わらってわらって


「おかえり。」
「...ただいま。」

扉の前でにっこり笑ってみせればどうしてここに居るのか分からないのか裕也くんが目を丸くしていた。そんな彼にくすくす笑いながらこぼれる髪を耳にかけ、彼から鞄とコンビニの袋を奪う。そして彼に背を向け歩き出すと彼が慌てて靴を脱ぎ後ろをついてくる。

「ご飯食べてないよね?作ってるんだけど、すぐ食べる?」
「あぁ、...その前に少し着替えてくる。」
「はーい。...知らせたらよかったね。コンビニのお弁当無駄になっちゃった。」
「いや、構わない。別に今日食べなくても冷蔵庫に入れてれば平気だろう。」

手に持ったコンビニ袋を見てバツが悪くなりちら、と後ろを見て謝る。それに一度眼鏡を掛け直した裕也くんはぶっきらぼうに答える。それに唇を緩ませるとそれを見て裕也くんも目元を和らげた。一度荷物を置くために裕也くんと一緒に彼の寝室へ向かう。

寝室に入って裕也くんは上着をハンガーにかけ気だるそうな動作でネクタイを緩めている。それを持っていた鞄を置きながら盗み見る。

「(...やっぱり何か、)」

こちらを気にせずぼんやりしたまま服を脱ぎ出した裕也くんに慌てて部屋を出てキッチンへ向かう。やっぱり何か可笑しい。いつも多忙な裕也くんは帰ってくれば疲れた顔はしているが今日は...。うん、落ち込んでるって感じだ。見た目では分からないけれど彼の纏う雰囲気はへにょりと眉を下げ尻尾を丸める犬のそれである。うーん、と夕飯にと作っていたポテトサラダを冷蔵庫から取り出し皿に盛り付けながら軽く唇を尖らせる。また、例の上司に怒られたのだろうか。彼の職務上、多くのことを語ってはくれないがたまにぽつり、と上司に叱られたとぼやいている時がある。別に裕也くんが悪かったのなら叱られるのも仕方ない事だし、私が口を出せることではないのだけれどどうしてもモヤモヤしてしまう。元来彼は生真面目なのだ。1度注意されたら2度と同じ失敗をしないように努力を惜しまない人である。しかし、私が知る限り裕也くんがその上司に褒められたと喜んでいたことはない。仕事とプライベートを分ける裕也くんが唯一プライベートに持ち込むくらいなのだから、もし褒められていたらその日はとってもご機嫌でも可笑しくないのである。けれどそんな姿は1度も見たことはなく...。まぁ、頻繁に会える訳では無いから絶対とは言いきれないが私と会う時は基本いつも通り疲れているか偶に落ち込んでいるかのどちらかなのである。全くなんて上司だ。褒めるということを知らないのか!...というか裕也くんの話を聞く感じ、優秀すぎて周りに求めるハードルが高すぎなのではないだろうか。以前裕也くんに上司について尋ねれたとき彼は決して上司を乏すようなことは言わず、苦い顔で凄い人だと告げたことを思い出しながら思う。私からすれば裕也くんだって十分"凄い”のだけれどそんな裕也くんすら認める凄い人なのだからよっぽどなのだろう。彼はあれでプライドが高いのであそこまで素直に凄いと認めたことに驚いた程だ。しかし、裕也くんの彼女としてはそれが面白くないのである。プライベートと仕事を分けられる男・風見裕也が唯一その垣根を壊すその人にちょっとしたジェラシーを感じるのも無理からぬ事だはないだろうか。...話が脱線してしまったがつまり私は裕也くんに元気がないのが心配なのだ。

はぁ、と溜息をつきながら鍋にかけた火を止める。温め直した味噌汁を器に注ぎ、ご飯をよそう。優しく漂う味噌の香りと白く輝くお米に思わずごくりと唾をのむ。我ながら美味しそうに出来た...。それらをテーブルの上に運び、並べてみる。最後に生姜焼きを持ってきて完成だ。丁度その時リビングにラフな格好になった裕也くんが入ってくる。

「裕也くん、座って座ってー!」
「今日は生姜焼きか?」
「そ!私が食べたかったの。」
「そうか。」

目元を緩めて小さく笑うその顔に釣られて私も顔がだらしなく緩むのが分かる。椅子に座る裕也くんを見てぱたぱたとスリッパの音を立てて自分も席に着く。

「頂きます。」
「はーい、召し上がれー。」

行儀よく手を合わせる裕也くんに返して頬杖をつく。片手でお茶碗を持ちご飯とお肉を掻き込むともきゅもきゅと口を閉じてしっかり噛み砕く裕也くんをじっと見るとその視線に気づいた彼がごくり、と口に入っていた食べ物を呑み込む。

「今日も美味しい。何時もありがとな。」
「好きでしてる事だし。それに裕也くんがご飯食べてるところ見るの好きなの。」
「...そうか。」

ぴくりと眉を動かした裕也くんがまた黙々と食事を再開する。無表情だが私は知っている。それは照れた時の反応で彼の耳が少し赤くなっていることを。

黙々とご飯を食べる裕也くんの綺麗な食事の所作を見る。薄い唇にご飯が運ばれる様を見てチラつく舌がえっちだなぁ、とぼんやり考える。それから自分の思考回路に呆れて口を開く。

「今日、買い物に出かけたら小さな子供達が公園で遊んでてね、...」

特に何も考えずに気分を変えようと今日あった出来事をひとりでに話し始める。それに裕也くんは食事の手を止めないまま視線をこちらに向けて聞く姿勢を取ってくれる。それに嬉しくなりながら取り留めのない出来事をつらつらと並べていく。

「...それで、近所のおばあちゃんったら怒っちゃって。」
「...そうか。」

相好を崩して話を聞いてくれる裕也くんに気を良くした私は延々と話し続ける。彼を見遣れば、さっきの落ち込んだ雰囲気はすっかり無くなっていた。それにほっ、と安心して尚話を続ける。

「そうそう、ここの近くに野良の小猫が住み着いてるの知ってる?」
「いや、知らないな。」

つ、と視線を上にあげて少し考えた彼が答える。そんな彼に口角が上がる。

「茶トラの男の子なんだけどね。何でか私に懐いているのか、よく私の後ろをついてくるの。」
「...ほう。」
「ぴょこぴょこついてくる姿が可愛くて食べ物あげたくなるんだけど面倒を見切れる自身もないし、野良猫に餌をあげるって賛否両論あるじゃない?だからいつも我慢してるんだけどね。」

そういってはぁ、と小さくため息をつく。とても可愛らしいのだけれど動物を飼ったことの無い私は尻込みしてしまうし、触ろうにも本当に小さいから傷つけてしまいそうで恐ろしい。野良でも着実に成長しているから私が思うよりも頑丈なのだろうけれど...。

「...。」

そういえば、裕也くんからの反応が無いな、と視線をあげれば裕也くんは暗い顔をしていた。ぎょっとして顔を手から離す。

「ゆ、裕也くん...??どうしたの...?」
「いや、何でもない。」

何でもないといいつつもその顔は晴れない。しかしそれきり口を開かなくなった彼に此方がそわそわしてしまう。居住まいを正し座り直して裕也くんを窺っているとご飯を食べ終えた彼がぱん、と手を合わせる。

「ご馳走様でした。」
「あ、はい。お粗末様でした...。」

何事も無かったかのように挨拶をした裕也くんに毒気を抜かれる。そして流れるように食器を持って流しに向かう彼の後に慌ててついていく。

「待って、裕也くん!私がするから!!というか、今誤魔化したでしょ!!」
「大丈夫だ、これくらいさせてくれ。」
「疲れてるでしょ!」
「なまえだって、仕事終わりで疲れてるだろ。」
「そりゃ、私も今日は仕事だったけど裕也くんに比べたら疲れなんてないようなものだもの...。」

裕也くんが蛇口を捻り、水が食器を濡らす。彼の隣で腑に落ちず口を尖らせていると裕也くんがぱちり、と軽い力で私のおでこを叩いた。

「俺がなまえに休んでほしいんだ。」
「...そういう言い方はずるい。」

叩かれたおでこを両手で抑えて隣の裕也くんを上目遣いに睨む。それに笑いながら裕也くんはスポンジを握った。ザァー、と流れっぱなしの水を止めてもう一度彼に尋ねる。

「...それで?なーんであんなに暗い顔してたの?」
「...やっぱり流されてはくれないか。」
「当たり前でしょ!ほら、話せるところだけでもいいから。ね?」
「...実は、」

そこで漸く再び眉根を寄せ、皺を作った裕也くんが語りはじめた。



「わんちゃんに怖がられるぅ!?」
「...あぁ。」

気まずそうに目を伏せる裕也くんに開いた口が塞がらない。

「それで今日帰ってきてからずっと落ち込んでたの...??」
「気付いてたのか...。」
「愛の力で...。」

ぐったり脱力しそうな足に力を込めながら裕也くんに答える。まさかそんな理由とは...。いや、彼の深刻具合からそんなことではないのだろうけれど。でももっと仕事に関することとかかと思ってた...。なんだそう...。

「実は上司が最近犬を飼い始めたらしく...。」
「えっ...、上司ってあのいきなり残飯処理押し付けてきたりしたっていうあの??」
「残飯処理...いや、あれは多分善意で...。言い方に悪意がないか...?」
「しーらない。それで?」

つい、と視線を逸らしとぼけてみせれば彼は困惑したような表情を見せながらも話を続けてくれた。

「あ、あぁ...。それで今日は偶然忙しい上司の変わりに数時間その犬の世話をするように頼まれたんだが。」
「待って?それって業務内容に入る?」
「...入ったんだ。それでだな...。割と人懐こい犬だったんだが。」

そこで1度息をつき、裕也くんはスポンジから手を離した。洗い終わったお皿を見て蛇口を捻る。ざーっと音を立てて流れ始めた水に手を入れ、彼が手の泡を落とす。

「...俺に抱きかかえられた瞬間、尻尾を丸めて震えていた。」
「わぁ...。」
「しかも、ずっとないている...。」
「あぁ...。」

お皿の泡を落としながら話す裕也くんは心做しかわかりやすくしょんぼりしている。それは確かに少し堪えるかもしれない。なにより裕也くんも犬の扱いに長けてる訳でもないだろうから随分慌てたのではないだろうか。

「勿論、飼い主である上司を恋しがってるのも有るのだろうが...。やはり俺の顔が怖かったのだろうか...。」

洗い終わった食器を水切りかごに入れ終え、自嘲気味に裕也くんが笑う。それに悲しくなって両手で裕也くんの頬をつかみ此方を向かせる。

「...。」
「な、なんだ。」

身長の低い私に合わせて裕也くんが膝を曲げる。振り払うことも出来るのにそれをしない優しい裕也くん。そんな所が私は好きなのだ。

「確かに裕也くんの顔は親しみやすいとは言えないけど...!でもそういうことじゃなくて!裕也くんのいい所はいっぱいあるじゃない!えと、だから落ち込まないで!」
「ふっ...、例えば?」

私の勢いに笑った裕也くんに噛み付くように答える。

「いっぱいあるよ!?ふにゃ、って笑う顔も優しくて好きだし、いっつもちゃんと私の意見聞いてくれるし、ご飯食べると美味しいって言ってくれるとこも!一緒に歩く時、何があっても歩道側に来るように立ち回ってくれるし、あとあと!洗濯物畳むの上手だし、ご飯綺麗に食べるし!」
「それ、関係あるのか?」
「あるよ!...多分。私が褒めるの下手くそなだけでもーっともーっといっぱい裕也くんの好きな所もいい所もあるんだからね!」
「わかった、わかった。」

くしゃりと笑って濡れた手で私の手にその手を重ねた裕也くんに胸が高鳴る。...こうやって優しく笑うところが本当に大好きだなぁ。こうやって笑える人が怖いわけないよね。

「だから、そのわんちゃんもすぐ裕也くんのこと好きになるよ。そんなに気にしなくても大丈夫。」
「あぁ。...ありがとう。」

まっすぐ私の目を見てくる裕也くんに照れて彼の頬から手を離す。そして、ふいと顔を逸らして照れ隠しに早口で告げる。

「まぁ?その上司さんがもう職権乱用しなければ会う機会もないかもだけど!」

裕也くんはその言葉に苦笑して頬を掻く。

「本当に何でそんな当たりきついんだ。」
「だって狡いもん...。」
「何がだ?」
「...ひ、み、つ!」

流石に上司(仕事も含め)に嫉妬したなんて恥ずかしいこと言えない...。いー、っと歯を見せてから裕也くんの背中を押す。

「ほら、早くお風呂入ってきなよ!明日も早いんでしょ?」
「あ、あぁ。なまえは泊まっていくか?」
「泊まってく!だから待ってるから早く上がってね!」

ぐいぐい背中を押せばそれに従って歩き出した裕也くんが不意に此方を向いた。

「一緒に入るか?」
「〜〜〜!!??入りません!」

顔を真っ赤にした私に少し意地悪そうに裕也くんが笑う。昔は裕也くんだってもっと初心な反応してたのに...!なんか悔しい...!

「残念だ。すぐ上がるからベッドで待っててくれ。」
「...はーい。」

私の返事に満足したのか裕也くんが扉の向こうに消える。それを見て私も寝室に歩き出す。そして先程の話を思い出す。裕也くんにはああいったけれども...。何だかんだ私は裕也くんの優しさが知られるのは嫌だ。

「(裕也くんの優しさはいろんな人に安売りしちゃやだ...。)」

なんて自分の考えに恥ずかしくなり辿り着いた寝室の枕に自身の顔を押し付ける。全く私は何様のつもりだ。...でも、やっぱり。裕也くんの魅力は私だけが知っていたいなと思いながらひとり、布団で裕也くんを待ったのだった。





「最近少し、俺の方にも歩み寄ってくるようになってな...。」
「ふーーん...。」
「どうした?気分でも悪いのか?」
「べーーつに!!」

後日、裕也くんとハロが仲良くなっててちょっと面白くない彼女ちゃんでした。

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