伏した。
硝子はそっと窓の外に顔を向けた。
私は逃げられない。顎がまだ捕まっているのだ。
逃 げ ら れ な い(逃げる連打)


『疲れてるのかな?かげろう食べる?あ、リップ塗ってあげるよ』


「別に良いけどオマエどうした?」


『お前がどうした???』


突然同級生の唇を拭ってリップを舐めるとか事案である。
相当疲れたのかな、と思いつつリップを悟の薄く色付いた唇に塗る。
なんか塗らなくても良いんじゃない?というレベルでツヤツヤぷるぷるな唇だが、其処に透明なリップを丁寧に乗せていく。
…うわ、うっすら唇開けてる顔が綺麗。睫毛ばっさばさ。キス待ち顔っていうのをしれっとやる辺りこいつはあざとい。
ほんと喋んなきゃ人形みたいだ。喋んなきゃな。
……そういえば何で私は悟にリップを塗ってるんだろうな?
テンパって変な行動取るのをやめろとあれ程…


『出来たよ。んーってして』


「んーっ」


『そうそう。…メンソール効いてるヤツだけど、どう?』


言われるままに動きを真似した悟の唇がつやぷるなのを確認して、感想を問う。
何度か女顔負けの艶々した唇を合わせてから、んー、と悟は唸った


「次は甘いのが良い」


『………甘いのを自分で買いなね』


「あ?オマエのを塗れよ」


『えええ、やだ…』


というかこのリップ、どうしよう。
悩んでいればむすっとした悟に無理矢理リップを塗られた。


「とっとと使いきれ」


……だからなんで?????







小宇宙は何処




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