────地獄だった。
五歳で買った他所の子を慈しむでもなく、呪術師の何たるかをひたすらに叩き込む家。


初潮が来たと気付かれた時には自身の性を呪った。


下卑た男共の視線が気持ち悪かった。
毎日毎日舐める様な視線を向けられ、時には物陰に連れ込まれそうになって。


……逃げなければ。
そう、思った。


此処に居ては私は死んでしまう。
私という人格が、殺されてしまう。


逃げる為、呪術高専に進む事を選んだ。
そうでなければきっと、今頃何処ぞのジジイの妾にでもされていたかも知れない。


『…はじめまして、桜花刹那です』


教室に居たのは二人の男女。
席は決まっていないのか、横一列の端を取ったらしい彼等に愛想笑いを浮かべて挨拶すると、女の子の方はひらりと手を挙げて、男の子の方は笑って会釈してくれた。


「家入硝子。女同士仲良くしよ」


「夏油傑だ。よろしく」


うわー生家入硝子と生夏油だ。
家入さんの隣に座り、正面を見る。


……何を話せば良いんだろうか。


良く考えると私が前世の記憶で何とか覚えているのは二年と三年の彼等だ。しかもエピソードの一部。
それだけじゃ全部知っているとも言えないし、そもそも生きている彼等は紙面のキャラクターとは違うだろう。


…というか私、友達作った事ないのでは?


だって売られる前も近所に歳の近い子は居なかったし。五歳以降は言わずもがな。
流石に前世の時は居たが、それはきっとノーカンだ。
隣を見ると、家入さんは頬杖を着いて此方を見ていた。
……ええい、ままよ。
目が合ってるんだそのまま行け!!


『……あの、ごめんなさい。何とお呼びすれば…?』


「ん?好きに呼びな。でも仲良くなりたいから、名前が良いな」


『はわ…では、硝子……ちゃん?』


「ちゃん付けすんなよ。よろしく、刹那」


……はじめての、ともだちだ。
自分でも良く判った。死んでいた表情筋が水を得た魚の様に活動を始める。
余程喜びが顔に出ていたのか、家入さん……硝子は私を見て目を瞬かせると、くすりと笑った。


「随分可愛らしいのが来たな。楽しく過ごせそうで良かった」


『……私も。へへ、綺麗な子がクラスメイトで嬉しい』


唯一の同性が優しそうで良かった。
安堵と共に笑みを浮かべると、少し遠くから視線を感じた。
其方を見ると、夏油くんが微笑んで此方を見ていた。


『……夏油くんも、差し支えなければ仲良くしてね』


「差し支えって、面白い事を言うね。此方こそよろしくね、刹那。硝子もよろしく」


『ん?名前?…じゃあ私も傑とお呼びしても?』


「ああ。君達は何だか仲良く出来そうだから」


…言い方に何となくだけど嫌味が。
うっすらと感じ取ったそれに硝子も気付いたのだろう。僅かに怪訝そうな顔になった。


「そういえば、此処は四人スタートなんだっけ?」


『隣のクラスは沢山居るのにね』


「彼方は基本スカウト。んで、此方は現時点である程度術式に慣れてる奴、なんだと。後から彼方と同じ様に人数を均等にする予定だけど、一旦はこれでいくらしい」


「へぇ、何でわざわざそんな事を?」


傑が問うと、硝子は私の隣の空席を指差して言った


「“五条の至宝”に万が一がない様に、だろ」


「五条の至宝?」


「なにお前、知らないの?」


「私はスカウトだから」


「だからか。刹那は?」


『私は術師の出だから粗方判ってるつもり』


とはいえ本当に基本だけだが。
頷いた私から傑に目を移すと、硝子は簡単に説明をしてくれた


「呪術界には御三家ってデカい家がある。加茂、禪院、五条の三つ。
今回は五条の歴史の中でもヤベェ奴が入学するってんで、特別シフトになってんの」


「その五条くんは…どういう人なんだい?」


「さぁ?ウン百年振りの六眼と無下限呪術の抱き合わせって話しか聞かないな。刹那は?」


『私もその程度しか』


原作通りならクソガキですね。
息をする様に人を煽る後の呪術師最強ですね。何で席隣なの?とても嫌です。
一年の五条悟とか爆弾じゃん。夏油傑の矯正入ってない状態でしょ?無理。
そもそも私もスカウトクラスが良かったなぁ。てか呪術界って人手不足なんじゃなかった?
何で二クラスは作れる人数なんて居るの?


三人でそのまま話していると、教室の扉が開いた。


うわ、五条悟か?と正面に目を向けて


「ヤクザだ」


「素直過ぎないか、硝子。思っても言っちゃいけない事もあるんだよ」


『待って。先生……先生?こっち見てる』


「疑問符を付けるな。お前達の担任になった夜蛾正道だ」


めっちゃヤクザ。
剃り込み入れた教師とかアリなの?怖くない?あの顔で可愛いを作るの?
先生は私達を順に見ると、私と傑の間の空席を見て溜め息を吐いた。


「五条悟は?」


「さぁ?」


「見てませんね」


『欠席ですか?』


「欠席という連絡は来ていない。寮の部屋には居る筈だが……」


先生がそう呟いた丁度その時、背後の扉ががらりと横滑りした。
全員の視線がそちらに集中する。
注目されているそいつは、スタスタと空いている席に近付くと、ガッタンととても喧しく着席した。
はーーーーーーー帰りたい。


「……悟、七分遅刻だ」


「あぁ?馴れ馴れしいなオッサン。誰?」


ただのヤンキーじゃんこわ。
そっと目を逸らす。
思いっきり硝子と見つめ合う羽目になったが許して欲しい。
前世でも今生でもヤンキーなんて縁がないのだ。普通に怖い。


「夜蛾正道、お前達の担任だ」


「へぇ……んで?コイツらは?」


凄く視線を感じる。とても嫌。
しかしシカトも態度が悪かろうとそっと顔の向きを戻し、隣を見る。
めっっっっちゃ見てるじゃん。帰りたい。


『……桜花刹那です。よろしく』


「桜花?……ああ、禪院の」


「家入硝子。よろしく」


「ふぅん……オイ、前髪。オマエは?」


もういや。前髪気にしてる人に前髪って声掛けた。逃げたい。
室内も心なしか温度が下がり、気配に鋭いのだろう硝子がそっと椅子を引く。
完璧に逃走準備だ。私も倣う。


「人に名を訊ねる時は先ず自分から。そんな事も知らないのかい?」


「…………ぁあ?」


先生、止めて。
それか逃がして。私達を逃がして。
私と硝子の願いが通じたのか、先生が拳を握って二人に近付いた。


「やめんか馬鹿共!!」














顔合わせを終えた私達は、互いの実力を知るという名目で組手を命じられた。
勿論女子は女子と組む。
つまり、男子は男子同士で組むという事で。


「なんだあいつら空気悪っ」


『目ぇ合わせたら絡まれるよ』


ヤンキーの抗争一歩前みたいな空気感の男二人から距離を取る。
ぶっちゃけ私達は組手を放棄している訳だが問題ないだろう。見張っていない先生が悪い。


「そういや、人に名を訊ねる時は先ず自分から、とか言ったっけ?」


真新しいジャージに身を包んだサングラスの男がにんまり笑った。
ああいやだ、嫌な予感しかしない。


「ハジメマシテ、五条悟デス。
なぁオマエ、変な前髪してんな何それアンテナ?
それともそれ引いたらくす玉みてぇに頭割れんの?」


ほら見ろ煽った!!!
アイツまた前髪弄った!!!!
最早ドン引きである。硝子もまたか、と顔を顰めていた。
にっこりと微笑む傑が、ゆっくりと口を開いた。


「ハジメマシテ、夏油傑デス。
組手の授業でサングラスを外さないなんて、よっぽど余裕があるのかな?
君、白いからそれ掛けてるとパンダみたいだよ」


「……へぇ?初めて見た、こんな馬鹿。
呪霊操術ねぇ、操り人形取り巻きにしてオーケストラの指揮者気取りか?ダッセェの」


「へぇ、もしかして君の眼は術式が見えるのかな?だとすれば節穴だな。
人の術式を額面上でしか捉えられないのなら、そんな眼抉り出してピンポン玉でも入れたらどうだい?」


『退避。退避しましょう隊長』


「そうするぞ隊員」


もうこれ以上は見なくても判る、乱闘だ。
私達がさっさか逃げ出したあと、五条と傑はやっぱり校庭をブチ殺しあそばされた。
その後罰として二人で任務に行ったのだが……何故か仲良くなっていたのである。
おとこのこってふしぎ。












机の上に並べているのはチロルチョコ。
今日の気分的にどれにしようか悩んでいると、隣からめちゃくちゃ視線を感じた。
そーっと隣を見る。


……めっちゃ見てるじゃん五条悟…


え、なに?どうした?
私なんかした???
困惑しつつ隣を見ると、五条が机の上をちらちら見ているのに気付いた。
…もしかしてチロルチョコ?チロルチョコ欲しいのか?
お前サングラスしてる癖に視線がうるさいな???


『………チロルチョコですが』


そっとミルク味を指先で押し出してみる。
すると、じいっと此方を見つめてから、白い指が牛柄の四角形を持っていった。
かさりと包装が開かれて、チョコレートが綺麗な形の口の中に放り込まれた。
暫く咥内で転がしているかと思えば、五条は急にばっとサングラスをずらした。
えっ、なに?こわ。
真っ白な睫毛に覆われた蒼がじいっとチロルチョコの包装紙を凝視している光景が大変シュール。
なんなんだこいつと思いつつ机の上に目を戻すと、若干乱暴に肩を叩かれた


『えっ、はい?なんです?』


「なぁこれ初めて食った。安っぽい甘さなのに美味い。なにこれ?何処売ってんの?」


『えっ、全国のあちこちですけど』


「全国?取り寄せ?」


『待って。ごめんね?やめて?チロルチョコ取り寄せはやめて????』


関わりたくないからって適当に返してごめんね?取り寄せなくてもスーパーにあるよ。
お詫びに机の上のチロルチョコを見やすい様に並べ直した。


『……好きなの、ある?』


「……味がワカンネ。どれがどの味?」


…この反応はもしや、チロルチョコ初体験?嘘でしょ?高級菓子オンリーなの?
真剣に四角いチョコを見ている五条をからかうのも憚られ、素直に説明する事にした。


『いちごと、アーモンドと、ビスケットと、きなこと、コーヒーヌガーかな』


「コーヒーヌガー?」


『甘いコーヒーみたいな感じ』


「ふぅん……」


じいっと見ているのはビスケット味。
それをそっと押してみると、ぱちぱちと大きな目が瞬いた


「…くれんの?」


『どうぞ。美味しいよ』


「…………………借りは返す」


真面目くさった顔で言われ、堪らず噴き出した。借りって、チロルチョコが随分重いな?


『武士か。そんなのありがとうで十分だよ』


笑いながらそう返すと、五条は何だか不思議そうな顔で私を見ていた。
手許のチロルチョコを見て、それから私に目を戻すと、ゆっくりと口を動かす


「あー………アリガ、トウ?」


『ふふ。どういたしまして』


…いや待て五条悟予想外に機械っぽいな???











「刹那、今日何持ってんの?」


『ん?今日はね、ホワイトアンドクッキーあるよ。オススメ』


「くれ」


『ほい』


「アリガトウ」


チロルチョコで五条の至宝が懐いた件について。
隣に座る五条に白と青のチロルチョコを渡していると、硝子が不思議そうに首を傾げた


「あんたら何時の間に名前呼びになったの?」


『今初めて呼ばれた』


「?…だって夜蛾も傑も硝子もコイツの事刹那って呼んでんじゃん。だからそうしたんだけど、何か悪いの?」


「私もかよ。良いけど」


『まぁ名字は好きじゃないからオッケーかな』


「じゃあオマエらも俺を下の名前で呼んで良いよ」


『あ、はい。そうします』


「私は男は名字呼びする主義だから」


桜花なんて百害あって一利なしである。なので名前呼びで全然オッケー。
異性の名前呼びも抵抗はないので大丈夫。
…ただ何というか、意外だとは思っている。


五条悟がクソガキじゃない件について。


確かに態度は悪い。
でももっとヤバいのかと思ったら案外普通というか、なんだろう…機械っぽい?幼い?
知らないから興味津々、みたいな気配が凄いのだ。
そして多分、その興味が現在私の持つお菓子に注がれている


『そういえば傑は?』


「知らね。何か知らねぇ奴に捕まってたぞ」


「告白か?」


『あー…傑、モテそうだもんね』


私のポケットに手を突っ込んでお菓子を漁るこの坊っちゃんどうしてくれよう。
女の子のポケットは秘密がいっぱいなんだぞ。漁るな。おいそれはリップだ出すな。喉が渇いた時用の百円を出すな。飴を盗むな。それは暗器だ危ないから返せ


「刹那、嫌なら嫌って言いな」


『やめなさい悟くん。女の子のポケット探るのはやめなさい』


「なんで?なんか色々入ってて面白ぇんだけど。菓子と暗器が一緒に入ってんのウケる」


『プライバシーって知ってる?』


「護んなくても平気なもの」


「護れよ。何言ってんだお前」


「お菓子箱かよオマエ。めちゃくちゃ持ってんな」


『……まぁね。癖だね』


こういう物を忍ばせておかないと、桜花では食事抜きなんてザラだったのだ。頭が回っていない呪術師を待つものなんて死のみ。
それが嫌で、こういう小さなお菓子を持ち歩く様に心掛けていた。


…そっか、もう此処では自由なんだ。
桜花は関係無いんだ。


そっと息を吐く。
こんな癖、早く直さなきゃ。
五条はふぅん、と呟いて、盗んだ飴を口に放り込んだ


「その癖、直すなよ」


『え?』


「菓子が切れたらオマエから貰う。だから直すな」


……心を読まれたのかと思った。
目を丸くする私に構う事なく、悟はチロルチョコを積み始めた。自由だなこいつ。


「俺の術式、頭クッソ回転させなきゃいけねぇの。だから糖分が必要になる。頭疲れっから」


『そうなの?』


「そうなの。だから、オマエから貰う。これ決定な」


「刹那、嫌なら嫌って言っとかなきゃこういうタイプは付け上がるよ」


「あ?オマエさっきから何なの?俺刹那と話してんだけど」


「断るの苦手そうな女子からカツアゲしてる男が何イキってんだタマ潰すぞ」


「『えっ』」


図らずも悟とリアクションが被った。
え?硝子ちゃん??そんな綺麗な顔で凄い事言わなかった???
目を丸くする私と、その台詞にビビったのか私の背後に隠れた悟。おい女子を盾にするな


「え?…女ってこんな強いの?刹那?女って皆こんななの?オマエもこんななの?」


『個人差がありますよ』


「チッ、デケぇのは図体だけかよ。人の事ゴリラみたいに言ってんじゃねぇぞ」


「ゴリラの方がオマエより可愛い」


「は???????」


「刹那、せつな。むり。あんなの始めて見た。むり。メスゴリラだ。助けろ」


『あんたは終始失礼だって気付きな?』


人の身体をがっしり掴んだ男が吐くのは煽りワードだけである。馬鹿かな?
私の肩越しに硝子を見ているらしい悟は、硝子と目が合うとぴゃっと背中に隠れた。
なんだこのデカい幼稚園児。


『硝子、次の授業どうする?』


「体術だっけ?適当にやろ」


『はーい』


「え、女子ダラダラやっちゃう感じ?弱いのにサボんの?死にてぇの?」


『そろそろ殴っても許される気がしてきた』


「全然オッケー」








僕らはまだ愛想笑いを浮かべてる








刹那→まだ記憶が“ある”状態。
桜花から逃げてきた。五条がクソガキどころか幼児で困惑。
チロルチョコは無敵だった…?

五条→五条から逃げてきた。
人間になって生後数日。ほぼ機械。全方位煽りマシーン。
チロルチョコを初めて食べた。

硝子→凄く気が合いそうな女子がクラスメイトになった。

夏油→無礼な白髪パンダと殴り合いした。

初めの一歩


/top