────不意に、すとん、と。


立ち去った筈の場所に急に戻された様な奇妙な感覚を覚えながら、ゆっくりと目を開けた。
……白い天井だ。
覚えはない。何処だ、ここ。
何度も瞬きをして、身体を起こそうとして気付いた。


……なんだ、この白いやつ。


サラサラな白銀の髪のデカい奴がしがみついていた。横を向く私の肩口に顔を埋めて眠っている。
え、誰?事案?犯人?
取り敢えず殴るべきか、それとも縛るべきかで悩み、いやこいつ誰だよで落ち着いた。
マジで誰?私の知り合いにこんな目立つ奴は居ないぞ。
背後からしがみつく白いのの力が強くて起き上がれないまま、ゆるりと部屋を見渡す。
重厚な黒のカーテンが窓を覆う部屋。襞が身を寄せ合う波の隙間から、僅かに光が零れている。今は日が昇っている時間帯なんだろう。壁には学ランが掛けてある。恐らくはこの白いののものだろう。
ぼんやりとカーテンを見つめていると、もぞ、と背中の不審者が動く。
起きたのだろうか、そいつはぐりぐりと鼻先を押し付けてきた


『………あの』


お前はどちら様?
訊ねようとして、自分の声にも違和感を覚えた。
……私って、こんな声だった?


「せつな、目ぇさめた?」


うわ甘ったるい声。
砂糖を火に掛けたみたいに甘い声。しかもイケボ。誰だおまえ。
困惑しつつ、今与えられた情報を整理する。
この男は今、私をせつなと呼んだ。
私はそんな名前じゃなかった筈だ。それなのに、その名は随分としっくり来る。
まるで、心と身体が別の記憶を主軸に据えているかの様だ。


……いや、そうか。
そうだ、私は刹那だった。


────所謂前世。
普通のOLとして生きていた筈の私が刹那として生きて、そして役目を終えた・・・・・・筈だったのに。


『………………おはよう』


取り敢えずは挨拶を返しておこうと声を出すと、ゆっくりと首を持ち上げた男は私を仰向けにした。
真上からじいっと覗き込む男の眼は、空と海を溶かし込んだ様な蒼。


……………………五条悟????


え?そういや此処って呪術廻戦の世界だったな?
ん?この子五条の彼女になったの?一緒に寝てるって事はそういう事だよね?
困惑する私を静かに見下ろして、それから五条はかくりと首を傾げた


「…………刹那…?」


うわ、眉間に皺が寄ってる。
凄い怪訝そうな顔で此方見てんじゃん。もしかしてバレた…?
何も返せずにじっと見つめていると、五条はゆっくりと瞬きをして、それからふわりと微笑んだ。


「…おはよう、刹那。ほら、何時もみたいに悟って呼んでよ」


『え、あ……おはよう、悟』


「ん」


優しく微笑んだ五条は身を起こし、ベッドから降りた。
起き上がった私を静かに見下ろすと、壁に掛けてある学ランとシャツをベッドに放ってくる


「オマエの部屋は俺の部屋出て右隣な。学ランの着方判んなかったら言って」


『え……あの』


これ気付いてるな!?起きて直ぐ気付いたなコイツ!?
固まる私の前で平然とシャツを脱いだ為、慌てて目を剃らした。そんな私を鼻で笑い、五条は言う


「術式が未熟になってる。そんくらいの時って大体入学したぐらいだろ。
んで、記憶も大体そのぐらいに戻ってるな?」


『なんで……』


……桜花を飛び出して、高専に入学した。それからの記憶はない。
でも幾ら六眼と言えど心まで読めるとは聞いてない。
だから、私の僅かな振る舞いの中で明確に違和感を覚えたという事になる筈。
……え?いや普通におはようって言っただけだぞ?私そんなに変な事した?
首を捻る私に、制服のシャツのボタンを止めながら五条は笑った


「なぁに?そんなに俺が気付いたのが不思議?」


『………普通にそうじゃない?』


「はは。舐めんなよ、俺がどんだけオマエの事見てると思ってんの?」


にいっと口角を吊り上げた五条が私にぐっと顔を近付ける。
光を乱反射させ、蒼がゆらり、揺れた


「────刹那はさ、俺の事、悟って呼ぶよ。そもそも俺に気付いたらさ、頭撫でんの。それか抱き締め返してくれる。たとえオマエが寝惚けて無意識でも、それは絶対。
でもそれをしない、けど中身に異常はない。
ただ……昨日まで果物ナイフだった術式が三角定規になってたら、まぁ中身を疑うよね。
そんでもってオマエが昨日祓った呪霊が時を戻すタイプなら、まぁその結論に辿り着くよね」


『そんな未熟になってる…?』


「ウン。術式を巻き戻されたなら、それを使用する中身も同じ様になってるって考えるだろ?
術式だけ戻したって中身が成熟してれば直ぐに使い方を合わせるだけ。
でも中身も戻せばソイツ自体のレベルも下がる。殺すには打ってつけってな」


頭良いなコイツ。
私の術式と、態度の違和感から正解を導き出すとか控えめに言って気持ち悪い。
何がって?明らかに私をじっくり観察している辺りが。


「ま、安心しろよ。呪霊はもうオマエが祓ってるし、その後遺症も一日程度だ。
……一年で大分成長した俺を、ちゃんと目に焼き付けとけよ」


くすっと悪戯っぽく笑って、五条は部屋を後にした。
……え?あの五条悟が?機械みたいだった五条悟が??あんなに小悪魔みたいに笑うの???
入学当初先生に拳骨食らって傑と喧嘩して校庭ブッ殺しあそばされたあの五条悟が?
……嘘でしょ?しかも私名前で呼ばれてたな?
……やっぱり付き合ってるの?え???












「おはよう刹那ちゃん今日も綺麗ですね!!!!!!!!」


「朝からうるさ」


『ははは…おはよう、語部さん』


語部結。
準一級で、同じクラスの女の子。ニコニコしていて可愛い眼鏡の似合う子だ。


…いやこんな子原作居た?


誰???
まだ出てないタイプ?少なくとも私が読んでる辺りには居なかったな?
五条から大体の周囲の人に関する情報は貰っているが、やっぱり判らない事だらけ。内心首を捻りつつ、愛想笑いを浮かべる。
すると語部さんは不思議そうに目を瞬かせ、私の隣に立つ五条を見た。


「刹那ちゃん何時もより表情が硬くないです?五条、なんかしました?」


「あ?してねぇし。昨日の呪霊の所為で、ちょっと中身バグってるだけ。明日には戻るよ」


「は???????刹那ちゃんが??呪霊の所為で????バグってる????万死では?????」


「もう死んでるっつーの。刹那、席そこ」


『あ、ありがとう』


「ドウイタシマシテ」


五条に手を引かれ、席に着く。
…いやこいつ凄い面倒見良いな?
何に驚いてるって、周囲に棘しか向けてなさそうな男が私に対してとても優しい所だ。
五条は頬杖を着きぼんやりと前を見ていた。
かと思えば私の視線に気付き、直ぐにサングラスを外して此方に目を向けた。
……そう言えば、こいつ殆どサングラスしてないな。なんでだろ。


「なぁに?」


『…サングラス、しなくて良いの?それって眼精疲労やばいんじゃなかった?』


「極度の疲れ目みてぇに言うじゃんウケる。…反転術式使えんの。だからしんどかったら自分で治せる」


ふわりと微笑んだ五条は、やっぱり私の知る“五条悟”と重ならない。
少しだけ話した五条はツンツンしていたし、原作でももっとクソガキ感が凄かった。まず返事もなぁに?なんて可愛く言わない。
でも今は二年生だと言った彼は、あんな風に若さ特有の無鉄砲感がないというか、此方への敵意がまるでない、というか。
…多分、私を絶対の味方だと認識している。


「それにね、俺はオマエらのどんな事も見落とさねぇ様にしたいの。
だから、サングラスなんてしたくない。この目でちゃんと、オマエを見ていたい」


酷く綺麗に微笑んだ五条のその眼はどう見てもいとおしむ者に向ける目で。
……五条悟私の事好き過ぎない…?
いっそ引くレベルで愛情を浴びせられ、ひっと声が漏れた。
そんな私をくすくすと低い声が笑い、五条は言う


「何時もと同じ反応するじゃん?やっぱりオマエはオマエ・・・・・・・か」


『……私からすればあんたは大分だれおま感が凄いけど』


「そりゃそうだろ。オマエの知る俺は人間歴数日だぞ?でも俺は一年経ってる。
それでなーんにも変わってねぇなら死んだ方がマシじゃね?」


『ああ、五条だわ。このいらっとする感じは五条』


「ムカつくわー」












「刹那、入学初日に頭戻ったんだって?大丈夫?」


「調子悪い所はないか?吐き気は?頭痛は?」


『大丈夫だよ、ありがとう二人共』


任務で居なかったらしい傑と硝子が戻ってくると、二人は直ぐに私を囲んでそう言った。
私の現状を伝えたのは間違いなく後ろの白いやつ。
頭戻ったってもう少し言い方なかった?というか入学初日ぐらいって具体的な時期まで私に確認してないのに当ててくるの怖いな?
正解は入学して数日ぐらいなので、ほぼ合ってる。こわ。


「五条、これ呪霊の所為?」


「そ。昨日掠ったって言ってたし、多分そっから術式が作用したんだろ。
そのぐらいで済んで良かったな。下手すりゃ全部巻き戻されてサヨウナラだ」


えっ、こわ。
固まる私を抱き締めるのは傑だった。
…ん???????
なぜ?????なぜ傑がハグ????


「悟、当事者をそんなに怖がらせるな」


「なんで?事実だろ。つーか傑、俺だって我慢してんのにオマエ何してんの?
刹那俺らとハジメマシテだぞ?オマエ入学初日から刹那抱き締めてたの?
は???????」


圧が。圧が凄いな?
やっぱり私と五条付き合ってるの?
このキレ方は彼女に手を出された時の彼氏では?え???五条悟が彼氏…??趣味悪いな私……


「済まない刹那、つい何時もの癖で。不快な思いをさせてしまったかな」


『あ、いや。大丈夫だよ。びっくりしただけ』


「そう?それなら良かった」


ぱっと私を放した傑は少しだけ寂しそうな顔をしていて、申し訳なさが募った。
ほんとごめん、五条曰く明日には元に戻るらしいから許して……
そう思う私は関係無く、怒りスイッチが入ったヤンキーが一人。


「へぇ?断るの苦手そうな女抱き締めて不快だったかな?とか聞いちゃうんだ?ふーん?高度なセクハラか???
不快ですとか言えたら刹那チャンこんなに穏やかにへにゃへにゃ笑ってないと思いまーす」


カーン!とゴングが鳴る幻聴がした。


「この子が断るのが苦手そうだと気付いておきながら、毎晩自分の部屋に引きずり込む男が居るんだ。知ってるかい?」


「は?知らねぇな誰だよソイツ。ブッ飛ばしてやろうか」


「五条悟っていうんだけど」


「はー??????合意ですぅ。毎晩キモチヨク眠ってるだけですぅ。
毎晩悟くんとっても優しいの♡って可愛い娘からそんな事も教えて貰えねぇの?
わーカワイソウだねオマエの愛情一方通行なんだ?カワイソーになぁ?添い寝用にテディベアでも買ってあげようか?」


「ブーメランって知ってる?悟の後頭部に突き刺さってるんだけど。
お前の愛情ほど一方通行なものもないよね。一方通行って悟の為に用意された言葉なんじゃない?良かったね、辞書に載るレベルのヤンデレくん。
そんなに何かを愛したいならリカちゃん人形でも部屋に飾って着せ替えごっこしてな。
ああ、ついでにお世話する赤ちゃんの人形もあげようか?あれ、子供の情緒の成長に良いらしいから」


「────表出ろよ傑。オハナシしよっか♡」


「良いとも。行こうか♡」


…ガンギマった顔のヤンキーが二人で窓から外に飛び出して行ってしまった場合、何処に通報すべきなのか。
困惑する私の手を柔らかな手が引く。
硝子が此方を見て、優しく笑っていた


「ふふ、懐かしいな。あんたが何処と無く私らの様子見してんの。小動物みたいで可愛いなって前から思ってた」


『……ふふ、硝子は動じないね』


「刹那は刹那だよ。記憶がないっていうのは寂しいけど、どうせそれも一日だ。
それならいっそ、こんなになってるんだなってあんたにとっての未来を楽しみな」


『かっこいい……』


「はは、反応変わんねぇな」


明るい笑顔に此方も釣られて笑う。
…そっか。どうせ私は一日だけなんだし、楽しめば良いのか。
笑って抱き付く私を慣れた様子で受け止めて、ぽんぽんと頭を撫でてくれる。
…慣れる程に私を受け入れてくれているのかと思うと、妙に気恥ずかしくて。でもやっぱり嬉しくて。


『…ねぇ、あれ校庭死なない?』


「私らに被害来ないからほっとけ」


校庭はボッコボコだった。


















何故か伏黒一家が高専に居たし、敵だった筈の孔時雨は普通に挨拶してきたし、さとるっちとかいう謎の猫は大量発生するしで取り敢えず未来は混沌を極めているという事だけは理解した。
何をどうしたら呪骸大発生なんて未知の出来事が起きるのか。
訊ねると大概「オマエの所為」と言われるのが解せぬ。
未来の私はどれだけはっちゃけたのか…


小さく笑いつつ、ゆるりと見渡す。
未来の私の部屋は、四人での思い出に溢れていた。


どれも自分で買いそうにないけれど、確実に私の好みを押さえたものばかり。
物に触れると、ああ、これは誰からだ、とか何となく判って、目を細めた。


……良かった。
私は……刹那は、こんなにも愛されているのだ。


愛に裏切られた女の子。
たまたま私という前世の人格と混ざって、壊れずに済んだ女の子。
成長するにつれてどんどん私は薄くぼやけていって、呪術高専一年の半ば辺りでもう意識は消えてしまったけれど。


良かった。
この子の未来が幸せなもので、本当に良かった。


静かに木製の写真立ての縁を指先でなぞっていると、扉が開かれた。
ノックも無しに入ってくる人間なんて一人しか思い当たらなくて、呆れつつ振り返る


『ノックは?』


「コンコン、刹那ちゃん居ますかー?」


『開ける前に言って』


「善処しまぁす」


『努力目標か』


苦笑して、部屋に入ってきた五条にクッションを渡す。
…五条がこの部屋で何を使うか、思い出した。それだけじゃない。
さとるっちを増やしたのも、甚爾さんが居る理由も、傑がハンムラビ法典の信者になった事も、硝子がしょうこっちを時折撫でている事も。
語部さんが私達を良く拝んでいるのも、黒川くんが苦笑いしているのも、夜蛾先生がせつなっちを作ってはさとるっちに破壊され涙しているのも、灰原がニコニコしているのも、七海が顔を顰めているのも、ママ黒さんのご飯の味も、めぐと津美紀の歌声も、時雨さんの困ったなって笑顔も。


……悟の、ふにゃりとした笑顔も。


『……そろそろ、時間かなぁ』


「ああ。不思議の国のアリスごっこはどうだった?」


『楽しかったよ。ありがとね、チェシャ猫役してくれて』


今日一日、悟はずっと傍に居てくれた。
そして周りに私の記憶に関する情報を回し、いざ誰かと遭遇するとそっとフォローを入れてくれたのだ。
正直、悟が居なきゃどうなっていた事やら。感謝を伝えると、悟はふっと微笑んだ


「言ったろ?借りは返すってな」


『…ふふ、じゃあ借りを作るのを楽しみにしとこうかな』


チロルチョコ、ちゃんとポケットに入れておかなきゃね。
笑って、真っ直ぐに悟を見る。
……ああ、随分と穏やかな顔になった


『……刹那を、よろしくね』


「ああ。……おやすみ、アリス」


────やっぱり、私が刹那であって刹那でない事に気付いていたのか。
ゆっくりと目を閉じる。
無理矢理戻された意識は瞬く間に溶け────あるべき処に、還るのだ












ゆっくりと目を開ける。
何だか良く眠った様な、そうでもない様な。もぞりと寝返りを打つとぎゅむっと何かに抱え込まれ、腕を伸ばした。
私を包むそれをぎゅうっと抱き締めて、欠伸を一つ。
白い首筋に顔をぐりぐりと押し付けると、ふはっと上から笑った声がする。


…珍しい、起きてたのか。


ゆっくりと顔を上げると、ぱっちりと開いた双眸が私を見下ろしていた。
じいっと見つめ、それから綺麗な顔がふにゃりと溶ける


「おはよう、刹那」


『おはよう悟、早いね』


「ふふ、俺早寝早起き得意だから」


『寝坊助常習犯が何言ってんだか』


遅寝遅起きの化身みたいな男の台詞に笑い、寝癖の付いた綺麗な白銀を撫でる。
その手にすり寄って、悟はゆるりと蒼を細めた。


「おかえり、俺のテディちゃん」


…私、何処かに行ってたっけ?
不思議に思うも強ち間違いでもない気がして、私は頷いた


『?……ただいま、悟』









一日だけの不思議の国








アリス→刹那の前世。
名前はアリスかも知れないし、そうじゃないかもしれない。
アリスとは不思議の国のアリスから取っただけの名称。
偶然とはいえ混ざってしまった刹那を“自分でありながら、妹の様な娘の様な存在”として大事にしていた人。
刹那の精神が安定するにつれて少しずつ消えていった。
ずっと刹那の幸せを願っていた、ある意味優しい呪いとも言える。

刹那→なんでか色んな人におかえりと言われた。とてもふしぎ。
アリスの望んだ通り、皆に愛されながら生きているテディベア。

五条→寝起き0秒で刹那に違和感を覚えた人。こわい。
六眼で確認し、全部推測で大体当てた人。こわい。
…呪霊の微かな残穢を祓えば直ぐに刹那を戻せたけど、アリスは入学当初に刹那の中にぼやっと居たなと思い出した。
なのでチェシャ猫役を引き受け借りを返した。
アリスは刹那だが五条の刹那ではないので、抱き締めもしないし抱えもしない。なんならテディちゃんとも呼ばない徹底した男。
最後まで付き合っていると思われていた。付き合ってない。

夏油→つい癖で刹那を抱き締めたら本人はキョドるし五条には煽られて可哀想だった人。
後日娘からハグされてにっこにこ。そのあと校庭を殺した。

硝子→記憶?なくても良いさ、あんたがあんたならね、のタイプ。男前。
入学当初の此方と仲良くなりたいオーラを出しながら様子見してくるテディベアがかわいかった。
後日ママと人間歴一年経過が校庭を殺すのを娘をハグしながら眺めた人。

君はAlice


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