あなたの傍に居られるならば、もう何も要らないのです


零くんはとても不規則な生活をしている。真夜中にやってきて直ぐに出ていくこともよくあるし、明け方にやって来て私の布団に潜り込んでいることもある。彼は私の家の合鍵を持っているので、もしかしたら私が寝ている時に入り込んでいることもあるのかもしれない。私が寝てて来たことも出ていったことも気付いてないだけで。別にそれをどうこう言うつもりは無い。無いのだが。

「せめて、限界が来る前にちゃんと睡眠は取りなよ...。」
「ん...。」

久しぶりに帰ってきた彼の顔は一目見ればわかる程、それはそれは酷いものだった。綺麗な顔にはパンダが出来ており、生気がない。彼は定期的にこの様な有り様でやってくる。普段ならば寝不足でも隈になるほどではないし、もっと意識もしっかりしている。それなのに今の彼ときたら。真夜中、テレビを流していたら扉の開く音が聞こえ、零くんが来たのだとわかり、彼をお出迎えするために立ち上がり玄関に向かおうとしたら既に彼は靴を脱いで上がり込んでいた。何という早業。驚いて立ち止まった私を見て一直線に飛んで来た。これが初めてではないのだが、自分より大きなものが迫ってくるのは彼が私を傷つけないと分かっていても怖い。私はびくり、と肩を震わせた。そんな私にお構いなく、零くんは私を抱きしめ、肩にその顔を埋めた。

「ねぇ、重いよ。」
「ん...。」

これは駄目だな。全くお話を聞いてくれない。眠くてたまらないのだろう。話しかけてもいやいやをするように頭を私の肩にめりこませてくる。可愛らしい仕草とは裏腹にそれは地味に痛みを引き起こす。自分の腕を零くんに回し、身体を引き摺るように寝室へ向かう。顔はあげないが足は動かしてくれているのでベッドで寝たいという気持ちはあるのだろう。

「ほら、お布団着いたよ。ゴロンしようねー。」

肩をぽんぽんと叩いて教えてあげる。気分はまるでお母さんだ。手がかかるなぁ、なんて考えて頬が少し緩む。

「んー...。」

私の身体から離れまいとグッと抱き締めてくる。うーん、これは一緒に寝ないと駄目かな...。まだ洗い物とか洗濯物畳みとか終わってないんだけど。脳内で天秤が揺れる。逡巡したのは一瞬で直ぐに零くんがその他に勝った。こんな風になるまで頑張ったんだろうし、めいっぱい甘やかしてあげたい。ぎゅ、っと零くんを抱き締め返して零くんの身体ごとベッドに倒れ込む。ぼふり、と音を立ててベッドが軋む。

「零くんお疲れ様。」
「...あぁ。」

よく頑張りました、と零くんの頭をよしよしと撫でる。ベッドに倒れ込んだときに身体が少し離れ顔が良く見えた。ふにゃり、と綻ぶように笑う彼に優しい気持ちになる。カーテンを開けっ放しにしていたせいで、月の光が射し込んで私たちを照らす。彼の髪が月の明かりによりよりきらきらと輝いている。相変わらず綺麗な顔だなぁと思いながら頭を撫でていた手を彼の頬に滑らす。零くんは擽ったいのかくすくす笑いながらその手に擦り寄ってくる。可愛い。絶対私より可愛いんだよなぁ。これで同い年かぁ。若作りな上に顔の造形がいいとは羨ましい限りである。彼に言えば忽ち不機嫌になるから口が裂けても言えないけれど。

「なまえ...」
「なーに?」
「名前を呼んで」
「零くん。」
「もっと。」
「零くん。零くん。大好きだよ。」
「うん...。」

彼はたまにこんな風に自身の名前を呼んで欲しいという。やっぱり『 安室透』という名前は彼にとって心的に負担なのかもしれない。変えなければ良かったのに、と思いつつそれが必要だったのだろうとも理解している。難儀な人だな、と思いつつ只管に彼の名前を呼ぶ。少しだけ泣きそうな顔をした零くんはぎゅ、っと私の身体に縋ってくる。

「俺もなまえが大好きだ。愛してる。だから、居なくならないで...。」

うわ言のように彼は本心を吐き出す。だからそれにずっとそばに居るよ、と返すと彼の目からほろり、と1粒涙が零れた。そのままくたりと零くんの身体から力が抜ける。どうやら限界が来たらしい。そんな彼の頬に1つキスを落として抱き締める。本当に心的にも身体的にも限界に達した時彼はこうなる。何時もはプライドが高く強気である零くんがこうなるのは珍しい。だからこういう時私は彼をどろどろに甘やかしてあげる。彼が安心出来る場所になること。それが私の出来ることであり望んでいることである。彼が弱味をさらけだせる場所でありたい。それが彼の心を守ることになるはずだから。

「おやすみ、零くん。」

きっと明日には彼はいつも通りに戻っているだろう。畳み終わってない洗濯物や使いっぱなしの食器を見て鼻で笑ってくることだろう。いや、呆れた顔をするかもしれない。でもそれでいい。だからいつも通りに戻れるように今はゆっくり休んでね。私は今度は彼の唇にキスを落として瞼を閉じた。