あずささんになぐさめられる



最後の一口を頬張り手を合わせた時に、私は何をしにここに来たのかを思い出した。パッ、と周囲を見渡す。カウンターの中で安室さんが皿洗いをし、梓さんは控え室にいるのか見当たらない。店内に居るお客さんは仲良くコーヒーを飲んでいる老夫婦だけだった。うん、丁度いい。

「安室さん、安室さん。」
「はい。...あぁ、食べ終わったんですね。おかわりですか?」
「とっっても美味しかったですけど違います!!」

おかわりはとても魅力的だがそうではない。が、頂けるならば...。いや待てみょうじ なまえ、気を強く持って!首を1度強く振り、邪念を捨て安室さんに向き直る。安室さんは洗い物をしていた手を止めきょとん、と此方を見つめてくる。

「先日は大変お世話になりました。」
「いえいえ、僕はたいしたことはしていませんよ。」
「そんなことないです!!...私本当に嬉しくて。」

あの日のことを思い出すとじわりと目の端に涙が浮かんでくる。あの日、最初に私に手をさし伸べてくれたのはコナンくんだったけど。毛利さん、蘭さん、そして安室さんもあの時の私には救いだったのだ。本当に息が上手く出来ないくらい苦しくて、大きな圧に押しつぶされてしまいそうな中、皆さんの言葉が、眼差しが、優しさがどれだけ私を助けてくれたことか。あの時の喜びはきっと私だけにしか分からないものだと思う。優しさをかけてくれた人々はその人達にとってなんでもないことで多分その人達の当たり前の行動なんだと思う。だけど、それをかけてもらった人にとってはそれは特別なことなのだ。
ぐいっと、目の端に滲んだ涙を拭う。そして、顔をあげて安室さんの青く美しい瞳を見つめる。安室さんは驚いたように軽く口を開いていた。彼の様子に自分の言葉が少しだけ恥ずかしくなり、目線を下げる。

「安室さんはきっと優しい方だからわからないんですよ。でも、私は本当に救われたから。だから、本当にありがとうございました。これたいしたものじゃないんですけど...。宜しければ受け取ってください。」

持っていた紙袋を差し出す。1秒、2秒と待っても紙袋が手から離れず、怪訝に思い安室さんの顔をもう一度見る。そこには真顔でこちらを見つめる安室さんがいた。えっ、なに、何でそんな顔を...。はっ、知ったような口を聞くなって思ってる?怒ってるんですか??やってしまった...。確かになんか偉そうな事言っちゃったかも。あぁ、でも別に悪口のつもりは一切なくてですね。顔が引き攣りそう...。すいませんこれはそういうあれではなくてですね。別に真顔の安室さんが怖いとかそんなそんな...。自分の至らなさが悲しすぎなだけでですね?あのですから、分かっているので出来ればその顔やめて頂いても...??うっ、生意気ですねすいません〜...。

長い時間見つめられ涙腺が完全に決壊する直前、安室さんがふっと柔らかく笑った。何故だか、何時もの笑顔より子供っぽく目を惹かれる表情だった。何時もの笑顔より自然に見える。安室さんの蕩けるような、照れている様な表情に目が離せなくなる。頬が熱くなっていくのが分かる。...顔がいいってずるい。

「では、有難く頂きます。」

私の手から紙袋を受け取り、もう一度ありがとうございますといつも通りに笑う安室さんに我に返る。惚けていた事を誤魔化すようにこほんと1つ咳払いをした。

「んんっ。...何が好きか分からなかったのでお茶にしてみたんですけど。」
「へぇ。なまえさんはお茶が好きなんですか?」
「へ?まぁ好きは好きですけど詳しくもないし、特に拘りはないですねぇ。...もしかして好きじゃなかったですか?」

お茶は好きだけど工芸茶だって知識としてあっただけだしなぁ。...今考えたら石鹸とかでもよかったなぁ。洗い物もするみたいだしハンドクリームとかも。消えものって食べ物とか飲み物だけじゃないもんね。工芸茶が、安室さんのお気に召さなかったらどうしよう。

「いえいえ、そんな事はないですよ。ただどうしてプレゼントに選ばれたのか不思議で。」
「あぁ、実はですね...。デパートで悩んでいたら親切な方から助言を頂きまして。」
「ホォー。店員さんですか?」
「いえ、お客さんでした。とても良くして頂いて。...すごく揶揄われましたけど。」

とっても優しい人だってけど、ちょっと意地悪なんだよなぁと沖矢さんを思い出してむむむ、と唸る。そんな私を見て朗らかに安室さんが笑う。

「良かったですねぇ、親切な女性と出会えて。」
「あ、いやその方は男性で...。」

ぴしり、と安室さんの笑顔が固まる。そして、控え室から梓さんがどうしたの?と戻ってくる。固まった安室さんに朗らかな梓さん。そして困惑して泣きそうな顔をした私。取り敢えず梓さんに、わからないですと首を振り、安室さーん?と恐る恐る声を掛けてみる。すると、固まっていた安室さんの顔がみるみるうちに険しくなる。ひゃっ、と声が出そうになるのを口を抑えて留める。

「なまえさん。」
「は、はい。」

初めて聞く安室さんの低い声に背筋が伸びる。な、何か怒らせるようなことを言っただろうか?私が1人で選んだものじゃなかったからやっぱり良くなかった?でもさっきは別にそんな怒ってなかったよね...?

「初対面の男性に声をかけられたんですか?」
「え、あ、はい...。」
「まさかと思いますが、その人について行ったりしていませんよね?」
「えっ...。」

な、なんでわかったの!?ぎょっとして安室さんを見つめると安室さんは先程よりも眉間に皺を寄せて怖い顔になっていた。美人であるため余計に迫力がある。ひっ、と息をのむ。

「なまえさん。知らない人に着いていったら駄目ですよ。」
「し、知ってますよ!私、小学生じゃないですもん!」
「ホォー、ではなまえさんはその初対面の男性から声をかけられてからついて行かなかったんですね?」
「それは...。」

梓さんから優しく小さな子供に言い聞かせるように窘められ、むっと言い返すとそれに安室さんがニッコリと口だけで笑いながら問いかける。

「やっぱりついていったんですね?なまえさんは警戒心が足りていません。知らない男性から声をかけられてホイホイついていくなんて相手に何してもいいと言ってるようなものですよ。もし、何かあってもなまえさんは女性で抵抗しても男ならなまえさんを無力化するなんて簡単なんですよ?ちゃんと分かってるんですか?」

淡々と事実を述べていく安室さんに本格的に涙が溢れてくる。ぼろぼろと零れてくる涙を安室さんから隠そうと俯く。

「ご、ごめ゛なざいぃ。」

確かに私の警戒心が低かった。私なんかにナンパなんかしないよねって思ってた。たまたま沖矢さんがいい人だったお陰で何も無く済んだのかもしれない。そう考えると自分が情けなくて涙が止まらなくなる。

「もう安室さん、言い過ぎですよ。」

すると、静観していた梓さんが安室さんを窘める声が聞こえた。違う安室さんは悪くなくて...。

「あ、梓ざん、ちが、私が、わる゛ぐて...」

最早号泣の域に逹していた私は上手に喋れずに切れ切れに梓さんに待ったをかける。涙を止めて顔を上げたいのに自分では涙腺を止められない。それも情けなくて余計に涙が零れてくる。声を出すまいと唇を噛み締めていると背中にふっ、と暖かい手が添えられる。

「ほら、なまえさん大丈夫ですよー。」

よしよし、と梓さんの右手が背中を撫でてくれる。

「安室さんはちょっと言い方がキツかったかもですけどなまえさんのことを心配してたんですよ。怖い顔してたのもそれだけなまえさんが心配だったんですよ。だからそんなに泣かないで。大丈夫です、もう安室さんも怒ってませんよ。」

背中を摩ってくれていた手がぽんぽん、とリズムを取るように背中を叩くようになっていきそれに合わせ私も少しずつ涙が止まっていった。ぐずぐすと鼻を鳴らしながら顔を上げる。隣を見ればにっこり可愛い笑顔の梓さんがいた。

「うん、もう大丈夫かな?」
「ご迷惑をおかけしました。」
「いいえ、そんなことないですよ。ほら、安室さん。」

にっこり笑った梓さんが少しだけ怒ったような顔をして安室さんの方を見る。

「安室さんの顔ほんっとうに怖かったですよ!」
「あはは、すいません。」

梓さんに怒られた安室さんは少しバツが悪そうに視線を逸らしながら頬を掻く。それから私の方に向き直り、申し訳なさそうな顔をした。

「すいません、泣かせるつもりはなかったんです。ただなまえさんがどうしても心配で...。」

少し目を伏せた安室さんに私が慌てる。

「いや、あの本当に気にしないでください。私が悪いんですし!」

それに安室さんがまた少しだけ眉根を寄せる。

「いいえ、僕が言い方がキツすぎました。...貴方は前回もでしたが自責の念が強すぎるきらいがありますね。それ自体は悪いことではないですが、そればかりでは貴方が苦しいばかりですよ。」
「...はい。」

神妙な顔でこくり、と頷くと安室さんはまた困ったように笑って此方に手を伸ばした。

「目元が真っ赤ですね。」

そう言って片手で私の視界を遮る。さっきまで水を触っていたからかその手はひんやり冷たくて気持ちいい。その冷たさが恋しくて安室さんの手に無意識に擦り寄る。ぴくり、と安室さんの手が震えた。次の瞬間安室さんの手がぱっと離れタオル濡らしますね、と控え室へ向かった。名残惜しみながらその背中に有難うございます、と声をかけると隣から梓さんの視線を感じた。

「?どうかしました?」
「...いや〜?なまえさんって意外と小悪魔だなぁと思いまして。」
「えっ?なんですかそれ!?」

ぎょっとして梓さんに問いかけてもくすくす笑うばかり。戻ってきた安室さんと2人そんな梓さんを見て首を捻ったのだった。