探偵社との敵対を禁ずると首領は云った。
 頬が緩み、鼻の下がついうっかり伸びてしまうのを止められない。立原に気持ち悪いと何だと云われても、全て赦そう。女神はわたしに微笑んでいるのだわ。わたしの時代が来たのだわ。

「待っていてね、愛しの彼方!」


▽△▽


 樋口さんは組合戦が終わった後も相も変わらず忙しそうで、必死に庶務机に齧り付いていた。此の人は銃を持って戦場を翔けるよりも、こうして書類を必死に作っている方が何倍も様になっていると思う。
「芥川さんは未だ人虎に熱を上げているのでしょうか?」
 庶務机に詰まれている書類を手に取りながら尋ねると、樋口さんは疲れた顔を上げた。その顔色に思わず「お茶を淹れましょうか?」と口をついた。
「悪い。頼む」
 いつも遠慮する樋口さんが素直に頼むなんて、余程疲れているのだろう。人手が足りなくなったぶん、組合戦の前よりも雑務が増えたのは確かだろう。野蛮な戦闘脳筋共はろくに庶務仕事なんてできないので、樋口さんのような「普通に近いところにある人」はこういう仕事で重宝される。野蛮な戦闘脳筋のわたしはこの書類に一体何の価値があるのか判らない。
 庶務机に書類を返却し、温めた急須に茶葉を巻き散らす。
「で、先輩が何だって?」樋口さんが問う。
「人虎を未だ追っているのかと」
 此の人が芥川さんの名前しか聞いていなかったのか芥川さんの名前が聴こえたから意識を浮上させたのか判らないが、「普通に近いところにある人」はこと色事に左右されやすくて困る。
 だばだばと湯を注げは、見る見るうちに葉が広がり急須の中でぎゅうぎゅうと鬩ぎ合っていた。
「抑々人虎の捕獲も組合からの依頼だったわけで、その組合も今はもう無い」
「では、人虎とはもう」樋口さんに勢いよく煎れたてのお茶を差し出す。
「濃いな」
 湯呑に注ぎ出た緑茶は底が見えない程濁っていたが、樋口さんは一気に仰いだ。


▽△▽


 武装探偵社は一度お邪魔したので把握していた。
 あの時は、樋口さんからの命令とはいえ随分野蛮なことをしてしまった。それから不甲斐無い姿を見せてしまった。不甲斐無いというのは、残念ながらわたしの愛用している機関銃が整備に出ていたのだ。緊急事態の収集に、しょうがなく武器庫から適当な拳銃を見繕ったが、真逆ジャムるとは思ってもいなかったのだ! 可笑しいなあ、ちゃんと整備しておけよ、と思いながら拳銃の底を叩いている間に立原と銀を始めとする屈強な同僚たちは伸され、積み重なっている。広津さんがぶん投げられたときに引いたスライドは既に遅く、意味をなさない。あれよあれよという間に、同僚が一人ずつ窓から投げ捨てられていく光景をわたしは未だ夢に見る。
「お前はどうする」
 見渡す探偵社員の目玉たちにそう目で言われている気がして、わたしは安い拳銃を握り直した。
 わたしたちの僅かな掟のひとつ。受けた攻撃は必ずそれ以上にして返すこと。探偵社員は五名。広津さんをぶん投げた眼鏡の男が首の骨を小気味よく鳴らした。……我々が何名で突入したかは忘れることにする。何倍にして何を返せばいいのだ。自分の力量は判っている。わたしは考える。そうだ。窓から投げ捨てられた広津さんと同僚と部下を無事に拠点まで運べば許されるのではないか。そうか。それこそがわたしの任務なのではないか。そうである。弾詰まりがまさにわたしの運命を物語っていたではないか。
「ええと、コホン。済みません。お邪魔致しました」
 わたしは丁寧に別れの挨拶を告げ、玩具の拳銃を床に向ける。探偵社員は警戒するように、後ずさったり、目を張ったり、肩を強張らせた。わたしは構わず引き金を引く。銃口から勢いよく発射された玩具の弾丸は次々に床にぶつかり破裂した。たちまち部屋は煙幕でいっぱいになる。いわゆる宴会用の玩具だ。わたしは入って来た扉を目指し走った。
 その扉の前に今、わたしは居る。大丈夫。今回も愛用の機関銃は置いてきたけど、拳銃の整備はしてきた。事前予約はないけれど、以前樋口さんが事前予約なしに対応してもらったことは聞いていた。大丈夫。わたしはノブに手をかける。肺に目いっぱいの空気を送り込む。よぅく血液を循環させる。力強く、思い切り、扉を開く。


「敦君をください!」


▽△▽


「……ご指名をいただき? ありがとうございます?」
 わたしの眼前には念願の敦君だ。
 黒い革のソファを勧めてくれたのも敦君で、温かな紅茶を差し出してくれたのも敦君である。今日は敦君記念日にしよう! わたしは早速内側の手首に敦君記念日と書き記した。
「失礼しますね」と向かいのソファに腰を下ろす敦君。の後ろには探偵社員が千手観音の手の如く顔を並べていた。「どうぞお構いなく」と云われたので、わたしはまるで気にしないことにする。
「失礼ですが、以前お会いしましたよね。確かポートマフィアの……」
「憶えていてくださったのですかッ!」
 敦君が! わたしを! 天にも昇る嬉しさとはまさにこのことではないか! 今なら人生で最高に気持ちよく銃を乱射できる気がする。
「あれは就職したての一大行事でしたから」
 敦君の目は心なしか遠い。
「わたしはご存知の通り、ポートマフィアで下級構成員なんてやっております苗字名前と申します。以前顔見世させていただきました黒蜥蜴のモンです」
「そのポートマフィアが身分も隠さず何故探偵社に? 何故僕を指名して?」
 わたしは待っていましたとばかりに手を打ち、実はですね、と切り出す。
「一目惚れなのです」
「へっ!?」
「一目見たあの時から敦君をどうしてもこの手に収めたいと、日々思っていたのです」
「僕を!?」
「組合との戦いが終わり、首領が探偵社との敵対を禁ずると云いつけた今が好機だと思うと、居ても立っても居られず、来ちゃいました」云えば、千手観音の腕たちは騒めいた。
「敵対を禁ずる?」
「ええ、禁ずると、首領直々に仰ったそうですよ。わたしは別の上司から聞きましたけど」
 騒めく千手観音の腕たちには興味もないのだ。わたしは続ける。
「とは云うものの、わたしのようなポートマフィアの下級構成員があの武装探偵社の調査員の方と釣り合うなんてとても思ってはおりません! 一時間ッ! 一日たったの一時間でいいのです! わたしに敦君の時間をくれないでしょうかッ!?」
 弁を振るうたびに熱がこもり、拳が固く結ばれ軽く眩暈を起こした。どうか伝われ我が想い。千手観音の腕たちは「そこまで云われているんだからくれてやれ」と背中を押してくれている。
「一時間で一万円支払います! 生活が楽でないことは存じています! わたしに一時間貢献するだけで一カ月30万円の収入になります! 茶漬けくらいなら、毎日腹いっぱい召し上がっていただけます! あいている時間で構いません! わたしのような下っ端の給料ではこれが限界ですけれど、どうか武装探偵社の良心を働かせると思って、お願いします」
 わたしが頭を下げれば、深く息が吐き出された。
「……しょうがないですね」
「! では、」
「お金は要りません。先ずは友達から、ということで如何でしょうか」
 神か! わたしが世間の食み出し者というのは重々承知の上で友達としての交際宣言を、さらには無料で! 流石はわたしの惚れた敦君である。
 ありがとうございますと何度も頭を下げると、千手観音たちは各々の腕を千切れんばかりに拍手してくれた。何だったら今から逢瀬にでも行ってこいと云ってくれる彼らは本当に仏か何かなんじゃないだろうか。脳裏に過る中原さんや梶井さんはきっと地獄に落ちるんだろうな、と彼らを見て思う。
 あとはお若いお二人で、と背中を押されながら思い出した。肝心なことを伝えていなかった。早く云わねば流されてしまうと思い「逢瀬の際は虎の姿でお願いします」と云った。云えば、居室は一気に静まり返った。
「……えっと……?」
「虎を飼いたかったのです」
「虎を? 飼いたかったのですか?」
「初めて敦君を見たのは路地裏で芥川さんと対峙しているところでした。白い虎を見たのはその時が初めてで、なんて綺麗なのだろうと思ったのです。この虎に乗って、中華街で機関銃をぶっ放せたら、どんなに気持ちがいいだろうと! 然し、残念なことに虎は芥川さんが目をつけていると聞いたので、それはそれは断腸の思いで身を引きました。そして時が流れ今、芥川さんはもう敦君の捕獲は諦めたらしいのです。好都合に好都合が重なった今、まさに、わたしはただならぬ運命を感じています」
 きゃ! 云っちゃった! 恥ずかしながら誰にも云っていなかった思いの丈を本人にぶちまけてしまった。
「一カ月30万だぞ、敦」広津さんをぶん投げた眼鏡が云う。
 敦君はアニメのようにわなわなと震え「ナンジャソリャ―――!」と叫んだ。
「先ずは中華街に、よろしくお願いしますね」
 わたしは拳銃を胸の前に出し、軽く構えてみせると、敦君は「フザケルナ」と勢いよく飛び出していった。鬼ごっこかしらん? それならば追いかけなくては。わたしは敦君に倣って勢いよく飛び出す。淳君記念日と書かれた左手の内手首が愛しい。
「異能ごと愛してくれる女が居てよかったじゃないか、敦」と背後で探偵社員の誰かが云った。


▽△▽


 これが愛だというのなら、「普通に近いところにある人」はこと色事に左右されやすいというわたしの持論を以って、嗚呼、所詮わたしは「普通に近いところにある人」なのだわね。

2016.07.22
ALICE+