こなんくん(初対面)によしよしされる


(※名前変換なし)

ぐっと顔を下に向けて真っ直ぐ歩く。気を抜けば全身から力が抜けて座り込んでしまいそうだった。ごちゃごちゃした脳内で僅かに残っていた理性がここは駄目だと叫んでいた。こんなに苦しくても恥や外聞を気にする自分が馬鹿馬鹿しく思え、笑えるな、と思ったが実際には目元がカッ、と熱くなり口端が震えたのできつく唇を噛んだ。とにかく誰もいないところに行きたかった。夕日で赤く染まる街中では皆がゆるくおだやかで金曜であるからか、心做しか晴れやかな表情の社会人がちらほら見られた。こんな所には居られない。肩にかけた鞄の持ち手をぎゅっと握り込み闇雲に足を動かす。私についてくる影にさえ苛立ちを覚え、逃げるように人気のない場所を目指した。


やっとのことでたどり着いたのは公園だった。こんな時間だ。人っ子一人居らず、夕日と夜が混じり合い薄暗い公園は不気味な程に静寂で満ちていた。ぐるりと公園を見渡すとベンチを見つけた。衝動のままベンチに駆け寄り荷物を転がす。どさり、という音も気にせずそのままベンチの後ろに回り、膝を抱えて蹲った。途端にぼろぼろと涙が溢れてきた。鼻をずびずび言わせながらも誰かに見つかっては困るから声だけ出すまいと強く強く口を噛む。苦しい。悲しい。何で私はこんななの。私が悪いの。今日起こったことを思いだす。うん、うん。きっと私が悪かった。だから泣き止まなきゃ、見つかっちゃったら困るでしょ?

「おねーさん、どうしたの。」

突如聞こえた少年の声に大袈裟なほど肩が跳ねる。ばっ、と顔を上げるとその顔に似合わない大きな眼鏡をかけた可愛らしい少年が困ったよう、戸惑ったような顔で立っていた。あぁ、見つかっちゃった。

「わ、わたし、ダメ、で..な、にも、できなくって...だか、ら...だから...」

1度口を開いたせいかさっきよりもだばだば涙が出てきて、声が抑えられなくなった。

「えっ、ちょっと...、おねーさん!!」

少年が焦ったように声を荒らげる。しかし1度決壊したものは簡単には止められない。私はしゃくり上げながら話始めた。



私がこの米花町にやってきたのは約2ヶ月前。就職のため田舎から上京してきた。地元ではそこそこの名の知れた文系大学を出てやっとかっと見つけた職場だった。小さい頃からこれといった特技も好きなこともなかった私は成りたいものがある訳でもなく、ただ家を出たい一心で遠くの就職先を探した。何度も面接を受けては不採用通知を貰いもう無理かもしれないと思った時漸く舞い込んだ合格通知だったのだ。私は浮かれに浮かれた。取り敢えず就職先が決まった、これで安心だ、と。だけど大変だったのは就職してから。もともと不器用で物覚えが悪い私は仕事内容を、覚えるのも遅かった。同じく新入社員の子達が幾つも仕事を覚えていくなか私は一つ一つ段階を踏んででしか覚えられなかった。トロい私はよく上司を苛立たせてしまった。それでも私なりに仕事を早く覚えられるように努力していたつもりだ。毎日教えて貰ったところやダメだったところをメモしたノートを読み返し出来るだけミスを減らすよう気を配った。誰より早く出社して周りに迷惑をかけないように努めた。だけどそれでも出来の悪い私は上司にとっては疎ましかったらしい。

「やる気が、あるように見えないんだって...」

一生懸命頑張っているつもりだったけれど。周囲から見れば、私はいつも無表情でやる気がないようにしか見えないらしい。急に私のデスクに大股でやってきた上司は激しく私を責め立てた。私にやる気がないから仕事が遅いのだ、周りより劣っているのだ、と。

「だから、私、もっと頑張らないといけなくて...」

そう、もっと必死にやらないと。私の頑張りなんて周りからしたら当たり前のことなんだから。でも...

「私はどう頑張ればいいんだろう...」

最早垂れ流しの涙を拭うこともせずに俯く。そこで静かに話を聞いてくれていた少年がおねーさん、と口を開いた。

「いいんじゃない?」
「え?」

少年から出た言葉が余りにも意外で、私に都合が良すぎて。ぱっ、と顔を上げると少年が真っ直ぐ凪いだ瞳で私を見つめていた。

「ぼく、知ってるよ。おねーさん偶に仕事帰りにポアロに居るでしょう。いっつもご飯食べながらもノートを広げてるよね。あれって、さっき言ってたように出来なかったことを復習してるんだよね。ノート真っ黒だったし、おねーさんの袖口も、真っ黒だもん。何回も見て書いてってくりかえしてたんでしょ?朝もおねーさんがお仕事に行く姿見ることあるもん。まだボクも起きてすぐの時間。歩きで通勤してるみたいだしポアロから近いところに職場があるんだよね。それなのにあーんなに早くお仕事に言ってるんでしょ?僕いっつも思ってたよ、おねーさん頑張ってるんだなって。」

頭が真っ白になった。ただでさえ涙が止まらないのに鼻水もズルズル出てきてひどい顔をしてるに違いない。それなのに涙は止まらないどころかより一層溢れてくる。頭も痛いし呼吸も上手にできない。

「なんでぞんなごどいうの*!」

泣きすぎで苦しいのに心は嘘みたいに軽くなって。とっても、とっても嬉しいけれど。でも駄目なのだ。だって私は駄目駄目だから、そんなふうに言われたら勘違いしてしまう。思い上がってしまう。お世辞だって見分けがつかない。震える手で少年の片袖を掴む。胸がいっぱいいっぱいで言葉にならない。伝えたいことがあるのに言葉が上手に出ない。こんなところもぽんこつなんて。

「大丈夫だよ、おねーさんは頑張ってる。僕が褒めてあげる。」

頭の上にぽん、と小さな温かい手がのる。そのまま、あやすように前後に揺れる手があまりにも優しいものだから私はやっぱり涙が止まらなくて子供のように泣きじゃくりながらその子に抱きついた。少年は少しだけ動きを止めたけれど、そのまま私に好きにさせてくれた。こんな小さな子に醜態を晒して縋ってしまってとても恥ずかしいけれどそれ以上に私を認めてくれる腕の中の優しい体温に安心して私はそのまま気が済むまで泣いていた。



「本当にごめんね...。」

気が済むまで泣いて目がぼってりと重たくなった頃にはもう暗くなっていた。こんな小さな子を拘束して泣いてたなんて、私捕まっちゃうかも...。いや、その前に彼の親御さんに吹っ飛ばされるかな...。寧ろそうしてほしい。本当に私ってやつは...。

「ううん、ぼくは大丈夫。おねーさんはもう大丈夫?」
「...うん。大丈夫だよ。慰めてくれてありがとう。」

こてん、と重そうな頭を傾げた彼に緩く笑って答える。うん、大丈夫。とってもとっても辛くて悲しかったけれど。

「少年が頑張ってるって褒めてくれたから...。私もうちょっと頑張ってみるね。」
「...そっか!じゃあ、ぼく応援してるよ!」

少しだけ照れくさそうに笑った少年に私も嬉しくなってにへら、と頬が緩む。凄いなぁ。さっきまであんなに苦しかったのに、もうこんなに気分は晴れやかだ。うん、頑張ろう。私はまだ全然ダメダメだけど、私が頑張ってるって分かってくれる人が居てくれるみたいだから。応援してるって言ってくれるから。

「じゃあ、えっと、お家まで送るよ。」
「ありがとう、おねーさん!」

取り敢えずこの子の親御さんに謝ることからだなぁ、と彼の隣を歩きながら考えた。