※呪術長篇「歴史の授業?いいえ、友人のお家事情です」からの一ヶ月の中の話
それは傑と共に任務に赴き、高専に戻ってきた時に現れた。
「やっ、刹那ちゃん」
『……………どうも?』
誰??????
黒い短髪に切れ長の双眸。恐らく歳上。着物姿の彼に何処かで会ったかと考えるが覚えはない。
ちらりと此方を見下ろした傑に小さく首を振ると、胡散臭く微笑んで私を背に隠してくれた
「始めまして、どちら様ですか?刹那は貴方に覚えがない様ですが」
「お前誰?オレは刹那ちゃんと話したいんだけど?つーかオレの事知らないとかゴミじゃん?」
あ、今のはいらっとした。
笑顔のまま纏う空気を固くした傑の前に出る。
刹那、と引き留める声を無視して男の前に立つと、奴はにっこりと笑みを浮かべた。
「そうそ、女は自分で男の望む事を考えなきゃね。さ、行こっか」
『行きません。どちら様ですか。私の親友ゴミ扱いする貴方がゴミです。そういう方とは話せません。さようなら』
「は?」
『傑、行こ』
「ふふ、可愛い子に呼ばれていますので。では失礼します」
さっと傑が私を抱き上げて、長い脚で正門を潜った。
そのまま校舎まで走って、男が追い掛けて来なかったのを確認してからふう、と息を吐く。
『ごめんね傑、変なのに絡まれちゃった』
「気にする事はないさ。それより刹那が私と居る時で良かった。一人だとああいう手合いは面倒だからね」
『そうだね。ありがとう、傑』
「此方こそありがとう、刹那」
『え?』
傑は巻き込まれこそすれ、私に感謝する事なんてあっただろうか。
首を傾げると、切れ長の双眸が柔らかく細められた
「私が悪く言われたから怒ってくれたんだろう?嬉しかったよ、ありがとう」
『………すぐるママ、すき』
「私も好きだよ、可愛い子」
当たり前の事をした筈なのに嬉しかったと言われると、嬉しいし恥ずかしい。勝手に緩む顔のままで居れば傑もニコニコしてくれた。しあわせ。
傑の腕は悟よりがっしりしていて、安定感が凄い。
逞しい腕に教室まで運ばれると、今日は皆居たらしく、クラスメイトが全員此方を見た
『ただいまー』
「ただいま」
「おつかれー」
「お疲れ。傑?なんでそうなった?テディ返して?」
「母と娘のスキンシップだけどなにか??????」
「絶対に渡さない強い意思を感じるwwwwwwwwwwwwwww」
「コラ語部。…お疲れっす、二人とも」
一瞬でわちゃっとした教室に思わず笑う。そっと椅子に降ろしてくれた傑にお礼を言って、お菓子を渡した
『ありがとう傑、これお礼』
「おや、気にしなくて良いのに。ありがとう」
「えー刹那俺も欲しい。チョーダイ」
『ほれ。何もしないのありがとう』
「何それ。俺がすぐやらかすみたいじゃん」
「事実だろ」
「は?俺こんなに周りを思いやって生きてんのに?何それ心外。
オマエその前髪レーダー何時になったらちゃんと機能すんの?」
あー、悟が煽り出した。
傑がにっこりと笑って悟を見る。
カーン!とゴングが鳴った
「周りを思いやって生きていたら大規模自作自演なんてしないし人を雑魚とか猿とか呼ばないんだよ知ってた?ちょっとオツムが足りないんじゃない?」
「へぇ?無下限呪術使う俺にオツムが足りないって随分イカれてんね?
少なくともオマエよりは頭の出来は良いよ。なんせ高性能なんで?
猿と雑魚をそのまま言って何が悪いんだよ。アイツらは弱っちくて呪霊産み出すばっかの弱者だろ。認識してやる必要もねぇ。
つーか自作自演責めて良いのは刹那だけだわ。
男が何時までネチネチ言ってんだよケツの穴ちっせぇな」
「出来が良い筈の頭で計算間違ってるなら、無能以外になんて言えば良いのか教えてくれないか?高性能なんだろ?
大体優しい人間も居るって判ってきた癖に何時まで猿の惑星ゴッコをするつもりだ?
本当はもう猿扱いはしていないけど、護りたいものが増えたら困るから、私達以外を人間にしたくないんだろ?
判ってる癖に見ないフリしてる悟の方がよっぽどケツの穴が小さいよ」
「………表で話そうぜ、傑」
「一人で行けよ、寂しんぼのさっちゃん」
「…………………潰す」
……ねぇ気付いて?
私テディ、今貴方達の真下に居るの。
立ち上がってガン飛ばしてる貴方達の真下に居るの。
…何故私の椅子を両者掴んでいる?私を挟んで喧嘩を始める?
端から見るとカツアゲされてる女子生徒じゃないか、これ。
流石の硝子もこの状態の私を救出出来ず、困った顔で此方を見ていたので黒川くん達連れて先に逃げてとジェスチャーした。
大丈夫、テディちゃん強い子。
頭上で喧嘩されても耐えるよ。耐え……
「術式順転────」
『馬鹿なの!?!?!?!?』
無理。それは無理。幾らなんでも距離が近い。私が死ぬ。
叫びながら両者の脇腹を殴った。なぐっ…え?私の手が痛いな?なんで?じんじんするな???
かっっっった。こいつら脇腹に鉄板仕込んでんの…???
『いたい……』
そこで漸く二人が私に目を向けた
「えっ、ごめん刹那。居たの?」
『夏油傑ゆるさない……』
「何だよ刹那、脇擽んな」
『五条悟ゆるさない……』
「?ごめんね?怖かった?」
『お前ら殴った手が痛い……』
「は?え?擽ったんじゃねぇの?非力すぎない?」
『もういや。五条悟いや。ママー!!』
「リハビリしようか刹那」
『ママもいやー!!!』
リハビリってなに?私普通に生きてますけど?原因は私じゃない。お前らの身体が硬すぎんだよ鋼か。
むすっとした私を膝に乗せ、悟がほっぺをくっ付けてきた。ご機嫌取りかコラ
「ごめんね?痛かった?治してあげたいけど、俺反転術式自分にしか出来ねぇや」
『そこまでじゃないから平気』
「そう?なら良いけど。んー、刹那のほっぺやわっこい」
『悟のほっぺすべすべだね』
「それはほら、俺だから」
『流石性格以外は全て持ち合わせてる男』
「は???????????」
疑問符で圧を掛けてくる人間歴二年目をさらっと無視する。
だってほんとだよ?地位も権力も家柄も金も美貌もあるのに、性格がクズ。
でも私達には素直だから、最近硝子が可愛いクズって言い始めた。因みに傑は黒いクズ。随分的確な渾名である。
「そういえば刹那、あの男の事は良いのかい?」
『ん?……あ、悟。黒髪短髪で着物でめっちゃ自分に自信持ってる呪術師知ってる?』
「範囲絞れよ。広すぎんだろ」
ごもっとも。
席をがったんがったん揺らす悟に揺すられながら、先程の男を思い出してみる。
『んー、黒髪短髪、切れ長の目、ニコニコしてたけど、女は自分で男の望む事を考えなきゃねって言った。アレはきっとやべぇ奴。それから……』
「ヒント下手か。もう殴り込み行った方が早いんだけど」
『待って。考えてるから』
「はーやーく。あと十秒ね。じゅーう、きゅーう」
「刹那を何処かに連れていきたい様子だったから、間違いなく此処所属じゃないよ」
「んあ?…って事は
京都の雑魚か」
悟の声が低くなった。
不機嫌そうなそれを聞き流しつつ、もぞもぞと動いて丁度良いポジションを探る。
「ちょっと。擽ってぇ」
『テディちゃんちょっと寝るからね。落とさないでね』
「え、寝るの?今まさにオマエ狙いの身の程知らずについて話し合う予定なんだけど???」
『あんたがゆりかごするから私眠くなるんだけど?』
しっかり抱え込んでゆらゆらされたら普通に眠くなるわ。
欠伸を溢すと私を見ていた悟にもうつった。そして最後に私達を見ていた傑にうつった。
三人で顔を見合せ、誰からともなく笑う。
『うつったwwwwwwww』
「もうどっかでお昼寝しちゃう?俺も寝たくなってきた」
「じゃあ硝子達も誘って屋上でお昼寝大会する?」
「屋上は暑くね?中庭の木陰良いぞ。あそこ涼しくてオススメ」
「じゃあ其処に行こうか。さて、硝子は何処まで避難したのかな」
「電話でもすれば来るだろ」
ひょい、と私を抱えたまま悟が立ち上がって、傑と共に教室を出た。
悟は長い腕で私を身体に固定する感じだ。
傑とは違う安定感。首筋に頭を預け、ぼーっとしていると悟と傑が此方を見て笑っている
「テディちゃん完璧おねむじゃん」
「眠そうだね刹那。首を痛めない様に寝るんだよ」
『はーいママ。おやすみ』
目を閉じるとあっという間に意識は沈んだ
その日からだ。
教室に居ても、外に居ても何処からか視線を感じる様になった。
私と共に動く事が多い三人も勿論それに気付いていて、特に悟が殺気立っているのが周りに対して申し訳無い。
原因は、恐らくこいつ。
「刹那ちゃん、今日も可愛いね。女は見た目に気ぃ遣ってなんぼだし、良い心掛けだ」
とても嫌。
人の事を見た目で判断してくるし、呪術師らしく女は胎、と明らかに思っている事が判る話し口。
今日任務が一緒だった七海が眉を寄せ、隣から声を上げた
「失礼ですが、女性の見た目のみに拘り中身を軽視する様な言動は如何なものかと」
「お前誰?オレに意見するとかヤバくない?ねぇ刹那ちゃん?」
『前回聞きそびれたのですが、どちら様ですか?』
此方に意識を向けた男に訊ねると、おや?と意外そうに男が眉を上げた。
「桜花から連絡は来ていないのかな?」
『……ええ』
「道理で反応が可笑しいと思った。オレは禪院鬼燈────君の許嫁だよ、刹那ちゃん?」
「────禪院鬼燈、ね。分家筋の端の端。そもそも禪院自体が相伝ガチャやり過ぎて数多いんだよネズミ講か」
「しかもガチャ回しまくった結果、俺っつー天与呪縛の呪力無しまで出る始末だ。
エリート主義の禪院は相伝が出にくくなる呪いでもかけられてんのかね?」
「先生が言うと皮肉がキツいですね」
「ガチャはガチャです。お望みのものが手に入る保証はありません、の良い見本だろ。つーか五条もそれじゃね?加茂もそれ。
アイツら課金してガチャ回しまくるヘビーユーザーか何か?出るまで回すを地で行くなよ馬鹿なの?
腰振ってないで白旗振れ。その方がまだ役に立つわ」
「前々から思っていたんですが、五条さんのその罵倒センスは何処から得たんです?」
「俺、類い希なるワードセンスの持ち主だから」
「七海、悟の話は話し半分に聞き流しな」
「オイコラ傑」
「判りました。これからその様に心掛けます」
「オイコラ七海」
人気のないファミレスで唇を尖らせる五条さんは子供の様で、この人本当に中身は幼いんだなと毎度の様に感じる。
黙っていれば絵画の如き美しさのその人は、しかしその端整な顔を大きく歪めて舌を出した。
この顔を造りたもうた神も、今頃天上で号泣している事だろう
「大方禪院のボンクラが勝手に動いたんだろうよ。幾ら俺が睨み効かせてても馬鹿は沸く。
端から見りゃあ禪院傘下桜花宗家の女だし、呪力もあれば術式も完全とは言わずとも継いでる。オマケにかわいい。
そりゃ意気込むだろうよ。よし、優秀な胎だ。禪院のこの俺が直々に孕ませてやろう!ってな。オ゙ッ゙エ゙ー、勘違い乙。
オマエみたいな雑魚が刹那に見合うモンかよ。獣姦お断りでーす」
「コラ悟、性格が良いが抜けてるよ」
「性格も良くて、強くて、かわいい。あれ、俺のテディちゃん最強では…???」
「私の娘だからね。そっくりだろ?」
「オマエ何時腹痛めて生んだんだよ」
「最近自分でもそう思うぐらい可愛い」
「同い年って事は赤ん坊のオマエから刹那が出てきた事になるけど。マトリョーシカか」
「せめてカンガルーにしてくれよ」
「オマエ有袋類だったっけ?」
「おいテディ愛好家二人。後輩困ってんぞ」
「「あ」」
この二人は…というかさしすせカルテットと呼ばれる人達は大体長話をすると話題が逸れる。
挙げ足取りというか、誰かの何気ない発言に誰かが茶々を入れ、それを基点に会話を続けるのだ。その結果話がずれる。
今も禪院鬼燈は彼方へ飛ばされ、テディベア討論会からの人体のふしぎに話題が転がり落ちた。
そもそも夏油さん、男は出産出来ません。
「あー、話がズレた。禪院のボンクラは多分、完全に単独犯。禪院のアル中はわざわざ五条の次期当主にちょっかい出す様な物好きじゃねぇ。
つまり禪院本家は関与してない。働き掛けがあったとしても、それで俺に叩かれる様な隙を残してない。
となると、この許嫁(笑)は完全自己申告、それか桜花と組んで……いや、やっぱ単独犯だな」
「何で単独犯だと決め付けるんだ?」
夏油さんの問いに、五条さんはメロンソーダをストローで掻き混ぜながら答える
「簡単に言うと、頭悪すぎ。
此方は俺が特級になるまでのこの一ヶ月が雑魚のラストチャンスだって踏んでるからバリバリ警戒してんのに、そこに堂々と桜花の老害が踏み込む筈がねぇ。
老害の思惑としては、許嫁なんて名乗る奴が急に現れて驚いた刹那が自分でコンタクト取ってくるのを手ぐすね引いて待ってる感じ」
「つまり禪院の奴は勝手にお嬢ちゃんの許嫁だって言い触らしてんのか?」
「多分ね。桜花からしたら、どうせならもっと上のランクに売りたい。
出来るなら宗家。無理でも宗家に近い分家。あのジジイなら直哉辺りに嫁がせたいだろうから、間違っても鬼燈じゃない。
でもこうやって刹那のメンタル引っ掻き回すには丁度良い駒だから静観してるんだろ。
実際刹那が連絡してきたら、禪院本家に掛け合ってランクを上げれば良いワケだし」
「呪術師はクソですね…」
「おや、七海もそう思うのかい?私と一緒だね」
「それは遠慮しておきます」
「ん??????」
笑顔で圧を掛けてくる夏油さんからそっと目を逸らし、五条さんを見る。
「肝心の桜花さんは?」
「刹那なら硝子と一緒に夜蛾先生に預けてる。校舎内なら家の次に安全だから、問題ない」
ずれたらしいサングラスを指先で持ち上げ、五条さんは続ける
「刹那にはもうこの予測を話してあるから、アイツから桜花に連絡取るなんて事はないよ。でも一人だと私の所為で、とか馬鹿馬鹿しい事考えそうだから、硝子と夜蛾セン付けてんの。
悪いのは桜花のジジイと調子こいた禪院のボンクラだから、刹那は何も悪くない 」
そう呟いて、五条さんは頬杖を付いて窓の外に顔を向けた
「七海も刹那が落ち込んでそうならそれとなくそんな感じの事言ってやって。あの真面目ちゃん、自分を責めるの得意技だから」
呆れている様な、そんな態度。
しかしその声音は桜花さんを案じるもので────もう後方どころか隣で彼氏面をするならさっさと自覚すれば良いのに。
素直にそう思った。
「────やっ、刹那ちゃん。いい加減オレのトコ来る気になった?」
連日嫌い認定した男と遭遇すれば機嫌も悪くなる。
ホルスターに手を伸ばしつつ、表面上は愛想良く振る舞おうと笑みを浮かべた
『お疲れ様です。今日も任務が此方だったんですか?』
「嫌だなぁ、刹那ちゃんに会いに来たんだよ?わざわざ言わせるなんて実は欲しがりさんなの?」
豆腐の角に頭突きして死んでくれないだろうか。絶妙に気持ち悪い男に、最早愛想笑いが崩れない様に保つので必死だ。
暇なら任務に行け。こっち来んな。此処は暇潰し出来るカフェじゃないんだよ。
『そもそも桜花から私に連絡はありませんので、貴方は正式な許嫁ではありませんよね?』
「それもさぁ、君から御当主に言ってくれれば良いんだよ。ほら、待っててあげるから電話して?」
『何度も申しておりますが、私は貴方との婚姻に同意致しません。お引き取り下さい』
悟から既にこの男の事は聞いている。
禪院鬼燈。禪院分家でも端に位置する家の嫡男。
術式も相伝ではなく、触ったものを硬化させるというもの。
桜花がこの自称許嫁に何の反応も示さないのは、この男の出現で困惑した私が自らコンタクトを取るのを待っているから。
「オレとの結婚は悪い話じゃないだろ?落ちこぼれの桜花から御三家に嫁ぐんだ、玉の輿だぜ?」
『貴方より格上の殿方に大変良くして頂いておりますので、現状その輿は見劣り致します。お引き取りを』
現状私は悟に護られて無事生きている。
悟が私達を大事に思ってくれるなら、私もせめて、私の大事な人達が悲しまない様に私を護る。
この婚姻もその一つだ。
仮にお前と結婚したら禪院にルーチェモン(フォールダウンモード)が降臨するぞ?良いのか???
「格上?…ああ、五条悟か。あの男、君のみならず他にも女を囲っているんだろう?可哀想に。
庇護に肖るには妾に甘んじるしかないんだろ?
大丈夫だよ、オレは君を正妻にしてあげる。君は一等見栄えが良いからね」
『……五条を侮辱する権利など貴方には御座いません。交渉は決裂致しました、お引き取りを』
頭にメロンパン詰まってんのかよこのクズ。
悟は誰にも手を出していないし、私は飾り物ではない。そしてその言い方、お前側室取る気だな?
今は平成だぞ?戦国時代へどうぞお帰りください。
私は悟の庇護を遠慮なく受けて生きているのでどう言われようと気にしないが、何も知らない奴が悟を侮辱するのは気に障る。
ずっと保っていた愛想笑いを消した丁度その時、後ろから柔らかな声を掛けられた
「刹那ちゃん?…あれ、どうしたの?怖い顔してるじゃない。何かあった?」
『ママ黒さん………』
────ヤバい。
直感的にそう思った。
恐らくこの男は呪術師の典型。女性を胎としてしか見ていないし、非術師を猿としか思わないタイプだ。
「はじめまして、刹那ちゃんの許嫁の禪院です」
「許嫁?……刹那ちゃん、本当なの?」
……嘘を吐くべきか、否か。
此処で肯定すれば男に格好の餌を与える事になるが、きっとママ黒さんを穏便に逃がせる。
だが拒否すればこの膠着は続くだろうし、此方にママ黒さんという人質が出来てしまう。
逡巡した私を、ママ黒さんはにっこり笑って抱き締めた。
『え?ママ黒さん?』
「刹那ちゃんが嫌がってるの、判りますよね?今日は帰って頂けますか?」
「おや、お前部外者でしょ?なに此方が下手に出てれば調子乗っちゃってんの?
女なら三歩後ろでニコニコしとけよブス」
『おい、いい加減にしろよてめぇ!!』
「刹那ちゃん、コラ!女の子がてめぇなんて言わないの!」
『いやママ黒さん!?危ないから下がっててください!!』
「大丈夫よ。子供は大人に護られてなきゃ、ね?」
優しい、慈愛を満ちさせた瞳。
────母の、眼だ。
そう、思った。
何故私にそんな目を向けるのか。
固まった私をぎゅっと抱き締めて、ママ黒さんは男に毅然と立ち向かう。
「そもそも禪院って甚爾くんの家よね?お宅は嫌がる女の子に無理強いしてはならないって簡単な事も学ばなかったの?」
「良く鳴く猿だな。つーか、甚爾ィ?…まさか、禪院甚爾?」
「そうですけど?夫が何か?」
ママ黒さんがそう返した瞬間、怪訝そうな表情を浮かべていた男が哄笑を上げた。
「アッハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!
傑作や!!何や、あの落ちこぼれ、居ぃひんくなった思たらこないな猿と結婚しとったのか!!!!」
ゲラゲラと声を上げて、男が嗤う。
嗤っている。
私の日常を明るくしてくれる人を。理想を教えてくれる、家族を。
「お似合いやで禪院の恥晒し!!
生きてる価値もあらへんのに結婚なんて良かったなぁ!おめでとう!こないに意味のあらへん猿の繁殖もなかろ!!!」
『黙れよ、クズ』
「刹那ちゃん!」
鉄扇を抜き、水を発射する。
放った四発を軽々と避けた禪院を追撃した。
「おーこわ。なんや、えらい気の強いお嬢ちゃんやなぁ。躾直さなあかんちゃうか」
『標準語崩れてんぞ禪院。とっとと京都に帰れよ』
「ええ事教えたる。歳上と男は敬えや!」
『敬えねぇ奴がほざくな!!』
蒼龍を造り男にけしかける。
水の龍は一度食らい付けばそう簡単には弾けない。それこそ悟の無限や傑の特級呪霊による足止め。あと甚爾さん。
それぐらいの規格外じゃなきゃ、蒼龍からは逃げられないのだ。
「ぐっ…!!」
『ママ黒さんと甚爾さんと悟に謝れ。そしたら喰い千切るのは勘弁してやる』
左腕をぎっちり咥え込まれた男に鉄扇を構えながらそう宣告する。
もし次悪口言ったらブツを落としてやる。知ってる?水って超高速で飛ばせば鉄も切れるんだよ?
人の肉なんて簡単に、切れるよ?
じっと男の切れ長の目を見つめて入れば、眉間に皺を寄せたあと、溜め息を吐いた。
「はあーあ、こーさーん!!降参するから解放してや」
『……謝れよ?』
「ええで、頭下げたる。せやから解放して?」
……嘘を吐いている様子はない。
蒼龍を解く。
太い水を鉄扇に仕舞った所で、禪院が血の滲んだ腕を押さえた
「あーいったいわぁ。血ィ出てるやん」
『今から謝りに行くんだよ。歩いて』
「まぁまぁ落ち着き。オレの術式はなぁ、触ったものを硬化させるってチンケなもんや」
だからなんだ。
眉を寄せ振り向いた、瞬間
「そやけどなぁ────触れたものには、空気も入るんやで」
目の前に────硝子片の様な鋭いものが迫っていた
『ッ!!!』
頬が裂けたものの、何とか回避する。
咄嗟に動いた所為で大きく体勢を崩した。
「避けてええの?」
『!!』
面白がる様な男の声に、はっと後方を振り向く。
そこには此方を追ってきたのだろう、彼女が。
ダメだ、ママ黒さんは非術師。
あの凶器が見えていない。
『ママ黒さん!!しゃがんで!!!』
────水を超高速で飛ばせば、間に合う。
私の声に従ってしゃがんでくれたママ黒さんを見ながら、鉄扇を振るおうとして
「オレのものにならへんならもう要らん。死ね」
私の首を狙う、白刃。
………それを見ながら、鉄扇を彼女の方に振るおうとして
「────死ぬ気かクソが!!!!!!」
聞き慣れた怒号が耳を劈くのと同時、ぴたりと刃が止まった。
最早見慣れたそれを視界に納めた瞬間、背後から乱暴に身体を引き寄せられ、ぎゅうぎゅうに抱き込まれる。
「馬鹿が!!何で自分を護らなかった!!!俺が間に合わなかったらオマエは死んでたんだぞ!!!」
がっと肩を掴んで離されたかと思うと、瞳孔も眼も開ききった悟の顔が目に入った。
…護らなかった、理由、は。
『……だって、ママ黒さんが死んじゃうと思ったから』
優しく抱き締めてくれたあの人が死んでしまうかも知れないと思ったら。
私とあの人の命、どちらを取るかと選択を迫られて、選んだ理由は
『……おかあさん、みたいに、笑ってくれたから。死んでほしく、なかった…死なせたくなかったの…』
「〜〜〜っ、泣くなよ…悪かった。ごめん。泣かないで、刹那」
…気付いたらぼろぼろと涙が零れていて、さっきまでブチキレていた筈の悟は弱りきった顔で私の涙を拭っていた。
涙が止まらない私を悟がぎゅっと抱き締めて、頭を撫でてくれる
『悟、ママ黒さんは?無事?』
「甚爾が護ったよ。傷一つない。禪院のボンクラも傑と硝子が捕まえてる」
とん、とん、と優しく背中を叩いてくれる悟にしがみついた。
怖かった。何が。失うと思った。何を。
違う、元々持ってなかった。
……頭の中が纏まらない。
ぐるぐるずっと考え込む私の額を、とん、と指が突いた
「考えすぎ。起きたら説教な」
ゆっくりと意識が闇に沈んでいく。
かくり、落ちた頭は悟の首筋に受け止められた。
「────俺はよぉ、別に自分の事言われんのは平気なんだわ」
痛みが走る。呪具で縛り上げられた身体は動かず、無様に地を這うばかり。
何故だ。
何故、こんな失敗作にオレは転がされている?
そうだ、呪具の所為だ。
そうじゃなきゃこんなゴミはオレに触れる事すら敵わない。
ありえない。あり得ない。有り得ない。
一体誰の所為だ。
桜花の女か。邪魔してきたあの女か。それとも五条悟か。共に来た黒髪の男か。泣き黒子の女か。
否。否。否。否。否。否。
「何なんだよゴミがぁ!!てめぇなんかあの非術師の雌と乳繰りあってろ!!!」
「ハァイ、アウト」
平淡な声が、ぞくりと背筋が凍る程の殺気を帯びた。
目の前の男が、ぎらりと眼光を刃物の様に輝かせる。
「俺はな、自分の事はどう言われようと構わねぇよ。けど────」
ざくり、肩に灼熱。
絶叫する俺を踏みつけて、失敗作は嗤った
「アイツを貶すのは、誰であろうが許さねぇ」
実の中身は何じゃろな
刹那→この一ヶ月で心身共にズタズタにされそう。
やっぱり家族関連はデバフ。
“おかあさん”をママ黒さんに感じてしまったからこそ判断をミスった。
ぶっちゃけ伏黒一家と距離を置いた方が心は安全かもしれない。
五条→ママ黒さんにブチキレる前に退散した偉い子。これから刹那のカウンセリング。
夏油→おこ。
硝子→おこ。
七海→不思議な生き物(五条)を観察している気分。
ママ黒→恐らくは一般人としては最善だけど、呪術師を前にしたとなると最悪の行動を取ってしまった。
この人は悪くない。ひたすらに刹那がミスっただけ。
甚爾さん→おこ。おこ。おこ。おこ。
禪院鬼燈
鬼燈の花言葉は 心の平安 偽り 欺瞞
術式:触ったものを硬化させる
禪院の端の端の嫡男。
この度桜花の思惑通り動いてしまった人。
早咲き枯れて
戻/
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